お蔵入り毒りん子
140字もどき
その1
何度か書いているけれど、『奴隷』になるのってそんなに覚悟が必要なことなの?
自分の性癖と向き合うことは、その深さにある意味腹を括らないといけないことかもしれない。
危険な行為に身を委ねることや、いままでの自分ではなくなっていくことに対する不安は当然ある。
でも、人はどうしても欲しくて、それが手に入り満たされてしまうなら覚悟なんて決める余裕なんかなく、もうそこから逃れられなくなるものだ。
逃げたくても逃げられないものを目の当たりにして覚悟なんて悠長なこというヒマない。
覚悟を決める時点で、それはそれほど必要ないものなのかもしれないよ。
その2
やっぱり、どうしても、ダメ(笑)
『奴隷に快楽はない』とか『ご主人様の喜びが奴隷の喜び』なんていうセリフを見ると、どんなに立派なご主人様でもどんなに鬼畜なサディストさんでも首をかしげてしまう。
禅問答みたいになっちゃうし、何度も書いていて申し訳ないのだけど。
脅されたり拉致監禁されたりしているわけではないのだから、奴隷さんがそこに来るのは奴隷さんの意思、何かしらの『快』があるからだよね。
『快楽はない』という立場の快、『ご主人様の喜びが奴隷の喜び』という喜び、それが被虐的快楽かボランティア精神のような奉仕による悦楽か、はたまた好きな男に会える喜びか、尊敬し慕う相手に会える安息か、とにかく何かしらの『快』が存在するはずなんだ。
たとえば、自分の望むセックスじゃなくて肉体的な快感がなかったとしても、精神的『快』がなければ、人はそこに出向かないし、長くは続かないものだよね。
だから、それをわかっていてあえてそういう言い方をしているのか、それとも、本気で『快』はないと思っているのか知りたくなっちゃうんだな。
前者なら理解するけど、後者だとただの裸の王様に見えちゃうんだよね。
その3
それがうれしい
よりも
それが気持ちいい
って、女も言えるといいね。
好きな男にしてもらうんだ、うれしいに決まってる。
精神を重視するほうが世間体も自分の道徳観にも男性ウケもいいのはわかるけどさ。
女も、もっと自分の体の快感に注目してあげようよ。
自分の体をたくさん気持ちよくしてあげようよ〜^^
那智さんにしてもらうことがうれしい。
そして、那智さんにしてもらうと、とーーーっても気持ちいい!!
ってね^^
あー、じつは、ちょっとネタ切れ(笑)
わたしのブログ更新の泉の主たるものは『那智さん』と『怒り』だったんだな〜と改めて思う。
『怒り』は『存在に対する疑問』以降、ずいぶん収まっちゃっているし、じつはアップされるであろう日より2ヶ月前のこれを書いているいま、那智さんあることでちょっと停滞気味なのだ、すこし前は鞭連続だったりでいろいろ充実していたから『怒り』の泉は静かでも『那智さん』の泉がたんまりあって、けっこう気持ちよく更新作業進んだんだけど、いま、ひそかに両方枯渇気味。
(ややこしいけど、基本的に『等式』は約2ヶ月分書き溜めて順次アップしているのです)
だから、更新意欲が湧きませーん(笑)
なので、下書きに貯めてあったお蔵入りしそうな『りん子的独り言(生意気)』を無理矢理復活させてみた!!
ふう、やっぱりわたしは那智さんに心も体も可愛がっていただかないとしぼんじゃうのだ。
<関連エントリー>
『存在に対する疑問』
「等式」感想です。はい、でもね、推敲がないからなのか文章に勢いがあるし、熱い感じもつたわるからおもしろいよ~。別件:はい、今日は観光地デートもあり、結果として楽しく、気持ち良く、充実した日にしよう。
その1
何度か書いているけれど、『奴隷』になるのってそんなに覚悟が必要なことなの?
自分の性癖と向き合うことは、その深さにある意味腹を括らないといけないことかもしれない。
危険な行為に身を委ねることや、いままでの自分ではなくなっていくことに対する不安は当然ある。
でも、人はどうしても欲しくて、それが手に入り満たされてしまうなら覚悟なんて決める余裕なんかなく、もうそこから逃れられなくなるものだ。
逃げたくても逃げられないものを目の当たりにして覚悟なんて悠長なこというヒマない。
覚悟を決める時点で、それはそれほど必要ないものなのかもしれないよ。
その2
やっぱり、どうしても、ダメ(笑)
『奴隷に快楽はない』とか『ご主人様の喜びが奴隷の喜び』なんていうセリフを見ると、どんなに立派なご主人様でもどんなに鬼畜なサディストさんでも首をかしげてしまう。
禅問答みたいになっちゃうし、何度も書いていて申し訳ないのだけど。
脅されたり拉致監禁されたりしているわけではないのだから、奴隷さんがそこに来るのは奴隷さんの意思、何かしらの『快』があるからだよね。
『快楽はない』という立場の快、『ご主人様の喜びが奴隷の喜び』という喜び、それが被虐的快楽かボランティア精神のような奉仕による悦楽か、はたまた好きな男に会える喜びか、尊敬し慕う相手に会える安息か、とにかく何かしらの『快』が存在するはずなんだ。
たとえば、自分の望むセックスじゃなくて肉体的な快感がなかったとしても、精神的『快』がなければ、人はそこに出向かないし、長くは続かないものだよね。
だから、それをわかっていてあえてそういう言い方をしているのか、それとも、本気で『快』はないと思っているのか知りたくなっちゃうんだな。
前者なら理解するけど、後者だとただの裸の王様に見えちゃうんだよね。
その3
それがうれしい
よりも
それが気持ちいい
って、女も言えるといいね。
好きな男にしてもらうんだ、うれしいに決まってる。
精神を重視するほうが世間体も自分の道徳観にも男性ウケもいいのはわかるけどさ。
女も、もっと自分の体の快感に注目してあげようよ。
自分の体をたくさん気持ちよくしてあげようよ〜^^
那智さんにしてもらうことがうれしい。
そして、那智さんにしてもらうと、とーーーっても気持ちいい!!
ってね^^
あー、じつは、ちょっとネタ切れ(笑)
わたしのブログ更新の泉の主たるものは『那智さん』と『怒り』だったんだな〜と改めて思う。
『怒り』は『存在に対する疑問』以降、ずいぶん収まっちゃっているし、じつはアップされるであろう日より2ヶ月前のこれを書いているいま、那智さんあることでちょっと停滞気味なのだ、すこし前は鞭連続だったりでいろいろ充実していたから『怒り』の泉は静かでも『那智さん』の泉がたんまりあって、けっこう気持ちよく更新作業進んだんだけど、いま、ひそかに両方枯渇気味。
(ややこしいけど、基本的に『等式』は約2ヶ月分書き溜めて順次アップしているのです)
だから、更新意欲が湧きませーん(笑)
なので、下書きに貯めてあったお蔵入りしそうな『りん子的独り言(生意気)』を無理矢理復活させてみた!!
ふう、やっぱりわたしは那智さんに心も体も可愛がっていただかないとしぼんじゃうのだ。
<関連エントリー>
『存在に対する疑問』
「等式」感想です。はい、でもね、推敲がないからなのか文章に勢いがあるし、熱い感じもつたわるからおもしろいよ~。別件:はい、今日は観光地デートもあり、結果として楽しく、気持ち良く、充実した日にしよう。
すがる
りん子的独り言(生意気)
20才過ぎに付き合ったYさんの話はエントリーになっている。
それを読んでいただけるとより伝わると思うのだけど、とにかく、あの恋愛は『すがる』ものだった。
『怒らない私2 3 4』
今日は『すがる』について書きますが、これは単に「行かないで!!」とすがりつく行為だけではなく、心が離れている(もしくは離れそうな)相手や一旦離れた相手に対して、離れていなかいように自分を押し殺し機嫌を取り遜るような精神と行為全般を指しています。
形式上は彼女がいたYさんと二股状態が半年続いた後、やっと付き合うことができたのだけど、その一ヶ月後に彼が旅先で知り合った女性と熱病のような恋に落ちてしまう。
そこから、また半年相手を違えただけの二股状態が続いた。
恋愛なんてくっついたり離れたりするものだから、二股状態を特別悲劇にしているわけではないのですが、今日は『すがる』行為について書くので、あえて話題にしています。
S子さんという女性に恋をしてしまったYさんに形式上の彼女だったわたしは必死にすがっていた。
というか、最初の半年間、彼女がいるにも関わらずほぼ彼女のような(もちろんセックスしていたし)状態を黙って受け入れていた時点ですがっていたんだよね。
Yさんの好きなアーチストのコンサートチケットを取って誘い、待ち合わせにどれだけ遅れても、約束を破られても、明らかに軽んじられていても、文句も言わずニコニコといい子でいて、全身で『また好きになって』とすがっていた。
過去エントリーでは春頃一度おしまいにしたいと持ちかけて引き止められ、そのままずるずるして、夏頃に「やっぱりりん子がいい」と戻ってきたことは書いたけど、じつは、この夏のとき、わたしは春のおしまいにしようと持ちかけたときとは違うテンションでおしまいにしようと思っていたんだ。
春の頃はあんまりツライかったし、ちょっと駆け引きの気持ちもなくはなかった。
でも、夏のときはそういう気持ちもなく、『もういいや』と諦めの醒める気持ちになっていた。
それをまだ伝えていたわけではなかったけど、でも、必死にすがりついていた手の力を諦めとともに自然に緩めている状態だったのだ。
(当時は携帯もメールもない時代だったから、連絡しようと思わないとホントに音沙汰なくできちゃうんだよね、きっと、わたしの連絡頻度がガクッと落ちたんだな、自然に)
その矢先に「やっぱりりん子がいい」となったのだ。
YさんとS子さんの間で何かあったのかもしれないけど、たぶん、Yさんは危機感を嗅ぎ取ったのだと思う。
わたしがすがらなくなったことが、結果的に彼の心を、またこちらに向けることになったのだ。
普通はここで一件落着に思うけど、じつは、ここからもまた『すがる』関係が再スタートする。
やっと戻ってきたYさんに対して、わたしはいままで以上に不安を抱くようになってしまうのだ。
彼はわたしを裏切った。
またいつかそうなるかもしれない。
信じられない気持ちが不安になり、そして、わたしはそうならないように不安な気持ちを閉ざし、彼に好かれるようにすがっていく。
結局、Yさんはその後もS子さんと連絡を取り続け、わたしの信じられない気持ちは癒されるどころか、さらに深く傷つくことになった。
もう、あの頃のわたしに「ばかやろう!」と怒鳴りつけたい(笑)
『すがる』行為の悲劇は、じつは戻ってきてからにある。
仮に取り戻せたとしても『すがる』行為は関係を歪める。
結局、良好な関係を構築することはできないということも知っておいたほうがいい。
すがって取り戻したものは、すがり続ける関係を作るだけ。
好かれようと機嫌を取り、捨てられまいと負の感情を押し殺す、相手の顔色を伺う、しかし、すがればすがるほど、相手はこちらを軽んじる。
どうあがいても『軽んじられる』ままだし、相手がその態度のうちはこちらはいつまでたっても不安は解消されない。
そして、不安ゆえにまたすがる。
すがって取り戻した関係は、この悪循環を生むだけなのだ。
『すがる』行為は、仮に取り戻したとしてもけして幸せな精神状態や関係性が訪れるわけではない。
恋愛において何ひとつプラスになることはないのだ。
だから、相手の心が離れたと確認できたらすがってはいけない、すがってもあなたのほしいものはおそらく手に入らない。
じゃあ、どうすればいいのか。
基本的に人の心は変えようがないし、変わったものを無理矢理戻しても意味がないので、心が離れたと確認したら、こちらから一度ハッキリ手を離すのだ。
(こちらからが大事^^これで一旦すがる関係性をリセットするのね)
それで戻らないならしかたがない。
無理矢理すがって戻ってきたものは結果的に幸福を生まないのだから、それでいいのだ。
一度こちらから手を離したことでリセットされ、万が一、よりを戻せたとしたら『すがる』関係からスタートしないでいられる。
普通に1から同じ目線の付き合いができるので、すがって取り戻すよりずっとずっと幸福になれるのだ。
あの頃のわたしは図らずも、その状態を作り出せそうだったのだよね。
夏に自然発生的にこちらから手を離そうとしたから。
でも、無自覚だった〜(笑)
いまのわたしが教えてあげたいよ。
一度ちゃんと別れなって、そして、ちゃんと怒りなって。
あの頃のわたしがやらなければならなかったことは、Yさんが戻ってきたときに心から怒り、悲しみを伝え、その傷が癒えるまで、あなたのことを心から信頼できるようになるまでとことん付き合うことを覚悟させるべきだった。
せっかく、図らずも手を緩める形で戻ってきたのに、わたしは不安のまま怒りを抑え、同じことをくり返さないように、また『すがる』関係性を作ってしまったからだ。
『すがる』関係にしないために、一度ちゃんと手を離し、戻ってきたらちゃんと怒り、謝罪と信頼を求める必要があったんだよね。
相手の心が離れる理由は様々だろう。
Yさんのように別に魅力的な女性が現れるかもしれないし、こちらが何か原因を作っているかもしれない、単に飽きたってこともあるかも。
いずれにしても、どんな道筋を通ってもすがる行為や精神は安心した恋愛にはならないのだよ。
手を離し失う不安は、すがって取り戻せた後に延々と続く『相手がいるにも関わらず』な不安に比べたら、ほんの一時のものなんだよ。
『相手がいるにも関わらず』の不安は失う不安より、ずっと不幸だよね。
と20数年前のわたしに言ってやりたい(笑)
たとえばね、奴隷さんなんかは『すがる』的要素がたくさんあると思うのだけど、それがいいとなら、それはそれで続ければいいよね。
「行かないで!」とすがりつく行為や精神はある種カタルシスだし、すがり萌えな人もいるかもしれないもの。
だから『すがる』行為や精神、その関係性は否定しない。
だけど、基本的に『すがる』行為と精神は恋愛において良い結果を生まないのだ。
ついでに、すがらない=こちらから手を離すことのメリットは、次へ気持ちを切り替えやすいこともある。
心が離れた相手に対して、こちらから切ることで未練を残さないでいられるからだ。
『未練』というものは相手への好意ではなく、果たせなかった自分の心に対して湧くものなのだ。
果たせなかった悔しい思いが、相手への好意だと錯覚させて『未練』にしていることが圧倒的に多い。
だから、その自分の心に一度リセットをかける、そしたら、案外スッキリして心地よい心持ちで次ぎに進めるんだよ。
想い出のせいじゃなく
悲しかったのは
けなげだったあの 自分のせい
『ガールフレンズ』より
ユーミンもそういっている^^
<関連エントリー>
『未練』は執着ともいう^^
『執着』
『小さな復讐』
「等式」感想です。「未練」の解説は納得ですね、面白かったです。すがる、すがられる、関係においてのゴールが結婚にあるとすれば、その後の展開はエントリー全体の主張を揺るがす破壊力があるような気がします。
20才過ぎに付き合ったYさんの話はエントリーになっている。
それを読んでいただけるとより伝わると思うのだけど、とにかく、あの恋愛は『すがる』ものだった。
『怒らない私2 3 4』
今日は『すがる』について書きますが、これは単に「行かないで!!」とすがりつく行為だけではなく、心が離れている(もしくは離れそうな)相手や一旦離れた相手に対して、離れていなかいように自分を押し殺し機嫌を取り遜るような精神と行為全般を指しています。
形式上は彼女がいたYさんと二股状態が半年続いた後、やっと付き合うことができたのだけど、その一ヶ月後に彼が旅先で知り合った女性と熱病のような恋に落ちてしまう。
そこから、また半年相手を違えただけの二股状態が続いた。
恋愛なんてくっついたり離れたりするものだから、二股状態を特別悲劇にしているわけではないのですが、今日は『すがる』行為について書くので、あえて話題にしています。
S子さんという女性に恋をしてしまったYさんに形式上の彼女だったわたしは必死にすがっていた。
というか、最初の半年間、彼女がいるにも関わらずほぼ彼女のような(もちろんセックスしていたし)状態を黙って受け入れていた時点ですがっていたんだよね。
Yさんの好きなアーチストのコンサートチケットを取って誘い、待ち合わせにどれだけ遅れても、約束を破られても、明らかに軽んじられていても、文句も言わずニコニコといい子でいて、全身で『また好きになって』とすがっていた。
過去エントリーでは春頃一度おしまいにしたいと持ちかけて引き止められ、そのままずるずるして、夏頃に「やっぱりりん子がいい」と戻ってきたことは書いたけど、じつは、この夏のとき、わたしは春のおしまいにしようと持ちかけたときとは違うテンションでおしまいにしようと思っていたんだ。
春の頃はあんまりツライかったし、ちょっと駆け引きの気持ちもなくはなかった。
でも、夏のときはそういう気持ちもなく、『もういいや』と諦めの醒める気持ちになっていた。
それをまだ伝えていたわけではなかったけど、でも、必死にすがりついていた手の力を諦めとともに自然に緩めている状態だったのだ。
(当時は携帯もメールもない時代だったから、連絡しようと思わないとホントに音沙汰なくできちゃうんだよね、きっと、わたしの連絡頻度がガクッと落ちたんだな、自然に)
その矢先に「やっぱりりん子がいい」となったのだ。
YさんとS子さんの間で何かあったのかもしれないけど、たぶん、Yさんは危機感を嗅ぎ取ったのだと思う。
わたしがすがらなくなったことが、結果的に彼の心を、またこちらに向けることになったのだ。
普通はここで一件落着に思うけど、じつは、ここからもまた『すがる』関係が再スタートする。
やっと戻ってきたYさんに対して、わたしはいままで以上に不安を抱くようになってしまうのだ。
彼はわたしを裏切った。
またいつかそうなるかもしれない。
信じられない気持ちが不安になり、そして、わたしはそうならないように不安な気持ちを閉ざし、彼に好かれるようにすがっていく。
結局、Yさんはその後もS子さんと連絡を取り続け、わたしの信じられない気持ちは癒されるどころか、さらに深く傷つくことになった。
もう、あの頃のわたしに「ばかやろう!」と怒鳴りつけたい(笑)
『すがる』行為の悲劇は、じつは戻ってきてからにある。
仮に取り戻せたとしても『すがる』行為は関係を歪める。
結局、良好な関係を構築することはできないということも知っておいたほうがいい。
すがって取り戻したものは、すがり続ける関係を作るだけ。
好かれようと機嫌を取り、捨てられまいと負の感情を押し殺す、相手の顔色を伺う、しかし、すがればすがるほど、相手はこちらを軽んじる。
どうあがいても『軽んじられる』ままだし、相手がその態度のうちはこちらはいつまでたっても不安は解消されない。
そして、不安ゆえにまたすがる。
すがって取り戻した関係は、この悪循環を生むだけなのだ。
『すがる』行為は、仮に取り戻したとしてもけして幸せな精神状態や関係性が訪れるわけではない。
恋愛において何ひとつプラスになることはないのだ。
だから、相手の心が離れたと確認できたらすがってはいけない、すがってもあなたのほしいものはおそらく手に入らない。
じゃあ、どうすればいいのか。
基本的に人の心は変えようがないし、変わったものを無理矢理戻しても意味がないので、心が離れたと確認したら、こちらから一度ハッキリ手を離すのだ。
(こちらからが大事^^これで一旦すがる関係性をリセットするのね)
それで戻らないならしかたがない。
無理矢理すがって戻ってきたものは結果的に幸福を生まないのだから、それでいいのだ。
一度こちらから手を離したことでリセットされ、万が一、よりを戻せたとしたら『すがる』関係からスタートしないでいられる。
普通に1から同じ目線の付き合いができるので、すがって取り戻すよりずっとずっと幸福になれるのだ。
あの頃のわたしは図らずも、その状態を作り出せそうだったのだよね。
夏に自然発生的にこちらから手を離そうとしたから。
でも、無自覚だった〜(笑)
いまのわたしが教えてあげたいよ。
一度ちゃんと別れなって、そして、ちゃんと怒りなって。
あの頃のわたしがやらなければならなかったことは、Yさんが戻ってきたときに心から怒り、悲しみを伝え、その傷が癒えるまで、あなたのことを心から信頼できるようになるまでとことん付き合うことを覚悟させるべきだった。
せっかく、図らずも手を緩める形で戻ってきたのに、わたしは不安のまま怒りを抑え、同じことをくり返さないように、また『すがる』関係性を作ってしまったからだ。
『すがる』関係にしないために、一度ちゃんと手を離し、戻ってきたらちゃんと怒り、謝罪と信頼を求める必要があったんだよね。
相手の心が離れる理由は様々だろう。
Yさんのように別に魅力的な女性が現れるかもしれないし、こちらが何か原因を作っているかもしれない、単に飽きたってこともあるかも。
いずれにしても、どんな道筋を通ってもすがる行為や精神は安心した恋愛にはならないのだよ。
手を離し失う不安は、すがって取り戻せた後に延々と続く『相手がいるにも関わらず』な不安に比べたら、ほんの一時のものなんだよ。
『相手がいるにも関わらず』の不安は失う不安より、ずっと不幸だよね。
と20数年前のわたしに言ってやりたい(笑)
たとえばね、奴隷さんなんかは『すがる』的要素がたくさんあると思うのだけど、それがいいとなら、それはそれで続ければいいよね。
「行かないで!」とすがりつく行為や精神はある種カタルシスだし、すがり萌えな人もいるかもしれないもの。
だから『すがる』行為や精神、その関係性は否定しない。
だけど、基本的に『すがる』行為と精神は恋愛において良い結果を生まないのだ。
ついでに、すがらない=こちらから手を離すことのメリットは、次へ気持ちを切り替えやすいこともある。
心が離れた相手に対して、こちらから切ることで未練を残さないでいられるからだ。
『未練』というものは相手への好意ではなく、果たせなかった自分の心に対して湧くものなのだ。
果たせなかった悔しい思いが、相手への好意だと錯覚させて『未練』にしていることが圧倒的に多い。
だから、その自分の心に一度リセットをかける、そしたら、案外スッキリして心地よい心持ちで次ぎに進めるんだよ。
想い出のせいじゃなく
悲しかったのは
けなげだったあの 自分のせい
『ガールフレンズ』より
ユーミンもそういっている^^
<関連エントリー>
『未練』は執着ともいう^^
『執着』
『小さな復讐』
「等式」感想です。「未練」の解説は納得ですね、面白かったです。すがる、すがられる、関係においてのゴールが結婚にあるとすれば、その後の展開はエントリー全体の主張を揺るがす破壊力があるような気がします。
人心掌握
独り言
数ヶ月前、一通のメールが届いた。
20代後半、結婚を考えている彼がいることと性的に漠然とした満たされない感覚を持っていること、そして、それを那智さんとわたしに助けてもらえないかという内容だった。
そこには、「以前エントリーにしていた那智さんの願望がまだ有効でしょうか」と『等式』をある程度読んでくれていることを伺わせることも添えてあった。
みなさんは『感謝記念のあと』というエントリーを読んだことはあるだろうか。
はじめまして、28才のOLです。
で、はじまるエントリーには那智さんの憧れのシチュエーションが描かれている。
それは28才、この秋結婚を控えた女性、彼とはうまくいっているのだけどSMの憧れを持っており、その気持ちを持ったまま嫁いでしまっては後悔してしまうそうだ。
だから、結婚前に一度経験したい。
20代後半、結婚を控えていること、そして一度SMを体験してみたいというのは那智さんの三位一体の妄想、それをエントリーにしたのだ^^
メールをくれた彼女もきっとこれを読んでくれていたのだろう。
もし、それに自分が当てはまるならと助けを求めてきたのだ。
すこし衝動に駆られるような切実なメールだった。
そこから、那智さんの那智さんらしい魅力を間近で感じられる滅多にない日がスタートした。
あまりにピンポイントで一瞬色めき立ったけれど、一段落してみたら、まだ具体的に結婚は決まっていないようだし、はっきりSMを体験したいというわけではないらしい、なにより、彼女自身、まだ自分の欲求や問題点を把握できていないようで、いろいろ進めるにはあまりにもふぞろいな感じだった。
そこで、とりあえず『体験してみませんか』と短絡的にいかないのが、那智さん。
体験というか、わたしたちと性的な行為をしたとしても、その先の彼女の方向性が那智さんなりに見えてこないと、単に『食っちゃう』わけにはいかないというのだ。
もちろん、その先まで責任を負えるものではないけれど、自分たちを選んで通過する人に少なくともその後『あっちに行ってみたら?』と提案するべきだと思っている。
手前味噌だけど、簡単に『一回経験してみませんか?』と言わない那智さんは素敵だ。
まず、彼女の本当に求めるものや、現在の問題点をあぶり出すためにいくつもの質問を送る。
ほとんど初期のメールでかなり不躾な内容でもあったので普段だったらもう少し控えたほうが良いのではと提言するところだけど、今回はまず那智さんへのヘルプ要請だったので、わたしは基本サポート役に回ろうと思い、そのまま送信した。
「1番から順番に答えて」という注釈をつけた質問は十数個あった。
かなりきわどい性的な内容もあって、いきなりこんなメールを送られてきて気分を害さないか心配になるほどだったけど、戸惑いながらもひとつひとつ丁寧に自分を振り返り何回かにわけて答えてくれた。
じつは、このメール単に性的にきわどいことを聞いて、彼女のことを知るだけじゃなくて1番から順番に答えるうちに心の部分と性的な部分の問題を彼女自身が振り返られるようになっていて、質問の終わりに近づくにつれて、よりわたしたちへの希望を具体的に想像できるようになっている。
「1番から順番に答えて」と注釈をつけていたのは、そういう理由からだったのだ。
その質問、ほとんど時間をかけずに作成したみたいだったけど、ちゃんとした意図に基づいているのだとわかると、那智さんの人心掌握に対する集中力と実力に身内ながら感心する。
そこから彼女と那智さんを中心としたやり取りがはじまった。
今回は彼女は主に那智さんに助けを求めた部分もあるし、那智さんの妄想ポイントも押さえているし、わたしは基本的にサポート、翻訳機だからね。
好きな男が他の女とやり取りをしている、もしかしたら、セックスへ発展するかもしれないという状況で、よく呑気なこと言っていられるよね?って思うかもしれないけど、もともと『焦がれたい』妄想があり那智さんが女性とやり取りする様子を見るのはうずく快感なのだ、もちろん、気持ちがマイナスに傾く場面もゼロではないけど、『最高のシナリオ』を体験したわたしだからこそ、感情の微調整を那智さんとできると思っている。
この時点で、まだどうなるかわからないしね。
メールのやり取りをするうちに、どうも彼女の求めるものはSMやマゾ的欲求ではないと思えてくる。
さらに、かつてのわたしのような『愛される価値がない』という無価値感でもないようだ。
この段階で、残念ながら彼女の求めるものを埋めるのに那智さん(プラスわたし)は必要ないと判断する。
『一回やる』のは簡単だ。
だけど、彼女の求めるものではなさそうだとわかった上で、ただ『やる』のは無責任。
でも、『等式』を通じて助けを求めてきた人には可能な範囲で手を貸したい。
(しかも、彼女は那智さんを名指ししてきたしね^^)
だから、わたしたちなりに彼女の抱える問題を見つけ、それを補う理想の形や、それに近づく方法のアドバイスを話し合う。
那智さんの洞察にわたしの感性、男と女、いろいろな角度から、ふたりして真剣勝負の話し合いだ。
まるで、大きなプレゼンを控えた上司と部下のよう^^
ひと通りわたしたちなりのプレゼンを完成。
いまひとつわからない部分もあったりするので、あとは実際会ってから詳細を詰めることにして、後日、彼女と会うことになったのだ。
お会いして、知らなかった情報も聞きながらプレゼンして、わたしたちのできることはひとまずやった。
そのアドバイスを彼女がどれだけ理解して、どの部分を採用してくれるかは彼女次第。
一生懸命メモまで取ってくれて、うれしいやら恐縮するやら。
一途な様子に感謝だった。
と、この辺りからお酒も入り、ずいぶんリラックスした雰囲気になってきた。
いちおう、現時点でわたしたちにできることはないとは言ったものの那智さん求められると与えたくなる人、
それでもSMを経験してみたいと思うなら『目次』くらいならしてあげるよ
と提案している。
目次ね〜、目次でどこまで満足できるのかなぁなんて思っていると、どんどん、那智さんなりの目次ストーリーを展開しはじめる。
恥ずかしいこと、痛いこと、おしっこやスカトロ、『等式』で描かれているようなことに色を加えて彼女に提案する。
いまはネットでいろいろな情報を手に入れることができるけど、若くてSM的には成熟していない彼女からしたら、もちろん『目次』をするならのタラレバだとはわかっていても、目の前の男性から様々な妄想を投げかけられることは新鮮で驚くと共にやっぱりドキドキわくわくするだろう。
俺のと自分のとどっちがいいか選ばせてあげるよ(笑)
スカトロのタラレバ話をしている。
(那智さん、この話題好き。那智さんが構想を練るためのリトマス試験紙なんだと思う)
ええ!?と答えに窮する彼女、なんだか、めずらしくわたしまで『する側』妄想がわいてきて
え、もうひとつ選択肢あるよ?
那智さんのか、自分のか、わたしの!?(笑)
と、那智さんの援護射撃のように詰める。
ふうん、サディストとは違うかもしれないけど、追いつめる側ってこういう感覚なのかなぁ、ちょっとおもしろい。
妄想歴が長く欲望のデパートなわたしなので、『自分がされるなら』って思考回路を変えれば、たしかに、いろいろ湧いてくるものなんだね。
(基本、わたしは常に『してほしい』女なので、この思考回路にはならないのだけど 笑)
めずらしい感覚を楽しみ、そろそろお開きをお店を出た。
外の喫煙スペースで那智さんがタバコに火をつけながら、『なんちゃって乗馬鞭』を取り出し
打ってみる?
と。
ああ、まだ続けますか?しかも、外で^^;
もう、ひたすら、戸惑う彼女。
怖さと恥ずかしさと、あと、たぶん若干のしてほしい気持ちがせめぎ合っているのかな。
「あー」とか「ええ?!」とか、とにかくもじもじ。
拒否がないとわかるとベンチに腰かけてタバコを吸っている那智さんが手を伸ばし、彼女のスカートの裾をめくる。
わたしは周囲をキョロキョロ、人の目監視。
スカートの隙間から露わになった太ももとお尻の間あたりに『パシッ』と一発。
あれよあれよという間の出来事。
さすがにわたし相手じゃないのでお尻全開にするわけにはいかなかったのだろう、中途半端な位置と力になってしまって、それほど痛くはなかったと感じる。
だめ!!(笑)
そんなんじゃ、『等式』でわたしが散々痛い痛い言っていることに信憑性がなくなります!!
なーんだ、この程度の痛さなんだ〜って思われるのは心外です!!(笑)
と、今度はわたしがムキになり
もう一回打ってもらおうとせっつく。
それにも拒否はせずもじもじする彼女に、また『してほしい』人間の『する側』発想(ややこしいけど、わかるよね^^)
じゃあね、今度は、ここに座って、自分でスカートの裾上げて太もも出して「打ってください」って言うの、そしたら打ってあげるっていうのはどうでしょう、那智さん!!
と、自らお願いして行動する被虐を提案する。
どうでしょう?Mの皆さん、これ、いいよね^^
「え〜、え〜」と戸惑う彼女。
ね、那智さん、そうしないと打ってあげないですよね!?
S的気分を楽しむわたし。
那智さんは相変わらずタバコをふかし、手にしているなんちゃって乗馬鞭をこれ見よがしにひゅんひゅん。
ほら、めくってみ?
で「打ってください」って(笑)
わたしの提案、彼女の戸惑い、これを数往復。
彼女の手がスカートに伸びたか、伸びないか、
はい、おしまい〜
行くよ〜
なんちゃって乗馬鞭をすっと引っこめ、立ち上がる。
ああああ、そこで引きますか〜〜〜〜。
にくい、にくすぎます。
そうだよね。
なんでもぐいぐい押せばいいってもんじゃないんだよ。
ぎりぎりのところまで追いつめられ、もうどうにでもなれって思う一歩手前ですっと引かれることの、たまらないおあずけ状態!!
さっきまで拒否寄りの事柄だったのに、気がつけば『おあずけ』な気持ちになっている。
これぞ、『する側』、求めさせたい那智さんの真骨頂!!
目の前の結果よりずっと先の結果を楽しむ、そのためには中途半端は大歓迎な那智さんのやり方を垣間みた瞬間だった。
彼女には中途半端な状態にさせてしまって申し訳ないけど、那智さんのこういう1面を当事者じゃない目線で見ることができるのは、『他者』を交えるメリット。
最初のメールからこの日の『引き際』まで、なかなか貴重な那智さんを見ることができてわたし的にはとてもラッキーだったのでした^^
<関連エントリー>
『感謝記念のあと』
『最高のシナリオ』
「等式」感想です。はい、ついにピンポイント願望が叶いました。(笑)なぜ、このシチュエーションが良いのかと考えると、結婚前は結婚相手に対して一番思いが強いのかと思います。その時間を私とする行為は強い背徳感と私自身への大きな肯定を得ることが出来ると考えました。
数ヶ月前、一通のメールが届いた。
20代後半、結婚を考えている彼がいることと性的に漠然とした満たされない感覚を持っていること、そして、それを那智さんとわたしに助けてもらえないかという内容だった。
そこには、「以前エントリーにしていた那智さんの願望がまだ有効でしょうか」と『等式』をある程度読んでくれていることを伺わせることも添えてあった。
みなさんは『感謝記念のあと』というエントリーを読んだことはあるだろうか。
はじめまして、28才のOLです。
で、はじまるエントリーには那智さんの憧れのシチュエーションが描かれている。
それは28才、この秋結婚を控えた女性、彼とはうまくいっているのだけどSMの憧れを持っており、その気持ちを持ったまま嫁いでしまっては後悔してしまうそうだ。
だから、結婚前に一度経験したい。
20代後半、結婚を控えていること、そして一度SMを体験してみたいというのは那智さんの三位一体の妄想、それをエントリーにしたのだ^^
メールをくれた彼女もきっとこれを読んでくれていたのだろう。
もし、それに自分が当てはまるならと助けを求めてきたのだ。
すこし衝動に駆られるような切実なメールだった。
そこから、那智さんの那智さんらしい魅力を間近で感じられる滅多にない日がスタートした。
あまりにピンポイントで一瞬色めき立ったけれど、一段落してみたら、まだ具体的に結婚は決まっていないようだし、はっきりSMを体験したいというわけではないらしい、なにより、彼女自身、まだ自分の欲求や問題点を把握できていないようで、いろいろ進めるにはあまりにもふぞろいな感じだった。
そこで、とりあえず『体験してみませんか』と短絡的にいかないのが、那智さん。
体験というか、わたしたちと性的な行為をしたとしても、その先の彼女の方向性が那智さんなりに見えてこないと、単に『食っちゃう』わけにはいかないというのだ。
もちろん、その先まで責任を負えるものではないけれど、自分たちを選んで通過する人に少なくともその後『あっちに行ってみたら?』と提案するべきだと思っている。
手前味噌だけど、簡単に『一回経験してみませんか?』と言わない那智さんは素敵だ。
まず、彼女の本当に求めるものや、現在の問題点をあぶり出すためにいくつもの質問を送る。
ほとんど初期のメールでかなり不躾な内容でもあったので普段だったらもう少し控えたほうが良いのではと提言するところだけど、今回はまず那智さんへのヘルプ要請だったので、わたしは基本サポート役に回ろうと思い、そのまま送信した。
「1番から順番に答えて」という注釈をつけた質問は十数個あった。
かなりきわどい性的な内容もあって、いきなりこんなメールを送られてきて気分を害さないか心配になるほどだったけど、戸惑いながらもひとつひとつ丁寧に自分を振り返り何回かにわけて答えてくれた。
じつは、このメール単に性的にきわどいことを聞いて、彼女のことを知るだけじゃなくて1番から順番に答えるうちに心の部分と性的な部分の問題を彼女自身が振り返られるようになっていて、質問の終わりに近づくにつれて、よりわたしたちへの希望を具体的に想像できるようになっている。
「1番から順番に答えて」と注釈をつけていたのは、そういう理由からだったのだ。
その質問、ほとんど時間をかけずに作成したみたいだったけど、ちゃんとした意図に基づいているのだとわかると、那智さんの人心掌握に対する集中力と実力に身内ながら感心する。
そこから彼女と那智さんを中心としたやり取りがはじまった。
今回は彼女は主に那智さんに助けを求めた部分もあるし、那智さんの妄想ポイントも押さえているし、わたしは基本的にサポート、翻訳機だからね。
好きな男が他の女とやり取りをしている、もしかしたら、セックスへ発展するかもしれないという状況で、よく呑気なこと言っていられるよね?って思うかもしれないけど、もともと『焦がれたい』妄想があり那智さんが女性とやり取りする様子を見るのはうずく快感なのだ、もちろん、気持ちがマイナスに傾く場面もゼロではないけど、『最高のシナリオ』を体験したわたしだからこそ、感情の微調整を那智さんとできると思っている。
この時点で、まだどうなるかわからないしね。
メールのやり取りをするうちに、どうも彼女の求めるものはSMやマゾ的欲求ではないと思えてくる。
さらに、かつてのわたしのような『愛される価値がない』という無価値感でもないようだ。
この段階で、残念ながら彼女の求めるものを埋めるのに那智さん(プラスわたし)は必要ないと判断する。
『一回やる』のは簡単だ。
だけど、彼女の求めるものではなさそうだとわかった上で、ただ『やる』のは無責任。
でも、『等式』を通じて助けを求めてきた人には可能な範囲で手を貸したい。
(しかも、彼女は那智さんを名指ししてきたしね^^)
だから、わたしたちなりに彼女の抱える問題を見つけ、それを補う理想の形や、それに近づく方法のアドバイスを話し合う。
那智さんの洞察にわたしの感性、男と女、いろいろな角度から、ふたりして真剣勝負の話し合いだ。
まるで、大きなプレゼンを控えた上司と部下のよう^^
ひと通りわたしたちなりのプレゼンを完成。
いまひとつわからない部分もあったりするので、あとは実際会ってから詳細を詰めることにして、後日、彼女と会うことになったのだ。
お会いして、知らなかった情報も聞きながらプレゼンして、わたしたちのできることはひとまずやった。
そのアドバイスを彼女がどれだけ理解して、どの部分を採用してくれるかは彼女次第。
一生懸命メモまで取ってくれて、うれしいやら恐縮するやら。
一途な様子に感謝だった。
と、この辺りからお酒も入り、ずいぶんリラックスした雰囲気になってきた。
いちおう、現時点でわたしたちにできることはないとは言ったものの那智さん求められると与えたくなる人、
それでもSMを経験してみたいと思うなら『目次』くらいならしてあげるよ
と提案している。
目次ね〜、目次でどこまで満足できるのかなぁなんて思っていると、どんどん、那智さんなりの目次ストーリーを展開しはじめる。
恥ずかしいこと、痛いこと、おしっこやスカトロ、『等式』で描かれているようなことに色を加えて彼女に提案する。
いまはネットでいろいろな情報を手に入れることができるけど、若くてSM的には成熟していない彼女からしたら、もちろん『目次』をするならのタラレバだとはわかっていても、目の前の男性から様々な妄想を投げかけられることは新鮮で驚くと共にやっぱりドキドキわくわくするだろう。
俺のと自分のとどっちがいいか選ばせてあげるよ(笑)
スカトロのタラレバ話をしている。
(那智さん、この話題好き。那智さんが構想を練るためのリトマス試験紙なんだと思う)
ええ!?と答えに窮する彼女、なんだか、めずらしくわたしまで『する側』妄想がわいてきて
え、もうひとつ選択肢あるよ?
那智さんのか、自分のか、わたしの!?(笑)
と、那智さんの援護射撃のように詰める。
ふうん、サディストとは違うかもしれないけど、追いつめる側ってこういう感覚なのかなぁ、ちょっとおもしろい。
妄想歴が長く欲望のデパートなわたしなので、『自分がされるなら』って思考回路を変えれば、たしかに、いろいろ湧いてくるものなんだね。
(基本、わたしは常に『してほしい』女なので、この思考回路にはならないのだけど 笑)
めずらしい感覚を楽しみ、そろそろお開きをお店を出た。
外の喫煙スペースで那智さんがタバコに火をつけながら、『なんちゃって乗馬鞭』を取り出し
打ってみる?
と。
ああ、まだ続けますか?しかも、外で^^;
もう、ひたすら、戸惑う彼女。
怖さと恥ずかしさと、あと、たぶん若干のしてほしい気持ちがせめぎ合っているのかな。
「あー」とか「ええ?!」とか、とにかくもじもじ。
拒否がないとわかるとベンチに腰かけてタバコを吸っている那智さんが手を伸ばし、彼女のスカートの裾をめくる。
わたしは周囲をキョロキョロ、人の目監視。
スカートの隙間から露わになった太ももとお尻の間あたりに『パシッ』と一発。
あれよあれよという間の出来事。
さすがにわたし相手じゃないのでお尻全開にするわけにはいかなかったのだろう、中途半端な位置と力になってしまって、それほど痛くはなかったと感じる。
だめ!!(笑)
そんなんじゃ、『等式』でわたしが散々痛い痛い言っていることに信憑性がなくなります!!
なーんだ、この程度の痛さなんだ〜って思われるのは心外です!!(笑)
と、今度はわたしがムキになり
もう一回打ってもらおうとせっつく。
それにも拒否はせずもじもじする彼女に、また『してほしい』人間の『する側』発想(ややこしいけど、わかるよね^^)
じゃあね、今度は、ここに座って、自分でスカートの裾上げて太もも出して「打ってください」って言うの、そしたら打ってあげるっていうのはどうでしょう、那智さん!!
と、自らお願いして行動する被虐を提案する。
どうでしょう?Mの皆さん、これ、いいよね^^
「え〜、え〜」と戸惑う彼女。
ね、那智さん、そうしないと打ってあげないですよね!?
S的気分を楽しむわたし。
那智さんは相変わらずタバコをふかし、手にしているなんちゃって乗馬鞭をこれ見よがしにひゅんひゅん。
ほら、めくってみ?
で「打ってください」って(笑)
わたしの提案、彼女の戸惑い、これを数往復。
彼女の手がスカートに伸びたか、伸びないか、
はい、おしまい〜
行くよ〜
なんちゃって乗馬鞭をすっと引っこめ、立ち上がる。
ああああ、そこで引きますか〜〜〜〜。
にくい、にくすぎます。
そうだよね。
なんでもぐいぐい押せばいいってもんじゃないんだよ。
ぎりぎりのところまで追いつめられ、もうどうにでもなれって思う一歩手前ですっと引かれることの、たまらないおあずけ状態!!
さっきまで拒否寄りの事柄だったのに、気がつけば『おあずけ』な気持ちになっている。
これぞ、『する側』、求めさせたい那智さんの真骨頂!!
目の前の結果よりずっと先の結果を楽しむ、そのためには中途半端は大歓迎な那智さんのやり方を垣間みた瞬間だった。
彼女には中途半端な状態にさせてしまって申し訳ないけど、那智さんのこういう1面を当事者じゃない目線で見ることができるのは、『他者』を交えるメリット。
最初のメールからこの日の『引き際』まで、なかなか貴重な那智さんを見ることができてわたし的にはとてもラッキーだったのでした^^
<関連エントリー>
『感謝記念のあと』
『最高のシナリオ』
「等式」感想です。はい、ついにピンポイント願望が叶いました。(笑)なぜ、このシチュエーションが良いのかと考えると、結婚前は結婚相手に対して一番思いが強いのかと思います。その時間を私とする行為は強い背徳感と私自身への大きな肯定を得ることが出来ると考えました。
仕事って
独り言
10代で働きはじめたとき、わたしは幸運なことに通常の新入社員研修の他に特別な研修を受けさせてくれる部署に配属になった。
モデルを教える先生に立ち居振る舞い、客室乗務員と同じプログラムの研修、それらは高校を卒業したばかりのまだ子どもだったわたしに大きな影響を与えてくれた。
目上の人とすれ違うときの会釈の仕方、物を落したときの拾い方などの動きの基礎。
講義を聞いている姿を何箇所かからカメラで撮影されていて、後から見直し、自分の無意識の表情や仕草を見せられたときは、もう、あまりの無防備さに愕然としたものだった。
腹筋何十回!!なんて、まあ、高卒相手だから、ちょっとスチュワーデス物語みたいな根性押しのトホホなものもあったりしたけど、あの研修の数々はわたしの財産だ。
中でも、ひとりの講師が言っていた言葉はその後の仕事に対する見方を一気に変えた。
わたしは勉強がキライだったから高校を卒業したら当たり前に働くつもりだったし、自分でお金を稼ぐことは大人な感じもしていたので、まったく働くことに抵抗はなかった。
でも、それと同時に働くことの意義ややりがいや夢や、とにかく『美しい』ものはほとんどなかった。
そんなに裕福な家でもないし勉強キライだから、当然働く、で、机に座る仕事は無理、接客のほうができる、そんな程度の動機で入っただけだった。
もちろん真面目に取り組んではいたけど、働くことはほとんど可も不可もなく、ちょっと可くらいな意気込みしかかなった。
その講師は一日だけの研修だったと記憶している。
立ち居振る舞いとかではなく、心の話を主にしていた。
女の『かきくけこ』(たしかね、か=かわいげ、き=気配り、く=工夫、けは忘れた、こ=恋)なんて、いまだったら『なぜ女?』とフェミアンテナがピンとしてしまいそうな話だったり。
余談ですけど、男もあったなぁ。
男は『あいうえお』だった気がするけど、ぜんぜん憶えていない^^;
まあ、10代の子どもにはこういう話からしないといけなかったのかもね。
その講師が仕事に対する姿勢をこんなふうに言ったのだ。
仕事とはお金をもらって自分を磨くことができるもの
これには単純な18才のわたしはキラキラキラ〜と目からウロコ、お花畑のごとく、見事に開眼してしまったのだ。
ああ、そうだ、お仕事っていうのはお給料もらって、なおかつ自分を磨くことができるのか。
なんてラッキーな優れものなのだ!!
仕事がわたしを磨いてくれるとは思わない、でも、意識ひとつで仕事でわたしを磨くことはできる。
(だからといって、仕事をしていないと磨けないとか、仕事をしていれば必ず磨かれるということではありません。ラッキーな思考回路程度のことね)
勉強がキライだったから進学するつもりはなかった。
実家は裕福でもなんでもなかったし、たいして勉強しなくても入れてテキトウに遊ぶ進学を選ぶつもりはなかった。
働くことに抵抗感はまったくなかった。
そんなにたいそうな夢も野望も相変わらず芽生えなかったけど、『お金をもらって自分を磨ける』という意識は子どものわたしにはなかった価値観で、それ以降のわたしの仕事に対する意識を変えた。
仕事ってさ。
いま、なんか大変そうだよね。
まだ我が子は就職の場に立たされていないから現代の就職活動の実体をリアルに知っているわけではないので、その部分の大変さは想像しかできないけど。
けっこう夢とかやりがいとか、小さい頃からやりたいことを見つけないといけない感じではあって、夢ややりがいって強迫観念みたいなのって、ない?
わたし、あれ、苦手なんだよね。
やりたいことなんて年齢と共に変わるし、たかだか生まれて20年そこそこで自分の夢を決定付けるなんて無理な話だと思うんだよね。
大人はさ、やりたいことや夢や目標を持ってと急かすくせに、じゃあ、世界各国で日雇いで働きながら放浪の旅がやりたいって言い出したら反対するでしょ?ハリウッド女優になりたいって言ったら無理だって押しとどめるでしょ?(笑)
夢とか『美しい』こと言っているのに、それって実際は、安定して好条件で、ちょっぴり体裁もいい、大人の想定する狭い範囲内での夢ややりがいなんだよね。
で、それって子どもも肌で感じてしまっていると思う。
だからね、わたしは我が子にはね、仕事はね、やりたいことを見つけるんじゃなくて、苦手な分野は避けるくらいの緩い基準で選んだほうがいいよって言っているんだ。
これなら続けられるかも〜と思うものを3年くらい続けているうちに、いろいろできるようになったり、感謝されたり、社会貢献している実感が持ててくるから、そしたら、いつかそれがやりがいになるかもしれないって。
仕事はお金をもらって自分を磨くことだもんね。
そう思えていたら、すこしは気楽に自分の未来を想像できるような気がするよ^^
と、エラそうに言っていますが。
我が子が小学生の頃。
ピアノにも声楽教室にも通わせておらず、なんの楽器も弾けない、音楽の成績普通にも関わらず『音楽で食べていきたい』と言われたときには、さすがに、困った。
たしかに他の小学生が聴くような音楽じゃなくて、かなりマイナーなミュージシャンが好きだったりだったから、多少は譲歩するけど、なかなかの飛躍ぶりにあううううと悶絶するしかできなかったけどね^^;
今度、『お金をもらって自分を磨ける』話、しておかなきゃ^^
「等式」感想です。「苦手な分野を避ける」発言は良いですね~ハードルが低ければ自由になれる。厳しい就職事情の中、母親からこんなアドバイスを貰えたら気が楽になり、自分を鼓舞することが出来そうです。(笑)
10代で働きはじめたとき、わたしは幸運なことに通常の新入社員研修の他に特別な研修を受けさせてくれる部署に配属になった。
モデルを教える先生に立ち居振る舞い、客室乗務員と同じプログラムの研修、それらは高校を卒業したばかりのまだ子どもだったわたしに大きな影響を与えてくれた。
目上の人とすれ違うときの会釈の仕方、物を落したときの拾い方などの動きの基礎。
講義を聞いている姿を何箇所かからカメラで撮影されていて、後から見直し、自分の無意識の表情や仕草を見せられたときは、もう、あまりの無防備さに愕然としたものだった。
腹筋何十回!!なんて、まあ、高卒相手だから、ちょっとスチュワーデス物語みたいな根性押しのトホホなものもあったりしたけど、あの研修の数々はわたしの財産だ。
中でも、ひとりの講師が言っていた言葉はその後の仕事に対する見方を一気に変えた。
わたしは勉強がキライだったから高校を卒業したら当たり前に働くつもりだったし、自分でお金を稼ぐことは大人な感じもしていたので、まったく働くことに抵抗はなかった。
でも、それと同時に働くことの意義ややりがいや夢や、とにかく『美しい』ものはほとんどなかった。
そんなに裕福な家でもないし勉強キライだから、当然働く、で、机に座る仕事は無理、接客のほうができる、そんな程度の動機で入っただけだった。
もちろん真面目に取り組んではいたけど、働くことはほとんど可も不可もなく、ちょっと可くらいな意気込みしかかなった。
その講師は一日だけの研修だったと記憶している。
立ち居振る舞いとかではなく、心の話を主にしていた。
女の『かきくけこ』(たしかね、か=かわいげ、き=気配り、く=工夫、けは忘れた、こ=恋)なんて、いまだったら『なぜ女?』とフェミアンテナがピンとしてしまいそうな話だったり。
余談ですけど、男もあったなぁ。
男は『あいうえお』だった気がするけど、ぜんぜん憶えていない^^;
まあ、10代の子どもにはこういう話からしないといけなかったのかもね。
その講師が仕事に対する姿勢をこんなふうに言ったのだ。
仕事とはお金をもらって自分を磨くことができるもの
これには単純な18才のわたしはキラキラキラ〜と目からウロコ、お花畑のごとく、見事に開眼してしまったのだ。
ああ、そうだ、お仕事っていうのはお給料もらって、なおかつ自分を磨くことができるのか。
なんてラッキーな優れものなのだ!!
仕事がわたしを磨いてくれるとは思わない、でも、意識ひとつで仕事でわたしを磨くことはできる。
(だからといって、仕事をしていないと磨けないとか、仕事をしていれば必ず磨かれるということではありません。ラッキーな思考回路程度のことね)
勉強がキライだったから進学するつもりはなかった。
実家は裕福でもなんでもなかったし、たいして勉強しなくても入れてテキトウに遊ぶ進学を選ぶつもりはなかった。
働くことに抵抗感はまったくなかった。
そんなにたいそうな夢も野望も相変わらず芽生えなかったけど、『お金をもらって自分を磨ける』という意識は子どものわたしにはなかった価値観で、それ以降のわたしの仕事に対する意識を変えた。
仕事ってさ。
いま、なんか大変そうだよね。
まだ我が子は就職の場に立たされていないから現代の就職活動の実体をリアルに知っているわけではないので、その部分の大変さは想像しかできないけど。
けっこう夢とかやりがいとか、小さい頃からやりたいことを見つけないといけない感じではあって、夢ややりがいって強迫観念みたいなのって、ない?
わたし、あれ、苦手なんだよね。
やりたいことなんて年齢と共に変わるし、たかだか生まれて20年そこそこで自分の夢を決定付けるなんて無理な話だと思うんだよね。
大人はさ、やりたいことや夢や目標を持ってと急かすくせに、じゃあ、世界各国で日雇いで働きながら放浪の旅がやりたいって言い出したら反対するでしょ?ハリウッド女優になりたいって言ったら無理だって押しとどめるでしょ?(笑)
夢とか『美しい』こと言っているのに、それって実際は、安定して好条件で、ちょっぴり体裁もいい、大人の想定する狭い範囲内での夢ややりがいなんだよね。
で、それって子どもも肌で感じてしまっていると思う。
だからね、わたしは我が子にはね、仕事はね、やりたいことを見つけるんじゃなくて、苦手な分野は避けるくらいの緩い基準で選んだほうがいいよって言っているんだ。
これなら続けられるかも〜と思うものを3年くらい続けているうちに、いろいろできるようになったり、感謝されたり、社会貢献している実感が持ててくるから、そしたら、いつかそれがやりがいになるかもしれないって。
仕事はお金をもらって自分を磨くことだもんね。
そう思えていたら、すこしは気楽に自分の未来を想像できるような気がするよ^^
と、エラそうに言っていますが。
我が子が小学生の頃。
ピアノにも声楽教室にも通わせておらず、なんの楽器も弾けない、音楽の成績普通にも関わらず『音楽で食べていきたい』と言われたときには、さすがに、困った。
たしかに他の小学生が聴くような音楽じゃなくて、かなりマイナーなミュージシャンが好きだったりだったから、多少は譲歩するけど、なかなかの飛躍ぶりにあううううと悶絶するしかできなかったけどね^^;
今度、『お金をもらって自分を磨ける』話、しておかなきゃ^^
「等式」感想です。「苦手な分野を避ける」発言は良いですね~ハードルが低ければ自由になれる。厳しい就職事情の中、母親からこんなアドバイスを貰えたら気が楽になり、自分を鼓舞することが出来そうです。(笑)
祝福の種
独り言
う〜ん、困った^^;
祝福の種が見つけられない。
とくに新婦に対して。
自慢するようでなんですが、わたし、人のいいところ見つけるのけっこう得意なほうだと思ってるんです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの逆パターンで、たとえば、イヤなところがあったとしても、それで全人格否定大キライ!!になりにくくて、いいところも見えて、まあ、いいところもあるよねって思えるほうなんだ(その代わり、それで何度かリカバってもまだわたしにキライ要素を振りまいてきて一度見切りをつけちゃうと、もうシャットアウトになっちゃうけどね。レアケース)
だから、ほとんどの場合、みんなどこかしらにいいとろがあって『祝福の種』を見つけて本番を迎えることができる。
プロとしてお仕事をしているのだから、どんなケースでも変わらぬクオリティを提供するべきなので、それによって差が出ないほうが正解なんだけど、残念ながら『祝福の種』があるほうがわたし自身いい空気を作ることができるのは自覚している。
まあ、だからこそ、ほとんど自然に見つけることができている自分は司会のプロじゃなくて『祝福の種』を見つけるプロなのかもしれない^^;
横暴な新郎でも新婦の母親に対する気持ちなんかを聞いたら、もうOKだし^^
お金にうるさい新郎のときも、新婦のビクビクした感じに俄然ファイト湧いちゃったし^^
それでも一度だけ厳しいなぁと思うカップルがいたなぁ。
まだ、このお仕事をはじめて初期の頃。
とーっても美人さんの新婦で、お色直し2回、料金上乗せして通常の披露宴の時間より30分長い披露宴を組んだり、どうやら裕福な家庭のお嬢さんらしい。
それ自体は基本問題ないのだけど、とにかく、その新婦がものすごく高飛車なのだ!!
それも新郎に対してだけ。
わたしたちに対しても、特別好印象な接し方をするわけではないのだけど、まあ、許容範囲。
でも、新郎に対して常に上から目線、常に小バカにした態度、ウェルカムスピーチ(開宴にひと言新郎が挨拶するのね、あってもなくてもいいの)をススメたら「どうせ、できないでしょ(笑)」みたいな感じをずっと。
決定的にダメって思ったのは、新郎の家族に対してもそういう発言をするのよ。
お嬢さんかもしれないけど品のない女性だなぁとまったく共感できなかった。
ただ、彼女はこちら側に対してはわがままをいうわけではなく、打ち合わせの最後のほうには、要するに新婦は甘えているだけなんだって思った。
本人まったく無意識だと思うけど、その態度が愛情の裏返しなんてまったく思わないけど、ただ甘えているんだよね。
それに気づかないでいつまでもそのままだと愛想尽かされちゃうよって思ったら、まあ、いい披露宴にして満足してもらおう。
なにより、ちょっとは新郎の株も上がるかもしれないもんねと、間一髪で『祝福の種』を見つけることができたのだ。
(ああ、でも、どうひいき目に見ても長続きしそうにないカップルだったな^^;)
そんな場合でも見つけることができたのに、今回は見つけられないのだ。
この高飛車新婦よりは性格悪くなさそうなんだけどね^^;
まず、打ち合わせに日程を決めてからしばらくして担当の鈴木さん(仮名)から連絡が入った。
通常、ホテルの婚礼って担当が取りまとめ役になるんだけど、花、音響、衣装とそれぞれ専門のことは専門のスタッフとの直接交渉になる。
司会もそれにあたるわけで、直接打ち合わせしたことを進行表に記入して担当に申し送りする、披露宴当日はキャプテンと音響さんと読み合わせをして最終確認。
時々、あれはどーなってる!?なんてこともあったりするけど、ほとんどこの流れで問題はない。
それぞれのプロが各々のポイントを押さえて当日合体させればいいからだ。
でも、その個々にポイントを押さえるやり方に不安を持ったのだろう。
特に、彼女はダンスを習っていて、仲間とちょっとミュージカルっぽいパフォーマンスをしたいと思っていたようだから、なおのこと、わからないでもない。
鈴木さんとわたしの最終の打ち合わせを翌週に控えた夜、鈴木さんの打ち合わせに司会者も同席してほしいとメールが入ったそうで、鈴木さんからスケジュールの確認が入った。
ところが、わたしはその前後の時間には他の打ち合わせが入っていて難しいので、その旨を伝えると同時に、新婦のアドレスを聞き、不安を解消してもらえるようにメールすることを提案した。
打ち合わせから当日現場での最終確認の流れを説明し漏れがないことを知ってもらう。
また、わたしなりに心がけていること、ただ事務的に進行を決めるのではなく、新郎新婦の思いやイメージをお聞きし、それも現場スタッフに伝えることで空気感も共有することをつけ加える。
たとえば、『◯ィズニーの◯◯のイメージにしたい』とか『◯ブリが好き』とか^^
だから、打ち合わせのときにはたくさんお話しを聞かせてくださいねと添えてメールをした。
情報共有を気にしていた新婦だったのでccで鈴木さんにも同じものを送り、鈴木さんからは「ステキなメールをありがとうございます」とお礼までしてもらっちゃった(えへへ、ちょっと担当に点数アップ^^)
にも関わらず、新婦から返信なし!!(笑)
いや、鈴木さんのほうには、理解したから打ち合わせは従来通りでかまわないとメールが来たみたいなので、ぜんぜんかまわないんですけど^^;
情報共有を望んだのはアナタでしょーーーー!?と思わずツッコミたくなる、この時点で若干疑問符。
そして、迎えた打ち合わせ当日。
蓋を開けてみると、たしかにパフォーマンスに力を入れたいみたいではあるけど、あれだけ不安を訴えていたわりにぜんぜん詳細を決める感じがない。
当日のセッティングがあるからダンスの動線を決めようとすれば「まあ、だいたい、このあたりかな〜」。
カラードレスで移動する新婦の移動時間を考えてタイムスケジュールを決めようと思えば「え〜、けっこう簡単に動けると思うけど〜」。
たぶん、ダンスというかパフォーマンスが上手な仲間なのだろう、一事が万事「まあ、そこは何とかするメンバーなので〜」と詳細を詰めさせてくれないのだ!!!
うん、わかった、何とかできるんですねーー。
じゃあ、不安なんて口にしないでくれませんかーー。
始まりと終わりの指示だけくれて、あとは全部メンバーで何とかしてくださいと思わず匙を投げてしまいそうになるけれど、唯一の救いは新郎がやんわり軌道修正してくれること。
そこをちゃんと決めないとりん子さんが勝手に決めるわけにいかないだろ?
そんなふうにやんわり。
でも、それにも「あなたは黙ってていいから」的な反論をするのだ、もー、仏のりん子もさすがに笑顔がひきつるわ。
とりあえず、次の打ち合わせの鈴木さんが困らないように普通の進行表以外にも手描きの図入り説明書まで作成して、新婦と鈴木さんの分をコピーしてなんとか打ち合わせは終了した。
その後も変更が入るたびに、鈴木さんにメールしたり、わたしにメールしたり、宛先バラバラ、情報共有したがったのは自分なのにぜんぜん実行してくれない。
ccを知らない可能性もあると思って、いちいち『ccで鈴木とも共有しますね』とちょっと促すように添えたりしてもダメ。
かと思えば、披露宴前夜、深夜に鈴木さんにメールが入り『カラードレスで移動が心配になって眠れない、明日挙式前にカラードレスを着て練習したい』って言い出したそうだ。
えーーーーっと、よーく考えてみてね。
いや、ちょっと考えればわかることだよね。
当日まず新婦が着るのはウェディングドレスだよね、カラードレスはお色直し後。
ということは通常の着付けの前にカラードレスを着て脱いで、あらためてウェディングドレスを着付けるってこと?
それはどこで、誰がするのかな?
あなたはカラードレスをトイレでひとりで着られるのかな?
美容室も美容スタッフもあなたのためだけにいるわけじゃないし、移動する介添えって人も時間外だし、会場もあなたのためだけにあるわけじゃなくて、スケジュールによっては前に披露宴をしている可能性だって考えられるよね?
もーーーーー、不安はわかる、よくわかる、でも、残念ながらすべてあなた中心に動けるわけではないのだ。
それならもっと打ち合わせや事前準備に現実味を持って取り組もうよ〜〜〜〜!!
これから会場入りするために鈴木さんに挨拶にいったところでこれを聞いた。
鈴木さんはどうするかとあたふたしているところちょうど新郎とは会えたようで、そのことを話したら「いや、僕はそんなこと聞いてないけど、まあ、大丈夫じゃないですか〜」と呑気なお返事だったということ。
さっきまでのあたふたな感じのまま話を聞かせてくれた。
まあ、不安に思ったことを、すぐそのまま口にしちゃう人なんだね。
そう思ったら、なんとか希望通りにしてあげよう。
たぶん、こういう人は上手くいけば自分の手柄、失敗したら誰かのせいにすると想像できる。
それならさ、上手くいかせて満足してもらおう。
(わたしは最善を尽くしたからクレームになっても、それは運命と受け入れよう^^)
ついでに、このやんわりした新郎に満足してもらおう。
さらに、ついでに、当日のてんやわんやで汗かいている、この若い鈴木さんにも安心してもらおう。
残念ながら、『祝福の種』は見つけられていない。
でも、そもそも結婚するってことだけで充分祝福なんだ。
はじめてマイクを握ったときを思い出し、『おめでとう』がいえる仕事に感謝して気持ちよくお仕事しよう。
現場はここで一番長くキャプテンをしている加藤さん(仮名)、音響はいつもの若いお兄ちゃん^^
何度も顔を合わせているプロのスタッフで肩を組むような気持ち。
いつもと変わらない祝福の空気は、この人たちの仕事ぶりを見ているだけでもきっと作れる。
扉が開く瞬間、気持ちを切り替えて大きく拍手をした。
結局、ダンスは本人たちとしては完璧ではなかったみたいだけど、ゲストには大ウケ、たぶん、後からゲストがよかったとたくさん評価してくれれば満足してもらえるだろう。
カラードレスで躍り出す新婦に一番恐怖を感じたのは、じつは介添えさんだったそうだ。
踊り出したのを見て、そばにいてわたしが全部裾さばきするのか!?そんなの無理!!と青くなったそうだ。
ダンスを見ながら、これで転びでもしたらわたしの責任だと生きた心地しなかったとお開き後話してくれた。
素人目にはけっこうキレイに躍れていたように見えたけど、ドレスのプロから言わせれば『運が良かった』のだそうだ。
ここにもプロがいて、プロってカッコいい^^
すべては何か大きな歯車で回っているように思う。
いい空気がいろいろなことを好転させてくれたのかなと思いたい。
祝福の現場はそういうミラクルがときどき起こる。
だから、今週末もいい空気を作って幸運を引き寄せよう^^
<関連エントリー>
『限りなく素人に近い』
『心を動かす力』
『普段通り』
『ピンチヒッター』
『ヘビーローテーション』
「等式」感想です。最後のまとめがカッコ良いですね。私が考えると踊り、倒れるのは本人の責任だと。しかし、介添えの人は自分の責務と考える。プロだとは思いますがやはり、そこまで面倒見切れないでしょ。(笑)どうなんだろ~
う〜ん、困った^^;
祝福の種が見つけられない。
とくに新婦に対して。
自慢するようでなんですが、わたし、人のいいところ見つけるのけっこう得意なほうだと思ってるんです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの逆パターンで、たとえば、イヤなところがあったとしても、それで全人格否定大キライ!!になりにくくて、いいところも見えて、まあ、いいところもあるよねって思えるほうなんだ(その代わり、それで何度かリカバってもまだわたしにキライ要素を振りまいてきて一度見切りをつけちゃうと、もうシャットアウトになっちゃうけどね。レアケース)
だから、ほとんどの場合、みんなどこかしらにいいとろがあって『祝福の種』を見つけて本番を迎えることができる。
プロとしてお仕事をしているのだから、どんなケースでも変わらぬクオリティを提供するべきなので、それによって差が出ないほうが正解なんだけど、残念ながら『祝福の種』があるほうがわたし自身いい空気を作ることができるのは自覚している。
まあ、だからこそ、ほとんど自然に見つけることができている自分は司会のプロじゃなくて『祝福の種』を見つけるプロなのかもしれない^^;
横暴な新郎でも新婦の母親に対する気持ちなんかを聞いたら、もうOKだし^^
お金にうるさい新郎のときも、新婦のビクビクした感じに俄然ファイト湧いちゃったし^^
それでも一度だけ厳しいなぁと思うカップルがいたなぁ。
まだ、このお仕事をはじめて初期の頃。
とーっても美人さんの新婦で、お色直し2回、料金上乗せして通常の披露宴の時間より30分長い披露宴を組んだり、どうやら裕福な家庭のお嬢さんらしい。
それ自体は基本問題ないのだけど、とにかく、その新婦がものすごく高飛車なのだ!!
それも新郎に対してだけ。
わたしたちに対しても、特別好印象な接し方をするわけではないのだけど、まあ、許容範囲。
でも、新郎に対して常に上から目線、常に小バカにした態度、ウェルカムスピーチ(開宴にひと言新郎が挨拶するのね、あってもなくてもいいの)をススメたら「どうせ、できないでしょ(笑)」みたいな感じをずっと。
決定的にダメって思ったのは、新郎の家族に対してもそういう発言をするのよ。
お嬢さんかもしれないけど品のない女性だなぁとまったく共感できなかった。
ただ、彼女はこちら側に対してはわがままをいうわけではなく、打ち合わせの最後のほうには、要するに新婦は甘えているだけなんだって思った。
本人まったく無意識だと思うけど、その態度が愛情の裏返しなんてまったく思わないけど、ただ甘えているんだよね。
それに気づかないでいつまでもそのままだと愛想尽かされちゃうよって思ったら、まあ、いい披露宴にして満足してもらおう。
なにより、ちょっとは新郎の株も上がるかもしれないもんねと、間一髪で『祝福の種』を見つけることができたのだ。
(ああ、でも、どうひいき目に見ても長続きしそうにないカップルだったな^^;)
そんな場合でも見つけることができたのに、今回は見つけられないのだ。
この高飛車新婦よりは性格悪くなさそうなんだけどね^^;
まず、打ち合わせに日程を決めてからしばらくして担当の鈴木さん(仮名)から連絡が入った。
通常、ホテルの婚礼って担当が取りまとめ役になるんだけど、花、音響、衣装とそれぞれ専門のことは専門のスタッフとの直接交渉になる。
司会もそれにあたるわけで、直接打ち合わせしたことを進行表に記入して担当に申し送りする、披露宴当日はキャプテンと音響さんと読み合わせをして最終確認。
時々、あれはどーなってる!?なんてこともあったりするけど、ほとんどこの流れで問題はない。
それぞれのプロが各々のポイントを押さえて当日合体させればいいからだ。
でも、その個々にポイントを押さえるやり方に不安を持ったのだろう。
特に、彼女はダンスを習っていて、仲間とちょっとミュージカルっぽいパフォーマンスをしたいと思っていたようだから、なおのこと、わからないでもない。
鈴木さんとわたしの最終の打ち合わせを翌週に控えた夜、鈴木さんの打ち合わせに司会者も同席してほしいとメールが入ったそうで、鈴木さんからスケジュールの確認が入った。
ところが、わたしはその前後の時間には他の打ち合わせが入っていて難しいので、その旨を伝えると同時に、新婦のアドレスを聞き、不安を解消してもらえるようにメールすることを提案した。
打ち合わせから当日現場での最終確認の流れを説明し漏れがないことを知ってもらう。
また、わたしなりに心がけていること、ただ事務的に進行を決めるのではなく、新郎新婦の思いやイメージをお聞きし、それも現場スタッフに伝えることで空気感も共有することをつけ加える。
たとえば、『◯ィズニーの◯◯のイメージにしたい』とか『◯ブリが好き』とか^^
だから、打ち合わせのときにはたくさんお話しを聞かせてくださいねと添えてメールをした。
情報共有を気にしていた新婦だったのでccで鈴木さんにも同じものを送り、鈴木さんからは「ステキなメールをありがとうございます」とお礼までしてもらっちゃった(えへへ、ちょっと担当に点数アップ^^)
にも関わらず、新婦から返信なし!!(笑)
いや、鈴木さんのほうには、理解したから打ち合わせは従来通りでかまわないとメールが来たみたいなので、ぜんぜんかまわないんですけど^^;
情報共有を望んだのはアナタでしょーーーー!?と思わずツッコミたくなる、この時点で若干疑問符。
そして、迎えた打ち合わせ当日。
蓋を開けてみると、たしかにパフォーマンスに力を入れたいみたいではあるけど、あれだけ不安を訴えていたわりにぜんぜん詳細を決める感じがない。
当日のセッティングがあるからダンスの動線を決めようとすれば「まあ、だいたい、このあたりかな〜」。
カラードレスで移動する新婦の移動時間を考えてタイムスケジュールを決めようと思えば「え〜、けっこう簡単に動けると思うけど〜」。
たぶん、ダンスというかパフォーマンスが上手な仲間なのだろう、一事が万事「まあ、そこは何とかするメンバーなので〜」と詳細を詰めさせてくれないのだ!!!
うん、わかった、何とかできるんですねーー。
じゃあ、不安なんて口にしないでくれませんかーー。
始まりと終わりの指示だけくれて、あとは全部メンバーで何とかしてくださいと思わず匙を投げてしまいそうになるけれど、唯一の救いは新郎がやんわり軌道修正してくれること。
そこをちゃんと決めないとりん子さんが勝手に決めるわけにいかないだろ?
そんなふうにやんわり。
でも、それにも「あなたは黙ってていいから」的な反論をするのだ、もー、仏のりん子もさすがに笑顔がひきつるわ。
とりあえず、次の打ち合わせの鈴木さんが困らないように普通の進行表以外にも手描きの図入り説明書まで作成して、新婦と鈴木さんの分をコピーしてなんとか打ち合わせは終了した。
その後も変更が入るたびに、鈴木さんにメールしたり、わたしにメールしたり、宛先バラバラ、情報共有したがったのは自分なのにぜんぜん実行してくれない。
ccを知らない可能性もあると思って、いちいち『ccで鈴木とも共有しますね』とちょっと促すように添えたりしてもダメ。
かと思えば、披露宴前夜、深夜に鈴木さんにメールが入り『カラードレスで移動が心配になって眠れない、明日挙式前にカラードレスを着て練習したい』って言い出したそうだ。
えーーーーっと、よーく考えてみてね。
いや、ちょっと考えればわかることだよね。
当日まず新婦が着るのはウェディングドレスだよね、カラードレスはお色直し後。
ということは通常の着付けの前にカラードレスを着て脱いで、あらためてウェディングドレスを着付けるってこと?
それはどこで、誰がするのかな?
あなたはカラードレスをトイレでひとりで着られるのかな?
美容室も美容スタッフもあなたのためだけにいるわけじゃないし、移動する介添えって人も時間外だし、会場もあなたのためだけにあるわけじゃなくて、スケジュールによっては前に披露宴をしている可能性だって考えられるよね?
もーーーーー、不安はわかる、よくわかる、でも、残念ながらすべてあなた中心に動けるわけではないのだ。
それならもっと打ち合わせや事前準備に現実味を持って取り組もうよ〜〜〜〜!!
これから会場入りするために鈴木さんに挨拶にいったところでこれを聞いた。
鈴木さんはどうするかとあたふたしているところちょうど新郎とは会えたようで、そのことを話したら「いや、僕はそんなこと聞いてないけど、まあ、大丈夫じゃないですか〜」と呑気なお返事だったということ。
さっきまでのあたふたな感じのまま話を聞かせてくれた。
まあ、不安に思ったことを、すぐそのまま口にしちゃう人なんだね。
そう思ったら、なんとか希望通りにしてあげよう。
たぶん、こういう人は上手くいけば自分の手柄、失敗したら誰かのせいにすると想像できる。
それならさ、上手くいかせて満足してもらおう。
(わたしは最善を尽くしたからクレームになっても、それは運命と受け入れよう^^)
ついでに、このやんわりした新郎に満足してもらおう。
さらに、ついでに、当日のてんやわんやで汗かいている、この若い鈴木さんにも安心してもらおう。
残念ながら、『祝福の種』は見つけられていない。
でも、そもそも結婚するってことだけで充分祝福なんだ。
はじめてマイクを握ったときを思い出し、『おめでとう』がいえる仕事に感謝して気持ちよくお仕事しよう。
現場はここで一番長くキャプテンをしている加藤さん(仮名)、音響はいつもの若いお兄ちゃん^^
何度も顔を合わせているプロのスタッフで肩を組むような気持ち。
いつもと変わらない祝福の空気は、この人たちの仕事ぶりを見ているだけでもきっと作れる。
扉が開く瞬間、気持ちを切り替えて大きく拍手をした。
結局、ダンスは本人たちとしては完璧ではなかったみたいだけど、ゲストには大ウケ、たぶん、後からゲストがよかったとたくさん評価してくれれば満足してもらえるだろう。
カラードレスで躍り出す新婦に一番恐怖を感じたのは、じつは介添えさんだったそうだ。
踊り出したのを見て、そばにいてわたしが全部裾さばきするのか!?そんなの無理!!と青くなったそうだ。
ダンスを見ながら、これで転びでもしたらわたしの責任だと生きた心地しなかったとお開き後話してくれた。
素人目にはけっこうキレイに躍れていたように見えたけど、ドレスのプロから言わせれば『運が良かった』のだそうだ。
ここにもプロがいて、プロってカッコいい^^
すべては何か大きな歯車で回っているように思う。
いい空気がいろいろなことを好転させてくれたのかなと思いたい。
祝福の現場はそういうミラクルがときどき起こる。
だから、今週末もいい空気を作って幸運を引き寄せよう^^
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「等式」感想です。最後のまとめがカッコ良いですね。私が考えると踊り、倒れるのは本人の責任だと。しかし、介添えの人は自分の責務と考える。プロだとは思いますがやはり、そこまで面倒見切れないでしょ。(笑)どうなんだろ~