我が子2
独り言
気づけば、長々書いてます(閲覧注意 笑)
我が子は怖がりな子だ。
まあ、わたしが相当な怖がりなので当然といえば当然なんだけど。
赤ちゃんのころ、アンパンマンが電池でカッタンカッタン転がるオモチャの『びーーん』と作動する音に泣き。
魚屋さんの大きなかけ声に泣いていた。
いないいないばーや『待て待て〜』と追いかける遊びも怖がってやりたがらなかった。
だから、公園につれていっても同世代の子たちと追いかけっこなんてしないで、ひたすら流れる水を眺めていたり、ままごとセットで『お茶のみ屋さん』を開き静かにコーヒーを飲む(ふり)をして遊んでいた。
以前のエントリーで、それを『変わっている』という視点で書いたけど、別の視点から見たら、おそらく、我が子は怖かったのだろうとも思う。
それでも公園に行きたがらないわけではなかったので、気晴らしに出かけていっていたけど、やはり同じくらいか、ましてや、もっと小さい子でさえ追いかけっこしている中黙々と静かに遊んでいる我が子を見ると、ちょっとやるせないような不甲斐ないような気持ちになることもあった。
だけど、わたしはその我が子をずっと肯定した。
別に一緒に走り回らなくてもいい。
穏やかに遊んでいるんだもの。
ひとりの子が遊具の上から飛び降りると、次々みんなマネして飛び降りはじめる。
そのうちジャンプする列ができる。
我が子もつられて後ろに並び、いざ順番が来ると飛べずにわたしを呼ぶ。
そこにいた子全員飛べていても、それでもかまわなかった。
わたしが我が子のところまで行き、手を取って『せーの』でジャンプさせた。
いまできなくても、いつかできるようになる。
そう自分に言い聞かせてきた。
そりゃあ、大人になればこんな段差飛べるようになるのは当然のことだとわかっていても、目の前で次々同じくらいの子ができている中で『いつかできるようになる』と明確に思うことは、すこし気合いがいる。
でも、理性で言い聞かせた。
いまできなくても、来年できるかもしれない、もしかしたら一週間後にはできるようになっているかもしれない。
たとえ、それが隣りにいる子と数ヶ月違ったとして、なんの意味があるだろう。
我が子の人生の中でたった数ヶ月、その数ヶ月なんて微々たるものだ。
それより、わたしは我が子に劣等感を持ってほしくなかった。
だから、一度も『他の子はできるのに』と他者と比べるようなことはしなかった。
『できるようになろう』とできないことを『ダメなこと』にしないようにした。
(あ、でも自転車乗りたいとか本人ができるようになりたいと思ったことは『できるようになろう』って一緒に練習付き合ったよ)
それよりあなたが生まれてきただけで、世界は充分の『祝福』に包まれていると思ってほしかった(これはちょっと大げさだけど、まじめにそう思ってる)
さらに、言葉も遅かったし偏食もひどかった。
でも、どれも『いつか』と思って他者と比べたり、ダメだというレッテルを貼ることはしないようにした。
いつかしゃべれるようになるし、大人になればいろいろ食べられるようになる。
それよりコミュニケーションは楽しくて、ご飯はほがらかにいただくほうが美味しいことを知ってほしかった。
余談だけど、実家に連れていったとき、母はハイハイして動き回る我が子のあとを追いかけながら離乳食を食べさせていた。
これ、躾け的にはアウトなのだと思うけど、その様子を見て、わたしなりの『食事の大切なことの優先順位』を決めたんだ。
一番優先することは『生きるための栄養を摂ること』だよね。
そのためには食べてもらわないといけない、ゆえに、『食べることを嫌いにならないでほしい』。
マナーや躾けは、その次に来るものに位置付けしたの。
(もちろん、最低限のマナーは教えるよ!!)
でも、別に我が子はちゃんと座って食べる子に成長しているよ^^
とにかく、とくに小さいころは、我が子の弱いところ遅いところ他者と比べたとしたら劣るところを全部肯定していくように努めた。
「なんでできないの」「他の子はできるのに」って言いたくなる瞬間がないわけではなかったけど、こらえた。
相対ではなく絶対の価値基準で。
それが正しい子育てかどうかはわからない。
『ダメじゃん』ってお尻を叩いたほうが根性のある子になったかもしれない。
『大丈夫飛べるよ』と励まし、飛べるようにさせたほうが頑張り屋さんになったかもしれない。
でも、きっと人を最後に踏ん張らせるものは『自己肯定感』だと、わたしは信じている。
だから、我が子は根性はないかもしれないけど、たぶん自己肯定感の強味は持っているはずだ。
この思いを後押ししてくれたのが、ある先生の言葉だった。
我が子は小学生のとき、夜になると蕁麻疹が出ることが続いたので漢方の先生に診てもらったら「お子さんは虚弱体質だ」という。
虚弱体質というのは病気がちとか体が弱いという意味ではなく、年齢に対して体力が追いついていないことをいうらしい。
「だから、お子さん、怖がりでしょ?」と。
怖がりなことは、その体力が追いついていないことに対する自衛なんだそうだ。
自分の体力にそぐわない状況から身を守る術だったんだ。
はじめて会った先生に言い当てられ、それが我が子なりの自衛策だと聞き、なんだかわたしはうれしくなってしまった。
そうか、自分を守っていたんだね。
いまはたまたま学校などのことで体力を使ってしまっているから、疲れて蕁麻疹が出ているだけで、大丈夫、体力が追いついてきたら出なくなるから
たしかに、その時期学校で新しいことをはじめたり、環境が変わったりが重なっていた。
いままで漠然と『いつかできるようになる』と信じ肯定してきたことが間違いではなかったのだと思えて、安堵して記憶がある。
実際、蕁麻疹はほどなく出なくなった。
そして、いつの間にか、そんな段差は飛べるようになったし、それなりにいろいろ食べられるようになった。
(あ、でも、だからといってものすごくスポーツができるとか、そういう体力は相変わらずない^^;生きていく上で最低限な体力 笑)
さて、そんな我が子は自分で選んだ進路に進み出している。
それで食べていかれるかはわからないけど、制服姿最後の日に『ああ、この姿に「いってらっしゃい」するのは最後か〜』と思ったら、なかなか感慨深いものがあったな。
子育てに正解はひとつじゃないけど、こんな育て方もあるよっていうお話でした^^
<関連エントリー>
我が子
気づけば、長々書いてます(閲覧注意 笑)
我が子は怖がりな子だ。
まあ、わたしが相当な怖がりなので当然といえば当然なんだけど。
赤ちゃんのころ、アンパンマンが電池でカッタンカッタン転がるオモチャの『びーーん』と作動する音に泣き。
魚屋さんの大きなかけ声に泣いていた。
いないいないばーや『待て待て〜』と追いかける遊びも怖がってやりたがらなかった。
だから、公園につれていっても同世代の子たちと追いかけっこなんてしないで、ひたすら流れる水を眺めていたり、ままごとセットで『お茶のみ屋さん』を開き静かにコーヒーを飲む(ふり)をして遊んでいた。
以前のエントリーで、それを『変わっている』という視点で書いたけど、別の視点から見たら、おそらく、我が子は怖かったのだろうとも思う。
それでも公園に行きたがらないわけではなかったので、気晴らしに出かけていっていたけど、やはり同じくらいか、ましてや、もっと小さい子でさえ追いかけっこしている中黙々と静かに遊んでいる我が子を見ると、ちょっとやるせないような不甲斐ないような気持ちになることもあった。
だけど、わたしはその我が子をずっと肯定した。
別に一緒に走り回らなくてもいい。
穏やかに遊んでいるんだもの。
ひとりの子が遊具の上から飛び降りると、次々みんなマネして飛び降りはじめる。
そのうちジャンプする列ができる。
我が子もつられて後ろに並び、いざ順番が来ると飛べずにわたしを呼ぶ。
そこにいた子全員飛べていても、それでもかまわなかった。
わたしが我が子のところまで行き、手を取って『せーの』でジャンプさせた。
いまできなくても、いつかできるようになる。
そう自分に言い聞かせてきた。
そりゃあ、大人になればこんな段差飛べるようになるのは当然のことだとわかっていても、目の前で次々同じくらいの子ができている中で『いつかできるようになる』と明確に思うことは、すこし気合いがいる。
でも、理性で言い聞かせた。
いまできなくても、来年できるかもしれない、もしかしたら一週間後にはできるようになっているかもしれない。
たとえ、それが隣りにいる子と数ヶ月違ったとして、なんの意味があるだろう。
我が子の人生の中でたった数ヶ月、その数ヶ月なんて微々たるものだ。
それより、わたしは我が子に劣等感を持ってほしくなかった。
だから、一度も『他の子はできるのに』と他者と比べるようなことはしなかった。
『できるようになろう』とできないことを『ダメなこと』にしないようにした。
(あ、でも自転車乗りたいとか本人ができるようになりたいと思ったことは『できるようになろう』って一緒に練習付き合ったよ)
それよりあなたが生まれてきただけで、世界は充分の『祝福』に包まれていると思ってほしかった(これはちょっと大げさだけど、まじめにそう思ってる)
さらに、言葉も遅かったし偏食もひどかった。
でも、どれも『いつか』と思って他者と比べたり、ダメだというレッテルを貼ることはしないようにした。
いつかしゃべれるようになるし、大人になればいろいろ食べられるようになる。
それよりコミュニケーションは楽しくて、ご飯はほがらかにいただくほうが美味しいことを知ってほしかった。
余談だけど、実家に連れていったとき、母はハイハイして動き回る我が子のあとを追いかけながら離乳食を食べさせていた。
これ、躾け的にはアウトなのだと思うけど、その様子を見て、わたしなりの『食事の大切なことの優先順位』を決めたんだ。
一番優先することは『生きるための栄養を摂ること』だよね。
そのためには食べてもらわないといけない、ゆえに、『食べることを嫌いにならないでほしい』。
マナーや躾けは、その次に来るものに位置付けしたの。
(もちろん、最低限のマナーは教えるよ!!)
でも、別に我が子はちゃんと座って食べる子に成長しているよ^^
とにかく、とくに小さいころは、我が子の弱いところ遅いところ他者と比べたとしたら劣るところを全部肯定していくように努めた。
「なんでできないの」「他の子はできるのに」って言いたくなる瞬間がないわけではなかったけど、こらえた。
相対ではなく絶対の価値基準で。
それが正しい子育てかどうかはわからない。
『ダメじゃん』ってお尻を叩いたほうが根性のある子になったかもしれない。
『大丈夫飛べるよ』と励まし、飛べるようにさせたほうが頑張り屋さんになったかもしれない。
でも、きっと人を最後に踏ん張らせるものは『自己肯定感』だと、わたしは信じている。
だから、我が子は根性はないかもしれないけど、たぶん自己肯定感の強味は持っているはずだ。
この思いを後押ししてくれたのが、ある先生の言葉だった。
我が子は小学生のとき、夜になると蕁麻疹が出ることが続いたので漢方の先生に診てもらったら「お子さんは虚弱体質だ」という。
虚弱体質というのは病気がちとか体が弱いという意味ではなく、年齢に対して体力が追いついていないことをいうらしい。
「だから、お子さん、怖がりでしょ?」と。
怖がりなことは、その体力が追いついていないことに対する自衛なんだそうだ。
自分の体力にそぐわない状況から身を守る術だったんだ。
はじめて会った先生に言い当てられ、それが我が子なりの自衛策だと聞き、なんだかわたしはうれしくなってしまった。
そうか、自分を守っていたんだね。
いまはたまたま学校などのことで体力を使ってしまっているから、疲れて蕁麻疹が出ているだけで、大丈夫、体力が追いついてきたら出なくなるから
たしかに、その時期学校で新しいことをはじめたり、環境が変わったりが重なっていた。
いままで漠然と『いつかできるようになる』と信じ肯定してきたことが間違いではなかったのだと思えて、安堵して記憶がある。
実際、蕁麻疹はほどなく出なくなった。
そして、いつの間にか、そんな段差は飛べるようになったし、それなりにいろいろ食べられるようになった。
(あ、でも、だからといってものすごくスポーツができるとか、そういう体力は相変わらずない^^;生きていく上で最低限な体力 笑)
さて、そんな我が子は自分で選んだ進路に進み出している。
それで食べていかれるかはわからないけど、制服姿最後の日に『ああ、この姿に「いってらっしゃい」するのは最後か〜』と思ったら、なかなか感慨深いものがあったな。
子育てに正解はひとつじゃないけど、こんな育て方もあるよっていうお話でした^^
<関連エントリー>
我が子
COMMENT
子育ては其々、正解はナイのだその意味においてわたしはりんちゃの子育てを支持するのです
これからお母さんになる皆さんもがんばれー !
りん子さんがお母さんでよかった
って、きっと思っていますよ!
卒業おめでとうございます!
って、きっと思っていますよ!
卒業おめでとうございます!
ゆう。さん
ありがとう^^
ゆるくね^^
あまり完璧を求めないほうがいいよね。
うん、これから子育てするみんな、がんばってね〜。
ありがとう^^
ゆるくね^^
あまり完璧を求めないほうがいいよね。
うん、これから子育てするみんな、がんばってね〜。
あこさん
ありがとう!!
きっと我が子がそう思ってくれるとしたら、もっと大人になってからなんじゃないかと思っているんだ。
それでもぜんぜんかまわない^^
いつか、そう思ってくれたらうれしいけどね〜。
ありがとう!!
きっと我が子がそう思ってくれるとしたら、もっと大人になってからなんじゃないかと思っているんだ。
それでもぜんぜんかまわない^^
いつか、そう思ってくれたらうれしいけどね〜。
子育てに正解なし、人生にも正解はないですね。
武蔵さん
はじめまして、ですよね?(違っていたらごめんなさい!)
ようこそ、おいでくださいました♪
そうなんですよね、絶対の正解はない。
わたしはわたしのやり方でしかできないので、あとは我が子、なんとかがんばってくれ!!という感じです^^
はじめまして、ですよね?(違っていたらごめんなさい!)
ようこそ、おいでくださいました♪
そうなんですよね、絶対の正解はない。
わたしはわたしのやり方でしかできないので、あとは我が子、なんとかがんばってくれ!!という感じです^^