バカみたいに濃厚な
独特な幸福感
わたしたたちはいまたまたま環境が整いとてもたくさんコミュニケーションが取れていると思う。
『等式』はこのコミュニケーションがあるから成り立っているとも言えるのだけど、書き続けるときになかなか環境の整うことのできないお友達やまだ見知らぬどなたかを思うとき、すこし申し訳なく思ってしまう。
でも申し訳なく思うことはしたくないのだ。
わたしがこの濃厚なコミュニケーションを書き続けるときに必要な気持ちは『ありがとう』。
なかなかコミュニケーションが取りづらい人たちからしたらとても恵まれていることに気づかせてもらえていることにも『ありがとう』^^
以前、1年と少しお休みが合わなかったときのことを思えば、やっぱりいまの環境に『ありがとう』だ。
そんな気持ちで書いている。
この濃厚なコミュニケーションはもともとわたしが望んだこと。
できるだけ繋がっていたい。
で、那智さんは好きな女の望みを叶えることが好きというとても奇特な人であると共に、好きな女と深い繋がりやツーカーの以心伝心、同化の一体感を感じることも望んでいたことなのだろう。
そんな好みの一致と、互いにコミュニケーションを取っていたいと願い、継続させるための努力がこの濃厚なコミュニケーションを生んでいるのだと思う。
たとえば、那智さんはトイレに立った合間に『あ』とメールしてくれるのも、わたしが那智さんのランチタイムの一服に合わせて数分お話できるために自分の昼食の時間を11時台にするのも(後にズラすのではないのがミソ 笑)、そうしていたい気持ちからのほんのわずかな努力ともいえる。
ただ基本はわたしが望んだことで、これを成立させるためにはルールのようなものはある。
那智さんがいう、『繋がれるときは繋がれるし、繋がれないときは繋がれない』ことを信じる。
いつもはこの時間繋がれたけど、今日ダメなのは『たまたま』だと、繋がりたくないのではなくて、繋がれないのだと素直に思うこと。
繋がれたときには、素直に嬉しい気持ちを表すこと。
繋がっていることが目的なのでカラ返事も上の空も無視も受け入れる^^資料をめくる音やキーボードを叩く音で喜ぶ^^
そんな思考回路も大事だ(笑)
当然、話題提供は主にわたしが担当するので、話題に事欠かないアンテナを持つことも大切だし、那智さんのこちらへの集中度合いによって話題を選ぶことも必要だ。
場合によっては「いま集中度合い何%ですか?」なんて聞いて話題を選んだりする(まあ、それに何%と答えを示してくれるから成立しているんだけどね)
バカみたいに濃厚なコミュニケーションを何年も続けるには、ふたりの嗜好だけではなく、いちおうそれなりの努力も必要ではあります^^
わたしのバイオリズムが悪いと上手に対応できないこともあるから、まだまだ修行中です。
って、なんでこんな長々書いているかっていうと、この後、あまりにくだらないバカ話を書くからです^^
じゃあ、いってみよ〜♪
年の瀬の冷たい雨の夜。
そんな夜に外にいるのは、お友達に誘われてライブハウスに行くため。
ちょうどいい機会、少し早めに繁華街に出てほしかったものを物色する。
この時期、那智さんはとても忙しい。
忙しい中でもとても集中しなければならないお仕事と、流れ作業で比較的頭を使わなくても大丈夫なものとあるようで、特にこの時期は後者のときにたくさん繋がれるのだ。
那智さんも単純な作業の暇つぶしにちょうどいいらしい^^
その夜の物色している時間帯も暇つぶしにはもってこいの状況だったのだろう。
ほしい物を見つけるためにお店を梯子するわたしにずいぶんと付き合ってくれていた。
いま、○○ですよ〜
とか、くだらない実況中継をしたり。
ピンクとベージュとどっちがいいと思います?
なんて見えてもいないのに相談したり。
もともとあまり物欲がないので目的のもの以外買おうとしないわたしに『○○も買えば〜、きっとかわいいよ〜(笑)』と煽って遊ぶ那智さん。
携帯片手にテレて喜んで、ついには『かわいい』という言葉に踊らされて試着してしまう。
それがけっこうタイトなニットワンピで、うう、この年でこんなの来ていいのか!?とためらうと今度は
買っちゃえ、買っちゃえ〜
(見えてないのに!!)
と、まったく無責任な背中押し(笑)
なんだか楽しくなって買ってしまった○&Mのセールの1000円ワンピ(笑)←これで悩むわたし^^;
繋がっている幸福と何やら遠隔操作されているような喜び、『マリオネットツアー』の買い物バージョンだ。
そんなこんなで2時間くらい。
いちおう目的のものと遠隔操作でセール品などなど済ませながら、ライブまでの時間をすごしていた。
一人の時間を楽しむという人からは想像できないと思うよね^^;
わたしも、誰かれかまわず繋がっていたいわけじゃないし、ひとりも大好きなんだけど、那智さんという存在に対してだけ、そういう人間になるようです。
わたしはこれからライブハウスまでちょっとの距離を歩いて行くので、まだ繋がっていることは可能だったのだけど、那智さんのほうが単純作業が終わって、そろそろ集中レベルが高いお仕事に取りかかる時間になったようだ。
じゃあ、いまからタバコ一本吸うから、そしたらおしまいね
カチッとライターの音がする。
楽しかった。
もうおやすみだよ、とベッドに連れて行かれるような、残念な、でも温かい気持ちになる。
でも、やっぱり名残り惜しい~。
ということで。
ハイ?『おしまい』ッテ、ナンデスカ?
バカみたいに濃厚なコミュニケーションをほっして、それを可能にするには、双方の努力のと、ときどき外国人化も必要なのだ(笑)
バカみたいに濃厚なコミュニケーションを書き続けるには、やっぱり『ありがとう』の気持ち。
読んでくれて、ありがとう♪
<関連エントリー>
『マリオネットツアー』
わたしたたちはいまたまたま環境が整いとてもたくさんコミュニケーションが取れていると思う。
『等式』はこのコミュニケーションがあるから成り立っているとも言えるのだけど、書き続けるときになかなか環境の整うことのできないお友達やまだ見知らぬどなたかを思うとき、すこし申し訳なく思ってしまう。
でも申し訳なく思うことはしたくないのだ。
わたしがこの濃厚なコミュニケーションを書き続けるときに必要な気持ちは『ありがとう』。
なかなかコミュニケーションが取りづらい人たちからしたらとても恵まれていることに気づかせてもらえていることにも『ありがとう』^^
以前、1年と少しお休みが合わなかったときのことを思えば、やっぱりいまの環境に『ありがとう』だ。
そんな気持ちで書いている。
この濃厚なコミュニケーションはもともとわたしが望んだこと。
できるだけ繋がっていたい。
で、那智さんは好きな女の望みを叶えることが好きというとても奇特な人であると共に、好きな女と深い繋がりやツーカーの以心伝心、同化の一体感を感じることも望んでいたことなのだろう。
そんな好みの一致と、互いにコミュニケーションを取っていたいと願い、継続させるための努力がこの濃厚なコミュニケーションを生んでいるのだと思う。
たとえば、那智さんはトイレに立った合間に『あ』とメールしてくれるのも、わたしが那智さんのランチタイムの一服に合わせて数分お話できるために自分の昼食の時間を11時台にするのも(後にズラすのではないのがミソ 笑)、そうしていたい気持ちからのほんのわずかな努力ともいえる。
ただ基本はわたしが望んだことで、これを成立させるためにはルールのようなものはある。
那智さんがいう、『繋がれるときは繋がれるし、繋がれないときは繋がれない』ことを信じる。
いつもはこの時間繋がれたけど、今日ダメなのは『たまたま』だと、繋がりたくないのではなくて、繋がれないのだと素直に思うこと。
繋がれたときには、素直に嬉しい気持ちを表すこと。
繋がっていることが目的なのでカラ返事も上の空も無視も受け入れる^^資料をめくる音やキーボードを叩く音で喜ぶ^^
そんな思考回路も大事だ(笑)
当然、話題提供は主にわたしが担当するので、話題に事欠かないアンテナを持つことも大切だし、那智さんのこちらへの集中度合いによって話題を選ぶことも必要だ。
場合によっては「いま集中度合い何%ですか?」なんて聞いて話題を選んだりする(まあ、それに何%と答えを示してくれるから成立しているんだけどね)
バカみたいに濃厚なコミュニケーションを何年も続けるには、ふたりの嗜好だけではなく、いちおうそれなりの努力も必要ではあります^^
わたしのバイオリズムが悪いと上手に対応できないこともあるから、まだまだ修行中です。
って、なんでこんな長々書いているかっていうと、この後、あまりにくだらないバカ話を書くからです^^
じゃあ、いってみよ〜♪
年の瀬の冷たい雨の夜。
そんな夜に外にいるのは、お友達に誘われてライブハウスに行くため。
ちょうどいい機会、少し早めに繁華街に出てほしかったものを物色する。
この時期、那智さんはとても忙しい。
忙しい中でもとても集中しなければならないお仕事と、流れ作業で比較的頭を使わなくても大丈夫なものとあるようで、特にこの時期は後者のときにたくさん繋がれるのだ。
那智さんも単純な作業の暇つぶしにちょうどいいらしい^^
その夜の物色している時間帯も暇つぶしにはもってこいの状況だったのだろう。
ほしい物を見つけるためにお店を梯子するわたしにずいぶんと付き合ってくれていた。
いま、○○ですよ〜
とか、くだらない実況中継をしたり。
ピンクとベージュとどっちがいいと思います?
なんて見えてもいないのに相談したり。
もともとあまり物欲がないので目的のもの以外買おうとしないわたしに『○○も買えば〜、きっとかわいいよ〜(笑)』と煽って遊ぶ那智さん。
携帯片手にテレて喜んで、ついには『かわいい』という言葉に踊らされて試着してしまう。
それがけっこうタイトなニットワンピで、うう、この年でこんなの来ていいのか!?とためらうと今度は
買っちゃえ、買っちゃえ〜
(見えてないのに!!)
と、まったく無責任な背中押し(笑)
なんだか楽しくなって買ってしまった○&Mのセールの1000円ワンピ(笑)←これで悩むわたし^^;
繋がっている幸福と何やら遠隔操作されているような喜び、『マリオネットツアー』の買い物バージョンだ。
そんなこんなで2時間くらい。
いちおう目的のものと遠隔操作でセール品などなど済ませながら、ライブまでの時間をすごしていた。
一人の時間を楽しむという人からは想像できないと思うよね^^;
わたしも、誰かれかまわず繋がっていたいわけじゃないし、ひとりも大好きなんだけど、那智さんという存在に対してだけ、そういう人間になるようです。
わたしはこれからライブハウスまでちょっとの距離を歩いて行くので、まだ繋がっていることは可能だったのだけど、那智さんのほうが単純作業が終わって、そろそろ集中レベルが高いお仕事に取りかかる時間になったようだ。
じゃあ、いまからタバコ一本吸うから、そしたらおしまいね
カチッとライターの音がする。
楽しかった。
もうおやすみだよ、とベッドに連れて行かれるような、残念な、でも温かい気持ちになる。
でも、やっぱり名残り惜しい~。
ということで。
ハイ?『おしまい』ッテ、ナンデスカ?
バカみたいに濃厚なコミュニケーションをほっして、それを可能にするには、双方の努力のと、ときどき外国人化も必要なのだ(笑)
バカみたいに濃厚なコミュニケーションを書き続けるには、やっぱり『ありがとう』の気持ち。
読んでくれて、ありがとう♪
<関連エントリー>
『マリオネットツアー』
苦節
非日常的な日常
半年以上前、ううん、去年の終わり頃だったかもしれない。
とにかく、数ヶ月は経っている。
いまわたしはブログで、快感とかおちんぽ様とか入れてほしいとか躊躇なく書いているので、そのような女に思われるかもしれないけど、実際はかなりの恥ずかしがり屋だ。
恥ずかしがり屋なくらいならまだ可愛いかもしれない。
ブログでもときどき書いているけど『乱れる自分に嫌悪する』とか『オナニーに対して罪悪感』というように、とにかく性的なことに対して面倒なくらい堅物だ。
自分から求めるくらいなら舌を噛んで死にますと大真面目な冗談を言ったことがあるけど、けっこうそのまんまだったりする。
そのくせ、欲望だけはたんまりあるのだから、その乖離にずいぶん困惑させられていた。(この辺りは、いろんな形でエントリーしてますよね)
性的なことに対して、変態!!不潔!!と学級委員長みたいな思考になるのではなく、結局『そんな自分に嫌悪する』、自分に対することだけが堅物という感じ。
だから、ブログで躊躇なく大胆なことを書きながら、それは実際のわたしの一部だよなって思っている。
当然、那智さんには実際のわたしをお見せしているので『自分から求めるくらいなら舌噛んで』の面倒なわたしにお付き合いいただいているわけだ。
性的な場面ではほぼ受動。
喜んでいただくために自ら動くことなんてしないし、性的な行いを創造することなんてほとんどない(お口をするとき、ちょっと工夫する程度)、だからといってマグロかと言えばそんなこともなく、結局気持ちよくしてもらえば大騒ぎ大暴れするし、そのクセ事が済めば、そんなのわたしじゃありませんとなるのだから、那智さんとしてはその牙城を崩すのは面白くも手強かったのではないでしょうか。
それでもずいぶん手塩にかけて育ててくれたので、最近では『抱いてほしいです』も『入れてください』も言えるようになってきたので、那智さんの教育の賜物です。
そんな中、最後まで守り抜いたものがあるとすれば、おそらく『自慰』だろう。
オナニーといってしまうと簡単に済んじゃうんだけど、性的な場面で自らの手で貪る行為という感じなので『自慰』。
性的な時間にわたしは自分が気持ちよくなるように自分の手をほとんど使わない。(まあ、そういう女性多いかな)
よそ様などで、フェラチオしながら自分で愛撫したり、お相手の前で激しくオナニーをしている様子を見ると、ちょっと羨ましいと思う。
だって、変態、不潔!!とは思わないし、欲望はたんまりあるのだもの、性的な場面において自分に向けて面倒なほど堅物というだけで。
きっと気持ちいいだろうなぁと思うのです。
わたしたちの間でも那智さんの指示でおなにをすることもあるけど、やはりそれは『やらされている』もの、どんなに最後は気持ち良くなったとしても(笑)
バイブを使うなんてもってのほか、投げ捨てたことだったあるのだ。
那智さんは特に強制することもなく、『わたし自身の手でどうにかなる』なんて目的をまったく掲げることなく、わたしを許容し快感を広げ深め、バイブの気持ちよさを教え(笑)ていた。
長い前振り^^;
バイブを投げ捨ててからほどなくのとき、それが数ヶ月前になる。
前回のバイブ投げ捨ての前あたりから、きっと那智さんとして『押し時』だと感じていたのかもしれない。
明日はりん子のオナニーで感じる姿を見せてね
と宣言されていた。
もともと役割期待につい応えてしまう性質のわたしだから、なんとなく、それが期待をかけられているようでほんの少しだけ戸惑っていた。
そう言われたら、気持ちよくならないとって思ってしまいそうだな〜って。
さんざん胸を刺激されて、それだけで腰をぐわぐわ振るほど気持ちよくなって、そうなると指でもおちんぽ様でもおまんこに入れてほしくなってくる。
入れてください
とお願いすると
これなら入れていいよ
と、わたしの横にバイブを置いた。
那智さんが入れてくれるバイブはおちんぽ様と指の次に気持ちがいいけど、わたしが自分で入れてもそれよりは気持ちよくならないから、それほど積極的にしたいと思わないのだ。
そもそも『自慰』が苦手なのだ、それに加えてバイブへの嫌悪感と執着心の希薄さもあり、横に置かれてもいまいち手を伸ばそうという気にならない。
しばらく、その存在を無視していた。
しかし、その後も執拗に胸ばかり刺激されて、もう下半身もなんとかして!!!という切羽詰まった状態にまで追いつめられてしまった。
その状態に那智さんも望んでいたからということが後押しになって、快感にほとんど朦朧としながら、でも意識してバイブを手に取った。
差し込み、スイッチを入れ、動かす。
ぽっかり空いた穴を埋めるように。
気持ちいい。
振動でクリトリスはあっという間にイッてしまった。
収縮するおまんこがわたしの意思に関係なくバイブを締めつけ出し入れを難しくさせる。
自分で自分をもどかしくしている。
向かい合わせになったソファに那智さんがいる。
肘掛けに肘をつき、じっとこちらを眺めている。
片方の足を肘掛けに、もう片方は横のベッドに、大股を広げバイブによがるわたしはさぞ醜いだろう。
それでも、やめられずにいる。
無我夢中でバイブを動かす。
快感とシチュエーションと那智さんの視線、ほんのちょぴりの期待がひとつになってわたしを淫乱な女に仕立て上げた。
ベッドでわたしを腕に抱きながら那智さんはとても満足そう。
自分から求めるなら舌噛んで死ぬと言っていたわたしが。
つい最近、バイブを放り投げたわたしが。
我慢できず、自ら快感を貪ったのだ。
感慨深げにひとこと
「苦節8年(笑)」
満足そうに笑みを浮かべていた。
数ヶ月前のこの頃から、那智さんはわたしをもっと淫乱にしたいと思いはじめていた。
おそらく那智さんの中で、かつて『20%嫌悪する』と感じていたことに象徴されるようなためらいはなくなり、わたしがどんなふうに変化しても好ましく思い受け入れられると覚悟を決めたのだと思う。
こと自分に対して性的場面で面倒なくらい堅物なわたしに、この頃から那智さんは『その殻を破る』ことに楽しみを見いだしてきた。
ここ数ヶ月の那智さんの意識とわたしの快感の深さがいっそう変化しているように思う。
欲望が深いほど、そのすべてをさらけ出すことは難しい。
8年を『苦節』と揶揄して笑い飛ばせるほどに、それを楽しめるような余裕と情熱と相性が必要なのだと、あらためてわたしまで感慨深く思う。
この後、とくに続きや一括りにはしていないけど、那智さんからはじまってわたし自身も『淫乱なりん子』を好きになっていく変化のエントリーをアップしていくつもりです。
<関連エントリー>
バイブ投げ捨て!!
『意思を持つ鞭2』
育てていただきました^^
『「よかったね」』
『赦し』
「等式」感想です。ついにこの時の事がエントリーになりました、「苦節8年」(笑)長かった道のりです、私自身がりん子の性欲を100%受け入れきれなかった部分があるので、この年月は2人の性的な成熟と関係性の進化と言えるのだと思う。
書きたいことはあるのだけれど多分この後のエントリーの邪魔にならないようにこの位にしておきます。
半年以上前、ううん、去年の終わり頃だったかもしれない。
とにかく、数ヶ月は経っている。
いまわたしはブログで、快感とかおちんぽ様とか入れてほしいとか躊躇なく書いているので、そのような女に思われるかもしれないけど、実際はかなりの恥ずかしがり屋だ。
恥ずかしがり屋なくらいならまだ可愛いかもしれない。
ブログでもときどき書いているけど『乱れる自分に嫌悪する』とか『オナニーに対して罪悪感』というように、とにかく性的なことに対して面倒なくらい堅物だ。
自分から求めるくらいなら舌を噛んで死にますと大真面目な冗談を言ったことがあるけど、けっこうそのまんまだったりする。
そのくせ、欲望だけはたんまりあるのだから、その乖離にずいぶん困惑させられていた。(この辺りは、いろんな形でエントリーしてますよね)
性的なことに対して、変態!!不潔!!と学級委員長みたいな思考になるのではなく、結局『そんな自分に嫌悪する』、自分に対することだけが堅物という感じ。
だから、ブログで躊躇なく大胆なことを書きながら、それは実際のわたしの一部だよなって思っている。
当然、那智さんには実際のわたしをお見せしているので『自分から求めるくらいなら舌噛んで』の面倒なわたしにお付き合いいただいているわけだ。
性的な場面ではほぼ受動。
喜んでいただくために自ら動くことなんてしないし、性的な行いを創造することなんてほとんどない(お口をするとき、ちょっと工夫する程度)、だからといってマグロかと言えばそんなこともなく、結局気持ちよくしてもらえば大騒ぎ大暴れするし、そのクセ事が済めば、そんなのわたしじゃありませんとなるのだから、那智さんとしてはその牙城を崩すのは面白くも手強かったのではないでしょうか。
それでもずいぶん手塩にかけて育ててくれたので、最近では『抱いてほしいです』も『入れてください』も言えるようになってきたので、那智さんの教育の賜物です。
そんな中、最後まで守り抜いたものがあるとすれば、おそらく『自慰』だろう。
オナニーといってしまうと簡単に済んじゃうんだけど、性的な場面で自らの手で貪る行為という感じなので『自慰』。
性的な時間にわたしは自分が気持ちよくなるように自分の手をほとんど使わない。(まあ、そういう女性多いかな)
よそ様などで、フェラチオしながら自分で愛撫したり、お相手の前で激しくオナニーをしている様子を見ると、ちょっと羨ましいと思う。
だって、変態、不潔!!とは思わないし、欲望はたんまりあるのだもの、性的な場面において自分に向けて面倒なほど堅物というだけで。
きっと気持ちいいだろうなぁと思うのです。
わたしたちの間でも那智さんの指示でおなにをすることもあるけど、やはりそれは『やらされている』もの、どんなに最後は気持ち良くなったとしても(笑)
バイブを使うなんてもってのほか、投げ捨てたことだったあるのだ。
那智さんは特に強制することもなく、『わたし自身の手でどうにかなる』なんて目的をまったく掲げることなく、わたしを許容し快感を広げ深め、バイブの気持ちよさを教え(笑)ていた。
長い前振り^^;
バイブを投げ捨ててからほどなくのとき、それが数ヶ月前になる。
前回のバイブ投げ捨ての前あたりから、きっと那智さんとして『押し時』だと感じていたのかもしれない。
明日はりん子のオナニーで感じる姿を見せてね
と宣言されていた。
もともと役割期待につい応えてしまう性質のわたしだから、なんとなく、それが期待をかけられているようでほんの少しだけ戸惑っていた。
そう言われたら、気持ちよくならないとって思ってしまいそうだな〜って。
さんざん胸を刺激されて、それだけで腰をぐわぐわ振るほど気持ちよくなって、そうなると指でもおちんぽ様でもおまんこに入れてほしくなってくる。
入れてください
とお願いすると
これなら入れていいよ
と、わたしの横にバイブを置いた。
那智さんが入れてくれるバイブはおちんぽ様と指の次に気持ちがいいけど、わたしが自分で入れてもそれよりは気持ちよくならないから、それほど積極的にしたいと思わないのだ。
そもそも『自慰』が苦手なのだ、それに加えてバイブへの嫌悪感と執着心の希薄さもあり、横に置かれてもいまいち手を伸ばそうという気にならない。
しばらく、その存在を無視していた。
しかし、その後も執拗に胸ばかり刺激されて、もう下半身もなんとかして!!!という切羽詰まった状態にまで追いつめられてしまった。
その状態に那智さんも望んでいたからということが後押しになって、快感にほとんど朦朧としながら、でも意識してバイブを手に取った。
差し込み、スイッチを入れ、動かす。
ぽっかり空いた穴を埋めるように。
気持ちいい。
振動でクリトリスはあっという間にイッてしまった。
収縮するおまんこがわたしの意思に関係なくバイブを締めつけ出し入れを難しくさせる。
自分で自分をもどかしくしている。
向かい合わせになったソファに那智さんがいる。
肘掛けに肘をつき、じっとこちらを眺めている。
片方の足を肘掛けに、もう片方は横のベッドに、大股を広げバイブによがるわたしはさぞ醜いだろう。
それでも、やめられずにいる。
無我夢中でバイブを動かす。
快感とシチュエーションと那智さんの視線、ほんのちょぴりの期待がひとつになってわたしを淫乱な女に仕立て上げた。
ベッドでわたしを腕に抱きながら那智さんはとても満足そう。
自分から求めるなら舌噛んで死ぬと言っていたわたしが。
つい最近、バイブを放り投げたわたしが。
我慢できず、自ら快感を貪ったのだ。
感慨深げにひとこと
「苦節8年(笑)」
満足そうに笑みを浮かべていた。
数ヶ月前のこの頃から、那智さんはわたしをもっと淫乱にしたいと思いはじめていた。
おそらく那智さんの中で、かつて『20%嫌悪する』と感じていたことに象徴されるようなためらいはなくなり、わたしがどんなふうに変化しても好ましく思い受け入れられると覚悟を決めたのだと思う。
こと自分に対して性的場面で面倒なくらい堅物なわたしに、この頃から那智さんは『その殻を破る』ことに楽しみを見いだしてきた。
ここ数ヶ月の那智さんの意識とわたしの快感の深さがいっそう変化しているように思う。
欲望が深いほど、そのすべてをさらけ出すことは難しい。
8年を『苦節』と揶揄して笑い飛ばせるほどに、それを楽しめるような余裕と情熱と相性が必要なのだと、あらためてわたしまで感慨深く思う。
この後、とくに続きや一括りにはしていないけど、那智さんからはじまってわたし自身も『淫乱なりん子』を好きになっていく変化のエントリーをアップしていくつもりです。
<関連エントリー>
バイブ投げ捨て!!
『意思を持つ鞭2』
育てていただきました^^
『「よかったね」』
『赦し』
「等式」感想です。ついにこの時の事がエントリーになりました、「苦節8年」(笑)長かった道のりです、私自身がりん子の性欲を100%受け入れきれなかった部分があるので、この年月は2人の性的な成熟と関係性の進化と言えるのだと思う。
書きたいことはあるのだけれど多分この後のエントリーの邪魔にならないようにこの位にしておきます。
20%嫌悪する
非日常的な日常
出会ってからしばらくして、那智さんのすることですこしずつ乱れていくわたしを那智さんは『80%満足して20%嫌悪する』と言った。
頭の中と体の中にいる得体の知れないモンスターを持て余し困惑していたわたしが、『那智さん』という無尽蔵に広がる受け皿を得て、やっと安住の地を見つけた気持ちになっていたところに冷や水を浴びせるような言葉だった。
どうやら、『わたし』はどんどん溢れさせてもよかったけど、わたしのモンスターは溢れさせてはいけないのかと解釈した。
この言葉に関して最初の数年間、本当にたくさん話し合った。
まず、重要なことを一点。
これは那智さんが自主的に発言した言葉ではないのです。
乱れる自分にわたし自身が不安や嫌悪感を持ち、それを払拭させたくて那智さんと会った翌日などに『あのときのわたしはどう思いますか?』とか『乱れるわたしのことどれくらい好きですか?』とか聞いてしまうのだ。
(こういう面倒な揺り戻しはしょっちゅうあります^^;)
もともと話題提供係という側面もあるので、ついあれこれ聞くのが自然なことになってしまっていたのだけど、そんなふうに質問の深追いをした結果の『20%嫌悪』発言だったのだ。
那智さん自身も乱れて行くりん子を見ながら当然満足しながらも、わずかに嫌悪感を抱く自分を理解し、その気持ちの行方や今後どのようにしてこの%を減らしていくか思案していたのだと思うけど、それは敢えて言葉にするものではない。
もっというと、わたしの淫乱度合いと自分の感情の両方を那智さん自身がコントロールしようとしていたのだと思う。
だからりん子が悲しむようなことはその時点では口にする気はなかったのだ。
(たぶん、20%嫌悪がなくなったら、はじめて話題にしようと思っていたかもしれない)
ただ!!(笑)
那智さんはわたしにウソをつきたくない人。
質問されたら、本当のことは言う。
だから
あのわたしのこと、何%好きで何%キライですか?
と質問されたら『80%満足して20%嫌悪する』と答えるしかないわけ。
その後面倒なことになったり、わたしが傷ついたとしても、ウソをつくことのほうがふたりにとってダメージだと思っているから、わかっていても言う。
機嫌を取るようなことは言いたくないのだ。
あの言葉は、わたしが【安心したいために誘導して失敗した】結果のものなのだ。
でも、これが那智さんの『ふたりにとって』ベストな付き合い方なのだそうだ。
聞きたいことは聞いて、ウソはつかずに答える。
そうすれば、相手の心を知ることができる。
そこに悪意はないと理解できている者同士であれば一時の悲しさはあっても相手を知る利点のほうがずっと大きいというわけ。
まあ、そういう経緯で飛び出した『80%満足して20%嫌悪する』、当時はそんな背景も理解できていなかったから、最大級にダメージを受けた(笑)
20%嫌悪されるくらいなら80%満足もなくていいです。
嫌悪されるとわかっていたら、もうこれ以上乱れることはできません。
もともとモンスターがいる自分に困惑し性的に乱れることを嫌悪していたのだ。
恥ずかしいなんてレベルじゃない厄介な代物に対する20%は、恐る恐る開いた扉をピシャッと閉じてしまう。
20%嫌悪はするけど、俺にとって80%の満足は得難いものなんだよ。
この20%はそのときだけ感じるもので普段はないものだよ。
貝のように硬く閉じた気持ちをなんとかしたくて食い下がるわたしにいつものように付き合ってくれる。
そんなことを言っても、会えば抱き合うし、その都度気持ち良くなるわけで^^;
那智さんは20%嫌悪の片鱗も見せずに普通にわたしを可愛がり、快感を押し広げていった(とても楽しそうに^^)
どれくらい経っただろう。
その楽しそうな様子にあらためて確認してみたら、那智さんもほとんど『嫌悪』は感じなくなっていて、ある時期からその存在さえ忘れていたそうだ。
それは『この淫乱は自分が導いた』という自負を持てるようになったからだそうだ。
わたしのモンスターはきっともともといた。
でも、それを表に呼び出し、安心して大きく成長させたのは那智さん自身。
いま現在そいつを司れるのは那智さんしかいない。
そのような自負が嫌悪感をなくしたのだそうだ。
ああ、よかった。
本当にうれしいし、安心した。
それから那智さんはずっと『そのりん子が好き』『もっとエッチになって』と伝え続けてくれて、わたし自身も徐々にモンスターの自分が好きになれてきていた。
ただ、もともと乱れる自分に自己嫌悪していたのだ、そこに『20%嫌悪』にダメージがプラスされたのだ、『はいそうでうですね』と簡単に切り替えられるものではない。
ほとんどの場合大丈夫になっていたけど、でも、やはり心のどこかで那智さんは淫乱なわたしを大歓迎していないのではないかという疑いが完全になくなることはなかった。
先日、那智さんがとても興味深くうれしいことお話ししてくれた。
じつは、最近那智さんはわたしにいままで感じなかった魅力を感じてくれているのだそうだ。
(自分で魅力と言ってしまうことをお許しください!!^^;)
以下、チャットの原文です。
大人の女の艶かしさの魅力を感じている。
それは、それは、深い魅力で、俺にとってはじめての経験。
映画や小説の中で想像した魅力、生身の人間では感じたことがなかった感覚。
当然のことながら、那智さんがいままでお付き合いした女性の中でいまのわたしの年齢が最高齢。
年齢だけではないでしょけど、体を重ねて出来上がったわたしは、その年月や快感を織り交ぜて、那智さんが知らなかった感覚を感じさせているようです。
もしかしたら、那智さんの上に跨がり淫乱に腰を振るわたしから魅力だと感じるものが放出しているのかもしれない。
『未熟』とひと口にいってもいろいろだけど、おおざっぱに(笑)
こなれているよりは、未熟なほうが好みだった那智さん(ここは是非関連エントリーを参照ください)
それがいままで感じたことのない魅力を感じ取ったのだそうだ。
これは、わたしにとってものすごく大きなこと。
乱れる自分を嫌悪するほどの羞恥心を持ち、モンスターの存在に困惑していたわたしに、『20%嫌悪』の衝撃を加えたダメージを払拭させるには。
そのりん子が好きだ
どんなりん子も受け入れる
という肯定は当然必要だったけど、もうひとつ大事なことがあったのだ。
それは
そのりん子で欲情する
という那智さん側の欲情。
これがあると、過剰な羞恥心も自己嫌悪も揺り戻しも、わたしを苦しめるほどのものではなくなっていく(完全には消えないけどね、それはそれでいいのだ)
20%嫌悪のダメージを払拭させるには、那智さんの欲情が必要だったんだね。
大人の女の艶かしさ。
最近、すこしもういいかなって思えている。
モンスターのわたしを溢れ出して、たくさんたくさん淫乱になっても、そして、その自分を好きになっても。
かなりテレくさいけど、いい加減そういう年齢だし、素直に喜ぼうと思うのだ。
20%嫌悪からきっと解放された日。
次お会いするときには、素直に淫乱なわたしをお見せしたいってちょっと思っている^^
<関連エントリー>
20%嫌悪
『矛盾は辛い』
『満足と嫌い』
モンスター
『モンスターを抱きしめて』
『いろんな涙4』
『徒然に『自己嫌悪』のこと』
『否応なくマゾ』
『マゾの根っこ』
安心したいために誘導して失敗(笑)
『心ちゃんと事実さん』
『未経験がいい?』
『未経験がいい理由』
「等式」感想です。かなり恥ずかしいです。読めば読むほど、私の未熟さのゆえ、りん子を苦しめていたんだな~と。なぜなのかと考えると難しいのですが、「恥ずかしい」と言う感性を大事にする私の大きな前提が関与していたのかもしれません。
私自身が手塩にかけ育てたという自負や時間の経過により20%が歓迎される存在に進化したのかなと思っています。もう少し考えて、りん子とも話し合ってみたいのですが、私の稚拙な感情でりん子には迷惑を掛けました。ごめんなさい。これも、私なので仕方がないと言えばそれまでなのですが。(笑)
出会ってからしばらくして、那智さんのすることですこしずつ乱れていくわたしを那智さんは『80%満足して20%嫌悪する』と言った。
頭の中と体の中にいる得体の知れないモンスターを持て余し困惑していたわたしが、『那智さん』という無尽蔵に広がる受け皿を得て、やっと安住の地を見つけた気持ちになっていたところに冷や水を浴びせるような言葉だった。
どうやら、『わたし』はどんどん溢れさせてもよかったけど、わたしのモンスターは溢れさせてはいけないのかと解釈した。
この言葉に関して最初の数年間、本当にたくさん話し合った。
まず、重要なことを一点。
これは那智さんが自主的に発言した言葉ではないのです。
乱れる自分にわたし自身が不安や嫌悪感を持ち、それを払拭させたくて那智さんと会った翌日などに『あのときのわたしはどう思いますか?』とか『乱れるわたしのことどれくらい好きですか?』とか聞いてしまうのだ。
(こういう面倒な揺り戻しはしょっちゅうあります^^;)
もともと話題提供係という側面もあるので、ついあれこれ聞くのが自然なことになってしまっていたのだけど、そんなふうに質問の深追いをした結果の『20%嫌悪』発言だったのだ。
那智さん自身も乱れて行くりん子を見ながら当然満足しながらも、わずかに嫌悪感を抱く自分を理解し、その気持ちの行方や今後どのようにしてこの%を減らしていくか思案していたのだと思うけど、それは敢えて言葉にするものではない。
もっというと、わたしの淫乱度合いと自分の感情の両方を那智さん自身がコントロールしようとしていたのだと思う。
だからりん子が悲しむようなことはその時点では口にする気はなかったのだ。
(たぶん、20%嫌悪がなくなったら、はじめて話題にしようと思っていたかもしれない)
ただ!!(笑)
那智さんはわたしにウソをつきたくない人。
質問されたら、本当のことは言う。
だから
あのわたしのこと、何%好きで何%キライですか?
と質問されたら『80%満足して20%嫌悪する』と答えるしかないわけ。
その後面倒なことになったり、わたしが傷ついたとしても、ウソをつくことのほうがふたりにとってダメージだと思っているから、わかっていても言う。
機嫌を取るようなことは言いたくないのだ。
あの言葉は、わたしが【安心したいために誘導して失敗した】結果のものなのだ。
でも、これが那智さんの『ふたりにとって』ベストな付き合い方なのだそうだ。
聞きたいことは聞いて、ウソはつかずに答える。
そうすれば、相手の心を知ることができる。
そこに悪意はないと理解できている者同士であれば一時の悲しさはあっても相手を知る利点のほうがずっと大きいというわけ。
まあ、そういう経緯で飛び出した『80%満足して20%嫌悪する』、当時はそんな背景も理解できていなかったから、最大級にダメージを受けた(笑)
20%嫌悪されるくらいなら80%満足もなくていいです。
嫌悪されるとわかっていたら、もうこれ以上乱れることはできません。
もともとモンスターがいる自分に困惑し性的に乱れることを嫌悪していたのだ。
恥ずかしいなんてレベルじゃない厄介な代物に対する20%は、恐る恐る開いた扉をピシャッと閉じてしまう。
20%嫌悪はするけど、俺にとって80%の満足は得難いものなんだよ。
この20%はそのときだけ感じるもので普段はないものだよ。
貝のように硬く閉じた気持ちをなんとかしたくて食い下がるわたしにいつものように付き合ってくれる。
そんなことを言っても、会えば抱き合うし、その都度気持ち良くなるわけで^^;
那智さんは20%嫌悪の片鱗も見せずに普通にわたしを可愛がり、快感を押し広げていった(とても楽しそうに^^)
どれくらい経っただろう。
その楽しそうな様子にあらためて確認してみたら、那智さんもほとんど『嫌悪』は感じなくなっていて、ある時期からその存在さえ忘れていたそうだ。
それは『この淫乱は自分が導いた』という自負を持てるようになったからだそうだ。
わたしのモンスターはきっともともといた。
でも、それを表に呼び出し、安心して大きく成長させたのは那智さん自身。
いま現在そいつを司れるのは那智さんしかいない。
そのような自負が嫌悪感をなくしたのだそうだ。
ああ、よかった。
本当にうれしいし、安心した。
それから那智さんはずっと『そのりん子が好き』『もっとエッチになって』と伝え続けてくれて、わたし自身も徐々にモンスターの自分が好きになれてきていた。
ただ、もともと乱れる自分に自己嫌悪していたのだ、そこに『20%嫌悪』にダメージがプラスされたのだ、『はいそうでうですね』と簡単に切り替えられるものではない。
ほとんどの場合大丈夫になっていたけど、でも、やはり心のどこかで那智さんは淫乱なわたしを大歓迎していないのではないかという疑いが完全になくなることはなかった。
先日、那智さんがとても興味深くうれしいことお話ししてくれた。
じつは、最近那智さんはわたしにいままで感じなかった魅力を感じてくれているのだそうだ。
(自分で魅力と言ってしまうことをお許しください!!^^;)
以下、チャットの原文です。
大人の女の艶かしさの魅力を感じている。
それは、それは、深い魅力で、俺にとってはじめての経験。
映画や小説の中で想像した魅力、生身の人間では感じたことがなかった感覚。
当然のことながら、那智さんがいままでお付き合いした女性の中でいまのわたしの年齢が最高齢。
年齢だけではないでしょけど、体を重ねて出来上がったわたしは、その年月や快感を織り交ぜて、那智さんが知らなかった感覚を感じさせているようです。
もしかしたら、那智さんの上に跨がり淫乱に腰を振るわたしから魅力だと感じるものが放出しているのかもしれない。
『未熟』とひと口にいってもいろいろだけど、おおざっぱに(笑)
こなれているよりは、未熟なほうが好みだった那智さん(ここは是非関連エントリーを参照ください)
それがいままで感じたことのない魅力を感じ取ったのだそうだ。
これは、わたしにとってものすごく大きなこと。
乱れる自分を嫌悪するほどの羞恥心を持ち、モンスターの存在に困惑していたわたしに、『20%嫌悪』の衝撃を加えたダメージを払拭させるには。
そのりん子が好きだ
どんなりん子も受け入れる
という肯定は当然必要だったけど、もうひとつ大事なことがあったのだ。
それは
そのりん子で欲情する
という那智さん側の欲情。
これがあると、過剰な羞恥心も自己嫌悪も揺り戻しも、わたしを苦しめるほどのものではなくなっていく(完全には消えないけどね、それはそれでいいのだ)
20%嫌悪のダメージを払拭させるには、那智さんの欲情が必要だったんだね。
大人の女の艶かしさ。
最近、すこしもういいかなって思えている。
モンスターのわたしを溢れ出して、たくさんたくさん淫乱になっても、そして、その自分を好きになっても。
かなりテレくさいけど、いい加減そういう年齢だし、素直に喜ぼうと思うのだ。
20%嫌悪からきっと解放された日。
次お会いするときには、素直に淫乱なわたしをお見せしたいってちょっと思っている^^
<関連エントリー>
20%嫌悪
『矛盾は辛い』
『満足と嫌い』
モンスター
『モンスターを抱きしめて』
『いろんな涙4』
『徒然に『自己嫌悪』のこと』
『否応なくマゾ』
『マゾの根っこ』
安心したいために誘導して失敗(笑)
『心ちゃんと事実さん』
『未経験がいい?』
『未経験がいい理由』
「等式」感想です。かなり恥ずかしいです。読めば読むほど、私の未熟さのゆえ、りん子を苦しめていたんだな~と。なぜなのかと考えると難しいのですが、「恥ずかしい」と言う感性を大事にする私の大きな前提が関与していたのかもしれません。
私自身が手塩にかけ育てたという自負や時間の経過により20%が歓迎される存在に進化したのかなと思っています。もう少し考えて、りん子とも話し合ってみたいのですが、私の稚拙な感情でりん子には迷惑を掛けました。ごめんなさい。これも、私なので仕方がないと言えばそれまでなのですが。(笑)
羞恥心とさらけ出す
りん子的独り言(生意気)
羞恥心。
那智さんは羞恥心をなくさないでとわたしにいう。
そのクセに、性的な場面でいやらしく腰を振りはしたなく求めるわたしを作っている。
なくさないでほしいのに、なくなる瞬間を作りたいのだ。
羞恥心とさらけ出す。
はたしてこれは両立するものなのだろうか。
『羞恥心って?』というエントリーにわたしなりの回答は書いてある。
那智さんの求める羞恥心は、ようは日常の所作なのだ。
それがあることがじつは重要で、それさえ残っていれば性的な場面でどんなに乱れようともかまわないということ。
(でもね、それは『俺が作った』が一番重要だったりする 笑)
日常の所作なんて何十年もかけて身に付いたものだし、わたしの結論では所作=自意識なので、自意識なんていうものは備わった性格だから、那智さんが求める羞恥心はそう簡単になくなるものではないと自負している。
だから、わたしたちにとっての答えは両立するになる。
日常の所作と性的な場面でさらけ出すは別のものだからだ。
ただ、わたしのような自意識過剰な女は日常の所作とは別に性的な場面でも『恥ずかしい』はどっかりと腰を据えて頑固に鎮座しているわけで、結局性的な場面でもじゅうぶん恥ずかしいのだから、なかなかおいそれとすべてをさらけ出すことはできない。
じゃあ、性的な場面で羞恥心とさらけ出すは両立するのだろうか。
これも両立する。
答えは簡単。
恥ずかしいより、さらけ出すことによる快感が上回ればいいのだ。
(精神の露出3『SM行為の快感』に書いてあります^^)
那智さんを求めて腰を振る自分が恥ずかしくてしかたない、でも、そこで那智さんはもう一歩快感を押し込む、そうされると恥ずかしい気持ちはなくならないけど、快感と放出する快楽に、誰にも見せられないような姿になる。
これで、恥ずかしいとさらけ出すは両立できる。
ただ、答えは簡単だけど、そうなるにはかなり大変。
ということで、そうなるにはなにが重要なのだろう。
それは那智さん側の『一歩も引かないことと欲情』だ。
わたしはすべてをさらけ出すなんて、かなり不可能なことだと理解している。
そもそもいま頭の中に描いているものが欲望のすべてなわけないよね。
性癖や欲望なんて掘れば掘るほどいろいろ出てくるのだ、『縛られたい』なんてだけでおしまいになるわけない。
はじまりは『縛られたい』だったはずが、『そのまま放置されて見知らぬ男に輪姦されて地下に監禁されて歯を抜かれてフェラチオ人形になりたい』に発展していったり、『縛られたまま強制的に喉を突かれ吐瀉物まみれになったわたしにキスしてほしい』と想像したり(あくまでも例え話です^^)、とにかく、『縛られたい』は掘り起こせば驚くようなさらけ出す材料が現れる。
もともとあった『すべて』を見せ、さらに、その後から溢れる『すべて』をチラッと見せても、たくさん見せても、一歩も引かないでいること。
羞恥心が強ければ強いほど中身をさらけ出すことに抵抗感を持つものだから、そこで一瞬でも怯んだら、一気にまた元の殻に籠ってしまう。
羞恥心が強い女は、その一瞬さえ敏感に察知するもの。
だから、どんなに変態な妄想を口にしても、どんなに変態的なことで感じても引かないことが必要。
それと、もうひとつの『引かない』は。
羞恥心というと洋服を脱ぐときにモジモジする程度のことを想像されているかもしれませんけど、そんな男性にとってちょうどいい具合の羞恥心ばかりではないだろうし、いつまでもちょうどいい具合を保てるものでもないと思う。
じつは、簡単に崩れないような羞恥心というものは自己嫌悪や相手に対する反発心を誘発してしまう厄介なものだったりする。
己の欲望をさらけ出せたとしても、その自分に対する羞恥心は事後に嫌悪感となって襲ってくる。
そうさせた相手に対して当たりたい気持ちさえ芽生えるものだ。
羞恥心が強ければ強いほど、その揺り戻しは大きくこちらを苦しませる。
こんな恥ずかしい姿の自分はキライ。
あんなふうにさせたのは那智さんのせい。
わたしも何度も何度揺り戻しの自己嫌悪を那智さんに訴え、会話して、『そのりん子が好きだ』と刷り込ませてもらったものだ。
めんどくさがらず、丹念に何度も。
どんなに面倒な訴えも、落ち込みも、これも一歩も引かず『それが好き』と伝え続ける気概が必要。
そうすると、ゆっくりと『さらけ出してもいいのかな』と信じられるようになっていく、野良猫が懐いていくように。
その最中にどんな姿になっても、その後どんなに面倒なことを訴えても一歩も引かないことを伝え続けてもらうことが大事。
そして、これもとても重要なのだけど、それが那智さん側の欲情になることも、とてもとても大事。
そのりん子で欲情する。
『受け入れる』というだけでは足りない、そのさらけ出したものが那智さん側の欲情になり、それを欲し、求めてくれることが、じつはものすごく重要なのだ。
それで、やっと頑固な羞恥心を一枚ずつ剥ぐことができる。
(けっこう那智さん側の欲情は、こちらを震わせる力があるのよね)
すべてをさらけ出すことと羞恥心をなくさないことは両立する。
羞恥心の意義を性的な場面ではなく日常の所作に見いだすことと(これはわたしたち的ね)。
性的な場面でどんなになっても一歩も引かないことと、羞恥心からくる揺り戻しもきちんと引き受けてくれること、そして、その女の頭の中身と姿が男の欲情になるのであれば、羞恥心よりもさらけ出す快感のほうが増す瞬間を作ることができる。
そうしたら、いつまでも那智さんのからかいに赤面し洋服を脱ぐことを確認して、なおかつモンスターが大暴れする様をお見せすることができるのだ。
余談だけど。
すべてをさらけ出すことに那智さん側の欲情が必要だとしたら。
わたしにとって『使ってやる』的な関係性では無理だということになるね。
だって、『使ってやる』立場なんだから、その女を欲していたらおかしいものね。
あくまでもわたしにとってだけど、『使ってやる」の関係性ではすべてはさらけ出せないことになると思う。
<関連エントリー>
たとえば、こんなふうに。
『よかったね』
『荷物を預けるということ』
でも、自己嫌悪も必要悪でもある。
『徒然に『自己嫌悪』のこと』
羞恥心、あれこれ。
『もう、いや!』
『ついにデビュー!?1 2』
「等式」感想です。根本をお話しすると、つきあい始めより、りん子とずっと良い関係を続けていきたいと考えてこの「羞恥心をなくさないで」から、時は過ぎ「淫乱なりん子になれ」の矛盾を伴う命令に近い要求をしてきた。
それは、りん子の事を好きになるのをセーブするのは止めよう「退路を断つ時」から始まり、いつまでも、新鮮な気持ちで飽くことなく付き合いたいと最初から決めていたからなのです。
最近、深い大作が多いですね、今までの付き合いやスタンスを総括するようなお話しが続きますが、この総括は関連エントリーを読むことにより、理解力が深まると思います。
その関連エントリーにも多分関連エントリーが付いているのできりがないのですが、「等式」を読破されていない方には追いかけていただければ、我々の精神と関係性の成長がよく理解できると思います。
現状を理解して頂くのはうれしいのですが成長の過程を見られるのは、少し恥ずかしいのですがね。(笑)
今日のまとめ(笑)那智さんの感想より長くなっちゃった^^;
知り合って数週間、那智さんは「好きになるのをセーブするのをやめよう」とわたしに宣言して退路を断ったあの日。それまでの変わることをよしとしない付き合い方、常に一定でいるために会う頻度や愛情表現をある程度抑えていたことをやめた。
そのとき那智さんはわたしに「羞恥心をなくさないで」と課した。
もちろん、それが那智さんの好みだったけど、それ以外に感情をセーブせず付き合い続けることで、互いに飽きが生じることを危惧していたのだ。いつまでも、感情をセーブせず、なおかつ新鮮でいるための、ひとつの命綱がわたしに課した「羞恥心をなくさないで」だった。
いままでと違う付き合い方をしようと覚悟を決めた那智さんのそれはひとつの賭けでもあったのだ。
重要ではあるけど、ただの「好み」だと思っていたのだけど、そんな思考からの「羞恥心をなくさないで」だったということを今日はじめて聞いた(笑)
まあ、そのまで言って保たれるものには価値を見出さないのでしょうそれにしても、危険な賭けでしたねぇ。わたしが那智さんの好む羞恥心を保っていなかったら退路を断ったことが仇になりますものね。
おそらく、主導権を握っている上の立場として、飽きることは致命的で、飽きないようにするのは使命なのでしょうね。
羞恥心。
那智さんは羞恥心をなくさないでとわたしにいう。
そのクセに、性的な場面でいやらしく腰を振りはしたなく求めるわたしを作っている。
なくさないでほしいのに、なくなる瞬間を作りたいのだ。
羞恥心とさらけ出す。
はたしてこれは両立するものなのだろうか。
『羞恥心って?』というエントリーにわたしなりの回答は書いてある。
那智さんの求める羞恥心は、ようは日常の所作なのだ。
それがあることがじつは重要で、それさえ残っていれば性的な場面でどんなに乱れようともかまわないということ。
(でもね、それは『俺が作った』が一番重要だったりする 笑)
日常の所作なんて何十年もかけて身に付いたものだし、わたしの結論では所作=自意識なので、自意識なんていうものは備わった性格だから、那智さんが求める羞恥心はそう簡単になくなるものではないと自負している。
だから、わたしたちにとっての答えは両立するになる。
日常の所作と性的な場面でさらけ出すは別のものだからだ。
ただ、わたしのような自意識過剰な女は日常の所作とは別に性的な場面でも『恥ずかしい』はどっかりと腰を据えて頑固に鎮座しているわけで、結局性的な場面でもじゅうぶん恥ずかしいのだから、なかなかおいそれとすべてをさらけ出すことはできない。
じゃあ、性的な場面で羞恥心とさらけ出すは両立するのだろうか。
これも両立する。
答えは簡単。
恥ずかしいより、さらけ出すことによる快感が上回ればいいのだ。
(精神の露出3『SM行為の快感』に書いてあります^^)
那智さんを求めて腰を振る自分が恥ずかしくてしかたない、でも、そこで那智さんはもう一歩快感を押し込む、そうされると恥ずかしい気持ちはなくならないけど、快感と放出する快楽に、誰にも見せられないような姿になる。
これで、恥ずかしいとさらけ出すは両立できる。
ただ、答えは簡単だけど、そうなるにはかなり大変。
ということで、そうなるにはなにが重要なのだろう。
それは那智さん側の『一歩も引かないことと欲情』だ。
わたしはすべてをさらけ出すなんて、かなり不可能なことだと理解している。
そもそもいま頭の中に描いているものが欲望のすべてなわけないよね。
性癖や欲望なんて掘れば掘るほどいろいろ出てくるのだ、『縛られたい』なんてだけでおしまいになるわけない。
はじまりは『縛られたい』だったはずが、『そのまま放置されて見知らぬ男に輪姦されて地下に監禁されて歯を抜かれてフェラチオ人形になりたい』に発展していったり、『縛られたまま強制的に喉を突かれ吐瀉物まみれになったわたしにキスしてほしい』と想像したり(あくまでも例え話です^^)、とにかく、『縛られたい』は掘り起こせば驚くようなさらけ出す材料が現れる。
もともとあった『すべて』を見せ、さらに、その後から溢れる『すべて』をチラッと見せても、たくさん見せても、一歩も引かないでいること。
羞恥心が強ければ強いほど中身をさらけ出すことに抵抗感を持つものだから、そこで一瞬でも怯んだら、一気にまた元の殻に籠ってしまう。
羞恥心が強い女は、その一瞬さえ敏感に察知するもの。
だから、どんなに変態な妄想を口にしても、どんなに変態的なことで感じても引かないことが必要。
それと、もうひとつの『引かない』は。
羞恥心というと洋服を脱ぐときにモジモジする程度のことを想像されているかもしれませんけど、そんな男性にとってちょうどいい具合の羞恥心ばかりではないだろうし、いつまでもちょうどいい具合を保てるものでもないと思う。
じつは、簡単に崩れないような羞恥心というものは自己嫌悪や相手に対する反発心を誘発してしまう厄介なものだったりする。
己の欲望をさらけ出せたとしても、その自分に対する羞恥心は事後に嫌悪感となって襲ってくる。
そうさせた相手に対して当たりたい気持ちさえ芽生えるものだ。
羞恥心が強ければ強いほど、その揺り戻しは大きくこちらを苦しませる。
こんな恥ずかしい姿の自分はキライ。
あんなふうにさせたのは那智さんのせい。
わたしも何度も何度揺り戻しの自己嫌悪を那智さんに訴え、会話して、『そのりん子が好きだ』と刷り込ませてもらったものだ。
めんどくさがらず、丹念に何度も。
どんなに面倒な訴えも、落ち込みも、これも一歩も引かず『それが好き』と伝え続ける気概が必要。
そうすると、ゆっくりと『さらけ出してもいいのかな』と信じられるようになっていく、野良猫が懐いていくように。
その最中にどんな姿になっても、その後どんなに面倒なことを訴えても一歩も引かないことを伝え続けてもらうことが大事。
そして、これもとても重要なのだけど、それが那智さん側の欲情になることも、とてもとても大事。
そのりん子で欲情する。
『受け入れる』というだけでは足りない、そのさらけ出したものが那智さん側の欲情になり、それを欲し、求めてくれることが、じつはものすごく重要なのだ。
それで、やっと頑固な羞恥心を一枚ずつ剥ぐことができる。
(けっこう那智さん側の欲情は、こちらを震わせる力があるのよね)
すべてをさらけ出すことと羞恥心をなくさないことは両立する。
羞恥心の意義を性的な場面ではなく日常の所作に見いだすことと(これはわたしたち的ね)。
性的な場面でどんなになっても一歩も引かないことと、羞恥心からくる揺り戻しもきちんと引き受けてくれること、そして、その女の頭の中身と姿が男の欲情になるのであれば、羞恥心よりもさらけ出す快感のほうが増す瞬間を作ることができる。
そうしたら、いつまでも那智さんのからかいに赤面し洋服を脱ぐことを確認して、なおかつモンスターが大暴れする様をお見せすることができるのだ。
余談だけど。
すべてをさらけ出すことに那智さん側の欲情が必要だとしたら。
わたしにとって『使ってやる』的な関係性では無理だということになるね。
だって、『使ってやる』立場なんだから、その女を欲していたらおかしいものね。
あくまでもわたしにとってだけど、『使ってやる」の関係性ではすべてはさらけ出せないことになると思う。
<関連エントリー>
たとえば、こんなふうに。
『よかったね』
『荷物を預けるということ』
でも、自己嫌悪も必要悪でもある。
『徒然に『自己嫌悪』のこと』
羞恥心、あれこれ。
『もう、いや!』
『ついにデビュー!?1 2』
「等式」感想です。根本をお話しすると、つきあい始めより、りん子とずっと良い関係を続けていきたいと考えてこの「羞恥心をなくさないで」から、時は過ぎ「淫乱なりん子になれ」の矛盾を伴う命令に近い要求をしてきた。
それは、りん子の事を好きになるのをセーブするのは止めよう「退路を断つ時」から始まり、いつまでも、新鮮な気持ちで飽くことなく付き合いたいと最初から決めていたからなのです。
最近、深い大作が多いですね、今までの付き合いやスタンスを総括するようなお話しが続きますが、この総括は関連エントリーを読むことにより、理解力が深まると思います。
その関連エントリーにも多分関連エントリーが付いているのできりがないのですが、「等式」を読破されていない方には追いかけていただければ、我々の精神と関係性の成長がよく理解できると思います。
現状を理解して頂くのはうれしいのですが成長の過程を見られるのは、少し恥ずかしいのですがね。(笑)
今日のまとめ(笑)那智さんの感想より長くなっちゃった^^;
知り合って数週間、那智さんは「好きになるのをセーブするのをやめよう」とわたしに宣言して退路を断ったあの日。それまでの変わることをよしとしない付き合い方、常に一定でいるために会う頻度や愛情表現をある程度抑えていたことをやめた。
そのとき那智さんはわたしに「羞恥心をなくさないで」と課した。
もちろん、それが那智さんの好みだったけど、それ以外に感情をセーブせず付き合い続けることで、互いに飽きが生じることを危惧していたのだ。いつまでも、感情をセーブせず、なおかつ新鮮でいるための、ひとつの命綱がわたしに課した「羞恥心をなくさないで」だった。
いままでと違う付き合い方をしようと覚悟を決めた那智さんのそれはひとつの賭けでもあったのだ。
重要ではあるけど、ただの「好み」だと思っていたのだけど、そんな思考からの「羞恥心をなくさないで」だったということを今日はじめて聞いた(笑)
まあ、そのまで言って保たれるものには価値を見出さないのでしょうそれにしても、危険な賭けでしたねぇ。わたしが那智さんの好む羞恥心を保っていなかったら退路を断ったことが仇になりますものね。
おそらく、主導権を握っている上の立場として、飽きることは致命的で、飽きないようにするのは使命なのでしょうね。
SMの時間
独特な幸福感
たくさんたくさん鞭とゴムの棒とてのひらで打たれて大騒ぎして高笑いして、感情も快感も目一杯でヘトヘト。
お風呂に入るとお尻がピリピリ。
疲れ果ててマッサージは休憩後にしてもらって、ひと眠り。
あまり時間がないからさくっと起きてマッサージ。
今日はおつまみを作ってきたから、ここでちょっとだけ宴会。
お皿代わりのタッパーを並べてコップやお酒の準備して、ビールを注いで。
はい、お疲れさまでした〜
お疲れ〜
くぴっとひと口、あ〜、ビールがおいしい!!
そこで那智さんがタバコに火をつけた。
お腹、すいた〜、さてと何から食べようかな。
まずはコールスローサラダをパク。
ふふふ
那智さんが笑い出す。
どうしました?
いや、りん子、よっぽど腹減ってたんだな〜と思ってさ(笑)
え?え?
なぜですか?
だって、りん子、普段俺が食べるまで箸付けないだろ?
いつも、エラいな〜と思ってたんだけど、今日は待てずに食べはじめたから、よっぽど腹減ってたんだろうなって思ったの。
わー、たしかに、先に箸付けました。
でもって、日頃は、たしかに那智さんがひと口召し上がってから、わたしも食べはじめてるような気がします。
まったく意識していなかったことを指摘されて、びっくり。
でも、ちょっと誇らしい気持ち。
今日先に食べてしまったということは、日頃那智さんが食べるまで箸を付けないことが無意識の自然な行為だということですよね。
無意識に自然に、上下の下らしい振る舞いができていたことが、ちょっとうれしい^^
えへへ、わたしの下っぷりもなかなかのものじゃない?(笑)
ちょっぴりいい気分で。
でも、わたし、よほどお腹減っていたんだな〜と、また違った意味で満足。
そんなこともあって、とても爽快な気持ちでビールをいただいた。
SMの時間はたくさん痛くてたくさん恥ずかしくて、たくさん感じて、場合によってはとても体力を消耗する。
わたしの大事な部分をお見せすることで那智さんの大事な部分も感じることができるような、溶け合うような時間。
真剣で、ヘトヘト。
だけど、そうなればそうなるほどとてもスッキリ爽快、頬は艶を増し、上機嫌^^
SMって、みんなはどんなイメージを持っているのだろう。
そのイメージとスッキリ爽快が一致しているかわからないけど。
痛いことは痛いし、恥ずかし過ぎると揺り戻しでぐずったりしちゃうけど。
でも、那智さんとの人生の大事な、そして、爽快にSM行為が一役買うのは、間違いない。
自分と大事な人との幸福になるSMをしよう、と思うのだ。
あ、ちなみに、お友達をお食事をするときは、たぶん、わたしはいの一番に箸を付けているはず。
きっとお友達の中では切り込み隊長を自負しているのだと思います(笑)
今日のエントリーはラブホ宴会の1コマ。最近の流行でゆったりしながらりん子の手料理やコンビニ・デパ地下などで調達した惣菜でお酒を飲んでいます。今日の件に関しては無意識の勝利と言うか、二人の間でも話題にしたことが無い話でしたので妙にりん子の偉さが際立ちました。もう、昔の習慣なのかな?
たくさんたくさん鞭とゴムの棒とてのひらで打たれて大騒ぎして高笑いして、感情も快感も目一杯でヘトヘト。
お風呂に入るとお尻がピリピリ。
疲れ果ててマッサージは休憩後にしてもらって、ひと眠り。
あまり時間がないからさくっと起きてマッサージ。
今日はおつまみを作ってきたから、ここでちょっとだけ宴会。
お皿代わりのタッパーを並べてコップやお酒の準備して、ビールを注いで。
はい、お疲れさまでした〜
お疲れ〜
くぴっとひと口、あ〜、ビールがおいしい!!
そこで那智さんがタバコに火をつけた。
お腹、すいた〜、さてと何から食べようかな。
まずはコールスローサラダをパク。
ふふふ
那智さんが笑い出す。
どうしました?
いや、りん子、よっぽど腹減ってたんだな〜と思ってさ(笑)
え?え?
なぜですか?
だって、りん子、普段俺が食べるまで箸付けないだろ?
いつも、エラいな〜と思ってたんだけど、今日は待てずに食べはじめたから、よっぽど腹減ってたんだろうなって思ったの。
わー、たしかに、先に箸付けました。
でもって、日頃は、たしかに那智さんがひと口召し上がってから、わたしも食べはじめてるような気がします。
まったく意識していなかったことを指摘されて、びっくり。
でも、ちょっと誇らしい気持ち。
今日先に食べてしまったということは、日頃那智さんが食べるまで箸を付けないことが無意識の自然な行為だということですよね。
無意識に自然に、上下の下らしい振る舞いができていたことが、ちょっとうれしい^^
えへへ、わたしの下っぷりもなかなかのものじゃない?(笑)
ちょっぴりいい気分で。
でも、わたし、よほどお腹減っていたんだな〜と、また違った意味で満足。
そんなこともあって、とても爽快な気持ちでビールをいただいた。
SMの時間はたくさん痛くてたくさん恥ずかしくて、たくさん感じて、場合によってはとても体力を消耗する。
わたしの大事な部分をお見せすることで那智さんの大事な部分も感じることができるような、溶け合うような時間。
真剣で、ヘトヘト。
だけど、そうなればそうなるほどとてもスッキリ爽快、頬は艶を増し、上機嫌^^
SMって、みんなはどんなイメージを持っているのだろう。
そのイメージとスッキリ爽快が一致しているかわからないけど。
痛いことは痛いし、恥ずかし過ぎると揺り戻しでぐずったりしちゃうけど。
でも、那智さんとの人生の大事な、そして、爽快にSM行為が一役買うのは、間違いない。
自分と大事な人との幸福になるSMをしよう、と思うのだ。
あ、ちなみに、お友達をお食事をするときは、たぶん、わたしはいの一番に箸を付けているはず。
きっとお友達の中では切り込み隊長を自負しているのだと思います(笑)
今日のエントリーはラブホ宴会の1コマ。最近の流行でゆったりしながらりん子の手料理やコンビニ・デパ地下などで調達した惣菜でお酒を飲んでいます。今日の件に関しては無意識の勝利と言うか、二人の間でも話題にしたことが無い話でしたので妙にりん子の偉さが際立ちました。もう、昔の習慣なのかな?