すこし前のわたし
独り言
ある人がわたしのことを『生真面目』と表現した。
好意的に思ってくれているであろう人のこの言葉はマイナスの意味ではないことは充分すぎるほど理解している。
おそらく、そこも含めて『わたし』であることを良しとしてくれているだろうし、むしろ、そこがあるから他のプラス要素も生まれるのだろうと感じてくれての発言のはずだ。
那智さんもその生真面目さは必要悪で許容してくれているけど、一番近くの存在であるがゆえに、友人たちより被害は大きく、もしかしたら『緩和されてもいいかな〜』くらいには思っているかもしれない。
(それ『で』いいであって、それ『が』いいではないだろうなと)
わたしの生真面目さというものはすべてにおいてというものではない。
けっこう人には寛容であるほうだと思うし^^、筋トレも三日坊主だし、じつは他者にも自分にもかなり甘い人間だと思っている。
わたしのそれは主に『他者の感情』において、過剰に発揮してしまうようなのだ。
受取手によっては気遣いのできない人と取られることもあるので、どちらかというと、自分の中だけであれこれ考えてしまうだけなのだけど。
とにかく、先回りしてあれこれ考えて、いかに穏やかで円滑でいられるか考えすぎてしまうところがある。
昔より柔軟になれてきているし、友人たちはマイナス事象が起きても大丈夫だと信頼できているのだけど、あれほど信頼している那智さんにさえ『こうしたほうが快適なんじゃないか』『どちらを選んだら円滑か』と必要以上に考えてしまう。
仮にそれで要検討な事態になったとしても、誰も責めることもないし、むしろ、リカバリーが楽しいくらいに思ってもらえるであろうこともわかっているのに。
ひとり、あれこれ考えてしまうのだ。
なんだか、疲れる(笑)
出た結果を楽しむだけで、あれこれ考えないでいたい。
誰に頼まれたわけじゃないし、自分で勝手に考えているだけなので、やめればいいだけの話なんだけど、備わった資質はどうすることもできない。
そんなに簡単に変わらないものだ。
どうか、『生真面目なわたしがすき』とわたし自身が思えるようになりたい。
必要以上にあれこれ考えるわたしだからいいのだと思えるようになりたい。
生真面目が凹んだら、どこかイヤなところが出っ張ってしまうかもしれないから。
そのままのわたしがいいって、思いたい。
今日はそんな気分。
と、これはすこし前に書いたもの。
そうだなぁ、初夏くらいかな。
おもしろいもので、人は変わるんだよね。
それも、ときに短期間で。
まるっきり180度変わるなんてことはないけれど、意識するだけで気づけば無意識にそうなれていたりする。
だから、いまのわたしはこのときよりすこし生真面目じゃない^^
『真面目』くらい?(笑)
これは、きっともう変われる下地ができていたのだろう。
下地ができていれば、人は変わる、変われる。
生きやすいほうに。
以前『球体』というエントリーで危惧していたことはほとんど起こらず。
よかったところを大幅に減らさずに。
下地をどうやって作るか、これはすでにエントリーになっているかもしれないし、まとめていないかもしれないから、再検討します^^
ということで、ありきたりだけど。
『人は変われる』という〆でおしまい^^
<関連エントリー>
球体
「等式」「すこし前のわたし」感想です。少しずつ今でも成長りん子は偉いねー(笑)
ある人がわたしのことを『生真面目』と表現した。
好意的に思ってくれているであろう人のこの言葉はマイナスの意味ではないことは充分すぎるほど理解している。
おそらく、そこも含めて『わたし』であることを良しとしてくれているだろうし、むしろ、そこがあるから他のプラス要素も生まれるのだろうと感じてくれての発言のはずだ。
那智さんもその生真面目さは必要悪で許容してくれているけど、一番近くの存在であるがゆえに、友人たちより被害は大きく、もしかしたら『緩和されてもいいかな〜』くらいには思っているかもしれない。
(それ『で』いいであって、それ『が』いいではないだろうなと)
わたしの生真面目さというものはすべてにおいてというものではない。
けっこう人には寛容であるほうだと思うし^^、筋トレも三日坊主だし、じつは他者にも自分にもかなり甘い人間だと思っている。
わたしのそれは主に『他者の感情』において、過剰に発揮してしまうようなのだ。
受取手によっては気遣いのできない人と取られることもあるので、どちらかというと、自分の中だけであれこれ考えてしまうだけなのだけど。
とにかく、先回りしてあれこれ考えて、いかに穏やかで円滑でいられるか考えすぎてしまうところがある。
昔より柔軟になれてきているし、友人たちはマイナス事象が起きても大丈夫だと信頼できているのだけど、あれほど信頼している那智さんにさえ『こうしたほうが快適なんじゃないか』『どちらを選んだら円滑か』と必要以上に考えてしまう。
仮にそれで要検討な事態になったとしても、誰も責めることもないし、むしろ、リカバリーが楽しいくらいに思ってもらえるであろうこともわかっているのに。
ひとり、あれこれ考えてしまうのだ。
なんだか、疲れる(笑)
出た結果を楽しむだけで、あれこれ考えないでいたい。
誰に頼まれたわけじゃないし、自分で勝手に考えているだけなので、やめればいいだけの話なんだけど、備わった資質はどうすることもできない。
そんなに簡単に変わらないものだ。
どうか、『生真面目なわたしがすき』とわたし自身が思えるようになりたい。
必要以上にあれこれ考えるわたしだからいいのだと思えるようになりたい。
生真面目が凹んだら、どこかイヤなところが出っ張ってしまうかもしれないから。
そのままのわたしがいいって、思いたい。
今日はそんな気分。
と、これはすこし前に書いたもの。
そうだなぁ、初夏くらいかな。
おもしろいもので、人は変わるんだよね。
それも、ときに短期間で。
まるっきり180度変わるなんてことはないけれど、意識するだけで気づけば無意識にそうなれていたりする。
だから、いまのわたしはこのときよりすこし生真面目じゃない^^
『真面目』くらい?(笑)
これは、きっともう変われる下地ができていたのだろう。
下地ができていれば、人は変わる、変われる。
生きやすいほうに。
以前『球体』というエントリーで危惧していたことはほとんど起こらず。
よかったところを大幅に減らさずに。
下地をどうやって作るか、これはすでにエントリーになっているかもしれないし、まとめていないかもしれないから、再検討します^^
ということで、ありきたりだけど。
『人は変われる』という〆でおしまい^^
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