「よかったね」
独特な幸福感
過去エントリーでも書いているけど。
那智さんと知り合って抱かれるたびに徐々に快感を覚える私を、『80%満足して20%嫌悪する』と言われたことがある。
『羞恥心をなくさないで』という那智さんの無意識の予防線とも取れるのだけど、この言葉はとてもショックで、それからずーっと足枷となり、解放する障害となっていた。
(『満足と嫌い』『矛盾は嫌い』)
どんなに『80%満足が大きな満足か』と教えてもらっても、好きな人に嫌悪されるくらいならそんな大きな満足なんていらない。
まして、私は快感を優先させる女性を嫌悪しているんだよ、自分がそうなったら自己嫌悪するに決まってるじゃないですか。
だから、那智さんだけでもその私に嫌悪しちゃいけないの。
手放しで『快感を優先させるりん子が好き』と言ってくれないと、私はいつまでたっても、どこかでブレーキをかけ、その自分を嫌悪してしまうの。
こんなふうにずっと訴えていた。
いつからか、那智さんから『20%嫌悪』の空気が感じられなくなっていた。
本人に確認しても、そうらしい。
激しく抱き合ったあと、多分お互い『嫌悪しないか』『嫌悪していないと信じられるか』と心を見極めていた時期もあったと思う。
那智さんは『思った側』だから、早々にその見極めは終わったはずだ。
ある時期から、もっともっとと快感を優先させることを喜び育ててきた。
『思われた側』のダメージは大きく、僅かに確認する作業は続いた。
そして、たくさん感じて乱れてしまえばしまうほど、自己嫌悪することで『20%嫌悪』の代わりにしていたようだった。
『荷物を預けること』は覚えた。(『荷物を預けるということ>』)
快感を優先させてしまえるようになっている。
ただ、後でチクチクと自己嫌悪する。
そして、時々、乱れる自分を客観視してしまって、抱かれながら突然覚醒してしまうこともあった。
(『濃い3』)
それは『20%嫌悪する』と言っていた那智さんを無言のうちに責めているようでもあって、なんだかいい気分じゃなかった。(実際心の中で責めていたと思う)
「乗りたかったら乗りな」
フェラチオをしているとよく那智さんは言う。
この場合はね^^一回抱かれた後で、もう一回射精しようとフェラチオをさせている時に多い。
自分はどちらでもいいけれど、りん子がもう少し感じたいなら乗ってもいいよという意味。
特にね、次会えるのが不確定な時などによく言うのだ。
体も心も寂しくならないように、という気持ちが大きいのだと思う。
(まあ、上で腰振る私を見る楽しみもあるでしょうけど^^;)
だけど、最初の頃はほとんど乗らなかった。
いまでも、基本的に乗らない。
いま乗らないと、寂しくなりそうと思う時だけ、乗るのだけど、すごーく勇気がいるのはかわらない。
「乗りたかったら、乗っていいよ」
また言われた。
仕事でいろんな地方に行ったり来たり。
北へ行き、ちょい東に移動して、一度拠点のビジネスホテルに戻って、また西へ。
出張はよくあるけど、そういう種類の仕事が年に1回ほどあるのだ。
そんな合間、拠点のビジネスホテルの狭い部屋での2時間足らずのデートのときだった。
一度いろいろ(?)抱かれたあとで、フェラチオをしながら『乗ってもいいよ』と聞かれたのだ。
くわえながら首を横に振る。
ほんとは、もっと欲しかったし、いま那智さん立て込んでいて次会える予定も立っていないから、もう一度抱いてもらったほうが穏やかに過ごせる予感はしていたのだけど、やっぱり自分から騎乗位というのは、ためらう。
(欲情すると穏やかでいられないこと『ファーストプライオリティ123』『実験結果』などなど長いですけど、お楽しみください^^)
「じゃあ、乗りなさい」
こういうとき、命令して背中を押してくれる。
普段命令をしない那智さん、『私の幸せ』に繋がるようにそういう時に発動してくれるのだ。
乗りたいと思って乗れずにいたのを促してもらった嬉しさと照れ臭さで、那智さんと目を合わすことができない。
恥ずかしがりながら、上に乗る。
ああ、那智さんのおちんちんが気持ちいい。
あっという間に恥ずかしさを吹き飛ばすような気持ちよさが来る。
自分の意志とは関係なく腰を揺らす。
何もかも恥ずかしくて、首を横に振る。
前後に揺れる腰。
左右に振れる首。
恥ずかしさや嫌悪感が、更なる快感を呼び寄せそうになったとき。
視界に鏡が映った。
ああ、なんでいままで気づかなかったんだろう。
ビジネスホテルの狭いシングル。
ベッドのすぐ横にドレッサーを兼ねたデスクがある。
そこに大きな鏡が取付けられていたのだ。
一瞬、鏡の中に女性の姿も見えた。
気づくまではなんでもなかったのに。
そこに自分の姿が映っていると知った途端に、急速に醒めていった。
「いやー、那智さん、鏡がありました!!」
そういって仰向けになっている那智さん肩に顔をうずめる。
一気にシラフに戻ってしまったのはほんとうだ。
だけど、別の感情にも気づいているの。
それは。
その『わたし』を見たい。
という衝動。
いやらしく腰を振るはしたない『りん子』を見てみたい。
ものすごい自己嫌悪に襲われるのは、確実だ。
だけど、その嫌悪感さえも、快感になってしまいそうだ。
この別の感情は100人中2人くらいの少数の私。
多分、私の中の98人が、その2人をねじ伏せたんだ。
だから、余計に覚醒させた部分もある。
男の人の上に乗って腰を振る私もいや。
それを見たいと思ってしまう私もいや。
20%嫌悪されるような私を、私が嫌悪する。
瞬時にそんな分析ができるはずはなく、ただただ自分の姿に嫌悪してどんどん気持ちが醒めていく。
「那智さん、醒めちゃいました」
顔をうずめて訴える。
フェラチオに戻ろうとしたら。
「続けて。鏡を見てごらん。」
「いやです。」
「見なさい。」
ああ、命令。
見せることで羞恥心を煽るのだろうか。
なんだか、それは醒める一方な気がする。
この羞恥プレイは私の幸福に繋がるのだろうか。
だからこその命令?
ノロノロと上体を起こす。
「よかったねって。」
え?
何を言っているの?
目を見て問いかける。
「鏡を見て、よかったねって言ってみな。」
「わたし…に?」
「そう。」
いやだ、恥ずかしい。
鏡を見て自分に声をかけるの?
見るだけでも恥ずかしいのに、もっと恥ずかしいことを。
できないと首を振る。
「ううん、言ってみな、よかったねって。」
頭を上げ、おそるおそる顔を横に向ける。
裸の私がいる。
うつむき加減の私の目を一瞬だけ見て。
「よかったね。」
ああ、恥ずかしいよぉ。
おまんこに那智さんのおちんちんんを感じる。
きゅんとなる。
腰が2,3度がくんと揺れる。
恥ずかしい!!
また、那智さんの胸に顔をうずめる。
「起きて、もう一回。よかったねって。」
チラッと鏡を見て
「…よかったね。」
ああ、また腰が揺れる。
下から乳首を潰される。
気持ちいい。
「ほら、よかったねって。」
もう一度鏡に映る私を見つける。
今度はさっきよりしっかりと。
頬、ううん、顔全体が紅潮して桃色に染まり、汗をかいてくしゃくしゃの髪が張り付き、目尻が下がった、とてもとても幸せそうな私がいる。
その私の目を見て、言う。
「よかったね。」
満面の笑み。
幸福と快感は連動しているのか。
それとも、快感に溢れた女の表情に興奮したのか。
「よかったね」というたびに、腰が動き、さらに気持ちよくなって、また激しく腰が揺れる。
そのいやらしく動く腰を見て、もっと興奮する。
そこはかとなく残る嫌悪感も、心地よい快感へ変換している。
はしたない幸福な私を眺めながら、私は私を許した。
那智さんはずっと前から、許してくれていたんだ。
私が、許せなかった。
「よかったね」と促してもらって、はじめて許せた。
私が、私を許すためのおまじないが『よかったね』だったのだ。
まだ上手にまとまっていないから書いていないけど、ふたりにとって『りん子の自己嫌悪』というのは、実は大事なファクターでもあるんだ。
そして、嫌悪感はひそかな快感に繋がることも自覚してきている。
だから、自己嫌悪が完全になくなることが、ふたりにとって幸福なこととは一概には言えないの。
今回は、嫌悪感を僅かに残したままでプラスに作用させることができたように思う。
私を拘束していた自己嫌悪や罪悪感と『20%嫌悪』の足枷から解き放たれた時間。
私を、私が許す。
とても楽で、身軽で、嬉しくて、幸福な時間だった。
それにしても、『よかったね』はなかなかにくい手を使ってくるな〜と身内ながら感心してしまった^^
それくらい私には効果絶大でした^^;
過去エントリーでも書いているけど。
那智さんと知り合って抱かれるたびに徐々に快感を覚える私を、『80%満足して20%嫌悪する』と言われたことがある。
『羞恥心をなくさないで』という那智さんの無意識の予防線とも取れるのだけど、この言葉はとてもショックで、それからずーっと足枷となり、解放する障害となっていた。
(『満足と嫌い』『矛盾は嫌い』)
どんなに『80%満足が大きな満足か』と教えてもらっても、好きな人に嫌悪されるくらいならそんな大きな満足なんていらない。
まして、私は快感を優先させる女性を嫌悪しているんだよ、自分がそうなったら自己嫌悪するに決まってるじゃないですか。
だから、那智さんだけでもその私に嫌悪しちゃいけないの。
手放しで『快感を優先させるりん子が好き』と言ってくれないと、私はいつまでたっても、どこかでブレーキをかけ、その自分を嫌悪してしまうの。
こんなふうにずっと訴えていた。
いつからか、那智さんから『20%嫌悪』の空気が感じられなくなっていた。
本人に確認しても、そうらしい。
激しく抱き合ったあと、多分お互い『嫌悪しないか』『嫌悪していないと信じられるか』と心を見極めていた時期もあったと思う。
那智さんは『思った側』だから、早々にその見極めは終わったはずだ。
ある時期から、もっともっとと快感を優先させることを喜び育ててきた。
『思われた側』のダメージは大きく、僅かに確認する作業は続いた。
そして、たくさん感じて乱れてしまえばしまうほど、自己嫌悪することで『20%嫌悪』の代わりにしていたようだった。
『荷物を預けること』は覚えた。(『荷物を預けるということ>』)
快感を優先させてしまえるようになっている。
ただ、後でチクチクと自己嫌悪する。
そして、時々、乱れる自分を客観視してしまって、抱かれながら突然覚醒してしまうこともあった。
(『濃い3』)
それは『20%嫌悪する』と言っていた那智さんを無言のうちに責めているようでもあって、なんだかいい気分じゃなかった。(実際心の中で責めていたと思う)
「乗りたかったら乗りな」
フェラチオをしているとよく那智さんは言う。
この場合はね^^一回抱かれた後で、もう一回射精しようとフェラチオをさせている時に多い。
自分はどちらでもいいけれど、りん子がもう少し感じたいなら乗ってもいいよという意味。
特にね、次会えるのが不確定な時などによく言うのだ。
体も心も寂しくならないように、という気持ちが大きいのだと思う。
(まあ、上で腰振る私を見る楽しみもあるでしょうけど^^;)
だけど、最初の頃はほとんど乗らなかった。
いまでも、基本的に乗らない。
いま乗らないと、寂しくなりそうと思う時だけ、乗るのだけど、すごーく勇気がいるのはかわらない。
「乗りたかったら、乗っていいよ」
また言われた。
仕事でいろんな地方に行ったり来たり。
北へ行き、ちょい東に移動して、一度拠点のビジネスホテルに戻って、また西へ。
出張はよくあるけど、そういう種類の仕事が年に1回ほどあるのだ。
そんな合間、拠点のビジネスホテルの狭い部屋での2時間足らずのデートのときだった。
一度いろいろ(?)抱かれたあとで、フェラチオをしながら『乗ってもいいよ』と聞かれたのだ。
くわえながら首を横に振る。
ほんとは、もっと欲しかったし、いま那智さん立て込んでいて次会える予定も立っていないから、もう一度抱いてもらったほうが穏やかに過ごせる予感はしていたのだけど、やっぱり自分から騎乗位というのは、ためらう。
(欲情すると穏やかでいられないこと『ファーストプライオリティ123』『実験結果』などなど長いですけど、お楽しみください^^)
「じゃあ、乗りなさい」
こういうとき、命令して背中を押してくれる。
普段命令をしない那智さん、『私の幸せ』に繋がるようにそういう時に発動してくれるのだ。
乗りたいと思って乗れずにいたのを促してもらった嬉しさと照れ臭さで、那智さんと目を合わすことができない。
恥ずかしがりながら、上に乗る。
ああ、那智さんのおちんちんが気持ちいい。
あっという間に恥ずかしさを吹き飛ばすような気持ちよさが来る。
自分の意志とは関係なく腰を揺らす。
何もかも恥ずかしくて、首を横に振る。
前後に揺れる腰。
左右に振れる首。
恥ずかしさや嫌悪感が、更なる快感を呼び寄せそうになったとき。
視界に鏡が映った。
ああ、なんでいままで気づかなかったんだろう。
ビジネスホテルの狭いシングル。
ベッドのすぐ横にドレッサーを兼ねたデスクがある。
そこに大きな鏡が取付けられていたのだ。
一瞬、鏡の中に女性の姿も見えた。
気づくまではなんでもなかったのに。
そこに自分の姿が映っていると知った途端に、急速に醒めていった。
「いやー、那智さん、鏡がありました!!」
そういって仰向けになっている那智さん肩に顔をうずめる。
一気にシラフに戻ってしまったのはほんとうだ。
だけど、別の感情にも気づいているの。
それは。
その『わたし』を見たい。
という衝動。
いやらしく腰を振るはしたない『りん子』を見てみたい。
ものすごい自己嫌悪に襲われるのは、確実だ。
だけど、その嫌悪感さえも、快感になってしまいそうだ。
この別の感情は100人中2人くらいの少数の私。
多分、私の中の98人が、その2人をねじ伏せたんだ。
だから、余計に覚醒させた部分もある。
男の人の上に乗って腰を振る私もいや。
それを見たいと思ってしまう私もいや。
20%嫌悪されるような私を、私が嫌悪する。
瞬時にそんな分析ができるはずはなく、ただただ自分の姿に嫌悪してどんどん気持ちが醒めていく。
「那智さん、醒めちゃいました」
顔をうずめて訴える。
フェラチオに戻ろうとしたら。
「続けて。鏡を見てごらん。」
「いやです。」
「見なさい。」
ああ、命令。
見せることで羞恥心を煽るのだろうか。
なんだか、それは醒める一方な気がする。
この羞恥プレイは私の幸福に繋がるのだろうか。
だからこその命令?
ノロノロと上体を起こす。
「よかったねって。」
え?
何を言っているの?
目を見て問いかける。
「鏡を見て、よかったねって言ってみな。」
「わたし…に?」
「そう。」
いやだ、恥ずかしい。
鏡を見て自分に声をかけるの?
見るだけでも恥ずかしいのに、もっと恥ずかしいことを。
できないと首を振る。
「ううん、言ってみな、よかったねって。」
頭を上げ、おそるおそる顔を横に向ける。
裸の私がいる。
うつむき加減の私の目を一瞬だけ見て。
「よかったね。」
ああ、恥ずかしいよぉ。
おまんこに那智さんのおちんちんんを感じる。
きゅんとなる。
腰が2,3度がくんと揺れる。
恥ずかしい!!
また、那智さんの胸に顔をうずめる。
「起きて、もう一回。よかったねって。」
チラッと鏡を見て
「…よかったね。」
ああ、また腰が揺れる。
下から乳首を潰される。
気持ちいい。
「ほら、よかったねって。」
もう一度鏡に映る私を見つける。
今度はさっきよりしっかりと。
頬、ううん、顔全体が紅潮して桃色に染まり、汗をかいてくしゃくしゃの髪が張り付き、目尻が下がった、とてもとても幸せそうな私がいる。
その私の目を見て、言う。
「よかったね。」
満面の笑み。
幸福と快感は連動しているのか。
それとも、快感に溢れた女の表情に興奮したのか。
「よかったね」というたびに、腰が動き、さらに気持ちよくなって、また激しく腰が揺れる。
そのいやらしく動く腰を見て、もっと興奮する。
そこはかとなく残る嫌悪感も、心地よい快感へ変換している。
はしたない幸福な私を眺めながら、私は私を許した。
那智さんはずっと前から、許してくれていたんだ。
私が、許せなかった。
「よかったね」と促してもらって、はじめて許せた。
私が、私を許すためのおまじないが『よかったね』だったのだ。
まだ上手にまとまっていないから書いていないけど、ふたりにとって『りん子の自己嫌悪』というのは、実は大事なファクターでもあるんだ。
そして、嫌悪感はひそかな快感に繋がることも自覚してきている。
だから、自己嫌悪が完全になくなることが、ふたりにとって幸福なこととは一概には言えないの。
今回は、嫌悪感を僅かに残したままでプラスに作用させることができたように思う。
私を拘束していた自己嫌悪や罪悪感と『20%嫌悪』の足枷から解き放たれた時間。
私を、私が許す。
とても楽で、身軽で、嬉しくて、幸福な時間だった。
それにしても、『よかったね』はなかなかにくい手を使ってくるな〜と身内ながら感心してしまった^^
それくらい私には効果絶大でした^^;