必要なのは、慣らすこと?
独特な幸福感
普通は気持ち良くないことが気持ち良くなるのは、『慣れ』?
いや、愛情や嗜好の一致は当然で。
そこにする側の力量と慣れを掲げられたので、こっちの力も認めてよ〜と前エントリーでキャンキャン言ってしまいました。
しかも『慣れ』なんて、なんだか身も蓋もない感じしません!?
でも、『慣れ』もあるかもしれないと、改めて思ったのです。
『リードを付けて3』にみろさんがくださった『コンビニ前の出来事があまりにも強烈で、夕方の公園わんこが記憶に残らない。』というようなコメントを見たとき『そう!!そうなの!!』と、パソコンの前で思わず仰け反ってしまった。
レスにも書いたけど、それが『手』なの!!と実感した。
まず、最初に『とんでもないこと』を提示する。
そんなの無理!!と拒否するものの、100人中1人か2人くらいは『いいかも』とうっとりしてしまう。
それを那智さんは見逃さない。
それから、なにかあるごとにその話題に触れ、少数のうっとりしたわたしもつい話題に出し、いつのまにか『無理!!』から、話題としては出してもいいものに変わっていく。
そこで聞かされるシミュレーションに、うっとり人口も徐々に増え。
そのうち、それのずっと手前の似たようなことをする。
そうやって少しずつ慣れさせていくのは、ひとつの『手』。
そして、ときには、『とんでもないこと』に近いすごいことを、いきなりガーンとして、その衝撃やそのとき僅かに感じた強烈な快感をわたしに記憶させ、それからまた元のずっと手前に戻ったりもする。
これがふたつめの『手』
これをされると、それまでしていたことが、ちょっとだけど、怖くないと思えてしまうのだ。
そして、怖さが減ると、その分快感に浸れるから、また、一歩先に進める。
さらに厄介なことに、気が付くと、その衝撃が頭から離れず、いつしか『とんでもないこと』に焦がれるようになってしまうのだ。
そのふたつめの『手』を、恐らくみろさんも無意識に感じ取ってくれてコメントに反映されたんだと思う。
最初は首輪とリードを付けるだけ。
首筋を撫でられ、わんこの幸せを感じる。
遠い、遠い先の一般道で四つん這いに向けて。(那智さんが最初からそれを計画していたわけではないと思うけど)
尻尾を付けてマ○○から移動する。
マ○○の中で四つん這い。
コンビニ前から、ホテル街の道。
しばらく、百貨店とショウウィンドウの話題であわあわさせて、何もしない。
コンビニ前で四つん這い、声をかけられ、強烈な印象が植え付けられる。
そして、そのあとした公園わんこは、怖いけど大したことないと思ってしまったのだ。
薄暗い公園の片隅で那智さんが目の前にいてのわんこ。
数時間前のひとりで待つ数分間に比べたら、ずっと楽だ。
わんこの喜びに浸れる。
そうして、公の場所でわんこになることへのハードルがちょっと下がるのと同時に、あの人に声をかけられてしまった恐怖や居たたまれなさ、そして、変な自分に起こる快感、那智さんに撫でられる快感、それらがごちゃ混ぜになって翻弄する衝撃が忘れられなくなってしまうの。
ああ、慣らされている、と感じるのだ。
『リードを付けて3』で、こんな会話を書いた。
「買い物するから、ここで待ってて。」
「四つん這いでですか?」
「うん、リードを結んでおくからね。」
わたしは、そのときの記憶通りに、そのまま書いたのだけど、那智さんがあとになって。
「あれ、よく考えると変じゃない!?みんな変と思わないかな。」と言い出した。
わたしたちは当たり前のようにあの会話をして、わたしは何の疑いも持たず書いた。
「でも、面白いよね?俺は待っててと言っただけなのに、りん子は『四つん這いで』と認識してるんだよ。そして、俺も当然そう思ってる。笑」
確かに、あのときは、あの短い会話だけでコンビニ前わんこが決定していた。
その前の百貨店前でのやり取りがあったとはいえ、わたしたちの間ではコンビニ前で待っている=四つん這いという常識ができてしまっているようで、那智さんは面白いと感じたのだ。
こんなときも慣らされていると実感する…。
「りん子さ、わんこの話が最初に出たとき、何人くらいが『できない!!』と思った?」
「99人くらいです。」
「無理とは別に『したい』という気持ちも別カテゴリーであるとして、最初は『したい』はゼロに近かったと思うけど、いまはいくつくらいになってる?』
「…う〜ん、60くらいかな…。」
「俺の勘なんだけど、『できない!!』の数がそれほど減らなくても、『したい』が100近くになれば、『したい』が『できない!!』を押しつぶしてしまうような気がするんだよね。『したい』がMAXになれば『できない!!』は無意味。」
コップに水を注ぎ、いっぱいいっぱいになっても溢れずにいる表面張力のようだ。
『無理、できない!!』と必死に溢れさせずにいるけれど、あと一滴『したい』を垂らしたら、もう一気に溢れ出て、理性決壊状態ということなのかな。
「りん子、『したい』が100になったらどうすると思う?」
「…してくださいってお願いすると思います。」
那智さんはわたしのコップに、お水を少しずつ入れている。
ときに淵ギリギリまで注ぎ、また減らし。
わたしのコップはあとどれくらいで溢れてしまうのでしょう。
『したい』が増えたときに、決壊を防ぐことが難しいということが想像できてしまって、怖い。
そして、こんな会話が、また水の量を増やすことになるの。
那智さんは両方好きだ。
困惑しながらも従い、翻弄されて、最後には快感に浸る。
『とんでもない』と思っていたことを、してくださいと懇願するほどまでに変化させる。
どちらにしても、慣らされていると思う。
気持ち良いことじゃないはずのことを快感にするには。
『心の交流』とする側の『力量』と、『慣れ』?
体質M説は、意地でも曲げるつもりはないけれど(笑)
『慣れ』も、ありなのかもしれない。
慣らされている渦中のわたしは、否応なく『慣れ説』も認めるしかないような気がします。
と、だらだら書きましたけど。
本当は、那智さんもわたしも、わかってるの。
気持ち良いことじゃないことが快感になるには、愛情や心の交流は大前提。
する側の力量。
『慣れ』もあるでしょう。
痛いことに関しては脳みその作用で快感に変換することもあるわけで、体質は関係なくそれらが揃えば、大方気持ち良くなれるかもしれない。
痛いことに強い弱いの差があって、快感になる時間に違いはあるかもしれないけれど。
そして、もうひとつ大事なのは、お互いに、そうしたい、そうなりたいと思ってしまう変態性。
うう、わたしは幼い頃から気が付けば『そうなりたい』と思っていたので、みんなそうだと思ってて、変態性なんて思いも寄らなかったのだけど^^;
もしかしたら、これが心の交流の次くらいに大事なことかも。
って、なんだただの変態ってこと!?(笑)
那智さんは前エントリーを読んで、『面白いけど、続きを面白くするのが難しそう』と言っていた。
前振りまでして、結局、言いたいことは『変態』!?
そうなんです、わたし前振りで期待感を高めることは、上手なんです。
これもりん子ワールドということで、お楽しみくださいませ^^;
でも、でも、最後にやっぱり。
体質Mでも性癖Mでもなんでもいいけど。
那智さん、わたしが『変態』でよかったですね〜!!
普通は気持ち良くないことが気持ち良くなるのは、『慣れ』?
いや、愛情や嗜好の一致は当然で。
そこにする側の力量と慣れを掲げられたので、こっちの力も認めてよ〜と前エントリーでキャンキャン言ってしまいました。
しかも『慣れ』なんて、なんだか身も蓋もない感じしません!?
でも、『慣れ』もあるかもしれないと、改めて思ったのです。
『リードを付けて3』にみろさんがくださった『コンビニ前の出来事があまりにも強烈で、夕方の公園わんこが記憶に残らない。』というようなコメントを見たとき『そう!!そうなの!!』と、パソコンの前で思わず仰け反ってしまった。
レスにも書いたけど、それが『手』なの!!と実感した。
まず、最初に『とんでもないこと』を提示する。
そんなの無理!!と拒否するものの、100人中1人か2人くらいは『いいかも』とうっとりしてしまう。
それを那智さんは見逃さない。
それから、なにかあるごとにその話題に触れ、少数のうっとりしたわたしもつい話題に出し、いつのまにか『無理!!』から、話題としては出してもいいものに変わっていく。
そこで聞かされるシミュレーションに、うっとり人口も徐々に増え。
そのうち、それのずっと手前の似たようなことをする。
そうやって少しずつ慣れさせていくのは、ひとつの『手』。
そして、ときには、『とんでもないこと』に近いすごいことを、いきなりガーンとして、その衝撃やそのとき僅かに感じた強烈な快感をわたしに記憶させ、それからまた元のずっと手前に戻ったりもする。
これがふたつめの『手』
これをされると、それまでしていたことが、ちょっとだけど、怖くないと思えてしまうのだ。
そして、怖さが減ると、その分快感に浸れるから、また、一歩先に進める。
さらに厄介なことに、気が付くと、その衝撃が頭から離れず、いつしか『とんでもないこと』に焦がれるようになってしまうのだ。
そのふたつめの『手』を、恐らくみろさんも無意識に感じ取ってくれてコメントに反映されたんだと思う。
最初は首輪とリードを付けるだけ。
首筋を撫でられ、わんこの幸せを感じる。
遠い、遠い先の一般道で四つん這いに向けて。(那智さんが最初からそれを計画していたわけではないと思うけど)
尻尾を付けてマ○○から移動する。
マ○○の中で四つん這い。
コンビニ前から、ホテル街の道。
しばらく、百貨店とショウウィンドウの話題であわあわさせて、何もしない。
コンビニ前で四つん這い、声をかけられ、強烈な印象が植え付けられる。
そして、そのあとした公園わんこは、怖いけど大したことないと思ってしまったのだ。
薄暗い公園の片隅で那智さんが目の前にいてのわんこ。
数時間前のひとりで待つ数分間に比べたら、ずっと楽だ。
わんこの喜びに浸れる。
そうして、公の場所でわんこになることへのハードルがちょっと下がるのと同時に、あの人に声をかけられてしまった恐怖や居たたまれなさ、そして、変な自分に起こる快感、那智さんに撫でられる快感、それらがごちゃ混ぜになって翻弄する衝撃が忘れられなくなってしまうの。
ああ、慣らされている、と感じるのだ。
『リードを付けて3』で、こんな会話を書いた。
「買い物するから、ここで待ってて。」
「四つん這いでですか?」
「うん、リードを結んでおくからね。」
わたしは、そのときの記憶通りに、そのまま書いたのだけど、那智さんがあとになって。
「あれ、よく考えると変じゃない!?みんな変と思わないかな。」と言い出した。
わたしたちは当たり前のようにあの会話をして、わたしは何の疑いも持たず書いた。
「でも、面白いよね?俺は待っててと言っただけなのに、りん子は『四つん這いで』と認識してるんだよ。そして、俺も当然そう思ってる。笑」
確かに、あのときは、あの短い会話だけでコンビニ前わんこが決定していた。
その前の百貨店前でのやり取りがあったとはいえ、わたしたちの間ではコンビニ前で待っている=四つん這いという常識ができてしまっているようで、那智さんは面白いと感じたのだ。
こんなときも慣らされていると実感する…。
「りん子さ、わんこの話が最初に出たとき、何人くらいが『できない!!』と思った?」
「99人くらいです。」
「無理とは別に『したい』という気持ちも別カテゴリーであるとして、最初は『したい』はゼロに近かったと思うけど、いまはいくつくらいになってる?』
「…う〜ん、60くらいかな…。」
「俺の勘なんだけど、『できない!!』の数がそれほど減らなくても、『したい』が100近くになれば、『したい』が『できない!!』を押しつぶしてしまうような気がするんだよね。『したい』がMAXになれば『できない!!』は無意味。」
コップに水を注ぎ、いっぱいいっぱいになっても溢れずにいる表面張力のようだ。
『無理、できない!!』と必死に溢れさせずにいるけれど、あと一滴『したい』を垂らしたら、もう一気に溢れ出て、理性決壊状態ということなのかな。
「りん子、『したい』が100になったらどうすると思う?」
「…してくださいってお願いすると思います。」
那智さんはわたしのコップに、お水を少しずつ入れている。
ときに淵ギリギリまで注ぎ、また減らし。
わたしのコップはあとどれくらいで溢れてしまうのでしょう。
『したい』が増えたときに、決壊を防ぐことが難しいということが想像できてしまって、怖い。
そして、こんな会話が、また水の量を増やすことになるの。
那智さんは両方好きだ。
困惑しながらも従い、翻弄されて、最後には快感に浸る。
『とんでもない』と思っていたことを、してくださいと懇願するほどまでに変化させる。
どちらにしても、慣らされていると思う。
気持ち良いことじゃないはずのことを快感にするには。
『心の交流』とする側の『力量』と、『慣れ』?
体質M説は、意地でも曲げるつもりはないけれど(笑)
『慣れ』も、ありなのかもしれない。
慣らされている渦中のわたしは、否応なく『慣れ説』も認めるしかないような気がします。
と、だらだら書きましたけど。
本当は、那智さんもわたしも、わかってるの。
気持ち良いことじゃないことが快感になるには、愛情や心の交流は大前提。
する側の力量。
『慣れ』もあるでしょう。
痛いことに関しては脳みその作用で快感に変換することもあるわけで、体質は関係なくそれらが揃えば、大方気持ち良くなれるかもしれない。
痛いことに強い弱いの差があって、快感になる時間に違いはあるかもしれないけれど。
そして、もうひとつ大事なのは、お互いに、そうしたい、そうなりたいと思ってしまう変態性。
うう、わたしは幼い頃から気が付けば『そうなりたい』と思っていたので、みんなそうだと思ってて、変態性なんて思いも寄らなかったのだけど^^;
もしかしたら、これが心の交流の次くらいに大事なことかも。
って、なんだただの変態ってこと!?(笑)
那智さんは前エントリーを読んで、『面白いけど、続きを面白くするのが難しそう』と言っていた。
前振りまでして、結局、言いたいことは『変態』!?
そうなんです、わたし前振りで期待感を高めることは、上手なんです。
これもりん子ワールドということで、お楽しみくださいませ^^;
でも、でも、最後にやっぱり。
体質Mでも性癖Mでもなんでもいいけど。
那智さん、わたしが『変態』でよかったですね〜!!
- 関連記事
-
- 『いいこいいこ』1 2020/09/18
- 庇護 2007/09/12
- いくつになってもオーバーニー 2009/12/02