球体
りん子的独り言(エラそう)
もしかしたら、ちょっと偏ったことを書いてしまうかもしれない。
物事にはいろんな側面があって、いま見ているものだけが唯一じゃないですよね。
どれが正解かを問いたいのではなくて、こんな側面もあるのではないかな。
そんな反対側からのことです。
こちら側からのことってあまり読んだことないから書いてみますが、そんなこともあるかなと思って読んでいただけるとありがたいです。
半年くらい前になるかな。
少し改まって那智さんに言われた。
まだ、そうじゃないけど、今後そうなる可能性があるから先に忠告しておくね。
りん子は、ずいぶん強くなって自己主張もできるようになった。
強くなることはいいことだ、だけど、自己主張できると優しさが減ってしまうこともある。
強く言えるようになるからね。
だから、りん子の優しさをなくさないように、気をつけること。
ああ、それ、ちょっと危険を孕んでいると思ってました。
確かにこの数年で自己主張する訓練を積めて、その場ででも頭をクリアにして、問題の本質や伝えたいことが多少はわかるようになってきている。
だから、なんでも闇雲に『ごめんなさい』と言わずに済んでいる。
それはとても良いことなんだけど、自己主張してそれがうまくいった場合の爽快感みたいなものも味わっているも確かで、それが危険だなと思っていた。
その爽快感が、人を傷つけていても気づかない無神経さにいつか繋がってしまいそうで。
私も、密かに危惧していた。
でも、見ないフリをしていたことを指摘されたのだ。
那智さん、私、優しさなくなっていますか?
いまは、大丈夫。
ただ、これからその可能性もあるからいまのうちに忠告している。
じゃあ、いつかなくなってしまうでしょうか。
それを意識していれば、大丈夫。
那智さん、あれから半年ほど過ぎています。
私の優しさ減っていませんか?
ずっと昔。
なんだか傷つきやすくて、少しのことで悲しくなって友だちに『もっとしっかりしなよ』『りん子はもう少し強くなったほうがいい』と言われると、いつもひとつのイメージを頭に描いていた。
(すぐ傷ついちゃうことは(『アンテナ』と『チューニング』セットで^^)
それはね、『球体』^^
人の能力というか性格というか、それはその人ごとに体積が決まっていて、それを丸い『球体』で想像していたの。
私の『球』はこの大きさ。
あなたのは、それより大きかったり小さかったり。
人は、その自分の『球体』の体積を大事に抱えて生きていくイメージ。
だから、『もっとしっかりしなよ』『もう少し強くなったほうがいい』と言われるときに。
どうして『強くなれ』『しっかりしろ』とどんどん『こぶ』を増やそうとするの?
まるでそれしか道がないかのように。
じゃあ、この『球体』に強さを出っ張らせたら、きっとどこか凹むよ。
もしかしたら、その凹みは優しさかもしれないよ。
たいして強くなくてすぐメソメソしてしまうけど、人を傷つけたくないといつも思ってる、それだけじゃダメ?
いまだから、それは弱さだけじゃなくて、『アンテナ』の感度のせいでもある(なんでもそのせいだとは思っていませんよ)と思えるから、ずいぶん楽になったけど、以前は、そんなふうに心の中で思っていた。
いまある『球体』でいていいじゃないと、ゴムボールが出っ張ったり凹んだりして歪む姿を想像していた。
那智さんの忠告を聞きながら、この『球体』を思っていた。
なぜ、弱いことは悪いことのように言うのだろう。
なぜ、強く主張できたほうが、弱いほうを正さなきゃいけないんだろう。
那智さんの忠告を聞いて、『球体』を思い、過去といまの自分を交互に比べて、私はどんなふうになれればいいのだろうと、少し困っていた。
ところで、読売新聞に『人生案内』というコーナーがあるのをご存知ですか。
一般の人の悩みに各界の識者が応えるのだ。
いろいろな悩みを抱えている人とそれにそれぞれの個性で応える識者、興味深いのです。
(興味深いお話は別の機会に^^)
先日その中に、ずっと考えていた『球体』のイメージと那智さんの忠告で少し困惑した気持ちに答えてくれるような回答を見つけた。
下記に全文載せます。
<相談>
20歳代前半の女子大学生です。気弱な性格のため、いろいろと損をしてきました。口数が少なく、すぐに泣く。運動が苦手で動作も遅いなど、人から侮られる 要素がたくさんあります。年下の人にも、今までさんざんばかにされ、利用されてきました。小、中、高校と、いじめに遭いました。
大学でも友達がいません。授業で共同作業をすることもあるのですが、また嫌なことを押しつけられるのでは、集中攻撃されるのでは、とビクビクしています。 周囲は、気が強く腹が立つことをされればその場でガツンと言える人たちばかり。私1人、ガツンと言えないために、相手への怒りの気持ちも収まりません。
自分のこんな性格を最近激しく憎むようになりました。何で私をこんなふうに生んだのと、親を恨んでしまうことも。生まれてこなければよかったのにと思ってしまいます。(宮城・R美)
<回答>
ご自分の弱さに対する歯がゆさが、ひしひしと伝わってきます。確かに今は、内向的な人にとっていささか生きづらい世の中なのかもしれない。でも本当は、そ れぞれの個性で生きることこそ、人間に課せられた課題なんです。世の中、みんな勝気な人、明るい人ばかりでは面白くもないし、第一、社会が成立しません よ。
ヒントになるか分かりませんが、中国古代の哲学者・老子が勧める「水のような生き方」を紹介してみます。水は先を争うことなく、あるがままに流れて、人が 好まない低い所にとどまり、万物を潤す。水は柔らかく、突っ張らず、実に弱々しいけれど、硬い岩をゆっくり砕き、長い間に大きな役割を目立たずに果たす。
私もこういう生き方にあこがれているのですが、考えてみると、あなたもあえて強く「ガツンと言える」人に変身する必要がどこにありましょう。ガツンとあち こちで言えば、結局は自分が傷つくんです。小さな自分を声高に主張したって、いくらのものでもありません。対して、控えめで無心で水のようであれば傷つく ことも少ない。
つまり「弱さを貫く」ことこそ、本当の価値ある生き方につながるのではないでしょうか。
(野村 総一郎・精神科医)
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20090913-OYT8T00191.htm
『水のような生き方』『弱さを貫く』
いいな、これ、なんだかとてもスッキリした。
そうなんだ。
弱いことを、なぜ変える必要があるのだろう。
みんなが強ければ成り立たないし、第一みんなが強くなればまたその中で強弱もできる。
そこで、そこでまた『強くなれ』と正し合う。
それは決して幸福なことではないのではないか。
もちろん、私の友人などは本気で心配してくれて、弱い私に付き合うことでいろんな面倒を引き受けてくれた被害者でもあるので、弱いことが正しいと声高にいうつもりはないのです。
だけど、心ない人の『りん子ちゃん、ダメじゃん』という言葉は、その人の優越感に繋がっていないだろうか。
だとすれば、その人は『弱い人』が存在するから、優越感を味わわせてもらえてるとも言えないだろうか。
しっかりしている人にお手数をかけてしまうような弱さは、厄介かもしれない。
だけど、『まったく弱いんだから』と強い人から言われ続ける傷を、言っているほうは気づいているだろうか。
(この辺り、敢えて極端な言い方してますよ^^)
実は持ちつ持たれつで、優劣なんてないんじゃない?
弱い人も強い人もいて世の中は成り立っているのだとしたら、どちらがえらくて、どちらが劣ってるなんて思わないでいいのではないかしら。
弱いことは正解じゃないかもしれない。
だけど、強いだけが、唯一の正解でもないよね。
両方がただ共存してればいだけのこと。
そう思った。
そしたら、私の『球体』の体積、このままでもよかったんだと思えた。
そして、改めて那智さんの忠告を思い出す。
私は、自己主張できるようになってきっと『球体』にこぶがひとつ増えたのだ。
那智さんは、こぶが増えたことを意識していれば凹まないと忠告している。
無理矢理こぶをくっつける必要なんかない。
人は自然に『球体』の体積を増やすことができるみたいなのだ。
で、新聞を読んで那智さんの忠告に応える私の目標を決めた。
『弱さを貫く』こと。
これからも体積に変動はあるかもしれないけど、『水のように弱さを貫く』強さを持ちたいと憧れることにします^^
ああ、でも、どうやれば『弱さを貫ける』のだろう!?
いまだって、私の水は『かーっ』となって沸騰したり『がーん』となって凍ったりしている。
全然、貫けていない^^;
だけど、憧れを持つだけでも、一歩前進だよね^^
こちら側からの一方的な意見でした。
でも、ずっと正論?常識?の正面からしか見ていなくて、主張できない自分を『球体』なんてイメージしてもがいていたけれど、違う側面もあると気づけたことは、とても安心することでした。
『水のように、弱さを貫く』
こんな考え方もひとつの道として、ありなんじゃないかしら。
偏った話にお付き合いくださってありがとうございました^^
那智さん。
あれから半年過ぎていますけど、私の球体ま〜るいままでいられていますか?
少しは、水のように弱さを貫けていますか?
そんなふうに問いかけて、ずっと昔から思い描いていた私の『球体』をもう一度思い出してみる。
いまよりちょっと小さかった球体を忘れないように。
追記^^
前エントリーでは、那智さんファン表明をありがとうございました^^
コメントはもちろん拍手コメントでもいただけて、嬉しかったです。
基本的に拍手コメントにはお返事しないのですが、今回は那智さんに変わってお礼をさせていただきます。
お馴染みの方や『自称女の子』さん(うふふ、6歳児かな?)、男性さんからもいただきました。
なんの前触れもなくいきなりアップしたので那智さんとしては、照れ臭いエントリーになってしまったと思いますが、きっと喜んでくれていると思います^^;
ありがとうございました〜♪
もしかしたら、ちょっと偏ったことを書いてしまうかもしれない。
物事にはいろんな側面があって、いま見ているものだけが唯一じゃないですよね。
どれが正解かを問いたいのではなくて、こんな側面もあるのではないかな。
そんな反対側からのことです。
こちら側からのことってあまり読んだことないから書いてみますが、そんなこともあるかなと思って読んでいただけるとありがたいです。
半年くらい前になるかな。
少し改まって那智さんに言われた。
まだ、そうじゃないけど、今後そうなる可能性があるから先に忠告しておくね。
りん子は、ずいぶん強くなって自己主張もできるようになった。
強くなることはいいことだ、だけど、自己主張できると優しさが減ってしまうこともある。
強く言えるようになるからね。
だから、りん子の優しさをなくさないように、気をつけること。
ああ、それ、ちょっと危険を孕んでいると思ってました。
確かにこの数年で自己主張する訓練を積めて、その場ででも頭をクリアにして、問題の本質や伝えたいことが多少はわかるようになってきている。
だから、なんでも闇雲に『ごめんなさい』と言わずに済んでいる。
それはとても良いことなんだけど、自己主張してそれがうまくいった場合の爽快感みたいなものも味わっているも確かで、それが危険だなと思っていた。
その爽快感が、人を傷つけていても気づかない無神経さにいつか繋がってしまいそうで。
私も、密かに危惧していた。
でも、見ないフリをしていたことを指摘されたのだ。
那智さん、私、優しさなくなっていますか?
いまは、大丈夫。
ただ、これからその可能性もあるからいまのうちに忠告している。
じゃあ、いつかなくなってしまうでしょうか。
それを意識していれば、大丈夫。
那智さん、あれから半年ほど過ぎています。
私の優しさ減っていませんか?
ずっと昔。
なんだか傷つきやすくて、少しのことで悲しくなって友だちに『もっとしっかりしなよ』『りん子はもう少し強くなったほうがいい』と言われると、いつもひとつのイメージを頭に描いていた。
(すぐ傷ついちゃうことは(『アンテナ』と『チューニング』セットで^^)
それはね、『球体』^^
人の能力というか性格というか、それはその人ごとに体積が決まっていて、それを丸い『球体』で想像していたの。
私の『球』はこの大きさ。
あなたのは、それより大きかったり小さかったり。
人は、その自分の『球体』の体積を大事に抱えて生きていくイメージ。
だから、『もっとしっかりしなよ』『もう少し強くなったほうがいい』と言われるときに。
どうして『強くなれ』『しっかりしろ』とどんどん『こぶ』を増やそうとするの?
まるでそれしか道がないかのように。
じゃあ、この『球体』に強さを出っ張らせたら、きっとどこか凹むよ。
もしかしたら、その凹みは優しさかもしれないよ。
たいして強くなくてすぐメソメソしてしまうけど、人を傷つけたくないといつも思ってる、それだけじゃダメ?
いまだから、それは弱さだけじゃなくて、『アンテナ』の感度のせいでもある(なんでもそのせいだとは思っていませんよ)と思えるから、ずいぶん楽になったけど、以前は、そんなふうに心の中で思っていた。
いまある『球体』でいていいじゃないと、ゴムボールが出っ張ったり凹んだりして歪む姿を想像していた。
那智さんの忠告を聞きながら、この『球体』を思っていた。
なぜ、弱いことは悪いことのように言うのだろう。
なぜ、強く主張できたほうが、弱いほうを正さなきゃいけないんだろう。
那智さんの忠告を聞いて、『球体』を思い、過去といまの自分を交互に比べて、私はどんなふうになれればいいのだろうと、少し困っていた。
ところで、読売新聞に『人生案内』というコーナーがあるのをご存知ですか。
一般の人の悩みに各界の識者が応えるのだ。
いろいろな悩みを抱えている人とそれにそれぞれの個性で応える識者、興味深いのです。
(興味深いお話は別の機会に^^)
先日その中に、ずっと考えていた『球体』のイメージと那智さんの忠告で少し困惑した気持ちに答えてくれるような回答を見つけた。
下記に全文載せます。
<相談>
20歳代前半の女子大学生です。気弱な性格のため、いろいろと損をしてきました。口数が少なく、すぐに泣く。運動が苦手で動作も遅いなど、人から侮られる 要素がたくさんあります。年下の人にも、今までさんざんばかにされ、利用されてきました。小、中、高校と、いじめに遭いました。
大学でも友達がいません。授業で共同作業をすることもあるのですが、また嫌なことを押しつけられるのでは、集中攻撃されるのでは、とビクビクしています。 周囲は、気が強く腹が立つことをされればその場でガツンと言える人たちばかり。私1人、ガツンと言えないために、相手への怒りの気持ちも収まりません。
自分のこんな性格を最近激しく憎むようになりました。何で私をこんなふうに生んだのと、親を恨んでしまうことも。生まれてこなければよかったのにと思ってしまいます。(宮城・R美)
<回答>
ご自分の弱さに対する歯がゆさが、ひしひしと伝わってきます。確かに今は、内向的な人にとっていささか生きづらい世の中なのかもしれない。でも本当は、そ れぞれの個性で生きることこそ、人間に課せられた課題なんです。世の中、みんな勝気な人、明るい人ばかりでは面白くもないし、第一、社会が成立しません よ。
ヒントになるか分かりませんが、中国古代の哲学者・老子が勧める「水のような生き方」を紹介してみます。水は先を争うことなく、あるがままに流れて、人が 好まない低い所にとどまり、万物を潤す。水は柔らかく、突っ張らず、実に弱々しいけれど、硬い岩をゆっくり砕き、長い間に大きな役割を目立たずに果たす。
私もこういう生き方にあこがれているのですが、考えてみると、あなたもあえて強く「ガツンと言える」人に変身する必要がどこにありましょう。ガツンとあち こちで言えば、結局は自分が傷つくんです。小さな自分を声高に主張したって、いくらのものでもありません。対して、控えめで無心で水のようであれば傷つく ことも少ない。
つまり「弱さを貫く」ことこそ、本当の価値ある生き方につながるのではないでしょうか。
(野村 総一郎・精神科医)
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20090913-OYT8T00191.htm
『水のような生き方』『弱さを貫く』
いいな、これ、なんだかとてもスッキリした。
そうなんだ。
弱いことを、なぜ変える必要があるのだろう。
みんなが強ければ成り立たないし、第一みんなが強くなればまたその中で強弱もできる。
そこで、そこでまた『強くなれ』と正し合う。
それは決して幸福なことではないのではないか。
もちろん、私の友人などは本気で心配してくれて、弱い私に付き合うことでいろんな面倒を引き受けてくれた被害者でもあるので、弱いことが正しいと声高にいうつもりはないのです。
だけど、心ない人の『りん子ちゃん、ダメじゃん』という言葉は、その人の優越感に繋がっていないだろうか。
だとすれば、その人は『弱い人』が存在するから、優越感を味わわせてもらえてるとも言えないだろうか。
しっかりしている人にお手数をかけてしまうような弱さは、厄介かもしれない。
だけど、『まったく弱いんだから』と強い人から言われ続ける傷を、言っているほうは気づいているだろうか。
(この辺り、敢えて極端な言い方してますよ^^)
実は持ちつ持たれつで、優劣なんてないんじゃない?
弱い人も強い人もいて世の中は成り立っているのだとしたら、どちらがえらくて、どちらが劣ってるなんて思わないでいいのではないかしら。
弱いことは正解じゃないかもしれない。
だけど、強いだけが、唯一の正解でもないよね。
両方がただ共存してればいだけのこと。
そう思った。
そしたら、私の『球体』の体積、このままでもよかったんだと思えた。
そして、改めて那智さんの忠告を思い出す。
私は、自己主張できるようになってきっと『球体』にこぶがひとつ増えたのだ。
那智さんは、こぶが増えたことを意識していれば凹まないと忠告している。
無理矢理こぶをくっつける必要なんかない。
人は自然に『球体』の体積を増やすことができるみたいなのだ。
で、新聞を読んで那智さんの忠告に応える私の目標を決めた。
『弱さを貫く』こと。
これからも体積に変動はあるかもしれないけど、『水のように弱さを貫く』強さを持ちたいと憧れることにします^^
ああ、でも、どうやれば『弱さを貫ける』のだろう!?
いまだって、私の水は『かーっ』となって沸騰したり『がーん』となって凍ったりしている。
全然、貫けていない^^;
だけど、憧れを持つだけでも、一歩前進だよね^^
こちら側からの一方的な意見でした。
でも、ずっと正論?常識?の正面からしか見ていなくて、主張できない自分を『球体』なんてイメージしてもがいていたけれど、違う側面もあると気づけたことは、とても安心することでした。
『水のように、弱さを貫く』
こんな考え方もひとつの道として、ありなんじゃないかしら。
偏った話にお付き合いくださってありがとうございました^^
那智さん。
あれから半年過ぎていますけど、私の球体ま〜るいままでいられていますか?
少しは、水のように弱さを貫けていますか?
そんなふうに問いかけて、ずっと昔から思い描いていた私の『球体』をもう一度思い出してみる。
いまよりちょっと小さかった球体を忘れないように。
追記^^
前エントリーでは、那智さんファン表明をありがとうございました^^
コメントはもちろん拍手コメントでもいただけて、嬉しかったです。
基本的に拍手コメントにはお返事しないのですが、今回は那智さんに変わってお礼をさせていただきます。
お馴染みの方や『自称女の子』さん(うふふ、6歳児かな?)、男性さんからもいただきました。
なんの前触れもなくいきなりアップしたので那智さんとしては、照れ臭いエントリーになってしまったと思いますが、きっと喜んでくれていると思います^^;
ありがとうございました〜♪
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