『それだけ』と『それ以外も』
りん子的独り言(エラそう)
う〜ん、カテゴリ、悩む^^;
『徒然に「正しくないもの」』を徒然にしたのはわたしなりに答えが出せていなかったから。
健康を害することはよくないなんていう常識は当たり前過ぎて、そんなこと書きたくなかったし。
それがわかった上でどうしても惹かれてしまう心理に蓋をしたくなかったから結論を出せずにいたのだけど、納得のいく答えを見つけられたので、第二弾^^
『徒然に「正しくないもの」』を読んだ朝一番の那智さんの感想。
(多忙のため文章にはできずツイッターにはつぶやきませんでした^^)
りん子は自分を重ねているだろ
だった。
しかも、うらやましいと思って重ねているだろ
はい、正解です^^
で、たぶん、那智さんとわたしの意見違いますよね?
那智さんのいう通り、わたしは映像をテレビで観たときも、そしていまも自分を重ね憧れを抱いている。
で、わたしが羨望し自分たちを重ねていることを那智さんは知っていて、で、知ってくれているというこをわたしは知っていた(ややこし^^)。
でもって、エントリーを書きながら、きっとこれに対するふたりの意見は違うだろうなとも思っていたんだ。
わたしはあの状況に憧れている。
たまたま体が一例になっていたけれど、それが精神的なものや生活習慣だったとしても同じだろう。
身を滅ぼすような歪んだ偏愛。
熱烈に寵愛され、変形していく。
アイテムはなんでもいい、その関係や精神状態に羨望している。
さらに妄想として、それが破滅的であればあるほど惹かれるのだ。
そして、ほんの少し、自分たちと重なるとも思っている。
那智さん曰く『生きていくのが下手』だったわたしに考え方や筋を教え実行するやり方を教え、生きやすくなったこともある意味変形だし、那智さんの指一本で腰が振れ快感に溺れるようになっていったのも変形だ。
わたしは憧れているものに自分を重ねていたから、あの夫婦のその後を見たとき、複雑な気持ちになってしまったのだ。
それに対して那智さんは、たぶん違う意見を持っている。
何年か前、ちょっとまじめな口調でこんなことを話してくれた。
りん子が、たとえばこの先事故かなにかで片腕をなくしても、そうだな顔に火傷を負っても、たぶん変わらず愛していると思う。
実はこのときはあまりピンときてなかったので『ふ〜ん』くらいだった(ごめんなさい!!那智さん^^;)。
特に付き合いはじめて最初の数年はわたし大改造みたいな状態で、考え方も体もどんどん変わっていっていて、
もちろん良い方向に変わっているのだけど、そうなるといま享受している愛情も変わってしまうのではないかと不安になるから(変形を望むのに、変わるの不安の矛盾はお許しください)
だから『那智さん、わたしが○○じゃなくなったらどうします?』などと聞く。
そうすると『いまのりん子も好きだし、違うりん子も好き』と答える。
とても手前味噌な言い方をしてしまうけど^^;
○○だからいまのりん子がいいのではなく、那智さんは『りん子がいい』ということなのだ。
『○○だからってすると、そうじゃなくなったときに好きじゃなくなるみたいだろ?』という。
この気持ちはありがたいのだけど(とってもありがたいです)、反面、熱烈な歪んだ偏愛を密かな憧れとしているわたしには、ある部分では物足りないような気持ちになってしまう。
いまのりん子がいい、1mmも変わらないでと思って。
コレクターが蝶の標本を愛でるように愛して。
そんなふうに思ってくれないことをほんのちょっぴり残念に思っていたのだ。
たとえば事故に遭っての話もこれに繋がるのだろう、だから『ふ〜ん』くらいだったのね。
那智さんは『いまも、それ以外でもりん子がいい』という『それ以外も』というスタンス。
わたしは『○○のりん子がいい、いまのりん子がいい』という『それだけ』という嗜好。
だから、あの夫婦の話を読んで。
体重を減らす道を選びその後も変わらず愛するということが正解と思う那智さんと。
極端な妄想させてもらえれば、そのまま破滅することにさえ憧れてしまうわたし。
こんなふうに那智さんとわたしの意見は違うだろうなと書きながら思っていたのだ。
『女の子』がいなくなってしまって、那智さんのことを真っ白な気持ちで好きと思えないと感じていたときわたしはとても必死だった。
あの幸福な状態にもう戻れないんじゃないか、違う形の幸福を思い描けずとてもとても怖かった。
そんなとき
戻れたらいいけど、戻れなくてもまた違う関係を作ればいい。
俺はりん子と付き合っていきたい。
と那智さんは言い続けてくれた。
これは、『たとえば事故に遭って』のお話をしたときからずっと言い続けてくれたことと同じだよね。
いま『女の子』の存在をわかってもらって気持ちも元に戻っているけれど、もし戻らなかったとしたら、『それだけ』というわたしの嗜好と『それ以外でも』という那智さんのスタンスだったら、どちらが関係を継続させることだできただろう。
『○○だから好き』というそれだけに特化した偏愛は、きっとなかなか他では得難い快感を与えてくれると思う。
だけど長く付き合っていきたいと思うなら。
それだけ、なのか
それ以外も、なのか
那智さんのスタンスほうがいいということだよね。
そして、実は『それ以外』がたくさんあればあるほど、柔軟性を持ち、ときに形を変え、何度も関係を再構築できる強味や愛情に繋がるのだろう。
いまは元に戻ったとは言っても厳密に見ればまるっきり同じなはずはなく、この一年で那智さんとわたしは形は変わったはずだ。
それでもこうやって『プラスになれた』と思える、いまも思えているということは、『○○じゃなきゃダメ』という偏った嗜好のわたしも『それ以外もある』という経験になっているのだと思うの。(思うの…思うの…笑)
わたしはいまでも熱烈な偏愛やそれによる破滅に羨望は持っている。
もうこれは嗜好だから、なかなか0にはならないだろう^^;
それでもなくならないなりに、人と長く関係を構築するという豊かな人生作りを那智さんから学んでいるところなのでした^^
ということで、わたしの答え。
あの夫婦はきっと『それ以外』もあったのだと考えられるなら、常識なんてクソくらえな(笑)計りではなく良い選択だったんだよね、と思える^^
そう思えたから、第二弾エントリーなのでした。
で、これには第三弾もありますの〜^^
ちなみに。
『りん子が好き』という那智さんですが、唯一これがなくなったらダメというのがありまして。
それは羞恥心。
これは羞恥心う含めた、それを感じ取る感性だと思っている。
だから、やっぱりアンテナ磨くのがわたしの役割なのだね^^
<関連エントリー>
『徒然に「正しくないもの」』
『夢見る頃をすぎても1 2 3 4 5』
なくしてはならない羞恥心っぽい話いろいろ^^
『矛盾は辛い』
『羞恥心って?』
『もう、いや!!』
『ついにデビュー!?1 2』
『乳首死守』
う〜ん、カテゴリ、悩む^^;
『徒然に「正しくないもの」』を徒然にしたのはわたしなりに答えが出せていなかったから。
健康を害することはよくないなんていう常識は当たり前過ぎて、そんなこと書きたくなかったし。
それがわかった上でどうしても惹かれてしまう心理に蓋をしたくなかったから結論を出せずにいたのだけど、納得のいく答えを見つけられたので、第二弾^^
『徒然に「正しくないもの」』を読んだ朝一番の那智さんの感想。
(多忙のため文章にはできずツイッターにはつぶやきませんでした^^)
りん子は自分を重ねているだろ
だった。
しかも、うらやましいと思って重ねているだろ
はい、正解です^^
で、たぶん、那智さんとわたしの意見違いますよね?
那智さんのいう通り、わたしは映像をテレビで観たときも、そしていまも自分を重ね憧れを抱いている。
で、わたしが羨望し自分たちを重ねていることを那智さんは知っていて、で、知ってくれているというこをわたしは知っていた(ややこし^^)。
でもって、エントリーを書きながら、きっとこれに対するふたりの意見は違うだろうなとも思っていたんだ。
わたしはあの状況に憧れている。
たまたま体が一例になっていたけれど、それが精神的なものや生活習慣だったとしても同じだろう。
身を滅ぼすような歪んだ偏愛。
熱烈に寵愛され、変形していく。
アイテムはなんでもいい、その関係や精神状態に羨望している。
さらに妄想として、それが破滅的であればあるほど惹かれるのだ。
そして、ほんの少し、自分たちと重なるとも思っている。
那智さん曰く『生きていくのが下手』だったわたしに考え方や筋を教え実行するやり方を教え、生きやすくなったこともある意味変形だし、那智さんの指一本で腰が振れ快感に溺れるようになっていったのも変形だ。
わたしは憧れているものに自分を重ねていたから、あの夫婦のその後を見たとき、複雑な気持ちになってしまったのだ。
それに対して那智さんは、たぶん違う意見を持っている。
何年か前、ちょっとまじめな口調でこんなことを話してくれた。
りん子が、たとえばこの先事故かなにかで片腕をなくしても、そうだな顔に火傷を負っても、たぶん変わらず愛していると思う。
実はこのときはあまりピンときてなかったので『ふ〜ん』くらいだった(ごめんなさい!!那智さん^^;)。
特に付き合いはじめて最初の数年はわたし大改造みたいな状態で、考え方も体もどんどん変わっていっていて、
もちろん良い方向に変わっているのだけど、そうなるといま享受している愛情も変わってしまうのではないかと不安になるから(変形を望むのに、変わるの不安の矛盾はお許しください)
だから『那智さん、わたしが○○じゃなくなったらどうします?』などと聞く。
そうすると『いまのりん子も好きだし、違うりん子も好き』と答える。
とても手前味噌な言い方をしてしまうけど^^;
○○だからいまのりん子がいいのではなく、那智さんは『りん子がいい』ということなのだ。
『○○だからってすると、そうじゃなくなったときに好きじゃなくなるみたいだろ?』という。
この気持ちはありがたいのだけど(とってもありがたいです)、反面、熱烈な歪んだ偏愛を密かな憧れとしているわたしには、ある部分では物足りないような気持ちになってしまう。
いまのりん子がいい、1mmも変わらないでと思って。
コレクターが蝶の標本を愛でるように愛して。
そんなふうに思ってくれないことをほんのちょっぴり残念に思っていたのだ。
たとえば事故に遭っての話もこれに繋がるのだろう、だから『ふ〜ん』くらいだったのね。
那智さんは『いまも、それ以外でもりん子がいい』という『それ以外も』というスタンス。
わたしは『○○のりん子がいい、いまのりん子がいい』という『それだけ』という嗜好。
だから、あの夫婦の話を読んで。
体重を減らす道を選びその後も変わらず愛するということが正解と思う那智さんと。
極端な妄想させてもらえれば、そのまま破滅することにさえ憧れてしまうわたし。
こんなふうに那智さんとわたしの意見は違うだろうなと書きながら思っていたのだ。
『女の子』がいなくなってしまって、那智さんのことを真っ白な気持ちで好きと思えないと感じていたときわたしはとても必死だった。
あの幸福な状態にもう戻れないんじゃないか、違う形の幸福を思い描けずとてもとても怖かった。
そんなとき
戻れたらいいけど、戻れなくてもまた違う関係を作ればいい。
俺はりん子と付き合っていきたい。
と那智さんは言い続けてくれた。
これは、『たとえば事故に遭って』のお話をしたときからずっと言い続けてくれたことと同じだよね。
いま『女の子』の存在をわかってもらって気持ちも元に戻っているけれど、もし戻らなかったとしたら、『それだけ』というわたしの嗜好と『それ以外でも』という那智さんのスタンスだったら、どちらが関係を継続させることだできただろう。
『○○だから好き』というそれだけに特化した偏愛は、きっとなかなか他では得難い快感を与えてくれると思う。
だけど長く付き合っていきたいと思うなら。
それだけ、なのか
それ以外も、なのか
那智さんのスタンスほうがいいということだよね。
そして、実は『それ以外』がたくさんあればあるほど、柔軟性を持ち、ときに形を変え、何度も関係を再構築できる強味や愛情に繋がるのだろう。
いまは元に戻ったとは言っても厳密に見ればまるっきり同じなはずはなく、この一年で那智さんとわたしは形は変わったはずだ。
それでもこうやって『プラスになれた』と思える、いまも思えているということは、『○○じゃなきゃダメ』という偏った嗜好のわたしも『それ以外もある』という経験になっているのだと思うの。(思うの…思うの…笑)
わたしはいまでも熱烈な偏愛やそれによる破滅に羨望は持っている。
もうこれは嗜好だから、なかなか0にはならないだろう^^;
それでもなくならないなりに、人と長く関係を構築するという豊かな人生作りを那智さんから学んでいるところなのでした^^
ということで、わたしの答え。
あの夫婦はきっと『それ以外』もあったのだと考えられるなら、常識なんてクソくらえな(笑)計りではなく良い選択だったんだよね、と思える^^
そう思えたから、第二弾エントリーなのでした。
で、これには第三弾もありますの〜^^
ちなみに。
『りん子が好き』という那智さんですが、唯一これがなくなったらダメというのがありまして。
それは羞恥心。
これは羞恥心う含めた、それを感じ取る感性だと思っている。
だから、やっぱりアンテナ磨くのがわたしの役割なのだね^^
<関連エントリー>
『徒然に「正しくないもの」』
『夢見る頃をすぎても1 2 3 4 5』
なくしてはならない羞恥心っぽい話いろいろ^^
『矛盾は辛い』
『羞恥心って?』
『もう、いや!!』
『ついにデビュー!?1 2』
『乳首死守』
- 関連記事
-
- 声あげなくても感じているよ 2011/05/19
- 海の底 2014/03/03
- 『好み』と『合う』 2010/10/17