りん子的独り言って
りん子的独り言(生意気)
しばらく『りん子的独り言』はお休みしようかと思ってた。
良くも悪くも、私を含めお腹いっぱいかなって思って。
だけど、いろいろなことが浮かんでしまう。
下書きにしてゆっくり表に出していけばいいとは思うのだけど、私の中の『怒り』がそれを急かすのだ。
早く言葉にして浄化しろと。
そうだ、私は怒っているんだ。
それを吐き出すことで、怒りを鎮めようとしているんだ。
ただ、不特定多数の人が読むブログでは怒りに任せて書きなぐるのは適していないと思うから、一応読んでおもしろく(いろんな意味で^^)、また誰かのヒントになればと思って書いています。
私の書く『怒り』は、それを知らない人にはまったくピンと来ないことだと思う。
その方たちには、怒りの飛沫を浴びせてしまって申し訳なく思います。
また、もしかしたら同じ『怒り』を秘めている人には、読みたくないものになってしまっているかもしれません。
以前書きましたが、あなたの心に土足で踏み込まれたような気持ちにさせてしまうかもしれない。
敢えて、見て見ぬふりをしている『怒り』に光りを当ててしまう可能性があるから。(『心のまま』)
それも申し訳ないと思うけど、どうか、そこから何かヒントになっていただければと思います。
『りん子的独り言』が愚痴にも八つ当たりにもならないように。
これは私の浄化作業。
そして、誰かへのエール。
なぜなら、こんな『怒り』どの女性にも味わってほしくないから。
時々『傷つかないように』と書いている。
先日コメントレスで『傷も必要なのでは?』とご意見をいただいた。
それを読んで思ったことがある。
そうだよね。
人は温室で育つわけにはいかないから、外に出てつまずき悩み葛藤し、そこで生きる術を養っていくのだ。
時には傷つくこともあるし、だからこそ人の痛みもわかる優しい人になれるのかもしれない。
人が生きていく上で『傷』は必要なことでもある。
だから、コメントをいただいて『傷つかないように』という言葉は、ちょっと違ったなと思い直すことができた。(みゅーさん、ありがとう^^)
じゃあ、私は何が言いたかったのだろうと立ち止まり考える。
そうか、私が言いたかったのは。
『傷ついていることに、気がついて』
ということだ。
生きていく上で傷つくことも必要だ。
だけど、私の言っている『傷』は生きていく上ではあるけど、負わないに越したことはないすごく限定した『傷』を言っているんだ。
性的な場面(関係)では、無条件で女性は尊重されるべきだと思ってる。
そこで尊重されずに負う傷のことを言っているんだ。
心の交流と良く言っている。
それがないセックスは女を傷つけると。
(『秘訣』『秘訣の続き』『もうひとつの秘訣』)
で、それにできるだけ早く気づいて、気がついたら引き返してほしい。
大恋愛でも。
主従愛でも。
同志愛でも。
性的嗜好の一致でも。
どんな関係でもいい。
女性の本意と合致している関係じゃないといけない。
不本意に我慢して行われるセックスは深く傷つくのだ。
もちろんね、『酷いことされたい』とか『虐げられたい』という願望だってあるのだから、酷いことをしているから我慢しているということでもないのですよ。
靴べらで思い切り叩かれる。
それが気持ちいいから打たれる。
お相手の打ちたいという気持ちが嬉しくて、感じる。
打たれることで性的嗜好が満たされる。
ほんとは痛くて怖くていやだけど、嫌われたくないから我慢している。
複数だってきっと同じだ。
それぞれの性的嗜好を満たすために行われるものと。
嫉妬克服のために?良い奴隷として?我慢して女性を用意したり他の男に抱かれることと。
全然違うよね。
捨てられるから、愛してほしいから、我慢しなきゃいけない。
これらには大きな隔たりがある。
女性が、性的な場面で尊重されず不本意な我慢を強いられることは、深い深い傷になるのだ。
それは、職場で厳しいことを言われたとか、人間関係で苦労しているとか、で心が傷つくのとは別の傷だと思ってる。
また性的な関係同士、関係を深めるための切磋琢磨は尊重されずに負う傷とは違うよね、これも肥やしになる。
女性が、性的な場面で尊重されず不本意な我慢を強いられることは深い深い傷になるだけで、肥やしになんてならないと思うのだ。
とても乱暴なことを言わせてもらえば、レイプに近い。
いくら合意の上だといっても女性自身が心を見て見ぬふりをしていれば、合意でもなんでもないのだ。
男性が思う『一回くらい減るもんじゃない』という感覚からはほど遠い。
魂を汚すような傷になるんだ。
そして、この傷は気付きにくくもある。
だって、捨てられないように、愛してほしいから、女性自ら見て見ぬふりをしているのだもの。
気がついたら最後、すがる相手を手放さないといけない恐怖が待っている。
特に、依存願望の強い人は気づきにくいと思う。
私もずっと気づかなかった。
避妊もしてもらえず、遅刻の謝罪もなく、奴隷は知る必要ないと本名や勤め先さえ教えてもらえず。
だけど、それが、私の欲しいものだと思っていたから、次はもらえるかもしれないと、その理不尽な行いを我慢していた。
(『はじめての旅1、2』『2回目の旅1、2』読んでね)
見て見ぬふりをしていたんだ。
那智さんに出会って、心の交流のあるセックスをして、はじめて『ああ、あれは傷だったんだ』と気づいた。
だからね、あの経験は無駄ではなかったと思ってる。
あれがあったから、那智さんに出会うことができたのだとも思うからね。
だけど、見て見ぬふりをした傷は、重くて深い。
心の底に沈殿していつまでも消えない。
見て見ぬふりが長ければ長いほど、重くどす黒く心を痛めつける。
それを証拠に、那智さんに当時の話をするといまでも涙が流れる。
そして、時々、似たような女性を見てしまうと、沈殿した黒い『怒り』が古傷を抉る。
苦しくて、だから表に出して浄化させたくなるのだ。
だからね、傷を負うのはしかたがない。
だけど、性的な場面で女の子が尊重されずに傷つくのは、短い時間で充分だ。
捨てられたくないから我慢するなんて思わないでいい、捨てられもせず我慢もしない関係を見つけるのだ。
着たい服を来て、自由に街を歩けるように。
気がつくには、自分が本当に欲しいものは何かを知ることが大切だと思う。
自分がほしいものは何で、そのためにどんな努力や道を選べばいいか。
それがわかっていれば、我慢は我慢じゃなくなるし、無理やり心に蓋をすることもない。
人は生きていく上で傷も必要だ。
女だって性欲はあるのだから、愛のないセックスだってゴマンとある。
それを否定しているわけじゃない。
恋愛じゃなく、でも、尊重されたセックスだってあるはずだ。
だけどこんな傷は負わないほうがいい。
負ったとしても、できるだけ被害を少なくしてほしい。
後から、心に重くのしかかり、いつまで経っても涙が流れるような傷になるから。
そうはいっても、私もずいぶん前に進めていると思う。
傷を見て見ぬふりをしていたころや、那智さんに出会って傷の存在に気づいたころは、まず自分を責めていたからね。
『うまくいかないのは、相手選びが下手だった私のせい』
『大事にされないのは、私に価値がないから』
って。
そのころに比べたらこうやって『怒り』を表に出せるようになっているのは、きっと前進しているんだと思う。
那智さんに出会う前、よく怒り狂ってる夢を見ていた。
夢の中の私は、些細なことで怒鳴り、物を蹴飛ばし、相手に殴り掛かり、普段絶対ならない私になっていた。
目が覚めてとても暗い気持ちになるような夢だった。
これは、ここ数年はほとんど見なくなっている。
性的な傷だけに関係しているものではないでしょうし夢判断が正しいかわからないけど、とにかく私はイヤな夢を見ないですんでいるのだ。
何年もかかる。
それくらい、深い傷なんだ。
だからどうか傷ついていることに、早く気がついて。
もし気づいたら、ちゃんと『NO』と言うの。
そして、いつでも引き返せる。
それには、自分の本当の気持ちに触れてあげることが大切だ。
いまも、私も触れている。
こうやって『怒り』を表に出して浄化している。
『傷ついていることに、気がついて』
過去の自分を慰めるように。
気づかずに全部自分のせいにしてしまっている、誰かに向かって。
浄化作業でエール。
私のこの浄化作業にお付き合いくださってありがとうございます。
そして、こんな浄化作業をしなければいけない女性が、ひとりでも少なくなりますように、と祈るように書いている。
『りん子的独り言』は、そんなカテゴリーです。
しばらく『りん子的独り言』はお休みしようかと思ってた。
良くも悪くも、私を含めお腹いっぱいかなって思って。
だけど、いろいろなことが浮かんでしまう。
下書きにしてゆっくり表に出していけばいいとは思うのだけど、私の中の『怒り』がそれを急かすのだ。
早く言葉にして浄化しろと。
そうだ、私は怒っているんだ。
それを吐き出すことで、怒りを鎮めようとしているんだ。
ただ、不特定多数の人が読むブログでは怒りに任せて書きなぐるのは適していないと思うから、一応読んでおもしろく(いろんな意味で^^)、また誰かのヒントになればと思って書いています。
私の書く『怒り』は、それを知らない人にはまったくピンと来ないことだと思う。
その方たちには、怒りの飛沫を浴びせてしまって申し訳なく思います。
また、もしかしたら同じ『怒り』を秘めている人には、読みたくないものになってしまっているかもしれません。
以前書きましたが、あなたの心に土足で踏み込まれたような気持ちにさせてしまうかもしれない。
敢えて、見て見ぬふりをしている『怒り』に光りを当ててしまう可能性があるから。(『心のまま』)
それも申し訳ないと思うけど、どうか、そこから何かヒントになっていただければと思います。
『りん子的独り言』が愚痴にも八つ当たりにもならないように。
これは私の浄化作業。
そして、誰かへのエール。
なぜなら、こんな『怒り』どの女性にも味わってほしくないから。
時々『傷つかないように』と書いている。
先日コメントレスで『傷も必要なのでは?』とご意見をいただいた。
それを読んで思ったことがある。
そうだよね。
人は温室で育つわけにはいかないから、外に出てつまずき悩み葛藤し、そこで生きる術を養っていくのだ。
時には傷つくこともあるし、だからこそ人の痛みもわかる優しい人になれるのかもしれない。
人が生きていく上で『傷』は必要なことでもある。
だから、コメントをいただいて『傷つかないように』という言葉は、ちょっと違ったなと思い直すことができた。(みゅーさん、ありがとう^^)
じゃあ、私は何が言いたかったのだろうと立ち止まり考える。
そうか、私が言いたかったのは。
『傷ついていることに、気がついて』
ということだ。
生きていく上で傷つくことも必要だ。
だけど、私の言っている『傷』は生きていく上ではあるけど、負わないに越したことはないすごく限定した『傷』を言っているんだ。
性的な場面(関係)では、無条件で女性は尊重されるべきだと思ってる。
そこで尊重されずに負う傷のことを言っているんだ。
心の交流と良く言っている。
それがないセックスは女を傷つけると。
(『秘訣』『秘訣の続き』『もうひとつの秘訣』)
で、それにできるだけ早く気づいて、気がついたら引き返してほしい。
大恋愛でも。
主従愛でも。
同志愛でも。
性的嗜好の一致でも。
どんな関係でもいい。
女性の本意と合致している関係じゃないといけない。
不本意に我慢して行われるセックスは深く傷つくのだ。
もちろんね、『酷いことされたい』とか『虐げられたい』という願望だってあるのだから、酷いことをしているから我慢しているということでもないのですよ。
靴べらで思い切り叩かれる。
それが気持ちいいから打たれる。
お相手の打ちたいという気持ちが嬉しくて、感じる。
打たれることで性的嗜好が満たされる。
ほんとは痛くて怖くていやだけど、嫌われたくないから我慢している。
複数だってきっと同じだ。
それぞれの性的嗜好を満たすために行われるものと。
嫉妬克服のために?良い奴隷として?我慢して女性を用意したり他の男に抱かれることと。
全然違うよね。
捨てられるから、愛してほしいから、我慢しなきゃいけない。
これらには大きな隔たりがある。
女性が、性的な場面で尊重されず不本意な我慢を強いられることは、深い深い傷になるのだ。
それは、職場で厳しいことを言われたとか、人間関係で苦労しているとか、で心が傷つくのとは別の傷だと思ってる。
また性的な関係同士、関係を深めるための切磋琢磨は尊重されずに負う傷とは違うよね、これも肥やしになる。
女性が、性的な場面で尊重されず不本意な我慢を強いられることは深い深い傷になるだけで、肥やしになんてならないと思うのだ。
とても乱暴なことを言わせてもらえば、レイプに近い。
いくら合意の上だといっても女性自身が心を見て見ぬふりをしていれば、合意でもなんでもないのだ。
男性が思う『一回くらい減るもんじゃない』という感覚からはほど遠い。
魂を汚すような傷になるんだ。
そして、この傷は気付きにくくもある。
だって、捨てられないように、愛してほしいから、女性自ら見て見ぬふりをしているのだもの。
気がついたら最後、すがる相手を手放さないといけない恐怖が待っている。
特に、依存願望の強い人は気づきにくいと思う。
私もずっと気づかなかった。
避妊もしてもらえず、遅刻の謝罪もなく、奴隷は知る必要ないと本名や勤め先さえ教えてもらえず。
だけど、それが、私の欲しいものだと思っていたから、次はもらえるかもしれないと、その理不尽な行いを我慢していた。
(『はじめての旅1、2』『2回目の旅1、2』読んでね)
見て見ぬふりをしていたんだ。
那智さんに出会って、心の交流のあるセックスをして、はじめて『ああ、あれは傷だったんだ』と気づいた。
だからね、あの経験は無駄ではなかったと思ってる。
あれがあったから、那智さんに出会うことができたのだとも思うからね。
だけど、見て見ぬふりをした傷は、重くて深い。
心の底に沈殿していつまでも消えない。
見て見ぬふりが長ければ長いほど、重くどす黒く心を痛めつける。
それを証拠に、那智さんに当時の話をするといまでも涙が流れる。
そして、時々、似たような女性を見てしまうと、沈殿した黒い『怒り』が古傷を抉る。
苦しくて、だから表に出して浄化させたくなるのだ。
だからね、傷を負うのはしかたがない。
だけど、性的な場面で女の子が尊重されずに傷つくのは、短い時間で充分だ。
捨てられたくないから我慢するなんて思わないでいい、捨てられもせず我慢もしない関係を見つけるのだ。
着たい服を来て、自由に街を歩けるように。
気がつくには、自分が本当に欲しいものは何かを知ることが大切だと思う。
自分がほしいものは何で、そのためにどんな努力や道を選べばいいか。
それがわかっていれば、我慢は我慢じゃなくなるし、無理やり心に蓋をすることもない。
人は生きていく上で傷も必要だ。
女だって性欲はあるのだから、愛のないセックスだってゴマンとある。
それを否定しているわけじゃない。
恋愛じゃなく、でも、尊重されたセックスだってあるはずだ。
だけどこんな傷は負わないほうがいい。
負ったとしても、できるだけ被害を少なくしてほしい。
後から、心に重くのしかかり、いつまで経っても涙が流れるような傷になるから。
そうはいっても、私もずいぶん前に進めていると思う。
傷を見て見ぬふりをしていたころや、那智さんに出会って傷の存在に気づいたころは、まず自分を責めていたからね。
『うまくいかないのは、相手選びが下手だった私のせい』
『大事にされないのは、私に価値がないから』
って。
そのころに比べたらこうやって『怒り』を表に出せるようになっているのは、きっと前進しているんだと思う。
那智さんに出会う前、よく怒り狂ってる夢を見ていた。
夢の中の私は、些細なことで怒鳴り、物を蹴飛ばし、相手に殴り掛かり、普段絶対ならない私になっていた。
目が覚めてとても暗い気持ちになるような夢だった。
これは、ここ数年はほとんど見なくなっている。
性的な傷だけに関係しているものではないでしょうし夢判断が正しいかわからないけど、とにかく私はイヤな夢を見ないですんでいるのだ。
何年もかかる。
それくらい、深い傷なんだ。
だからどうか傷ついていることに、早く気がついて。
もし気づいたら、ちゃんと『NO』と言うの。
そして、いつでも引き返せる。
それには、自分の本当の気持ちに触れてあげることが大切だ。
いまも、私も触れている。
こうやって『怒り』を表に出して浄化している。
『傷ついていることに、気がついて』
過去の自分を慰めるように。
気づかずに全部自分のせいにしてしまっている、誰かに向かって。
浄化作業でエール。
私のこの浄化作業にお付き合いくださってありがとうございます。
そして、こんな浄化作業をしなければいけない女性が、ひとりでも少なくなりますように、と祈るように書いている。
『りん子的独り言』は、そんなカテゴリーです。