徒然に「自己嫌悪」のこと
独特な幸福感
『よかったね』のおまじないで、自己嫌悪や那智さんの『20%嫌悪』から解放された時間を経験した私。
じゃあ、これから、毎度気楽に気持ちいいことを優先してしまえて自己嫌悪を感じないでいられるかというと、これはまた違うことのように思う。
私が私を許せるのは、那智さんに許してもらってはじめて安心してできることだと思うので、那智さん次第なんだ。
もしかしたら、許してばかりじゃつまらないと思えば『今日はダメ、嫌悪して苦しんで』というでしょうし。
そう言われれば、私はやはり解放できないはずだ。
勢いその状態で自分が許ししまっても、嫌悪感がマイナスに作用して幸福にはなれないと思う。
解放できるかできないかは、結局は那智さん次第。
ただこの『那智さん次第』という関係が維持できていれば、恐らく毎回気持ちいいことを優先してしまっても、かつての『20%嫌悪』の状態には戻らないのではないかと思ってる。
私のほうでも、一回解放できたからって、何十年も背負っていた性に対する罪悪感(これは羨望の裏返しの罪悪感)、そんな自分への嫌悪感(羨望しているからね)は簡単には拭いされないと思ってる。
今回は『よかったね』が効果があったけど、次また同じようになれるとも思っていない。
次、できなければ、また別のおまじないをくれるかもしれないし、なにもしないでいるかもしれない。
行為のあとで、お話しするという方法で解決してくれるかもしれない。
これも、那智さん次第でいいのだ。
私がするべきことは、おまじないに感謝しつつも、毎回毎回素直に反応することだと思ってる。
そして、もうひとつ。
僅かに残る嫌悪感も、実は大きな快感の要素でもある。
被虐願望があるくせに、大切にされながら酷いことをしてくれないと傷つくという面倒な性癖を持っている私だけど。(『被虐の種類』『諸刃の刃』『お散歩の裏話2』)
この、僅かに残る嫌悪感を上手に快感に変換させることができれば、もしかしたら、傷つかずに堕ちるということができるんじゃないかと思えたの。
傷つかずに堕ちることが那智さんとの間で可能になれば(いまでも可能な気もするけど)、被虐願望は更に深いところで叶うかもしれない。
それって、嬉しいような、でもかなり怖いような気がする。
いままでよりももっと深く感じられると思うけど、何かがエスカレートしてしまうかもしれないものね。
ただ、僅かに残る自己嫌悪や罪悪感が、快感に変換できることはわかった。
それがわかったいま、自己嫌悪を簡単になくしてしまうのはもったいないとも思ってる^^;
私が『気持ちいいことを優先させる女』を嫌悪していたのは、それがうらやましいから。
そして、そうなる自分を嫌悪するのは、その先にもっと大きなモンスターがいることを無意識に自覚してブレーキを踏んでいるのだと思う。
自己嫌悪のカラクリは全部解明できていないけど、多分そんな感じだろう。
そのモンスターがいる(いてしまう?)限り、私の嫌悪感は減ることはあっても、なくならないのではないかと思っている。
で、それを上手に飼いならし、時に許し解放してくれる那智さんを、私はとても必要になる。
私が必要とすれば、那智さんは手を貸してくれる人だから、また解放してくれる。
解放してくれれば、私はもっと那智さんに執着する。
シェフ那智さんからすれば、この執着は満足だろう。(『対等で上下』)
この循環がふたりの関係をより密にして、お互い離れられないものにしていくのだと思う。
だから、ふたりの間で『りん子の自己嫌悪』というのは悪いことばかりじゃなくで、完全になくならなくてもいいものだと思ってる。
何かに固執してしまう関係は、もしかしたら健全ではないかもしれないけど、ずっと抱えていた厄介なモンスターを一緒に抱きしめてくれる人の存在は、ちょっとくらい歪んでいても、やはり私には必要だ。
手放したくない。
だから、自己嫌悪も、悪くないと思えるようになっている^^
徒然にシリーズ^^
『徒然に「痛みのこと」』
『徒然に「露出のこと」』
とかもお楽しみくださーい^^
『よかったね』のおまじないで、自己嫌悪や那智さんの『20%嫌悪』から解放された時間を経験した私。
じゃあ、これから、毎度気楽に気持ちいいことを優先してしまえて自己嫌悪を感じないでいられるかというと、これはまた違うことのように思う。
私が私を許せるのは、那智さんに許してもらってはじめて安心してできることだと思うので、那智さん次第なんだ。
もしかしたら、許してばかりじゃつまらないと思えば『今日はダメ、嫌悪して苦しんで』というでしょうし。
そう言われれば、私はやはり解放できないはずだ。
勢いその状態で自分が許ししまっても、嫌悪感がマイナスに作用して幸福にはなれないと思う。
解放できるかできないかは、結局は那智さん次第。
ただこの『那智さん次第』という関係が維持できていれば、恐らく毎回気持ちいいことを優先してしまっても、かつての『20%嫌悪』の状態には戻らないのではないかと思ってる。
私のほうでも、一回解放できたからって、何十年も背負っていた性に対する罪悪感(これは羨望の裏返しの罪悪感)、そんな自分への嫌悪感(羨望しているからね)は簡単には拭いされないと思ってる。
今回は『よかったね』が効果があったけど、次また同じようになれるとも思っていない。
次、できなければ、また別のおまじないをくれるかもしれないし、なにもしないでいるかもしれない。
行為のあとで、お話しするという方法で解決してくれるかもしれない。
これも、那智さん次第でいいのだ。
私がするべきことは、おまじないに感謝しつつも、毎回毎回素直に反応することだと思ってる。
そして、もうひとつ。
僅かに残る嫌悪感も、実は大きな快感の要素でもある。
被虐願望があるくせに、大切にされながら酷いことをしてくれないと傷つくという面倒な性癖を持っている私だけど。(『被虐の種類』『諸刃の刃』『お散歩の裏話2』)
この、僅かに残る嫌悪感を上手に快感に変換させることができれば、もしかしたら、傷つかずに堕ちるということができるんじゃないかと思えたの。
傷つかずに堕ちることが那智さんとの間で可能になれば(いまでも可能な気もするけど)、被虐願望は更に深いところで叶うかもしれない。
それって、嬉しいような、でもかなり怖いような気がする。
いままでよりももっと深く感じられると思うけど、何かがエスカレートしてしまうかもしれないものね。
ただ、僅かに残る自己嫌悪や罪悪感が、快感に変換できることはわかった。
それがわかったいま、自己嫌悪を簡単になくしてしまうのはもったいないとも思ってる^^;
私が『気持ちいいことを優先させる女』を嫌悪していたのは、それがうらやましいから。
そして、そうなる自分を嫌悪するのは、その先にもっと大きなモンスターがいることを無意識に自覚してブレーキを踏んでいるのだと思う。
自己嫌悪のカラクリは全部解明できていないけど、多分そんな感じだろう。
そのモンスターがいる(いてしまう?)限り、私の嫌悪感は減ることはあっても、なくならないのではないかと思っている。
で、それを上手に飼いならし、時に許し解放してくれる那智さんを、私はとても必要になる。
私が必要とすれば、那智さんは手を貸してくれる人だから、また解放してくれる。
解放してくれれば、私はもっと那智さんに執着する。
シェフ那智さんからすれば、この執着は満足だろう。(『対等で上下』)
この循環がふたりの関係をより密にして、お互い離れられないものにしていくのだと思う。
だから、ふたりの間で『りん子の自己嫌悪』というのは悪いことばかりじゃなくで、完全になくならなくてもいいものだと思ってる。
何かに固執してしまう関係は、もしかしたら健全ではないかもしれないけど、ずっと抱えていた厄介なモンスターを一緒に抱きしめてくれる人の存在は、ちょっとくらい歪んでいても、やはり私には必要だ。
手放したくない。
だから、自己嫌悪も、悪くないと思えるようになっている^^
徒然にシリーズ^^
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『徒然に「露出のこと」』
とかもお楽しみくださーい^^
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