怒らない私4
りん子的独り言(生意気)
今回、なぜ「怒らない私」のお話になったかというと、すみれさんの一件で、すみさんとは全然違う次元で、「なぜ私は嫉妬しないのだろう」と思ったから。
すみれさんに対して、すみれさんに接する那智さんに対して、嫉妬の感情がわかないのは、すみれさんへの好意や那智さんへの信頼や願望を叶える目的があるからだと思うけど、それにしても湧かなすぎない?と自問自答してみたの。
過去を思い出し、そのときの感情を整理することで「私は嫉妬しにくい性格」なのではないかと思ったのです。
そして、書いているうちに、「怒れない」じゃなくて「怒る感情が湧きにくい」と思い、更に紐解いて「男女の関係において、もっとも怒らない」ということに気付いたのです。
なぜ?
那智さんの意見はこうです。
私は、その付き合っていた男性たちを見下しているから、怒る感情が湧かないのでは?(『惹かれ合う理由』の『私について(見下しと不安)』をご覧いただけるとわかりやすいです)
真剣に思っていない相手に怒りは湧かないだろうというのです。
「じゃあ、私が那智さんに対して、怒らないのは?」
それは、基本的に那智さんは私に対して「怒り」の感情を持ちたくないそうです。(りん子も同じだと思うけどと言ってました)
そうですね、2人とも基本的に感情的にならずに穏やかでいたいですよね。
そして、相手を信じているだろ?相手がそんなことしないだろうと。
だから、怒りに繋がるような心に引っ掛かる言動や出来事があったときには、まず聞くだろ?
そして、誤解を解いたり、歩み寄ったり、歩み寄れなくても理解し合えるだろ?
そうすれば怒りにならない。(いつかそれでも相容れなくて怒りになることはあるかもしれないけど、いまのところない)
というのが那智さんの見解だ。
だから、何ってことじゃなくて(笑)一見解として載せました。
確かに信頼してます。
私を尊重してくれているだろうと、だから「!?」と思った時は、必ず真意を聞きます。
それを繰り返して、数年。
でもね、私はこうも思うのです。
こう思うとしっくりするのです、人の心理の歪みを楽しむものとしては(笑)
なんでもかんでも父親のせいにするのはいけない?
世の中には、もっともっと悲惨な子供時代を過ごして生き延びてる人もいるから、私のことは「甘い愚痴」くらいのものです。
それでも、結び付けさせて、お父さん!!(ごめんね、お父さん、死人に口無しだとあの世からクレーム来そう、お父さんを批判してるわけじゃないからね。お父さんなりに私を好いていてくれたとも思ってるからね^^)
なぜ、特に「男女の関係」において怒りがわかないのでしょう?
もしかしたら、私は女性として「丁重に扱われる」ことに慣れていないのではないだろうか。
大切にされるべき女だという自尊心が低い。
「怒らない私」でも書いているけど、怒るという感情が湧きにくく、そして、どこかで諦めてる。
尊重されることを諦めてる。
人間、もらいたくてもらいたくてしかたのないものを、欲しい欲しいとあの手この手で訴え懇願して、それでももらえないと、もうそれを諦めてしまうのではないかしら。
欲してももらえないと。
もらえないと諦めたものに対して、それをもらえないと再確認させられても、もう怒りには繋がらないのではないかな。
女の子が幸せな女になるには、父親の「無償の愛」は必要不可欠だ。(『惹かれ合う理由』の『私について(父性とシスターコンプレックス)』や『毛布』などお読みくださいね)
小さな頃に、父親に愛された少女は「私は愛される価値がある」とプライドを持ち、伸び伸びと生きていける。
だから、自分を傷付けるものを判断し、それと戦う勇気を持てるのだ。(岩月謙司さんの本にそんな感じのこと書いてあります)
私は幼い頃その「プライド」をもらえなかった。(何度も言うけど、もっと大変な人はいます。)
だから、私はそれをもらえない女なのだと、諦めてしまっているのではないか。
「女性として尊重される」ことを諦めているから、男女の関係において怒りが湧かないと考えられないかしら。
母からはたくさん愛されてる、姉も私を愛してくれてる。
子供のような父親からもらえなくても、まっとうな人間でいられるほど家族から愛されてた。
だから、「人として」尊重されない事柄には、小さな怒りを持つことができるのだ。(それでも「小さい」なのよね)
総じて自信がないのと、特に男女において諦めているのは、幼い頃に必要だった父親との「疑似恋愛」からもらえる愛情の経験がないからだと思うのだ。
欲しい欲しいと赤ん坊の私は泣いたかもしれない。
でも、いつしか、それは手に入らない「諦めるもの」になった。
と、そんな風に考えると、男女の関係で怒りにくいことに合点がいきませんか。
じゃあ、いまの私はどうでしょう。
相変わらず「怒り」にくいはずだ。
でも、それは決して悪いことじゃない。
私はこの穏やかな自分の性格が好きだ。
よく口を開けば愚痴ばかりの人がいるけど、それより穏やかに暮らせるほうがずっと幸せだもの。
私は、いま、那智さんに対して、私史上一番泣いてる、私史上一番甘えてる、私史上一番生意気言ってる。
訓練して経験してる。
「尊重されること。大切にされること。」
もし那智さんが私を侮辱するようなことがあったら、私は、ちゃんと気付いて絶対諦めず、怒るんだ^^
だから、例え「疑似」とはいえ、「嫉妬の感情を露にできる」であろう、他の女性を交えることは、私にとって大切なことだと思うのだ。
その準備をしているから、すみれさんには嫉妬しないのかな…と思ってる。
はぁ〜、お疲れさまでした。
長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
結論付いていないかもしれないですね〜。
まあ、いっか、許してね。
次またわんこにしようと思ってたけど、これ書いててひとつ思い付いてしまったから、明日は「怒らない私から思うこと」を書きますね。
特殊なエッチを期待されているかた、もう少々お持ちくださいませ^^
今回、なぜ「怒らない私」のお話になったかというと、すみれさんの一件で、すみさんとは全然違う次元で、「なぜ私は嫉妬しないのだろう」と思ったから。
すみれさんに対して、すみれさんに接する那智さんに対して、嫉妬の感情がわかないのは、すみれさんへの好意や那智さんへの信頼や願望を叶える目的があるからだと思うけど、それにしても湧かなすぎない?と自問自答してみたの。
過去を思い出し、そのときの感情を整理することで「私は嫉妬しにくい性格」なのではないかと思ったのです。
そして、書いているうちに、「怒れない」じゃなくて「怒る感情が湧きにくい」と思い、更に紐解いて「男女の関係において、もっとも怒らない」ということに気付いたのです。
なぜ?
那智さんの意見はこうです。
私は、その付き合っていた男性たちを見下しているから、怒る感情が湧かないのでは?(『惹かれ合う理由』の『私について(見下しと不安)』をご覧いただけるとわかりやすいです)
真剣に思っていない相手に怒りは湧かないだろうというのです。
「じゃあ、私が那智さんに対して、怒らないのは?」
それは、基本的に那智さんは私に対して「怒り」の感情を持ちたくないそうです。(りん子も同じだと思うけどと言ってました)
そうですね、2人とも基本的に感情的にならずに穏やかでいたいですよね。
そして、相手を信じているだろ?相手がそんなことしないだろうと。
だから、怒りに繋がるような心に引っ掛かる言動や出来事があったときには、まず聞くだろ?
そして、誤解を解いたり、歩み寄ったり、歩み寄れなくても理解し合えるだろ?
そうすれば怒りにならない。(いつかそれでも相容れなくて怒りになることはあるかもしれないけど、いまのところない)
というのが那智さんの見解だ。
だから、何ってことじゃなくて(笑)一見解として載せました。
確かに信頼してます。
私を尊重してくれているだろうと、だから「!?」と思った時は、必ず真意を聞きます。
それを繰り返して、数年。
でもね、私はこうも思うのです。
こう思うとしっくりするのです、人の心理の歪みを楽しむものとしては(笑)
なんでもかんでも父親のせいにするのはいけない?
世の中には、もっともっと悲惨な子供時代を過ごして生き延びてる人もいるから、私のことは「甘い愚痴」くらいのものです。
それでも、結び付けさせて、お父さん!!(ごめんね、お父さん、死人に口無しだとあの世からクレーム来そう、お父さんを批判してるわけじゃないからね。お父さんなりに私を好いていてくれたとも思ってるからね^^)
なぜ、特に「男女の関係」において怒りがわかないのでしょう?
もしかしたら、私は女性として「丁重に扱われる」ことに慣れていないのではないだろうか。
大切にされるべき女だという自尊心が低い。
「怒らない私」でも書いているけど、怒るという感情が湧きにくく、そして、どこかで諦めてる。
尊重されることを諦めてる。
人間、もらいたくてもらいたくてしかたのないものを、欲しい欲しいとあの手この手で訴え懇願して、それでももらえないと、もうそれを諦めてしまうのではないかしら。
欲してももらえないと。
もらえないと諦めたものに対して、それをもらえないと再確認させられても、もう怒りには繋がらないのではないかな。
女の子が幸せな女になるには、父親の「無償の愛」は必要不可欠だ。(『惹かれ合う理由』の『私について(父性とシスターコンプレックス)』や『毛布』などお読みくださいね)
小さな頃に、父親に愛された少女は「私は愛される価値がある」とプライドを持ち、伸び伸びと生きていける。
だから、自分を傷付けるものを判断し、それと戦う勇気を持てるのだ。(岩月謙司さんの本にそんな感じのこと書いてあります)
私は幼い頃その「プライド」をもらえなかった。(何度も言うけど、もっと大変な人はいます。)
だから、私はそれをもらえない女なのだと、諦めてしまっているのではないか。
「女性として尊重される」ことを諦めているから、男女の関係において怒りが湧かないと考えられないかしら。
母からはたくさん愛されてる、姉も私を愛してくれてる。
子供のような父親からもらえなくても、まっとうな人間でいられるほど家族から愛されてた。
だから、「人として」尊重されない事柄には、小さな怒りを持つことができるのだ。(それでも「小さい」なのよね)
総じて自信がないのと、特に男女において諦めているのは、幼い頃に必要だった父親との「疑似恋愛」からもらえる愛情の経験がないからだと思うのだ。
欲しい欲しいと赤ん坊の私は泣いたかもしれない。
でも、いつしか、それは手に入らない「諦めるもの」になった。
と、そんな風に考えると、男女の関係で怒りにくいことに合点がいきませんか。
じゃあ、いまの私はどうでしょう。
相変わらず「怒り」にくいはずだ。
でも、それは決して悪いことじゃない。
私はこの穏やかな自分の性格が好きだ。
よく口を開けば愚痴ばかりの人がいるけど、それより穏やかに暮らせるほうがずっと幸せだもの。
私は、いま、那智さんに対して、私史上一番泣いてる、私史上一番甘えてる、私史上一番生意気言ってる。
訓練して経験してる。
「尊重されること。大切にされること。」
もし那智さんが私を侮辱するようなことがあったら、私は、ちゃんと気付いて絶対諦めず、怒るんだ^^
だから、例え「疑似」とはいえ、「嫉妬の感情を露にできる」であろう、他の女性を交えることは、私にとって大切なことだと思うのだ。
その準備をしているから、すみれさんには嫉妬しないのかな…と思ってる。
はぁ〜、お疲れさまでした。
長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
結論付いていないかもしれないですね〜。
まあ、いっか、許してね。
次またわんこにしようと思ってたけど、これ書いててひとつ思い付いてしまったから、明日は「怒らない私から思うこと」を書きますね。
特殊なエッチを期待されているかた、もう少々お持ちくださいませ^^
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COMMENT
自尊心の低さ、自信の無さからきてるんですよね。同感します。こんな私を使って貰えるだけで喜んでます。怒る感情なんて皆無です。
ももさん
わたし、ブログ内で『自信がない』と表現している箇所はいくつかあると思いますが、自信はないことはないんだす^^;
厳密にいうと愛される価値がないと思っている。
それは自分がダメなのではなくて、ただ『そういうもの』なんだろうという、ある意味奇妙な自信がありました(笑)
裏返せば、わたしが人を愛する能力がないと思っていたような気もします。
だから、怒らないのは遜るような感情ではなく、諦めのような感情でした。
だからね、ももさんのような使ってもらうだけで喜ぶという回路はなかったな、もしろそういう扱いをする男性をバカにしていました。
うまく説明できていないけど、お互い、なかなか厄介ですね^^;
わたし、ブログ内で『自信がない』と表現している箇所はいくつかあると思いますが、自信はないことはないんだす^^;
厳密にいうと愛される価値がないと思っている。
それは自分がダメなのではなくて、ただ『そういうもの』なんだろうという、ある意味奇妙な自信がありました(笑)
裏返せば、わたしが人を愛する能力がないと思っていたような気もします。
だから、怒らないのは遜るような感情ではなく、諦めのような感情でした。
だからね、ももさんのような使ってもらうだけで喜ぶという回路はなかったな、もしろそういう扱いをする男性をバカにしていました。
うまく説明できていないけど、お互い、なかなか厄介ですね^^;