『女の子』の正体(仮)
りん子的独り言(エラそう)
最近、HSP(Highly Sensitive Person)という言葉を知った。
直訳すると「敏感すぎる人」という意味。
病気や障害というものではなく『資質』くらいのものだと認識していますが、とにかく些細なことでも敏感に感じ取ってしまう人を指すそうです。
その刺激とは視覚や聴覚などの五感や、人の感情などの第六感的なものと様々で普通の人にはスルーできるような刺激が負担のかかるほどの刺激になってしまうらしい。
ただ、5人に1人はその資質を持っているそうなので、強弱はあれ、案外多いのかもしれない。
大きな音に必要以上に驚いたり、洋服のタグのチクチクが過剰に気になったり、人の感情を察知する能力に長けているゆえに悪意や怒りを敏感に察知して、それに触れると激しく動揺したり、感受性が豊かだといえば聞こえはいいけれど、それが過ぎる性質を指している。
わたしの話になるけど、他の人からしたら大したことないことでもとても気になったり傷ついたりしてきて、自分は弱い人間だと思ってきたけど、あるときそれはただ単にアンテナの感度が良すぎるからではないかと気づいた。
そして、それは悪いことばかりではなく良いこともたくさん拾えるから、それほど卑下することはないと思えるようになったことはエントリーに書いてある。(『チューニング』)
それからは、自分のこのアンテナの感度がむしろ好きになり、それと共に、自分を知ることで対処法も考えられるようになった。
いまでも相変わらず、大きな音や驚くことは苦手だし、チクチクも気になるし、イライラしている人のそばにいると動悸が起こるけど、対処法がわかればずっと生きることがラクになっている。
(電車で隣りの人が貧乏ゆすりしているだけで、ドキドキしちゃうんだよね)
HSPの度合いが強い人は食べ物にも反応したり、人ごみなどで疲労も激しいようだから、わたしの場合はせいぜい『その傾向がある』程度のものだと思っている。
HSPそのものだとは思わないけど、わたしのアンテナの感度と同じような概念があり、名称がついたことになんだかとても安堵した。
こじつけを承知で言わせていただけば、赤ちゃんのときから夜泣きが激しかったり、小さい頃は登校拒否していたりしたのは、もしかしたら、外部からの刺激に過敏に反応してしまっていたのかもしれないななんて思ったりする。
とにかく、自分の不具合に名前がつくのは、安心するね^^
でも、前エントリーにも書いたように、名前がついたからそれでおしまいではないと思っています。
名前がついた安心感は、そこから人を動けなくします。
無意識のうちに今度はそれに自分を当てはめようとしてしまうからです。
安心感を得ることは最初のうちは大切だけど、ある時期を過ぎたら、そこから動かないのはあまり幸せなやり方ではないですよね。
同じようなところはあるけど違うところもある。
じゃあ、違うところの、それはなんだろうって、また海に潜る。
自分を知る壮大な冒険^^
何かに当てはめてしまうのはラクだし安心だけど、自分を知るチャンスを逃しているんだよ、それはとってももったいないのだ^^
自分の内側で七転八倒して見つけ出した『アンテナ』と似た概念があった。
それはわたしをとても安心させてくれた。
でも、その殻もまた叩き壊して、もっとわたしを知っていくんだ^^
ところで、わたしの場合、アンテナの感度に気づいたこともそれも悪くないと思えるようになったのも、那智さんのおかげだ。
那智さんは出会った本当にはじめの頃から「りん子の感性はいい」と言い続けてくれたから自分の感受性について思考を巡らすことができた。
那智さんはわたしの『外側』だと書いたことがある。
それ以外にも何か実体のない感覚的なものを那智さんに守ってもらっていることを『父性』や『女の子』と名付けて書いてきた。
那智さんに感じていたものは、もしかしたら、このわたしの敏感すぎる特性を認め伸ばし、そして守ってもらっていることだったのだろう。
那智さんと似たような男性もいるだろうし、那智さんより良い部分を持っている男性もいるだろう、だけど『那智さん』がいいのは、わたしのこの部分をプラスだと捉えてくれているからなのだろうな。
そして、わたしが那智さんと一緒にいてこんなにもこんなにも安心するのは、ほとんど完璧に那智さんはわたしに対して怒りやイライラの感情をぶつけないから。
そして、それと同じくらい、ほとんど完璧にわたしに対して悪意を持たないでいてくれるからだ。
自分を知っていくことは好きな人の好きな理由も知ることができる。
そんな利点もあるのだ^^
このHSPという概念(わたしにとってはあくまでも『概念』です^^)、まだちょっと明確に言語化できていないからモヤモヤしているけれど、ずいぶん、これが『核』のように思えてきている。
敏感過ぎる感受性、『女の子』はこれかもしれない。
わたしと同じように些細なことを敏感に感じ取ってしまう人。
昔から「弱い」とか「神経質」とか言われてきた人。
もしかしたら、これかもしれないね。
だとしたら、それは弱いのではなく感度がいいだって思えるといいよね。
人の心の機微に気づける人だと思えるといいよね。
自分をダメな人だと思わないでいたいね。
マイナスなことに敏感だけど、人よりも多くプラスのことにも気づけるのだと信じ、その能力を思う存分活かして豊かに生きましょうね。
で、もっと自分を知る冒険を続けよう^^
<関連エントリー>
チューニング
成績表
球体
海の底
「等式」感想です。難しいです。「弱い」「神経質」な人とわがまま、協調性が無い人と区別が出来るのか?そして、周囲はそれを区別し対応するべきなのか?HSPの人がそのまま生きていけるのかは環境が許容するかではないか、ダメなら自分が慣れてアンテナの感度を下げる努力をしないと生きにくい。
りん子と共にいると、彼女のアンテナの感度を下げるか、多少大変な状況を甘受するかの選択を迫られる場面が希にある。99%甘受している。(笑)
りん子(^-^)HSPかどうかというより、負でしかなかったものに正の側面があるのではないかと探り当てたものと同じような概念があったということが、わたしにとっては重要でした。 だって、案外、大雑把なところもあったりするからね、敏感だけじゃなかったりなんだもん(笑)
最近、HSP(Highly Sensitive Person)という言葉を知った。
直訳すると「敏感すぎる人」という意味。
病気や障害というものではなく『資質』くらいのものだと認識していますが、とにかく些細なことでも敏感に感じ取ってしまう人を指すそうです。
その刺激とは視覚や聴覚などの五感や、人の感情などの第六感的なものと様々で普通の人にはスルーできるような刺激が負担のかかるほどの刺激になってしまうらしい。
ただ、5人に1人はその資質を持っているそうなので、強弱はあれ、案外多いのかもしれない。
大きな音に必要以上に驚いたり、洋服のタグのチクチクが過剰に気になったり、人の感情を察知する能力に長けているゆえに悪意や怒りを敏感に察知して、それに触れると激しく動揺したり、感受性が豊かだといえば聞こえはいいけれど、それが過ぎる性質を指している。
わたしの話になるけど、他の人からしたら大したことないことでもとても気になったり傷ついたりしてきて、自分は弱い人間だと思ってきたけど、あるときそれはただ単にアンテナの感度が良すぎるからではないかと気づいた。
そして、それは悪いことばかりではなく良いこともたくさん拾えるから、それほど卑下することはないと思えるようになったことはエントリーに書いてある。(『チューニング』)
それからは、自分のこのアンテナの感度がむしろ好きになり、それと共に、自分を知ることで対処法も考えられるようになった。
いまでも相変わらず、大きな音や驚くことは苦手だし、チクチクも気になるし、イライラしている人のそばにいると動悸が起こるけど、対処法がわかればずっと生きることがラクになっている。
(電車で隣りの人が貧乏ゆすりしているだけで、ドキドキしちゃうんだよね)
HSPの度合いが強い人は食べ物にも反応したり、人ごみなどで疲労も激しいようだから、わたしの場合はせいぜい『その傾向がある』程度のものだと思っている。
HSPそのものだとは思わないけど、わたしのアンテナの感度と同じような概念があり、名称がついたことになんだかとても安堵した。
こじつけを承知で言わせていただけば、赤ちゃんのときから夜泣きが激しかったり、小さい頃は登校拒否していたりしたのは、もしかしたら、外部からの刺激に過敏に反応してしまっていたのかもしれないななんて思ったりする。
とにかく、自分の不具合に名前がつくのは、安心するね^^
でも、前エントリーにも書いたように、名前がついたからそれでおしまいではないと思っています。
名前がついた安心感は、そこから人を動けなくします。
無意識のうちに今度はそれに自分を当てはめようとしてしまうからです。
安心感を得ることは最初のうちは大切だけど、ある時期を過ぎたら、そこから動かないのはあまり幸せなやり方ではないですよね。
同じようなところはあるけど違うところもある。
じゃあ、違うところの、それはなんだろうって、また海に潜る。
自分を知る壮大な冒険^^
何かに当てはめてしまうのはラクだし安心だけど、自分を知るチャンスを逃しているんだよ、それはとってももったいないのだ^^
自分の内側で七転八倒して見つけ出した『アンテナ』と似た概念があった。
それはわたしをとても安心させてくれた。
でも、その殻もまた叩き壊して、もっとわたしを知っていくんだ^^
ところで、わたしの場合、アンテナの感度に気づいたこともそれも悪くないと思えるようになったのも、那智さんのおかげだ。
那智さんは出会った本当にはじめの頃から「りん子の感性はいい」と言い続けてくれたから自分の感受性について思考を巡らすことができた。
那智さんはわたしの『外側』だと書いたことがある。
それ以外にも何か実体のない感覚的なものを那智さんに守ってもらっていることを『父性』や『女の子』と名付けて書いてきた。
那智さんに感じていたものは、もしかしたら、このわたしの敏感すぎる特性を認め伸ばし、そして守ってもらっていることだったのだろう。
那智さんと似たような男性もいるだろうし、那智さんより良い部分を持っている男性もいるだろう、だけど『那智さん』がいいのは、わたしのこの部分をプラスだと捉えてくれているからなのだろうな。
そして、わたしが那智さんと一緒にいてこんなにもこんなにも安心するのは、ほとんど完璧に那智さんはわたしに対して怒りやイライラの感情をぶつけないから。
そして、それと同じくらい、ほとんど完璧にわたしに対して悪意を持たないでいてくれるからだ。
自分を知っていくことは好きな人の好きな理由も知ることができる。
そんな利点もあるのだ^^
このHSPという概念(わたしにとってはあくまでも『概念』です^^)、まだちょっと明確に言語化できていないからモヤモヤしているけれど、ずいぶん、これが『核』のように思えてきている。
敏感過ぎる感受性、『女の子』はこれかもしれない。
わたしと同じように些細なことを敏感に感じ取ってしまう人。
昔から「弱い」とか「神経質」とか言われてきた人。
もしかしたら、これかもしれないね。
だとしたら、それは弱いのではなく感度がいいだって思えるといいよね。
人の心の機微に気づける人だと思えるといいよね。
自分をダメな人だと思わないでいたいね。
マイナスなことに敏感だけど、人よりも多くプラスのことにも気づけるのだと信じ、その能力を思う存分活かして豊かに生きましょうね。
で、もっと自分を知る冒険を続けよう^^
<関連エントリー>
チューニング
成績表
球体
海の底
「等式」感想です。難しいです。「弱い」「神経質」な人とわがまま、協調性が無い人と区別が出来るのか?そして、周囲はそれを区別し対応するべきなのか?HSPの人がそのまま生きていけるのかは環境が許容するかではないか、ダメなら自分が慣れてアンテナの感度を下げる努力をしないと生きにくい。
りん子と共にいると、彼女のアンテナの感度を下げるか、多少大変な状況を甘受するかの選択を迫られる場面が希にある。99%甘受している。(笑)
りん子(^-^)HSPかどうかというより、負でしかなかったものに正の側面があるのではないかと探り当てたものと同じような概念があったということが、わたしにとっては重要でした。 だって、案外、大雑把なところもあったりするからね、敏感だけじゃなかったりなんだもん(笑)
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COMMENT
。。。得てしてそのアンテナは《負の利得》しか受信しなかったり。
ゆう。さん
うん、そうなんだよね。
敏感であればある人ほど、負の強さに潰されてしまう気がする。
でも、きっと正のほうも拾えているはずだって思えたらいいのになって思うのです^^
うん、そうなんだよね。
敏感であればある人ほど、負の強さに潰されてしまう気がする。
でも、きっと正のほうも拾えているはずだって思えたらいいのになって思うのです^^