THE父性!!
独特な幸福感
休日の那智さんとつながることができた。
どうやらご自宅の庭で薫製を作るらしい。
(なんて書くとどんな豪邸か!!と思われて那智さん自身気恥ずかしいかと思うので、おそらく『ごく普通の戸建て』と逆フォロー^^)
アルコールを注入しながら、アルコールのためのおつまみ作りをするそうだ。
最初はレシピを見ながらとかだったけどだんだん慣れてきてかなり自己流らしい。
庭にコンロを設置して、ダッチオーブンをガチャガチャとセットしている。
鶏肉と鮭と、なんだっけなぁ。
おいしそう!!なんて思いながら、こちらが電車に乗るために一旦電話を切る。
十数分後、お電話再開。
ちょっと電波が悪くて声が途切れ途切れだ。
もどかしい思いで「那智さ〜ん」と何度か呼びかけていると、那智さん以外の人の声がしてくる。
あれ?誰かいるのかな。
◯×…%#…#
まったく聞き取れない途切れ途切れの声だけど、どうやら小さいお子さんのよう。
…き…の…おは…よ
ど…ぞ
那智さんの声もぜんぜん聞き取れない。
話しかけないほうがいいのかな。
すこし警戒気味に耳をそばだてる。
すっーっと音声がクリアになった。
ぷつぷつと切れていた宇宙人みたいな雑音が音になった。
あ、たまご〜?
そうだね〜、卵だね〜
ひーーーー、な、な、な、なんだ、この萌え声はーーー!!
声の主は小さな男の子(推定3才)。
その幼い声に答える那智さんの父性たっっっっぷりな声は!!
微笑ましいものを見るときの微笑みがそのまま音声になったような慈愛に満ちた、それでいて、きちんと『人』として対話している真摯さを醸し出したTHE父性は!!!!
たまらん!!
仕事に向かいながらはふはふと、その声に悶える。
ヘッドフォンに全神経を集中させて、その父性声をもっともっと聞かせて〜!!
$こ…あ◯&…!
い…よ…あ…%るね…
あああ、ふたたび音声悪し。
また途切れ途切れの宇宙人。
子どもはなんて言ったの!?
それに那智さんはどんな声色でなんて答えたのーーーー!!
滅多にない那智さんの父性声。
しかも、対象が『男の子』だ。
こんなチャンス逃してなるものか!!
必死に耳を傾けるけど通信の悪さは如何ともしがたい。
うう残念。
結局、たまらない父性声を味わえたのは一瞬だけだった。
後から聞いたところによると。
庭で薫製を作っていたらママと男の子連れが通りかかったのだそうだ。
那智さんは庭で家庭菜園とお花を少し作っているのだけど(育て好き 笑)、男の子がそこに咲いている花に興味を持った。
だから、一輪取ってあげたところだったそうだ。
そこで男の子がプランターに置いてある卵の殻を指しての発言に対しての「卵だね〜」だったというわけ。
いやん、通りすがりの男の子にも優しい那智さん♪と思うけど、アルコールが入っている見知らぬ男性と若干居着き気味の息子のそばでママはその場から離れたそうな空気を醸し出していたそうです(笑)
那智さんの父性声はホントにわたしの心を鷲掴みする。
じつは、これはかなり貴重なことなのだ。
なぜなら、那智さんがわたしに対して『父性』的な何かを発揮してくれても、これにかなり近くても、やっぱり違うから。
那智さんにとって、わたしは守るべき立場であることには変わらないけど、反面ひとりの大人として対等であると思ってくれている。
育てる側の自負も含めて、那智さんがわたしを対等であると思えるほうが幸福ではあるのだけど、対等でないものを上から見下ろす(みくだすじゃないよ)対応というのは、いまのわたしはもう味わえないからだ。
でね、この場合のラッキーは『男の子』だったということ。
ホントは『女の子』のほうが自分に投影できて萌えなんだけど、わたし、それだと嫉妬のほうが大きくなっちゃうの。
「那智さんはわたしにはあんな声を出してくれない」って^^;
もし『女の子』だったら最大級の萌えとセットになった嫉妬になるから、会えていて、その後ホテルに行かれる場合限定ならOK(笑)
「那智さんはわたしにはあんな声出してくれない(ぐすん)」ってしてからホテルでそれを回復させる『なにか』をしてもらえる(はず 笑)から。
とにかく、会話だけの場合はあまり地雷を踏んでしまうようなことは避けたいから、ベターな萌えで充分。
しかも3歳児の声はほとんど男女差がないので、かなり『女の子』に近い。
限りなく『女の子』に近い、でも、そうじゃない存在で嫉妬なしのベター萌えを味わえたのは、なかなか貴重でラッキーだったのだ。
はあ、でも、それにしても、たまらなかった〜〜〜。
いま思い出してもはふはふ、ご飯何杯もいけます。
<関連エントリー>
『男の子』だと意気消沈はクラリスで証明済み
『ライバルはクラリス』
『続ライバルはクラリス』
『今日のクラリス』
『女の子』
「等式」「父性」の感想です。萌えているりん子を感じるのは楽しいですが、私としては普通の行いなので多少、感想に困ります。りん子へ、3歳時プレイでもする?(笑)
休日の那智さんとつながることができた。
どうやらご自宅の庭で薫製を作るらしい。
(なんて書くとどんな豪邸か!!と思われて那智さん自身気恥ずかしいかと思うので、おそらく『ごく普通の戸建て』と逆フォロー^^)
アルコールを注入しながら、アルコールのためのおつまみ作りをするそうだ。
最初はレシピを見ながらとかだったけどだんだん慣れてきてかなり自己流らしい。
庭にコンロを設置して、ダッチオーブンをガチャガチャとセットしている。
鶏肉と鮭と、なんだっけなぁ。
おいしそう!!なんて思いながら、こちらが電車に乗るために一旦電話を切る。
十数分後、お電話再開。
ちょっと電波が悪くて声が途切れ途切れだ。
もどかしい思いで「那智さ〜ん」と何度か呼びかけていると、那智さん以外の人の声がしてくる。
あれ?誰かいるのかな。
◯×…%#…#
まったく聞き取れない途切れ途切れの声だけど、どうやら小さいお子さんのよう。
…き…の…おは…よ
ど…ぞ
那智さんの声もぜんぜん聞き取れない。
話しかけないほうがいいのかな。
すこし警戒気味に耳をそばだてる。
すっーっと音声がクリアになった。
ぷつぷつと切れていた宇宙人みたいな雑音が音になった。
あ、たまご〜?
そうだね〜、卵だね〜
ひーーーー、な、な、な、なんだ、この萌え声はーーー!!
声の主は小さな男の子(推定3才)。
その幼い声に答える那智さんの父性たっっっっぷりな声は!!
微笑ましいものを見るときの微笑みがそのまま音声になったような慈愛に満ちた、それでいて、きちんと『人』として対話している真摯さを醸し出したTHE父性は!!!!
たまらん!!
仕事に向かいながらはふはふと、その声に悶える。
ヘッドフォンに全神経を集中させて、その父性声をもっともっと聞かせて〜!!
$こ…あ◯&…!
い…よ…あ…%るね…
あああ、ふたたび音声悪し。
また途切れ途切れの宇宙人。
子どもはなんて言ったの!?
それに那智さんはどんな声色でなんて答えたのーーーー!!
滅多にない那智さんの父性声。
しかも、対象が『男の子』だ。
こんなチャンス逃してなるものか!!
必死に耳を傾けるけど通信の悪さは如何ともしがたい。
うう残念。
結局、たまらない父性声を味わえたのは一瞬だけだった。
後から聞いたところによると。
庭で薫製を作っていたらママと男の子連れが通りかかったのだそうだ。
那智さんは庭で家庭菜園とお花を少し作っているのだけど(育て好き 笑)、男の子がそこに咲いている花に興味を持った。
だから、一輪取ってあげたところだったそうだ。
そこで男の子がプランターに置いてある卵の殻を指しての発言に対しての「卵だね〜」だったというわけ。
いやん、通りすがりの男の子にも優しい那智さん♪と思うけど、アルコールが入っている見知らぬ男性と若干居着き気味の息子のそばでママはその場から離れたそうな空気を醸し出していたそうです(笑)
那智さんの父性声はホントにわたしの心を鷲掴みする。
じつは、これはかなり貴重なことなのだ。
なぜなら、那智さんがわたしに対して『父性』的な何かを発揮してくれても、これにかなり近くても、やっぱり違うから。
那智さんにとって、わたしは守るべき立場であることには変わらないけど、反面ひとりの大人として対等であると思ってくれている。
育てる側の自負も含めて、那智さんがわたしを対等であると思えるほうが幸福ではあるのだけど、対等でないものを上から見下ろす(みくだすじゃないよ)対応というのは、いまのわたしはもう味わえないからだ。
でね、この場合のラッキーは『男の子』だったということ。
ホントは『女の子』のほうが自分に投影できて萌えなんだけど、わたし、それだと嫉妬のほうが大きくなっちゃうの。
「那智さんはわたしにはあんな声を出してくれない」って^^;
もし『女の子』だったら最大級の萌えとセットになった嫉妬になるから、会えていて、その後ホテルに行かれる場合限定ならOK(笑)
「那智さんはわたしにはあんな声出してくれない(ぐすん)」ってしてからホテルでそれを回復させる『なにか』をしてもらえる(はず 笑)から。
とにかく、会話だけの場合はあまり地雷を踏んでしまうようなことは避けたいから、ベターな萌えで充分。
しかも3歳児の声はほとんど男女差がないので、かなり『女の子』に近い。
限りなく『女の子』に近い、でも、そうじゃない存在で嫉妬なしのベター萌えを味わえたのは、なかなか貴重でラッキーだったのだ。
はあ、でも、それにしても、たまらなかった〜〜〜。
いま思い出してもはふはふ、ご飯何杯もいけます。
<関連エントリー>
『男の子』だと意気消沈はクラリスで証明済み
『ライバルはクラリス』
『続ライバルはクラリス』
『今日のクラリス』
『女の子』
「等式」「父性」の感想です。萌えているりん子を感じるのは楽しいですが、私としては普通の行いなので多少、感想に困ります。りん子へ、3歳時プレイでもする?(笑)
サディストの見分け方
140字もどき
大胆な仮説!!!!
サディストの見分け方(笑)
ドSとかSキャラとか、あとは俺様のご主人様とか尊敬できる主様とか、とにかくかなりメジャーになった『S』といわれるものの中からサディストを見極めてみようという、ちょっとお遊びなエントリーですので、いろいろ大目に見てね^^
オフ会や同じ性癖同士の集まりだったとしても、個室居酒屋やハプバーだったとしても、人前でパートナーの女性(名称いろいろ M女でも奴隷でも)に酷いことができてしまう人はサディストではない。
酷いことと言ってもいろいろだけど、胸を見せろと言ったり、その場でフェラチオさせたり、ビンタしたり、とにかくパートナーの女性に何かをさせたりしたりすること。
それらを『積極的』に行う人はサディストではない。
なぜならば、サディズムとは「他人を虐待することによって性的興奮を覚える性的嗜好」加虐性欲を指しているからだ。
いまではドSなんて言ってただの意地悪も一括りにしてしまっているけど、本来サディストは、それで性的興奮をする人のことを指しているんだよね。
だからね、人前で加虐行為をすることは、めちゃくちゃ恥ずかしいことなんだ!!
なぜかというと、『僕、これで興奮します、おちんちん立つんです』と公言しているようなものなんだから。
そんな恥ずかしいことを堂々とするの、本当はためらうはずなんだ。
たとえば、オフ会やハプバーの中で『興奮してもいいよね?』という空気があれば多少は緩和されるかもしれないけど、でも、自分の性的興奮を自覚していれば恥じる気持ちはあるはずで、だから『積極的』に誇示する行為は避けたいのではないか。
だから、人前でパートナーに命令したり行ったりする人はサディストではない。
という仮説(笑)
暴言を承知でいえば、それをする人はただの自己顕示欲が強いだけか、ただの小意地悪。
もしくは純粋な変態さんか、逆に、Sと名乗り人前で性的興奮を味わっていると想像されてよろこぶマゾ(ややこしいけど、わかる?笑)
那智さんは、わたしを外で四つん這いにする。
そこには自己顕示欲はもちろんある。
でも『精神の露出』の『那智さんのわんこ考』で『自分の変な趣味を披露して堂々と歩く』(ゆえに、総じてリードを引くほうが大変)とチラッと書いているように、那智さん自身その行為で自分が興奮していることを自覚し、それを披露する羞恥と格闘しているのだ。
もちろん単純に変なことしている恥ずかしさはあるけど、それだけなら、たぶん、那智さんはもっとためらいなくできちゃう人だ。
そこに『性的欲望』を持っていることを自覚しているから、羞恥は高まるわけ、だからこそ『精神の露出行為』というお話だったんだけど。
私はこの変な行為で性的興奮を感じます(もちろん幸福も)と公言する恥ずかしさを自覚している。
那智さんは生粋のサディストではないから、お外でわたしのことひっぱり回したり遊ぶのは自己顕示とわたしに対する愛情行為が多分にある(笑)
だから、まあ、あえて区分けする必要はないのだけど、話題提供として。
サディストは己の性的興奮を自覚しているから人前でサディスティックな行為をすることを恥じらう。
もし、なんのためらいもなく、積極的に、堂々と、むしろちょっと自慢げに、人前でSっぽい行為をする人がいたとしたら、それはサディストではない。
という、大胆な仮説でした(笑)
まあ、極端なお話ですが、まじめに、本来反社会的行為で興奮し、それを求めてしまうのだから少なからず苦悩しているはずなんだよね。
その苦悩がちらりとも垣間みられない人はSではないんじゃないかなって思うのです^^
<関連エントリー>
『精神の露出1『那智さんのわんこ考』』
「等式」感想です。やる立場から言い訳を考えてみました。(笑)同じような趣味や変態と言う大きなテリトリーの中で共感を得ながら行う行為で尊重しあうから恥ずかしくはないのでしょう。普通のひとはそんなコミュニティには参加しないことを前提にしてです。
大胆な仮説!!!!
サディストの見分け方(笑)
ドSとかSキャラとか、あとは俺様のご主人様とか尊敬できる主様とか、とにかくかなりメジャーになった『S』といわれるものの中からサディストを見極めてみようという、ちょっとお遊びなエントリーですので、いろいろ大目に見てね^^
オフ会や同じ性癖同士の集まりだったとしても、個室居酒屋やハプバーだったとしても、人前でパートナーの女性(名称いろいろ M女でも奴隷でも)に酷いことができてしまう人はサディストではない。
酷いことと言ってもいろいろだけど、胸を見せろと言ったり、その場でフェラチオさせたり、ビンタしたり、とにかくパートナーの女性に何かをさせたりしたりすること。
それらを『積極的』に行う人はサディストではない。
なぜならば、サディズムとは「他人を虐待することによって性的興奮を覚える性的嗜好」加虐性欲を指しているからだ。
いまではドSなんて言ってただの意地悪も一括りにしてしまっているけど、本来サディストは、それで性的興奮をする人のことを指しているんだよね。
だからね、人前で加虐行為をすることは、めちゃくちゃ恥ずかしいことなんだ!!
なぜかというと、『僕、これで興奮します、おちんちん立つんです』と公言しているようなものなんだから。
そんな恥ずかしいことを堂々とするの、本当はためらうはずなんだ。
たとえば、オフ会やハプバーの中で『興奮してもいいよね?』という空気があれば多少は緩和されるかもしれないけど、でも、自分の性的興奮を自覚していれば恥じる気持ちはあるはずで、だから『積極的』に誇示する行為は避けたいのではないか。
だから、人前でパートナーに命令したり行ったりする人はサディストではない。
という仮説(笑)
暴言を承知でいえば、それをする人はただの自己顕示欲が強いだけか、ただの小意地悪。
もしくは純粋な変態さんか、逆に、Sと名乗り人前で性的興奮を味わっていると想像されてよろこぶマゾ(ややこしいけど、わかる?笑)
那智さんは、わたしを外で四つん這いにする。
そこには自己顕示欲はもちろんある。
でも『精神の露出』の『那智さんのわんこ考』で『自分の変な趣味を披露して堂々と歩く』(ゆえに、総じてリードを引くほうが大変)とチラッと書いているように、那智さん自身その行為で自分が興奮していることを自覚し、それを披露する羞恥と格闘しているのだ。
もちろん単純に変なことしている恥ずかしさはあるけど、それだけなら、たぶん、那智さんはもっとためらいなくできちゃう人だ。
そこに『性的欲望』を持っていることを自覚しているから、羞恥は高まるわけ、だからこそ『精神の露出行為』というお話だったんだけど。
私はこの変な行為で性的興奮を感じます(もちろん幸福も)と公言する恥ずかしさを自覚している。
那智さんは生粋のサディストではないから、お外でわたしのことひっぱり回したり遊ぶのは自己顕示とわたしに対する愛情行為が多分にある(笑)
だから、まあ、あえて区分けする必要はないのだけど、話題提供として。
サディストは己の性的興奮を自覚しているから人前でサディスティックな行為をすることを恥じらう。
もし、なんのためらいもなく、積極的に、堂々と、むしろちょっと自慢げに、人前でSっぽい行為をする人がいたとしたら、それはサディストではない。
という、大胆な仮説でした(笑)
まあ、極端なお話ですが、まじめに、本来反社会的行為で興奮し、それを求めてしまうのだから少なからず苦悩しているはずなんだよね。
その苦悩がちらりとも垣間みられない人はSではないんじゃないかなって思うのです^^
<関連エントリー>
『精神の露出1『那智さんのわんこ考』』
「等式」感想です。やる立場から言い訳を考えてみました。(笑)同じような趣味や変態と言う大きなテリトリーの中で共感を得ながら行う行為で尊重しあうから恥ずかしくはないのでしょう。普通のひとはそんなコミュニティには参加しないことを前提にしてです。
奴隷ってなんだろうね
140字もどき
『140字もどき』で逃げてるなぁ、わたし^^;
前エントリーで無理矢理な仮説を唱えるきっかけになったのは、じつは、『理系Sの牝奴隷には言えない話』のvetさんのお話を読んだからだ。
エントリーではvetさんが奴隷さんのコンプレックスに対してどう対処していくかが主題になっていて、その1例として別の主従カップルさんの対処方法を挙げていた。
わたしが感じて本来エントリーにしようと思ったことは別にあってそれを今日は披露するのだけど、そのご主人様が個室居酒屋かなんかで奴隷さんに加虐行為を行う様子を見て、『んん?これってサディスティックな欲望とは違うみたい?』と感じたことをすこしシャレのような気持ちで、前エントリーを書いたのだ。
だから、本題はこれからなのです^^
リンクを貼ることを了解いただいたので、よろしければそれをご覧いただいてからのほうがいいと思うのだけど、ざっと説明すると。
『足を責める』
(vetさん、了解ありがとうございます。vetさんの書かれた本筋とは違うところに反応したものなのでコメントなど気になさらずに^^)
vetさんがとある主従さんと会う機会があった。
その奴隷さんは杖を使わないと歩行に支障がある程度に足が不自由なのだけど、ご主人様はそれをまったく気にすることなく、むしろ「あいつがとろいから」と話題に出したり、しまいにはvetさんたちの前で障害のある足を打ち責めはじめたりしたそうだ。
痛がる奴隷さんに違和感を憶えるvetさんに「弱点を弱点と思わず普通に責めることもコンプレックスを受け入れる方法、弱点だからといって容赦しない」のだという。
コンプレックスをあえて責める方法で受け入れるというのだ。
奴隷さんはいままで腫れ物に触るようにしか接して来なかった他の男性よりこうやって責める形で許容してもらうほうが安心するという。
vetさんは奴隷さんのコンプレックスに対してはあまり触れずにそっと受け入れる方法を取っている。
そのvetさんにこういうやり方もあると示しているのだ。
vetさんにとって奴隷さんというものは、コンプレックスもひっくるめて「お前でいい」と受け入れて、その後、自分の好みの奴隷に調教していくということなのだけど、その受け入れ方もいろいろだという話だった。
読んでいろいろな感情が湧いた。
ごく普通の一般的な良心として不自由な足を責めることに対する不快感。
ただ、これは二人の間で成立していることであれば他人がとやかくいうものではないと思うし、そもそも加虐及び被虐嗜好の持ち主であればボーダーラインは曖昧だから、ひとまず収める。
で、ブログを読む限りでこのご主人様は弱点は弱点と思わず普通に責めると言いつつも、そこに焦点を当てているように見えるんだよね。
それだとしたら、ぜんぜん普通じゃなくて、めちゃくちゃ意識していて、言ってることとやってることが矛盾してるな〜と思った。
そこばかり責めることは、触れずにいるvetさんと実は根本は同じだと思うのでね^^
なんかね、意識しないといいつつ、結局すごく意識していて奴隷さんにも意識させていて、これってサディスティックな行為より小意地悪に見えちゃって^^;
まあ、それで前エントリーが生まれたわけなんだけど^^;
でも、まあ、矛盾してようがどうしようが、当の奴隷さんも「この足でよかった」と言っているので、それもかまわないのだけど、那智さんのコンプレックスの受け入れ方をその部分の違和感をコメントさせてもらった。
(vetさんのコメントレスでは足以外も責めるようでしたので、そこはわたしの勘違いのようでした)
でね、もうひとつ浮かんだ感情は、その後についたコメントを拝見してさらに確証を持った感情なのだ。
今日の本題は、ここから(笑)
わたしはそのご主人様の行いに不快感を抱いた、そして、彼は単なる自己顕示の強い意地悪さんだと結論付けた。
(文章しか情報ないし『りん子』なので、偏った読み取り方はごめんなさい)
たしかに、足の不自由な人に対して足を責めることは奴隷さんは痛がっていたし常識的には酷いことだ。
ただその不快感と同時進行で、本来『奴隷』というものはそういう存在であるのではないかという考えも湧くのだ。
案の定、その後のコメントでは、そのご主人様への批判的な意見が出てきていた。
『人として、その行為はどうか。それを人前ですることの違和感』というしごく真っ当なこと。
わたしが感じた不快感と同じだ。
彼女のその後の人生を考えたたら障害が重くなる可能性もあるわけで、どこまで責任持てるのかという意見もうなずけた。
そして、願わくば、そのコンプレックスを愛するという方法で受け入れてほしいというような空気が数々のコメントから伺えた(もちろん、わたしもその意図はあったし)
わたしの不快感やコメント群を総合すると『ご主人様と奴隷』とは
『コンプレックスを受け入れ愛し、奴隷を肯定して、常識の範囲内で、良心にのっとって、責める』
こんな関係性になるのだろうか。
わたしはいつもこちら側の立場改善を訴えているので(笑)
これにはまったく異論はないのだけど、でも、反面疑問が湧いてしまう。
なぜなら、それって普通に『好きな人』と何が違うんだろう?と思うからだ。
好きな人のコンプレックスを受け入れ、肯定し愛する、そして、互いの求める行為を常識の範囲内で楽しむ。
『俺の色に染めたい』『あなた色に染まりたい』なんて、昔からある感情だ。
それらとの違いがわからないんだ、わからなくて知りたいんだ。
『奴隷の定義』というエントリーを書いた。
奴隷とは爪楊枝のようにまったく人格を無視される存在、そして、その状態を奴隷側が望むこと。
そうじゃなくて、いろいろ感情に装飾をつけるからたくさんの依存体質や恋愛依存な人が間違えて奴隷さんになってしまって、苦しんだり搾取されたりしちゃうのだ。
だから、はっきりと『感情の授受がない』ほどの関係性を奴隷としたらいいのではないかと思って書いた。
これにのっとると、このご主人様の行いは一般的には酷いことかもしれないけど、もしかしたら、むしろ『奴隷扱い』としては真っ当なのではないかと考えてしまうのだ。
(くり返すけど、その行為は肯定していないよ)
わたしは『主従』や『ご主人様と奴隷』の曖昧さがいろいろな弊害を生んでいると思っている。
もちろん、その言葉が好きで使っていたりロールプレイングとして楽しんでいる方はかまわないのだけど、一部では、本人も周囲もその言葉に縛られてしまっていることもあるだろう。
曖昧さは、何か問題が起きたときに都合良く解釈されてしまって、結局、苦しんでいる人を助けてはくれないのだ。
『奴隷とは』で苦しむのは奴隷さん本人だ。
だからこそ、はっきりと区別したらいいのにって思ってエントリーした。
『ご主人様と奴隷』とか『主従』とかってするからややこしくなるんじゃないかな。
奴隷を受け入れる?
それって好きな人を大切にするのと何が違うの?
好きな人を大切に思う気持ち。
その好きな人との性行為が、たまたま男性主導だったってだけ。
それ以外に説明がつかないものだけに、何かしらの名前を付けたらいいのにって思うのだ。
(この場合『奴隷』ね)
その曖昧さに対する疑問がエントリーの主題とは違うところで感じられたのだった。
追伸
最近は『従者』なんて言葉もできて、奴隷より意思や感情ありな感じにしておいて、ある一定の感情は制御させられるような一層ややこしいポジションもできているからね、気をつけるんだよ!!(笑)
「等式」感想です。言い訳しますが、まだ少し酔っている状態ですのでその分割り引いて下さい。私は奴隷とか主従とかには興味がないのでそこは無視して考えます。不自由な足を可愛がるなんて素晴らしい愛し方ですね、可愛がられていると本人が認識されていればの話ですが。
コンプレックスに思う部分を愛されたら、これ以上の幸福はきっとないでしょう。私の思う幸福を想像する解釈でした。(笑)
「等式」感想熱く語りましたが、「足を責める」のエントリーを読んだら、私の感想はおもしろくも何ともありませんでした。(笑)失礼いたしました。
『140字もどき』で逃げてるなぁ、わたし^^;
前エントリーで無理矢理な仮説を唱えるきっかけになったのは、じつは、『理系Sの牝奴隷には言えない話』のvetさんのお話を読んだからだ。
エントリーではvetさんが奴隷さんのコンプレックスに対してどう対処していくかが主題になっていて、その1例として別の主従カップルさんの対処方法を挙げていた。
わたしが感じて本来エントリーにしようと思ったことは別にあってそれを今日は披露するのだけど、そのご主人様が個室居酒屋かなんかで奴隷さんに加虐行為を行う様子を見て、『んん?これってサディスティックな欲望とは違うみたい?』と感じたことをすこしシャレのような気持ちで、前エントリーを書いたのだ。
だから、本題はこれからなのです^^
リンクを貼ることを了解いただいたので、よろしければそれをご覧いただいてからのほうがいいと思うのだけど、ざっと説明すると。
『足を責める』
(vetさん、了解ありがとうございます。vetさんの書かれた本筋とは違うところに反応したものなのでコメントなど気になさらずに^^)
vetさんがとある主従さんと会う機会があった。
その奴隷さんは杖を使わないと歩行に支障がある程度に足が不自由なのだけど、ご主人様はそれをまったく気にすることなく、むしろ「あいつがとろいから」と話題に出したり、しまいにはvetさんたちの前で障害のある足を打ち責めはじめたりしたそうだ。
痛がる奴隷さんに違和感を憶えるvetさんに「弱点を弱点と思わず普通に責めることもコンプレックスを受け入れる方法、弱点だからといって容赦しない」のだという。
コンプレックスをあえて責める方法で受け入れるというのだ。
奴隷さんはいままで腫れ物に触るようにしか接して来なかった他の男性よりこうやって責める形で許容してもらうほうが安心するという。
vetさんは奴隷さんのコンプレックスに対してはあまり触れずにそっと受け入れる方法を取っている。
そのvetさんにこういうやり方もあると示しているのだ。
vetさんにとって奴隷さんというものは、コンプレックスもひっくるめて「お前でいい」と受け入れて、その後、自分の好みの奴隷に調教していくということなのだけど、その受け入れ方もいろいろだという話だった。
読んでいろいろな感情が湧いた。
ごく普通の一般的な良心として不自由な足を責めることに対する不快感。
ただ、これは二人の間で成立していることであれば他人がとやかくいうものではないと思うし、そもそも加虐及び被虐嗜好の持ち主であればボーダーラインは曖昧だから、ひとまず収める。
で、ブログを読む限りでこのご主人様は弱点は弱点と思わず普通に責めると言いつつも、そこに焦点を当てているように見えるんだよね。
それだとしたら、ぜんぜん普通じゃなくて、めちゃくちゃ意識していて、言ってることとやってることが矛盾してるな〜と思った。
そこばかり責めることは、触れずにいるvetさんと実は根本は同じだと思うのでね^^
なんかね、意識しないといいつつ、結局すごく意識していて奴隷さんにも意識させていて、これってサディスティックな行為より小意地悪に見えちゃって^^;
まあ、それで前エントリーが生まれたわけなんだけど^^;
でも、まあ、矛盾してようがどうしようが、当の奴隷さんも「この足でよかった」と言っているので、それもかまわないのだけど、那智さんのコンプレックスの受け入れ方をその部分の違和感をコメントさせてもらった。
(vetさんのコメントレスでは足以外も責めるようでしたので、そこはわたしの勘違いのようでした)
でね、もうひとつ浮かんだ感情は、その後についたコメントを拝見してさらに確証を持った感情なのだ。
今日の本題は、ここから(笑)
わたしはそのご主人様の行いに不快感を抱いた、そして、彼は単なる自己顕示の強い意地悪さんだと結論付けた。
(文章しか情報ないし『りん子』なので、偏った読み取り方はごめんなさい)
たしかに、足の不自由な人に対して足を責めることは奴隷さんは痛がっていたし常識的には酷いことだ。
ただその不快感と同時進行で、本来『奴隷』というものはそういう存在であるのではないかという考えも湧くのだ。
案の定、その後のコメントでは、そのご主人様への批判的な意見が出てきていた。
『人として、その行為はどうか。それを人前ですることの違和感』というしごく真っ当なこと。
わたしが感じた不快感と同じだ。
彼女のその後の人生を考えたたら障害が重くなる可能性もあるわけで、どこまで責任持てるのかという意見もうなずけた。
そして、願わくば、そのコンプレックスを愛するという方法で受け入れてほしいというような空気が数々のコメントから伺えた(もちろん、わたしもその意図はあったし)
わたしの不快感やコメント群を総合すると『ご主人様と奴隷』とは
『コンプレックスを受け入れ愛し、奴隷を肯定して、常識の範囲内で、良心にのっとって、責める』
こんな関係性になるのだろうか。
わたしはいつもこちら側の立場改善を訴えているので(笑)
これにはまったく異論はないのだけど、でも、反面疑問が湧いてしまう。
なぜなら、それって普通に『好きな人』と何が違うんだろう?と思うからだ。
好きな人のコンプレックスを受け入れ、肯定し愛する、そして、互いの求める行為を常識の範囲内で楽しむ。
『俺の色に染めたい』『あなた色に染まりたい』なんて、昔からある感情だ。
それらとの違いがわからないんだ、わからなくて知りたいんだ。
『奴隷の定義』というエントリーを書いた。
奴隷とは爪楊枝のようにまったく人格を無視される存在、そして、その状態を奴隷側が望むこと。
そうじゃなくて、いろいろ感情に装飾をつけるからたくさんの依存体質や恋愛依存な人が間違えて奴隷さんになってしまって、苦しんだり搾取されたりしちゃうのだ。
だから、はっきりと『感情の授受がない』ほどの関係性を奴隷としたらいいのではないかと思って書いた。
これにのっとると、このご主人様の行いは一般的には酷いことかもしれないけど、もしかしたら、むしろ『奴隷扱い』としては真っ当なのではないかと考えてしまうのだ。
(くり返すけど、その行為は肯定していないよ)
わたしは『主従』や『ご主人様と奴隷』の曖昧さがいろいろな弊害を生んでいると思っている。
もちろん、その言葉が好きで使っていたりロールプレイングとして楽しんでいる方はかまわないのだけど、一部では、本人も周囲もその言葉に縛られてしまっていることもあるだろう。
曖昧さは、何か問題が起きたときに都合良く解釈されてしまって、結局、苦しんでいる人を助けてはくれないのだ。
『奴隷とは』で苦しむのは奴隷さん本人だ。
だからこそ、はっきりと区別したらいいのにって思ってエントリーした。
『ご主人様と奴隷』とか『主従』とかってするからややこしくなるんじゃないかな。
奴隷を受け入れる?
それって好きな人を大切にするのと何が違うの?
好きな人を大切に思う気持ち。
その好きな人との性行為が、たまたま男性主導だったってだけ。
それ以外に説明がつかないものだけに、何かしらの名前を付けたらいいのにって思うのだ。
(この場合『奴隷』ね)
その曖昧さに対する疑問がエントリーの主題とは違うところで感じられたのだった。
追伸
最近は『従者』なんて言葉もできて、奴隷より意思や感情ありな感じにしておいて、ある一定の感情は制御させられるような一層ややこしいポジションもできているからね、気をつけるんだよ!!(笑)
「等式」感想です。言い訳しますが、まだ少し酔っている状態ですのでその分割り引いて下さい。私は奴隷とか主従とかには興味がないのでそこは無視して考えます。不自由な足を可愛がるなんて素晴らしい愛し方ですね、可愛がられていると本人が認識されていればの話ですが。
コンプレックスに思う部分を愛されたら、これ以上の幸福はきっとないでしょう。私の思う幸福を想像する解釈でした。(笑)
「等式」感想熱く語りましたが、「足を責める」のエントリーを読んだら、私の感想はおもしろくも何ともありませんでした。(笑)失礼いたしました。
プチ大暴走
非日常的な日常
以前書いた『刺し違え』、改札口でのすったもんだの前にもじつは那智さんのプチ大暴走が続いていた。
すごいと言えばすごいけど、もっとすごい露出行為をしている人もいるから、大したことないといえば、そうともいえる。
ただ、受けるこちら側としてはなかなかの振り回されっぷりだったので、『プチ』で『大』っておかしいけど、プチ大暴走な夜。
これは『刺し違え』を書くために、その前こんなことがあって、それであのシーンになったと知ってもらうほうが臨場感(?)があるかなと思って、お得意の『全部書け』で下書きしていたんだけど、結局、那智さんと親友の話を前振りにしたからお蔵入りになっていたのです。
下書きフォルダから取り出してアップの準備をしながら、これをアップする意味があるんだろうか?とめずらしく醒めた目で見てしまうわたしがいるのだけど(笑)
『等式』は那智さんとの日々を残す記録、それを一日置きに継続することが那智さんへの愛情表現、ふたりが存在している証だと割り切って(笑)
って、前置きしてラッピングすると、ちょっとはまともなエントリーに感じてくれるかなと画策して、どうぞ〜^^
年末忙しくなる前にとわたしの地元まで会いに来てくれた那智さんと、格安ファミレスで飲み食い^^
宴会も佳境(?)に入ったあたりで、向かいの椅子に座っていた那智さんがわたしの横にするっと滑りこんできた。
わたしが座っているのは横一列繋がっているベンチシートなのだ。
日頃「隣りがいい」と言っているわたしだけど、さすがにファミレスで横並びに座る勇気はない。
いまどき、高校生でもやらないです。
でも、基本、那智さんのしてくれることはよろこんで受け入れるわたし、ちょんと左にズレて那智さん分のスペースを明ける。
この時点で、どうやらずいぶん酔っぱらいさんだったようだ。
ホテトを食べさせてくれたり、食べさせようとして引っこめたり^^;
なんだか、申し訳ないイチャイチャぶり。
途中トイレに立ち、戻ってきながら目で『椅子に戻る?それとも隣りに行く?』とわたしに聞くのだ。
うう、現段階ですでにハンパないイチャイチャぶりで恐縮しているのだけど、ホントは椅子に戻ってくれたほうがホッとするけど、でも、わたしは基本那智さんがしてくれることは受け入れるのだ。
イチャイチャは申し訳ないけど、お許しいただける範囲内だと信じて、目で『おとなり』と答える。
那智さんの暴走はこちらが受け入れる姿勢を見せると収まることもあるし、逆に、さらに上乗せすることもある。
この日は後者だった。
隣りに座り、「ちゅー」とキスをするように促し、覚悟を決めて顔を近づければスッと引く、はううとなると、また「ちゅー」っていう、で、近づけると…をくり返す。
那智さんの名誉のために補足しますが(笑)
那智さんが「ちゅー」と言ってキスを促すとき、けして『』こういう顔はしません。
普通の表情で「キス」とか「キスしないの?」とか「ちゅう」とか促すだけです^^;
そんなぐちゃぐちゃなファミレスを後にして、会計を終えて外に出ても、キスを促す、ビンタしようとする(いや、軽くした)
ファミレスが入っているビルのトイレに寄る。
このトイレは男性用トイレが手前にあって左に入ると女性用があるので、目の前のエレベーターホールから直接見えるのは男性用の扉だけなんだけど、トイレから出たら、男性用と女性用の間に那智さんがいる『にかー』って楽しそうに。
キスしてくる。
たしかに通路からは見えないけど、誰かがトイレに来たら丸見え、しかも女性が来たらわたしたちの奥に分け入らないといけない。
あうあうと応じる。
でも、それで終わりにならない。
はい
そういって楽しそうにスーツのファスナーに手をかける。
那智さん、ここじゃダメーーー!!
苦肉の策で、わたしが取った行動は女性用トイレのさらに奥に移動してもらうことだった。
女性用の奥は突き当たりになっているのだけど、トイレのドアと並んで非常扉1枚分だけ奥がある。
そして、わずか10センチほど凹んでいた。
非常扉に那智さんがもたれかかる体勢になると、申し訳程度に那智さんは凹み、那智さんの一部とわたし全部は普通に丸見え状態。
でも、分け入らせてしまうさっきの場所よりはましだ。
はいはい^^
楽しそうに取り出す那智さんの前に怖々しゃがみ口に含む。
ああ、お願いします、誰も来ませんように!!
ごめんなさいという気持ちって恐怖に近いのだろうか、ずっとビクビクしている。
人の気配がしたような気がして、もう、怖くて我慢できなくて立ち上がる。
那智さん、人来た!!
そういって那智さんの背中に無理矢理隠れた(ぜんぜん隠れていないけど^^;)
それで満足したのか、ここでの行為はおしまいになって、改札に向かう…スカートの中に手を入れられながら…。
で、メインイベントの『刺し違え』に発展していくのだった^^
というふたりの記録『プチ』で『大』な暴走のお話でした。
これも『等式』の意義(笑)
<関連エントリー>
その他暴走、いろいろ^^
那智さん大暴走1234
しっ!!
小学3年生
擬音な露出
「等式」感想です。この時は久しぶりにお外で暴れました!まあ、エントリー的にはオチは無いですが、私は満足です。もしかしたらと自問自答していますが、私はしたい時に、したいことをしているだけで、場所を意識している訳では無いかも知れません。(例外あり!(笑))
以前書いた『刺し違え』、改札口でのすったもんだの前にもじつは那智さんのプチ大暴走が続いていた。
すごいと言えばすごいけど、もっとすごい露出行為をしている人もいるから、大したことないといえば、そうともいえる。
ただ、受けるこちら側としてはなかなかの振り回されっぷりだったので、『プチ』で『大』っておかしいけど、プチ大暴走な夜。
これは『刺し違え』を書くために、その前こんなことがあって、それであのシーンになったと知ってもらうほうが臨場感(?)があるかなと思って、お得意の『全部書け』で下書きしていたんだけど、結局、那智さんと親友の話を前振りにしたからお蔵入りになっていたのです。
下書きフォルダから取り出してアップの準備をしながら、これをアップする意味があるんだろうか?とめずらしく醒めた目で見てしまうわたしがいるのだけど(笑)
『等式』は那智さんとの日々を残す記録、それを一日置きに継続することが那智さんへの愛情表現、ふたりが存在している証だと割り切って(笑)
って、前置きしてラッピングすると、ちょっとはまともなエントリーに感じてくれるかなと画策して、どうぞ〜^^
年末忙しくなる前にとわたしの地元まで会いに来てくれた那智さんと、格安ファミレスで飲み食い^^
宴会も佳境(?)に入ったあたりで、向かいの椅子に座っていた那智さんがわたしの横にするっと滑りこんできた。
わたしが座っているのは横一列繋がっているベンチシートなのだ。
日頃「隣りがいい」と言っているわたしだけど、さすがにファミレスで横並びに座る勇気はない。
いまどき、高校生でもやらないです。
でも、基本、那智さんのしてくれることはよろこんで受け入れるわたし、ちょんと左にズレて那智さん分のスペースを明ける。
この時点で、どうやらずいぶん酔っぱらいさんだったようだ。
ホテトを食べさせてくれたり、食べさせようとして引っこめたり^^;
なんだか、申し訳ないイチャイチャぶり。
途中トイレに立ち、戻ってきながら目で『椅子に戻る?それとも隣りに行く?』とわたしに聞くのだ。
うう、現段階ですでにハンパないイチャイチャぶりで恐縮しているのだけど、ホントは椅子に戻ってくれたほうがホッとするけど、でも、わたしは基本那智さんがしてくれることは受け入れるのだ。
イチャイチャは申し訳ないけど、お許しいただける範囲内だと信じて、目で『おとなり』と答える。
那智さんの暴走はこちらが受け入れる姿勢を見せると収まることもあるし、逆に、さらに上乗せすることもある。
この日は後者だった。
隣りに座り、「ちゅー」とキスをするように促し、覚悟を決めて顔を近づければスッと引く、はううとなると、また「ちゅー」っていう、で、近づけると…をくり返す。
那智さんの名誉のために補足しますが(笑)
那智さんが「ちゅー」と言ってキスを促すとき、けして『』こういう顔はしません。
普通の表情で「キス」とか「キスしないの?」とか「ちゅう」とか促すだけです^^;
そんなぐちゃぐちゃなファミレスを後にして、会計を終えて外に出ても、キスを促す、ビンタしようとする(いや、軽くした)
ファミレスが入っているビルのトイレに寄る。
このトイレは男性用トイレが手前にあって左に入ると女性用があるので、目の前のエレベーターホールから直接見えるのは男性用の扉だけなんだけど、トイレから出たら、男性用と女性用の間に那智さんがいる『にかー』って楽しそうに。
キスしてくる。
たしかに通路からは見えないけど、誰かがトイレに来たら丸見え、しかも女性が来たらわたしたちの奥に分け入らないといけない。
あうあうと応じる。
でも、それで終わりにならない。
はい
そういって楽しそうにスーツのファスナーに手をかける。
那智さん、ここじゃダメーーー!!
苦肉の策で、わたしが取った行動は女性用トイレのさらに奥に移動してもらうことだった。
女性用の奥は突き当たりになっているのだけど、トイレのドアと並んで非常扉1枚分だけ奥がある。
そして、わずか10センチほど凹んでいた。
非常扉に那智さんがもたれかかる体勢になると、申し訳程度に那智さんは凹み、那智さんの一部とわたし全部は普通に丸見え状態。
でも、分け入らせてしまうさっきの場所よりはましだ。
はいはい^^
楽しそうに取り出す那智さんの前に怖々しゃがみ口に含む。
ああ、お願いします、誰も来ませんように!!
ごめんなさいという気持ちって恐怖に近いのだろうか、ずっとビクビクしている。
人の気配がしたような気がして、もう、怖くて我慢できなくて立ち上がる。
那智さん、人来た!!
そういって那智さんの背中に無理矢理隠れた(ぜんぜん隠れていないけど^^;)
それで満足したのか、ここでの行為はおしまいになって、改札に向かう…スカートの中に手を入れられながら…。
で、メインイベントの『刺し違え』に発展していくのだった^^
というふたりの記録『プチ』で『大』な暴走のお話でした。
これも『等式』の意義(笑)
<関連エントリー>
その他暴走、いろいろ^^
那智さん大暴走1234
しっ!!
小学3年生
擬音な露出
「等式」感想です。この時は久しぶりにお外で暴れました!まあ、エントリー的にはオチは無いですが、私は満足です。もしかしたらと自問自答していますが、私はしたい時に、したいことをしているだけで、場所を意識している訳では無いかも知れません。(例外あり!(笑))
自分本位にピアス
りん子的独り言(生意気)
今回、ピアスをあけて、いっそうそう感じている。
いままでわたしが伝えてきた『執着』について。
あける前や最中、その後のケアに向けて、とにかく怖さや不安はずっとついて回る。
怖いな
痛いよね
傷口、トラブルになったらどうしよう
そのときに、これが(意識の中で)外せないものだと思うのは非常に心に負担がかかる。
仮にこのピアスでわたしが大変な思いをしたら那智さんのせいだって思ってしまいそうだなと思ったし、心の負担を軽減させるために那智さんからの肯定の言葉やリアクションを『もっともっと』と思ってしまいそうだった。
この精神回路は一歩間違うと『執着』生む。
だからね、それに執着してしまいそうな精神回路はあまり幸福にならないなぁと感じたのだ。
ノーマルな世間でもパートナーとの間でピアスを入れる人はいる。
SMの世界では肉体改造の悦楽、主従の世界では所有の証などなどアブノーマルな世界ではもっとたくさんいるよね。
それぞれに意味や思い入れがあるから、それを否定するつもりはない。
だけど、体を変えるこは、じつは、ある種の執着を生む。
何度か書いているけど、自分の体を変えた代償をもらわないとと思う気持ちが執着を生むのです。
この『代償をもらおうと執着する』感覚、なかなか理解してもらえないんだけど^^;
(わたしだけなのかなぁ 笑)
元を取りたいと思うんだよね、元取れるまで引き下がれないことが執着なの。
(だから、『離れられない』と思っているのは好意からじゃなくて、この執着の場合も多いのだ)
具体的にいうとね。
たとえば、このピアスに関していえば『よろこんでいただきたい』『褒めていただきたい』『気に入っていただきたい』とごく当たり前の感情として反応がほしくなるものだよね。
がんばったご褒美、怖かったねという慰め、変わった体を愛でてほしい、こちらが負担を感じた分、プラスの事柄をいただきたいと思ってしまうことは至極当たり前のこと。
でも、自分が思うほどもらえないことだって当然ある。
というか、往々にして、褒められたい側と褒める側の適切に思う分量には大きな差があるものだよね。
褒める側は「ちゃんと褒めたじゃん」って思っても、褒められたい側は「何度も褒めてほしい」ってなるからね。
そうなると、もっと褒めてほしい、よろこびを表してほしい、気に入ったことを愛情で返してほしい、そんなふうにもっともっとと思う。
たしかに、それは良好な関係を築いているときはよい潤滑油になるかもしれないけど、関係に問題が発生した場合、問題の本質を修正するのではなく、元を取ろうと思ってどんどん執着してしまう。
その証にすがり本質から目を逸らす可能性もあると思うのだ。
相手をつなぎ止めるためのツールにしてはいけないのだ。
だからね、わたしとしては大それたことであればあるほど平素行うほうがいいし取るに足らない気持ちで臨むほうがいい、と思っている。
『明日のランチどこに行く?』くらいのテンションに位置付けするのだ。
(もちろん、事前の話し合いや準備、情報収集などはきちんとする、その上での話)
そこに大きな意味がないはずのものが、いつしか大きな意味を持ってていく過程のほうが真実じゃない?(笑)
とてもとても大切なものではあるけれど、ふたりの関係を左右するような重大なことではない。
そんなふうに思いたい。
ピアスをあけたその足でディナーを楽しんだ。
麻酔が効いているからかほとんど違和感ないのだけど、いつ痛みを感じるかわからない。
足を組み直すとき、すこしヒヤヒヤしていた。
わたし、まだ、ぜんぜんこの存在を受け入れられない。
何層もの『怖い』や『不安』をめくっていけばうれしいがあるとは思うのだけど、いまは思えない。
もしかしたら、トラブルが起こったりして、ずっとそう思えないままかもしれない。
そんなふうに不安に思ってテーブル越しの那智さんに聞いてみる
那智さん、もし、どーーーしても、怖いとかトラブルで大変とかだったら外してもいいですか?
心を軽くしたかった。
そのほうが好きになれると思ったから。
ん〜^^
やっぱり無理!!って?
ん〜^^
わたしの大好きな『ん〜』で即答。
那智さんが取るに足らないものにしてくれた。
目の前がパッと明るくなり、軽い心で、この後の会えない年末年始にピアスと格闘(?)しようって思えたのだ。
たとえば、なかなかお会いできなくて、その存在が心の糧になるなんてこともあるだろう。
それは大事なことだ。
だけど、『取るに足らないとても大切なもの』であるほうが、大切な相手をしっかり見つめられるように思うのです。
あ、あと、もうひとつ^^
こんな『執着』やら『本質』やら小難しいことじゃなくて、一番の健全な指針は
こちら側が望むこと、だ。
ピアスを入れたい、刺青を入れたい。
その自分が好きで、その状態に興奮する。
自分の快楽のための行為。
相手を思っては、2番目くらいがちょうどいい。
『自分本位』に勝るものはなし、です(笑)
だから、今日のエントリーは相手に委ねることで『自分本位』を感じられる、わたしのような女性へのメッセージでした^^
近況。
そういった意味では、わたしがピアスのあけたのは那智さんのためであった。
じつはいまでもピアスに対してそれほど証のような意味合いは感じていないのだ。
(薬指の刺青のほうが証になっている)
ただ、いま那智さんによって『ピアスの快感』を与えられているので、自分の意思と裏腹にピアス=快感=自分本位に作られている。
ホントは、もうちょっと『俺のもの』感もいただきたいのですけれど(笑)
<関連エントリー>
執着いろいろ
『執着』
『小さな復讐』
『タイミング』
大好きな『ん〜』
『ん〜』
「等式」感想です。今のピアスはとりあえずの定着用、本当に入れたいのはもっと他のもの、思い入れが違うと思います!(笑)現在、物理的なアドバンテージは快感アップでりん子の物!良かったねー。羨ましいね~(笑)
今回、ピアスをあけて、いっそうそう感じている。
いままでわたしが伝えてきた『執着』について。
あける前や最中、その後のケアに向けて、とにかく怖さや不安はずっとついて回る。
怖いな
痛いよね
傷口、トラブルになったらどうしよう
そのときに、これが(意識の中で)外せないものだと思うのは非常に心に負担がかかる。
仮にこのピアスでわたしが大変な思いをしたら那智さんのせいだって思ってしまいそうだなと思ったし、心の負担を軽減させるために那智さんからの肯定の言葉やリアクションを『もっともっと』と思ってしまいそうだった。
この精神回路は一歩間違うと『執着』生む。
だからね、それに執着してしまいそうな精神回路はあまり幸福にならないなぁと感じたのだ。
ノーマルな世間でもパートナーとの間でピアスを入れる人はいる。
SMの世界では肉体改造の悦楽、主従の世界では所有の証などなどアブノーマルな世界ではもっとたくさんいるよね。
それぞれに意味や思い入れがあるから、それを否定するつもりはない。
だけど、体を変えるこは、じつは、ある種の執着を生む。
何度か書いているけど、自分の体を変えた代償をもらわないとと思う気持ちが執着を生むのです。
この『代償をもらおうと執着する』感覚、なかなか理解してもらえないんだけど^^;
(わたしだけなのかなぁ 笑)
元を取りたいと思うんだよね、元取れるまで引き下がれないことが執着なの。
(だから、『離れられない』と思っているのは好意からじゃなくて、この執着の場合も多いのだ)
具体的にいうとね。
たとえば、このピアスに関していえば『よろこんでいただきたい』『褒めていただきたい』『気に入っていただきたい』とごく当たり前の感情として反応がほしくなるものだよね。
がんばったご褒美、怖かったねという慰め、変わった体を愛でてほしい、こちらが負担を感じた分、プラスの事柄をいただきたいと思ってしまうことは至極当たり前のこと。
でも、自分が思うほどもらえないことだって当然ある。
というか、往々にして、褒められたい側と褒める側の適切に思う分量には大きな差があるものだよね。
褒める側は「ちゃんと褒めたじゃん」って思っても、褒められたい側は「何度も褒めてほしい」ってなるからね。
そうなると、もっと褒めてほしい、よろこびを表してほしい、気に入ったことを愛情で返してほしい、そんなふうにもっともっとと思う。
たしかに、それは良好な関係を築いているときはよい潤滑油になるかもしれないけど、関係に問題が発生した場合、問題の本質を修正するのではなく、元を取ろうと思ってどんどん執着してしまう。
その証にすがり本質から目を逸らす可能性もあると思うのだ。
相手をつなぎ止めるためのツールにしてはいけないのだ。
だからね、わたしとしては大それたことであればあるほど平素行うほうがいいし取るに足らない気持ちで臨むほうがいい、と思っている。
『明日のランチどこに行く?』くらいのテンションに位置付けするのだ。
(もちろん、事前の話し合いや準備、情報収集などはきちんとする、その上での話)
そこに大きな意味がないはずのものが、いつしか大きな意味を持ってていく過程のほうが真実じゃない?(笑)
とてもとても大切なものではあるけれど、ふたりの関係を左右するような重大なことではない。
そんなふうに思いたい。
ピアスをあけたその足でディナーを楽しんだ。
麻酔が効いているからかほとんど違和感ないのだけど、いつ痛みを感じるかわからない。
足を組み直すとき、すこしヒヤヒヤしていた。
わたし、まだ、ぜんぜんこの存在を受け入れられない。
何層もの『怖い』や『不安』をめくっていけばうれしいがあるとは思うのだけど、いまは思えない。
もしかしたら、トラブルが起こったりして、ずっとそう思えないままかもしれない。
そんなふうに不安に思ってテーブル越しの那智さんに聞いてみる
那智さん、もし、どーーーしても、怖いとかトラブルで大変とかだったら外してもいいですか?
心を軽くしたかった。
そのほうが好きになれると思ったから。
ん〜^^
やっぱり無理!!って?
ん〜^^
わたしの大好きな『ん〜』で即答。
那智さんが取るに足らないものにしてくれた。
目の前がパッと明るくなり、軽い心で、この後の会えない年末年始にピアスと格闘(?)しようって思えたのだ。
たとえば、なかなかお会いできなくて、その存在が心の糧になるなんてこともあるだろう。
それは大事なことだ。
だけど、『取るに足らないとても大切なもの』であるほうが、大切な相手をしっかり見つめられるように思うのです。
あ、あと、もうひとつ^^
こんな『執着』やら『本質』やら小難しいことじゃなくて、一番の健全な指針は
こちら側が望むこと、だ。
ピアスを入れたい、刺青を入れたい。
その自分が好きで、その状態に興奮する。
自分の快楽のための行為。
相手を思っては、2番目くらいがちょうどいい。
『自分本位』に勝るものはなし、です(笑)
だから、今日のエントリーは相手に委ねることで『自分本位』を感じられる、わたしのような女性へのメッセージでした^^
近況。
そういった意味では、わたしがピアスのあけたのは那智さんのためであった。
じつはいまでもピアスに対してそれほど証のような意味合いは感じていないのだ。
(薬指の刺青のほうが証になっている)
ただ、いま那智さんによって『ピアスの快感』を与えられているので、自分の意思と裏腹にピアス=快感=自分本位に作られている。
ホントは、もうちょっと『俺のもの』感もいただきたいのですけれど(笑)
<関連エントリー>
執着いろいろ
『執着』
『小さな復讐』
『タイミング』
大好きな『ん〜』
『ん〜』
「等式」感想です。今のピアスはとりあえずの定着用、本当に入れたいのはもっと他のもの、思い入れが違うと思います!(笑)現在、物理的なアドバンテージは快感アップでりん子の物!良かったねー。羨ましいね~(笑)