最高のシナリオ
独り言
もうひとつ『モカ』関連のエントリーです。
といっても、モカちゃん自身は登場しないのでカテゴリは『独り言』です。
あまりイメージないかもしれないけど、意外とスポーツ観戦好きなわたし。
サッカーもテニスもF1も、それなりの年数それぞれの選手の個性や歴史などを知って観ているとルールや技術に詳しいわけではなくても、楽しめるものだ。
中でも高校野球は子供の頃から大好き。
古くは、星稜vs箕島の延長18回の死闘から、愛工大明電の工藤やPLのKKコンビ、松井の連続敬遠なんていうのもあったよね。
地元校はもちろん、なんとなく贔屓にしている高校や根拠なくライバル視しちゃっている高校なんかもあって、強豪、古豪、名物監督、負けたら終わりの真剣勝負、ひとつのエラーが試合をひっくり返す厳しさ、どれもドラマがあって毎年楽しみにしたいた。
でも、ある年を境にほとんど観なくなってしまった。
それは1998年夏。
松坂投手率いる横浜高校がPLや明徳義塾など名だたる強豪と対戦し、決勝戦ではノーヒットノーランを達成した年だ。
この年は個人的にもいろいろな思いがあって、子供の頃、どきどきハラハラして次号が楽しみでしかたなかったマンガを読んでいるような夏になった。
でも、あの夏以降、高校野球に対する興味が面白いくらいに失われてしまったのだ。
なぜか。
それは、最高のシナリオを見た気持ちになったから。
テニスだったらウィンブルドンのベスト4、グラフと伊達の雨で順延になった試合、テレビドラマだったら『王様のレストラン』、すべらない話はこの前の小藪さんの『だんじり男』(笑)、映画はまだない^^
もともとテレビドラマにはあまり興味のない人間だったけど、なんていうか、小規模ではあるけど、それぞれに『最高のシナリオ』があって、ああ、これはそうだなって認識することがある。
そして、とても残念なことにそれ以降はもう十分と思えてしまうものなのだ。
最高のシナリオを味わうことはすごく気持ちいい、でも、それ以降興味がなくなってしまう自分が想像できるから、寂しい気持ちにもなる。
そう考えると大人になるということは、最高のシナリオを知っていくということなんだよね。
ということは、わたしたちは最高のシナリオを知ったぶん、年を重ねながらいろいろと興味を持つものが減っていってしまうのだろうか。
それを知ってもなお興味が持てるものがあれば、きっとそれは人生において重要なポジションのものだということはわかる。
でも、だいたい人生において重要なポジションなんてそんなにたくさんないから、多くは興味を失って年を重ねるものなのだろう。
最高のシナリオを見ることは、はたして幸せなのか、不幸せなのか。
ちょっと残念ではあるけれど、最高のシナリオはその先何十年も反芻して楽しむことができる力を持っているから、それはそれでわたしはけっこう満足だったりする。
(1998年の高校野球も『王様のレストラン』も見直してます^^)
そして、もうひとつ、ああ、これは最高のシナリオだったなと思えるものがある。
『焦がれたいという欲望のもとひとり女性を加える』ことにおいてだ。
もともと『焦がれたい』というのはわたしの願望だった。
『嫉妬に泣き狂いたい』という妄想が、いつしか『焦がれたい』という言葉に集約されていったように思う。
(本来の焦がれるとはニュアンスが違うかもね、嫉妬に身を焦がしたいという感じかな)
那智さんがその願望を叶えようとしてくれて、自分が真剣に取り組めるモカちゃんを選び、嫉妬により彼女を嫌いにならないようなポジションを設定した。
なおかつ彼女にもプラスになるように。
一回だけホテルで会ってみたいなゲストではりん子はもてなすことに精一杯になるし、那智さん自身が真剣に取り組めないことには『泣き狂う』ほどの嫉妬は叶わないと判断したのだろう。
そのためにあり得ないほどの密着した濃密な時間を共にすることでしか作れない関係を那智さんは作ろうとしていた。
あの数ヶ月。
わたしたちは、ほとんど毎日つながっていた。
ランチデートをふくめ週一回はだいたい会い、デートはほぼ毎回3人、一足先にモカちゃんが帰った後の居酒屋での小1時間がふたりの時間。
朝イチからスカイプをつなげ、さんにんで笑い、さんにんで真剣な話をした。
わたしに投げかけることがないような言葉をモカちゃんに発する那智さんを見る。
仕事で参加できないときなどは、どんなふうに那智さんがモカちゃんをかまうのか、もう気が気じゃなかった。
数時間分の会話を遡り嫉妬と苦しさに押しつぶされそうになっていた、そして、その傷に濡れた。
一睡もできない夜というものを覚えている限りふた晩は過ごした。
食欲は落ちていないのに、痩せていった。
わたしはわたしの領域をどんどん浸食されていくようで、那智さんの頭の中のモカちゃん占有率がどんどん増していくようで、本当に恐れれていた。
(モカちゃんは、もともと那智とりん子が好きでいてくれたから、浸食なんていう感覚なかったはずなんだよね)
おそらく、那智さんとの関係が修復可能なぎりぎり限界のところで綱渡りをしているような傷だった。
そして、モカちゃんに嫉妬する申し訳ない気持ちや嫉妬心の醜さの自己嫌悪と、ただの嫉妬だけではない本当に複雑な苦しみも味わった。
これ以上ないくらい、嫉妬して、怯えて、傷ついた。
那智さんが書いた『嫉妬に泣き狂いたい』はモカちゃんという逸材を得て、この上ないシナリオを見せてくれたのだ。
『嫉妬に泣き狂いたい』最高のシナリオ。
そして、これが最高だと思えるには、もうひとつ重要なことがある。
前々エントリー(『ふたつの影』)のようにモカちゃんとわたしたちの時間は笑ってばかりで、それでも切ないものが常に根底に流れているような、なんとも形容しがたい不思議な温かさのある時間だった。
なんなに苦しかったはずなのに、とても楽しかった。
那智さんが作った濃密な時間を共有する関係は修復可能なぎりぎりの傷を作るとともに、他では代え難い心と体の交流を生んだ。
わたしのような過剰な気遣いや自意識や羞恥心を持っている女は、一回だけの3Pなどではリラックスできず、おそらくほとんど楽しめないだろう。
ほぼ毎日1日中つながっているような濃密な交流を持つことで、はじめて解放できたのだと思う。
そんな中わたしに対する性的な行いに抵抗を示さず、むしろ楽しみを見いだしてくれたモカちゃんとの性的な行為はとてもとても気持ちのよいものだった。
人並みに気遣いはするけれど、あの密度の濃い密着状態はひとり加えるという2+1=3とは違うものを作ったと思う。
これが最高に気持ちいいというシナリオ。
『嫉妬に泣き狂いたい』という願望を叶え、なおかつ、その対象の女性と心と体の交流を持つ快感。
切り裂かれるような思いと毛布にくるまって笑い合うようなプラスとマイナスの両極を同時に味わった。
推測の域から出られないけど、あれ以上濃密になったら那智さんに対してどういう感情になったか自信がないし、あれより濃密でなければ特殊な交流は生まれなかったかもしれない。
いまでも那智さんが選んだあの方法がすべてにおいて100点満点だったかどうかは断言はできない。
あの頃の『傷』はもう過去のものになってはいるけど、まるでなかったことのようにはなれないのも本当のこと。
『いろんな意味でのかわいらしさ』という項目ではモカちゃんにはかなわないという、本来ならなかったはずの『相対評価』をみずから植え付けてしまってるのも事実だから。
(これは相対評価は不幸だという思考回路で現在克服中^^)
でも、『焦がれたいという欲望のもとひとり女性を加える』というシナリオにおいて、あれより苦しいことはないだろうし、あれほど心も体も気持ちいいことはないだろうと思うので、最高のシナリオだったといえる。
そのシナリオに乗っかって一緒に過ごしてくれたモカちゃんにあらためて、ありがとう^^
でも、じつはとても残念にも思っている。
なぜなら最高のシナリオを見せてくれてしまったから。
もうわたしは女性をひとり加えることに対してほとんど心が動かない^^;
あんなに傷ついてあんなに気持ちよい思いはできないだろうと思ってしまっている。
どんなに若かろうが美人さんだろうが女の子キャラだろうが、那智さんが誰か他の女性を抱いたとしても、あの傷と苦しさに比べたらナンボのもんじゃいと思う(笑)
わたし、モカちゃんの指より心も体も感じる女性の指ないですよ、とも思う。
(那智さんとの関係が良好に継続する範囲内の)プラスとマイナスの両極を味わってしまったのだ。
それより内側のプラスやマイナスをされても心はクスッとくらいしか動かない。
『焦がれたいという欲望』以外でもとひとり女性を加えるというジャンルで最高のシナリオがあれば、それはまた別のお話だと思いますけど^^
ある意味、肝が据わってしまったというか、ビフォーアフターのアフター状態になってしまったのだ。
とても残念。
いまモカちゃんはわたしたちと面識のある男性と交流を持っています。
その方と交流を持つことでわたしたちには言えなかった(かもしれない)いろいろな感情を話せる機会が持てているのではないかなと思っています。
好き勝手にエントリーに登場させてしまっているモカちゃんの幸せを、どうか、読んでくださっている皆さんも願ってくれるとうれしいです^^
その辺りも回想できる時期になってきたかなと、前々エントリーはそんな気持ちで書いたのでした^^
最高のシナリオを知ってしまうことは幸せか不幸せか?
わたしにとって最高のシナリオはこの先ずっと反芻して楽しめるものなので、残念な気持ちもあるけど、それをときどき引っ張り出して、悶絶してきゅんとなって楽しもうと思っている。
別エントリーのネタにしようと思っていた一部を間違えて載せてしまっていたので削除しました!!
ああ、恥ずかしい^^;
ここにあった文章はいつか別に登場すると思いますので、ご覧になった方は登場したときにほくそ笑んでくださいませ(笑)
今朝の「等式」感想です。
大袈裟ですがあの一時、3人は別の人生を歩んだのかもしれない、あの配役で。りん子の配役は3役はあったのでその分大変だったのかなと思うしその分楽しく苦しかったのだろう。私の考えたポジションに見事にはまってくれ、今でも良好な関係を築けているモカちゃんに感謝!
りん子(^-^)今朝の那智さんの感想「りん子ひとり3役」の答えは…「お姉さん」と「那智さんのりん子」と「お母さん」でした~。
りん子(^-^)じつは、この三番目の「お母さん」の要素がすごく大きくなっていました。モカちゃんに対してお母さんというのではなく、モカちゃんに成長してもらうという那智さんのお父さん役割の強力サポート役ということで「お母さん」。
もうひとつ『モカ』関連のエントリーです。
といっても、モカちゃん自身は登場しないのでカテゴリは『独り言』です。
あまりイメージないかもしれないけど、意外とスポーツ観戦好きなわたし。
サッカーもテニスもF1も、それなりの年数それぞれの選手の個性や歴史などを知って観ているとルールや技術に詳しいわけではなくても、楽しめるものだ。
中でも高校野球は子供の頃から大好き。
古くは、星稜vs箕島の延長18回の死闘から、愛工大明電の工藤やPLのKKコンビ、松井の連続敬遠なんていうのもあったよね。
地元校はもちろん、なんとなく贔屓にしている高校や根拠なくライバル視しちゃっている高校なんかもあって、強豪、古豪、名物監督、負けたら終わりの真剣勝負、ひとつのエラーが試合をひっくり返す厳しさ、どれもドラマがあって毎年楽しみにしたいた。
でも、ある年を境にほとんど観なくなってしまった。
それは1998年夏。
松坂投手率いる横浜高校がPLや明徳義塾など名だたる強豪と対戦し、決勝戦ではノーヒットノーランを達成した年だ。
この年は個人的にもいろいろな思いがあって、子供の頃、どきどきハラハラして次号が楽しみでしかたなかったマンガを読んでいるような夏になった。
でも、あの夏以降、高校野球に対する興味が面白いくらいに失われてしまったのだ。
なぜか。
それは、最高のシナリオを見た気持ちになったから。
テニスだったらウィンブルドンのベスト4、グラフと伊達の雨で順延になった試合、テレビドラマだったら『王様のレストラン』、すべらない話はこの前の小藪さんの『だんじり男』(笑)、映画はまだない^^
もともとテレビドラマにはあまり興味のない人間だったけど、なんていうか、小規模ではあるけど、それぞれに『最高のシナリオ』があって、ああ、これはそうだなって認識することがある。
そして、とても残念なことにそれ以降はもう十分と思えてしまうものなのだ。
最高のシナリオを味わうことはすごく気持ちいい、でも、それ以降興味がなくなってしまう自分が想像できるから、寂しい気持ちにもなる。
そう考えると大人になるということは、最高のシナリオを知っていくということなんだよね。
ということは、わたしたちは最高のシナリオを知ったぶん、年を重ねながらいろいろと興味を持つものが減っていってしまうのだろうか。
それを知ってもなお興味が持てるものがあれば、きっとそれは人生において重要なポジションのものだということはわかる。
でも、だいたい人生において重要なポジションなんてそんなにたくさんないから、多くは興味を失って年を重ねるものなのだろう。
最高のシナリオを見ることは、はたして幸せなのか、不幸せなのか。
ちょっと残念ではあるけれど、最高のシナリオはその先何十年も反芻して楽しむことができる力を持っているから、それはそれでわたしはけっこう満足だったりする。
(1998年の高校野球も『王様のレストラン』も見直してます^^)
そして、もうひとつ、ああ、これは最高のシナリオだったなと思えるものがある。
『焦がれたいという欲望のもとひとり女性を加える』ことにおいてだ。
もともと『焦がれたい』というのはわたしの願望だった。
『嫉妬に泣き狂いたい』という妄想が、いつしか『焦がれたい』という言葉に集約されていったように思う。
(本来の焦がれるとはニュアンスが違うかもね、嫉妬に身を焦がしたいという感じかな)
那智さんがその願望を叶えようとしてくれて、自分が真剣に取り組めるモカちゃんを選び、嫉妬により彼女を嫌いにならないようなポジションを設定した。
なおかつ彼女にもプラスになるように。
一回だけホテルで会ってみたいなゲストではりん子はもてなすことに精一杯になるし、那智さん自身が真剣に取り組めないことには『泣き狂う』ほどの嫉妬は叶わないと判断したのだろう。
そのためにあり得ないほどの密着した濃密な時間を共にすることでしか作れない関係を那智さんは作ろうとしていた。
あの数ヶ月。
わたしたちは、ほとんど毎日つながっていた。
ランチデートをふくめ週一回はだいたい会い、デートはほぼ毎回3人、一足先にモカちゃんが帰った後の居酒屋での小1時間がふたりの時間。
朝イチからスカイプをつなげ、さんにんで笑い、さんにんで真剣な話をした。
わたしに投げかけることがないような言葉をモカちゃんに発する那智さんを見る。
仕事で参加できないときなどは、どんなふうに那智さんがモカちゃんをかまうのか、もう気が気じゃなかった。
数時間分の会話を遡り嫉妬と苦しさに押しつぶされそうになっていた、そして、その傷に濡れた。
一睡もできない夜というものを覚えている限りふた晩は過ごした。
食欲は落ちていないのに、痩せていった。
わたしはわたしの領域をどんどん浸食されていくようで、那智さんの頭の中のモカちゃん占有率がどんどん増していくようで、本当に恐れれていた。
(モカちゃんは、もともと那智とりん子が好きでいてくれたから、浸食なんていう感覚なかったはずなんだよね)
おそらく、那智さんとの関係が修復可能なぎりぎり限界のところで綱渡りをしているような傷だった。
そして、モカちゃんに嫉妬する申し訳ない気持ちや嫉妬心の醜さの自己嫌悪と、ただの嫉妬だけではない本当に複雑な苦しみも味わった。
これ以上ないくらい、嫉妬して、怯えて、傷ついた。
那智さんが書いた『嫉妬に泣き狂いたい』はモカちゃんという逸材を得て、この上ないシナリオを見せてくれたのだ。
『嫉妬に泣き狂いたい』最高のシナリオ。
そして、これが最高だと思えるには、もうひとつ重要なことがある。
前々エントリー(『ふたつの影』)のようにモカちゃんとわたしたちの時間は笑ってばかりで、それでも切ないものが常に根底に流れているような、なんとも形容しがたい不思議な温かさのある時間だった。
なんなに苦しかったはずなのに、とても楽しかった。
那智さんが作った濃密な時間を共有する関係は修復可能なぎりぎりの傷を作るとともに、他では代え難い心と体の交流を生んだ。
わたしのような過剰な気遣いや自意識や羞恥心を持っている女は、一回だけの3Pなどではリラックスできず、おそらくほとんど楽しめないだろう。
ほぼ毎日1日中つながっているような濃密な交流を持つことで、はじめて解放できたのだと思う。
そんな中わたしに対する性的な行いに抵抗を示さず、むしろ楽しみを見いだしてくれたモカちゃんとの性的な行為はとてもとても気持ちのよいものだった。
人並みに気遣いはするけれど、あの密度の濃い密着状態はひとり加えるという2+1=3とは違うものを作ったと思う。
これが最高に気持ちいいというシナリオ。
『嫉妬に泣き狂いたい』という願望を叶え、なおかつ、その対象の女性と心と体の交流を持つ快感。
切り裂かれるような思いと毛布にくるまって笑い合うようなプラスとマイナスの両極を同時に味わった。
推測の域から出られないけど、あれ以上濃密になったら那智さんに対してどういう感情になったか自信がないし、あれより濃密でなければ特殊な交流は生まれなかったかもしれない。
いまでも那智さんが選んだあの方法がすべてにおいて100点満点だったかどうかは断言はできない。
あの頃の『傷』はもう過去のものになってはいるけど、まるでなかったことのようにはなれないのも本当のこと。
『いろんな意味でのかわいらしさ』という項目ではモカちゃんにはかなわないという、本来ならなかったはずの『相対評価』をみずから植え付けてしまってるのも事実だから。
(これは相対評価は不幸だという思考回路で現在克服中^^)
でも、『焦がれたいという欲望のもとひとり女性を加える』というシナリオにおいて、あれより苦しいことはないだろうし、あれほど心も体も気持ちいいことはないだろうと思うので、最高のシナリオだったといえる。
そのシナリオに乗っかって一緒に過ごしてくれたモカちゃんにあらためて、ありがとう^^
でも、じつはとても残念にも思っている。
なぜなら最高のシナリオを見せてくれてしまったから。
もうわたしは女性をひとり加えることに対してほとんど心が動かない^^;
あんなに傷ついてあんなに気持ちよい思いはできないだろうと思ってしまっている。
どんなに若かろうが美人さんだろうが女の子キャラだろうが、那智さんが誰か他の女性を抱いたとしても、あの傷と苦しさに比べたらナンボのもんじゃいと思う(笑)
わたし、モカちゃんの指より心も体も感じる女性の指ないですよ、とも思う。
(那智さんとの関係が良好に継続する範囲内の)プラスとマイナスの両極を味わってしまったのだ。
それより内側のプラスやマイナスをされても心はクスッとくらいしか動かない。
『焦がれたいという欲望』以外でもとひとり女性を加えるというジャンルで最高のシナリオがあれば、それはまた別のお話だと思いますけど^^
ある意味、肝が据わってしまったというか、ビフォーアフターのアフター状態になってしまったのだ。
とても残念。
いまモカちゃんはわたしたちと面識のある男性と交流を持っています。
その方と交流を持つことでわたしたちには言えなかった(かもしれない)いろいろな感情を話せる機会が持てているのではないかなと思っています。
好き勝手にエントリーに登場させてしまっているモカちゃんの幸せを、どうか、読んでくださっている皆さんも願ってくれるとうれしいです^^
その辺りも回想できる時期になってきたかなと、前々エントリーはそんな気持ちで書いたのでした^^
最高のシナリオを知ってしまうことは幸せか不幸せか?
わたしにとって最高のシナリオはこの先ずっと反芻して楽しめるものなので、残念な気持ちもあるけど、それをときどき引っ張り出して、悶絶してきゅんとなって楽しもうと思っている。
別エントリーのネタにしようと思っていた一部を間違えて載せてしまっていたので削除しました!!
ああ、恥ずかしい^^;
ここにあった文章はいつか別に登場すると思いますので、ご覧になった方は登場したときにほくそ笑んでくださいませ(笑)
今朝の「等式」感想です。
大袈裟ですがあの一時、3人は別の人生を歩んだのかもしれない、あの配役で。りん子の配役は3役はあったのでその分大変だったのかなと思うしその分楽しく苦しかったのだろう。私の考えたポジションに見事にはまってくれ、今でも良好な関係を築けているモカちゃんに感謝!
りん子(^-^)今朝の那智さんの感想「りん子ひとり3役」の答えは…「お姉さん」と「那智さんのりん子」と「お母さん」でした~。
りん子(^-^)じつは、この三番目の「お母さん」の要素がすごく大きくなっていました。モカちゃんに対してお母さんというのではなく、モカちゃんに成長してもらうという那智さんのお父さん役割の強力サポート役ということで「お母さん」。
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