「苦悩」のコメントレスにかえて「かけ算」
りん子的独り言(生意気)
このエントリーは『徒然に「苦悩」』にいただいたコメントから派生したものです。
いただいたコメントがヒントになることはときどきあるけど、コメントのお返事に相当するものはできるだけ早いほうがいいので、アップするのがすぐになっています。
最近、コメントからエントリーができるケースが増えて、2ヶ月分予約投稿のループを破りまくっていますが(笑)、それは2ヶ月後のお楽しみということで、こういう機会に恵まれるブログであることがうれしく思います。
コメントをくださった愛舞音さん。
いただいたコメントをヒントにわたしの考えを書きました。
文末に愛舞音さんに向けたコメントレスのようなものを書きますが、このエントリー自体は、日頃のわたしの考えを書いたものですので、こちらへのコメントは義理には思わないでくださいね。
こういう考え方もあるのね〜と思っていただくだけで充分です^^
すべての被虐嗜好者がそうかはわからないけど。
わたしの【被虐嗜好】は矛盾や葛藤に満ちている。
酷いことをされたい。
ちょっと乱暴なセックスから拷問のようなものまで。
見ず知らずの男に、普段なら眉をひそめて敬遠するような不潔な男たちに、聴衆の蔑みの視線に、人格なんてまったく無視されるか、あるとしたら『わたし』ではなく『女』や『穴』に向けられる短絡的な欲望。
そんな願望を持つ一方で、それを叶えるのは自分ではなく『する側』の存在が必要。
もちろん加虐側も相手がいないと成立しないのだけど、虐待的行為の渦中に身を投じない限り叶わないという、恐怖や嫌悪感はわたしを困惑させる。
危険に身を投じる恐怖との葛藤。
そして、これこそすべてのマゾが感じているとは言えないのだけど、上手にそこをクリアしている人もいると思うんだけど。
被虐行為を望むクセに、それにより【傷ついて】しまうのだ。
そもそも被虐なんだから体を傷つけてしまうことはあるはずだし、それにプラスして心に傷を負ってしまう。
人を人もと思わない行為を求めているのに、人格無視はわたしの心を傷つける。
痴漢は許せない行為なのに、そんな男は軽蔑の対象なのに、それで濡れてしまう自分への嫌悪感。
見知らぬ男たちの餌食になりたいクセに、そんな男たちに対する嫌悪感。
那智さんにわたしを蔑んでと思う気持ちがあっても、仮にそれをされたら傷つくし、してしまえる那智さんへの好きがぜったい減る。
尊重されないような行為を求めるのに、尊重してくれない男以外のセックスは傷つく。
尊重されたいのに、尊重されていては叶わない。
このジレンマ。
那智さんが大好きなままわたしの被虐願望を叶えるには『可愛がる』や『大切にしながら酷いこと』というスタンスがベストだということにいまは着地しているし、これが満足ではあるけれど、ふと、死と隣り合わせの恐怖や人格を無視される絶望への憧れが頭をもたげるとき、わたしのような恐がりで弱虫のマゾは、葛藤を抱えているなと思うのだ。
(でも、逆に、それを選ばずにいられていることにも安堵しています)
先日、那智さんと鞭の時間でものすごい一体感を感じるときがあった。
わたしを可愛がりながら打ち、それの呼応するように鞭で快感に溺れる。
わたしが感じれば感じるほど、那智さんも徐々に可愛がるスタンスから加虐の楽しみに変化していった。
思い切り打つ、打つことを楽しむ。
わたしはそれを受け、打たれることで益々快感が増える。
いままでより加虐と被虐の色が濃くなり、方向がピッタリ一致するような時間だった。
もちろん、そういうときだってふたりにとって『可愛がる』行為ではあったけど、その先の、逃げられない恐怖、虐待行為が終わらない絶望の片鱗を見た思いだった。
また、別の機会。
ある変態さんカップルとご一緒することがあった。
窓口になった女性とはメールなどでお互いある程度仲良くなっていたけど、男性とは2回お会いした程度の短いお付き合いのカップルだった(互いの変態を披露しているので、すでに深いといえば深いので、『短い』)
詳細は後日ですが(笑)
3人に囲まれ、那智さんに電マをされるとき、いつものお守り代わりに抱えた枕を男性から「こんなの持ってちゃダメ(笑)」と取り上げられた。
いや、あの苦痛にはお守り必要なのに!!と思いながら、そのまま怒濤の責めがはじまるときの絶望感に、やはりその先の、たくさんの人の興奮や抵抗できない絶望の片鱗を感じた。
被虐願望の矛盾やジレンマ、これは解消することはない。
だから、わたしが昔から思い描いていた被虐願望が、そのままそっくり叶うことはないのだ。
きっと、叶わなくていいのだ。
だけど、こんなふうに日頃の那智さんとの快感の連続の中、ふと願望の片鱗に触れる瞬間はある、変態さんたちの交流の中で傷つかずに、でも、長いこと思い描いていた妄想にシンクロする瞬間はある。
自分を破滅させるような、相手を憎むような被虐願望は叶わない、だけど、幸福な行為の中にその片鱗を見つけることはできるのだ。
それは、なぜだろう。
きっと『人』がかけ算になってくれているのではないだろうか。
血も流さないし、浮浪者に輪姦もさせていないわたし(たち)のしていることは鬼畜さんたちからしたら大したことないかもしれない。
でも、その片鱗に触れられたのは、那智さんとの積み上げた年月や一緒に楽しもうと思ってくれる変態さんカップルの存在がかけ算になってくれたのだ。
自己嫌悪や他者に対する嫌悪感で傷ついてしまうマゾのジレンマを幸福なうちに叶えるのは『人』というかけ算の力なんじゃないだろうか。
じゃあ、その『人』って、なにか!?
誰でもいいわけじゃないよね。
りん子には那智さんがいてくれるから叶うんだよって思う人もいるかもしれないけど、そういう人にはこれから話すことは届いてくれないかもしれない。
じつは、わたしも自信がないんだ。
本を読んだり、お友達とお話ししてわたしがこの考えを持つようになったときにはすでに那智さんが存在していたから、そうじゃないケースは机上の空論になってしまうのかもしれない。
でも、それでも、被虐願望を持ち、そのジレンマに傷つくわたしと同じような女性がいるとするなら机上の空論でも理想論でもいいから活路を書きたい。
本や友達とのお話しや自分の経験と想像で書きますから、どうか、一緒に想像してください。
『心の交流』という言葉を何度か書いている。
ポスターのネコを撫でても何とも思わないけど、本物のネコを撫でると撫でているほうも気持ちいいのは、ネコがもふもふだからってだけじゃなくて、ゴロゴロ喉を鳴らしたり、安心して撫でるに任せている様子が感じられたり、そういう空気が脳を気持ちよくさせているのだよね。
こういうのを心の交流というのだそうです(これも岩月謙司さんの著書より^^)
お互いに相手を大事に思っているということが心の交流を生むのだと思う。
大恋愛じゃなきゃいけないわけじゃなくて、相手を尊重し大切なパートナーと思い合えることが心の交流。
その中には『嗜好の一致』も含まれていると思っています。
性的嗜好が一致していて同じ目的のもとより良いものにしていこうと思えば、相手と話し合い、相手を大切にしようと思いますよね。
そういうことも充分心の交流ができている。
もっというと、たとえば、ハプバーなどの場所で初対面や、その場でしか会わないような人だったとしても『その時間を互いに楽しみましょう』という認識が一致していたら、それはそれで心の交流はできていると想像します。
(現に、先の変態カップルさんとは、そのときが初めての行為だったしね)
恋愛感情の有無、付き合いの長さや形、それはいろいろでいいの、ただ、そこに相手を尊重する気持ちがあるかどうかが心の交流を作るポイントになるわけです。
ハプバーで心の交流!?って思うよね^^;
でもね、あると思う。
わたしたちが以前よく遊びにいっていたハプバーは、スタッフも常連さんもとても良い人ばかりで、女性やカップルに対する配慮をいつもしてくれていた。
行為より、まず会話をして、人と人としての交流を楽しむ。
その中から嗜好が合えばプレイに及ぶ。
そういうお店だったから不快な思いをしたことがない。
これは男性や女性の何割りかはピンと来ないかもしれないけど、いるのよ、『女を人と思っていない』男性って。
特に性的な空間ならあからさまに、上から目線の男性は多い。
そういうのがないお店だったから、その場限りであれ、わたしは心の交流ができたと思っている。
(【他のお店では、イヤな気持ち】になったことあるから、やっぱり人や雰囲気ってあるんだよね)
だから、大恋愛じゃなくてもいいのだ。
相手を尊重していい時間を過ごそうと思える人間関係や時間、その中で願望に近い行為をしていくことが、傷つかず嫌悪感もなく、そして、いつか願望のギリギリの淵の片鱗を見ることができるかもしれない。
もともとの被虐願望とはほど遠い行為かもしれないけど『人』のかけ算はマゾ的葛藤を解消してれるポイントかもしれないと思うのです。
だから、こちらを尊重してくれて自分と相手といい時間を作りたいと思える人や場所を見つける努力をしたらいいんじゃないかな。
(たとえば、尊重されないことで感じて傷つかない、もしくは傷ついてもかまわないと思う人は、そういうコミュニティに行けばいいよね、それもある意味『嗜好の一致』になるからOK^^)
こちらを尊重してくれる。
これって、SMや主従カテゴリで見つけるの、けっこう難しそうに思うんだよねぇ。
M女や奴隷って尊重や大事にしないくていい存在っぽい風潮だからね。
尊重の上の被虐行為、これって男の人で共感できる人、そんなに多くないような気がするんだよなぁ^^;
コメントをくださった愛舞音さん、ありがとうございます。
わたしは愛舞音さんのことをほとんど知りませんので、このエントリーは的外れかもしれません。
ただ、愛舞音さんの『複数に犯される』という願望は、もしかしたら複数じゃなくてもいいのかもしれない。
尊重し合えるパートナーとの時間の中、パートナーの手が複数に感じられる瞬間があるかもしれないし、性的な社交の場で愛舞音さんと良い時間を過ごしたいと思う男性が2人いるだけで、充分『複数』になるかもしれない。
被虐願望は、蔑みや屈辱が近道のように思うけど、じつは尊重し合える関係からのほうがジレンマや嫌悪感や傷を排除しながら叶える道筋なのかもしれない。
急がば回れみたいに^^
そんなふうに思います。
『人』のかけ算を意識してみるのもいいかもねって思いました^^
貼り忘れてた〜、クリックしていただけるとよろこびます^^
<関連エントリー>
さあ、いっぱい貼るよ〜(笑)
被虐願望、いろいろ
『上手に説明できない』
『心の底と、その先にあるもの』
『妄想のうちの一部』
(なんか、わたし青い^^;)
『モンスターを抱きしめて』
『否応なくマゾ』
そのクセ傷つく
『傷つく性癖』
『諸刃の刃』
『男たちの手(もらうセックス)』
心の交流
『秘訣』
『秘訣の続き』
『もうひとつの秘訣』
他のお店でイヤな思いしたこと
『Mだからってね』
「等式」感想です。性的な願望を満たそうとする時にどうすれば叶うかを考えると思う。でも、その願望の先にはもっと大切で、直接的である性的願望を凌駕する充足を得ることが出来ると言う事かな。本当に欲しいものはそちらの方なのかもしれない。りん子からの私に対する完璧に近い肯定を感じた時、私自身のある部分の性欲が落ち着いたと思う。追いかけられるような欲望から、楽しむ欲望に変化したとさえ思う。だから、自分自身の叶えることが難しい欲求は、意外と別の部分を充足することにより落ち着く可能性があると思う。抽象的で意味不明の発言失礼しました。(笑)
りん子(^-^)ふうん、わたしは那智さんに完璧に近い肯定をしているんだぁ。本人、ほとんど無意識(笑)たくさん与えられていたら、たくさんお返ししたくなるのは、ごく普通の心の流れということだね。そこに、忠誠を誓う言葉も意思表示も必要ないのだよね。大切な人を大切に思う気持ちだけで充分。
このエントリーは『徒然に「苦悩」』にいただいたコメントから派生したものです。
いただいたコメントがヒントになることはときどきあるけど、コメントのお返事に相当するものはできるだけ早いほうがいいので、アップするのがすぐになっています。
最近、コメントからエントリーができるケースが増えて、2ヶ月分予約投稿のループを破りまくっていますが(笑)、それは2ヶ月後のお楽しみということで、こういう機会に恵まれるブログであることがうれしく思います。
コメントをくださった愛舞音さん。
いただいたコメントをヒントにわたしの考えを書きました。
文末に愛舞音さんに向けたコメントレスのようなものを書きますが、このエントリー自体は、日頃のわたしの考えを書いたものですので、こちらへのコメントは義理には思わないでくださいね。
こういう考え方もあるのね〜と思っていただくだけで充分です^^
すべての被虐嗜好者がそうかはわからないけど。
わたしの【被虐嗜好】は矛盾や葛藤に満ちている。
酷いことをされたい。
ちょっと乱暴なセックスから拷問のようなものまで。
見ず知らずの男に、普段なら眉をひそめて敬遠するような不潔な男たちに、聴衆の蔑みの視線に、人格なんてまったく無視されるか、あるとしたら『わたし』ではなく『女』や『穴』に向けられる短絡的な欲望。
そんな願望を持つ一方で、それを叶えるのは自分ではなく『する側』の存在が必要。
もちろん加虐側も相手がいないと成立しないのだけど、虐待的行為の渦中に身を投じない限り叶わないという、恐怖や嫌悪感はわたしを困惑させる。
危険に身を投じる恐怖との葛藤。
そして、これこそすべてのマゾが感じているとは言えないのだけど、上手にそこをクリアしている人もいると思うんだけど。
被虐行為を望むクセに、それにより【傷ついて】しまうのだ。
そもそも被虐なんだから体を傷つけてしまうことはあるはずだし、それにプラスして心に傷を負ってしまう。
人を人もと思わない行為を求めているのに、人格無視はわたしの心を傷つける。
痴漢は許せない行為なのに、そんな男は軽蔑の対象なのに、それで濡れてしまう自分への嫌悪感。
見知らぬ男たちの餌食になりたいクセに、そんな男たちに対する嫌悪感。
那智さんにわたしを蔑んでと思う気持ちがあっても、仮にそれをされたら傷つくし、してしまえる那智さんへの好きがぜったい減る。
尊重されないような行為を求めるのに、尊重してくれない男以外のセックスは傷つく。
尊重されたいのに、尊重されていては叶わない。
このジレンマ。
那智さんが大好きなままわたしの被虐願望を叶えるには『可愛がる』や『大切にしながら酷いこと』というスタンスがベストだということにいまは着地しているし、これが満足ではあるけれど、ふと、死と隣り合わせの恐怖や人格を無視される絶望への憧れが頭をもたげるとき、わたしのような恐がりで弱虫のマゾは、葛藤を抱えているなと思うのだ。
(でも、逆に、それを選ばずにいられていることにも安堵しています)
先日、那智さんと鞭の時間でものすごい一体感を感じるときがあった。
わたしを可愛がりながら打ち、それの呼応するように鞭で快感に溺れる。
わたしが感じれば感じるほど、那智さんも徐々に可愛がるスタンスから加虐の楽しみに変化していった。
思い切り打つ、打つことを楽しむ。
わたしはそれを受け、打たれることで益々快感が増える。
いままでより加虐と被虐の色が濃くなり、方向がピッタリ一致するような時間だった。
もちろん、そういうときだってふたりにとって『可愛がる』行為ではあったけど、その先の、逃げられない恐怖、虐待行為が終わらない絶望の片鱗を見た思いだった。
また、別の機会。
ある変態さんカップルとご一緒することがあった。
窓口になった女性とはメールなどでお互いある程度仲良くなっていたけど、男性とは2回お会いした程度の短いお付き合いのカップルだった(互いの変態を披露しているので、すでに深いといえば深いので、『短い』)
詳細は後日ですが(笑)
3人に囲まれ、那智さんに電マをされるとき、いつものお守り代わりに抱えた枕を男性から「こんなの持ってちゃダメ(笑)」と取り上げられた。
いや、あの苦痛にはお守り必要なのに!!と思いながら、そのまま怒濤の責めがはじまるときの絶望感に、やはりその先の、たくさんの人の興奮や抵抗できない絶望の片鱗を感じた。
被虐願望の矛盾やジレンマ、これは解消することはない。
だから、わたしが昔から思い描いていた被虐願望が、そのままそっくり叶うことはないのだ。
きっと、叶わなくていいのだ。
だけど、こんなふうに日頃の那智さんとの快感の連続の中、ふと願望の片鱗に触れる瞬間はある、変態さんたちの交流の中で傷つかずに、でも、長いこと思い描いていた妄想にシンクロする瞬間はある。
自分を破滅させるような、相手を憎むような被虐願望は叶わない、だけど、幸福な行為の中にその片鱗を見つけることはできるのだ。
それは、なぜだろう。
きっと『人』がかけ算になってくれているのではないだろうか。
血も流さないし、浮浪者に輪姦もさせていないわたし(たち)のしていることは鬼畜さんたちからしたら大したことないかもしれない。
でも、その片鱗に触れられたのは、那智さんとの積み上げた年月や一緒に楽しもうと思ってくれる変態さんカップルの存在がかけ算になってくれたのだ。
自己嫌悪や他者に対する嫌悪感で傷ついてしまうマゾのジレンマを幸福なうちに叶えるのは『人』というかけ算の力なんじゃないだろうか。
じゃあ、その『人』って、なにか!?
誰でもいいわけじゃないよね。
りん子には那智さんがいてくれるから叶うんだよって思う人もいるかもしれないけど、そういう人にはこれから話すことは届いてくれないかもしれない。
じつは、わたしも自信がないんだ。
本を読んだり、お友達とお話ししてわたしがこの考えを持つようになったときにはすでに那智さんが存在していたから、そうじゃないケースは机上の空論になってしまうのかもしれない。
でも、それでも、被虐願望を持ち、そのジレンマに傷つくわたしと同じような女性がいるとするなら机上の空論でも理想論でもいいから活路を書きたい。
本や友達とのお話しや自分の経験と想像で書きますから、どうか、一緒に想像してください。
『心の交流』という言葉を何度か書いている。
ポスターのネコを撫でても何とも思わないけど、本物のネコを撫でると撫でているほうも気持ちいいのは、ネコがもふもふだからってだけじゃなくて、ゴロゴロ喉を鳴らしたり、安心して撫でるに任せている様子が感じられたり、そういう空気が脳を気持ちよくさせているのだよね。
こういうのを心の交流というのだそうです(これも岩月謙司さんの著書より^^)
お互いに相手を大事に思っているということが心の交流を生むのだと思う。
大恋愛じゃなきゃいけないわけじゃなくて、相手を尊重し大切なパートナーと思い合えることが心の交流。
その中には『嗜好の一致』も含まれていると思っています。
性的嗜好が一致していて同じ目的のもとより良いものにしていこうと思えば、相手と話し合い、相手を大切にしようと思いますよね。
そういうことも充分心の交流ができている。
もっというと、たとえば、ハプバーなどの場所で初対面や、その場でしか会わないような人だったとしても『その時間を互いに楽しみましょう』という認識が一致していたら、それはそれで心の交流はできていると想像します。
(現に、先の変態カップルさんとは、そのときが初めての行為だったしね)
恋愛感情の有無、付き合いの長さや形、それはいろいろでいいの、ただ、そこに相手を尊重する気持ちがあるかどうかが心の交流を作るポイントになるわけです。
ハプバーで心の交流!?って思うよね^^;
でもね、あると思う。
わたしたちが以前よく遊びにいっていたハプバーは、スタッフも常連さんもとても良い人ばかりで、女性やカップルに対する配慮をいつもしてくれていた。
行為より、まず会話をして、人と人としての交流を楽しむ。
その中から嗜好が合えばプレイに及ぶ。
そういうお店だったから不快な思いをしたことがない。
これは男性や女性の何割りかはピンと来ないかもしれないけど、いるのよ、『女を人と思っていない』男性って。
特に性的な空間ならあからさまに、上から目線の男性は多い。
そういうのがないお店だったから、その場限りであれ、わたしは心の交流ができたと思っている。
(【他のお店では、イヤな気持ち】になったことあるから、やっぱり人や雰囲気ってあるんだよね)
だから、大恋愛じゃなくてもいいのだ。
相手を尊重していい時間を過ごそうと思える人間関係や時間、その中で願望に近い行為をしていくことが、傷つかず嫌悪感もなく、そして、いつか願望のギリギリの淵の片鱗を見ることができるかもしれない。
もともとの被虐願望とはほど遠い行為かもしれないけど『人』のかけ算はマゾ的葛藤を解消してれるポイントかもしれないと思うのです。
だから、こちらを尊重してくれて自分と相手といい時間を作りたいと思える人や場所を見つける努力をしたらいいんじゃないかな。
(たとえば、尊重されないことで感じて傷つかない、もしくは傷ついてもかまわないと思う人は、そういうコミュニティに行けばいいよね、それもある意味『嗜好の一致』になるからOK^^)
こちらを尊重してくれる。
これって、SMや主従カテゴリで見つけるの、けっこう難しそうに思うんだよねぇ。
M女や奴隷って尊重や大事にしないくていい存在っぽい風潮だからね。
尊重の上の被虐行為、これって男の人で共感できる人、そんなに多くないような気がするんだよなぁ^^;
コメントをくださった愛舞音さん、ありがとうございます。
わたしは愛舞音さんのことをほとんど知りませんので、このエントリーは的外れかもしれません。
ただ、愛舞音さんの『複数に犯される』という願望は、もしかしたら複数じゃなくてもいいのかもしれない。
尊重し合えるパートナーとの時間の中、パートナーの手が複数に感じられる瞬間があるかもしれないし、性的な社交の場で愛舞音さんと良い時間を過ごしたいと思う男性が2人いるだけで、充分『複数』になるかもしれない。
被虐願望は、蔑みや屈辱が近道のように思うけど、じつは尊重し合える関係からのほうがジレンマや嫌悪感や傷を排除しながら叶える道筋なのかもしれない。
急がば回れみたいに^^
そんなふうに思います。
『人』のかけ算を意識してみるのもいいかもねって思いました^^
貼り忘れてた〜、クリックしていただけるとよろこびます^^
<関連エントリー>
さあ、いっぱい貼るよ〜(笑)
被虐願望、いろいろ
『上手に説明できない』
『心の底と、その先にあるもの』
『妄想のうちの一部』
(なんか、わたし青い^^;)
『モンスターを抱きしめて』
『否応なくマゾ』
そのクセ傷つく
『傷つく性癖』
『諸刃の刃』
『男たちの手(もらうセックス)』
心の交流
『秘訣』
『秘訣の続き』
『もうひとつの秘訣』
他のお店でイヤな思いしたこと
『Mだからってね』
「等式」感想です。性的な願望を満たそうとする時にどうすれば叶うかを考えると思う。でも、その願望の先にはもっと大切で、直接的である性的願望を凌駕する充足を得ることが出来ると言う事かな。本当に欲しいものはそちらの方なのかもしれない。りん子からの私に対する完璧に近い肯定を感じた時、私自身のある部分の性欲が落ち着いたと思う。追いかけられるような欲望から、楽しむ欲望に変化したとさえ思う。だから、自分自身の叶えることが難しい欲求は、意外と別の部分を充足することにより落ち着く可能性があると思う。抽象的で意味不明の発言失礼しました。(笑)
りん子(^-^)ふうん、わたしは那智さんに完璧に近い肯定をしているんだぁ。本人、ほとんど無意識(笑)たくさん与えられていたら、たくさんお返ししたくなるのは、ごく普通の心の流れということだね。そこに、忠誠を誓う言葉も意思表示も必要ないのだよね。大切な人を大切に思う気持ちだけで充分。
COMMENT
りん子さんはじめまして!
実は前にもコメントさせてもらったことがあったので、はじめましてじゃないんですけど(〃∇〃)
こちらのblogを鍵コメントでオススメしてもらったので、改めて読みに来ました。。。って、いつも読んでます。深イイ話が沢山あってすごいです! あと、お相手のかたの漢字はなんと読むんですか? いつも、なんて読むんだろうと思いながら読んでいて、、、すみません!
また遊びに来させてください。というかいつも、来てますがf(^_^;
実は前にもコメントさせてもらったことがあったので、はじめましてじゃないんですけど(〃∇〃)
こちらのblogを鍵コメントでオススメしてもらったので、改めて読みに来ました。。。って、いつも読んでます。深イイ話が沢山あってすごいです! あと、お相手のかたの漢字はなんと読むんですか? いつも、なんて読むんだろうと思いながら読んでいて、、、すみません!
また遊びに来させてください。というかいつも、来てますがf(^_^;
りん子さま
ありがとうございます、と先にお礼を
まさにおっしゃるとおりなのです
今ブログにその時のことを書きかけていますが
良い時間を過ごしたいと思う方たちと
過ごす事ができて
完全ではなかったけれど
ずっとそうされたかったことを
実現することができ
私の幼い頃からの願望は
少し満たされたように思いました
私の中には様々な欲望があり
今だから叶えることができる
それは自分で自分を縛り付けてきたものから
やっと少しずつ解放されていっていると
感じています
ありがとうございます、と先にお礼を
まさにおっしゃるとおりなのです
今ブログにその時のことを書きかけていますが
良い時間を過ごしたいと思う方たちと
過ごす事ができて
完全ではなかったけれど
ずっとそうされたかったことを
実現することができ
私の幼い頃からの願望は
少し満たされたように思いました
私の中には様々な欲望があり
今だから叶えることができる
それは自分で自分を縛り付けてきたものから
やっと少しずつ解放されていっていると
感じています
奈々さん
あらためまして、はじめまして^^
たしか『調教歴』にコメントくださいましたよね?憶えてます^^
いつも読んでくださってありがとうございます。
また、どなたかが『等式』を紹介してくださったのですね!それもうれしい^^教えてくれてありがとうございます。
いろいろなお話を書いていますので、奈々さんのお気に入りを見つけてくださいね。
で、名前は『なち』と読みます^^
野沢那智って声優さんがいてね、那智さん、その声優さんが好きだったのです。
もう亡くなっている方なので、若い方はご存知ないかも〜^^;
また、遊びにきてくださいね〜♪
あらためまして、はじめまして^^
たしか『調教歴』にコメントくださいましたよね?憶えてます^^
いつも読んでくださってありがとうございます。
また、どなたかが『等式』を紹介してくださったのですね!それもうれしい^^教えてくれてありがとうございます。
いろいろなお話を書いていますので、奈々さんのお気に入りを見つけてくださいね。
で、名前は『なち』と読みます^^
野沢那智って声優さんがいてね、那智さん、その声優さんが好きだったのです。
もう亡くなっている方なので、若い方はご存知ないかも〜^^;
また、遊びにきてくださいね〜♪
愛舞音さん
こちらこそ、エントリーにさせていただいて感謝です。
完全というのは、結局『ない』んじゃないかなって思います。
だから、それに近いことやそれに近い感情を体験でき、それで快感を得られれば充分ですよね。
愛舞音さんのブログ、拝見しました。
わたしにも憧れのシチュエーションでドキドキしました^^
でも、たぶん、わたしには叶わないことなんだろうな〜と読み物を読むような気持ちです(わたいの場合、叶わなくていいのだけど)
自分を縛るものから解放される。
これも完全には難しいかもしれませんが、そのためにたくさんたくさん向き合い、考えることは人生を豊かにしてくれると信じています^^
ちょっとずつ解放、よかったですね♪
こちらこそ、エントリーにさせていただいて感謝です。
完全というのは、結局『ない』んじゃないかなって思います。
だから、それに近いことやそれに近い感情を体験でき、それで快感を得られれば充分ですよね。
愛舞音さんのブログ、拝見しました。
わたしにも憧れのシチュエーションでドキドキしました^^
でも、たぶん、わたしには叶わないことなんだろうな〜と読み物を読むような気持ちです(わたいの場合、叶わなくていいのだけど)
自分を縛るものから解放される。
これも完全には難しいかもしれませんが、そのためにたくさんたくさん向き合い、考えることは人生を豊かにしてくれると信じています^^
ちょっとずつ解放、よかったですね♪
なち、さんだったんですね!
ありがとうございますmm 漢字弱くて(笑)
引き続き更新楽しみにしています♪
ありがとうございますmm 漢字弱くて(笑)
引き続き更新楽しみにしています♪
奈々さん
はーい、わざわざありがとうございます^^
これからもよろしくです〜。
はーい、わざわざありがとうございます^^
これからもよろしくです〜。
りん子さんは、
むにゅっと、もにょっとした、
なんともいえない心の形を
綺麗に彫刻していくみたいに
言葉に変えて下さって、
こうして見せてくださるから、
本当にすごいと思います。
頷きながら読みました。
行為だけでも、心だけでもないのですよね
むにゅっと、もにょっとした、
なんともいえない心の形を
綺麗に彫刻していくみたいに
言葉に変えて下さって、
こうして見せてくださるから、
本当にすごいと思います。
頷きながら読みました。
行為だけでも、心だけでもないのですよね
智薫さん
わあ、すごいなんて恐縮します^^;
感情を100%言葉にすることは不可能だけど、でも、自分を理解し相手に理解してもらうには言語化することがなにより大事だと思います。
那智さんは出会った頃、自分のことを「◯◯だからじゃないですか?」まるで第三者を表すように話すわたしを指摘していました。
自分を客観視することは大切ですが、いいことも悪いこともいつでも自分が当事者でいることもすごく大事だなですよね^^
体と心、その実りは『人』がもたらしてくれるのだと思います^^
わあ、すごいなんて恐縮します^^;
感情を100%言葉にすることは不可能だけど、でも、自分を理解し相手に理解してもらうには言語化することがなにより大事だと思います。
那智さんは出会った頃、自分のことを「◯◯だからじゃないですか?」まるで第三者を表すように話すわたしを指摘していました。
自分を客観視することは大切ですが、いいことも悪いこともいつでも自分が当事者でいることもすごく大事だなですよね^^
体と心、その実りは『人』がもたらしてくれるのだと思います^^
「わかりあう」ってハイレベルな事象で、
できたときはうれしいですよね。
もたらしたり、もたらされたりできる人になりたいです。
そのままの形で受け取るのも大事なことですね^^
送受信ともに感度良く、身体も感度良く(笑)
できたときはうれしいですよね。
もたらしたり、もたらされたりできる人になりたいです。
そのままの形で受け取るのも大事なことですね^^
送受信ともに感度良く、身体も感度良く(笑)
智薫さん
そうですね〜、感度ですね^^
周波数はいろいろでしょうから、相性のいい周波数の人とは心地よく送受信できると思います^^
たくさん拾えるように感度、磨かなきゃ〜。
そうですね〜、感度ですね^^
周波数はいろいろでしょうから、相性のいい周波数の人とは心地よく送受信できると思います^^
たくさん拾えるように感度、磨かなきゃ〜。