常套句
りん子的独り言(生意気)
わたしがSMをしたいと思い旅をしていた頃、いまから20年ほど前の出会いのツールはまだ電話が主流だった。
後半には徐々にネットも出はじめてはいたけれど、わたしは那智さんに出会うまでは携帯を持っていなかったから最後までネットでの出会いというものを経験せずに至っている。
ネットの出会いを知らないから実際はどうかわからないけど、おそらく文字より直接いきなり『もしもし』と肉声で会話をはじめるほうがハードルは高いのではないかと思う。
ただ声の感じとか口調でなんとなく人柄を感じやすいと思うので、その部分では文字よりの安心感はあったかな。
どちらも良い点と悪い点があると思うので、それを理解しつつ上手に付き合っていけばいいと思います。
そこで今日は依存気味に電話しまくっていたわたしが会得した常套句を披露(笑)
『まとも』なS男性はいきなり命令とかしないし(してきたらその時点でアウト、もしくは完全『ごっこ』で付き合えればいいけどね←わたしは付き合う気なしだけど)紳士的な態度で接してくれるので多くは特に会話のはじめのほうで「どんなことをされたいですか?」とこちらの願望を聞いてくれる。
そのときに
わたし自身憧れる行為はありますが、もっと根本的な希望として『あなたのしたいことをわたしで叶えてほしい』と思っています。
という。
これをいうとほとんどのS男性はカンゲキして『M女の鏡』とか『ダイヤの原石』とか『すばらしい資質』などなど賞賛の言葉をくれる。
これは、もしかしたらいまほど『ご主人様と奴隷』のような女性が尽くす関係性が確立できていなかったからかもしれない。
いま(知らないけど)は、『ご主人様と奴隷』や主従と、最近は『従者』などのSMとは別のカテゴリができているので、あのようなセリフを吐いても、「M(=奴隷)なんだから、そんなの当たり前」って人も多くてカンゲキされないかも^^
で、カンゲキしているS男性に、もう一声かけるのだ。
だって、Sの方はこちらをいじめたいのですよね?
ということは、こちらの反応を見ながらしてくださるはずだから、いじめられたいわたしも結果的喜べると思うんです。
と、SM行為の矛盾を披露して、『そうしてくれますよね?』と暗黙のうちに釘を刺していた。
やはり、まだ当時はSMが主流、奴隷や従者や服従は二次的な副産物だったので『M(=奴隷)に快楽はない』なんて言い出す人はおらず、S男性は「その通り、女性が喜んでくれないと」という論調になっていくのだ。
ということで、この常套句はいまのSM系の出会いの中で『奴隷』的なカテゴリではウケないかもしれないね^^;
もうひとつは
ときどき、こちらがためらうようなことを要求してくる人もいるので、そのときに使う言葉。
たとえば、すぐに『電話番号交換しよう』と言われたりする。
いまみたいに携帯もフリーメールもない自宅の固定電話しかない状態なのだ、さすがに困る。
まあ、いきなりそんなことを言い出す人はその段階でNOなんだけど、中にはずいぶん話しをしてそろそろ普通の電話料金で話したいと男性も思うのだろう(サクラを回避する意味もあるかな)、比較的まともそうな人で電話番号を教えてくれる人がいるのだけど、そういうときに『代わりに教えて』という人もいるのだ。
俺が信用できない?
まあ、さっき電話で繋がった見知らぬ男性なんて、本当は信用できなくて当たり前なんだけど。
こういう場合、互いに良好な雰囲気を保っていたいと思うので、特に断るのが苦手なわたし的女性は少し困る。
それに『SMは信頼』なんて流布さえているから疑うことは悪いことという勘違いも起こるのだ。
そういうときは
あなたのことは疑っていないけど、こういう出会い方のシステムを疑っているので、いまはできません。
といっていたな〜。
これをいうと、やはり男性は反論できず無理強いしてこなくなったものです。
これは、いまでも使える?
使えそうなら使ってくださいませ(笑)
ところで、那智さんもわたしと同じく電話の出会いしか経験されていないのですが、やはり那智さんにも常套句があったそうです。
常套句というか、相手を見極めるリトマス試験紙的質問がいくつか^^
これもいつかエントリーできたら楽しそうですね^^
ということで、今は亡き、電話の出会い系の思い出話^^
<関連エントリー>
電話の出会い系の思い出
『思い出話』
『思い出話(声は重要♪)』
『思い出話(ああ、勘違い)』
『思い出話(わがままM女)』
「等式」感想です。この手のエントリーは言いたいことがありすぎて、とてもこのスペースには入りません。いつか、りん子のエントリーを通じ披露出来ればと思いますので宜しくお願いします。単純にひとこと言えば、昔はSM関係の出会いは大変だった。(笑)
わたしがSMをしたいと思い旅をしていた頃、いまから20年ほど前の出会いのツールはまだ電話が主流だった。
後半には徐々にネットも出はじめてはいたけれど、わたしは那智さんに出会うまでは携帯を持っていなかったから最後までネットでの出会いというものを経験せずに至っている。
ネットの出会いを知らないから実際はどうかわからないけど、おそらく文字より直接いきなり『もしもし』と肉声で会話をはじめるほうがハードルは高いのではないかと思う。
ただ声の感じとか口調でなんとなく人柄を感じやすいと思うので、その部分では文字よりの安心感はあったかな。
どちらも良い点と悪い点があると思うので、それを理解しつつ上手に付き合っていけばいいと思います。
そこで今日は依存気味に電話しまくっていたわたしが会得した常套句を披露(笑)
『まとも』なS男性はいきなり命令とかしないし(してきたらその時点でアウト、もしくは完全『ごっこ』で付き合えればいいけどね←わたしは付き合う気なしだけど)紳士的な態度で接してくれるので多くは特に会話のはじめのほうで「どんなことをされたいですか?」とこちらの願望を聞いてくれる。
そのときに
わたし自身憧れる行為はありますが、もっと根本的な希望として『あなたのしたいことをわたしで叶えてほしい』と思っています。
という。
これをいうとほとんどのS男性はカンゲキして『M女の鏡』とか『ダイヤの原石』とか『すばらしい資質』などなど賞賛の言葉をくれる。
これは、もしかしたらいまほど『ご主人様と奴隷』のような女性が尽くす関係性が確立できていなかったからかもしれない。
いま(知らないけど)は、『ご主人様と奴隷』や主従と、最近は『従者』などのSMとは別のカテゴリができているので、あのようなセリフを吐いても、「M(=奴隷)なんだから、そんなの当たり前」って人も多くてカンゲキされないかも^^
で、カンゲキしているS男性に、もう一声かけるのだ。
だって、Sの方はこちらをいじめたいのですよね?
ということは、こちらの反応を見ながらしてくださるはずだから、いじめられたいわたしも結果的喜べると思うんです。
と、SM行為の矛盾を披露して、『そうしてくれますよね?』と暗黙のうちに釘を刺していた。
やはり、まだ当時はSMが主流、奴隷や従者や服従は二次的な副産物だったので『M(=奴隷)に快楽はない』なんて言い出す人はおらず、S男性は「その通り、女性が喜んでくれないと」という論調になっていくのだ。
ということで、この常套句はいまのSM系の出会いの中で『奴隷』的なカテゴリではウケないかもしれないね^^;
もうひとつは
ときどき、こちらがためらうようなことを要求してくる人もいるので、そのときに使う言葉。
たとえば、すぐに『電話番号交換しよう』と言われたりする。
いまみたいに携帯もフリーメールもない自宅の固定電話しかない状態なのだ、さすがに困る。
まあ、いきなりそんなことを言い出す人はその段階でNOなんだけど、中にはずいぶん話しをしてそろそろ普通の電話料金で話したいと男性も思うのだろう(サクラを回避する意味もあるかな)、比較的まともそうな人で電話番号を教えてくれる人がいるのだけど、そういうときに『代わりに教えて』という人もいるのだ。
俺が信用できない?
まあ、さっき電話で繋がった見知らぬ男性なんて、本当は信用できなくて当たり前なんだけど。
こういう場合、互いに良好な雰囲気を保っていたいと思うので、特に断るのが苦手なわたし的女性は少し困る。
それに『SMは信頼』なんて流布さえているから疑うことは悪いことという勘違いも起こるのだ。
そういうときは
あなたのことは疑っていないけど、こういう出会い方のシステムを疑っているので、いまはできません。
といっていたな〜。
これをいうと、やはり男性は反論できず無理強いしてこなくなったものです。
これは、いまでも使える?
使えそうなら使ってくださいませ(笑)
ところで、那智さんもわたしと同じく電話の出会いしか経験されていないのですが、やはり那智さんにも常套句があったそうです。
常套句というか、相手を見極めるリトマス試験紙的質問がいくつか^^
これもいつかエントリーできたら楽しそうですね^^
ということで、今は亡き、電話の出会い系の思い出話^^
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電話の出会い系の思い出
『思い出話』
『思い出話(声は重要♪)』
『思い出話(ああ、勘違い)』
『思い出話(わがままM女)』
「等式」感想です。この手のエントリーは言いたいことがありすぎて、とてもこのスペースには入りません。いつか、りん子のエントリーを通じ披露出来ればと思いますので宜しくお願いします。単純にひとこと言えば、昔はSM関係の出会いは大変だった。(笑)
タイミング(Twitterより追記あり)
りん子的独り言(生意気)
誰に頼まれたわけでもないのに。
むしろ大きなお世話だったりするかもしれないのに。
どうして書きたくなってしまうんだろう。
それはきっと、勝手に自分に置き換えてしまうからだ。
わたしが感じる危険性は誰もがみんな感じるものではないようだし、どちらかと言えば少数意見のようだけど、かつてのわたしの傷が疼いてしまうのだ。
那智さんは、100%幸せなんて、そんなになくて幸せと辛いがいろいろな割合で同居しているものだから、一概に『それは不幸』とは言えないとおっしゃる。
たしかにその通りなんだけど、どうやらわたしはその何%かのある分野の『辛い』を見て(見えて)しまうようなのです。
もしかしたら、概ね幸福なのかもしれないけど、ある分野の『辛い』が見えてしまうとそこばかりが危険信号になって焦ってしまうようなのです。
できることなら見ず知らずの『その人(たち)』の手を強く握り「そっち行っちゃダメ!!」とぐいとこちらに引きよせたい。
でも、これはわたしだけの感覚かもしれないのでそれこそ大きなお世話だから、ここに書くのだ。
わたしはわたしのために書いている。
もしある分野の『辛い』が当てはまる人がいたら、いつか目に止まってくれますようにと願いながら。
モカがおしまいになった後、一時期、わたしはいろんな方法で『那智さんのもの』であると感じたがった。
可愛い首輪を欲しがったり、本当の子供のようにしてみたり。
中でも顕著に表れたのは刺青だ。
もともといつか那智さんの名前かイニシャルを入れたいとふたりとも思っていたのだけど、おそらくこの一時だけはわたしのほうが積極的だった。
とはいえ頻繁に話題に出すわけではないのだけど、心の中で何度も何度も考えている自分がいた。
想像の中で入れるのは性器だ。
きっとすごく痛い。
泣きながら那智さんの手を握り顔を胸にうずめ彫り師に股を広げる。
片手は手、もう片方は抱きしめるように那智さんはわたしに寄り添う。
想像だけでも痛そうでゾッとするのだけど、痛い思いをして体を捧げる行為にどこか甘美な蜜を感じていた。
こんな想像は別にあの時期だけのものではなくいまでも同じようにあるのだけど、あのときのそれは明らかに違っていた。
わたしは焦っていたのだ。
なんとか那智さんを自分だけのものにしたくて。
刺青を入れるという大それたことをして忠誠を誓うふりをして那智さんの同情を買い、取り返しのつかない体にすることで責任を取ってもらおうとしていたのだ。
とにかく那智さんにすがっていたかった、すがるという方法で密着しようとしていたのだ。
それを証拠にとても焦燥感に駆られた想像だったのだ。
それを証拠にいまでも刺青への思いはあるけれど、いまは「痛そうで…」という及び腰感満載だ(笑)
わたしはブログの情報しか知らないし、個別の事例ではなくいろいろ見たものを総合して言っているので多少脚色はお許しください。
奴隷さんがピアスを開けたり刺青を入れたりすることはご主人様が主導することが多いのかな?
その中で奴隷さんが率先して行動を起こす場合、たまたま目にしただけかもしれないし、そういう目で見てしまっただけかもしれないけど、『タイミング』があるような気がするのだ。
たとえば、ご主人様との付き合いにおいて悩んでいたことをブログに吐き出した後にそれを見たご主人様から叱られて、その後。
たとえば、ご主人様の機嫌をそこねて捨てられそうになり、最終的にそれを回避できた、その後。
たとえば、ご主人様の施す調教が厳しいもので上手に従えなかったり、後日不安定になってしまったりしてご主人様にぐずぐずして放置されたりして、その後。
そういうタイミングのときに自ら積極にピアスや刺青を入れる話しを進めようとする(ように感じる)。
そういうのを見ると、わたしはあのときの焦燥感を思い出して、とても危険だと思ってしまうのだ。
ご主人様が興味を示しそうなことをしてすがろうしていないだろうか。
大変な思いをすることで、ご主人様が離れていかないようにしようとしていないだろうか。
あのときのわたしのように、取り返しのつかない体になることで責任を取ってもらおうとしていないだろうか。
ピアスや刺青などの行為自体は否定しない。
でも、傷をつける方法でつなぎ止めようとする行為は、結局本当の意味の安心は得られずに次もまた次もと際限なくなる危険性がある。
これは、ご主人様への好きの表れではなく、どんどん『執着』を増やすだけだと思う。
『執着』のために大事な体を傷つけているといつか自分もご主人様も憎んでしまいそうだ。
ご主人様との幸福のためにピアスや刺青を入れることはまったく否定しない。
わたしだって思い描くもの^^
ただ、なぜその『タイミング』で開けようと思うのか、今一度立ち止まり心に触れてみてほしい。
もしかしたら、本当はご主人様との間に安心がほしいだけだったりしたら、それはピアスを開けることでは叶わない、刺青を入れても不安は消えない。
心の動きの本質を見極めて、根本解決することがあなたとご主人様がこれからも幸福に付き合える唯一の方法だと思うのです。
不安定の後の自傷行為は、不安の根本解決をしてからがいい。
ここから先は『140字もどき』な毒です。
まったくご主人様という人種は女を泣かせる男が多い。
不安故に体に傷を入れるような原因を作るな。
もし仮に、女を奴隷やペットなんていうならば、有無を言わさず彫り師のところへ連れて行け。
それが怖くてできないなら、奴隷とかペットなんて耳障りのいい言葉で(わたしのような)女の目を眩ますな。
ということで、わたしような立場のものは上の立場の決定に従うだけなので、上の方が全部責任を追ってお膳立てしてくださるまで待っていたらいいのではないでしょうか。
きっと、それが最良のタイミングです^^
だって、ペットは自分で病院探して自分で出向いて、支払いして、去勢手術しないもんね(笑)
<関連エントリー>
いろいろ
『執着』
『小さな復讐』
こんな気持ちで書いてます
『りん子的独り言って』
『かつてのわたしに』
『祈るような気持ちで』
ピアスとか刺青とか
『消えない印』
『刺青』
『肉体改造』
『薬指に刺青』
『『絶対服従』のまやかしと『尊重』という逃げ』
「等式」感想です。残念ながら私の感覚でしか考えられなくなっているのですが、ピアスや刺青は少なくとも過程はどうあれ最終的(施す前)にはお互いが喜んで行なうから素敵なものに、なるのではないでしょうか。自分が素敵なものと思わないのに関係性の維持や命令等で行なわれるのは悲しいと思います。
あの~。一般論を振りかざして恥ずかしすぎるので追記します。りん子が日頃よそ様のブログ等を見て憤りを感じて感想を私に話すので、普通で無いのか私にとっての普通になり、あのようなふつ~の一般論、正論を恥ずかしげも無く堂々とツイートしてしまいました。ここに謹んでお詫び申し上げます。(笑)
りん子(^-^)いつもわたしが憤ってはがりですから、当たり前が当たり前に感じられなくなってしまうのも理解します(笑)正論振りかざしてしまって照れちゃう那智さん、滅多に見られない貴重なツイートですよー、皆さん(笑)
りん子(^-^)ポイントはこちら側が望むという形を取っている、ことです。 エントリーの追記スタート(笑)
『ご主人様と奴隷』や『飼い主とペット』のような名前と曖昧な関係性の中で、わたしのような女は依存先の意思に沿うことが生きる術になってしまい、何が自分の気持ちで、どれが本当に望んでいるものかわからなくなります。
そんな中で行う自傷行為(ピアスや刺青を自傷行為というかは置いといて)を自ら望み行動を起こそうとするとき、なぜこのタイミングなのか、なぜそう思ったか、根本の気持ちを探って欲しい。不安なことがあったから、不安から逃れるためと気づいたら、いまはそのタイミングじゃない。
不安の原因になる出来事の前には行動しなかったとしたら、不安の原因が解消してから行動を起こしても、遅くはない。不安ゆえの自傷行為は更なる不安を招き、お相手との関係を歪ませることになりそうだと思うのです。
誰に頼まれたわけでもないのに。
むしろ大きなお世話だったりするかもしれないのに。
どうして書きたくなってしまうんだろう。
それはきっと、勝手に自分に置き換えてしまうからだ。
わたしが感じる危険性は誰もがみんな感じるものではないようだし、どちらかと言えば少数意見のようだけど、かつてのわたしの傷が疼いてしまうのだ。
那智さんは、100%幸せなんて、そんなになくて幸せと辛いがいろいろな割合で同居しているものだから、一概に『それは不幸』とは言えないとおっしゃる。
たしかにその通りなんだけど、どうやらわたしはその何%かのある分野の『辛い』を見て(見えて)しまうようなのです。
もしかしたら、概ね幸福なのかもしれないけど、ある分野の『辛い』が見えてしまうとそこばかりが危険信号になって焦ってしまうようなのです。
できることなら見ず知らずの『その人(たち)』の手を強く握り「そっち行っちゃダメ!!」とぐいとこちらに引きよせたい。
でも、これはわたしだけの感覚かもしれないのでそれこそ大きなお世話だから、ここに書くのだ。
わたしはわたしのために書いている。
もしある分野の『辛い』が当てはまる人がいたら、いつか目に止まってくれますようにと願いながら。
モカがおしまいになった後、一時期、わたしはいろんな方法で『那智さんのもの』であると感じたがった。
可愛い首輪を欲しがったり、本当の子供のようにしてみたり。
中でも顕著に表れたのは刺青だ。
もともといつか那智さんの名前かイニシャルを入れたいとふたりとも思っていたのだけど、おそらくこの一時だけはわたしのほうが積極的だった。
とはいえ頻繁に話題に出すわけではないのだけど、心の中で何度も何度も考えている自分がいた。
想像の中で入れるのは性器だ。
きっとすごく痛い。
泣きながら那智さんの手を握り顔を胸にうずめ彫り師に股を広げる。
片手は手、もう片方は抱きしめるように那智さんはわたしに寄り添う。
想像だけでも痛そうでゾッとするのだけど、痛い思いをして体を捧げる行為にどこか甘美な蜜を感じていた。
こんな想像は別にあの時期だけのものではなくいまでも同じようにあるのだけど、あのときのそれは明らかに違っていた。
わたしは焦っていたのだ。
なんとか那智さんを自分だけのものにしたくて。
刺青を入れるという大それたことをして忠誠を誓うふりをして那智さんの同情を買い、取り返しのつかない体にすることで責任を取ってもらおうとしていたのだ。
とにかく那智さんにすがっていたかった、すがるという方法で密着しようとしていたのだ。
それを証拠にとても焦燥感に駆られた想像だったのだ。
それを証拠にいまでも刺青への思いはあるけれど、いまは「痛そうで…」という及び腰感満載だ(笑)
わたしはブログの情報しか知らないし、個別の事例ではなくいろいろ見たものを総合して言っているので多少脚色はお許しください。
奴隷さんがピアスを開けたり刺青を入れたりすることはご主人様が主導することが多いのかな?
その中で奴隷さんが率先して行動を起こす場合、たまたま目にしただけかもしれないし、そういう目で見てしまっただけかもしれないけど、『タイミング』があるような気がするのだ。
たとえば、ご主人様との付き合いにおいて悩んでいたことをブログに吐き出した後にそれを見たご主人様から叱られて、その後。
たとえば、ご主人様の機嫌をそこねて捨てられそうになり、最終的にそれを回避できた、その後。
たとえば、ご主人様の施す調教が厳しいもので上手に従えなかったり、後日不安定になってしまったりしてご主人様にぐずぐずして放置されたりして、その後。
そういうタイミングのときに自ら積極にピアスや刺青を入れる話しを進めようとする(ように感じる)。
そういうのを見ると、わたしはあのときの焦燥感を思い出して、とても危険だと思ってしまうのだ。
ご主人様が興味を示しそうなことをしてすがろうしていないだろうか。
大変な思いをすることで、ご主人様が離れていかないようにしようとしていないだろうか。
あのときのわたしのように、取り返しのつかない体になることで責任を取ってもらおうとしていないだろうか。
ピアスや刺青などの行為自体は否定しない。
でも、傷をつける方法でつなぎ止めようとする行為は、結局本当の意味の安心は得られずに次もまた次もと際限なくなる危険性がある。
これは、ご主人様への好きの表れではなく、どんどん『執着』を増やすだけだと思う。
『執着』のために大事な体を傷つけているといつか自分もご主人様も憎んでしまいそうだ。
ご主人様との幸福のためにピアスや刺青を入れることはまったく否定しない。
わたしだって思い描くもの^^
ただ、なぜその『タイミング』で開けようと思うのか、今一度立ち止まり心に触れてみてほしい。
もしかしたら、本当はご主人様との間に安心がほしいだけだったりしたら、それはピアスを開けることでは叶わない、刺青を入れても不安は消えない。
心の動きの本質を見極めて、根本解決することがあなたとご主人様がこれからも幸福に付き合える唯一の方法だと思うのです。
不安定の後の自傷行為は、不安の根本解決をしてからがいい。
ここから先は『140字もどき』な毒です。
まったくご主人様という人種は女を泣かせる男が多い。
不安故に体に傷を入れるような原因を作るな。
もし仮に、女を奴隷やペットなんていうならば、有無を言わさず彫り師のところへ連れて行け。
それが怖くてできないなら、奴隷とかペットなんて耳障りのいい言葉で(わたしのような)女の目を眩ますな。
ということで、わたしような立場のものは上の立場の決定に従うだけなので、上の方が全部責任を追ってお膳立てしてくださるまで待っていたらいいのではないでしょうか。
きっと、それが最良のタイミングです^^
だって、ペットは自分で病院探して自分で出向いて、支払いして、去勢手術しないもんね(笑)
<関連エントリー>
いろいろ
『執着』
『小さな復讐』
こんな気持ちで書いてます
『りん子的独り言って』
『かつてのわたしに』
『祈るような気持ちで』
ピアスとか刺青とか
『消えない印』
『刺青』
『肉体改造』
『薬指に刺青』
『『絶対服従』のまやかしと『尊重』という逃げ』
「等式」感想です。残念ながら私の感覚でしか考えられなくなっているのですが、ピアスや刺青は少なくとも過程はどうあれ最終的(施す前)にはお互いが喜んで行なうから素敵なものに、なるのではないでしょうか。自分が素敵なものと思わないのに関係性の維持や命令等で行なわれるのは悲しいと思います。
あの~。一般論を振りかざして恥ずかしすぎるので追記します。りん子が日頃よそ様のブログ等を見て憤りを感じて感想を私に話すので、普通で無いのか私にとっての普通になり、あのようなふつ~の一般論、正論を恥ずかしげも無く堂々とツイートしてしまいました。ここに謹んでお詫び申し上げます。(笑)
りん子(^-^)いつもわたしが憤ってはがりですから、当たり前が当たり前に感じられなくなってしまうのも理解します(笑)正論振りかざしてしまって照れちゃう那智さん、滅多に見られない貴重なツイートですよー、皆さん(笑)
りん子(^-^)ポイントはこちら側が望むという形を取っている、ことです。 エントリーの追記スタート(笑)
『ご主人様と奴隷』や『飼い主とペット』のような名前と曖昧な関係性の中で、わたしのような女は依存先の意思に沿うことが生きる術になってしまい、何が自分の気持ちで、どれが本当に望んでいるものかわからなくなります。
そんな中で行う自傷行為(ピアスや刺青を自傷行為というかは置いといて)を自ら望み行動を起こそうとするとき、なぜこのタイミングなのか、なぜそう思ったか、根本の気持ちを探って欲しい。不安なことがあったから、不安から逃れるためと気づいたら、いまはそのタイミングじゃない。
不安の原因になる出来事の前には行動しなかったとしたら、不安の原因が解消してから行動を起こしても、遅くはない。不安ゆえの自傷行為は更なる不安を招き、お相手との関係を歪ませることになりそうだと思うのです。
上回る快感1
非日常的な日常
SMの快感は拒否を快感が上回ること。
わたしたちがしていることがSM行為かどうかはひとまず置いといて(笑)
那智さんがわたしにする痛いことや恥ずかしいことや排泄関係のマイナス要素よりプラス要素が上回り、求めてしまう瞬間はSMの快感の至福だと思う。
ブレーキをぎゅーっと踏んでいる足をパーンを足蹴にされる、この瞬間。
足蹴にしたのが那智さんか、わたし自身なのか、それともふたりなのか、その時々で違うかもしれないし、すでにその境もわからなくなっているほどだけど、その瞬間はたまらない。
一度その快感を知ってしまい、そのりん子が好きと歓迎されると、もう一度ブレーキを踏み込むことがむずかしい。
最近その傾向がとても強く、それはセックスで大きな快感を得て自分を許し放出させる快感と相乗効果で増している気がする。
今日は那智さんと紅葉を見に庭園に。
途中駅で合流して乗り換えて、そこからさらにバスで移動する。
合流したときから、もう『はふはふ』。
那智さんに会えたよろこびと触れたいという気持ちで『はふはふ』。
好きとか会えてうれしいという気持ちや好きな人に触れたいという欲求は、じつは性的欲情とかなり密接につながっている。
とくに那智さんとの付き合いに於いて、その境い目は日増しに曖昧になっている。
だから、たぶん、会えてうれしい『はふはふ』で、わたしはきっと濡れているはずだ。
改札から地上に上がるエスカレーター。
那智さんを見上げる順番で乗る。
体を開いてこちらを見下ろしている那智さんの腕のあたりをうれしいうれしいと『はふはふ』状態で両手ですりすり、足下にまとわりつくわんこだ。
見下ろしている那智さんの視界には人がいなかったのだろう、楽しそうな表情を浮かべて胸元に手を差し込んできた。
簡単に乳首を捉える。
よろこびの『はふはふ』に性的な欲情が含まれていたことをすぐ襲ってきた気持ちよさで知る。
会えてうれしい、触れられてうれしい、体が気持ちいいの境い目が曖昧。
とにかくうれしくて、うれしくて、触ってもらうことしか頭になくなっていた。
上から人来てる?
エスカレーター上から来る人のことを気にしていなかったから、気づいて聞いてきた。
ううん、もしかしたら、あまりにわたしが無防備だったから警戒したのかもしれない。
慌てて上を見ると、ちょうど人とすれ違う手前だったので、慌てて「います」と伝え、那智さんは手を引いた。
そういえば那智さんが手を伸ばしたときに肩越しにエスカレーターから降りてくる影が視界に入った記憶が蘇る。
でも、わたし、うれしくて、それどころじゃなくて、その影を見たけど脳にまで伝達していなかったのだ。
日頃、那智さんとは違う視点で、だけど、同じくらい周囲を意識しているわたしだったはずなのに、このときは、人の目や羞恥心より那智さんに触れるよろこびと触ってもらうよろこびのほうが上回ってしまって、意識できなくなっていたのだ。
本当に本当に日頃は周囲を気にしすぎるほどのわたしが見えていなかったことが、那智さんはとてもうれしかったらしく、地上に上がってから
あれだけ気にするりん子が人目を気にしなくなる瞬間があったってことは、それだけそのことに没頭したってこと
これはすごいことだよ、りん子
感慨深げにいう。
人影を知っていながら無視できることと、人の存在をまったく意識できなかったことと、今回は後者なのだけど、とにかくそうなってしまったことが自分でも驚き。
ああ、どうしましょう、那智さん、わたし、そんなんなっちゃいました?
いいんじゃない
そのぶん、俺が気にすればいいだけのことだから
那智さん、お仕事がまた増えちゃったなと思いつつ、ブレーキを踏み込む力に反して簡単に足蹴にされてしまう快感にぐいぐいと惹かれてしまって、困惑する。
先日、別の話で那智さんが『言葉にするとそのようになりやすい』というようなことを言っていた。
至極まっとうなことで、人は漠然としたことを言語化すると、それが真実のような気持ちになりやすい。
真実だと思うと、自然とそちらに傾いていってしまうものだ。
しかも、それが気持ちいいことならなおさら。
バスに揺られながら、先日のその話題がもう一度出た。
こうやってわたしの変化を那智さんに指摘されると、よりわたし自身もそこを意識してしまいますね
そういうもんだ(笑)
しかも、それを良しとしてくれているのですから、よけいにそうなってしまいます
そうだね、俺はそうしたかったからうれしいよ
これからは俺が前も後ろも確認すればいい
エスカレーターで遊んだ数秒間のこと。
いままでも『わんこ』のときや【下着で歩いた】ときのように極限状態では人目を気にする余裕がなくなってしまったことはあったけど、たった数秒間、那智さんに触れられただけで、その喜びが何よりも勝ってしまったのははじめてだ。
そして、その快感を実感して、互いに認め言葉にしてしまった。
この事実は、ふたりにとって大きな出来事。
とても大きな数秒だった。
<関連エントリー>
下着で歩く
『コートの下6 7』
「等式」感想です。今日のエントリーはかなり重要なで、りん子も「ふたりにとって大きな出来事」としている。他人の目や社会道徳をとても気にするりん子がそれよりも自分の快感を優先したのは理性が飛ぶほどHになった証拠。この精神状態が常時継続するようにお稽古させたいと思います。(笑)
SMの快感は拒否を快感が上回ること。
わたしたちがしていることがSM行為かどうかはひとまず置いといて(笑)
那智さんがわたしにする痛いことや恥ずかしいことや排泄関係のマイナス要素よりプラス要素が上回り、求めてしまう瞬間はSMの快感の至福だと思う。
ブレーキをぎゅーっと踏んでいる足をパーンを足蹴にされる、この瞬間。
足蹴にしたのが那智さんか、わたし自身なのか、それともふたりなのか、その時々で違うかもしれないし、すでにその境もわからなくなっているほどだけど、その瞬間はたまらない。
一度その快感を知ってしまい、そのりん子が好きと歓迎されると、もう一度ブレーキを踏み込むことがむずかしい。
最近その傾向がとても強く、それはセックスで大きな快感を得て自分を許し放出させる快感と相乗効果で増している気がする。
今日は那智さんと紅葉を見に庭園に。
途中駅で合流して乗り換えて、そこからさらにバスで移動する。
合流したときから、もう『はふはふ』。
那智さんに会えたよろこびと触れたいという気持ちで『はふはふ』。
好きとか会えてうれしいという気持ちや好きな人に触れたいという欲求は、じつは性的欲情とかなり密接につながっている。
とくに那智さんとの付き合いに於いて、その境い目は日増しに曖昧になっている。
だから、たぶん、会えてうれしい『はふはふ』で、わたしはきっと濡れているはずだ。
改札から地上に上がるエスカレーター。
那智さんを見上げる順番で乗る。
体を開いてこちらを見下ろしている那智さんの腕のあたりをうれしいうれしいと『はふはふ』状態で両手ですりすり、足下にまとわりつくわんこだ。
見下ろしている那智さんの視界には人がいなかったのだろう、楽しそうな表情を浮かべて胸元に手を差し込んできた。
簡単に乳首を捉える。
よろこびの『はふはふ』に性的な欲情が含まれていたことをすぐ襲ってきた気持ちよさで知る。
会えてうれしい、触れられてうれしい、体が気持ちいいの境い目が曖昧。
とにかくうれしくて、うれしくて、触ってもらうことしか頭になくなっていた。
上から人来てる?
エスカレーター上から来る人のことを気にしていなかったから、気づいて聞いてきた。
ううん、もしかしたら、あまりにわたしが無防備だったから警戒したのかもしれない。
慌てて上を見ると、ちょうど人とすれ違う手前だったので、慌てて「います」と伝え、那智さんは手を引いた。
そういえば那智さんが手を伸ばしたときに肩越しにエスカレーターから降りてくる影が視界に入った記憶が蘇る。
でも、わたし、うれしくて、それどころじゃなくて、その影を見たけど脳にまで伝達していなかったのだ。
日頃、那智さんとは違う視点で、だけど、同じくらい周囲を意識しているわたしだったはずなのに、このときは、人の目や羞恥心より那智さんに触れるよろこびと触ってもらうよろこびのほうが上回ってしまって、意識できなくなっていたのだ。
本当に本当に日頃は周囲を気にしすぎるほどのわたしが見えていなかったことが、那智さんはとてもうれしかったらしく、地上に上がってから
あれだけ気にするりん子が人目を気にしなくなる瞬間があったってことは、それだけそのことに没頭したってこと
これはすごいことだよ、りん子
感慨深げにいう。
人影を知っていながら無視できることと、人の存在をまったく意識できなかったことと、今回は後者なのだけど、とにかくそうなってしまったことが自分でも驚き。
ああ、どうしましょう、那智さん、わたし、そんなんなっちゃいました?
いいんじゃない
そのぶん、俺が気にすればいいだけのことだから
那智さん、お仕事がまた増えちゃったなと思いつつ、ブレーキを踏み込む力に反して簡単に足蹴にされてしまう快感にぐいぐいと惹かれてしまって、困惑する。
先日、別の話で那智さんが『言葉にするとそのようになりやすい』というようなことを言っていた。
至極まっとうなことで、人は漠然としたことを言語化すると、それが真実のような気持ちになりやすい。
真実だと思うと、自然とそちらに傾いていってしまうものだ。
しかも、それが気持ちいいことならなおさら。
バスに揺られながら、先日のその話題がもう一度出た。
こうやってわたしの変化を那智さんに指摘されると、よりわたし自身もそこを意識してしまいますね
そういうもんだ(笑)
しかも、それを良しとしてくれているのですから、よけいにそうなってしまいます
そうだね、俺はそうしたかったからうれしいよ
これからは俺が前も後ろも確認すればいい
エスカレーターで遊んだ数秒間のこと。
いままでも『わんこ』のときや【下着で歩いた】ときのように極限状態では人目を気にする余裕がなくなってしまったことはあったけど、たった数秒間、那智さんに触れられただけで、その喜びが何よりも勝ってしまったのははじめてだ。
そして、その快感を実感して、互いに認め言葉にしてしまった。
この事実は、ふたりにとって大きな出来事。
とても大きな数秒だった。
<関連エントリー>
下着で歩く
『コートの下6 7』
「等式」感想です。今日のエントリーはかなり重要なで、りん子も「ふたりにとって大きな出来事」としている。他人の目や社会道徳をとても気にするりん子がそれよりも自分の快感を優先したのは理性が飛ぶほどHになった証拠。この精神状態が常時継続するようにお稽古させたいと思います。(笑)
上回る快感2
非日常的な日常
庭園には展望台がある。
それほど山奥というわけではないけれど、それでもすこし山道をのぼった先にある。
階段を上り広がった視界は遠くまで見渡せる。
そこにはひとり年配の男性いてカメラを手に遠くの景色を撮影していた。
特徴のある景色の感想をひと通り言い合い、那智さんが販売機で買ってくれたホットレモンをいただいて展望台を後にした。
いま来た道を引き返し、さっき上がってきたところが二股になっているので今度は下らずに尾根沿いにまっすぐ進む。
このわたしは前が全部ボタンのシャツワンピースを着ていた。
二股を過ぎたあたりで那智さんがそのワンピースのボタンを1つ2つ外して無理なく下半身に指が入るようにする。
遠慮なく分け入った指は簡単に下着の隙間をくぐりおまんこを触る。
たぶん、わたしは那智さんといると絶えず濡れているのだ、すぐに気持ちよくなり、すぐに指を受け入れてしまう。
気持ちいいを逃すまいと那智さんの肩にしがみつく。
山道の真ん中で、ガシガシと腕が動く音とわたしの小さな声。
わたしたちが向かおうとしている先から女性の団体の声。
那智さん、手を引いた。
わたしもすこし落ち着く。
腕を組み歩き出して、すれ違う。
女性たちは展望台のほうに向かった。
わたしたちはいま女性たちが来た道を進む。
すこし行くと突き当たりが小さな広場になっていて、いま来た道と直角の位置に下りの道がある。
その角のところが広場になっていて庭園を見下ろせるようになっていた。
中央に一段高くなって建造物がある。
庭園を見下ろせるように広場の端まで移動したところで、那智さんが首輪とリードを取り出した。
ああ、首輪にリードでここから下って紅葉狩りをしている人たちのいる庭園にいくのか。
さすがに庭園を散策しながら四つん這いはないと思うけど、リードを持って歩くくらいはする(お遊び気分になったら引いてダッシュする 笑)
瞬時に想像して心はためらうけど長年の拒否権なしが身に付いたからか、それとも首輪とリードの喜びを知っているからか、ほとんどためらいなく装着する那智さんの動きに従っていた。
そのまま下りの方向に歩き出すかと思いきや、中央の建造物に向かってリードを引いた。
数歩のことなので、二足方向でついていく。
那智さんが建造物を囲む石段に腰かけた。
一瞬、目で確認を取っただろうか、それともほとんど自然な動きだっただろうか、とにかく、互いにそこにわたしが四つん這いになることが当然だと思って、そう動いていた。
石段に腰かける那智さんの足の間に肩を差し込む。
おでこと眉間の境い目あたりを股の付け根に押し付ける。
頬骨には微かにスーツのズボンが当たっているはずだ。
背の高いわたしの下半身はしっかりと外に晒されているけれど、この肩から上、那智さんの足の間の世界がいまのわたしのすべて、あまりに幸せで、いろいろな気遣いを放り投げてしまいたい。
胸元に那智さんの手が入ってきて下着の中の乳首を触り出した。
ああ、もう、気持ちがいい。
いろいろな気遣いを放り出してしまいたいという欲望はあっという間に叶ってしまった。
ここに来るまでに体験し、言葉にした『拒否を快感が上回る』事実が、さらにブレーキを踏む足を掬う。
外に晒されている腰が快感に揺れる。
揺れる自分を許す。
そうするともっと快感が増えて、続く。
りん子、気持ちよくてうれしいね
…はい
写真を撮っていた男性やすれ違った女性たちが戻ってくるかもしれない。
手のひらを刺す砂利が痛い。
那智さんが触ってくれている胸が気持ちいい。
うっすら開いた視界の端に揺れる自分の下半身がある。
たぶん誰か来ても那智さんは続ける。
いろいろなことが頭をかすめる。
ああ、でも、外で腰を振ってしまえることがこんなにも気持ちいいなんて、那智さんに委ねきってしまえることがこんなにも幸福だなんて、わんこになれることが好きで好きでたまらない。
はい、いいよ
合図で立ち上がる。
人が来なくてホッとしながら、手と膝の砂利を払う。
たまらない高揚感。
わんこの快感と幸福。
那智さんは以前こんなことを言っていた。
「俺の勘なんだけど、『できない!!』の数がそれほど減らなくても、『したい』が100近くになれば、『したい』が『できない!!』を押しつぶしてしまうような気がするんだよね。『したい』がMAXになれば『できない!!』は無意味。」
(『必要なのは、慣らすこと?』)
このときのわんこはまさしくこの状態。
いまのわたしはわんこの快感と幸福があまりにも大きすぎて「わんこにしてください」とお願いしそうな自分を制することに必死だ。
「等式」感想です。最近、りん子は外で他人の目にふれることをリアルに望んでいるのではないかと思うほど、快感に没頭します。これはこの先楽しみです、例えば公園の東屋でいたす、遠くに人がいるなんて言うシュチエーションはおもしろいかもしれません。
庭園には展望台がある。
それほど山奥というわけではないけれど、それでもすこし山道をのぼった先にある。
階段を上り広がった視界は遠くまで見渡せる。
そこにはひとり年配の男性いてカメラを手に遠くの景色を撮影していた。
特徴のある景色の感想をひと通り言い合い、那智さんが販売機で買ってくれたホットレモンをいただいて展望台を後にした。
いま来た道を引き返し、さっき上がってきたところが二股になっているので今度は下らずに尾根沿いにまっすぐ進む。
このわたしは前が全部ボタンのシャツワンピースを着ていた。
二股を過ぎたあたりで那智さんがそのワンピースのボタンを1つ2つ外して無理なく下半身に指が入るようにする。
遠慮なく分け入った指は簡単に下着の隙間をくぐりおまんこを触る。
たぶん、わたしは那智さんといると絶えず濡れているのだ、すぐに気持ちよくなり、すぐに指を受け入れてしまう。
気持ちいいを逃すまいと那智さんの肩にしがみつく。
山道の真ん中で、ガシガシと腕が動く音とわたしの小さな声。
わたしたちが向かおうとしている先から女性の団体の声。
那智さん、手を引いた。
わたしもすこし落ち着く。
腕を組み歩き出して、すれ違う。
女性たちは展望台のほうに向かった。
わたしたちはいま女性たちが来た道を進む。
すこし行くと突き当たりが小さな広場になっていて、いま来た道と直角の位置に下りの道がある。
その角のところが広場になっていて庭園を見下ろせるようになっていた。
中央に一段高くなって建造物がある。
庭園を見下ろせるように広場の端まで移動したところで、那智さんが首輪とリードを取り出した。
ああ、首輪にリードでここから下って紅葉狩りをしている人たちのいる庭園にいくのか。
さすがに庭園を散策しながら四つん這いはないと思うけど、リードを持って歩くくらいはする(お遊び気分になったら引いてダッシュする 笑)
瞬時に想像して心はためらうけど長年の拒否権なしが身に付いたからか、それとも首輪とリードの喜びを知っているからか、ほとんどためらいなく装着する那智さんの動きに従っていた。
そのまま下りの方向に歩き出すかと思いきや、中央の建造物に向かってリードを引いた。
数歩のことなので、二足方向でついていく。
那智さんが建造物を囲む石段に腰かけた。
一瞬、目で確認を取っただろうか、それともほとんど自然な動きだっただろうか、とにかく、互いにそこにわたしが四つん這いになることが当然だと思って、そう動いていた。
石段に腰かける那智さんの足の間に肩を差し込む。
おでこと眉間の境い目あたりを股の付け根に押し付ける。
頬骨には微かにスーツのズボンが当たっているはずだ。
背の高いわたしの下半身はしっかりと外に晒されているけれど、この肩から上、那智さんの足の間の世界がいまのわたしのすべて、あまりに幸せで、いろいろな気遣いを放り投げてしまいたい。
胸元に那智さんの手が入ってきて下着の中の乳首を触り出した。
ああ、もう、気持ちがいい。
いろいろな気遣いを放り出してしまいたいという欲望はあっという間に叶ってしまった。
ここに来るまでに体験し、言葉にした『拒否を快感が上回る』事実が、さらにブレーキを踏む足を掬う。
外に晒されている腰が快感に揺れる。
揺れる自分を許す。
そうするともっと快感が増えて、続く。
りん子、気持ちよくてうれしいね
…はい
写真を撮っていた男性やすれ違った女性たちが戻ってくるかもしれない。
手のひらを刺す砂利が痛い。
那智さんが触ってくれている胸が気持ちいい。
うっすら開いた視界の端に揺れる自分の下半身がある。
たぶん誰か来ても那智さんは続ける。
いろいろなことが頭をかすめる。
ああ、でも、外で腰を振ってしまえることがこんなにも気持ちいいなんて、那智さんに委ねきってしまえることがこんなにも幸福だなんて、わんこになれることが好きで好きでたまらない。
はい、いいよ
合図で立ち上がる。
人が来なくてホッとしながら、手と膝の砂利を払う。
たまらない高揚感。
わんこの快感と幸福。
那智さんは以前こんなことを言っていた。
「俺の勘なんだけど、『できない!!』の数がそれほど減らなくても、『したい』が100近くになれば、『したい』が『できない!!』を押しつぶしてしまうような気がするんだよね。『したい』がMAXになれば『できない!!』は無意味。」
(『必要なのは、慣らすこと?』)
このときのわんこはまさしくこの状態。
いまのわたしはわんこの快感と幸福があまりにも大きすぎて「わんこにしてください」とお願いしそうな自分を制することに必死だ。
「等式」感想です。最近、りん子は外で他人の目にふれることをリアルに望んでいるのではないかと思うほど、快感に没頭します。これはこの先楽しみです、例えば公園の東屋でいたす、遠くに人がいるなんて言うシュチエーションはおもしろいかもしれません。