コートの下6
非日常的な日常
絶対にかっこよく歩こう。
99%無理だってわかってるけど、かっこよく歩くって自分に決意する。
それが、いまわたしのできる、いまから起こることに立ち向かう唯一の道のよう。
いや、立ち向かうなんて、大げさだよね。
でも、それくらい大変なことが待ってるんだ。
いやいや、絶対にしなきゃいけないことじゃないよね?
別に、やらなきゃ殺すなんて脅されてるわけじゃないし、ただのふたりの間の「出来事」なだけ。
そう、だから、いくら大変っていっても、それを受け入れてる時点で、形としては「大変じゃない」ものになってるはずなんだ。
だから、なんていうのかな、立ち向かうって外に向かっているのではなくて、自分に向かってる感じ。
ネットの世界を覗いてみると「野外露出」というのが山ほどあって、個人やビジネスでみなさんお外で裸になってる。
見られたいという願望があるくせに、なぜかそれらを見ていてほとんど「悲しい」気持ちになってしまうの。
人目につかない夜の公園や山中はおろか、街中(ほんとに街中とかあるのね、わたしは出会ったことないけど)とかコンビニとか、すぐ横に人がいるような場所で、ただ裸になってる画像。
モザイク越しに笑顔が読み取れて、堂々と楽しげにポーズを取っている画像。
絶対に恥ずかしいはずなんだ、モラルとか考えたら笑えないはずなの。
それでも、それができてしまう、しなければいられない精神状況や、しなければいけない事情を想像してしまって、とにかく悲しくなってしまうの。
(ちなにみ、大丈夫なのもあって、撮り手の存在が感じられるものは大丈夫。その2人の間に「良好」な空気が感じられるものなら大丈夫なのです)
「悲しい」というのはいい子ぶった言い方で、あえて毒のある言い方をすると。
「人の迷惑も考えず、よく笑ってられるね。お金のためか知らないけど、その無神経さにこちらがいやな気分になる。」
そんな感じ。
それを、それと同じようなことを、わたしはするのだ。
自分の道徳観を、そのときは崩さないといけない。
いままでも、四つん這いで歩いたり、道端でお水掛けられたり、たくさんたくさん「崩してきた」。
その都度、那智さんに委ねるという方法で、快感や那智さんのものという従属観に変えていた。
その「崩してきた」のは一見「変な」お外遊びだったけど、今回は下着姿で歩くといういままでより、より「わかりやすい」こと。
変なことで目立つより、いっそのこと「エロ」のほうがいいと、何度か言ってるけど、如何せん目立ち方が半端じゃないよね。
那智さんに委ねるだけでは「崩せない」と思ったのだ。
だから、わたし自身も立ち向かう。
那智さんに委ね、恥ずかしさや申し訳なさで気が狂いそうだけど、それを快感に変える。
何より、願望を叶えるんだ。
少女時代、気づいたら「見られたい」と思っていた。
ずっとずっとわたしの中に住んでいるモンスター。
那智さんが、一緒に叶えてくれるんだ。
叶えるために、「かっこよく歩く」という方法で立ち向かうと決めたの。
それは、自己愛の満足にも繋がる。
だから、今回選んだ下着は「赤」だったの。
赤い下着に黒いガーターベルト。
前回は、コートの前だけ開けただけだけど、ピンクの下着だった。
それよりも「かっこいい」ものにしたの。
モデルでもグラビアアイドルでもないから、何着ても変わりないけど、それでも、自分を鼓舞する「赤」。
絶対にかっこよく歩こう。
99%無理だってわかってるけど、怖くて顔が上げられないでしょけど、でも、堂々と歩くんだ。
コンパニオンの研那智の時に習った歩き方で、歩幅を大きく一直線上を歩くように。
マ○○を出てから、ずっと自分に言い聞かせてる。
この前はコートの前を開けただけだったから、今日はそれ以上の何かをするはず。
あの坂50mか、コンビニの前だけか、那智さんの気分次第だけど、きっとコートは脱がされる。
コンビニの前を過ぎた。
ここではなにもしないらしい。
ホッとする。
コンビニはスーパー日常。
その先の角を曲がったホテル街は、ちょっと日常から離れられる気がするの。
ひと安心。
角は見えた。
あの角を曲がると50m先にいつものホテルがある。
ん?
角のところに人がいる。
工事の警備員だ。
じっと立っている。
その人を視界に入れながら、ふたり角を曲がる。
「あの警備員がじゃまだな〜。」(いつもの那智さんルール。通り過ぎたりはいいけど、先に人がいることろではしない)
まるで、わたしたちがこれからしようとしていることを監視するかのように、動かずにじっと立っている。
その様子が、わたしの非常識を責めてるようで、ためらいに足下がすくむようだった。
わあ、まだ終われないでした。
続くです〜。
絶対にかっこよく歩こう。
99%無理だってわかってるけど、かっこよく歩くって自分に決意する。
それが、いまわたしのできる、いまから起こることに立ち向かう唯一の道のよう。
いや、立ち向かうなんて、大げさだよね。
でも、それくらい大変なことが待ってるんだ。
いやいや、絶対にしなきゃいけないことじゃないよね?
別に、やらなきゃ殺すなんて脅されてるわけじゃないし、ただのふたりの間の「出来事」なだけ。
そう、だから、いくら大変っていっても、それを受け入れてる時点で、形としては「大変じゃない」ものになってるはずなんだ。
だから、なんていうのかな、立ち向かうって外に向かっているのではなくて、自分に向かってる感じ。
ネットの世界を覗いてみると「野外露出」というのが山ほどあって、個人やビジネスでみなさんお外で裸になってる。
見られたいという願望があるくせに、なぜかそれらを見ていてほとんど「悲しい」気持ちになってしまうの。
人目につかない夜の公園や山中はおろか、街中(ほんとに街中とかあるのね、わたしは出会ったことないけど)とかコンビニとか、すぐ横に人がいるような場所で、ただ裸になってる画像。
モザイク越しに笑顔が読み取れて、堂々と楽しげにポーズを取っている画像。
絶対に恥ずかしいはずなんだ、モラルとか考えたら笑えないはずなの。
それでも、それができてしまう、しなければいられない精神状況や、しなければいけない事情を想像してしまって、とにかく悲しくなってしまうの。
(ちなにみ、大丈夫なのもあって、撮り手の存在が感じられるものは大丈夫。その2人の間に「良好」な空気が感じられるものなら大丈夫なのです)
「悲しい」というのはいい子ぶった言い方で、あえて毒のある言い方をすると。
「人の迷惑も考えず、よく笑ってられるね。お金のためか知らないけど、その無神経さにこちらがいやな気分になる。」
そんな感じ。
それを、それと同じようなことを、わたしはするのだ。
自分の道徳観を、そのときは崩さないといけない。
いままでも、四つん這いで歩いたり、道端でお水掛けられたり、たくさんたくさん「崩してきた」。
その都度、那智さんに委ねるという方法で、快感や那智さんのものという従属観に変えていた。
その「崩してきた」のは一見「変な」お外遊びだったけど、今回は下着姿で歩くといういままでより、より「わかりやすい」こと。
変なことで目立つより、いっそのこと「エロ」のほうがいいと、何度か言ってるけど、如何せん目立ち方が半端じゃないよね。
那智さんに委ねるだけでは「崩せない」と思ったのだ。
だから、わたし自身も立ち向かう。
那智さんに委ね、恥ずかしさや申し訳なさで気が狂いそうだけど、それを快感に変える。
何より、願望を叶えるんだ。
少女時代、気づいたら「見られたい」と思っていた。
ずっとずっとわたしの中に住んでいるモンスター。
那智さんが、一緒に叶えてくれるんだ。
叶えるために、「かっこよく歩く」という方法で立ち向かうと決めたの。
それは、自己愛の満足にも繋がる。
だから、今回選んだ下着は「赤」だったの。
赤い下着に黒いガーターベルト。
前回は、コートの前だけ開けただけだけど、ピンクの下着だった。
それよりも「かっこいい」ものにしたの。
モデルでもグラビアアイドルでもないから、何着ても変わりないけど、それでも、自分を鼓舞する「赤」。
絶対にかっこよく歩こう。
99%無理だってわかってるけど、怖くて顔が上げられないでしょけど、でも、堂々と歩くんだ。
コンパニオンの研那智の時に習った歩き方で、歩幅を大きく一直線上を歩くように。
マ○○を出てから、ずっと自分に言い聞かせてる。
この前はコートの前を開けただけだったから、今日はそれ以上の何かをするはず。
あの坂50mか、コンビニの前だけか、那智さんの気分次第だけど、きっとコートは脱がされる。
コンビニの前を過ぎた。
ここではなにもしないらしい。
ホッとする。
コンビニはスーパー日常。
その先の角を曲がったホテル街は、ちょっと日常から離れられる気がするの。
ひと安心。
角は見えた。
あの角を曲がると50m先にいつものホテルがある。
ん?
角のところに人がいる。
工事の警備員だ。
じっと立っている。
その人を視界に入れながら、ふたり角を曲がる。
「あの警備員がじゃまだな〜。」(いつもの那智さんルール。通り過ぎたりはいいけど、先に人がいることろではしない)
まるで、わたしたちがこれからしようとしていることを監視するかのように、動かずにじっと立っている。
その様子が、わたしの非常識を責めてるようで、ためらいに足下がすくむようだった。
わあ、まだ終われないでした。
続くです〜。
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