奴隷誓約書
りん子的独り言(生意気)
宣誓書というものを書いたことがある。
付き合ってまだ間もないころ、那智さんがこんなのどう?と見せてくれた。
それは、「宣誓書」なるもので、「一、りん子は〜」で始まる宣言が何個も並んでいる。
もともとフォーマットがあって、名前の部分を「那智」と「りん子」に変えただけのものだった。
以前テレクラで相手を探していたころ、会うまでには至らなかったけど、何度か電話でやり取りをするくらいまでになった人がいた。
ある日その人が「奴隷誓約書」を書いて、と言ってきた。
「奴隷誓約書」という響きと、それにより抗えないという状況に淡い憧れを抱いたけど、なんだかピンとこないな〜と思っていた。
会う前から出来上がっている「奴隷」ってなんなんだろう?
そんなに簡単に奴隷になれるものなのかしら。
誓約書の意味がわからなかった。
必要性も感じられなかったの。
だって、誓約を破っても、罪に問われるわけでもない「誓約」って、そんなに大事な物?
それを書いたから自由にできるなんて、そんなに簡単じゃないでしょう。
となんだか嘘くさいと思ってしまった。
那智さんが見せてくれたそのフォーマットには「女の幸せを捨てご主人様の奴隷として〜」とか、「至らぬ点は厳しく正していただき、捨てられることも覚悟します。」そんなトーンの誓約がいくつか書いてあった。
それを読んだとき、その嘘くさい感じを思い出した。
だって、私、女の幸せ捨てたくないもの、那智さんに愛されて幸せになっていたいもの。
正してもらうのはいいとして、厳しくなんていやだもの。
そんなふうに思って、フォーマットに書かれている言葉に不満を申し出ると、じゃありん子の言葉に変えてみる?ということになって、その場の即興で変えてみた。
元の「奴隷として〜」というような重々しい骨組みに、ロマンティックなりん子言葉が加味されて、なんとも不思議な誓約書が出来上がった。
那智さんは、まあまあ気に入ってくれているみたいだけど、私は未だにちょっとピンときていないの。
だって、その誓約なんてほとんど忘れているし、そのころよりもっと今のほうが捕われていて離れられないんだもの。
そのころのほうが、「あなたのために」という勢いがあったかもしれないけど、実際は今のほうが、ずっと深くて慈しんでいるんだもの。
この数年間、誓約書があるから従ったわけでもないし、奴隷だから拒否権なしと思ったわけでもない。
そうしたいから、してきただけ。
どうしても既存のスタイルに抵抗を感じてしまう。
ブログ上のわかりやすい名称として那智さんを「ご主人様」と言っても差し支えないけど、できない。
自分を奴隷とも、ペットとも、思っていない。
はじめのころ私が恥ずかしがるから面白がって「ご主人様」と呼ばせていたことがあった。
ちょっと照れ臭いニックネームを呼んでいるみたいで、いつの間にか慣れてしまったら那智さんもつまらないから、ある時おしまいになった。
それから、自発的にご主人様なんて思いもしないし、呼んでもいない。
どうしても「奴隷誓約書」のように、嘘っぽく感じられてしまうからだ。
私はあなたのものというお伽噺を実感したいと、模索しているけれど、それはご主人様と奴隷でなく、愛する人との愛情表現というだけこと。
ブログを始めてネットの世界を覗いて初めて、たくさんの人がSMをしたり、主従関係を結んだり、性癖に向き合ったりしているのを知った。
皆さんそれぞれ幸せの形は違うから、いろんな方法で幸せを感じている。
その中で、なんてたくさんのご主人様がいて、たくさんの奴隷がいるんだろうと思った。
なかには全然会えなくて悲しんでいる人もいる。
その悲しみを「奴隷」だから、ご主人様にぶつけちゃいけないって押し殺している子もいる。
課せられた難題をクリアできずに、自分を責めている人もいる。
なんだか読んでいるこちらのほうが切なくなってしまう。
それこそ人それぞれなんだから、その関係を批判しているわけじゃない、皆さんそれぞれ幸せを感じているはず。
でも、私がそこから受ける印象だけで思ってしまったんだけど、私にとっては「寂しさをぶつけさせてくれる」関係のほうがいいと思ってしまう。
そんなに辛い(辛そう)思いをさせている人がご主人様なら、悲しみをぶつけさせてくれて、私の幸せを考えて、本当に幸せにしてくれている那智さんなんて、とっくの昔に私のご主人様だわと思ってしまった。
そう感じたら、なんだかくすぐったくって嬉しくて、那智さんにメールする。
「ね、ご主人様」って。
抵抗を感じていた嘘っぽさを感じずに、この感情が起きるのになんて時間が掛かって、そして、そう思って発するとなんて気持ち良いのでしょう。
誓約書を呼び方も、関係が深まれば自然に生まれるものなのかもしれない。
だから、はじめに誓約書ありきに、ちょっと疑問を持つのでした。
自然に「ご主人様」と思えたいま(でも、相変わらず呼んでないけど^^;)、誓約書も湧き上がる自然な感情で書き直しすとしたら、こう書こう。
「私は那智さんのもの!」
以上!!(笑)
だって、けっこう長々と面倒くさいだもん(笑)
追記:前の記事、一箇所直しました。うんこを水で流し込んで、吐いてもいいという那智さんに委ねられなかった所。その気持ちを「悲しい」から「残念」にしました。こちらが正確な気持ちでした。
宣誓書というものを書いたことがある。
付き合ってまだ間もないころ、那智さんがこんなのどう?と見せてくれた。
それは、「宣誓書」なるもので、「一、りん子は〜」で始まる宣言が何個も並んでいる。
もともとフォーマットがあって、名前の部分を「那智」と「りん子」に変えただけのものだった。
以前テレクラで相手を探していたころ、会うまでには至らなかったけど、何度か電話でやり取りをするくらいまでになった人がいた。
ある日その人が「奴隷誓約書」を書いて、と言ってきた。
「奴隷誓約書」という響きと、それにより抗えないという状況に淡い憧れを抱いたけど、なんだかピンとこないな〜と思っていた。
会う前から出来上がっている「奴隷」ってなんなんだろう?
そんなに簡単に奴隷になれるものなのかしら。
誓約書の意味がわからなかった。
必要性も感じられなかったの。
だって、誓約を破っても、罪に問われるわけでもない「誓約」って、そんなに大事な物?
それを書いたから自由にできるなんて、そんなに簡単じゃないでしょう。
となんだか嘘くさいと思ってしまった。
那智さんが見せてくれたそのフォーマットには「女の幸せを捨てご主人様の奴隷として〜」とか、「至らぬ点は厳しく正していただき、捨てられることも覚悟します。」そんなトーンの誓約がいくつか書いてあった。
それを読んだとき、その嘘くさい感じを思い出した。
だって、私、女の幸せ捨てたくないもの、那智さんに愛されて幸せになっていたいもの。
正してもらうのはいいとして、厳しくなんていやだもの。
そんなふうに思って、フォーマットに書かれている言葉に不満を申し出ると、じゃありん子の言葉に変えてみる?ということになって、その場の即興で変えてみた。
元の「奴隷として〜」というような重々しい骨組みに、ロマンティックなりん子言葉が加味されて、なんとも不思議な誓約書が出来上がった。
那智さんは、まあまあ気に入ってくれているみたいだけど、私は未だにちょっとピンときていないの。
だって、その誓約なんてほとんど忘れているし、そのころよりもっと今のほうが捕われていて離れられないんだもの。
そのころのほうが、「あなたのために」という勢いがあったかもしれないけど、実際は今のほうが、ずっと深くて慈しんでいるんだもの。
この数年間、誓約書があるから従ったわけでもないし、奴隷だから拒否権なしと思ったわけでもない。
そうしたいから、してきただけ。
どうしても既存のスタイルに抵抗を感じてしまう。
ブログ上のわかりやすい名称として那智さんを「ご主人様」と言っても差し支えないけど、できない。
自分を奴隷とも、ペットとも、思っていない。
はじめのころ私が恥ずかしがるから面白がって「ご主人様」と呼ばせていたことがあった。
ちょっと照れ臭いニックネームを呼んでいるみたいで、いつの間にか慣れてしまったら那智さんもつまらないから、ある時おしまいになった。
それから、自発的にご主人様なんて思いもしないし、呼んでもいない。
どうしても「奴隷誓約書」のように、嘘っぽく感じられてしまうからだ。
私はあなたのものというお伽噺を実感したいと、模索しているけれど、それはご主人様と奴隷でなく、愛する人との愛情表現というだけこと。
ブログを始めてネットの世界を覗いて初めて、たくさんの人がSMをしたり、主従関係を結んだり、性癖に向き合ったりしているのを知った。
皆さんそれぞれ幸せの形は違うから、いろんな方法で幸せを感じている。
その中で、なんてたくさんのご主人様がいて、たくさんの奴隷がいるんだろうと思った。
なかには全然会えなくて悲しんでいる人もいる。
その悲しみを「奴隷」だから、ご主人様にぶつけちゃいけないって押し殺している子もいる。
課せられた難題をクリアできずに、自分を責めている人もいる。
なんだか読んでいるこちらのほうが切なくなってしまう。
それこそ人それぞれなんだから、その関係を批判しているわけじゃない、皆さんそれぞれ幸せを感じているはず。
でも、私がそこから受ける印象だけで思ってしまったんだけど、私にとっては「寂しさをぶつけさせてくれる」関係のほうがいいと思ってしまう。
そんなに辛い(辛そう)思いをさせている人がご主人様なら、悲しみをぶつけさせてくれて、私の幸せを考えて、本当に幸せにしてくれている那智さんなんて、とっくの昔に私のご主人様だわと思ってしまった。
そう感じたら、なんだかくすぐったくって嬉しくて、那智さんにメールする。
「ね、ご主人様」って。
抵抗を感じていた嘘っぽさを感じずに、この感情が起きるのになんて時間が掛かって、そして、そう思って発するとなんて気持ち良いのでしょう。
誓約書を呼び方も、関係が深まれば自然に生まれるものなのかもしれない。
だから、はじめに誓約書ありきに、ちょっと疑問を持つのでした。
自然に「ご主人様」と思えたいま(でも、相変わらず呼んでないけど^^;)、誓約書も湧き上がる自然な感情で書き直しすとしたら、こう書こう。
「私は那智さんのもの!」
以上!!(笑)
だって、けっこう長々と面倒くさいだもん(笑)
追記:前の記事、一箇所直しました。うんこを水で流し込んで、吐いてもいいという那智さんに委ねられなかった所。その気持ちを「悲しい」から「残念」にしました。こちらが正確な気持ちでした。
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COMMENT
一人でも多くの女性が
こう思ってくれることを願います
こう思ってくれることを願います
わあ、古いエントリーにもありがとうございます。
SMや主従の世界では様々な「惹かれる言葉」があります。
誓約書もそのひとつ。
だけど、実際「身も心もすべて捧げる」なんてファンタジーに過ぎないわけで、現実とファンタジーをごちゃまぜにして首を絞めてしまわないでほしいなって思います。
ところで、このエントリーは那智さんにとって羞恥エントリーのようです(笑)
わたしとの付き合いで既存のSMに捕われたくないと言いつつ、出会った当初の先走った感じが恥ずかしいらしいです^^;
SMや主従の世界では様々な「惹かれる言葉」があります。
誓約書もそのひとつ。
だけど、実際「身も心もすべて捧げる」なんてファンタジーに過ぎないわけで、現実とファンタジーをごちゃまぜにして首を絞めてしまわないでほしいなって思います。
ところで、このエントリーは那智さんにとって羞恥エントリーのようです(笑)
わたしとの付き合いで既存のSMに捕われたくないと言いつつ、出会った当初の先走った感じが恥ずかしいらしいです^^;