精神の露出1『那智さんのわんこ考』
非日常的な日常
那智さんはときどきこんなことをいう。
山奥みたいに人が来ない場所でする露出ってホテルの部屋と何が違うの。
人が来ない(であろう)山道でいくら全裸に四つん這いで歩かせて『露出調教』なんていっても、那智さんにとってそれは二人きりの密室と変わりないと思っている。
わたしたちの『露出』をしたいという欲望には『従わせている、従っている』という従属感を満たすことが含まれているので、それをより満たせるには人の目があるほうがいい。
しかもハプバーなどの予定調和じゃない一般道でするほうが、より『従わせている、従っている』感は満足する。
だって、そんな条件でも『させたいし、したい』ということになるからね。
で、法に触れず通行人に『性的な露出』していると気づかれない(ひいては不快にさせない)ように、なおかつ『従わせている、従っている』欲を満たす露出にするために、一般道に着衣のままで四つん這いという形ができたのですね。
これは最悪『なに、あれ!?』とはなっても、全裸や半裸で目のやり場に困るようなものにはならないでしょうし、基本的に子供が視界にいたらしないというわたしのこだわりも守ってくれているから、社会的に良ではないとしてもわたしたちなりに誠意は尽くしているつもり。
だから那智さんとしては山奥での露出行為はホテルとほとんど差がないと思っているのだ。
(これに関しては続きものの最後にもう一度補足します)
で、そんな中で行う那智さんの露出を考えたとき、またこんなこともいう。
街中をリードを引いて歩く方とリードを引かれて四つん這いで歩くほうと、どちらが恥ずかしいと思う?
これは長い時間かけてふたりの間でも話題になっていたけど、皆さんもちょっと具体的に想像してみてくださいませ。
那智さんいわく。
カメラをかまえるわけでもなく、隣りもしくは向かいにいて肌を露出させているのを眺めているわけでもなく、那智さんはリードを持って引く。
リードを引くという時点で自分もこのおかしな行為に積極的に参加している、さらにはリードを引くことで主導権は引く側にあると一般的には映るよね。
ということは、いま行っているおかしな行為は主導権を握るほうの嗜好ということになる。
アブノーマルな性癖を人様により公言することになるのはリードを引く側。
那智さんとしてもいちおう大人で一般社会に生きているので『女を四つん這いで連れてるんだぜ!!』と胸を張れるほど簡単に破天荒になれるわけでもないよね。
しかも、リードを引かれるほうは下を向いていることもできるけど、引くほうが堂々を連れ歩かないといけないのだ。
以前、ハプバーの仲良しスタッフだったYちゃんが、イベントか何かで夜の繁華街を全頭マスクをしてボンデージファッションをした女性を集団で連れ歩いたと言っていたけど、それは人様には『なんかお遊び』と映る気楽さがある。
それとこれは経験してすごく感じることなのだけど『カメラ』をかまえているだけでも、十分『言い訳』になるんだよね。
それと比べると、昼間の街中で衣装をまとうわけでもなくカメラや撮影隊もなくて、ふたりきりでそれを行うのでは引く側の恥ずかしさはかなりなものだろう。
当然、トラブルが起きた場合の覚悟も必要。
そのあたりを考えると引くほうが恥ずかしいし根性いるだろ?
自分の変な趣味を披露して堂々と歩く、しかもトラブルがあったら対処するわけで、総じて引く側のほうが大変というのが那智さんのご意見。
だから、俺がしたいことはもちろんだけど、りん子を四つん這いにしてあげてるとも言えるんだよ(笑)
ということだ。
長いことわんこをしてきて、最近はたしかにそれも一理あるようにも感じている。
わたしはわんこにしてもらっているんだ。
もともと従属願望はあったとはいえ、街中で四つん這いになるなんてとんでもないと激しく首を振って拒否したわたしに『わんこにしてもらっている』と思わせるようにさせた。
『従わせたい、従っていたい』という上下の互いの求めてやまないものを、長い時間かけて幸福に従えるように作ってくれた。
あなたの足下にいる幸福。
足下で幸せそうについてくる女を連れている満足。
そこに性的満足も感じている。
そんなわたしたちの精神の露出行為。
人が来ない場所はホテルと同じだと思っている那智さんが、あえて街中を選び、リードを引いて四つん這いの女を連れ歩く。
命令でも忠誠でも調教でもなく、『わんこにしてもらっている』と感じた片鱗、那智さんが作り上げたお話。
<関連エントリー>
『お散歩の裏話1 2』
今朝の「等式」感想です。
わんこ関連では、迷惑防止条例があるのですよね~その中に「人が不快に・・・・・」あるのですが、まあ、おまわりさんの注意も聞かないでリードを引けば捕まる可能性はゼロではないですが。嬉しいコメントがつきました、りん子に対して「してあげる」はこの1年位で私が得ることができた感覚です。切望する欲求や気持ちがあっての「してあげる」、私がしてあてると思っても受けるりん子の「思い」がなければしてあげるにはならないと思います。長い間、色々な事に対して「一緒に」が部分的に「してあげる」に進化したのは嬉しく思います。当然、「対等で上下で」です。
那智さんはときどきこんなことをいう。
山奥みたいに人が来ない場所でする露出ってホテルの部屋と何が違うの。
人が来ない(であろう)山道でいくら全裸に四つん這いで歩かせて『露出調教』なんていっても、那智さんにとってそれは二人きりの密室と変わりないと思っている。
わたしたちの『露出』をしたいという欲望には『従わせている、従っている』という従属感を満たすことが含まれているので、それをより満たせるには人の目があるほうがいい。
しかもハプバーなどの予定調和じゃない一般道でするほうが、より『従わせている、従っている』感は満足する。
だって、そんな条件でも『させたいし、したい』ということになるからね。
で、法に触れず通行人に『性的な露出』していると気づかれない(ひいては不快にさせない)ように、なおかつ『従わせている、従っている』欲を満たす露出にするために、一般道に着衣のままで四つん這いという形ができたのですね。
これは最悪『なに、あれ!?』とはなっても、全裸や半裸で目のやり場に困るようなものにはならないでしょうし、基本的に子供が視界にいたらしないというわたしのこだわりも守ってくれているから、社会的に良ではないとしてもわたしたちなりに誠意は尽くしているつもり。
だから那智さんとしては山奥での露出行為はホテルとほとんど差がないと思っているのだ。
(これに関しては続きものの最後にもう一度補足します)
で、そんな中で行う那智さんの露出を考えたとき、またこんなこともいう。
街中をリードを引いて歩く方とリードを引かれて四つん這いで歩くほうと、どちらが恥ずかしいと思う?
これは長い時間かけてふたりの間でも話題になっていたけど、皆さんもちょっと具体的に想像してみてくださいませ。
那智さんいわく。
カメラをかまえるわけでもなく、隣りもしくは向かいにいて肌を露出させているのを眺めているわけでもなく、那智さんはリードを持って引く。
リードを引くという時点で自分もこのおかしな行為に積極的に参加している、さらにはリードを引くことで主導権は引く側にあると一般的には映るよね。
ということは、いま行っているおかしな行為は主導権を握るほうの嗜好ということになる。
アブノーマルな性癖を人様により公言することになるのはリードを引く側。
那智さんとしてもいちおう大人で一般社会に生きているので『女を四つん這いで連れてるんだぜ!!』と胸を張れるほど簡単に破天荒になれるわけでもないよね。
しかも、リードを引かれるほうは下を向いていることもできるけど、引くほうが堂々を連れ歩かないといけないのだ。
以前、ハプバーの仲良しスタッフだったYちゃんが、イベントか何かで夜の繁華街を全頭マスクをしてボンデージファッションをした女性を集団で連れ歩いたと言っていたけど、それは人様には『なんかお遊び』と映る気楽さがある。
それとこれは経験してすごく感じることなのだけど『カメラ』をかまえているだけでも、十分『言い訳』になるんだよね。
それと比べると、昼間の街中で衣装をまとうわけでもなくカメラや撮影隊もなくて、ふたりきりでそれを行うのでは引く側の恥ずかしさはかなりなものだろう。
当然、トラブルが起きた場合の覚悟も必要。
そのあたりを考えると引くほうが恥ずかしいし根性いるだろ?
自分の変な趣味を披露して堂々と歩く、しかもトラブルがあったら対処するわけで、総じて引く側のほうが大変というのが那智さんのご意見。
だから、俺がしたいことはもちろんだけど、りん子を四つん這いにしてあげてるとも言えるんだよ(笑)
ということだ。
長いことわんこをしてきて、最近はたしかにそれも一理あるようにも感じている。
わたしはわんこにしてもらっているんだ。
もともと従属願望はあったとはいえ、街中で四つん這いになるなんてとんでもないと激しく首を振って拒否したわたしに『わんこにしてもらっている』と思わせるようにさせた。
『従わせたい、従っていたい』という上下の互いの求めてやまないものを、長い時間かけて幸福に従えるように作ってくれた。
あなたの足下にいる幸福。
足下で幸せそうについてくる女を連れている満足。
そこに性的満足も感じている。
そんなわたしたちの精神の露出行為。
人が来ない場所はホテルと同じだと思っている那智さんが、あえて街中を選び、リードを引いて四つん這いの女を連れ歩く。
命令でも忠誠でも調教でもなく、『わんこにしてもらっている』と感じた片鱗、那智さんが作り上げたお話。
<関連エントリー>
『お散歩の裏話1 2』
今朝の「等式」感想です。
わんこ関連では、迷惑防止条例があるのですよね~その中に「人が不快に・・・・・」あるのですが、まあ、おまわりさんの注意も聞かないでリードを引けば捕まる可能性はゼロではないですが。嬉しいコメントがつきました、りん子に対して「してあげる」はこの1年位で私が得ることができた感覚です。切望する欲求や気持ちがあっての「してあげる」、私がしてあてると思っても受けるりん子の「思い」がなければしてあげるにはならないと思います。長い間、色々な事に対して「一緒に」が部分的に「してあげる」に進化したのは嬉しく思います。当然、「対等で上下で」です。
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COMMENT
したいことが、してあげていることに、りん子さんが唱える対等で上下の関係を感じました。
私個人としてはしてあげるって感覚の男性は好みませんが、幸せをどこに感じるか?もお互いでつくってきた関係なんでしょうね?
私個人としてはしてあげるって感覚の男性は好みませんが、幸せをどこに感じるか?もお互いでつくってきた関係なんでしょうね?
ま. さん
那智さんも慈善事業でリード引けるほど勇気のある人ではないので(笑)
当然、那智さんのものすごくしたいが大前提にあっての『してあげている』なんですよね。
同じくらい欲していることを『してあげている』と『してほしい』で叶えている、ま.さんはその辺りを対等で上下と読み取ってくださって、わたしももちろん、那智さんも喜んでいました^^
ありがとうございます^^
那智さんも慈善事業でリード引けるほど勇気のある人ではないので(笑)
当然、那智さんのものすごくしたいが大前提にあっての『してあげている』なんですよね。
同じくらい欲していることを『してあげている』と『してほしい』で叶えている、ま.さんはその辺りを対等で上下と読み取ってくださって、わたしももちろん、那智さんも喜んでいました^^
ありがとうございます^^