羞恥心とさらけ出す
りん子的独り言(生意気)
羞恥心。
那智さんは羞恥心をなくさないでとわたしにいう。
そのクセに、性的な場面でいやらしく腰を振りはしたなく求めるわたしを作っている。
なくさないでほしいのに、なくなる瞬間を作りたいのだ。
羞恥心とさらけ出す。
はたしてこれは両立するものなのだろうか。
『羞恥心って?』というエントリーにわたしなりの回答は書いてある。
那智さんの求める羞恥心は、ようは日常の所作なのだ。
それがあることがじつは重要で、それさえ残っていれば性的な場面でどんなに乱れようともかまわないということ。
(でもね、それは『俺が作った』が一番重要だったりする 笑)
日常の所作なんて何十年もかけて身に付いたものだし、わたしの結論では所作=自意識なので、自意識なんていうものは備わった性格だから、那智さんが求める羞恥心はそう簡単になくなるものではないと自負している。
だから、わたしたちにとっての答えは両立するになる。
日常の所作と性的な場面でさらけ出すは別のものだからだ。
ただ、わたしのような自意識過剰な女は日常の所作とは別に性的な場面でも『恥ずかしい』はどっかりと腰を据えて頑固に鎮座しているわけで、結局性的な場面でもじゅうぶん恥ずかしいのだから、なかなかおいそれとすべてをさらけ出すことはできない。
じゃあ、性的な場面で羞恥心とさらけ出すは両立するのだろうか。
これも両立する。
答えは簡単。
恥ずかしいより、さらけ出すことによる快感が上回ればいいのだ。
(精神の露出3『SM行為の快感』に書いてあります^^)
那智さんを求めて腰を振る自分が恥ずかしくてしかたない、でも、そこで那智さんはもう一歩快感を押し込む、そうされると恥ずかしい気持ちはなくならないけど、快感と放出する快楽に、誰にも見せられないような姿になる。
これで、恥ずかしいとさらけ出すは両立できる。
ただ、答えは簡単だけど、そうなるにはかなり大変。
ということで、そうなるにはなにが重要なのだろう。
それは那智さん側の『一歩も引かないことと欲情』だ。
わたしはすべてをさらけ出すなんて、かなり不可能なことだと理解している。
そもそもいま頭の中に描いているものが欲望のすべてなわけないよね。
性癖や欲望なんて掘れば掘るほどいろいろ出てくるのだ、『縛られたい』なんてだけでおしまいになるわけない。
はじまりは『縛られたい』だったはずが、『そのまま放置されて見知らぬ男に輪姦されて地下に監禁されて歯を抜かれてフェラチオ人形になりたい』に発展していったり、『縛られたまま強制的に喉を突かれ吐瀉物まみれになったわたしにキスしてほしい』と想像したり(あくまでも例え話です^^)、とにかく、『縛られたい』は掘り起こせば驚くようなさらけ出す材料が現れる。
もともとあった『すべて』を見せ、さらに、その後から溢れる『すべて』をチラッと見せても、たくさん見せても、一歩も引かないでいること。
羞恥心が強ければ強いほど中身をさらけ出すことに抵抗感を持つものだから、そこで一瞬でも怯んだら、一気にまた元の殻に籠ってしまう。
羞恥心が強い女は、その一瞬さえ敏感に察知するもの。
だから、どんなに変態な妄想を口にしても、どんなに変態的なことで感じても引かないことが必要。
それと、もうひとつの『引かない』は。
羞恥心というと洋服を脱ぐときにモジモジする程度のことを想像されているかもしれませんけど、そんな男性にとってちょうどいい具合の羞恥心ばかりではないだろうし、いつまでもちょうどいい具合を保てるものでもないと思う。
じつは、簡単に崩れないような羞恥心というものは自己嫌悪や相手に対する反発心を誘発してしまう厄介なものだったりする。
己の欲望をさらけ出せたとしても、その自分に対する羞恥心は事後に嫌悪感となって襲ってくる。
そうさせた相手に対して当たりたい気持ちさえ芽生えるものだ。
羞恥心が強ければ強いほど、その揺り戻しは大きくこちらを苦しませる。
こんな恥ずかしい姿の自分はキライ。
あんなふうにさせたのは那智さんのせい。
わたしも何度も何度揺り戻しの自己嫌悪を那智さんに訴え、会話して、『そのりん子が好きだ』と刷り込ませてもらったものだ。
めんどくさがらず、丹念に何度も。
どんなに面倒な訴えも、落ち込みも、これも一歩も引かず『それが好き』と伝え続ける気概が必要。
そうすると、ゆっくりと『さらけ出してもいいのかな』と信じられるようになっていく、野良猫が懐いていくように。
その最中にどんな姿になっても、その後どんなに面倒なことを訴えても一歩も引かないことを伝え続けてもらうことが大事。
そして、これもとても重要なのだけど、それが那智さん側の欲情になることも、とてもとても大事。
そのりん子で欲情する。
『受け入れる』というだけでは足りない、そのさらけ出したものが那智さん側の欲情になり、それを欲し、求めてくれることが、じつはものすごく重要なのだ。
それで、やっと頑固な羞恥心を一枚ずつ剥ぐことができる。
(けっこう那智さん側の欲情は、こちらを震わせる力があるのよね)
すべてをさらけ出すことと羞恥心をなくさないことは両立する。
羞恥心の意義を性的な場面ではなく日常の所作に見いだすことと(これはわたしたち的ね)。
性的な場面でどんなになっても一歩も引かないことと、羞恥心からくる揺り戻しもきちんと引き受けてくれること、そして、その女の頭の中身と姿が男の欲情になるのであれば、羞恥心よりもさらけ出す快感のほうが増す瞬間を作ることができる。
そうしたら、いつまでも那智さんのからかいに赤面し洋服を脱ぐことを確認して、なおかつモンスターが大暴れする様をお見せすることができるのだ。
余談だけど。
すべてをさらけ出すことに那智さん側の欲情が必要だとしたら。
わたしにとって『使ってやる』的な関係性では無理だということになるね。
だって、『使ってやる』立場なんだから、その女を欲していたらおかしいものね。
あくまでもわたしにとってだけど、『使ってやる」の関係性ではすべてはさらけ出せないことになると思う。
<関連エントリー>
たとえば、こんなふうに。
『よかったね』
『荷物を預けるということ』
でも、自己嫌悪も必要悪でもある。
『徒然に『自己嫌悪』のこと』
羞恥心、あれこれ。
『もう、いや!』
『ついにデビュー!?1 2』
「等式」感想です。根本をお話しすると、つきあい始めより、りん子とずっと良い関係を続けていきたいと考えてこの「羞恥心をなくさないで」から、時は過ぎ「淫乱なりん子になれ」の矛盾を伴う命令に近い要求をしてきた。
それは、りん子の事を好きになるのをセーブするのは止めよう「退路を断つ時」から始まり、いつまでも、新鮮な気持ちで飽くことなく付き合いたいと最初から決めていたからなのです。
最近、深い大作が多いですね、今までの付き合いやスタンスを総括するようなお話しが続きますが、この総括は関連エントリーを読むことにより、理解力が深まると思います。
その関連エントリーにも多分関連エントリーが付いているのできりがないのですが、「等式」を読破されていない方には追いかけていただければ、我々の精神と関係性の成長がよく理解できると思います。
現状を理解して頂くのはうれしいのですが成長の過程を見られるのは、少し恥ずかしいのですがね。(笑)
今日のまとめ(笑)那智さんの感想より長くなっちゃった^^;
知り合って数週間、那智さんは「好きになるのをセーブするのをやめよう」とわたしに宣言して退路を断ったあの日。それまでの変わることをよしとしない付き合い方、常に一定でいるために会う頻度や愛情表現をある程度抑えていたことをやめた。
そのとき那智さんはわたしに「羞恥心をなくさないで」と課した。
もちろん、それが那智さんの好みだったけど、それ以外に感情をセーブせず付き合い続けることで、互いに飽きが生じることを危惧していたのだ。いつまでも、感情をセーブせず、なおかつ新鮮でいるための、ひとつの命綱がわたしに課した「羞恥心をなくさないで」だった。
いままでと違う付き合い方をしようと覚悟を決めた那智さんのそれはひとつの賭けでもあったのだ。
重要ではあるけど、ただの「好み」だと思っていたのだけど、そんな思考からの「羞恥心をなくさないで」だったということを今日はじめて聞いた(笑)
まあ、そのまで言って保たれるものには価値を見出さないのでしょうそれにしても、危険な賭けでしたねぇ。わたしが那智さんの好む羞恥心を保っていなかったら退路を断ったことが仇になりますものね。
おそらく、主導権を握っている上の立場として、飽きることは致命的で、飽きないようにするのは使命なのでしょうね。
羞恥心。
那智さんは羞恥心をなくさないでとわたしにいう。
そのクセに、性的な場面でいやらしく腰を振りはしたなく求めるわたしを作っている。
なくさないでほしいのに、なくなる瞬間を作りたいのだ。
羞恥心とさらけ出す。
はたしてこれは両立するものなのだろうか。
『羞恥心って?』というエントリーにわたしなりの回答は書いてある。
那智さんの求める羞恥心は、ようは日常の所作なのだ。
それがあることがじつは重要で、それさえ残っていれば性的な場面でどんなに乱れようともかまわないということ。
(でもね、それは『俺が作った』が一番重要だったりする 笑)
日常の所作なんて何十年もかけて身に付いたものだし、わたしの結論では所作=自意識なので、自意識なんていうものは備わった性格だから、那智さんが求める羞恥心はそう簡単になくなるものではないと自負している。
だから、わたしたちにとっての答えは両立するになる。
日常の所作と性的な場面でさらけ出すは別のものだからだ。
ただ、わたしのような自意識過剰な女は日常の所作とは別に性的な場面でも『恥ずかしい』はどっかりと腰を据えて頑固に鎮座しているわけで、結局性的な場面でもじゅうぶん恥ずかしいのだから、なかなかおいそれとすべてをさらけ出すことはできない。
じゃあ、性的な場面で羞恥心とさらけ出すは両立するのだろうか。
これも両立する。
答えは簡単。
恥ずかしいより、さらけ出すことによる快感が上回ればいいのだ。
(精神の露出3『SM行為の快感』に書いてあります^^)
那智さんを求めて腰を振る自分が恥ずかしくてしかたない、でも、そこで那智さんはもう一歩快感を押し込む、そうされると恥ずかしい気持ちはなくならないけど、快感と放出する快楽に、誰にも見せられないような姿になる。
これで、恥ずかしいとさらけ出すは両立できる。
ただ、答えは簡単だけど、そうなるにはかなり大変。
ということで、そうなるにはなにが重要なのだろう。
それは那智さん側の『一歩も引かないことと欲情』だ。
わたしはすべてをさらけ出すなんて、かなり不可能なことだと理解している。
そもそもいま頭の中に描いているものが欲望のすべてなわけないよね。
性癖や欲望なんて掘れば掘るほどいろいろ出てくるのだ、『縛られたい』なんてだけでおしまいになるわけない。
はじまりは『縛られたい』だったはずが、『そのまま放置されて見知らぬ男に輪姦されて地下に監禁されて歯を抜かれてフェラチオ人形になりたい』に発展していったり、『縛られたまま強制的に喉を突かれ吐瀉物まみれになったわたしにキスしてほしい』と想像したり(あくまでも例え話です^^)、とにかく、『縛られたい』は掘り起こせば驚くようなさらけ出す材料が現れる。
もともとあった『すべて』を見せ、さらに、その後から溢れる『すべて』をチラッと見せても、たくさん見せても、一歩も引かないでいること。
羞恥心が強ければ強いほど中身をさらけ出すことに抵抗感を持つものだから、そこで一瞬でも怯んだら、一気にまた元の殻に籠ってしまう。
羞恥心が強い女は、その一瞬さえ敏感に察知するもの。
だから、どんなに変態な妄想を口にしても、どんなに変態的なことで感じても引かないことが必要。
それと、もうひとつの『引かない』は。
羞恥心というと洋服を脱ぐときにモジモジする程度のことを想像されているかもしれませんけど、そんな男性にとってちょうどいい具合の羞恥心ばかりではないだろうし、いつまでもちょうどいい具合を保てるものでもないと思う。
じつは、簡単に崩れないような羞恥心というものは自己嫌悪や相手に対する反発心を誘発してしまう厄介なものだったりする。
己の欲望をさらけ出せたとしても、その自分に対する羞恥心は事後に嫌悪感となって襲ってくる。
そうさせた相手に対して当たりたい気持ちさえ芽生えるものだ。
羞恥心が強ければ強いほど、その揺り戻しは大きくこちらを苦しませる。
こんな恥ずかしい姿の自分はキライ。
あんなふうにさせたのは那智さんのせい。
わたしも何度も何度揺り戻しの自己嫌悪を那智さんに訴え、会話して、『そのりん子が好きだ』と刷り込ませてもらったものだ。
めんどくさがらず、丹念に何度も。
どんなに面倒な訴えも、落ち込みも、これも一歩も引かず『それが好き』と伝え続ける気概が必要。
そうすると、ゆっくりと『さらけ出してもいいのかな』と信じられるようになっていく、野良猫が懐いていくように。
その最中にどんな姿になっても、その後どんなに面倒なことを訴えても一歩も引かないことを伝え続けてもらうことが大事。
そして、これもとても重要なのだけど、それが那智さん側の欲情になることも、とてもとても大事。
そのりん子で欲情する。
『受け入れる』というだけでは足りない、そのさらけ出したものが那智さん側の欲情になり、それを欲し、求めてくれることが、じつはものすごく重要なのだ。
それで、やっと頑固な羞恥心を一枚ずつ剥ぐことができる。
(けっこう那智さん側の欲情は、こちらを震わせる力があるのよね)
すべてをさらけ出すことと羞恥心をなくさないことは両立する。
羞恥心の意義を性的な場面ではなく日常の所作に見いだすことと(これはわたしたち的ね)。
性的な場面でどんなになっても一歩も引かないことと、羞恥心からくる揺り戻しもきちんと引き受けてくれること、そして、その女の頭の中身と姿が男の欲情になるのであれば、羞恥心よりもさらけ出す快感のほうが増す瞬間を作ることができる。
そうしたら、いつまでも那智さんのからかいに赤面し洋服を脱ぐことを確認して、なおかつモンスターが大暴れする様をお見せすることができるのだ。
余談だけど。
すべてをさらけ出すことに那智さん側の欲情が必要だとしたら。
わたしにとって『使ってやる』的な関係性では無理だということになるね。
だって、『使ってやる』立場なんだから、その女を欲していたらおかしいものね。
あくまでもわたしにとってだけど、『使ってやる」の関係性ではすべてはさらけ出せないことになると思う。
<関連エントリー>
たとえば、こんなふうに。
『よかったね』
『荷物を預けるということ』
でも、自己嫌悪も必要悪でもある。
『徒然に『自己嫌悪』のこと』
羞恥心、あれこれ。
『もう、いや!』
『ついにデビュー!?1 2』
「等式」感想です。根本をお話しすると、つきあい始めより、りん子とずっと良い関係を続けていきたいと考えてこの「羞恥心をなくさないで」から、時は過ぎ「淫乱なりん子になれ」の矛盾を伴う命令に近い要求をしてきた。
それは、りん子の事を好きになるのをセーブするのは止めよう「退路を断つ時」から始まり、いつまでも、新鮮な気持ちで飽くことなく付き合いたいと最初から決めていたからなのです。
最近、深い大作が多いですね、今までの付き合いやスタンスを総括するようなお話しが続きますが、この総括は関連エントリーを読むことにより、理解力が深まると思います。
その関連エントリーにも多分関連エントリーが付いているのできりがないのですが、「等式」を読破されていない方には追いかけていただければ、我々の精神と関係性の成長がよく理解できると思います。
現状を理解して頂くのはうれしいのですが成長の過程を見られるのは、少し恥ずかしいのですがね。(笑)
今日のまとめ(笑)那智さんの感想より長くなっちゃった^^;
知り合って数週間、那智さんは「好きになるのをセーブするのをやめよう」とわたしに宣言して退路を断ったあの日。それまでの変わることをよしとしない付き合い方、常に一定でいるために会う頻度や愛情表現をある程度抑えていたことをやめた。
そのとき那智さんはわたしに「羞恥心をなくさないで」と課した。
もちろん、それが那智さんの好みだったけど、それ以外に感情をセーブせず付き合い続けることで、互いに飽きが生じることを危惧していたのだ。いつまでも、感情をセーブせず、なおかつ新鮮でいるための、ひとつの命綱がわたしに課した「羞恥心をなくさないで」だった。
いままでと違う付き合い方をしようと覚悟を決めた那智さんのそれはひとつの賭けでもあったのだ。
重要ではあるけど、ただの「好み」だと思っていたのだけど、そんな思考からの「羞恥心をなくさないで」だったということを今日はじめて聞いた(笑)
まあ、そのまで言って保たれるものには価値を見出さないのでしょうそれにしても、危険な賭けでしたねぇ。わたしが那智さんの好む羞恥心を保っていなかったら退路を断ったことが仇になりますものね。
おそらく、主導権を握っている上の立場として、飽きることは致命的で、飽きないようにするのは使命なのでしょうね。
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- 羽根 2010/06/04
- 薬指に刺青 2008/11/08
- 緊急告知 チャット閉鎖のお知らせ(追記あり) 2014/04/11
COMMENT
嗚呼、もう…ぶんぶん頷きながら読んでしまいました♪
羞恥心というと、男心をくすぐる可愛いものを想像してしまいがちだけど、頑固な羞恥心(いろんな意味合いが含まれる)の向こう側にさらけ出す扉がありますもんねぇ。
因みに、うちの相方さんは“揺り戻し”ある方が面白いんだそう…(未知のモンスター出現時には揺り戻しがセットなのでw)
アフターケアはもちろん、欲情(モンスターに?w)
すべてが揃ってこそですね。
羞恥心というと、男心をくすぐる可愛いものを想像してしまいがちだけど、頑固な羞恥心(いろんな意味合いが含まれる)の向こう側にさらけ出す扉がありますもんねぇ。
因みに、うちの相方さんは“揺り戻し”ある方が面白いんだそう…(未知のモンスター出現時には揺り戻しがセットなのでw)
アフターケアはもちろん、欲情(モンスターに?w)
すべてが揃ってこそですね。
的確なコメントありがとうございます。
ここまで理解してくださって、大げさじゃなくカンゲキしています^^
ちょうどいい具合の羞恥心って、そんなにないですよね。
頑固な羞恥心は面倒なことが多い^^;でも、おっしゃる通り、その先に『すべて』(と簡単に言えないけど)はある。
その面倒を引き受けるつもりがないなら、すべてさらけ出せないです。
相方さん、揺り戻しを面白いと思っているのですね!!
その好奇心というか嗜好というか、こちら側はありがたいですね(まあ、その好奇心や嗜好に慌てさせられることも多々ありますが^^;)
那智さんに聞いたら「必要悪」くらいだそうです、たぶんね、わたしの揺り戻しかなり厄介みたいで面白いまでは思ってくれないみたいです(笑)
ここまで理解してくださって、大げさじゃなくカンゲキしています^^
ちょうどいい具合の羞恥心って、そんなにないですよね。
頑固な羞恥心は面倒なことが多い^^;でも、おっしゃる通り、その先に『すべて』(と簡単に言えないけど)はある。
その面倒を引き受けるつもりがないなら、すべてさらけ出せないです。
相方さん、揺り戻しを面白いと思っているのですね!!
その好奇心というか嗜好というか、こちら側はありがたいですね(まあ、その好奇心や嗜好に慌てさせられることも多々ありますが^^;)
那智さんに聞いたら「必要悪」くらいだそうです、たぶんね、わたしの揺り戻しかなり厄介みたいで面白いまでは思ってくれないみたいです(笑)
ご無沙汰しております。過去に1、2回コメントさせて頂きました、ももと申します。
今回のエントリーとても共感しました。
お相手に引かれてしまうのが怖くて何も自分から出来ない感じ。はしたない女と思われたく無い気持ち。
私は下ネタだけでも恥ずかしくて、いつもカマトトぶってます。本当は何でも知っているのに(笑)
カマトトであることも知った上で接して下さる相手に感謝です。
恥ずかしいのに、それを超える喜びを提供して貰える喜びもあるんですよね。不思議です。
今後もブログ楽しみにしています。
今回のエントリーとても共感しました。
お相手に引かれてしまうのが怖くて何も自分から出来ない感じ。はしたない女と思われたく無い気持ち。
私は下ネタだけでも恥ずかしくて、いつもカマトトぶってます。本当は何でも知っているのに(笑)
カマトトであることも知った上で接して下さる相手に感謝です。
恥ずかしいのに、それを超える喜びを提供して貰える喜びもあるんですよね。不思議です。
今後もブログ楽しみにしています。
ももさん、こんにちは〜^^
ももさんカマトトぶっちゃうんですね^^
ほとんどの人は誰かと対峙したときに自分を演出しているものだと思ってます。
わたしも那智さんには「ぶりっ子してます」と宣言しているし(笑)
大事なのは、その自分が自分自身心地よいかなんじゃないかな〜。
心地よければ、ぶりっ子でもカマトトでもいいんじゃないでしょうか^^
でね、もし、ももさんがカマトトがちょっと窮屈に感じたときがあったら、カマトト=知っているけど知らないフリではなくて、ぶりっ子=知っているのは隠さず恥ずかしがる(と勝手に定義しちゃったけど)くらいにエリアを広げたらいいかもしれませんね〜。
ぶりっ子が好きな男の人は多いです(笑)
でも、そこからちょっとはみ出した女の一部分にも魅力があることを知らない男性も多いのかもしれませんね。
それも魅力だと、わたしは密かに宣伝活動をしたいと思っております^^
ももさんカマトトぶっちゃうんですね^^
ほとんどの人は誰かと対峙したときに自分を演出しているものだと思ってます。
わたしも那智さんには「ぶりっ子してます」と宣言しているし(笑)
大事なのは、その自分が自分自身心地よいかなんじゃないかな〜。
心地よければ、ぶりっ子でもカマトトでもいいんじゃないでしょうか^^
でね、もし、ももさんがカマトトがちょっと窮屈に感じたときがあったら、カマトト=知っているけど知らないフリではなくて、ぶりっ子=知っているのは隠さず恥ずかしがる(と勝手に定義しちゃったけど)くらいにエリアを広げたらいいかもしれませんね〜。
ぶりっ子が好きな男の人は多いです(笑)
でも、そこからちょっとはみ出した女の一部分にも魅力があることを知らない男性も多いのかもしれませんね。
それも魅力だと、わたしは密かに宣伝活動をしたいと思っております^^