優しくされた記憶2
独特な幸福感
これから書く話は『堕胎』の話です。
もちろん、わたしが那智さんとの子を身ごもってという話ではありませんが、『堕胎』について否定的な気持ちや辛い気持ちになりそうな方はお気を付けください。
この話、ずっと那智さんに書かないの?と言われていたけれど、書く気が起きなかった。
まったく褒められた話じゃないからだ。
自分の褒められない歴史を語るのは、それが例えノロケに落ち着こうとも、ためらう。
だけど書こうという気持ちになっている。
わたしが自分の過去や心の痛い部分のためらうようなことを書くとき、『条件』を決めてそれをクリアできそうだったら書こうと思っています。
それを書くことで自分の中で昇華させること、そしてただ放り投げるのではなくて、そこから『何か』伝えられることがあること。
愚痴や棘にならないように、このふたつをクリアできたら書こうと思っています。
今回のお話。
ずっと書きたかった、とてもためらう内容だけど、書いて昇華させたかった。
だけどそれだけでは過去の話題で終ってしまうから書けずにいた。
それが前エントリーの相合い傘をしたときに、この気持ちなら繋げられると思えたから、書こうと思いました。
『続きを読む』は使いません。
だけど、ここから先は『堕胎』の話です。
話のアイテムはそれだけど、核になるものは違うところにあるとご理解いただいて読んでくれたら、うれしいです。
あ、もうひとつ。
書く『条件』、それがノロケになるなら書く(笑)
これも重要^^
わたしは堕胎の経験がある。
二十数年前、一度目の結婚を控えた冬の手前だった。
わたしは紆余曲折あって付き合いが続いたYさんと結婚する予定だった。
日取りも決まり、双方の親にも会い、端から見れば幸せいっぱいのとき。
わたしは、Yさんと平行してもうひとりの男性とも付き合っていた。
ゆうじくんという名前の男性、わたしより3つも年下で男性というより男の子といったほうが正解のような人。
だけど、とてもとても波長が合う人で、わたしはゆうじくんに周りのどの男性よりも、おそらくYさんよりも心を許していた。
自分を上にも下にもせずにいられ、彼に対しては『愛される価値がある』と素直に思える、那智さん以外で唯一の人だった。
Yさんとの結婚話が進む中、悪い事だと思いつつもゆうじくんとの心を許せる時間が捨て難く、度々彼の部屋に遊びに行っていた。
いま思えば、わたしはYさんを愛していなかったのだろうな。
Yさんにはとても申し訳ないけど、わたしがYさんと付き合い続けるのは、紆余曲折している間に『執着』や『復讐』になってしまっていたんだと、いまなら思う。
だから、ゆうじくんとも離れられなかったのかもしれない。
でも会いにいくといっても、ずっとおしゃべりして食べて飲んで笑っているだけだった。
楽しくて伸び伸びして、一緒に眠って、まるで仲のよい兄弟のようだった。
キスはすこしだけした。
でも体を触れ合わすことはしなかった。
ただ一度だけ。
いつものようにくすくす笑ってそのまま眠りに落ちようとして、どちらからともなくキスをして、一度だけセックスをした。
それも彼はあまり経験がなかったからかわからないけど、ほとんど挿入すると同時くらいに果てたから、セックス自体の記憶はほとんどないほどのものだ。
それでも、あれはセックスだった。
なぜなら、妊娠したからだ。
妊娠すると体が変わる。
生理前の子宮の変化や胸の張りとは明らかに違う、内側に重たいものを抱えているような感じになるのだ。
そんな経験はじめてだったけど、その重たいものがなんなのか直感でわかるようだった。
妊娠検査薬で調べて、それが正解だとすぐにわかった。
あーあ、困った。
こんなふうに思ってしまっていた。
相手はゆうじくんだ、Yさんにどうやって話せば疑われないかな。
次に思ったのは、こんなことだ。
なぜゆうじくんが相手だと思ったのだろう。
わたしは生理が不順だったのでできにくいはずだったし、現にそれまでYさんとも神経質になるほど避妊に気を使っていたわけではないけど、一度も妊娠しなかった。
あまり知識はないけれど、恐らく時期としてもそうだし、なんとなくゆうじくんとだから妊娠したように感じたのだ。
そこから、わたしの大ウソがはじまった。
結婚前という体裁を気にする人だったし、まだ二人で楽しみたいという気持ちだということも想像できていたからこの時点でYさんが子供を産もうと言わないことは予測できていた。
だから神妙な様子で妊娠したかもしれないと話を持ちかけ、彼の『おろそう』の言葉を引き出した。
病院に検査はひとりでいった。
予想通り妊娠していた。
仕事の途中で抜け出したYさんと彼の部屋で落ち合った。
妊娠を告げると彼はわたしを抱きしめて涙声で謝った。
ううん、いいの。
わたしは大丈夫だから。
出ていない涙をすするように鼻を鳴らし、抱きしめるYさんの肩に顎を乗せて、事なきを得たなと冷静に思う自分を、さらにもう一人の自分が見つめているようだった。
ゆうじくんにもありのままを伝えた。
妊娠したから堕胎をする。
あなたの子供だと思うけど、ごめんね。
そして、こうなってしまった以上、あなたとはもう会ってはいけないと思うから、もう会わないね。
一方的な報告と宣告に、まだ学生だったゆうじくんはどうすることもできないといった様子で頷いていた。
堕胎の手術もひとりでいった。
Yさんには同意書をもらって翌日退院するから、仕事を休んで部屋で待っていてもらうことだけお願いした。
(Yさんの部屋と病院は近くだったのだ)
前夜に子宮口を広げる(?)ために何か機具を入れた。
味わったことのない種類の強い痛みだった。
なんだか、痛がってはいけない気がして、だけど痛がらないのも薄情な感じがして、一度だけ『痛い』小さくつぶやき看護師の手を握った。
すべてが、自分の外側で起きているようだった。
堕胎した命にも、ゆうじくんにも、Yさんにも、みんなにごめんなさいとひとりで口にしてみるけれど、どうしても『ごめんなさい』と思えない、そう思わないと人として失格な気がしたから、取って付けたように『ごめんなさい』と思っていた。
一粒の涙も流さず。
わたしは冷たい人間なのだろうか。
わたしより先に涙声になったYさんにも、ショックと妙な安堵の表情を見せたゆうじくんにも、心の中で舌を出して見下しているような気分だった。
人として大事なものが少し欠落しているのかなと冷静に自分を見つめるもうひとりのわたし。
自分に対して諦めるというか、大事なものを期待しない、そんな感じがわたしの堕胎の記憶。
<関連エントリー>
Yさん
『怒らない私2 3』
ゆうじくん
『別なりん子1 2』
けさの「等式」感想です。
久しぶりに「惹かれあう理由」番外編みたいなエントリーでした、けっこう、りん子も色々な意味で悪いことしてますね~。次回のエントリーで私の悪い思考が出てくるのと思いますが広い心で受け止めて下さい。(自分に甘い?(笑))
これから書く話は『堕胎』の話です。
もちろん、わたしが那智さんとの子を身ごもってという話ではありませんが、『堕胎』について否定的な気持ちや辛い気持ちになりそうな方はお気を付けください。
この話、ずっと那智さんに書かないの?と言われていたけれど、書く気が起きなかった。
まったく褒められた話じゃないからだ。
自分の褒められない歴史を語るのは、それが例えノロケに落ち着こうとも、ためらう。
だけど書こうという気持ちになっている。
わたしが自分の過去や心の痛い部分のためらうようなことを書くとき、『条件』を決めてそれをクリアできそうだったら書こうと思っています。
それを書くことで自分の中で昇華させること、そしてただ放り投げるのではなくて、そこから『何か』伝えられることがあること。
愚痴や棘にならないように、このふたつをクリアできたら書こうと思っています。
今回のお話。
ずっと書きたかった、とてもためらう内容だけど、書いて昇華させたかった。
だけどそれだけでは過去の話題で終ってしまうから書けずにいた。
それが前エントリーの相合い傘をしたときに、この気持ちなら繋げられると思えたから、書こうと思いました。
『続きを読む』は使いません。
だけど、ここから先は『堕胎』の話です。
話のアイテムはそれだけど、核になるものは違うところにあるとご理解いただいて読んでくれたら、うれしいです。
あ、もうひとつ。
書く『条件』、それがノロケになるなら書く(笑)
これも重要^^
わたしは堕胎の経験がある。
二十数年前、一度目の結婚を控えた冬の手前だった。
わたしは紆余曲折あって付き合いが続いたYさんと結婚する予定だった。
日取りも決まり、双方の親にも会い、端から見れば幸せいっぱいのとき。
わたしは、Yさんと平行してもうひとりの男性とも付き合っていた。
ゆうじくんという名前の男性、わたしより3つも年下で男性というより男の子といったほうが正解のような人。
だけど、とてもとても波長が合う人で、わたしはゆうじくんに周りのどの男性よりも、おそらくYさんよりも心を許していた。
自分を上にも下にもせずにいられ、彼に対しては『愛される価値がある』と素直に思える、那智さん以外で唯一の人だった。
Yさんとの結婚話が進む中、悪い事だと思いつつもゆうじくんとの心を許せる時間が捨て難く、度々彼の部屋に遊びに行っていた。
いま思えば、わたしはYさんを愛していなかったのだろうな。
Yさんにはとても申し訳ないけど、わたしがYさんと付き合い続けるのは、紆余曲折している間に『執着』や『復讐』になってしまっていたんだと、いまなら思う。
だから、ゆうじくんとも離れられなかったのかもしれない。
でも会いにいくといっても、ずっとおしゃべりして食べて飲んで笑っているだけだった。
楽しくて伸び伸びして、一緒に眠って、まるで仲のよい兄弟のようだった。
キスはすこしだけした。
でも体を触れ合わすことはしなかった。
ただ一度だけ。
いつものようにくすくす笑ってそのまま眠りに落ちようとして、どちらからともなくキスをして、一度だけセックスをした。
それも彼はあまり経験がなかったからかわからないけど、ほとんど挿入すると同時くらいに果てたから、セックス自体の記憶はほとんどないほどのものだ。
それでも、あれはセックスだった。
なぜなら、妊娠したからだ。
妊娠すると体が変わる。
生理前の子宮の変化や胸の張りとは明らかに違う、内側に重たいものを抱えているような感じになるのだ。
そんな経験はじめてだったけど、その重たいものがなんなのか直感でわかるようだった。
妊娠検査薬で調べて、それが正解だとすぐにわかった。
あーあ、困った。
こんなふうに思ってしまっていた。
相手はゆうじくんだ、Yさんにどうやって話せば疑われないかな。
次に思ったのは、こんなことだ。
なぜゆうじくんが相手だと思ったのだろう。
わたしは生理が不順だったのでできにくいはずだったし、現にそれまでYさんとも神経質になるほど避妊に気を使っていたわけではないけど、一度も妊娠しなかった。
あまり知識はないけれど、恐らく時期としてもそうだし、なんとなくゆうじくんとだから妊娠したように感じたのだ。
そこから、わたしの大ウソがはじまった。
結婚前という体裁を気にする人だったし、まだ二人で楽しみたいという気持ちだということも想像できていたからこの時点でYさんが子供を産もうと言わないことは予測できていた。
だから神妙な様子で妊娠したかもしれないと話を持ちかけ、彼の『おろそう』の言葉を引き出した。
病院に検査はひとりでいった。
予想通り妊娠していた。
仕事の途中で抜け出したYさんと彼の部屋で落ち合った。
妊娠を告げると彼はわたしを抱きしめて涙声で謝った。
ううん、いいの。
わたしは大丈夫だから。
出ていない涙をすするように鼻を鳴らし、抱きしめるYさんの肩に顎を乗せて、事なきを得たなと冷静に思う自分を、さらにもう一人の自分が見つめているようだった。
ゆうじくんにもありのままを伝えた。
妊娠したから堕胎をする。
あなたの子供だと思うけど、ごめんね。
そして、こうなってしまった以上、あなたとはもう会ってはいけないと思うから、もう会わないね。
一方的な報告と宣告に、まだ学生だったゆうじくんはどうすることもできないといった様子で頷いていた。
堕胎の手術もひとりでいった。
Yさんには同意書をもらって翌日退院するから、仕事を休んで部屋で待っていてもらうことだけお願いした。
(Yさんの部屋と病院は近くだったのだ)
前夜に子宮口を広げる(?)ために何か機具を入れた。
味わったことのない種類の強い痛みだった。
なんだか、痛がってはいけない気がして、だけど痛がらないのも薄情な感じがして、一度だけ『痛い』小さくつぶやき看護師の手を握った。
すべてが、自分の外側で起きているようだった。
堕胎した命にも、ゆうじくんにも、Yさんにも、みんなにごめんなさいとひとりで口にしてみるけれど、どうしても『ごめんなさい』と思えない、そう思わないと人として失格な気がしたから、取って付けたように『ごめんなさい』と思っていた。
一粒の涙も流さず。
わたしは冷たい人間なのだろうか。
わたしより先に涙声になったYさんにも、ショックと妙な安堵の表情を見せたゆうじくんにも、心の中で舌を出して見下しているような気分だった。
人として大事なものが少し欠落しているのかなと冷静に自分を見つめるもうひとりのわたし。
自分に対して諦めるというか、大事なものを期待しない、そんな感じがわたしの堕胎の記憶。
<関連エントリー>
Yさん
『怒らない私2 3』
ゆうじくん
『別なりん子1 2』
けさの「等式」感想です。
久しぶりに「惹かれあう理由」番外編みたいなエントリーでした、けっこう、りん子も色々な意味で悪いことしてますね~。次回のエントリーで私の悪い思考が出てくるのと思いますが広い心で受け止めて下さい。(自分に甘い?(笑))
優しくされた記憶3
独特な幸福感
あああ、あんまりにもしんどい内容で本人ヘトヘトのため最後まで一気にアップしちゃいます!!
予約投稿の間違いじゃないからね^^
それでしばらく休憩します(笑)
詳細は、また最後に^^
那智さんはわたしが堕胎の経験があることを知っている。
ウソをつくつもりはなかったけど特別話す機会もなかったから、様々な会話を重ねてもこの話は埋もれていた。
それが話すきっかけになったのは、那智さんのある欲望を聞いたからだ。
那智さんは、『悪魔の考え』と思っているそれは、りん子を孕ませたいという欲望だ。
ううん、その機能を持っている男性なら『好きな女に自分の子を孕ませたい』というものはある程度想像できるものだよね。
だからこれ自体を『悪魔』だとは言い難い。
仮に妊娠したとしてもいまのわたしたちの関係では産むことができない。
だけどりん子のお腹に自分の遺伝子を植え付けたい、妊娠させたという事実だけでもほしい。
だから堕胎することが前提で、妊娠させたい。
りん子は傷つくけれど、その事実で自分は満たされ、そしてりん子をより一層大切にできる。
自分のエゴのために小さな命と女の体を軽視するようなこの欲望を、那智さんは悪魔の考えと呼んでいるのだ。
(わたしからしたら、悪い事だと自覚して、それを口にするときにほんの少し辛そうにする那智さんは決して悪魔だとは思わないのだけどね)
『俺には悪魔の考えがあるんだよな』とちょっと息苦しそうに欲望を語り出した那智さんに、わたしは堕胎の経験を話した。
那智さんは悪魔の考えだというけれど、わたしのほうがずっと悪魔ですよ。
実際に堕胎しているし、どこかずっと醒めている。
那智さんが思い描くようなロマンチックな結末にはならないと思います。
それに現実問題、一度堕胎しているから体を考えたらあまり良いことだとは思えません。
極めて冷静に事実だけを述べて那智さんの欲望を打ち砕いた。
もちろん本当にそれをするつもりはないにしても、堕胎の経験があるわたしに対して堕ろす前提で妊娠させたいという願望を口にすることは、褒められたことじゃないと理解して、そのときはそれ以上会話が進むことはなかった。
ただ話は違う方向に進んで行った。
りん子、その水子は供養したの?
供養、していた。
Yさんと一度お寺に行き水子地蔵を立ててお線香をあげていた。
でも、それっきりだった。
じゃあ、りん子、その子の供養をしに行こう。
俺が一緒に行ってあげるから、またその子の供養をしよう。
耳を疑うような申し出だ。
過去の堕胎の経験を一緒に供養することでふたりの出来事にしようとしてくれているのだろうか。
自分の子とまで思えなくても、それに近い感覚を味わおうとしているのだろうか。
もしかしたら『悪魔の考え』を持つことに対する贖罪の気持ちもあるかもしれない。
どうしてそんなことしてくれるのですか?
かわいそうだから。
その子も、りん子もかわいそうだから。
供養することで、それを感じないといけないから。
それって?
その子がかわいそうだということと、りん子もある意味かわいそうだろ。それを感じないと傷として残るだけになっちゃうだろ
耳を疑うような発言だった、それが複雑な意図の上ものだったとしても根底にあるものはわたしを大切に思ってくれる心、この言葉で充分感じさせてもらえる。
日常ほとんど忘れていた、でも思い出すと冷ややかに自分を眺めてしまうあまり触れたくない過去。
その道を一緒に歩こうといってくれているのだ、申し訳なくて、でもきちんと受け取って、わたしもちゃんと正面を向こうと思った。
一緒にいってもらおうと思った。
過去を変えることはできないけど、すこし違う気持ちになれるかもしれない。
次のお休みに、海に近いあのお寺に那智さんと一緒に行こう。
淡い期待と不安を胸に約束をして電話を切った。
次回のエントリーが今日アップになってしました。深く、重いエントリーでしたね、りん子も書いているように、このことを昇華させたかったんだと思います。あまりにも私が良い人になっているような気がするので言いたくなってしまうのですが「悪魔の考え」は今の私の心にまだあります。
これを発言してから何年も経過している今、年齢を考えるともう子供は出来ないよな~と思うと、僅かな可能性を考えて妊娠につながるような行為をしたくなっています。りん子にやさしくするのも私であり、「悪魔の考え」を持っているのも私です。
あああ、あんまりにもしんどい内容で本人ヘトヘトのため最後まで一気にアップしちゃいます!!
予約投稿の間違いじゃないからね^^
それでしばらく休憩します(笑)
詳細は、また最後に^^
那智さんはわたしが堕胎の経験があることを知っている。
ウソをつくつもりはなかったけど特別話す機会もなかったから、様々な会話を重ねてもこの話は埋もれていた。
それが話すきっかけになったのは、那智さんのある欲望を聞いたからだ。
那智さんは、『悪魔の考え』と思っているそれは、りん子を孕ませたいという欲望だ。
ううん、その機能を持っている男性なら『好きな女に自分の子を孕ませたい』というものはある程度想像できるものだよね。
だからこれ自体を『悪魔』だとは言い難い。
仮に妊娠したとしてもいまのわたしたちの関係では産むことができない。
だけどりん子のお腹に自分の遺伝子を植え付けたい、妊娠させたという事実だけでもほしい。
だから堕胎することが前提で、妊娠させたい。
りん子は傷つくけれど、その事実で自分は満たされ、そしてりん子をより一層大切にできる。
自分のエゴのために小さな命と女の体を軽視するようなこの欲望を、那智さんは悪魔の考えと呼んでいるのだ。
(わたしからしたら、悪い事だと自覚して、それを口にするときにほんの少し辛そうにする那智さんは決して悪魔だとは思わないのだけどね)
『俺には悪魔の考えがあるんだよな』とちょっと息苦しそうに欲望を語り出した那智さんに、わたしは堕胎の経験を話した。
那智さんは悪魔の考えだというけれど、わたしのほうがずっと悪魔ですよ。
実際に堕胎しているし、どこかずっと醒めている。
那智さんが思い描くようなロマンチックな結末にはならないと思います。
それに現実問題、一度堕胎しているから体を考えたらあまり良いことだとは思えません。
極めて冷静に事実だけを述べて那智さんの欲望を打ち砕いた。
もちろん本当にそれをするつもりはないにしても、堕胎の経験があるわたしに対して堕ろす前提で妊娠させたいという願望を口にすることは、褒められたことじゃないと理解して、そのときはそれ以上会話が進むことはなかった。
ただ話は違う方向に進んで行った。
りん子、その水子は供養したの?
供養、していた。
Yさんと一度お寺に行き水子地蔵を立ててお線香をあげていた。
でも、それっきりだった。
じゃあ、りん子、その子の供養をしに行こう。
俺が一緒に行ってあげるから、またその子の供養をしよう。
耳を疑うような申し出だ。
過去の堕胎の経験を一緒に供養することでふたりの出来事にしようとしてくれているのだろうか。
自分の子とまで思えなくても、それに近い感覚を味わおうとしているのだろうか。
もしかしたら『悪魔の考え』を持つことに対する贖罪の気持ちもあるかもしれない。
どうしてそんなことしてくれるのですか?
かわいそうだから。
その子も、りん子もかわいそうだから。
供養することで、それを感じないといけないから。
それって?
その子がかわいそうだということと、りん子もある意味かわいそうだろ。それを感じないと傷として残るだけになっちゃうだろ
耳を疑うような発言だった、それが複雑な意図の上ものだったとしても根底にあるものはわたしを大切に思ってくれる心、この言葉で充分感じさせてもらえる。
日常ほとんど忘れていた、でも思い出すと冷ややかに自分を眺めてしまうあまり触れたくない過去。
その道を一緒に歩こうといってくれているのだ、申し訳なくて、でもきちんと受け取って、わたしもちゃんと正面を向こうと思った。
一緒にいってもらおうと思った。
過去を変えることはできないけど、すこし違う気持ちになれるかもしれない。
次のお休みに、海に近いあのお寺に那智さんと一緒に行こう。
淡い期待と不安を胸に約束をして電話を切った。
次回のエントリーが今日アップになってしました。深く、重いエントリーでしたね、りん子も書いているように、このことを昇華させたかったんだと思います。あまりにも私が良い人になっているような気がするので言いたくなってしまうのですが「悪魔の考え」は今の私の心にまだあります。
これを発言してから何年も経過している今、年齢を考えるともう子供は出来ないよな~と思うと、僅かな可能性を考えて妊娠につながるような行為をしたくなっています。りん子にやさしくするのも私であり、「悪魔の考え」を持っているのも私です。
優しくされた記憶4
独特な幸福感
7/21『優しくされた記憶2 3 4』と一気にアップしています。
遡ってお読みください。
このお寺に来るのは3回目だ。
Yさんと供養に来るよりさらに前、もっと子供のころたしか家族で訪れたことがある。
海の近くの小さな駅を降りると道案内が出ている。
観光地の外れにあるこのお寺も、そのひとつなんだろう。
修学旅行の団体や散策で立ち寄る人の流れが、その道案内通りに続いていた。
20年前に訪れた記憶が少し蘇る。
うん、この石畳を歩いた。
池には亀がいて、イヤだったな。
だけど水子供養をどこでしたのか記憶が抜け落ちている。
とりあえず本堂に行くけれどごく普通の仏像と参拝客しかいなくて、僅かに記憶に残っているおびただしい数の水子地蔵が見当たらない。
なくなっていたらどうしよう。
なんだか緊張してきてしまった。
ここじゃないの?
那智さんに聞かれても、わからない。
本来なら案内しないといけないのに体に力が入ってしまってまったく役に立たない人になってしまっていた。
すっと那智さんが動いて、係の人のところに行った。
聞いてくれているんだ。
あまり聞きやすいことじゃないよね。
それを、ささっとしてくれる。
こちらに負担をかけずさりげなくやってしまう那智さんに感謝だった。
教えてもらった水子地蔵の場所は本堂より、もっと奥まっていてとてもひっそりした場所にあった。
でも隙間を埋め尽くすように置かれた水子地蔵と途切れることなく人が吸い込まれていく様子に、小さくてもとてもとても重いものがあるとジンジンと伝わってくる。
緊張する。
お堂の前には列が出来ていた。
たくさんの小さな命にみんな手を合わせているんだ。
お線香を立てた。
その数えきれない命のひとつに20数年前のわたしのその子もいるんだ。
お堂の前で手を合わせる。
涙が溢れた。
ごめんね。
ごめんなさい。
産めなくてごめんね。
放っておいてごめんね。
『ごめんなさい』と思えなくてごめんね。
たくさん、たくさん、ごめんね。
涙が、止まってくれない。
ここで泣かれるのはさすがに恥ずかしいな(笑)
いい年したスーツの男と、ちょっと派手な印象の女。
腕を組んで女のほうが泣いているんだもの、ものすごいワケあり感があって恥ずかしい。
だけど必死に涙を堪えてみるけれど一向に止まってくれなくて、お寺を後にしてからも電車を待つ間もずっと泣いていた。
20年前に流すはずだった涙をいま流しているようだった。
電車に乗り、海を背にして座る。
ここはわたしの大好きなところ。
ガタガタと揺れながら那智さんの足とわたしの足が触れる。
涙はまったく止まる気配がない。
タオルで顔を押さえて、なんとか嗚咽が漏れないようする。
いいよ、ここなら思いっきり泣いても(笑)
大好きな海の気配を背中に感じながら、いいと言ってくれたから、もう我慢するのはやめしようと思ってタオルの中で静かにずっと泣いていた。
優しくされた経験。
優しくされた経験が記憶に残ると、いつしかそれが自分のものになって、きっと優しくなれる。
那智さんはずっとわたしを大切にしてくれている。
それがいつの間にかわたしのものになって、わたしは人を大切にする気持ちが実る。
はじめて心からごめんなさいと思えた。
もちろん『ごめんなさい』と思ったからといって過去が塗り替えられるわけじゃないけど、どこか醒めた心より『ごめんなさい』と自分自身も『悲しかったよね』と涙を流せるほうが、わたしはずっと幸福だ。
『丁寧に生きる』に書かれていることのように、わたしの周囲には優しい人はちゃんといて、その経験がないなんてことはけしてないのね。
むしろ大切にされたほうとも言えるんだ。
だから優しくされた経験はたくさんあるんだ。
だけど、どこかの回路だけ目詰まりしていて、経験は蓄積されていても『記憶』として自分の身に付いていなかったんじゃないかと思う。
(その原因はなんだろうと思うけど、いまは追求できていません)
那智さんに大切にされる経験を積ませてもらって、その目詰まりを掃除してくれたんじゃないだろうか。
通りがよくなって経験は記憶になって、わたしの力になれているような気がする。
優しくされた記憶が、人を他者にも自分にも優しくできるのだと思う。
ずぶ濡れの女の子と相合い傘をした。
彼女に見知らぬ大人から優しくされた経験を味わってほしかったから。
それが記憶に残り、彼女の優しさに繋がるかもしれない。
もしかしたら、将来彼女にとっての『那智さん』が現れて、そこではじめて実かもしれない。
たった数十秒の経験で人を変えられるなんて微塵も思っていないけど、実になる可能性がある経験はあったほうがいいよね。
かつて姉がわたしに優しくしてくれたように。
那智さんが、目詰まりをキレイに押し出すほど、ずっとずっとその経験を積ませてくれたように。
『常に卵の側に』と思ったり『優しいほうを選んだり』、ここで熱く語っているのは、読んでくれている人の誰かの、僅かであってもその経験になってくれたらいいなと思っているの。
誰かを変えることなんて当然できない。
記憶に残すのも実らせるのも、人それぞれ、だけどそのわたしなりの優しさは発信できる。
わたしだって普通の人。
聖人君子でも天使でもない。
だけど、エラそうだなと思いながらほんのちょっと、そういう気持ちで書いているの^^
那智さんはわたしの目詰まりを解消してくれて、わたしに優しくする心地よさを教えてくれた。
それをブログで味わわせてもらっているんだ^^
そういう部分ではりん子にはかなわないんだよな〜
と感心してくれる那智さんの声を聞きながら、それは那智さんが教えてくれたからでいるんですよ^^とこっそりほくそ笑むのだ。
最初にも書いたけど。
このお話、書いていてもアップしてからもしんどかった^^;
まったく褒められない過去を書きながら結論を出すまで数日間普通に過ごせるほど、わたしは強くなかったです。
なので、『2、3、4』と続けてアップしちゃいました!!
ということで3回分更新したら、来週の水曜日まで更新はお休みします^^
たまには、こんなイレギュラーもいいよね?
ふう。
皆さんにはお付き合いいただきましてありがとうございました〜^^
わたしはしばらく休憩しまーす^^
追伸
毎年はさすがに行かれないから、オリンピックイヤーに行こうか。
こんなふうに提案してくれて、あれからもう一度訪れている。
だから次はロンドンのとき、かな^^
こういう言葉も那智さんらしい♪
7/21『優しくされた記憶2 3 4』と一気にアップしています。
遡ってお読みください。
このお寺に来るのは3回目だ。
Yさんと供養に来るよりさらに前、もっと子供のころたしか家族で訪れたことがある。
海の近くの小さな駅を降りると道案内が出ている。
観光地の外れにあるこのお寺も、そのひとつなんだろう。
修学旅行の団体や散策で立ち寄る人の流れが、その道案内通りに続いていた。
20年前に訪れた記憶が少し蘇る。
うん、この石畳を歩いた。
池には亀がいて、イヤだったな。
だけど水子供養をどこでしたのか記憶が抜け落ちている。
とりあえず本堂に行くけれどごく普通の仏像と参拝客しかいなくて、僅かに記憶に残っているおびただしい数の水子地蔵が見当たらない。
なくなっていたらどうしよう。
なんだか緊張してきてしまった。
ここじゃないの?
那智さんに聞かれても、わからない。
本来なら案内しないといけないのに体に力が入ってしまってまったく役に立たない人になってしまっていた。
すっと那智さんが動いて、係の人のところに行った。
聞いてくれているんだ。
あまり聞きやすいことじゃないよね。
それを、ささっとしてくれる。
こちらに負担をかけずさりげなくやってしまう那智さんに感謝だった。
教えてもらった水子地蔵の場所は本堂より、もっと奥まっていてとてもひっそりした場所にあった。
でも隙間を埋め尽くすように置かれた水子地蔵と途切れることなく人が吸い込まれていく様子に、小さくてもとてもとても重いものがあるとジンジンと伝わってくる。
緊張する。
お堂の前には列が出来ていた。
たくさんの小さな命にみんな手を合わせているんだ。
お線香を立てた。
その数えきれない命のひとつに20数年前のわたしのその子もいるんだ。
お堂の前で手を合わせる。
涙が溢れた。
ごめんね。
ごめんなさい。
産めなくてごめんね。
放っておいてごめんね。
『ごめんなさい』と思えなくてごめんね。
たくさん、たくさん、ごめんね。
涙が、止まってくれない。
ここで泣かれるのはさすがに恥ずかしいな(笑)
いい年したスーツの男と、ちょっと派手な印象の女。
腕を組んで女のほうが泣いているんだもの、ものすごいワケあり感があって恥ずかしい。
だけど必死に涙を堪えてみるけれど一向に止まってくれなくて、お寺を後にしてからも電車を待つ間もずっと泣いていた。
20年前に流すはずだった涙をいま流しているようだった。
電車に乗り、海を背にして座る。
ここはわたしの大好きなところ。
ガタガタと揺れながら那智さんの足とわたしの足が触れる。
涙はまったく止まる気配がない。
タオルで顔を押さえて、なんとか嗚咽が漏れないようする。
いいよ、ここなら思いっきり泣いても(笑)
大好きな海の気配を背中に感じながら、いいと言ってくれたから、もう我慢するのはやめしようと思ってタオルの中で静かにずっと泣いていた。
優しくされた経験。
優しくされた経験が記憶に残ると、いつしかそれが自分のものになって、きっと優しくなれる。
那智さんはずっとわたしを大切にしてくれている。
それがいつの間にかわたしのものになって、わたしは人を大切にする気持ちが実る。
はじめて心からごめんなさいと思えた。
もちろん『ごめんなさい』と思ったからといって過去が塗り替えられるわけじゃないけど、どこか醒めた心より『ごめんなさい』と自分自身も『悲しかったよね』と涙を流せるほうが、わたしはずっと幸福だ。
『丁寧に生きる』に書かれていることのように、わたしの周囲には優しい人はちゃんといて、その経験がないなんてことはけしてないのね。
むしろ大切にされたほうとも言えるんだ。
だから優しくされた経験はたくさんあるんだ。
だけど、どこかの回路だけ目詰まりしていて、経験は蓄積されていても『記憶』として自分の身に付いていなかったんじゃないかと思う。
(その原因はなんだろうと思うけど、いまは追求できていません)
那智さんに大切にされる経験を積ませてもらって、その目詰まりを掃除してくれたんじゃないだろうか。
通りがよくなって経験は記憶になって、わたしの力になれているような気がする。
優しくされた記憶が、人を他者にも自分にも優しくできるのだと思う。
ずぶ濡れの女の子と相合い傘をした。
彼女に見知らぬ大人から優しくされた経験を味わってほしかったから。
それが記憶に残り、彼女の優しさに繋がるかもしれない。
もしかしたら、将来彼女にとっての『那智さん』が現れて、そこではじめて実かもしれない。
たった数十秒の経験で人を変えられるなんて微塵も思っていないけど、実になる可能性がある経験はあったほうがいいよね。
かつて姉がわたしに優しくしてくれたように。
那智さんが、目詰まりをキレイに押し出すほど、ずっとずっとその経験を積ませてくれたように。
『常に卵の側に』と思ったり『優しいほうを選んだり』、ここで熱く語っているのは、読んでくれている人の誰かの、僅かであってもその経験になってくれたらいいなと思っているの。
誰かを変えることなんて当然できない。
記憶に残すのも実らせるのも、人それぞれ、だけどそのわたしなりの優しさは発信できる。
わたしだって普通の人。
聖人君子でも天使でもない。
だけど、エラそうだなと思いながらほんのちょっと、そういう気持ちで書いているの^^
那智さんはわたしの目詰まりを解消してくれて、わたしに優しくする心地よさを教えてくれた。
それをブログで味わわせてもらっているんだ^^
そういう部分ではりん子にはかなわないんだよな〜
と感心してくれる那智さんの声を聞きながら、それは那智さんが教えてくれたからでいるんですよ^^とこっそりほくそ笑むのだ。
最初にも書いたけど。
このお話、書いていてもアップしてからもしんどかった^^;
まったく褒められない過去を書きながら結論を出すまで数日間普通に過ごせるほど、わたしは強くなかったです。
なので、『2、3、4』と続けてアップしちゃいました!!
ということで3回分更新したら、来週の水曜日まで更新はお休みします^^
たまには、こんなイレギュラーもいいよね?
ふう。
皆さんにはお付き合いいただきましてありがとうございました〜^^
わたしはしばらく休憩しまーす^^
追伸
毎年はさすがに行かれないから、オリンピックイヤーに行こうか。
こんなふうに提案してくれて、あれからもう一度訪れている。
だから次はロンドンのとき、かな^^
こういう言葉も那智さんらしい♪
徒然に『優しくされた記憶』
りん子的独り言(エラそう)
『優しくされた記憶』、ハードな題材のノロケ(?)にお付き合いくださってありがとうございました。
人は優しくされた経験が記憶に残ると人にも自分にも優しくなれる。
だから、わたしもできる場面では優しくありたい。
こんなことを伝えたかった。
その『伝えたい』ことにかこつけて、ノロケと昇華もさせていただきました(笑)
改めて。
わたしは那智さんに大切にされ優しくされることで、はじめて自分を大切に思え、同じように小さな命に対して優しい気持ちを持ち、はじめて心から『ごめんなさい』と思えた。
優しくされる→自分を大切に思える→他者にも優しくなれる、こんな回路を通っているみたいだね。
『優しくされた記憶4』にも書いたけど、那智さんに出会う前のわたしにも優しくされた経験はたくさんあるはずんだ。
だから『経験』は積んでいる。
そして自分でいうのもなんだけど、那智さんに出会う前からけっこう他人には『優しい』人だったはず(笑)
ということは、どうやら『自分を大切に思える』ところが抜け落ちていたのかもしれないなぁなんて思ったりする。
『自分を大切に思える』が抜け落ちていたから、自分の体や、その中にある命に優しくなれずにいたのだろう。
『目詰まりしていた』という表現を使ったけど、このことを考えるとわたしは『自分を大切に思う→他者にも優しくなれる』の回路が繋がっていなかったんだと思う。
周囲から優しくされた経験はあるけど、この回路が目詰まりしていたから、記憶に残らないで自分を大切に思うことが身に付かなかったのかもしれない。
なぜ抜け落ちていたか、なぜ目詰まりしていたか、それは過去エントリーに書いてあることかもしれないし、それ以外にも理由はあるかもしれないけど、それは置いといて^^
じゃあ、どうして那智さんだけが目詰まりを解消することができたのだろう。
まあ、これだけ向き合ってくれれば、そりゃあ解消するといってしまえばそれまでですけど^^;
きっとね、継続してくれたからなんじゃないかと思うのです。
一回の『優しさ』も経験になるけど、記憶に残し身に付けるように目詰まりを解消するには継続してもらうことが必要なんじゃないかな。
同じ人に同じところを何度も何度も。
うんと、これだと『那智さん』的存在がいないとダメみたいだから、すこし視点を変えて。
たとえば、好きな音楽や好きな本に繰り返し触れるということだって効果あるだろうし、恋人じゃなくてもあなたを大切に思い近くにずっと側にいてくれる友人の存在を意識することでもいいかもしれない。
そういった意味では『等式』はもう5年もここにいます^^(あれ?なんんかキャッチコピーみたいだ 笑)
この継続や繰り返しが目詰まりを掃除したのかなと思う。
通りがよくなれば、いままでの優しくされた経験が一気に自分の実になって、この次優しくされたらちゃんと気づけるようになるはず。
だからわたしは今頃姉の『丁寧に生きる』なんてことを言葉にできたりするのかもしれないね。
『等式』を読んでくださっている女性で、わたしと同じように『優しくされた記憶』が身に付いていないという方がいらっしゃいました。
その女性が最近お付き合いをはじめて、もしかしたらこれからその経験を積み目詰まりを解消することができるかもしれないそうです。
お相手に何度も何度も優しくしてもらってご自分を大切に思えるといいなと願います。
でね。
今日は、その女性にエールを^^
小さなことでも重要なことでもお相手の優しさを感じたら、どうかそれを忘れないでくださいね。
次に同じことをしてもらったときに、同じように喜べるように憶えておいてね。
人は同じことを繰り返すといつしかそれが普通のことになっていくもの。
だから『普通のこと』にならないように、その優しさを憶えておくの。
同じ種類の優しさを何度もらっても、何度も何度も喜べるように。
人間は慣れるものだと肝に銘じて、こちら側は慣れない努力をしましょうね。
目詰まりを解消するほどに継続してもらうには、こちら側の姿勢も実はとても大事。
それはもらうことに慣れないことだと思います。
たとえば荷物を半分持ってくれたら嬉しいけど、これを繰り返すといつしか半分持ってもらうことが普通のことになってしまう可能性がある。
優しくされることが普通のことになってしまっては与える側だって継続し甲斐がないというもの。
それに優しさを見過ごしていることになるから、もったいない(笑)
継続してもらうために、こちらは継続して喜んで受け取れるようにしましょうね。
では、どうしたらいつまでも慣れないでいられるのでしょう。
『慣れないで』というだけじゃなくて、どうしたらまで考えるのが好きなので(笑)
わたしは何をして『慣れない』でいるのかなって、考えてみました^^
これはわたしたちに有効なやり方だと思うので、参考程度に読んでください^^
この場合、要は慣れなきゃいいのですから^^
わたしは自分を大切に思えなかった。
だからこそ、大切にされる前の自分とされた後の自分の違いがわかるよね。
これは強味なんだ。
わたしは時々『かつてのわたし』を思い出すの(自然に回想したり、ちょっと意識したり、いろいろだけど)。
『あの頃は、こんなんだったなぁ』って、そうすると『いまは那智さんがいてくれる』ことに改めて喜べるし、優しさに感謝できる。
かつてのわたしを忘れないということは、ひとつの方法。
それと、たとえば小さなことでも、優しくしてもらったと感じさせてもらったら。
『ありがとう』は、まあ、言うと思うけど、それでどんな気持ちになったかを言葉にすることはけっこう有効だと思う。
これは相手にも『どういうことでわたしが嬉しいか』具体的に伝わって、お相手も次回から的確に優しくできる^^
そして言語化することで自分の記憶にも残る、記憶に残れば『普通のこと』にならないでいられる。
荷物を半分持ってもらったら、『ありがとう、嬉しかった』『ありがとう、今日は元気だから大丈夫だよ』『ありがとう、さすが!!頼もしい!!(ヨイショ?)』こんなふうに。
優しくされた経験をお相手と自分の記憶に残すのです。
『過去回想好き』と『言語化好き』は『慣れない』ことへひと役買ってくれているけど、人それぞれ『慣れない』方法を探せばいいけど、目詰まりを解消できるほど継続してもらうにはこちら側の心構えも重要。
もらうことに慣れないようにするのは、とても大事だと思うのです。
新しい一歩をスタートさせた読者さんにエールを込めて^^
さて、次回からは普通のノロケを再開しよーー♪
今日の講義の要点は以下3つかな。
①『自分を大切に思える』が抜け落ちていたから、自分の体や、その中にある命に優しくなれずにいたのだろう。 ②小さなことでも重要なことでもお相手の優しさを感じたら、どうかそれを忘れないでくださいね。
③次に同じことをしてもらったときに、同じように喜べるように憶えておいてね。
2人の付き合いにおいて重要なお話しでした。
具体的な例示ですが、りん子が少しだけ失敗していた部分③を解説。昨日の事です、りん子は最初クンニを極端に嫌がっていた。理由は恥ずかしいからと、私が嫌なのではと言う気持ち。でも、実は大好き。
(笑)これに関しては、嬉しいとも、ありがとうともあまり表現しない、基本恥ずかしがり、私を労うだけ。(8年かけて段々嬉しがる言葉は出てきましたが。)もっと、お願いしますと言われても・・・。だけれど、気持ちいいと言われても(少しだけ)・・・・。
「嬉しい」と言われると私も「嬉しい」だから、もっと欲しければ「嬉しい」を連発すれば私はその気になる。(笑)この考えは、2人の関係性でこんな思考になっているので一般的ではないと思いますが。
りん子(^-^)感想ありがとうございます‼後半部分の補足というか、反論というか。今日のエントリーの主旨は『慣れない』こと、那智さんのお話は『表現方法』。おっしゃりたいことはわかりますし、ふたりの付き合いにおいてとても重要ではありますが、エントリーの主旨からは外れています(笑)
りん子の「慣れない」をここで褒めすぎるのはいかがと思い、このツイートです。りん子は感想ありがとう及び反論とあるけれど、今日は特別に「感想」とは書いてありません、私の思いを書きました。そんなことを言うとここで褒め殺し、惚気殺しするよ。(笑)
りん子(^-^)いまさらですが、那智さん。『そんなことを言うとここで褒め殺し、惚気殺しするよ。(笑)』なんてステキな脅迫でしょう♪でも実際されたらかなり恥ずかしいので、これは新手の羞恥プレイかもしれないです。
『優しくされた記憶』、ハードな題材のノロケ(?)にお付き合いくださってありがとうございました。
人は優しくされた経験が記憶に残ると人にも自分にも優しくなれる。
だから、わたしもできる場面では優しくありたい。
こんなことを伝えたかった。
その『伝えたい』ことにかこつけて、ノロケと昇華もさせていただきました(笑)
改めて。
わたしは那智さんに大切にされ優しくされることで、はじめて自分を大切に思え、同じように小さな命に対して優しい気持ちを持ち、はじめて心から『ごめんなさい』と思えた。
優しくされる→自分を大切に思える→他者にも優しくなれる、こんな回路を通っているみたいだね。
『優しくされた記憶4』にも書いたけど、那智さんに出会う前のわたしにも優しくされた経験はたくさんあるはずんだ。
だから『経験』は積んでいる。
そして自分でいうのもなんだけど、那智さんに出会う前からけっこう他人には『優しい』人だったはず(笑)
ということは、どうやら『自分を大切に思える』ところが抜け落ちていたのかもしれないなぁなんて思ったりする。
『自分を大切に思える』が抜け落ちていたから、自分の体や、その中にある命に優しくなれずにいたのだろう。
『目詰まりしていた』という表現を使ったけど、このことを考えるとわたしは『自分を大切に思う→他者にも優しくなれる』の回路が繋がっていなかったんだと思う。
周囲から優しくされた経験はあるけど、この回路が目詰まりしていたから、記憶に残らないで自分を大切に思うことが身に付かなかったのかもしれない。
なぜ抜け落ちていたか、なぜ目詰まりしていたか、それは過去エントリーに書いてあることかもしれないし、それ以外にも理由はあるかもしれないけど、それは置いといて^^
じゃあ、どうして那智さんだけが目詰まりを解消することができたのだろう。
まあ、これだけ向き合ってくれれば、そりゃあ解消するといってしまえばそれまでですけど^^;
きっとね、継続してくれたからなんじゃないかと思うのです。
一回の『優しさ』も経験になるけど、記憶に残し身に付けるように目詰まりを解消するには継続してもらうことが必要なんじゃないかな。
同じ人に同じところを何度も何度も。
うんと、これだと『那智さん』的存在がいないとダメみたいだから、すこし視点を変えて。
たとえば、好きな音楽や好きな本に繰り返し触れるということだって効果あるだろうし、恋人じゃなくてもあなたを大切に思い近くにずっと側にいてくれる友人の存在を意識することでもいいかもしれない。
そういった意味では『等式』はもう5年もここにいます^^(あれ?なんんかキャッチコピーみたいだ 笑)
この継続や繰り返しが目詰まりを掃除したのかなと思う。
通りがよくなれば、いままでの優しくされた経験が一気に自分の実になって、この次優しくされたらちゃんと気づけるようになるはず。
だからわたしは今頃姉の『丁寧に生きる』なんてことを言葉にできたりするのかもしれないね。
『等式』を読んでくださっている女性で、わたしと同じように『優しくされた記憶』が身に付いていないという方がいらっしゃいました。
その女性が最近お付き合いをはじめて、もしかしたらこれからその経験を積み目詰まりを解消することができるかもしれないそうです。
お相手に何度も何度も優しくしてもらってご自分を大切に思えるといいなと願います。
でね。
今日は、その女性にエールを^^
小さなことでも重要なことでもお相手の優しさを感じたら、どうかそれを忘れないでくださいね。
次に同じことをしてもらったときに、同じように喜べるように憶えておいてね。
人は同じことを繰り返すといつしかそれが普通のことになっていくもの。
だから『普通のこと』にならないように、その優しさを憶えておくの。
同じ種類の優しさを何度もらっても、何度も何度も喜べるように。
人間は慣れるものだと肝に銘じて、こちら側は慣れない努力をしましょうね。
目詰まりを解消するほどに継続してもらうには、こちら側の姿勢も実はとても大事。
それはもらうことに慣れないことだと思います。
たとえば荷物を半分持ってくれたら嬉しいけど、これを繰り返すといつしか半分持ってもらうことが普通のことになってしまう可能性がある。
優しくされることが普通のことになってしまっては与える側だって継続し甲斐がないというもの。
それに優しさを見過ごしていることになるから、もったいない(笑)
継続してもらうために、こちらは継続して喜んで受け取れるようにしましょうね。
では、どうしたらいつまでも慣れないでいられるのでしょう。
『慣れないで』というだけじゃなくて、どうしたらまで考えるのが好きなので(笑)
わたしは何をして『慣れない』でいるのかなって、考えてみました^^
これはわたしたちに有効なやり方だと思うので、参考程度に読んでください^^
この場合、要は慣れなきゃいいのですから^^
わたしは自分を大切に思えなかった。
だからこそ、大切にされる前の自分とされた後の自分の違いがわかるよね。
これは強味なんだ。
わたしは時々『かつてのわたし』を思い出すの(自然に回想したり、ちょっと意識したり、いろいろだけど)。
『あの頃は、こんなんだったなぁ』って、そうすると『いまは那智さんがいてくれる』ことに改めて喜べるし、優しさに感謝できる。
かつてのわたしを忘れないということは、ひとつの方法。
それと、たとえば小さなことでも、優しくしてもらったと感じさせてもらったら。
『ありがとう』は、まあ、言うと思うけど、それでどんな気持ちになったかを言葉にすることはけっこう有効だと思う。
これは相手にも『どういうことでわたしが嬉しいか』具体的に伝わって、お相手も次回から的確に優しくできる^^
そして言語化することで自分の記憶にも残る、記憶に残れば『普通のこと』にならないでいられる。
荷物を半分持ってもらったら、『ありがとう、嬉しかった』『ありがとう、今日は元気だから大丈夫だよ』『ありがとう、さすが!!頼もしい!!(ヨイショ?)』こんなふうに。
優しくされた経験をお相手と自分の記憶に残すのです。
『過去回想好き』と『言語化好き』は『慣れない』ことへひと役買ってくれているけど、人それぞれ『慣れない』方法を探せばいいけど、目詰まりを解消できるほど継続してもらうにはこちら側の心構えも重要。
もらうことに慣れないようにするのは、とても大事だと思うのです。
新しい一歩をスタートさせた読者さんにエールを込めて^^
さて、次回からは普通のノロケを再開しよーー♪
今日の講義の要点は以下3つかな。
①『自分を大切に思える』が抜け落ちていたから、自分の体や、その中にある命に優しくなれずにいたのだろう。 ②小さなことでも重要なことでもお相手の優しさを感じたら、どうかそれを忘れないでくださいね。
③次に同じことをしてもらったときに、同じように喜べるように憶えておいてね。
2人の付き合いにおいて重要なお話しでした。
具体的な例示ですが、りん子が少しだけ失敗していた部分③を解説。昨日の事です、りん子は最初クンニを極端に嫌がっていた。理由は恥ずかしいからと、私が嫌なのではと言う気持ち。でも、実は大好き。
(笑)これに関しては、嬉しいとも、ありがとうともあまり表現しない、基本恥ずかしがり、私を労うだけ。(8年かけて段々嬉しがる言葉は出てきましたが。)もっと、お願いしますと言われても・・・。だけれど、気持ちいいと言われても(少しだけ)・・・・。
「嬉しい」と言われると私も「嬉しい」だから、もっと欲しければ「嬉しい」を連発すれば私はその気になる。(笑)この考えは、2人の関係性でこんな思考になっているので一般的ではないと思いますが。
りん子(^-^)感想ありがとうございます‼後半部分の補足というか、反論というか。今日のエントリーの主旨は『慣れない』こと、那智さんのお話は『表現方法』。おっしゃりたいことはわかりますし、ふたりの付き合いにおいてとても重要ではありますが、エントリーの主旨からは外れています(笑)
りん子の「慣れない」をここで褒めすぎるのはいかがと思い、このツイートです。りん子は感想ありがとう及び反論とあるけれど、今日は特別に「感想」とは書いてありません、私の思いを書きました。そんなことを言うとここで褒め殺し、惚気殺しするよ。(笑)
りん子(^-^)いまさらですが、那智さん。『そんなことを言うとここで褒め殺し、惚気殺しするよ。(笑)』なんてステキな脅迫でしょう♪でも実際されたらかなり恥ずかしいので、これは新手の羞恥プレイかもしれないです。
天敵
独特な幸福感
那智さんがお仕事を開始するまでの数十分間、わたしの貴重なお電話タイム。
そのときに時々登場するお掃除のおばさまはわたしの天敵(笑)
彼女がいるとどうしても会話が滞るし、ときには話しかけてきて、こちらの会話が中断してしまうこともある。
(年配の彼女はおそらくヘッドセットの存在を知らない。だから那智さんがヘッドセットしてしゃべっていると怪しい独り言に思われるし、逆に遠慮なく話しかけてくるのだ)
那智さんがいまのお仕事場に通い出してからもう数年間勤めているから、もう長いこと天敵だ。
それまで他のフロアで清掃員と借り手が親しく言葉を交わす習慣はなかったのだろう。
電話を通しても感じられた、最初に那智さんが親しげに話しかけたときの訝し気な様子はいまでも憶えている。
それが那智さんの対等な語り方やときどきのお裾分けで徐々に心を許しているのが感じられてきていた。
まるで警戒心の強い野良猫を手懐けるように。
那智さんがどこまで意識しているかはわからないけど、その手腕は惚れ惚れする。
いつの間にか、観葉植物のことやら他のフロアのゴミ出しやの愚痴やら、いち清掃員が借り手に語るような内容ではない会話が聞こえてくるようになっていた。
その会話がわたしの貴重なお電話タイムの会話を遮るのだ。
これは、もう、天敵以外何者でもない!!(笑)
この日、途中からいてあまりちゃんとお話しできなった。
ちょっと残念。
那智さんは、そろそろお電話終了のタイミングでいつもベランダに出て一服をする。
この日も同じようにベランダに出てくれた。
ドアの音と雑踏、一瞬遅れて『カチッ』とライターの音。
彼女はフロアにいるから短い時間だけどこれでちゃんとお話しできる。
他愛ない会話だとしても、それはわたしの一日の喜び。
ガチャ。
ああ、ドアの音。
彼女、だ。
「あのさぁ、○○に行きたいんだけど…、電車…」
「○○なら、××の次の次ですよ」
「そう…、ほら、あの、電車の…」
「ああ、路線図?プリントしておきますから、後で取りにきてください」
「ああ、ありがとうね」
どうやら空港まで行きたいらしいのだけど、それを聞きにきたんだ。
それで路線図が欲しかったみたいだから、那智さんったら頼まれもしないのにプリントアウトまでして差し上げるというわけ。
那智さんらしい優しさだけど貴重なお電話タイムを浸食されて、わたしはちょっと気に入らない。
ねえねえ、那智さん、人はものを頼むときは『○○したいから、○○してください』というものですよ。
ちゃんとお願いしていないのに、プリントアウトまでしてちゃったら、その人を甘やかせることになります(笑)
(笑)マークはついているけど、なんだか意地悪い気持ちで重箱の隅を突くようなことを言う自分にトホホだ。
すると、那智さん。
まあね、でも、もう、そういうの経てきてるからなぁ
はあ!?
そういうの経てきている!?
そういうの?経てきている!?
やめてーーーーー、その『俺たち積み上げました』感!!!!
いや、わかります。
初期のころの警戒心丸出しの声が、徐々に柔らかくなっていくのを目の当たり(この場合、耳当たり?)にしているので、那智さんがじわじわとほぐしていったのはわかります。
そりゃあ、積み上げてきた自負はあるでしょう。
だからって『もう、経てきたからなぁ』って!!
そんな一体感、醸し出さないでーーーー!!!!
那智さん、なんなんですか、その感じ!?
なに?
那智さんは他の女と経ちゃいけないのーーーー!!
あはは、バカじゃないの(笑)
あう、バカなのはわかってるけど、冗談半分、かなり本気に仰け反ってしまった^^;
鳥肌が立ってしまくらい^^;
『ある種』の女性には那智さんの『受け止める』性質は魅惑だ。
ううん、そんな女性が存在しているかどうかは知らない、だけどわたしには那智さんのその性質が感じられるのだ。
どうしても、あのおばさまの甘ったるい声色が『ある種』の女性に感じられてしかたがない。
だから、この日、天敵確定(笑)
この手の話の定番、クラリスの場合は『クラリスはオスだ』ということに気づいて戦意喪失するというのがオチなんだけど、この場合オチがない。
たとえ還暦をとうに過ぎていたとしても女性なわけで、もしかしたら彼女のほうが強敵な恋敵かもしれない。
もう、ライバルやら天敵やら、たくさんいて、体がいくつあっても足りない^^;
でも、でも、大きな声じゃいえないけど、那智さんの手懐けている過程と結果が感じられるのって、ちょっと萌えでもある^^;(はあ、バカだ、わたし)
<関連エントリー>
『ライバルはクラリス』
『続 ライバルはクラリス』
『今日のクラリス』
『ある種』の女性、清掃員さん
『罪作りな人』
おはようございます。今朝の「等式」感想です。
今は還暦過ぎの人は本当の意味での嫉妬にはなりえない。でも、年齢を重ねると(私が60歳)60歳の女性でも嫉妬の対象になりえるのだろう。では、その時、対象年齢として若年ではどこまで嫉妬の対象になるのだろう。(笑)
那智さんがお仕事を開始するまでの数十分間、わたしの貴重なお電話タイム。
そのときに時々登場するお掃除のおばさまはわたしの天敵(笑)
彼女がいるとどうしても会話が滞るし、ときには話しかけてきて、こちらの会話が中断してしまうこともある。
(年配の彼女はおそらくヘッドセットの存在を知らない。だから那智さんがヘッドセットしてしゃべっていると怪しい独り言に思われるし、逆に遠慮なく話しかけてくるのだ)
那智さんがいまのお仕事場に通い出してからもう数年間勤めているから、もう長いこと天敵だ。
それまで他のフロアで清掃員と借り手が親しく言葉を交わす習慣はなかったのだろう。
電話を通しても感じられた、最初に那智さんが親しげに話しかけたときの訝し気な様子はいまでも憶えている。
それが那智さんの対等な語り方やときどきのお裾分けで徐々に心を許しているのが感じられてきていた。
まるで警戒心の強い野良猫を手懐けるように。
那智さんがどこまで意識しているかはわからないけど、その手腕は惚れ惚れする。
いつの間にか、観葉植物のことやら他のフロアのゴミ出しやの愚痴やら、いち清掃員が借り手に語るような内容ではない会話が聞こえてくるようになっていた。
その会話がわたしの貴重なお電話タイムの会話を遮るのだ。
これは、もう、天敵以外何者でもない!!(笑)
この日、途中からいてあまりちゃんとお話しできなった。
ちょっと残念。
那智さんは、そろそろお電話終了のタイミングでいつもベランダに出て一服をする。
この日も同じようにベランダに出てくれた。
ドアの音と雑踏、一瞬遅れて『カチッ』とライターの音。
彼女はフロアにいるから短い時間だけどこれでちゃんとお話しできる。
他愛ない会話だとしても、それはわたしの一日の喜び。
ガチャ。
ああ、ドアの音。
彼女、だ。
「あのさぁ、○○に行きたいんだけど…、電車…」
「○○なら、××の次の次ですよ」
「そう…、ほら、あの、電車の…」
「ああ、路線図?プリントしておきますから、後で取りにきてください」
「ああ、ありがとうね」
どうやら空港まで行きたいらしいのだけど、それを聞きにきたんだ。
それで路線図が欲しかったみたいだから、那智さんったら頼まれもしないのにプリントアウトまでして差し上げるというわけ。
那智さんらしい優しさだけど貴重なお電話タイムを浸食されて、わたしはちょっと気に入らない。
ねえねえ、那智さん、人はものを頼むときは『○○したいから、○○してください』というものですよ。
ちゃんとお願いしていないのに、プリントアウトまでしてちゃったら、その人を甘やかせることになります(笑)
(笑)マークはついているけど、なんだか意地悪い気持ちで重箱の隅を突くようなことを言う自分にトホホだ。
すると、那智さん。
まあね、でも、もう、そういうの経てきてるからなぁ
はあ!?
そういうの経てきている!?
そういうの?経てきている!?
やめてーーーーー、その『俺たち積み上げました』感!!!!
いや、わかります。
初期のころの警戒心丸出しの声が、徐々に柔らかくなっていくのを目の当たり(この場合、耳当たり?)にしているので、那智さんがじわじわとほぐしていったのはわかります。
そりゃあ、積み上げてきた自負はあるでしょう。
だからって『もう、経てきたからなぁ』って!!
そんな一体感、醸し出さないでーーーー!!!!
那智さん、なんなんですか、その感じ!?
なに?
那智さんは他の女と経ちゃいけないのーーーー!!
あはは、バカじゃないの(笑)
あう、バカなのはわかってるけど、冗談半分、かなり本気に仰け反ってしまった^^;
鳥肌が立ってしまくらい^^;
『ある種』の女性には那智さんの『受け止める』性質は魅惑だ。
ううん、そんな女性が存在しているかどうかは知らない、だけどわたしには那智さんのその性質が感じられるのだ。
どうしても、あのおばさまの甘ったるい声色が『ある種』の女性に感じられてしかたがない。
だから、この日、天敵確定(笑)
この手の話の定番、クラリスの場合は『クラリスはオスだ』ということに気づいて戦意喪失するというのがオチなんだけど、この場合オチがない。
たとえ還暦をとうに過ぎていたとしても女性なわけで、もしかしたら彼女のほうが強敵な恋敵かもしれない。
もう、ライバルやら天敵やら、たくさんいて、体がいくつあっても足りない^^;
でも、でも、大きな声じゃいえないけど、那智さんの手懐けている過程と結果が感じられるのって、ちょっと萌えでもある^^;(はあ、バカだ、わたし)
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おはようございます。今朝の「等式」感想です。
今は還暦過ぎの人は本当の意味での嫉妬にはなりえない。でも、年齢を重ねると(私が60歳)60歳の女性でも嫉妬の対象になりえるのだろう。では、その時、対象年齢として若年ではどこまで嫉妬の対象になるのだろう。(笑)