mineさん1(『ぶつける』について)
りん子的独り言(エラそう)
前エントリーから読んでいただけるほうが理解度が上がります^^
mineさんがエントリーを書いてくれた。
わたしとの間に流れるわたしたち独自のお話。
(そういうものは他の友達との間にも、それぞれあるよね)
エントリーに書いてあるように、あるときmineさんはわたしのブログと距離を置きたいと話したことがあった。
それはmineさんが感じる『わたし』の変化について行かれなかったそうなのだけど、理由は、まあ、この際は置いといて(笑)
わたしにとってブログはわたしを作る大事な一部であるから、読んでくれないのはとてもとても残念には思ったけど、ご自分の心を見つめ、わたしと良好な関係でいるための立ち位置を考えてくれることのほうが良いと思って受け入れた。
そして、その後も誘っていただく度にランチを楽しんだ。
一番優先することは何か?ということだと思う。
以前、モカちゃんを含む人たちも、ご自分の心を見つめ『等式』から離れる時期を作ってくれたことも同じでね。
(すこし先の未来)
ここに登場している人たちに共通することは、自分も相手(わたし)も傷つけないようにすることを優先してくれたこと。
『等式』を読んで心が乱れる時期にも読み続けることはご自分を傷つけるし、それがわたしへの無意識の攻撃に転じてしまう可能性だってある。
そうしないために、適切な距離を計ってくれたことが共通していること。
わたしはモカちゃんたちと同じでそっと離れ、後日戻れたときに「あのときはね(笑)」って笑い話にするやり方を取るほうだけど、mineさんの違うところは、わたしに説明したところだ。
それをmineさんは『感情をぶつけた』というようにおっしゃっている。
たしかに、しばらくブログは読めませんなんて伝えることは、こちらを傷つけかねないもの。
でも、じつは傷ついていないし、ぶつけられたと思っていないんだ(残念だとはかなり思ったけど)。
なぜなら、mineさんは感情を説明してくれただけだから。
ここに大きな違いが、わたしにとってはある。
人にマイナス事項を伝えるとき、mineさんのように自分の感情や行動だけを伝える人と、そこに自分の正義をつけ加えてしまう人といる。
この違いがわたしのボーダーラインなの。
mineさんは『りん子さんのブログを読むのが辛くなるからしばらく読まない』と感情と行動を説明してくれたけど、たとえばそこに
本当は◯◯であるべきなのに、あんなことを書くのはよくない、だからブログとは距離を置きたい
そんな言葉があったら。
わたしにとっては『ぶつける』になるのです。
自分の正義と相手の否定はわりとセットになっているもので、結局正義を解くことはイコール相手を否定することになるのだよね。
これだと前エントリーに書いたみたいにただスッキリしたいだけである場合が多いとわたしは感じてしまうの。
人と関係を深めたい、理解を深めたいと思うとき、自分の感情と行動を説明するだけで充分。
自分の正解を主張する必要はない。
mineさんは正義を振りかざし溜飲を下げるようなことはしない、ご自分の感情を説明してくれるだけだ。
それがわかっている、無意識だとしても、わかっている感性が好きだからわたしはmineさんとお友達なのです^^
で、わたしの友達はこういう人ばかり^^
否定し合わず重ねた関係は優しくて温かく、何かあったら力になってくれるという心強い信頼にもなのです。
本音、またはマイナス感情を伝えるときの伝え方がわたしのボーダーラインなのでした^^
えっと、わたしがブログでわたしなりの主張をするのは『ブログ』だからですよ〜。
それでも、自分の正解は語るけど、他の否定はしないようにしているつもりです。
『1』ということは『2』もあるのですが、趣向がガラリと変わります^^
<関連エントリー>
信頼は寛容を生む
前エントリーから読んでいただけるほうが理解度が上がります^^
mineさんがエントリーを書いてくれた。
わたしとの間に流れるわたしたち独自のお話。
(そういうものは他の友達との間にも、それぞれあるよね)
エントリーに書いてあるように、あるときmineさんはわたしのブログと距離を置きたいと話したことがあった。
それはmineさんが感じる『わたし』の変化について行かれなかったそうなのだけど、理由は、まあ、この際は置いといて(笑)
わたしにとってブログはわたしを作る大事な一部であるから、読んでくれないのはとてもとても残念には思ったけど、ご自分の心を見つめ、わたしと良好な関係でいるための立ち位置を考えてくれることのほうが良いと思って受け入れた。
そして、その後も誘っていただく度にランチを楽しんだ。
一番優先することは何か?ということだと思う。
以前、モカちゃんを含む人たちも、ご自分の心を見つめ『等式』から離れる時期を作ってくれたことも同じでね。
(すこし先の未来)
ここに登場している人たちに共通することは、自分も相手(わたし)も傷つけないようにすることを優先してくれたこと。
『等式』を読んで心が乱れる時期にも読み続けることはご自分を傷つけるし、それがわたしへの無意識の攻撃に転じてしまう可能性だってある。
そうしないために、適切な距離を計ってくれたことが共通していること。
わたしはモカちゃんたちと同じでそっと離れ、後日戻れたときに「あのときはね(笑)」って笑い話にするやり方を取るほうだけど、mineさんの違うところは、わたしに説明したところだ。
それをmineさんは『感情をぶつけた』というようにおっしゃっている。
たしかに、しばらくブログは読めませんなんて伝えることは、こちらを傷つけかねないもの。
でも、じつは傷ついていないし、ぶつけられたと思っていないんだ(残念だとはかなり思ったけど)。
なぜなら、mineさんは感情を説明してくれただけだから。
ここに大きな違いが、わたしにとってはある。
人にマイナス事項を伝えるとき、mineさんのように自分の感情や行動だけを伝える人と、そこに自分の正義をつけ加えてしまう人といる。
この違いがわたしのボーダーラインなの。
mineさんは『りん子さんのブログを読むのが辛くなるからしばらく読まない』と感情と行動を説明してくれたけど、たとえばそこに
本当は◯◯であるべきなのに、あんなことを書くのはよくない、だからブログとは距離を置きたい
そんな言葉があったら。
わたしにとっては『ぶつける』になるのです。
自分の正義と相手の否定はわりとセットになっているもので、結局正義を解くことはイコール相手を否定することになるのだよね。
これだと前エントリーに書いたみたいにただスッキリしたいだけである場合が多いとわたしは感じてしまうの。
人と関係を深めたい、理解を深めたいと思うとき、自分の感情と行動を説明するだけで充分。
自分の正解を主張する必要はない。
mineさんは正義を振りかざし溜飲を下げるようなことはしない、ご自分の感情を説明してくれるだけだ。
それがわかっている、無意識だとしても、わかっている感性が好きだからわたしはmineさんとお友達なのです^^
で、わたしの友達はこういう人ばかり^^
否定し合わず重ねた関係は優しくて温かく、何かあったら力になってくれるという心強い信頼にもなのです。
本音、またはマイナス感情を伝えるときの伝え方がわたしのボーダーラインなのでした^^
えっと、わたしがブログでわたしなりの主張をするのは『ブログ』だからですよ〜。
それでも、自分の正解は語るけど、他の否定はしないようにしているつもりです。
『1』ということは『2』もあるのですが、趣向がガラリと変わります^^
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