わたしの本音
りん子的独り言(エラそう)
本音って、なんだろう。
辞書引いていないから感覚だけど、まあ、ウソのない気持ちとか、本当に感じたこととかだよね。
でね、わたし、この本音というものが、じつは好きではない。
厳密にいうと『本音』という言葉から連想されるものが好きではないのだ。
皆さんは『本音』からどんなことを想像するかなぁ。
わたしはね、マイナス感情を相手に伝えることを想像しちゃうんだ。
あなたが大好き。
あなたは可愛いい!!
あなたは頼れる!!!!
これを伝えるときに『本音』をいうとかぶつけるというイメージには、あまりならない。
(譲歩して『本音をいう』はまだアリかなとは思うけど、それでも違和感あるな)
言いにくいことや、本当は言わないほうがいいけどみたいな、マイナスをいうことで使うほうが多いと思う。
まあ、本音の解釈が正しいかどうかは置いておいて。
わたしはマイナス感情が湧いても、ほとんど言わないんだ。
「今日は寒くて、やーねー」とか「日本の政治はなっとらん!!」みたいなことまでマイナス感情と言ってしまえば、それは言うけど(笑)
こと対人においてのそれは言わない。
その人の言動にマイナスの感情が湧いたとして、それを言われるほうも言うほうも、あまりうれしいことではないよね。
そういう『いい人』的な理由から言いたくないことはもちろんだけど、もっと限度を超えたレベルでかなり極端なほど言いたないのだということも自覚している。
『いい人』的な部分以外に、おそらくHSPに近いような感覚がそうさせているのではないかと思っている。
わたしは自分や人のマイナス感情に過敏なのだと思う。
そのダメージを極力避けたいという防衛本能も働いているのだろう。
(だから『極端』であることも自覚しているので許して 笑)
じゃあ、仮にわたしが相対する人の言動にマイナス感情を抱いたらどうするか。
わたしが対人において『?!』と思うようなマイナス感情が湧いたときは、まず一旦持ち帰る。
そして、5日くらい熟慮する。(5日は比喩^^)
『感情のスタート』を見極めるの。
そうすると大抵のことは、自分のバイオリズムや、ただの誤解や、相手に対する感情(好意、嫌悪、嫉妬など)が理由だったりすることを理解できるのよ。
で、ほとんどの場合許せてしまうんだよね。
「あ〜、◯さんもちょっと忙しかったんだな」とか「そうか、その前にわたしイヤなことあったからか」とか、ただ単に「わたしは◯さんが羨ましいってだけだ^^;」とかね。
あんなふうに言ったのは何か理由があったんだろうなとか、その部分はわたしとは違うんだなとか、そんなふうに気持ちを治めることができるのだ。
残るのは、あなたと快適でいたいという気持ちだけ。
わたしにとっての『本音』とは、ここまで掘り下げてはじめて『本音』になるのよ。
これだと相手にマイナス感情を伝える必要がなくなるのだよね。
わたしはこうやって他者と関わりを持ち、このわたしを信頼してくれる人と関係を深めている。
だから、言わない。
さて、ここからはめずらしく『本音』を言わせていただければ。
「あなたの言動に対してわたしはこんなマイナス感情を抱きました」と伝える意味ってなんだろう。
それを伝えることで、相手が良いほうに変わるから?
自分の思いを知ってもらって理解を深めたい?
人って、そんなことくらいじゃ変わらないよね。
(そもそも『良い』の基準だって曖昧)
仮にその人がマイナスに思ったことを知ったとしても理解が深まるとは思わない、ああ、そういうことをマイナスに感じるんだったら、次からは違う接し方をしようと言った人に対しての対策にはなる程度。
でも、それって、言われたほうが言ったほうに気を使うことになるだけで、本質になんら変化はないんだよね。
じゃあ、なんだろう。
これはわたし個人の感覚とご承知いただきたいのだけど。
人にマイナス感情を伝えるのって、結局、本人がスッキリしたいだけのように感じちゃうんだ。
謝罪させたいのか、弁明を聞いて納得したいのか、言い返されて言い返したいのか、とにかく、言う方の釈然としない気持ちをスッキリさせるための行為に思えてしまうんだ。
わたしは自分がスッキリするために相手にイヤな思いはさせたくないし、無意識にも溜飲を下げた自分を恥じる。
マイナス感情を人に言うのは、どうしても『感情のスタート』が感じられないの。
わっと湧いた気持ちを、そのまま放っているように思えてしまう。
自分がスッキリしたいだけの行為に見えちゃうんだ。
ぶつけたほうはスッキリするかもしれないけど、ぶつけられたほうはたまらないよね。
だから、好きじゃない。
できるだけマイナス感情は伝えたくない、そのほうがお互い快適だし、じつは伝えることにあまり意味がないと思っている。
スッキリする以外の意味がほとんど見つけられないのよ、わたしには。
人によって関係や信頼の構築の方法はいろいろだよね。
世間一般では『本音』を言うほうが正しいとされているけどね、たとえ善意からの忠告のつもりだったとしても、誰でも言いたいことを言えるってわけじゃないよね。
(でも、『善意』っていうのも、けっこう厄介)
それぞれの特性で、ぶつけることができない人だっている。
わたしのように『感情のスタート』を見極め過ぎて、言わない人だっている^^;
マイナス感情は深くまで潜り、そこで判断する。
で、ほとんどの場合許せちゃう。
好意を抱いていれば、とくに。
わたしは許し合える関係のほうがすき。
これが、わたしの本音^^
そうはいったって。
打撃は鞭がいいか?!
いや、手のひらの質感がいい!!
みたいな意見交換は、大好きよ(笑)
それでもどうしてもマイナス感情を伝えないといけない場合はある。
とくに那智さんのように絶対関係を良好でいたい人には。
それでも、まず最初は伝える前になぜ、その言動になったのか、理由を聞く。
(これも滅多にないけどね、モカちゃんやmineさんにしたように)
そうするとだいたい収まるんだ。
でね、その確認するときや、那智さんにどうしてもマイナス感情を伝えたいときに、ひとつのボーダーラインがあるの。
そのラインはまた次のエントリーにします。
ということで、『本音をぶつける』の2種類についてはこの後のエントリーにお友達のmineさんとの間で明確になったお話^^
<関連エントリー>
関連エントリー、いっぱい^^;
でも、『等式』及びわたしへの理解として読んでいただけるとうれしいです(でも、いっぱい過ぎるな〜^^;;)
HSP
『女の子』の正体(仮)
チューニング
感情のスタートっぽいお話
感情のスタート
続・感情のスタート
思考のお散歩
人生相談
優しいほうを選ぶ
肯定女
肯定女の抵抗(笑)
肯定女の開き直り(笑)
『女の子』の正体
本音をぶつけるだけが正解じゃないよね
球体
善意って厄介
善意
集団の善意
親しいモカちゃんやmineさんには確認します、たまに
等式の意味
「等式」感想です。「本音」=意思の疎通かな。自分が相手に対してどのくらい意思を伝えたいか?好きでも、嫌いでもない価値観で自分の意思を相手に対して伝えたい「度数」その声の「音」が小さいか大きいか?(^-^)伝わるかな〰
本音って、なんだろう。
辞書引いていないから感覚だけど、まあ、ウソのない気持ちとか、本当に感じたこととかだよね。
でね、わたし、この本音というものが、じつは好きではない。
厳密にいうと『本音』という言葉から連想されるものが好きではないのだ。
皆さんは『本音』からどんなことを想像するかなぁ。
わたしはね、マイナス感情を相手に伝えることを想像しちゃうんだ。
あなたが大好き。
あなたは可愛いい!!
あなたは頼れる!!!!
これを伝えるときに『本音』をいうとかぶつけるというイメージには、あまりならない。
(譲歩して『本音をいう』はまだアリかなとは思うけど、それでも違和感あるな)
言いにくいことや、本当は言わないほうがいいけどみたいな、マイナスをいうことで使うほうが多いと思う。
まあ、本音の解釈が正しいかどうかは置いておいて。
わたしはマイナス感情が湧いても、ほとんど言わないんだ。
「今日は寒くて、やーねー」とか「日本の政治はなっとらん!!」みたいなことまでマイナス感情と言ってしまえば、それは言うけど(笑)
こと対人においてのそれは言わない。
その人の言動にマイナスの感情が湧いたとして、それを言われるほうも言うほうも、あまりうれしいことではないよね。
そういう『いい人』的な理由から言いたくないことはもちろんだけど、もっと限度を超えたレベルでかなり極端なほど言いたないのだということも自覚している。
『いい人』的な部分以外に、おそらくHSPに近いような感覚がそうさせているのではないかと思っている。
わたしは自分や人のマイナス感情に過敏なのだと思う。
そのダメージを極力避けたいという防衛本能も働いているのだろう。
(だから『極端』であることも自覚しているので許して 笑)
じゃあ、仮にわたしが相対する人の言動にマイナス感情を抱いたらどうするか。
わたしが対人において『?!』と思うようなマイナス感情が湧いたときは、まず一旦持ち帰る。
そして、5日くらい熟慮する。(5日は比喩^^)
『感情のスタート』を見極めるの。
そうすると大抵のことは、自分のバイオリズムや、ただの誤解や、相手に対する感情(好意、嫌悪、嫉妬など)が理由だったりすることを理解できるのよ。
で、ほとんどの場合許せてしまうんだよね。
「あ〜、◯さんもちょっと忙しかったんだな」とか「そうか、その前にわたしイヤなことあったからか」とか、ただ単に「わたしは◯さんが羨ましいってだけだ^^;」とかね。
あんなふうに言ったのは何か理由があったんだろうなとか、その部分はわたしとは違うんだなとか、そんなふうに気持ちを治めることができるのだ。
残るのは、あなたと快適でいたいという気持ちだけ。
わたしにとっての『本音』とは、ここまで掘り下げてはじめて『本音』になるのよ。
これだと相手にマイナス感情を伝える必要がなくなるのだよね。
わたしはこうやって他者と関わりを持ち、このわたしを信頼してくれる人と関係を深めている。
だから、言わない。
さて、ここからはめずらしく『本音』を言わせていただければ。
「あなたの言動に対してわたしはこんなマイナス感情を抱きました」と伝える意味ってなんだろう。
それを伝えることで、相手が良いほうに変わるから?
自分の思いを知ってもらって理解を深めたい?
人って、そんなことくらいじゃ変わらないよね。
(そもそも『良い』の基準だって曖昧)
仮にその人がマイナスに思ったことを知ったとしても理解が深まるとは思わない、ああ、そういうことをマイナスに感じるんだったら、次からは違う接し方をしようと言った人に対しての対策にはなる程度。
でも、それって、言われたほうが言ったほうに気を使うことになるだけで、本質になんら変化はないんだよね。
じゃあ、なんだろう。
これはわたし個人の感覚とご承知いただきたいのだけど。
人にマイナス感情を伝えるのって、結局、本人がスッキリしたいだけのように感じちゃうんだ。
謝罪させたいのか、弁明を聞いて納得したいのか、言い返されて言い返したいのか、とにかく、言う方の釈然としない気持ちをスッキリさせるための行為に思えてしまうんだ。
わたしは自分がスッキリするために相手にイヤな思いはさせたくないし、無意識にも溜飲を下げた自分を恥じる。
マイナス感情を人に言うのは、どうしても『感情のスタート』が感じられないの。
わっと湧いた気持ちを、そのまま放っているように思えてしまう。
自分がスッキリしたいだけの行為に見えちゃうんだ。
ぶつけたほうはスッキリするかもしれないけど、ぶつけられたほうはたまらないよね。
だから、好きじゃない。
できるだけマイナス感情は伝えたくない、そのほうがお互い快適だし、じつは伝えることにあまり意味がないと思っている。
スッキリする以外の意味がほとんど見つけられないのよ、わたしには。
人によって関係や信頼の構築の方法はいろいろだよね。
世間一般では『本音』を言うほうが正しいとされているけどね、たとえ善意からの忠告のつもりだったとしても、誰でも言いたいことを言えるってわけじゃないよね。
(でも、『善意』っていうのも、けっこう厄介)
それぞれの特性で、ぶつけることができない人だっている。
わたしのように『感情のスタート』を見極め過ぎて、言わない人だっている^^;
マイナス感情は深くまで潜り、そこで判断する。
で、ほとんどの場合許せちゃう。
好意を抱いていれば、とくに。
わたしは許し合える関係のほうがすき。
これが、わたしの本音^^
そうはいったって。
打撃は鞭がいいか?!
いや、手のひらの質感がいい!!
みたいな意見交換は、大好きよ(笑)
それでもどうしてもマイナス感情を伝えないといけない場合はある。
とくに那智さんのように絶対関係を良好でいたい人には。
それでも、まず最初は伝える前になぜ、その言動になったのか、理由を聞く。
(これも滅多にないけどね、モカちゃんやmineさんにしたように)
そうするとだいたい収まるんだ。
でね、その確認するときや、那智さんにどうしてもマイナス感情を伝えたいときに、ひとつのボーダーラインがあるの。
そのラインはまた次のエントリーにします。
ということで、『本音をぶつける』の2種類についてはこの後のエントリーにお友達のmineさんとの間で明確になったお話^^
<関連エントリー>
関連エントリー、いっぱい^^;
でも、『等式』及びわたしへの理解として読んでいただけるとうれしいです(でも、いっぱい過ぎるな〜^^;;)
HSP
『女の子』の正体(仮)
チューニング
感情のスタートっぽいお話
感情のスタート
続・感情のスタート
思考のお散歩
人生相談
優しいほうを選ぶ
肯定女
肯定女の抵抗(笑)
肯定女の開き直り(笑)
『女の子』の正体
本音をぶつけるだけが正解じゃないよね
球体
善意って厄介
善意
集団の善意
親しいモカちゃんやmineさんには確認します、たまに
等式の意味
「等式」感想です。「本音」=意思の疎通かな。自分が相手に対してどのくらい意思を伝えたいか?好きでも、嫌いでもない価値観で自分の意思を相手に対して伝えたい「度数」その声の「音」が小さいか大きいか?(^-^)伝わるかな〰