徒然に『緊急募集』
独り言
『緊急募集!!』からお読みいただいたほうが楽しいかと思います。
坂道を自転車が滑り降りるように、那智さんが最初の一押しを踏み出してからクルクルと物事が進んでいく。
那智さんなりに温めていたことや、じつはわたしの叶えたい思いが強かったことが進める勢いを強くしているのかもしれない。
あっという間に決定して詳細を決め募集をかけた。
このところ、そんな状態だから2ヶ月淡々と積み重ねる流れとは違うイレギュラーなエントリーが続いている。
いつものペースを崩してしまうと後々大変そうだし、2ヶ月後のエントリーが腑抜けになってしまいそうで気になるところではあるけれど、たまには寄り道を楽しむこともアリかなと思って、今日もほぼリアルタイムなエントリー。
詳細を決めてもらい募集をかける。
実際どれくらいの人が手を挙げてくださるかはわからないし、もしかしたら0なんてことだってあり得る(密かに濃厚 笑)
0だったら残念だけど、でも、わたしたちはこの準備だけでも充分楽しませてもらっています。
那智さんが舵を取り、わたしなりに気づいたことをお伝えして、最終的にエントリーとして公表する。
真剣に話を詰め、ときには真剣に『ひーひー』仰け反り、わたしもこの事態を一緒に真剣に楽しめるように、ちょっとは成熟したかな〜と思うのだ。
そんな中、男女の違いか個性か、ふたりの感覚の違いがうっすら見えたりするのもおもしろい。
たとえば、わたしは参加される人は他に同席者がいないこと好む人が多いだろうと思っている。
見ず知らずの初対面の他人が集まって性的な行いをすることへの抵抗感だよね。
ところが那智さんは、同席者がいたほうがいいと思っているだろうと想像している。
「だって、休憩できるだろ?」ということだ。
わたしは安全面や羞恥心を心配するどちらかというと女性的な感覚で、責める側、特に男性の場合は機能(!)も含めて一点集中にならないほうがいいという那智さんの男性目線。
どちらが正解かではないけれど、『継続してりん子を可愛がる』に主眼を置いてくれている那智さんらしいご意見だなと思ったりする^^
まあ、その辺も含めて『等式』を安全性のひとつにできたらいいなって思ってます。
他にも、どんな人が来てくださるかという話もおもしろい。
まあ、単独男性というのが一番有力だからそれはいいとして^^
次にあり得るとしたらカップルかなと思っているのだけど、じゃあ、カップルのどちらが誘ってきてくれるのかな。
まず、女性が男性を誘う場合。
女性が読者さんで、たとえばわたしが鞭を打たれているところやブログのような濃密なふたりのセックスを見てみたいとか、というような思いがあって、その女性は見ていてパートナーに参加してもらうパターン。
これは那智さん一押しのパターンなんだけど、わたしはいまいち賛同できない。
なぜなら、自分が見たいという欲望と好きな男が他の女を抱くのを見ることのリスクを秤にかけたら後者が勝つと思うのだ。
ただ、女性に嫉妬も快感に繋がりそう、もしくはスワップを楽しめるのであれば成立するね。
そんな女性でわたしたちのSM的性行為に興味がある方は、パートナーさんを誘ってみてください^^
逆は?
男性が女性を誘うパターン。
これは基本的に女性側になんのメリットもない^^;
それこそ被虐嗜好がある女性ならありかもしれないけど、そうじゃなければ、見知らぬ男女のセックスなんて興味ないだろうし、そこにパートナーが混ざり合うところなんて見たくもないものね^^;
あとでケンカの種になりそうでもあります。
たとえば、ここで成立するとしたら、ご主人様と奴隷さんの組み合わせかな。
嫉妬の克服や複数調教などという調教のもと、命令をして連れて来ることは可能だろう。
嫉妬ありき、我慢ありき、なのだから、男性(ご主人様)もその後の問題を心配する必要ないからね。
ただ、問題は奴隷さんにそういうことを強制するような『ご主人様』と呼ばれる人が『等式』を読んでくれているとは思えないし、仮に読んでくれていたとしても、こんな生意気なりん子って女を抱こうという気持ちになってくれないような気もするので、そこが一番の問題だったりする^^;(ぐすん)
あ、でも、鞭打てますよ(笑)
ということで、カップルの場合は女性にその嗜好、もしくは興味があることが鍵かな。
で、ひそかな最有力(?)の単独女性!!
今回那智さんは『レズ嗜好』のある方を希望していましたが、まあ、厳密にいうとレズビアンということではなくて、する側になって女性との性行為を楽しめる、女性の反応を楽しみたい、もしくは興味がある程度のレズです。(ですよね?那智さん)
レズビアンや生粋のS女性でなくても、好奇心と柔軟性があれば大丈夫です!!
もちろん、する側なので那智さんとの性行為はご希望がない限りはありません^^
女の人大好きなわたしなので、ひそかに手招きしている感は否めません^^;
こんなふうにあれこれ会話を重ねることも楽しいし、それ自体もひとつのイベントとして楽しんでいます。
緊急の募集ですので熟慮の時間は短く、特にカップルでお考えの方かパートナーと意思疎通を計って応募するにはあまり時間がないかと思いますが、このエントリーが想像の後押しになるといいなと思います^^
あれ?後押しになってるよね?
とにかく、『等式』という共通認識のある中での複数はきっと『等式』っぽい良さがあるんじゃないかなって思っていますので、メールお待ちしていますね〜^^
「等式」感想です。う~ん、今回、りん子と話をしていると、お相手となる一緒に遊ぼうとする方々の範囲が段々狭くなっていくのを感じ焦っていましたが、その通りの結果ですね。応募のあった、単独女性はモカちゃんなのでお馴染みの彼女といたすのでは、趣旨が外れるので増員が無ければ延期の予定です。
『緊急募集!!』からお読みいただいたほうが楽しいかと思います。
坂道を自転車が滑り降りるように、那智さんが最初の一押しを踏み出してからクルクルと物事が進んでいく。
那智さんなりに温めていたことや、じつはわたしの叶えたい思いが強かったことが進める勢いを強くしているのかもしれない。
あっという間に決定して詳細を決め募集をかけた。
このところ、そんな状態だから2ヶ月淡々と積み重ねる流れとは違うイレギュラーなエントリーが続いている。
いつものペースを崩してしまうと後々大変そうだし、2ヶ月後のエントリーが腑抜けになってしまいそうで気になるところではあるけれど、たまには寄り道を楽しむこともアリかなと思って、今日もほぼリアルタイムなエントリー。
詳細を決めてもらい募集をかける。
実際どれくらいの人が手を挙げてくださるかはわからないし、もしかしたら0なんてことだってあり得る(密かに濃厚 笑)
0だったら残念だけど、でも、わたしたちはこの準備だけでも充分楽しませてもらっています。
那智さんが舵を取り、わたしなりに気づいたことをお伝えして、最終的にエントリーとして公表する。
真剣に話を詰め、ときには真剣に『ひーひー』仰け反り、わたしもこの事態を一緒に真剣に楽しめるように、ちょっとは成熟したかな〜と思うのだ。
そんな中、男女の違いか個性か、ふたりの感覚の違いがうっすら見えたりするのもおもしろい。
たとえば、わたしは参加される人は他に同席者がいないこと好む人が多いだろうと思っている。
見ず知らずの初対面の他人が集まって性的な行いをすることへの抵抗感だよね。
ところが那智さんは、同席者がいたほうがいいと思っているだろうと想像している。
「だって、休憩できるだろ?」ということだ。
わたしは安全面や羞恥心を心配するどちらかというと女性的な感覚で、責める側、特に男性の場合は機能(!)も含めて一点集中にならないほうがいいという那智さんの男性目線。
どちらが正解かではないけれど、『継続してりん子を可愛がる』に主眼を置いてくれている那智さんらしいご意見だなと思ったりする^^
まあ、その辺も含めて『等式』を安全性のひとつにできたらいいなって思ってます。
他にも、どんな人が来てくださるかという話もおもしろい。
まあ、単独男性というのが一番有力だからそれはいいとして^^
次にあり得るとしたらカップルかなと思っているのだけど、じゃあ、カップルのどちらが誘ってきてくれるのかな。
まず、女性が男性を誘う場合。
女性が読者さんで、たとえばわたしが鞭を打たれているところやブログのような濃密なふたりのセックスを見てみたいとか、というような思いがあって、その女性は見ていてパートナーに参加してもらうパターン。
これは那智さん一押しのパターンなんだけど、わたしはいまいち賛同できない。
なぜなら、自分が見たいという欲望と好きな男が他の女を抱くのを見ることのリスクを秤にかけたら後者が勝つと思うのだ。
ただ、女性に嫉妬も快感に繋がりそう、もしくはスワップを楽しめるのであれば成立するね。
そんな女性でわたしたちのSM的性行為に興味がある方は、パートナーさんを誘ってみてください^^
逆は?
男性が女性を誘うパターン。
これは基本的に女性側になんのメリットもない^^;
それこそ被虐嗜好がある女性ならありかもしれないけど、そうじゃなければ、見知らぬ男女のセックスなんて興味ないだろうし、そこにパートナーが混ざり合うところなんて見たくもないものね^^;
あとでケンカの種になりそうでもあります。
たとえば、ここで成立するとしたら、ご主人様と奴隷さんの組み合わせかな。
嫉妬の克服や複数調教などという調教のもと、命令をして連れて来ることは可能だろう。
嫉妬ありき、我慢ありき、なのだから、男性(ご主人様)もその後の問題を心配する必要ないからね。
ただ、問題は奴隷さんにそういうことを強制するような『ご主人様』と呼ばれる人が『等式』を読んでくれているとは思えないし、仮に読んでくれていたとしても、こんな生意気なりん子って女を抱こうという気持ちになってくれないような気もするので、そこが一番の問題だったりする^^;(ぐすん)
あ、でも、鞭打てますよ(笑)
ということで、カップルの場合は女性にその嗜好、もしくは興味があることが鍵かな。
で、ひそかな最有力(?)の単独女性!!
今回那智さんは『レズ嗜好』のある方を希望していましたが、まあ、厳密にいうとレズビアンということではなくて、する側になって女性との性行為を楽しめる、女性の反応を楽しみたい、もしくは興味がある程度のレズです。(ですよね?那智さん)
レズビアンや生粋のS女性でなくても、好奇心と柔軟性があれば大丈夫です!!
もちろん、する側なので那智さんとの性行為はご希望がない限りはありません^^
女の人大好きなわたしなので、ひそかに手招きしている感は否めません^^;
こんなふうにあれこれ会話を重ねることも楽しいし、それ自体もひとつのイベントとして楽しんでいます。
緊急の募集ですので熟慮の時間は短く、特にカップルでお考えの方かパートナーと意思疎通を計って応募するにはあまり時間がないかと思いますが、このエントリーが想像の後押しになるといいなと思います^^
あれ?後押しになってるよね?
とにかく、『等式』という共通認識のある中での複数はきっと『等式』っぽい良さがあるんじゃないかなって思っていますので、メールお待ちしていますね〜^^
「等式」感想です。う~ん、今回、りん子と話をしていると、お相手となる一緒に遊ぼうとする方々の範囲が段々狭くなっていくのを感じ焦っていましたが、その通りの結果ですね。応募のあった、単独女性はモカちゃんなのでお馴染みの彼女といたすのでは、趣旨が外れるので増員が無ければ延期の予定です。
人わんこの幸福
独特な幸福感
小さなギャラリーに『人わんこ展(仮名)』を見に行った。
SMで女を犬にするということはひとつのカテゴリとして確立されている。
山奥で夜の公園で女性を裸にして四つん這いであるかせるし、SMの絵描きさんの中にも首輪にリードで繋がれている女性の絵はよく見かけるものね。
そういうわたしもずっと昔から『首輪にリード』や『人に非ずの違和感』や『裸を晒される』なんてことに漠然と憧れは持っていたので、妄想のひとつに『犬になる』はあった。
那智さんと付き合い実際自分が『わんこ』になることを何度も経験して、那智さんとわたしの『わんこ』ができあがってきたと思うのだけど、すればするほど、ネットなどで目にする『女を犬にする』ものから感じ取れる印象とは違うものになっていっているように感じていた。
四つん這いの女性の写真には蔑みや辱め。
電信柱に繋がれた女性の絵から醸し出される困惑や諦め。
どうしても女性が負を背負うような印象のものばかりで、わたしたちの作ってきた『わんこ』はその世界からどんどん離れていっているようだった。
『人わんこ展』が開催されることを知ったときも一瞬興味は湧いたけど、きっといままでたくさん見てきたSM界の『女を犬にする』ものと同じで残念な気持ちになると想像できたので行くのはよそうと思っていた。
でも、あらためてネットで告知の絵を見ていってみる気持ちになったのだ。
その絵は着物を着た女性の胸に首輪をつけた男性が寄り添い見上げていて、女性は男性の頭を撫でているものだった。
そこにあるのは蔑みでも諦めでもなく、まぎれもない慈しみ。
慕い慕われることで互いに幸福を感じる関係がその絵から感じられたのだ。
その世界観が1枚でもあるなら見に行っても残念な気持ちになれずにすみそうだったので、夕方那智さんと合流して小さなギャラリーに足を運んだ。
ちょうど初日だったこともあり簡単な飲み物を提供してくれて、なんと作家さんまでいらした。
お名前と作品は目にしたことはあるけれど勉強不足でそれだけしか知識がなく、主催者の方に作家さんを紹介してもらったにも関わらず実りあるお話しができなかった。
ちょっと残念。
おそらく著名なその作家さんの絵を筆頭に様々なシーンの『人わんこ』がギャラリーを賑わしていた。
広告を飾っていた画と漫画タッチのかわいらしいわんこの画が数点、これらはわたしたちの『わんこ』と重なる部分はあったけど、やはりその他のものは女性が全裸で犬小屋に住み、蔑まれ虐げられ、嘲笑の的になっているようなものばかりだった。
中には、手足が改良され犬をモチーフにしたテーブルになっている女性や、ロボットのような女性の画もあった。
ここまで来ると『人わんこ』というより家畜人ヤプーの世界に近い。
演出に飾られていた犬用の皿と首輪とリードと座布団を見てほふほふしてしまったりはしたものの、やはり全体を通して残念ながら違和感を感じずにはいられなかった。
わたしがSM的妄想を抱いたとき、『犬、もしくは人に非ず』な妄想に発展していったとき。
そこには哀れや蔑みやみじめがあったはずだ。
もう、それは被虐嗜好とセットになったものとして。
このギャラリーの絵画たちのように。
でも、いくつかの経験と様々な人たちのSMや主従を見たことと那智さんがわたしに施してくれたことで、己を知る。
わたしにとって蔑みやみじめは幸福のもとの快感には繋がらないこを、そして、那智さんから慈しみ可愛がられる『犬、もしくは人に非ず』の代え難い幸福を。
人なのに首輪をつけリードを引かれ好奇の目に晒される。
手足を切断され椅子になるような肉体改造にさえ憧れを抱いていた。
『家畜人ヤプー』の中で椅子に改造された日本人に白人が座るときの意識が描写されててね、たしかね『これは人だと認識はしているけど意識はしていない』みたいなことだったんだよね、それも憧れる世界だったはずだ。
しかし、それは合わなかった。
『複数』と同じこと、妄想を形にしたら、必ず快感が得られるものではない。
完全自己完結のプレイを楽しむならば大丈夫かもしれないけど、結局人と人同士、妄想から抜け出し、その人たちに合った方法に作り上げていくものなのだろう。
大好きな那智さんと良好な関係を保ちながら被虐願望を叶え、互いに幸福でい続けるためには、わたしには蔑むことを含むSMは合わなかった。
それは那智さんと作り上げて知ったことで、できた形。
SMに憧れた頃に妄想していた犬や人ではなくなる蔑みをセットにした被虐は叶わないなと、小さなギャラリーにたくさん飾られたわたしたちの『わんこ』とは違う世界の絵画たちを眺めながら、妄想していた頃の自分を思い出し、ちょっぴり郷愁の思いで那智さんの腕に自分の腕を絡ませた。
<関連エントリー>
『わんこ』
「等式」感想です。あのスペースに集う人の趣向がわからないのがおもしろかった、「絵」が好きなのか、「やる」ことが好きなのか、その部分が趣味なのか、SM全般の中の一部として興味があるのか、作家の方とも少しお話しをしましたが、当たり障りの内部分でしかお話し出来なかったのが残念です。
小さなギャラリーに『人わんこ展(仮名)』を見に行った。
SMで女を犬にするということはひとつのカテゴリとして確立されている。
山奥で夜の公園で女性を裸にして四つん這いであるかせるし、SMの絵描きさんの中にも首輪にリードで繋がれている女性の絵はよく見かけるものね。
そういうわたしもずっと昔から『首輪にリード』や『人に非ずの違和感』や『裸を晒される』なんてことに漠然と憧れは持っていたので、妄想のひとつに『犬になる』はあった。
那智さんと付き合い実際自分が『わんこ』になることを何度も経験して、那智さんとわたしの『わんこ』ができあがってきたと思うのだけど、すればするほど、ネットなどで目にする『女を犬にする』ものから感じ取れる印象とは違うものになっていっているように感じていた。
四つん這いの女性の写真には蔑みや辱め。
電信柱に繋がれた女性の絵から醸し出される困惑や諦め。
どうしても女性が負を背負うような印象のものばかりで、わたしたちの作ってきた『わんこ』はその世界からどんどん離れていっているようだった。
『人わんこ展』が開催されることを知ったときも一瞬興味は湧いたけど、きっといままでたくさん見てきたSM界の『女を犬にする』ものと同じで残念な気持ちになると想像できたので行くのはよそうと思っていた。
でも、あらためてネットで告知の絵を見ていってみる気持ちになったのだ。
その絵は着物を着た女性の胸に首輪をつけた男性が寄り添い見上げていて、女性は男性の頭を撫でているものだった。
そこにあるのは蔑みでも諦めでもなく、まぎれもない慈しみ。
慕い慕われることで互いに幸福を感じる関係がその絵から感じられたのだ。
その世界観が1枚でもあるなら見に行っても残念な気持ちになれずにすみそうだったので、夕方那智さんと合流して小さなギャラリーに足を運んだ。
ちょうど初日だったこともあり簡単な飲み物を提供してくれて、なんと作家さんまでいらした。
お名前と作品は目にしたことはあるけれど勉強不足でそれだけしか知識がなく、主催者の方に作家さんを紹介してもらったにも関わらず実りあるお話しができなかった。
ちょっと残念。
おそらく著名なその作家さんの絵を筆頭に様々なシーンの『人わんこ』がギャラリーを賑わしていた。
広告を飾っていた画と漫画タッチのかわいらしいわんこの画が数点、これらはわたしたちの『わんこ』と重なる部分はあったけど、やはりその他のものは女性が全裸で犬小屋に住み、蔑まれ虐げられ、嘲笑の的になっているようなものばかりだった。
中には、手足が改良され犬をモチーフにしたテーブルになっている女性や、ロボットのような女性の画もあった。
ここまで来ると『人わんこ』というより家畜人ヤプーの世界に近い。
演出に飾られていた犬用の皿と首輪とリードと座布団を見てほふほふしてしまったりはしたものの、やはり全体を通して残念ながら違和感を感じずにはいられなかった。
わたしがSM的妄想を抱いたとき、『犬、もしくは人に非ず』な妄想に発展していったとき。
そこには哀れや蔑みやみじめがあったはずだ。
もう、それは被虐嗜好とセットになったものとして。
このギャラリーの絵画たちのように。
でも、いくつかの経験と様々な人たちのSMや主従を見たことと那智さんがわたしに施してくれたことで、己を知る。
わたしにとって蔑みやみじめは幸福のもとの快感には繋がらないこを、そして、那智さんから慈しみ可愛がられる『犬、もしくは人に非ず』の代え難い幸福を。
人なのに首輪をつけリードを引かれ好奇の目に晒される。
手足を切断され椅子になるような肉体改造にさえ憧れを抱いていた。
『家畜人ヤプー』の中で椅子に改造された日本人に白人が座るときの意識が描写されててね、たしかね『これは人だと認識はしているけど意識はしていない』みたいなことだったんだよね、それも憧れる世界だったはずだ。
しかし、それは合わなかった。
『複数』と同じこと、妄想を形にしたら、必ず快感が得られるものではない。
完全自己完結のプレイを楽しむならば大丈夫かもしれないけど、結局人と人同士、妄想から抜け出し、その人たちに合った方法に作り上げていくものなのだろう。
大好きな那智さんと良好な関係を保ちながら被虐願望を叶え、互いに幸福でい続けるためには、わたしには蔑むことを含むSMは合わなかった。
それは那智さんと作り上げて知ったことで、できた形。
SMに憧れた頃に妄想していた犬や人ではなくなる蔑みをセットにした被虐は叶わないなと、小さなギャラリーにたくさん飾られたわたしたちの『わんこ』とは違う世界の絵画たちを眺めながら、妄想していた頃の自分を思い出し、ちょっぴり郷愁の思いで那智さんの腕に自分の腕を絡ませた。
<関連エントリー>
『わんこ』
「等式」感想です。あのスペースに集う人の趣向がわからないのがおもしろかった、「絵」が好きなのか、「やる」ことが好きなのか、その部分が趣味なのか、SM全般の中の一部として興味があるのか、作家の方とも少しお話しをしましたが、当たり障りの内部分でしかお話し出来なかったのが残念です。
蛇口
独特な幸福感
一日のはじまりの「おはよう」メールがなかった。
厳密にいうと、だいたいメールをいただける時間になかった。
いつでも送って良いフリーメールはあるけれど、直接携帯同士のやり取りは基本的に那智さんからの「おはよう」メールではじまって「おやすみ」が終了の合図になっている。
でもって、朝イチに「おはよう」をいただいて、わたしがお話しできる状況になったら電話を鳴らしていいことになっているので、那智さんの合図はメール解禁と同時に後でお話しできるよの合図にもなっている。
だから、わたしのとって「おはよう」メールは、単に那智さんからメールが来た喜びに加えて、直接やり取りできる繋がっている実感と、その後お話しできる約束の喜びと何重にも喜びを与えてくれるものなのだ。
那智さんもそれを理解してくれているし好きな女を寂しがらせたくない人なので、年に1、2度忘れてしまうことを除けばきちんと毎日メールしてくれるし、たまにメールできない予定が入っているときは事前に教えておいてくれるので、例外を除けば毎朝のメールがわたしの『生命のスイッチオン』なのだ(笑)
そのメールがなかった。
まあ、年に1、2回のうちの1回なんだろうな〜、『感想』は書いていてくれたから事故とか急病とかの心配はしないでいられたので、純粋にし忘れたのだろうと「まだかな、まだかな」と携帯をチェックしながら思っていた。
ところが、日々わたしがお電話できる時間になってもメールが来ない。
だいたいメールをし忘れたときは、いつもの時間になってのわたしからの電話がないことではじめて「おはよう」を忘れていたことに気づくようなので、『りん子から電話がかかってくるはずの時間』もひとつの合図になっているから、その時間を過ぎてもメールがないことは滅多にないのだ。
メールを忘れている(かもしれない)上に、わたしからの電話時間も忘れている(かもしれない)ことに悲しい気持ちと『生命のスイッチオン』の時間がどんどん遅くなっていくことの焦るような気持ちに、心はマイナス方向に転がっていきそうになる。
でも、まあ、何か事情があったとしてもそれが済めば必ずいただけるし、長年培った『那智さんはわたしをないがしろにしない』という信頼と今朝『感想』はちゃんとくださった感謝の気持ちなどなどがあったので、ちょっと低空飛行ではあるけれど穏やかな気持ちで待っていようと思っていた。
10分後(10分を長いと思うか、短いと思うかは人それぞれ 笑)
携帯に「おはよう〜」の合図。
ああ、よかった。
「おはようございます^^」とご挨拶をお返しして、あらためて電話をかける。
聞くと送信エラーになっていたそうで那智さん本人は送っていたつもりになっていたそうだ。
わたしからの電話がないことに10分気づかなかった理由は聞かなかったけど、この日はいつもと違う朝の過ごし方だったので、まあ、そういうことなんだろうなと理解した。
感情の蛇口調整はむずかしい。
わたしにとって那智さんからのメールは『生命スイッチオン』なのだ。
それをダメージを少なく、那智さんを責めるようなこともしないようにするにはある程度蛇口を絞って低空飛行をしておいたほうがいいけれど、それだといざ繋がったときにきゃぴきゃぴと軽いノリで喜べないという難点もある。
理由を話してくれて、その後はごく普通の会話を楽しんだしいつも通りのわたしになれたけど、これではいけないと切り際にお伝えした。
那智さん、今日、「おはよう」なくて寂しかったです
事情はわかったので責めるつもりはありませんけど、わたしが那智さんからのメールをとても心待ちにしていることも、だからこそ、寂しくなったこともお伝えしてもいいですよね?
この蛇口は締めておこうと思えばけっこう締めておけます
でも、締めておくことに慣れてしまうのはよくないですよね?
だから、お伝えします
もちろん
ちゃんと言わなきゃダメ
那智さんはわたしの『慣れない』ところがすごいと褒めてくれます。
それはわたしの特性のひとつかもしれないけど、那智さんが『慣れない』ようにさせてくれていることも大いに関係していると思っています。
日頃からわたしの蛇口を開けっ放しにさせてくれているし、このときのように一時は締めたとしても必ず最後には開放してくれるから、わたしの感情のタンクはいつも新鮮な水で満たすことができるのです。
これを、わがまま言うなとか言って日頃蛇口を締めさせておいて、自分の都合の良いときだけ「すべてをさらけ出せ」なんていう人だったらわたしは上手に蛇口の調整ができず、新鮮さを保つことができないだろう。
往々にして、都合の良いときだけ言う人の『すべて』は、その人にとって都合の良い部分の『すべて』だったりするよね。
あなたのメールが『生命のスイッチオン』なんて極端な女を作りたいなら、蛇口から溢れ出る感情をすべて吸収する覚悟が必要だ。
そうしていてくれれば、いつまでも『慣れない』わたしでいられるのです^^
<関連エントリー>
『待ち方』
一日のはじまりの「おはよう」メールがなかった。
厳密にいうと、だいたいメールをいただける時間になかった。
いつでも送って良いフリーメールはあるけれど、直接携帯同士のやり取りは基本的に那智さんからの「おはよう」メールではじまって「おやすみ」が終了の合図になっている。
でもって、朝イチに「おはよう」をいただいて、わたしがお話しできる状況になったら電話を鳴らしていいことになっているので、那智さんの合図はメール解禁と同時に後でお話しできるよの合図にもなっている。
だから、わたしのとって「おはよう」メールは、単に那智さんからメールが来た喜びに加えて、直接やり取りできる繋がっている実感と、その後お話しできる約束の喜びと何重にも喜びを与えてくれるものなのだ。
那智さんもそれを理解してくれているし好きな女を寂しがらせたくない人なので、年に1、2度忘れてしまうことを除けばきちんと毎日メールしてくれるし、たまにメールできない予定が入っているときは事前に教えておいてくれるので、例外を除けば毎朝のメールがわたしの『生命のスイッチオン』なのだ(笑)
そのメールがなかった。
まあ、年に1、2回のうちの1回なんだろうな〜、『感想』は書いていてくれたから事故とか急病とかの心配はしないでいられたので、純粋にし忘れたのだろうと「まだかな、まだかな」と携帯をチェックしながら思っていた。
ところが、日々わたしがお電話できる時間になってもメールが来ない。
だいたいメールをし忘れたときは、いつもの時間になってのわたしからの電話がないことではじめて「おはよう」を忘れていたことに気づくようなので、『りん子から電話がかかってくるはずの時間』もひとつの合図になっているから、その時間を過ぎてもメールがないことは滅多にないのだ。
メールを忘れている(かもしれない)上に、わたしからの電話時間も忘れている(かもしれない)ことに悲しい気持ちと『生命のスイッチオン』の時間がどんどん遅くなっていくことの焦るような気持ちに、心はマイナス方向に転がっていきそうになる。
でも、まあ、何か事情があったとしてもそれが済めば必ずいただけるし、長年培った『那智さんはわたしをないがしろにしない』という信頼と今朝『感想』はちゃんとくださった感謝の気持ちなどなどがあったので、ちょっと低空飛行ではあるけれど穏やかな気持ちで待っていようと思っていた。
10分後(10分を長いと思うか、短いと思うかは人それぞれ 笑)
携帯に「おはよう〜」の合図。
ああ、よかった。
「おはようございます^^」とご挨拶をお返しして、あらためて電話をかける。
聞くと送信エラーになっていたそうで那智さん本人は送っていたつもりになっていたそうだ。
わたしからの電話がないことに10分気づかなかった理由は聞かなかったけど、この日はいつもと違う朝の過ごし方だったので、まあ、そういうことなんだろうなと理解した。
感情の蛇口調整はむずかしい。
わたしにとって那智さんからのメールは『生命スイッチオン』なのだ。
それをダメージを少なく、那智さんを責めるようなこともしないようにするにはある程度蛇口を絞って低空飛行をしておいたほうがいいけれど、それだといざ繋がったときにきゃぴきゃぴと軽いノリで喜べないという難点もある。
理由を話してくれて、その後はごく普通の会話を楽しんだしいつも通りのわたしになれたけど、これではいけないと切り際にお伝えした。
那智さん、今日、「おはよう」なくて寂しかったです
事情はわかったので責めるつもりはありませんけど、わたしが那智さんからのメールをとても心待ちにしていることも、だからこそ、寂しくなったこともお伝えしてもいいですよね?
この蛇口は締めておこうと思えばけっこう締めておけます
でも、締めておくことに慣れてしまうのはよくないですよね?
だから、お伝えします
もちろん
ちゃんと言わなきゃダメ
那智さんはわたしの『慣れない』ところがすごいと褒めてくれます。
それはわたしの特性のひとつかもしれないけど、那智さんが『慣れない』ようにさせてくれていることも大いに関係していると思っています。
日頃からわたしの蛇口を開けっ放しにさせてくれているし、このときのように一時は締めたとしても必ず最後には開放してくれるから、わたしの感情のタンクはいつも新鮮な水で満たすことができるのです。
これを、わがまま言うなとか言って日頃蛇口を締めさせておいて、自分の都合の良いときだけ「すべてをさらけ出せ」なんていう人だったらわたしは上手に蛇口の調整ができず、新鮮さを保つことができないだろう。
往々にして、都合の良いときだけ言う人の『すべて』は、その人にとって都合の良い部分の『すべて』だったりするよね。
あなたのメールが『生命のスイッチオン』なんて極端な女を作りたいなら、蛇口から溢れ出る感情をすべて吸収する覚悟が必要だ。
そうしていてくれれば、いつまでも『慣れない』わたしでいられるのです^^
<関連エントリー>
『待ち方』
緊急募集!!
独り言
2月18日を持ちまして募集を締切らせていただきます。
応募はモカちゃん一人ということで期待してくださった方々にはがっかりさせちゃいましたね^^;
でも、こんなに自分の欲に素直に行動するわたし(たち)に応援や期待のメッセージをいただけてとてもうれしかったです、ありがとうございました^^
前エントリーでも予告いたしましたが、正式にわたしたちにお付き合いいただける方々を募る告知をいたします。
下記に那智さんからの『お手伝いのお願い要項』がありますのでどうぞご覧くださいませ。
『等式』は圧倒的に女性読者が多いと思いますし限られた人数しか読者数はいないので、こちらで人集めをしてどれほどの人が集まるか不明ではあります。
また、実際に手を挙げようかなと思っている方以外にはあまり関係のないお話になってしまうことも少し申し訳ないとも思っています。
きっと複数やスワップを楽しむだけなら、そういうコミュニティは存在しているはずなのでそこで募集をかけることも可能だし、ある意味確実でもありますよね。
でも、今回あえて『等式』内でお声をかけた理由としては、わたしたちのことを知ってくれている人のほうが共通の世界観を持ちやすいであろうことと、仮に複数の方が集まったとして『等式』の読者であることがその方々にとってひとつの安全性や安心感に繋がってくれると思ったからです。
見ず知らずの複数の利点より、那智とりん子を知っていて好いてくれているという利点のほうが大きいと思ったからです^^
那智さんより
どうですか、お楽しみ頂けましたか。
いきなりですが、一連のエントリーをお読み頂き、りん子を喜ばせたいと思い、お手伝い頂ける方を募りたいと思います。
【私のスタンス】
私の力とあなたの力でりん子を「白い世界」に行かせたいと思います。
今までと違い、私が最初から参加し、助走をつけ、多人数状態に移り、その異常さと、露出嗜好をりん子に認識させて、貶める部分と変態と快感を肯定するのを楽しみたいと思います。(笑)
やってみたいことは事前にお知らせ下さい、作戦会議をしましょう。
【りん子のスタンス】
えーっと、那智さんが引き金を引いて『一緒に楽しもう』と示してくれたので、楽しもうと思います。
わたしが楽しむためには、その最中は『気遣い』を放棄するようにします。
思い切り恥ずかしがり、正直に痛がり、全力で感受性を解放するつもりです。
全部手放すことは難しいとは思いますが、那智さんやゲストの皆さんが楽しむためにも、あえて自分の世界に入るように努めます。
【参加資格】
(共通として)
A
「等式」読者で以下のエントリーを読んで頂きご理解頂いた上で参加表明をされる方。
(わたし側の女性を可愛がるという元来のSMのイメージとは違うものとご理解いただくこと、それを目的として今回のことに至った経緯を知っていてくれているという主旨です^^ りん子)
『那智さんのSM』
『複数もしくは他者1 2 3 4』
『詰め将棋』
また参加条件として『等式』読者歴1ヶ月以上の方。
B
私たちを含め人数は最低3名(私たち+1)、最高で5名(私たち+3)です。
男女の編成は応募次第ですのでわかりません。
他の方と同席したくない方はその旨お知らせください、できる限り希望には添いたいと思います。
応募多数の場合はメールのやり取りにより時間等考慮して決めさせていただきます。(ひやかし防止なども考慮して)
C
日時、3月12(火)13(水)14(木)21(木)のいずれか一日。
詳細は応募頂いた方にのみ、お知らせ致します。
(大丈夫な日付をお知らせ下さい、応相談でいきまししょう。)
時間は14:00~23:00の中で「かわいがりタイム」が3時間ぐらい。
「一緒に飲みましょうタイム(ホテル部屋にて)」が2~3時間を予定しています。
勿論、全時間のお願いではありません、応相談にて。
(単独男性の場合)
成人男子でりん子を喜ばせたいと思う方。
(カップルの場合)
参加する方2人の内どちらかが一人が、りん子を直接可愛がることを希望する方。
どちらか一人が読者であれば可。
(単独女性の場合)
レズの嗜好がありそれを希望される方。
D
費用は割り勘です。
E
締め切りは2月18日(月)
以上ですが、エントリーお待ちしております、よろしくお願いします。
那智
上記をお読みいただいて参加希望の方は【必要事項】を記入の上、メールフォームか下記アドレスまでお願いいたします。
【必要事項】
1 名前(HN)
2 性別
3 NGの日時(なるべく多くの方に参加していただきたいので希望日時ではなくNGの日時で^^)
4 読者歴
5 その他、詳細は後日のやり取りになりますが、希望(同席不可など)や質問があればお聞かせくださいませ。
アドレス:hosinohadou@yahoo.co.jp
それでは、お手伝いいただける方からのメールお待ちしております!!。
読者の皆さんと良い時間が過ごせますよう、楽しみにしています^^
はう、書き上げるの、いろいろ恥ずかしかった^^;
「等式」感想です。(笑)現状のお知らせです。山のような激励メールを頂きましたようですが、参加希望は女性1件のみです。出来たら等式の中で完結したいと思います、貴方の希望、相談事等ありましたら遠慮無くどうぞ。りん子にナイショ話はoskusuriyubi@yahoo.co.jpまで。
2月18日を持ちまして募集を締切らせていただきます。
応募はモカちゃん一人ということで期待してくださった方々にはがっかりさせちゃいましたね^^;
でも、こんなに自分の欲に素直に行動するわたし(たち)に応援や期待のメッセージをいただけてとてもうれしかったです、ありがとうございました^^
前エントリーでも予告いたしましたが、正式にわたしたちにお付き合いいただける方々を募る告知をいたします。
下記に那智さんからの『お手伝いのお願い要項』がありますのでどうぞご覧くださいませ。
『等式』は圧倒的に女性読者が多いと思いますし限られた人数しか読者数はいないので、こちらで人集めをしてどれほどの人が集まるか不明ではあります。
また、実際に手を挙げようかなと思っている方以外にはあまり関係のないお話になってしまうことも少し申し訳ないとも思っています。
きっと複数やスワップを楽しむだけなら、そういうコミュニティは存在しているはずなのでそこで募集をかけることも可能だし、ある意味確実でもありますよね。
でも、今回あえて『等式』内でお声をかけた理由としては、わたしたちのことを知ってくれている人のほうが共通の世界観を持ちやすいであろうことと、仮に複数の方が集まったとして『等式』の読者であることがその方々にとってひとつの安全性や安心感に繋がってくれると思ったからです。
見ず知らずの複数の利点より、那智とりん子を知っていて好いてくれているという利点のほうが大きいと思ったからです^^
那智さんより
どうですか、お楽しみ頂けましたか。
いきなりですが、一連のエントリーをお読み頂き、りん子を喜ばせたいと思い、お手伝い頂ける方を募りたいと思います。
【私のスタンス】
私の力とあなたの力でりん子を「白い世界」に行かせたいと思います。
今までと違い、私が最初から参加し、助走をつけ、多人数状態に移り、その異常さと、露出嗜好をりん子に認識させて、貶める部分と変態と快感を肯定するのを楽しみたいと思います。(笑)
やってみたいことは事前にお知らせ下さい、作戦会議をしましょう。
【りん子のスタンス】
えーっと、那智さんが引き金を引いて『一緒に楽しもう』と示してくれたので、楽しもうと思います。
わたしが楽しむためには、その最中は『気遣い』を放棄するようにします。
思い切り恥ずかしがり、正直に痛がり、全力で感受性を解放するつもりです。
全部手放すことは難しいとは思いますが、那智さんやゲストの皆さんが楽しむためにも、あえて自分の世界に入るように努めます。
【参加資格】
(共通として)
A
「等式」読者で以下のエントリーを読んで頂きご理解頂いた上で参加表明をされる方。
(わたし側の女性を可愛がるという元来のSMのイメージとは違うものとご理解いただくこと、それを目的として今回のことに至った経緯を知っていてくれているという主旨です^^ りん子)
『那智さんのSM』
『複数もしくは他者1 2 3 4』
『詰め将棋』
また参加条件として『等式』読者歴1ヶ月以上の方。
B
私たちを含め人数は最低3名(私たち+1)、最高で5名(私たち+3)です。
男女の編成は応募次第ですのでわかりません。
他の方と同席したくない方はその旨お知らせください、できる限り希望には添いたいと思います。
応募多数の場合はメールのやり取りにより時間等考慮して決めさせていただきます。(ひやかし防止なども考慮して)
C
日時、3月12(火)13(水)14(木)21(木)のいずれか一日。
詳細は応募頂いた方にのみ、お知らせ致します。
(大丈夫な日付をお知らせ下さい、応相談でいきまししょう。)
時間は14:00~23:00の中で「かわいがりタイム」が3時間ぐらい。
「一緒に飲みましょうタイム(ホテル部屋にて)」が2~3時間を予定しています。
勿論、全時間のお願いではありません、応相談にて。
(単独男性の場合)
成人男子でりん子を喜ばせたいと思う方。
(カップルの場合)
参加する方2人の内どちらかが一人が、りん子を直接可愛がることを希望する方。
どちらか一人が読者であれば可。
(単独女性の場合)
レズの嗜好がありそれを希望される方。
D
費用は割り勘です。
E
締め切りは2月18日(月)
以上ですが、エントリーお待ちしております、よろしくお願いします。
那智
上記をお読みいただいて参加希望の方は【必要事項】を記入の上、メールフォームか下記アドレスまでお願いいたします。
【必要事項】
1 名前(HN)
2 性別
3 NGの日時(なるべく多くの方に参加していただきたいので希望日時ではなくNGの日時で^^)
4 読者歴
5 その他、詳細は後日のやり取りになりますが、希望(同席不可など)や質問があればお聞かせくださいませ。
アドレス:hosinohadou@yahoo.co.jp
それでは、お手伝いいただける方からのメールお待ちしております!!。
読者の皆さんと良い時間が過ごせますよう、楽しみにしています^^
はう、書き上げるの、いろいろ恥ずかしかった^^;
「等式」感想です。(笑)現状のお知らせです。山のような激励メールを頂きましたようですが、参加希望は女性1件のみです。出来たら等式の中で完結したいと思います、貴方の希望、相談事等ありましたら遠慮無くどうぞ。りん子にナイショ話はoskusuriyubi@yahoo.co.jpまで。
劇場型
独り言
お友達と飲んだときに「りん子さんたちは劇場型だよね?」と言われたことがあった。
彼女のいう劇場型というのは役を演じる(役割分担?)ということのようだ。
たしかに、『娘』になったりするし、大和撫子ごっことかするし、まだ書いていないけど『ご主人様と奴隷ごっこ』もしたことある(ヘタレでダメだったけど^^;)ので否定はしない。
ただ、友達が『わんこ』もその一例にあげたときに、「う〜ん」とうなってしまった。
役になりきる、役になることを楽しむ、それで感じる、それらはSMというか変態嗜好のカテゴリとしては存在するし、わたしもわかる。
でも、『わんこ』は?と考えると、YESともNOとも即答できなかったのだ。
わたしたちにとって『わんこ』ってなんだろう?
犬、そのもの?(もちろん犬ではないけれど)
それとも人なのに犬になっている体?
犬のような存在?
あらためて、『わんこ』はなんだろう。
わたしは犬になっているつもりはない。
でもって、人だけど犬のようにしているつもりもない。
犬を代表とする『愛玩的存在』としての『わんこ』というのが一番しっくりくる。
可愛がり、慕う、双方の思いが一致している関係の象徴として『わんこ』。
だから、ホントはにゃんこでもちゅんたでもいいわけだし、わざわざお外で四つん這いでになる必要もないかもしれないけど。
わたしたちの間には『愛玩的存在』にプラスして従属嗜好があるので首輪やリードなどのそれを感じられる姿を求めているし、より従属感を感じられるお外を選んでいる。(部屋の中でもするけれど)
異質な状態に性的興奮を覚える性癖も相まって犬のような体勢を選んでいるのだよね。
そういうわけで、犬を演じているつもりはほとんどないのだ。
かなり違和感のある姿だけど、わたしはわたしのまま自然に『わんこ』になっているので、演じている?と問われると違うと答えたくなってしまう。
でも、何事も名前がつくとある種役割を与えられるものだと思うので、『わんこ』という名前がついている時点で彼女のいうところの『劇場型』ということも否定できないから、答えに困ってしまったのだ^^;
ひとまずと従属嗜好と性癖を満たす『愛玩的存在』。
ただ、そうとなると日頃のわたしもほとんどそんなような感じだったりする?
日頃と違うとしたら、那智さんにより全権を委ねている。
日頃も最終判断は那智さんが下すので委ねているといえば同じなんだけど、『わんこ』の最中はより完全に那智さんに委ねてわたしはわたしのことだけで精一杯の不完全な人間でいるという感じ。
ああ、でも、考えると性的場面ではほとんどその状態のような気もするので、一概に『わんこ』だけが全権を委ねる不完全な状態というわけではないけど、とにかく不完全な時間帯のわたしのひとつが『わんこ』ということになるのかな。
『わんこ』は、従属嗜好と性癖を満たす全権を委ねた不完全な愛玩的存在のわたし(長い!!)
役割分担をしている劇場型かどうかはわからないけど、もしこれが役柄だとしたら、これだけ詳細な設定の役作り北島マヤばりの演技力が必要だと思うので、那智さんの『わんこ』になれるのは、わたしくらいしかいないということで、満足だ(笑)
ところで、はっきり比べたわけではないけれど、おそらく、那智さんのほうがより犬に近い感覚で『わんこ』をしているのではないかと思う。
四つん這いのわたしの首筋を撫でる感じが犬の対するガシガシとしたものに近く、普段わたしを撫でるそれとは違うことがあるからだ。
まあ、いろいろ理由はあるでしょうけど、もしかしたら、たとえ嗜好の一致とはいえ女を四つん這いにして一般道を歩くなんてやるほうはむちゃくちゃ勇気のいる、それをするためには『これは犬!!』と思ったほうがやりやすいのかな〜と想像してみたけど、那智さんどうでしょう^^
<関連エントリー>
『大和撫子』
『お散歩の裏話1』
「等式」感想です。わんこの存在は、我々にとっての「ごっこ」遊び(経験してみたい)行為と、可能ならば継続したい変身願望の違いでしょうか。又、劇場の役が、当然、人間と動物の違いもあるので同等に考えられないのかもしれません。
お友達と飲んだときに「りん子さんたちは劇場型だよね?」と言われたことがあった。
彼女のいう劇場型というのは役を演じる(役割分担?)ということのようだ。
たしかに、『娘』になったりするし、大和撫子ごっことかするし、まだ書いていないけど『ご主人様と奴隷ごっこ』もしたことある(ヘタレでダメだったけど^^;)ので否定はしない。
ただ、友達が『わんこ』もその一例にあげたときに、「う〜ん」とうなってしまった。
役になりきる、役になることを楽しむ、それで感じる、それらはSMというか変態嗜好のカテゴリとしては存在するし、わたしもわかる。
でも、『わんこ』は?と考えると、YESともNOとも即答できなかったのだ。
わたしたちにとって『わんこ』ってなんだろう?
犬、そのもの?(もちろん犬ではないけれど)
それとも人なのに犬になっている体?
犬のような存在?
あらためて、『わんこ』はなんだろう。
わたしは犬になっているつもりはない。
でもって、人だけど犬のようにしているつもりもない。
犬を代表とする『愛玩的存在』としての『わんこ』というのが一番しっくりくる。
可愛がり、慕う、双方の思いが一致している関係の象徴として『わんこ』。
だから、ホントはにゃんこでもちゅんたでもいいわけだし、わざわざお外で四つん這いでになる必要もないかもしれないけど。
わたしたちの間には『愛玩的存在』にプラスして従属嗜好があるので首輪やリードなどのそれを感じられる姿を求めているし、より従属感を感じられるお外を選んでいる。(部屋の中でもするけれど)
異質な状態に性的興奮を覚える性癖も相まって犬のような体勢を選んでいるのだよね。
そういうわけで、犬を演じているつもりはほとんどないのだ。
かなり違和感のある姿だけど、わたしはわたしのまま自然に『わんこ』になっているので、演じている?と問われると違うと答えたくなってしまう。
でも、何事も名前がつくとある種役割を与えられるものだと思うので、『わんこ』という名前がついている時点で彼女のいうところの『劇場型』ということも否定できないから、答えに困ってしまったのだ^^;
ひとまずと従属嗜好と性癖を満たす『愛玩的存在』。
ただ、そうとなると日頃のわたしもほとんどそんなような感じだったりする?
日頃と違うとしたら、那智さんにより全権を委ねている。
日頃も最終判断は那智さんが下すので委ねているといえば同じなんだけど、『わんこ』の最中はより完全に那智さんに委ねてわたしはわたしのことだけで精一杯の不完全な人間でいるという感じ。
ああ、でも、考えると性的場面ではほとんどその状態のような気もするので、一概に『わんこ』だけが全権を委ねる不完全な状態というわけではないけど、とにかく不完全な時間帯のわたしのひとつが『わんこ』ということになるのかな。
『わんこ』は、従属嗜好と性癖を満たす全権を委ねた不完全な愛玩的存在のわたし(長い!!)
役割分担をしている劇場型かどうかはわからないけど、もしこれが役柄だとしたら、これだけ詳細な設定の役作り北島マヤばりの演技力が必要だと思うので、那智さんの『わんこ』になれるのは、わたしくらいしかいないということで、満足だ(笑)
ところで、はっきり比べたわけではないけれど、おそらく、那智さんのほうがより犬に近い感覚で『わんこ』をしているのではないかと思う。
四つん這いのわたしの首筋を撫でる感じが犬の対するガシガシとしたものに近く、普段わたしを撫でるそれとは違うことがあるからだ。
まあ、いろいろ理由はあるでしょうけど、もしかしたら、たとえ嗜好の一致とはいえ女を四つん這いにして一般道を歩くなんてやるほうはむちゃくちゃ勇気のいる、それをするためには『これは犬!!』と思ったほうがやりやすいのかな〜と想像してみたけど、那智さんどうでしょう^^
<関連エントリー>
『大和撫子』
『お散歩の裏話1』
「等式」感想です。わんこの存在は、我々にとっての「ごっこ」遊び(経験してみたい)行為と、可能ならば継続したい変身願望の違いでしょうか。又、劇場の役が、当然、人間と動物の違いもあるので同等に考えられないのかもしれません。