思考のお散歩
独り言
これから書くこと『どちらがいい』とか『どちらが大変』などというのではなく、思考の散歩を楽しんだだけという視点で読んでください^^
ある事情があってほぼ初対面の女性のお宅にあがらせてもらう機会があった。
わたし以外にも数人。
すこし髪に白いものが混じっていて恐らく50代半ばくらいだろう。
セルフレームのメガネにショートボブ、小さな身長からバイタリティが滲み出ているような人だった。
この女性、結婚歴は知らないのだけど現在は分譲マンションに一人暮らし。
招かれたマンションは彼女の財産というわけだ。
通されたリビングはダイニングテーブルと小さな円卓、テレビとサイドボードで手一杯、キッチンとあと何部屋あるかわからないが決して贅沢なマンションとは言い難いが、女性がひとりで暮らすには充分、彼女の城なんだろうなと感じられた。
あまりジロジロ見回すことは失礼だと思ったけど、つい興味を持って自分の視野に入るものだけチラッと観察させてもらった。
壁には何か可愛らしい飾り物があり、テレビ台には書類が並んでいた。
テレビの横にノートパソコン、小さなバスケットにキャンディが盛りつけて円卓に置かれていた。
とても不思議な感覚になった。
この女性を通して、この女性に自分を重ねて思いを馳せる。
それはわたしのまったく勝手な妄想、思考の散歩。
お邪魔した時間は夜だった。
小一時間で用事は済んで客人は帰っていく。
そのあとの夜の時間この女性(わたし)はどんなふうに過ごすのだろう。
きっと。
とても自由だ。
この女性(わたし)は自分で生計を立てている。
仕事が終わって自分の城に帰宅してから家事その他をこなす雑務はあれど、基本的に自由だ。
遅い夫の帰りを待って晩ご飯を作らなくてもいい、子供に明日の支度をさせそろそろ教えることが限界になってきている数学を見てやる必要もない(笑)
気が乗らなければビールと生野菜だけで済ませてしまえる。
眠ければ、いつ寝てしまってもいい。
あのノートパソコンは自由な夜の遊び相手だろうか。
広い草原で両手を広げて深呼吸するような解放感。
自由。
でも、それと同時に、同じくらいの孤独にも目を逸らすわけにはいくまい。
(孤独をどうか負の意味に取らないでね。孤高のほうが近い感覚です)
もちろん友達もいる、彼氏だっているかもしれない。
だけどこの夜も次の夜も、圧倒的な孤独が常にポケットの中にある。
わたしの知らない自由を手に入れることは同時にその孤独もポケットに入れて生きる覚悟が必要なんだろう。
生き方が多様化しているとはいえ、まだまだ保守的な日本社会では女性がひとりで生きることは、きっとほんのすこし大変かもしれない。
だけど、きっと、男性のひとりの自由よりも女性のそれのほうが解放感が大きい気がする。
そして孤独も同様に、しっかり立つパワーがより一層いると想像する。
大きな自由と大きな孤独を両手に抱えた日々。
それはわたしには想像でしか体験できないけれど、やけにリアルに感じた。
女性のお宅にお邪魔して不思議な感覚、そのなんて自由でなんて孤独な夜を妄想していた。
以前、独身の友達が『他人と一緒に暮らす苦労よりひとりで生きる苦労のほうが自分には合っている』と言っていた。
人生は選択の連続。
もちろん生まれ落ちたときから決まっていて選択できないこともあるけど、それでも選択する場面はたくさんある。
他人と暮らすこともひとりで選ぶことも、子供も仕事も、進むことも後戻りすることも、頑張ることも頑張らないことも、いろんなことを選択していまがある。
選んだ結果によっては、自分に文句つけたくなったり誰かを責めてしまいたくなったりしてしまいそうだけど、でも選択したのは自分だもんね。
わたしはわりと簡単に幸せを感じてしまうお手軽人間なので、自分の選択を悔やむことはあまりないのだけど、自分の選択では味わえない種類の自由と孤独を思考の散歩で味わわせてもらったちょっと面白い夜だった。
これから書くこと『どちらがいい』とか『どちらが大変』などというのではなく、思考の散歩を楽しんだだけという視点で読んでください^^
ある事情があってほぼ初対面の女性のお宅にあがらせてもらう機会があった。
わたし以外にも数人。
すこし髪に白いものが混じっていて恐らく50代半ばくらいだろう。
セルフレームのメガネにショートボブ、小さな身長からバイタリティが滲み出ているような人だった。
この女性、結婚歴は知らないのだけど現在は分譲マンションに一人暮らし。
招かれたマンションは彼女の財産というわけだ。
通されたリビングはダイニングテーブルと小さな円卓、テレビとサイドボードで手一杯、キッチンとあと何部屋あるかわからないが決して贅沢なマンションとは言い難いが、女性がひとりで暮らすには充分、彼女の城なんだろうなと感じられた。
あまりジロジロ見回すことは失礼だと思ったけど、つい興味を持って自分の視野に入るものだけチラッと観察させてもらった。
壁には何か可愛らしい飾り物があり、テレビ台には書類が並んでいた。
テレビの横にノートパソコン、小さなバスケットにキャンディが盛りつけて円卓に置かれていた。
とても不思議な感覚になった。
この女性を通して、この女性に自分を重ねて思いを馳せる。
それはわたしのまったく勝手な妄想、思考の散歩。
お邪魔した時間は夜だった。
小一時間で用事は済んで客人は帰っていく。
そのあとの夜の時間この女性(わたし)はどんなふうに過ごすのだろう。
きっと。
とても自由だ。
この女性(わたし)は自分で生計を立てている。
仕事が終わって自分の城に帰宅してから家事その他をこなす雑務はあれど、基本的に自由だ。
遅い夫の帰りを待って晩ご飯を作らなくてもいい、子供に明日の支度をさせそろそろ教えることが限界になってきている数学を見てやる必要もない(笑)
気が乗らなければビールと生野菜だけで済ませてしまえる。
眠ければ、いつ寝てしまってもいい。
あのノートパソコンは自由な夜の遊び相手だろうか。
広い草原で両手を広げて深呼吸するような解放感。
自由。
でも、それと同時に、同じくらいの孤独にも目を逸らすわけにはいくまい。
(孤独をどうか負の意味に取らないでね。孤高のほうが近い感覚です)
もちろん友達もいる、彼氏だっているかもしれない。
だけどこの夜も次の夜も、圧倒的な孤独が常にポケットの中にある。
わたしの知らない自由を手に入れることは同時にその孤独もポケットに入れて生きる覚悟が必要なんだろう。
生き方が多様化しているとはいえ、まだまだ保守的な日本社会では女性がひとりで生きることは、きっとほんのすこし大変かもしれない。
だけど、きっと、男性のひとりの自由よりも女性のそれのほうが解放感が大きい気がする。
そして孤独も同様に、しっかり立つパワーがより一層いると想像する。
大きな自由と大きな孤独を両手に抱えた日々。
それはわたしには想像でしか体験できないけれど、やけにリアルに感じた。
女性のお宅にお邪魔して不思議な感覚、そのなんて自由でなんて孤独な夜を妄想していた。
以前、独身の友達が『他人と一緒に暮らす苦労よりひとりで生きる苦労のほうが自分には合っている』と言っていた。
人生は選択の連続。
もちろん生まれ落ちたときから決まっていて選択できないこともあるけど、それでも選択する場面はたくさんある。
他人と暮らすこともひとりで選ぶことも、子供も仕事も、進むことも後戻りすることも、頑張ることも頑張らないことも、いろんなことを選択していまがある。
選んだ結果によっては、自分に文句つけたくなったり誰かを責めてしまいたくなったりしてしまいそうだけど、でも選択したのは自分だもんね。
わたしはわりと簡単に幸せを感じてしまうお手軽人間なので、自分の選択を悔やむことはあまりないのだけど、自分の選択では味わえない種類の自由と孤独を思考の散歩で味わわせてもらったちょっと面白い夜だった。
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