信じることに慣れさせてもらったら
りん子的独り言(エラそう)
今日は『かつてのわたし』のような女性たちに。
『信じることに慣れるのだ』というエントリーを書いたことがある。
なんでもかんでも『わたしのような女』で括ってしまっていいのかとも思うけど、とにかく、わたしのような女は、自分は愛される価値がないと思っている、だから、この男もいつかわたしを見放し、どこかに行くのだろうといつも不安と疑いを持っている。
本当はとてもとても愛してほしいクセに、あえてぬるま湯につけたり、わざと相手を試すようなことを言ったり、一時的に他の男に逃げたりして心の中で舌を出す。
結果、増長したり、呆れられたり、離れていったりする。
ゆえに、いつまでも不安や見下しがなくならず、とにかく、心から安定して相手を好きでいられないのだ。
(で、急にこちらが冷めたりもする)
そんなわたしのような女が相手を信じられないのは『信じることに慣れていない』だけ。
だから、何度もくり返して慣れさせてもらいましょうというエントリーだった。
我ながら、なかなかいい発想だと思うんだけど^^
信じられないと自分を責めたり嘆いたりするくらいなら、慣れさせてくださいとお願いするほうがずっと精神的に健全だし、健全でいたほうが解決は早いと思うから書いたのです^^
で、最近、実感したことがあるのだけど『人を信じるようになる』には続きがあるみたいなのだ。
わたしに姉がいることはブログにも書いている。
わたしよりずっと理性的で丁寧に生きる人、年が離れているせいもあり姉はわたしにとって『基本』のような人だった。
死生観や人生観など、基本的な物差しは姉が大きく影響している。
そんなだから小さい頃からおねえちゃんこで、それはある種の依存だったと大人になってから知った。
小さい頃から大人になってまで依存して迷惑かけていたけど、姉はずっと『どんなことがあってもりん子をすき』(というか、いま思えば『見放さない』だったのだろうな)と言い続けてくれた人だった。
年齢差や愛情深さや、あと、もしかしたら、わたしが慕うことで姉にもメリットがあったかもしれないけど、とにかく、無償に近い許容の姿勢をいつも示してくれていた。
那智さんと出会い、わたしは自分に愛される価値があると思えるようになり、人を信頼し信頼される力を持てるようになってきて、いつしか、姉に対する依存心はなくなっていって、また別の良好な姉妹関係ができてきているなと、最近思っている。
昨年の夏頃、姉にちょっとしたトラブルが発生した。
基本、ひとりで対処できる人なのだけど、フルタイム勤務の彼女に変わって実務面をこなすなどの手伝いを引き受けたりしているとき、ふと、感じたことがあった。
わたしは、あの頃よりずっとずっと姉を信頼している
あの頃というのは具体的に那智さんに出会って変わる以前のこと。
愛される価値がないと思いつつ、なにかに依存していないと不安でしかたないからバカみたいな恋愛をくり返していた頃。
以前は、姉が『どんなりん子も好き』に代表されるような許容の言葉をかけてくれても、『そうはいっても本当は迷惑なんじゃないか』とか『こんなことを言ったら呆れて嫌われてしまうのではないか』と心のどこかで不安という疑心を持っていた。
でも、いまは『どんなりん子も』なんて話をしなくなったのに、日常会話やちょっと大事な話やなにもかも姉の言動を疑わず、そのままで受け取れる。
迷惑ばかりかけるわたしに『どんなりん子も好き』と無償の許容を示してくれていた、あの頃よりも、いまのほうがずっと姉を信頼している。
姉はなにも変わっていない。
わたしが変わったのだ。
ちょっとニュアンス伝わるか自信ないのだけど。
どうやら『わたしはこの人から信頼されている』と思えると、その人の言動を疑うことはなくなるみたいなのだ。
泣き虫で世話の焼けるりん子も可愛かったかもしれないけど、いま、姉に対して依存せず対等に頼り頼られる関係でいることは、姉から『りん子は信頼に値する』と思われていると肌で感じることができる。
そうすると不思議なことに姉の言動が昔よりずっとずっとまっすぐ受け取ることができるのだ。
このお話は『相手から信頼されている』という『事実』と『信頼に値する自分』と思えるという『自負』の二本柱で話します。
なので、ちょっとここがごっちゃになっちゃうと思うけど、じつは後者のほうが大事だったりします。
前者は受け取る相手次第になってしまうところがあるけど、後者(『信頼に値する自分』と思えるという自負)は自分次第で得ることができるからです。
で、あらためて、このニュアンス、伝わるといいのだけど。
相手を信じる心は、自分が信頼に値する人間であると思えるかどうかが鍵になるようなのだ。
たしかにそうだよね、『わたしは彼から信頼されている』と思えるんだから、彼がその自分に対してウソをつくはずはないと思えるんだよね。
信頼されていないと思っていたら、その相手の言葉を無意識に疑ってしまうのもわかるよね。
じつは、相手を信じられないということは、自分に対する不信感のせいでもあるかもしれないのだ。
じゃあ、どうすれば、『信頼に値する』なんて思えるのだろう。
もう、毎度お馴染みになっちゃうんだけど^^;
結局、『素直』でいることなのだと思う。
淋しいときは淋しいと、会いたいときには会いたいと、うれしいときおいしいとき、そこに二次的な感情を乗せずに素直に伝える。
会えないときに「会いたくないんでしょ?」と嫌味を言ったり、「わたしは会えなくても平気」と強がってみたり、「どうせわたしなんか」といじけてみたり。
こういう二次的な感情で彼を試すような思考回路はやめるの。
『感情のスタート』を見極めて、「淋しい」「会いたい」「わたしはこう思う」とそれだけを相手に伝えるようにする。
なぜ、これが大事なのか。
二次的な感情を伝えて相手を試したりコントロールするような思考回路って、やってる本人は無意識に自覚しているんだよね。
だから、『こんなわたしを信頼するはずない』と、これも無意識に自分自身感じ取っているはずなんだ。
自分の行いが、自分自分自身に対する不信感になっているというわけ。
だから『自分は信頼に値する人間だ』と思えないのだよね。
もちろん、そういうこのをくり返しているのは相手だって感じ取るわけだから、事実としても信頼は得られない。
君の言動にウソはない、良いこともダメなことも含めて『素直』でいてくれるから、ウソはない、そんなふうに相手から信頼される人になろう。
信頼されていると思えるようになると、不思議と相手に対して不安や疑心がなくなっていく。
『信じることに慣れるのだ』で書いたように、何度も何度も信じることに慣れさせてもらったら、「わたしのことすき?」と何度も聞いて、何度も「すきだよ」と答えてもらってぬくぬく甘えさせてもらえたら、『この人は信頼に足る人だ』と充分思わせてもらえたら(ここ大事^^)どこかの段階で自分の意識をちょっと切り替えてみよう。
信頼に値する女になろうって。
自分がそう思えるようになろうって。
(もちろん、甘えるのも慣れさせてもらうことも継続可 笑)
不安や猜疑心から二次的な感情で彼を試すようなことはやめる。
あなた自身が変わるのだ。
『自分は信頼に値する人間だ』と思えることが彼への信頼になる。
これが『信じることに慣れるのだ』からスタートした大事な人を信じられるようになるための完成型^^
信じてもらえていると思えることは、本当に気持ちいいよ。
背筋がすっと伸びて気持ちよく、わたしを強くしてくれる。
彼の言動を疑わず、彼からの愛情をそのまま受け取り信じるようになるために。
いつも自分にも彼にも『素直』でいて、自分からも彼からも信頼される女になろう^^
注:
これは毎度お馴染みの『わたしのような女』に必要な思考回路です^^
上手に信頼を築ける人には当たり前のことかもしれないし、恋の駆け引きを楽しめる成熟した人には向いていないかもしれません。
また、この『素直』であることの価値に気づけない、もしくは価値を見出せない男が相手だとこの方法はあまり役に立たないかもしれませんし、『わたしのような女』には合わないタイプの男かもしれないです^^
<関連エントリー>
『信じることに慣れるのだ』
わたしのような女、とりあえず『惹かれ合う理由』を貼るので、最初の3エントリーくらいを読んでいただけるといいな
『惹かれ合う理由』
『素直』や『感情のスタート』、これもけっこうお馴染みだけど^^;
『素直に伝えるということ』
『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』
『感情のスタート』
『続・感情のスタート』
信頼されるのって気持ちいい^^
『畏怖の念』
「等式」感想です。エントリーは「はい、その通りですね。」で終了です。今日は注釈がありました。あると余分な感じがして、無いと欲しくなります。りん子が、長年書いてきて、昔は誰が読んでも大丈夫なようにと配慮したが最近は省略することも多いかと思う。読みやすくなり、行間が美しくなったかな。
今日は『かつてのわたし』のような女性たちに。
『信じることに慣れるのだ』というエントリーを書いたことがある。
なんでもかんでも『わたしのような女』で括ってしまっていいのかとも思うけど、とにかく、わたしのような女は、自分は愛される価値がないと思っている、だから、この男もいつかわたしを見放し、どこかに行くのだろうといつも不安と疑いを持っている。
本当はとてもとても愛してほしいクセに、あえてぬるま湯につけたり、わざと相手を試すようなことを言ったり、一時的に他の男に逃げたりして心の中で舌を出す。
結果、増長したり、呆れられたり、離れていったりする。
ゆえに、いつまでも不安や見下しがなくならず、とにかく、心から安定して相手を好きでいられないのだ。
(で、急にこちらが冷めたりもする)
そんなわたしのような女が相手を信じられないのは『信じることに慣れていない』だけ。
だから、何度もくり返して慣れさせてもらいましょうというエントリーだった。
我ながら、なかなかいい発想だと思うんだけど^^
信じられないと自分を責めたり嘆いたりするくらいなら、慣れさせてくださいとお願いするほうがずっと精神的に健全だし、健全でいたほうが解決は早いと思うから書いたのです^^
で、最近、実感したことがあるのだけど『人を信じるようになる』には続きがあるみたいなのだ。
わたしに姉がいることはブログにも書いている。
わたしよりずっと理性的で丁寧に生きる人、年が離れているせいもあり姉はわたしにとって『基本』のような人だった。
死生観や人生観など、基本的な物差しは姉が大きく影響している。
そんなだから小さい頃からおねえちゃんこで、それはある種の依存だったと大人になってから知った。
小さい頃から大人になってまで依存して迷惑かけていたけど、姉はずっと『どんなことがあってもりん子をすき』(というか、いま思えば『見放さない』だったのだろうな)と言い続けてくれた人だった。
年齢差や愛情深さや、あと、もしかしたら、わたしが慕うことで姉にもメリットがあったかもしれないけど、とにかく、無償に近い許容の姿勢をいつも示してくれていた。
那智さんと出会い、わたしは自分に愛される価値があると思えるようになり、人を信頼し信頼される力を持てるようになってきて、いつしか、姉に対する依存心はなくなっていって、また別の良好な姉妹関係ができてきているなと、最近思っている。
昨年の夏頃、姉にちょっとしたトラブルが発生した。
基本、ひとりで対処できる人なのだけど、フルタイム勤務の彼女に変わって実務面をこなすなどの手伝いを引き受けたりしているとき、ふと、感じたことがあった。
わたしは、あの頃よりずっとずっと姉を信頼している
あの頃というのは具体的に那智さんに出会って変わる以前のこと。
愛される価値がないと思いつつ、なにかに依存していないと不安でしかたないからバカみたいな恋愛をくり返していた頃。
以前は、姉が『どんなりん子も好き』に代表されるような許容の言葉をかけてくれても、『そうはいっても本当は迷惑なんじゃないか』とか『こんなことを言ったら呆れて嫌われてしまうのではないか』と心のどこかで不安という疑心を持っていた。
でも、いまは『どんなりん子も』なんて話をしなくなったのに、日常会話やちょっと大事な話やなにもかも姉の言動を疑わず、そのままで受け取れる。
迷惑ばかりかけるわたしに『どんなりん子も好き』と無償の許容を示してくれていた、あの頃よりも、いまのほうがずっと姉を信頼している。
姉はなにも変わっていない。
わたしが変わったのだ。
ちょっとニュアンス伝わるか自信ないのだけど。
どうやら『わたしはこの人から信頼されている』と思えると、その人の言動を疑うことはなくなるみたいなのだ。
泣き虫で世話の焼けるりん子も可愛かったかもしれないけど、いま、姉に対して依存せず対等に頼り頼られる関係でいることは、姉から『りん子は信頼に値する』と思われていると肌で感じることができる。
そうすると不思議なことに姉の言動が昔よりずっとずっとまっすぐ受け取ることができるのだ。
このお話は『相手から信頼されている』という『事実』と『信頼に値する自分』と思えるという『自負』の二本柱で話します。
なので、ちょっとここがごっちゃになっちゃうと思うけど、じつは後者のほうが大事だったりします。
前者は受け取る相手次第になってしまうところがあるけど、後者(『信頼に値する自分』と思えるという自負)は自分次第で得ることができるからです。
で、あらためて、このニュアンス、伝わるといいのだけど。
相手を信じる心は、自分が信頼に値する人間であると思えるかどうかが鍵になるようなのだ。
たしかにそうだよね、『わたしは彼から信頼されている』と思えるんだから、彼がその自分に対してウソをつくはずはないと思えるんだよね。
信頼されていないと思っていたら、その相手の言葉を無意識に疑ってしまうのもわかるよね。
じつは、相手を信じられないということは、自分に対する不信感のせいでもあるかもしれないのだ。
じゃあ、どうすれば、『信頼に値する』なんて思えるのだろう。
もう、毎度お馴染みになっちゃうんだけど^^;
結局、『素直』でいることなのだと思う。
淋しいときは淋しいと、会いたいときには会いたいと、うれしいときおいしいとき、そこに二次的な感情を乗せずに素直に伝える。
会えないときに「会いたくないんでしょ?」と嫌味を言ったり、「わたしは会えなくても平気」と強がってみたり、「どうせわたしなんか」といじけてみたり。
こういう二次的な感情で彼を試すような思考回路はやめるの。
『感情のスタート』を見極めて、「淋しい」「会いたい」「わたしはこう思う」とそれだけを相手に伝えるようにする。
なぜ、これが大事なのか。
二次的な感情を伝えて相手を試したりコントロールするような思考回路って、やってる本人は無意識に自覚しているんだよね。
だから、『こんなわたしを信頼するはずない』と、これも無意識に自分自身感じ取っているはずなんだ。
自分の行いが、自分自分自身に対する不信感になっているというわけ。
だから『自分は信頼に値する人間だ』と思えないのだよね。
もちろん、そういうこのをくり返しているのは相手だって感じ取るわけだから、事実としても信頼は得られない。
君の言動にウソはない、良いこともダメなことも含めて『素直』でいてくれるから、ウソはない、そんなふうに相手から信頼される人になろう。
信頼されていると思えるようになると、不思議と相手に対して不安や疑心がなくなっていく。
『信じることに慣れるのだ』で書いたように、何度も何度も信じることに慣れさせてもらったら、「わたしのことすき?」と何度も聞いて、何度も「すきだよ」と答えてもらってぬくぬく甘えさせてもらえたら、『この人は信頼に足る人だ』と充分思わせてもらえたら(ここ大事^^)どこかの段階で自分の意識をちょっと切り替えてみよう。
信頼に値する女になろうって。
自分がそう思えるようになろうって。
(もちろん、甘えるのも慣れさせてもらうことも継続可 笑)
不安や猜疑心から二次的な感情で彼を試すようなことはやめる。
あなた自身が変わるのだ。
『自分は信頼に値する人間だ』と思えることが彼への信頼になる。
これが『信じることに慣れるのだ』からスタートした大事な人を信じられるようになるための完成型^^
信じてもらえていると思えることは、本当に気持ちいいよ。
背筋がすっと伸びて気持ちよく、わたしを強くしてくれる。
彼の言動を疑わず、彼からの愛情をそのまま受け取り信じるようになるために。
いつも自分にも彼にも『素直』でいて、自分からも彼からも信頼される女になろう^^
注:
これは毎度お馴染みの『わたしのような女』に必要な思考回路です^^
上手に信頼を築ける人には当たり前のことかもしれないし、恋の駆け引きを楽しめる成熟した人には向いていないかもしれません。
また、この『素直』であることの価値に気づけない、もしくは価値を見出せない男が相手だとこの方法はあまり役に立たないかもしれませんし、『わたしのような女』には合わないタイプの男かもしれないです^^
<関連エントリー>
『信じることに慣れるのだ』
わたしのような女、とりあえず『惹かれ合う理由』を貼るので、最初の3エントリーくらいを読んでいただけるといいな
『惹かれ合う理由』
『素直』や『感情のスタート』、これもけっこうお馴染みだけど^^;
『素直に伝えるということ』
『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』
『感情のスタート』
『続・感情のスタート』
信頼されるのって気持ちいい^^
『畏怖の念』
「等式」感想です。エントリーは「はい、その通りですね。」で終了です。今日は注釈がありました。あると余分な感じがして、無いと欲しくなります。りん子が、長年書いてきて、昔は誰が読んでも大丈夫なようにと配慮したが最近は省略することも多いかと思う。読みやすくなり、行間が美しくなったかな。
COMMENT
信じる事。
すごく難しい。まだ慣れていない
愛情をすごく受けているとわかるのに
すぐに良からぬ考えが芽生える。
いやいやそんな事ないよ~~
っ思い変えすのに、一度良からぬ考えを
巡らすとなかなか脱出できない。
救いあげられて、涙するの繰り返し。
信じる事に早く慣れたいなぁ・・・
すごく難しい。まだ慣れていない
愛情をすごく受けているとわかるのに
すぐに良からぬ考えが芽生える。
いやいやそんな事ないよ~~
っ思い変えすのに、一度良からぬ考えを
巡らすとなかなか脱出できない。
救いあげられて、涙するの繰り返し。
信じる事に早く慣れたいなぁ・・・
ここさん
ここさんは主さまのお付き合いされてからどれくらいでしたっけ?(伺っていたかもしれないです、ごめんね)
わたしがこの思考回路にいたるに10年かかりました(笑)
だから、焦ることないです^^
良からぬ考えが浮かんだとき、それは何がきっかけだったか、もしくは、たとえば主さま以外のこと(仕事や家庭など)でマイナスのことはなかったか、生理のバイオリズムはどうか、『良からぬ考え』をなだめつつ、その素をさぐってみるクセをつけるといいですよ^^
その上で『良からぬ考えが浮かんでかなしです〜』とお伝えしてね^^
焦らず、でもいつか慣れるといいですね^^
ここさんは主さまのお付き合いされてからどれくらいでしたっけ?(伺っていたかもしれないです、ごめんね)
わたしがこの思考回路にいたるに10年かかりました(笑)
だから、焦ることないです^^
良からぬ考えが浮かんだとき、それは何がきっかけだったか、もしくは、たとえば主さま以外のこと(仕事や家庭など)でマイナスのことはなかったか、生理のバイオリズムはどうか、『良からぬ考え』をなだめつつ、その素をさぐってみるクセをつけるといいですよ^^
その上で『良からぬ考えが浮かんでかなしです〜』とお伝えしてね^^
焦らず、でもいつか慣れるといいですね^^