『それだけ』と『それ以外も』2
りん子的独り言(生意気)
りん子的独り言(生意気)は主従関係などについて書きますが、それ自体を批判しているのではなく、それで満たされない人がいるならと思って書いています。
同じ立場の方でも幸福を感じられている方には祝福の気持ちです。
こんな気持ちで書いています。『りん子的独り言って』『かつてのわたしに』
『それだけ』か『それ以外も』か。
そもそも『それだけ』と『それ以外も』って何を指しているのだろう。
『「それだけ」か「それ以外も」か』からお読みいただいたほうがわかりやすいです。
自分で書きながらはっきり定義していなかったので、もうちょっと考えてみよう。
これは漠然と嗜好(性的嗜好を含む)を指しているのだと思う。
ちょっと好きなことから、とても大事な嗜好、濃淡はいろいろだろうけど。
たとえばね。
緊縛好きで出会ったカップルが他のことにも興味を持ち『それ以外も』と思えれば、付き合いは広がるし。
SMカップルがなんらかの事情でSMができなくなったとしても、もし人として魅力を感じていて一緒に映画を観るととても楽しいなんて嗜好が一致していたら、違った形で関係は続けることができるかもしれない。
那智さんが最初に『SMを意識するな』と言ったこことも、それ以外もわたしと楽しみたいという気持ちもあったからとも考えられる。
『それだけ』よりも『それ以外』があったほうが柔軟性がある。
いろんなことに興味を持ち、自分もいろんな魅力を持っていたほうが、付き合いを継続させたいなら有効なのではないかなということだな。(今更整理^^;)
で、『それ』を嗜好(性的嗜好)とするとして、感じたことを書きますね。
たまたりん子こ数ヶ月でご主人様に関係を解消させられた奴隷さんを続けて目にすることがあったのだ。
お付き合いの長さや事情はそれぞれでしょうけど、前エントリーを書きながらもしかしたら主従やご主人様と奴隷さんは『それだけ』であることが多いのではないか、そして、もしかしたらその関係にも『それ以外』がたくさんあったら道は違っていたのではないかと想像してしまいました。
もちろん表向きはそうでもふたりにしかわからない『それ以外』もあるかもしれないけど、外側から見れば役割がはっきりしている関係は『それだけ』になりやすいのではないかと想像する。
で、やっぱり、もし、長く関係を継続させたいならば、『それ以外』があったほうが柔軟で強いと思う。
えっと、これは『それだけ』を否定しているのではないですよ(ここ重要^^)
わたし自身『それだけ』の偏愛に憧れているし、その甘美な快楽も想像できる。
その嗜好(性的嗜好)を貫く良さもあるだろう。
ただ長くお付き合いしたいなら、柔軟性に富んでいる『それ以外』もあったほうがいいだろうなと思うという前回の結論からのお話です。
で、実はここからが本題なんだけど^^
『それだけ』は否定しないけど、ただひとつ思うことは、『それだけ』の道を選ぶなら自分の嗜好(性的嗜好)を基準にしたほうが、絶対いいということ。
仮に『それだけ』が短命だったとして、でも自分の性癖や嗜好を満たすためだったら、覚悟はできるし納得することができる。
不必要な傷を負うこともない次また前に進みやすいはずだ。
相手が望んだから。
そうじゃないと付き合えなかったから。
そんなふうに自分の本意ではなく相手に合わせて『それだけ』を選んでしまったら、『それ以外』を求める気持ちや自分の求める『それだけ』は叶えられない。
万が一関係を解消されたとき、その叶えられなかった感情の持って行き場がなく自分を苦しめることになると思う。
あのときああるればよかった。
ご主人様がこうしろといったから。
でも従った私が悪い。
感情の行き場がなく誰かを責めないと収まらないけど、誰も責めることができず、結局自分を責めて苦しんでいる。
たまたま目にした関係を解消された奴隷さんを見ていると、自分の『それだけ』や『それ以外』を押し殺していた故の後悔や自責や怨みが感じられていたたまれなくなる。
永遠なんてなくて、だからどんな関係だっていつか別れが来るよね。
どんな関係だって別れは辛くて悲しい。
だけどそのときに、『それだけ』だった人は、それが自分の望んだものであれば『それだけ』を得られた満足を感じるだろう。
相手に合わせて『それだけ』を選んでいたら、押し殺していた『それ以外』を得られなかった後悔を感じやしないか。
自分の性癖や嗜好を知って選ぶのとそうでないのとでは大きく違うのではないだろうか。
お友達のmineさんはお相手の名前を知らない。
一緒にレストランにも入ったことはないし、手を繋いだこともない。
わたしから見たら『それだけ』以外何者でもない(笑)
だけど、恐らく彼女はそれが満足のはずだ。
もし仮にお別れするようなことがあったとしても(ごめん)彼女は後悔しないだろうしお相手を責めるような気持ちにもならないだろう。
なぜなら、諸々事情はあるだろうけど、『それだけ』を彼女が望み、選んでいるからだ。(きっとお名前を聞けばお相手は答えてくれるはず^^)
牝として飼われることに彼女の性的嗜好は満たされる。
手を繋げないことに焦れ、そんな自分に快感を覚えているのだ。
彼女は、自分の求めるものを理解し、それを選んでいる。
『それだけ』でも満たされるということは、そういうことなのだと思う。
いつも思う。
自分の性癖や嗜好、望みを理解して。
『それだけ』がほしいのか『それ以外』もほしいのか、見極めて。
長くお付き合いがしたいなら『それ以外』をたくさん増やしたほうが有効だ。
そして『それだけ』を選ぶなら、自分の嗜好で選んだほうがいい。
そんなふうに思うのでした^^
そういえば、那智さんとはじめてお話ししてから1、2ヶ月のころだっただろうか。
大きなバケツで受け止めてもらって、父性の存在を知り、とめどなく感情を溢れさせていたころ。
こんなふうに全開の感情放出をしていたら、ぜったい飽きられるだろうし重荷になるだろうって思っていた。
だけど自分の求めていたものの気持ちよさを止めることができず、これは短命に終わるかもしれないと思っていた。
それでも、いま、これがほしいと溢れさせ続けた。
知らなかった父性の幸福を味わえ溢れさせることができたのだ、仮に短命だったとしてもしかたがない。
残念だし辛いだろうけど、後悔しないし満足だし、那智さんを恨むこともないだろうって思っていた。
わたしにとって『父性』は嗜好や性癖ではあるけど、もっと重要な『核』でもある。
嗜好と『核』は違うけど(説明なし!!ごめん^^)それでも、やっぱり自分のほしいものをもらえると、後悔は少ないのではないかと思うのだ。
『それだけ』と『それ以外も』
どちらを選ぶかは人それぞれだけど、本当の自分の求めるものを知っていると後悔せず満足だろうって思うのでした。
<関連エントリー>
『「それだけ」か「それ以外も」か』
『奴隷「が」いいの?』
『否応なくマゾ』
短命でもかまわないと思っていた頃。
『退路を断つ時』
りん子的独り言(生意気)は主従関係などについて書きますが、それ自体を批判しているのではなく、それで満たされない人がいるならと思って書いています。
同じ立場の方でも幸福を感じられている方には祝福の気持ちです。
こんな気持ちで書いています。『りん子的独り言って』『かつてのわたしに』
『それだけ』か『それ以外も』か。
そもそも『それだけ』と『それ以外も』って何を指しているのだろう。
『「それだけ」か「それ以外も」か』からお読みいただいたほうがわかりやすいです。
自分で書きながらはっきり定義していなかったので、もうちょっと考えてみよう。
これは漠然と嗜好(性的嗜好を含む)を指しているのだと思う。
ちょっと好きなことから、とても大事な嗜好、濃淡はいろいろだろうけど。
たとえばね。
緊縛好きで出会ったカップルが他のことにも興味を持ち『それ以外も』と思えれば、付き合いは広がるし。
SMカップルがなんらかの事情でSMができなくなったとしても、もし人として魅力を感じていて一緒に映画を観るととても楽しいなんて嗜好が一致していたら、違った形で関係は続けることができるかもしれない。
那智さんが最初に『SMを意識するな』と言ったこことも、それ以外もわたしと楽しみたいという気持ちもあったからとも考えられる。
『それだけ』よりも『それ以外』があったほうが柔軟性がある。
いろんなことに興味を持ち、自分もいろんな魅力を持っていたほうが、付き合いを継続させたいなら有効なのではないかなということだな。(今更整理^^;)
で、『それ』を嗜好(性的嗜好)とするとして、感じたことを書きますね。
たまたりん子こ数ヶ月でご主人様に関係を解消させられた奴隷さんを続けて目にすることがあったのだ。
お付き合いの長さや事情はそれぞれでしょうけど、前エントリーを書きながらもしかしたら主従やご主人様と奴隷さんは『それだけ』であることが多いのではないか、そして、もしかしたらその関係にも『それ以外』がたくさんあったら道は違っていたのではないかと想像してしまいました。
もちろん表向きはそうでもふたりにしかわからない『それ以外』もあるかもしれないけど、外側から見れば役割がはっきりしている関係は『それだけ』になりやすいのではないかと想像する。
で、やっぱり、もし、長く関係を継続させたいならば、『それ以外』があったほうが柔軟で強いと思う。
えっと、これは『それだけ』を否定しているのではないですよ(ここ重要^^)
わたし自身『それだけ』の偏愛に憧れているし、その甘美な快楽も想像できる。
その嗜好(性的嗜好)を貫く良さもあるだろう。
ただ長くお付き合いしたいなら、柔軟性に富んでいる『それ以外』もあったほうがいいだろうなと思うという前回の結論からのお話です。
で、実はここからが本題なんだけど^^
『それだけ』は否定しないけど、ただひとつ思うことは、『それだけ』の道を選ぶなら自分の嗜好(性的嗜好)を基準にしたほうが、絶対いいということ。
仮に『それだけ』が短命だったとして、でも自分の性癖や嗜好を満たすためだったら、覚悟はできるし納得することができる。
不必要な傷を負うこともない次また前に進みやすいはずだ。
相手が望んだから。
そうじゃないと付き合えなかったから。
そんなふうに自分の本意ではなく相手に合わせて『それだけ』を選んでしまったら、『それ以外』を求める気持ちや自分の求める『それだけ』は叶えられない。
万が一関係を解消されたとき、その叶えられなかった感情の持って行き場がなく自分を苦しめることになると思う。
あのときああるればよかった。
ご主人様がこうしろといったから。
でも従った私が悪い。
感情の行き場がなく誰かを責めないと収まらないけど、誰も責めることができず、結局自分を責めて苦しんでいる。
たまたま目にした関係を解消された奴隷さんを見ていると、自分の『それだけ』や『それ以外』を押し殺していた故の後悔や自責や怨みが感じられていたたまれなくなる。
永遠なんてなくて、だからどんな関係だっていつか別れが来るよね。
どんな関係だって別れは辛くて悲しい。
だけどそのときに、『それだけ』だった人は、それが自分の望んだものであれば『それだけ』を得られた満足を感じるだろう。
相手に合わせて『それだけ』を選んでいたら、押し殺していた『それ以外』を得られなかった後悔を感じやしないか。
自分の性癖や嗜好を知って選ぶのとそうでないのとでは大きく違うのではないだろうか。
お友達のmineさんはお相手の名前を知らない。
一緒にレストランにも入ったことはないし、手を繋いだこともない。
わたしから見たら『それだけ』以外何者でもない(笑)
だけど、恐らく彼女はそれが満足のはずだ。
もし仮にお別れするようなことがあったとしても(ごめん)彼女は後悔しないだろうしお相手を責めるような気持ちにもならないだろう。
なぜなら、諸々事情はあるだろうけど、『それだけ』を彼女が望み、選んでいるからだ。(きっとお名前を聞けばお相手は答えてくれるはず^^)
牝として飼われることに彼女の性的嗜好は満たされる。
手を繋げないことに焦れ、そんな自分に快感を覚えているのだ。
彼女は、自分の求めるものを理解し、それを選んでいる。
『それだけ』でも満たされるということは、そういうことなのだと思う。
いつも思う。
自分の性癖や嗜好、望みを理解して。
『それだけ』がほしいのか『それ以外』もほしいのか、見極めて。
長くお付き合いがしたいなら『それ以外』をたくさん増やしたほうが有効だ。
そして『それだけ』を選ぶなら、自分の嗜好で選んだほうがいい。
そんなふうに思うのでした^^
そういえば、那智さんとはじめてお話ししてから1、2ヶ月のころだっただろうか。
大きなバケツで受け止めてもらって、父性の存在を知り、とめどなく感情を溢れさせていたころ。
こんなふうに全開の感情放出をしていたら、ぜったい飽きられるだろうし重荷になるだろうって思っていた。
だけど自分の求めていたものの気持ちよさを止めることができず、これは短命に終わるかもしれないと思っていた。
それでも、いま、これがほしいと溢れさせ続けた。
知らなかった父性の幸福を味わえ溢れさせることができたのだ、仮に短命だったとしてもしかたがない。
残念だし辛いだろうけど、後悔しないし満足だし、那智さんを恨むこともないだろうって思っていた。
わたしにとって『父性』は嗜好や性癖ではあるけど、もっと重要な『核』でもある。
嗜好と『核』は違うけど(説明なし!!ごめん^^)それでも、やっぱり自分のほしいものをもらえると、後悔は少ないのではないかと思うのだ。
『それだけ』と『それ以外も』
どちらを選ぶかは人それぞれだけど、本当の自分の求めるものを知っていると後悔せず満足だろうって思うのでした。
<関連エントリー>
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