荷物を預けるということ
独特な幸福感
いろんな荷物を抱えているみたいだった。
特に性的なことに関して。
羞恥心やモラル、それは当然のようにあって、それ以外にも。
誰に抱かれていても、いつもどこか冷めていた。
いりん子の人は気持ちいいだろうか。
この顔の角度は不細工じゃない?
声の大きさは適度?
いま何時?
ああ、そろそろ感じたふりをしたほうが、時間的にいいかな、なんて。
気遣いといえば聞こえはいいけれど、夢中になる男性をコントロールしているような冷ややかな荷物。
そんな冷ややかな部分を持ってしまっていたから、性的に無我夢中になっているように見える女性が、多分うらやましかったんだよね、裏返しにそういう女性を嫌悪していた。
わたしはあんな風になれない。
あんなはしたない言葉口にするなんて。
崩れる女性がうらやましくて、崩れる妄想を抱く自分に嫌悪して、だから、崩れるずっと手前でブレーキを踏んでいた。
人並みに恋愛だってしてるんだもの、だから初や無垢といって可愛らしいものではなく、ねじれた羨望から生まれるねじれた荷物。
きれいな印象だけでは済まされない荷物をたくさん。
SMで無我夢中になれるかと思っていたけれど、そう簡単に荷物を下ろすことはできなかった。
これには『父性』やら『自己肯定』やら『尊敬』やらSMとは関係ないような事柄を那智さんに埋めてもらってはじめて『下ろせるかも』と感じるようになったのだからね。
数回電話でお話ししただけの人では、相変わらず冷ややかなままだった。
那智さんに出会って、安心して尊敬して父性に包まれて、その中でやっと少しずつ荷物を軽くしていったように思う。
不必要な気遣いや相手を見下してしまうような荷物は早い段階で捨てることができたと思う。
だけど、代わりに新しく大きな荷物を抱えることになっちゃった。
それはね、那智さんが抱えさせたの。
付き合い出した当初から言われていた。
『羞恥心をなくさないで』って。
わたしこれには自信があったの。
別におしとやかとかそんなんじゃなくて、わたしの厄介な『過剰な自意識』は回路を間違えなければ『羞恥心』でいられると思っていたから。
これが、ひとつ那智さんがわたしに抱えさせた荷物。
大きいけれど抱えやすい荷物。
もうひとつ。
これは付き合い出してしばらくしてから那智さんが口にしたこと。
『俺の手で崩れていくりん子を見ていると、80%満足して20%嫌悪する』
那智さん自身も矛盾したことを言っていると理解はしていても、感情としてそう思ってしまうらしい。
崩れることに羨望して、でも嫌悪していたわたしが、那智さんがしてくれるなら崩れる自分を許せるかもしれないと思っていたのに、その那智さんから『嫌悪する』と言われてしまったのよ。
これはかなりショックだった。
『羞恥心をなくさないで』と『20%嫌悪』は那智さんの中では連動しているのもわかる。
あなたに崩されて、それで嫌悪されるとわかっていたら、わたしはこれ以上崩れることはできません。
次々押し寄せる快感に身を委ねてよいものか、躊躇しながらも感じてしまう、結局いつまでも自己嫌悪が付きまとい、わたしは随分その矛盾に苦しめられた。
大きくて重くて、どうやって抱えていいか途方に暮れるような荷物だった。
これは、何度も何度も那智さんと話し合った。
『わたし、羞恥心なくなってないでしょ?』何度も確認して、那智さんに認識してもらう。
『20%嫌悪』がどれだけわたしの足枷になっているか。
お互い気持ちは理解できる、でも感情が付いていかないということを、それでも何度も伝えあった。
いつからかな、那智さんが崩れるわたしに嫌悪しなくなったのは。
はっきりしていないのだけど、いつの間にか崩れるわたしを嫌悪せず、喜ばしいものに変わっていったのだ。
多分、慣れていったのかな!?(笑)
あんな反応していても、ちゃんと元に戻るということを確信できてきたからかな。
それと、どういうりん子になっても、それは那智さん自身が作り出したもので、その感覚がよりはっきりと感じられるようになったこともあるかもしれない。
いずれにしても、『羞恥心をなくさないで』と『20%嫌悪』は那智さんの意識からはなくなった。
だけど、わたしは『20%嫌悪』の苦しさをいつまで経っても拭い去ることができなかった。
不必要な気遣いや見下しの荷物は捨てられたけれど、その替わりの荷物。
羞恥心やモラル自己嫌悪と『20%嫌悪』、結局いろんな荷物を抱えていることに変化はなかった。
もしかしたら、那智さんから追加された荷物が一番わたしにブレーキをかけさせていたかもしれない。
那智さんがいくら『もう嫌悪しない』と言っても、荷物は重いままで、ときどきその苦しさに耐えられず、那智さんにつっかかってしまっていた。
それを払拭できるようになったのは、痛いことがひとつの要因だと思う。
痛いことに拍車を掛けたころ。
もうこの頃那智さんは『20%嫌悪』の感覚はなくなっていたはずだ。
恐らく那智さんは、ひどく痛くして早くわたしを飛ばしてしまうつもりだったのでしょう、いまよりも痛くしていたと思う。
両手を上げて梁に括り、無防備な体に鞭を連打よ!?
そりゃあ、怖いし痛いし、壊れます(笑)
痛みから逃げるようにヒステリックに壊れる、もうブレーキや荷物なんて言っていられない。
なり振り構わずな状態の中で、快感。
壊れても戻れる。
そして、崩れても嫌悪されない。
無理矢理荷物を手放さざるを得ない経験を重ね。
それでも大丈夫と思えるようになっていったのだ。
だから、痛いことは、ブレーキを踏んでしまうわたしの足をすくってくれる大事なこと。
これを繰り返すうちに、崩れ慣れ?していって、最近はちょっとの痛いことででも、すぐに感じてしまえるんじゃないかなって思う。
前エントリーの靴べらの痛さですぐ感じてしまったのは、痛いこと=崩れられるからなんだろうなと書きながら感じた。
そして、そういう状態を『荷物を預ける』と表現している。
これは『制服とおもらし』ではじめて使った言葉なんだけど。
わたし、これ、気に入ってるの^^
不必要な気遣いや見下しといういらない荷物は捨てることができた。
残った、羞恥心やモラル、そして自己嫌悪、これらの必要な荷物は捨てられない。(複雑なんだけど、ふたりの間では『崩れることに自己嫌悪するりん子』っていうのは、ちょっと必要な荷物なのです)
でも、持ったままでは快感にならない。
どこかに置いて来たら不安だ。
だから、那智さんに預けるの。
はい、あなたの手で崩れますから、荷物預かっていてね。終わったら返してもらいますから、安心でしょ!?って。
これではじめて、わたしは安心して快感を得られるみたいです。
靴べらで叩かれて『ふふふ』となってるわたしも、路上でおしっこしてしまうわたしも(ああ、いま書いてても、ごめんなさい!!って思う^^;)、那智さんに荷物を預けているな〜と感じるのです。
この荷物を預けるという感覚などは、付き合いはじめのころには思いも寄らない表現だった。
わたしはもちろん那智さんでさえ、ただひとつの正解があったわけではない。
気持ちにウソをつかず、でも歩み寄り折り合いをつけ、どうすればふたりにとって最適かを、その都度作り上げているように思う。
それのひとつが『荷物を預ける』。
那智さん荷物いっぱいで大変!!と思うけど、その荷物を増やしたのも那智さんなので、申し訳なけれど預かっていてね。
数年間かけてこうなれたなって、しみじみ思う。
抽象的なお話で説明難しいから、ちんぷんかんぷんでしたか!?
しかもいっぱい文中リンク貼っちゃった^^;
濃いお話を好ましいと思ってくださる奇特な方は、秋の夜長に文中リンクで遊んでくださませ^^
追記。
実は、このエントリーを下書きしていた時点で、まだわたしの中では円満解決しているわけではなかった。
那智さんが抱えさせた『20%嫌悪』の荷物の後遺症はとても深く、性的な場面では一旦預けるという方法で対処できていたけれど、また手元に戻ってからは、相変わらずわたしを苦しめていた。
それが、このエントリーをアップするにあたって、那智さんと会話をして、また流れが変わってきたのです。
もしかしたら、晴れて円満解決になるかもしれない。
でも、それは新しい荷物を増やすことに繋がるかもしれない。
どちらにしても、いままでと同じように、互いの心にウソを付かず最適な形を作る努力はしたいと思う気持ちがあるから、きっとどうにかなると明るい気持ちでいられていることは、とても嬉しい。
このこともいつかお話しさせてくださいね。
いろんな荷物を抱えているみたいだった。
特に性的なことに関して。
羞恥心やモラル、それは当然のようにあって、それ以外にも。
誰に抱かれていても、いつもどこか冷めていた。
いりん子の人は気持ちいいだろうか。
この顔の角度は不細工じゃない?
声の大きさは適度?
いま何時?
ああ、そろそろ感じたふりをしたほうが、時間的にいいかな、なんて。
気遣いといえば聞こえはいいけれど、夢中になる男性をコントロールしているような冷ややかな荷物。
そんな冷ややかな部分を持ってしまっていたから、性的に無我夢中になっているように見える女性が、多分うらやましかったんだよね、裏返しにそういう女性を嫌悪していた。
わたしはあんな風になれない。
あんなはしたない言葉口にするなんて。
崩れる女性がうらやましくて、崩れる妄想を抱く自分に嫌悪して、だから、崩れるずっと手前でブレーキを踏んでいた。
人並みに恋愛だってしてるんだもの、だから初や無垢といって可愛らしいものではなく、ねじれた羨望から生まれるねじれた荷物。
きれいな印象だけでは済まされない荷物をたくさん。
SMで無我夢中になれるかと思っていたけれど、そう簡単に荷物を下ろすことはできなかった。
これには『父性』やら『自己肯定』やら『尊敬』やらSMとは関係ないような事柄を那智さんに埋めてもらってはじめて『下ろせるかも』と感じるようになったのだからね。
数回電話でお話ししただけの人では、相変わらず冷ややかなままだった。
那智さんに出会って、安心して尊敬して父性に包まれて、その中でやっと少しずつ荷物を軽くしていったように思う。
不必要な気遣いや相手を見下してしまうような荷物は早い段階で捨てることができたと思う。
だけど、代わりに新しく大きな荷物を抱えることになっちゃった。
それはね、那智さんが抱えさせたの。
付き合い出した当初から言われていた。
『羞恥心をなくさないで』って。
わたしこれには自信があったの。
別におしとやかとかそんなんじゃなくて、わたしの厄介な『過剰な自意識』は回路を間違えなければ『羞恥心』でいられると思っていたから。
これが、ひとつ那智さんがわたしに抱えさせた荷物。
大きいけれど抱えやすい荷物。
もうひとつ。
これは付き合い出してしばらくしてから那智さんが口にしたこと。
『俺の手で崩れていくりん子を見ていると、80%満足して20%嫌悪する』
那智さん自身も矛盾したことを言っていると理解はしていても、感情としてそう思ってしまうらしい。
崩れることに羨望して、でも嫌悪していたわたしが、那智さんがしてくれるなら崩れる自分を許せるかもしれないと思っていたのに、その那智さんから『嫌悪する』と言われてしまったのよ。
これはかなりショックだった。
『羞恥心をなくさないで』と『20%嫌悪』は那智さんの中では連動しているのもわかる。
あなたに崩されて、それで嫌悪されるとわかっていたら、わたしはこれ以上崩れることはできません。
次々押し寄せる快感に身を委ねてよいものか、躊躇しながらも感じてしまう、結局いつまでも自己嫌悪が付きまとい、わたしは随分その矛盾に苦しめられた。
大きくて重くて、どうやって抱えていいか途方に暮れるような荷物だった。
これは、何度も何度も那智さんと話し合った。
『わたし、羞恥心なくなってないでしょ?』何度も確認して、那智さんに認識してもらう。
『20%嫌悪』がどれだけわたしの足枷になっているか。
お互い気持ちは理解できる、でも感情が付いていかないということを、それでも何度も伝えあった。
いつからかな、那智さんが崩れるわたしに嫌悪しなくなったのは。
はっきりしていないのだけど、いつの間にか崩れるわたしを嫌悪せず、喜ばしいものに変わっていったのだ。
多分、慣れていったのかな!?(笑)
あんな反応していても、ちゃんと元に戻るということを確信できてきたからかな。
それと、どういうりん子になっても、それは那智さん自身が作り出したもので、その感覚がよりはっきりと感じられるようになったこともあるかもしれない。
いずれにしても、『羞恥心をなくさないで』と『20%嫌悪』は那智さんの意識からはなくなった。
だけど、わたしは『20%嫌悪』の苦しさをいつまで経っても拭い去ることができなかった。
不必要な気遣いや見下しの荷物は捨てられたけれど、その替わりの荷物。
羞恥心やモラル自己嫌悪と『20%嫌悪』、結局いろんな荷物を抱えていることに変化はなかった。
もしかしたら、那智さんから追加された荷物が一番わたしにブレーキをかけさせていたかもしれない。
那智さんがいくら『もう嫌悪しない』と言っても、荷物は重いままで、ときどきその苦しさに耐えられず、那智さんにつっかかってしまっていた。
それを払拭できるようになったのは、痛いことがひとつの要因だと思う。
痛いことに拍車を掛けたころ。
もうこの頃那智さんは『20%嫌悪』の感覚はなくなっていたはずだ。
恐らく那智さんは、ひどく痛くして早くわたしを飛ばしてしまうつもりだったのでしょう、いまよりも痛くしていたと思う。
両手を上げて梁に括り、無防備な体に鞭を連打よ!?
そりゃあ、怖いし痛いし、壊れます(笑)
痛みから逃げるようにヒステリックに壊れる、もうブレーキや荷物なんて言っていられない。
なり振り構わずな状態の中で、快感。
壊れても戻れる。
そして、崩れても嫌悪されない。
無理矢理荷物を手放さざるを得ない経験を重ね。
それでも大丈夫と思えるようになっていったのだ。
だから、痛いことは、ブレーキを踏んでしまうわたしの足をすくってくれる大事なこと。
これを繰り返すうちに、崩れ慣れ?していって、最近はちょっとの痛いことででも、すぐに感じてしまえるんじゃないかなって思う。
前エントリーの靴べらの痛さですぐ感じてしまったのは、痛いこと=崩れられるからなんだろうなと書きながら感じた。
そして、そういう状態を『荷物を預ける』と表現している。
これは『制服とおもらし』ではじめて使った言葉なんだけど。
わたし、これ、気に入ってるの^^
不必要な気遣いや見下しといういらない荷物は捨てることができた。
残った、羞恥心やモラル、そして自己嫌悪、これらの必要な荷物は捨てられない。(複雑なんだけど、ふたりの間では『崩れることに自己嫌悪するりん子』っていうのは、ちょっと必要な荷物なのです)
でも、持ったままでは快感にならない。
どこかに置いて来たら不安だ。
だから、那智さんに預けるの。
はい、あなたの手で崩れますから、荷物預かっていてね。終わったら返してもらいますから、安心でしょ!?って。
これではじめて、わたしは安心して快感を得られるみたいです。
靴べらで叩かれて『ふふふ』となってるわたしも、路上でおしっこしてしまうわたしも(ああ、いま書いてても、ごめんなさい!!って思う^^;)、那智さんに荷物を預けているな〜と感じるのです。
この荷物を預けるという感覚などは、付き合いはじめのころには思いも寄らない表現だった。
わたしはもちろん那智さんでさえ、ただひとつの正解があったわけではない。
気持ちにウソをつかず、でも歩み寄り折り合いをつけ、どうすればふたりにとって最適かを、その都度作り上げているように思う。
それのひとつが『荷物を預ける』。
那智さん荷物いっぱいで大変!!と思うけど、その荷物を増やしたのも那智さんなので、申し訳なけれど預かっていてね。
数年間かけてこうなれたなって、しみじみ思う。
抽象的なお話で説明難しいから、ちんぷんかんぷんでしたか!?
しかもいっぱい文中リンク貼っちゃった^^;
濃いお話を好ましいと思ってくださる奇特な方は、秋の夜長に文中リンクで遊んでくださませ^^
追記。
実は、このエントリーを下書きしていた時点で、まだわたしの中では円満解決しているわけではなかった。
那智さんが抱えさせた『20%嫌悪』の荷物の後遺症はとても深く、性的な場面では一旦預けるという方法で対処できていたけれど、また手元に戻ってからは、相変わらずわたしを苦しめていた。
それが、このエントリーをアップするにあたって、那智さんと会話をして、また流れが変わってきたのです。
もしかしたら、晴れて円満解決になるかもしれない。
でも、それは新しい荷物を増やすことに繋がるかもしれない。
どちらにしても、いままでと同じように、互いの心にウソを付かず最適な形を作る努力はしたいと思う気持ちがあるから、きっとどうにかなると明るい気持ちでいられていることは、とても嬉しい。
このこともいつかお話しさせてくださいね。