肯定女
りん子的独り言(生意気)
「否定」が好きじゃない。
好きか嫌いかと判断する手前で「肯定」しているので、好き嫌いじゃなくて。多分そういう性質なんだと思う。
友人に『りん子は、「否定!!」と表情に表れてても、「そ、それもありかもね…」と苦しそうに肯定する』と言われたことがあるくらいだ。
咄嗟の判断でも否定しないのだから、普段の生活ではほとんど「否定」なしの人生。
それは違うと思っても、ぐっと飲み込み、『そういう考え方もあるよね、でも、こっちのほうがいいんじゃない?』という言い方を選ぶ。
一旦肯定してから、否定するような。
だから、意見を交わすことはきらいじゃないけど、意見を戦わせることは、苦手。
まあ、円満でよいのだけど、どうしても断らないといけないときなどは、即座に断れずあとで困ったり、断るにしてもすんごい心が疲労してしまったりして、ほんと苦手。
否定するのが好きじゃないのと同じように、人から否定されるのもだめ、これはわかりやすい心ですよね。
わたしの場合は、もうひとつ苦手な「否定」があってね。
それは、「人に否定させる」こともできれば避けたいと思ってしまうのです。
自分が否定するときにパワーがいるから、人にもそのパワーを使わせたくないという気持ちが働くのだと思う。
小さいころから思ってた。
小学生のころとかに、遊びに誘われるでしょ?
断ると「え〜なんで?」「どうして?」と理由を聞いてきたり、「じゃあ、○○が終わったら?」と引き下がらない子がいるけど、わたしはそれができなかった。
誘って、ひと言「否定」させたら、そこですぐ引き下がる、理由も聞かないし「え〜」とかも言わない。
だって、一度「否定」する労力を使わせたのだから、それ以上は申し訳ないと思ってしまうから。
否定されるのがいやという気持ちよりも、否定させることが申し訳ないと思う気持ちが強いのだ。
だから、お願い事が苦手。
まったく、面倒な性格です。
それでも、那智さんをはじめ、少数精鋭で「拒否させてごめんね〜」と思いながらも、お願いできる人には恵まれているので、その人たちはわたしの大切な人。
最近、やっとリンクを作ったのだけど、いままでなかったのはこの「否定させたくない」という性格が原因のひとつでもあったのです。
もともとリンクについての知識がなかったから、知らないものには触れないという気持ちがあったのと、「否定させたくない」という気持ちから作ることができなかったのです。
こちらがリンクさせてもらえば、リンク先のかたも「こちらはどうしようっか」と考えてくれるかもしれなくて、「否定」まではいかなくても「うう、どうしよう」と迷わせてしまうことさえも申し訳なくて、作れなかった。
そんな深く考えずに「好きなところ」ということで、リンクをしたほうが健全に決まってるのだけど、できなかったのです。
あ、でも、2年もブログをやってると、ちょっとずつ「強く」なれるようで、そして、交流もできて、おかげさまでやっとリンクを作ることができたのでした。
まったく、どれだけガラスのハート?
10代なら可愛らしいけど、いい年してこれは情けないだけだよね。
でも、この前、悪いことばかりじゃない?と嬉しい発見をしたのです。
付き合ってる彼にとってわたしは必要ないんじゃないかって危惧する友達が、彼に「わたしのこと必要じゃないでしょ?」と問うたと話してくれた。
もちろん彼は「そんなことないよ、必要だよ」と答えてくれて、その場は解決したのだけど。
こういう話に出会って感じたのです。
ああ、わたしこういう聞き方しないなって。
相手の気持ちを聞いて確かめるような質問自体、あんまりできないけど(那智さんには、しょっちゅうしてるけど^^;)、もし聞くとしたら「わたしのこと必要?」だなって思ったの。
すんごい、微妙な感じなんだけど。
わたしのこと必要?と聞かれて「うん、必要だよ」と答えるのと。
わたしのこと必要じゃない?と聞かれて「ううん、そんなことないよ、必要だよ」と答えるのと。
わたしは、前者を選ぶなって思ったの。
答えは同じだったとしても、最初に否定させなきゃいけない質問のしかたは、しないなと。
そこまで厳密に振り分けていたわけじゃないけど、「否定させたくない」という気持ちから生まれる姿勢は、愛情表現によい効果をもたらすかもしれないと思ったのです。(愛情表現においてですよ、いやなことはいやとちゃっと主張しないといけない場面もあります!!)
だってね、発端は「否定させたくない」という気持ちだったとしても、「わたしのこと好きじゃないんでしょ?」と聞くよりも「わたしのこと好き?」と聞いたほうが、相手の気分がよいのではないですか?
あなたを「疑ってる」と「信じてる」と同じ確認でも印象が変わってきませんか?
「否定させたくない」という気持ちだけでそういう姿勢でいるわけじゃなくて、わたしはもともと「学習能力のない性善説派」なので、基本的になにごとも「肯定」から始まるのですね。
これで、何度も痛い目にもあってるのだけども^^;
でも、人に対して、「疑い」から始めるよりも「信じてる」から始めたほうが、幸せになれそうな気がしたのです。
まあ、もっと大切なのは、わたしのこと好き?と聞くよりも、わたしはあなたが好き!!と意思表示をし続けることだと思いますけどね。
肯定人生も悪くないかなって思ったのでした。
「否定」が好きじゃない。
好きか嫌いかと判断する手前で「肯定」しているので、好き嫌いじゃなくて。多分そういう性質なんだと思う。
友人に『りん子は、「否定!!」と表情に表れてても、「そ、それもありかもね…」と苦しそうに肯定する』と言われたことがあるくらいだ。
咄嗟の判断でも否定しないのだから、普段の生活ではほとんど「否定」なしの人生。
それは違うと思っても、ぐっと飲み込み、『そういう考え方もあるよね、でも、こっちのほうがいいんじゃない?』という言い方を選ぶ。
一旦肯定してから、否定するような。
だから、意見を交わすことはきらいじゃないけど、意見を戦わせることは、苦手。
まあ、円満でよいのだけど、どうしても断らないといけないときなどは、即座に断れずあとで困ったり、断るにしてもすんごい心が疲労してしまったりして、ほんと苦手。
否定するのが好きじゃないのと同じように、人から否定されるのもだめ、これはわかりやすい心ですよね。
わたしの場合は、もうひとつ苦手な「否定」があってね。
それは、「人に否定させる」こともできれば避けたいと思ってしまうのです。
自分が否定するときにパワーがいるから、人にもそのパワーを使わせたくないという気持ちが働くのだと思う。
小さいころから思ってた。
小学生のころとかに、遊びに誘われるでしょ?
断ると「え〜なんで?」「どうして?」と理由を聞いてきたり、「じゃあ、○○が終わったら?」と引き下がらない子がいるけど、わたしはそれができなかった。
誘って、ひと言「否定」させたら、そこですぐ引き下がる、理由も聞かないし「え〜」とかも言わない。
だって、一度「否定」する労力を使わせたのだから、それ以上は申し訳ないと思ってしまうから。
否定されるのがいやという気持ちよりも、否定させることが申し訳ないと思う気持ちが強いのだ。
だから、お願い事が苦手。
まったく、面倒な性格です。
それでも、那智さんをはじめ、少数精鋭で「拒否させてごめんね〜」と思いながらも、お願いできる人には恵まれているので、その人たちはわたしの大切な人。
最近、やっとリンクを作ったのだけど、いままでなかったのはこの「否定させたくない」という性格が原因のひとつでもあったのです。
もともとリンクについての知識がなかったから、知らないものには触れないという気持ちがあったのと、「否定させたくない」という気持ちから作ることができなかったのです。
こちらがリンクさせてもらえば、リンク先のかたも「こちらはどうしようっか」と考えてくれるかもしれなくて、「否定」まではいかなくても「うう、どうしよう」と迷わせてしまうことさえも申し訳なくて、作れなかった。
そんな深く考えずに「好きなところ」ということで、リンクをしたほうが健全に決まってるのだけど、できなかったのです。
あ、でも、2年もブログをやってると、ちょっとずつ「強く」なれるようで、そして、交流もできて、おかげさまでやっとリンクを作ることができたのでした。
まったく、どれだけガラスのハート?
10代なら可愛らしいけど、いい年してこれは情けないだけだよね。
でも、この前、悪いことばかりじゃない?と嬉しい発見をしたのです。
付き合ってる彼にとってわたしは必要ないんじゃないかって危惧する友達が、彼に「わたしのこと必要じゃないでしょ?」と問うたと話してくれた。
もちろん彼は「そんなことないよ、必要だよ」と答えてくれて、その場は解決したのだけど。
こういう話に出会って感じたのです。
ああ、わたしこういう聞き方しないなって。
相手の気持ちを聞いて確かめるような質問自体、あんまりできないけど(那智さんには、しょっちゅうしてるけど^^;)、もし聞くとしたら「わたしのこと必要?」だなって思ったの。
すんごい、微妙な感じなんだけど。
わたしのこと必要?と聞かれて「うん、必要だよ」と答えるのと。
わたしのこと必要じゃない?と聞かれて「ううん、そんなことないよ、必要だよ」と答えるのと。
わたしは、前者を選ぶなって思ったの。
答えは同じだったとしても、最初に否定させなきゃいけない質問のしかたは、しないなと。
そこまで厳密に振り分けていたわけじゃないけど、「否定させたくない」という気持ちから生まれる姿勢は、愛情表現によい効果をもたらすかもしれないと思ったのです。(愛情表現においてですよ、いやなことはいやとちゃっと主張しないといけない場面もあります!!)
だってね、発端は「否定させたくない」という気持ちだったとしても、「わたしのこと好きじゃないんでしょ?」と聞くよりも「わたしのこと好き?」と聞いたほうが、相手の気分がよいのではないですか?
あなたを「疑ってる」と「信じてる」と同じ確認でも印象が変わってきませんか?
「否定させたくない」という気持ちだけでそういう姿勢でいるわけじゃなくて、わたしはもともと「学習能力のない性善説派」なので、基本的になにごとも「肯定」から始まるのですね。
これで、何度も痛い目にもあってるのだけども^^;
でも、人に対して、「疑い」から始めるよりも「信じてる」から始めたほうが、幸せになれそうな気がしたのです。
まあ、もっと大切なのは、わたしのこと好き?と聞くよりも、わたしはあなたが好き!!と意思表示をし続けることだと思いますけどね。
肯定人生も悪くないかなって思ったのでした。