妄想のうちの一部
独特な幸福感
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末に載せるつもりだったものを、新年早々アップします。
とてもとても勇気のいる内容で、ためらうのですが。
きちんと更新は九日からなんていっていたけど、予定は未定でお許しください。
しかも、多分暗くて重くて、続き物、一体何が言いたいのか那智さんしか(でも?)わからない内容かもしれないです。
全然年明けの清々しい気分とはかけ離れていることも、許してね。
数年前香港に行った。
主人の両親が仕事の関係で香港に住んでいるので会いにいったのだ。
ブランド品にも興味がなく、グルメでもない私には、香港の街は退屈な思い出が多い。
高層のマンションがすし詰めに立ち並ぶ景色と、移動中にチラリと目に入る猥雑とした路地には心惹かれる物はあったけど、旅行ではない子供を連れて主人の両親に会いにいくという状況では、好き勝手に行動もできず、その惹かれるものは一瞬だけ覗く楽しみになっていた。
そんな中、私は自分の心の底の恐ろしい妄想の存在を再認識してしまう光景に出会ってしまったのだ。
飲食店やブランド品を扱ったビルから隣の同じようなビルに繋がる渡り廊下のような橋を歩いているときだった。
前を見ると床に何か黒い固まりが置いてある。
よく見ると僅かに動いている。
数歩進むとその動きに合わせて、ハーモニカの音も聞こえてくる。
更に近づいて、初めて事態を把握することができた。
人だ。
細部まで観察したわけではないけれど、恐らく両手足がない人だ。
その人が寝そべり床にハーモニカを置いて、それを口にくわえるようにして演奏しているのだ。
演奏なんてものじゃない、ほとんど適当に吹いているから、幼い子が戯れているような音だ。
床に置いたハーモニカが口から離れないように必死にくわえながら、ほとんど床に顔を付けるようにして頭を動かしている。
それで、その人は物乞いをしているのだ。
そこは観光客も多い、商業地域だ。
華やかなショップが立ち並ぶビル街の片隅で、手足のない人が床に寝そべって物乞いをしている。
通り過ぎる人々はまったく気にしていない様子だ。
気づいているはずだけど、見て見ぬ振りをしている。
道ばたに落ちているゴミのようだ。
どうやってここまで来たのだろう。
あれしか彼の生きていく方法はないのだろうか。
同情や哀れみで心が苦しくなる。
あまりジロジロ見てはいけないだろう、でも、私はその人が気になってしまってしかたがない。
さりげなく何度か振り返ってしまった。
それは、同情で振り返っているのではないことを自覚してしまう時、私はとても途方に暮れる。
どういう経緯であの姿になったのか、わからない。
彼には心から同情と無事を祈りたい。
私はとても優しいはずだ。
お年寄りには席を譲る、ベビーカーと大荷物を抱えたママには手助けを申し出る。
人の悪口には加わらないし、ユニセフのクリスマスカードも買う。
そんな私が不憫な境遇の人を見て、同情以外の感情を持ってしまうことは、とても苦しい。
怖いもの見たさではない、この気になって気になってしかたがない間に感じているのは、興奮だ、
性的興奮。
それに気づくのは、恐ろしい私に直面してしまうから、苦しいのだ。
手足がなく床に這いつくばり演奏とはほど遠いハーモニカを必死に吹く、その姿。
あれしか生きていく術がないのか、わからない、でも、あれをしてしまう精神状態。
それらに、私は自分を当てはめてしまうのだ。
そして、妄想して興奮する。
人なのに人じゃない私。
そして、もうひとつ、とても口に出しづらいことだけど、その私(この場合、その人じゃなく私にします)を思い切り蹴り上げ踏みつけ虫けらを扱うように酷い目にあわせる、サディスティックな気持ちも持ってしまう。
でも、それは、対象がその人であって私であるような、ちょっと歪んだ感覚だ。
まだ幼稚園に上がるかその前かのころ、駅に続く地下の通路に物乞いがいた。
戦争で不自由な体になった男性二人、軍服を着ている。
一人は両手がないキャプテンクックのような義手を体の前に付き正座をしてお願いをするようお辞儀をしている。
もう一人は足がない、どうやって座っていたかは思い出せないが、残された腕でアコーデオンで演奏をしている。
その悲しげな音色が地下通路に響き、哀れを誘い、子供心に哀れみと同時に恐怖を感じてしまっていた。
何度も何度も振り返り、気になってしかたがないそれは、もしかしたら興奮を味わっていたのかもしれない。
(いま思えば私が生まれたのは戦後20年以上経っているから、事実は違ったかもしれない)
これも子供の頃のことだ。
漫画を読んだ。
ストーリーはまったく覚えていない。
覚えているのは、一場面(この一場面の設定もあやふや)。
若い女性が大金持ちの家にお手伝いさんとして雇われる。
その家の主に挨拶に行き、その姿に女性はたじろぐ。
両手足がないだるまのようなおじいさんなのだ。
その格好でお布団に横になっている。
女性が正座して「お世話になります」と挨拶をすると、しばらくじっと見つめていた男性がズリズリと動きゆっくりと女性ににじり寄ってくるのだ。
女性は恐怖で怯えるが、雇い主を怖がるわけにはいかず、その場に正座したままおとなしく震えている。
そして、ゆっくりと近づいた男性が女性のスカートに口を寄せ、それに噛み付くのだ。
それを読んで私は明らかに興奮していたことを覚えている。
これらはすべて私が目にしただけのものだ。
そこに「興奮」が湧き上がってしまうことを自覚しているだけだ。
だから、どうしたいという明確な妄想があるわけではない。
でも、その身体的精神的状態に興奮してしまうことは、事実だ。
前の記事のコメント言葉を借りるとするならば。
私が共感できると言った「ドロドロの精神状態」とは、その妄想で性的興奮を感じる私の精神状態だと思っている。(するしないではなくて、それを考えているだけでも、そう思うのです)
だから、私も那智さんにこれをひっくるめて愛してほしいと思う気持ちがあるので、共感できると言ったのです。
ただ、なぜ「うんこ」を食べるときに、おえっとなる私も愛して楽しんでと思えなかったのかというと、那智さんはやはり「うんこを受け入れる」ことに価値を見いだしている人なのです。
遡れば小学生のころから漠然と「好きな子に食べさせる」という願望を持っていたそうです。
だから、これは私の勝手な想像ですが、この部分はデリケートな部分だと思っています。(那智さんはそこまで繊細には思っていないかもしれないですけど)
苦しむ私を楽しむこともあるけれど、うんこを食べることに関してはやはり美味しそうに食べるが喜び。
それを知っているから、おえってなりたくない。
そして、それ以外の時、先に書いた妄想(ドロドロの精神状態)に蓋をして那智さんの意に添いたいといつも言っているのは、それではない「ドロドロ」に付き合ってもらっているからなの。
「女の子になる」とか「めちゃくちゃ依存」のように心の欠損を埋めるような「ドロドロ」が、いまの私にはこちらの方が重要なの。
だから、そこから生まれた「那智さんの意に添うことが幸せ」というほうが優先されるのです。
那智さんは「恥ずかしい私、みっともない私」は大好きでも、「人なのに人じゃない私」「醜い私」は大好きではないだろうと、いままでの会話から推測できたいた。
この妄想を口にしたり、それを想像させるような行為を望み従うには「その妄想をするりん子が大好き、むしろその方が好き」くらいに思ってもらえないとできない。
だから、蓋をしていた。
「心の欠損」を埋める関係がとてもとても重要だったから。
ここにコメントをくれる八竈さんのブログに那智さんは遊びに行っている。
私ははじめお邪魔したけれどそれ以来行っていない。
悲しくなってしまうからだ。
その悲しい理由がやっとわかった。
そこに登場しているパートナーの方の妄想を書いた記事があったそうで、那智さんはそれを読んで「引いていた」(後にその記事に引くのではなく、それを表に出すことに対して引いていたことがわかったのだけど)
「りん子も読んでみる?」と言われたけど、断った。
悲しくなるのがわかるからだ。
人の妄想だから、どんなことが書かれているのかわからないけど、あちらのブログの輪郭を抜粋して聞かせてもらっているところから推測すると、恐らく八竃さんはそのパートナーの「ドロドロ部分」を肯定してむしろ好んでいると感じられるから、那智さんが引くようなことでも肯定的に思われている彼女の状態が羨ましいと思ってしまうのだ。
私の那智さんに話していない最初に書いたような「性的興奮の種類」を、それでいいって丸抱えにしてもらえないであろうことが、いままでの付き合いで感じ取れているから、悲しくなってしまうのだ。
そこまで那智さんに話した。
「私の妄想を那智さんが好ましく思わないだろうから、悲しい」と。
「でも、俺はそれを聞いたことがない。聞いたことがないものを肯定も否定もできない、多分否定しないと思うけど、話してごらん。」
口にするのはためらう。
誰も知らないことだ、そして、恐らく那智さんが大歓迎しない(小歓迎くらいはしても!?)感情だ。
できれば話したくない、でも、もしかしたらと喜んでくれるかもと一縷の望みも捨てられず、ざっと話すことにした。
それでも、詳しく話せないでいる私に、じゃあ、書くように言う。
そして、いま詳しく書いている。
那智さんにも同じような「性的興奮」はあったそうだ。
だけど、それには蓋をしていた。
それに気づくのは厄介だからだ。
今回自分の心と向き合っての感想は「やる側としては、その妄想をしたくなってしまうのは犯罪になりかねないから、歯止めをかけるのが面倒くさいしつまらない。される側は任せているしかないけれど、するほうはね〜制御が大変」ということだ。
ざっと話した私の心の「ドロドロ」に対しては「あっても、なくても、どちらでもかまわない」だそうだ。
那智さんにもある「ドロドロ」だけど、現段階では「なきゃ、ダメ」ってほどではない。
この部分に於いて、「これを丸抱えにして引き受ける」ほどの積極的な肯定には至らない。
それはやっぱり悲しいな。
でも、しかたがない、無理して付き合ってもらっても、まったく嬉しくない。
この記事を全部読んでどう思うかは、まだわからない。
ほかのかなりの部分を丸抱えにしてもらっているので、贅沢は言えないですよね。
私は、心の奥底を話した、それで、一番欲しい答えが返ってこなくて悲しいと訴えることもできた。
那智さんも嘘偽りなく答えてくれたはずだ。
それが、那智さんの望む付き合い方だ。
素直に心を伝える。
それができただけでも、この厳しい作業の成果はあったはずだ。
これ以降は、やっぱり那智さんの意に添えばいいのだ。
私には「父性の毛布に包んでもらう」という大切な作業があるから。
このお話、まだ続きます。
年始の大騒ぎの後で、モチベーションが保たれれば^^
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末に載せるつもりだったものを、新年早々アップします。
とてもとても勇気のいる内容で、ためらうのですが。
きちんと更新は九日からなんていっていたけど、予定は未定でお許しください。
しかも、多分暗くて重くて、続き物、一体何が言いたいのか那智さんしか(でも?)わからない内容かもしれないです。
全然年明けの清々しい気分とはかけ離れていることも、許してね。
数年前香港に行った。
主人の両親が仕事の関係で香港に住んでいるので会いにいったのだ。
ブランド品にも興味がなく、グルメでもない私には、香港の街は退屈な思い出が多い。
高層のマンションがすし詰めに立ち並ぶ景色と、移動中にチラリと目に入る猥雑とした路地には心惹かれる物はあったけど、旅行ではない子供を連れて主人の両親に会いにいくという状況では、好き勝手に行動もできず、その惹かれるものは一瞬だけ覗く楽しみになっていた。
そんな中、私は自分の心の底の恐ろしい妄想の存在を再認識してしまう光景に出会ってしまったのだ。
飲食店やブランド品を扱ったビルから隣の同じようなビルに繋がる渡り廊下のような橋を歩いているときだった。
前を見ると床に何か黒い固まりが置いてある。
よく見ると僅かに動いている。
数歩進むとその動きに合わせて、ハーモニカの音も聞こえてくる。
更に近づいて、初めて事態を把握することができた。
人だ。
細部まで観察したわけではないけれど、恐らく両手足がない人だ。
その人が寝そべり床にハーモニカを置いて、それを口にくわえるようにして演奏しているのだ。
演奏なんてものじゃない、ほとんど適当に吹いているから、幼い子が戯れているような音だ。
床に置いたハーモニカが口から離れないように必死にくわえながら、ほとんど床に顔を付けるようにして頭を動かしている。
それで、その人は物乞いをしているのだ。
そこは観光客も多い、商業地域だ。
華やかなショップが立ち並ぶビル街の片隅で、手足のない人が床に寝そべって物乞いをしている。
通り過ぎる人々はまったく気にしていない様子だ。
気づいているはずだけど、見て見ぬ振りをしている。
道ばたに落ちているゴミのようだ。
どうやってここまで来たのだろう。
あれしか彼の生きていく方法はないのだろうか。
同情や哀れみで心が苦しくなる。
あまりジロジロ見てはいけないだろう、でも、私はその人が気になってしまってしかたがない。
さりげなく何度か振り返ってしまった。
それは、同情で振り返っているのではないことを自覚してしまう時、私はとても途方に暮れる。
どういう経緯であの姿になったのか、わからない。
彼には心から同情と無事を祈りたい。
私はとても優しいはずだ。
お年寄りには席を譲る、ベビーカーと大荷物を抱えたママには手助けを申し出る。
人の悪口には加わらないし、ユニセフのクリスマスカードも買う。
そんな私が不憫な境遇の人を見て、同情以外の感情を持ってしまうことは、とても苦しい。
怖いもの見たさではない、この気になって気になってしかたがない間に感じているのは、興奮だ、
性的興奮。
それに気づくのは、恐ろしい私に直面してしまうから、苦しいのだ。
手足がなく床に這いつくばり演奏とはほど遠いハーモニカを必死に吹く、その姿。
あれしか生きていく術がないのか、わからない、でも、あれをしてしまう精神状態。
それらに、私は自分を当てはめてしまうのだ。
そして、妄想して興奮する。
人なのに人じゃない私。
そして、もうひとつ、とても口に出しづらいことだけど、その私(この場合、その人じゃなく私にします)を思い切り蹴り上げ踏みつけ虫けらを扱うように酷い目にあわせる、サディスティックな気持ちも持ってしまう。
でも、それは、対象がその人であって私であるような、ちょっと歪んだ感覚だ。
まだ幼稚園に上がるかその前かのころ、駅に続く地下の通路に物乞いがいた。
戦争で不自由な体になった男性二人、軍服を着ている。
一人は両手がないキャプテンクックのような義手を体の前に付き正座をしてお願いをするようお辞儀をしている。
もう一人は足がない、どうやって座っていたかは思い出せないが、残された腕でアコーデオンで演奏をしている。
その悲しげな音色が地下通路に響き、哀れを誘い、子供心に哀れみと同時に恐怖を感じてしまっていた。
何度も何度も振り返り、気になってしかたがないそれは、もしかしたら興奮を味わっていたのかもしれない。
(いま思えば私が生まれたのは戦後20年以上経っているから、事実は違ったかもしれない)
これも子供の頃のことだ。
漫画を読んだ。
ストーリーはまったく覚えていない。
覚えているのは、一場面(この一場面の設定もあやふや)。
若い女性が大金持ちの家にお手伝いさんとして雇われる。
その家の主に挨拶に行き、その姿に女性はたじろぐ。
両手足がないだるまのようなおじいさんなのだ。
その格好でお布団に横になっている。
女性が正座して「お世話になります」と挨拶をすると、しばらくじっと見つめていた男性がズリズリと動きゆっくりと女性ににじり寄ってくるのだ。
女性は恐怖で怯えるが、雇い主を怖がるわけにはいかず、その場に正座したままおとなしく震えている。
そして、ゆっくりと近づいた男性が女性のスカートに口を寄せ、それに噛み付くのだ。
それを読んで私は明らかに興奮していたことを覚えている。
これらはすべて私が目にしただけのものだ。
そこに「興奮」が湧き上がってしまうことを自覚しているだけだ。
だから、どうしたいという明確な妄想があるわけではない。
でも、その身体的精神的状態に興奮してしまうことは、事実だ。
前の記事のコメント言葉を借りるとするならば。
私が共感できると言った「ドロドロの精神状態」とは、その妄想で性的興奮を感じる私の精神状態だと思っている。(するしないではなくて、それを考えているだけでも、そう思うのです)
だから、私も那智さんにこれをひっくるめて愛してほしいと思う気持ちがあるので、共感できると言ったのです。
ただ、なぜ「うんこ」を食べるときに、おえっとなる私も愛して楽しんでと思えなかったのかというと、那智さんはやはり「うんこを受け入れる」ことに価値を見いだしている人なのです。
遡れば小学生のころから漠然と「好きな子に食べさせる」という願望を持っていたそうです。
だから、これは私の勝手な想像ですが、この部分はデリケートな部分だと思っています。(那智さんはそこまで繊細には思っていないかもしれないですけど)
苦しむ私を楽しむこともあるけれど、うんこを食べることに関してはやはり美味しそうに食べるが喜び。
それを知っているから、おえってなりたくない。
そして、それ以外の時、先に書いた妄想(ドロドロの精神状態)に蓋をして那智さんの意に添いたいといつも言っているのは、それではない「ドロドロ」に付き合ってもらっているからなの。
「女の子になる」とか「めちゃくちゃ依存」のように心の欠損を埋めるような「ドロドロ」が、いまの私にはこちらの方が重要なの。
だから、そこから生まれた「那智さんの意に添うことが幸せ」というほうが優先されるのです。
那智さんは「恥ずかしい私、みっともない私」は大好きでも、「人なのに人じゃない私」「醜い私」は大好きではないだろうと、いままでの会話から推測できたいた。
この妄想を口にしたり、それを想像させるような行為を望み従うには「その妄想をするりん子が大好き、むしろその方が好き」くらいに思ってもらえないとできない。
だから、蓋をしていた。
「心の欠損」を埋める関係がとてもとても重要だったから。
ここにコメントをくれる八竈さんのブログに那智さんは遊びに行っている。
私ははじめお邪魔したけれどそれ以来行っていない。
悲しくなってしまうからだ。
その悲しい理由がやっとわかった。
そこに登場しているパートナーの方の妄想を書いた記事があったそうで、那智さんはそれを読んで「引いていた」(後にその記事に引くのではなく、それを表に出すことに対して引いていたことがわかったのだけど)
「りん子も読んでみる?」と言われたけど、断った。
悲しくなるのがわかるからだ。
人の妄想だから、どんなことが書かれているのかわからないけど、あちらのブログの輪郭を抜粋して聞かせてもらっているところから推測すると、恐らく八竃さんはそのパートナーの「ドロドロ部分」を肯定してむしろ好んでいると感じられるから、那智さんが引くようなことでも肯定的に思われている彼女の状態が羨ましいと思ってしまうのだ。
私の那智さんに話していない最初に書いたような「性的興奮の種類」を、それでいいって丸抱えにしてもらえないであろうことが、いままでの付き合いで感じ取れているから、悲しくなってしまうのだ。
そこまで那智さんに話した。
「私の妄想を那智さんが好ましく思わないだろうから、悲しい」と。
「でも、俺はそれを聞いたことがない。聞いたことがないものを肯定も否定もできない、多分否定しないと思うけど、話してごらん。」
口にするのはためらう。
誰も知らないことだ、そして、恐らく那智さんが大歓迎しない(小歓迎くらいはしても!?)感情だ。
できれば話したくない、でも、もしかしたらと喜んでくれるかもと一縷の望みも捨てられず、ざっと話すことにした。
それでも、詳しく話せないでいる私に、じゃあ、書くように言う。
そして、いま詳しく書いている。
那智さんにも同じような「性的興奮」はあったそうだ。
だけど、それには蓋をしていた。
それに気づくのは厄介だからだ。
今回自分の心と向き合っての感想は「やる側としては、その妄想をしたくなってしまうのは犯罪になりかねないから、歯止めをかけるのが面倒くさいしつまらない。される側は任せているしかないけれど、するほうはね〜制御が大変」ということだ。
ざっと話した私の心の「ドロドロ」に対しては「あっても、なくても、どちらでもかまわない」だそうだ。
那智さんにもある「ドロドロ」だけど、現段階では「なきゃ、ダメ」ってほどではない。
この部分に於いて、「これを丸抱えにして引き受ける」ほどの積極的な肯定には至らない。
それはやっぱり悲しいな。
でも、しかたがない、無理して付き合ってもらっても、まったく嬉しくない。
この記事を全部読んでどう思うかは、まだわからない。
ほかのかなりの部分を丸抱えにしてもらっているので、贅沢は言えないですよね。
私は、心の奥底を話した、それで、一番欲しい答えが返ってこなくて悲しいと訴えることもできた。
那智さんも嘘偽りなく答えてくれたはずだ。
それが、那智さんの望む付き合い方だ。
素直に心を伝える。
それができただけでも、この厳しい作業の成果はあったはずだ。
これ以降は、やっぱり那智さんの意に添えばいいのだ。
私には「父性の毛布に包んでもらう」という大切な作業があるから。
このお話、まだ続きます。
年始の大騒ぎの後で、モチベーションが保たれれば^^
COMMENT
新年、かなり前に明けましたがおめでとうございます。
挨拶は日付が元日の所へ!と思って開いたエントリが、お正月にはハードな内容だったので、ちょっと笑ってしまいました。
全てがそうではないのでしょうが、中国にはとても多くの欠損者が居ると聞きました。
もともと手足の不自由な方も勿論居ますが、物乞いをする為にあえて「落とす」方が非常に多いそうです。
生きる為とは言え別次元の思考のようにも思えますが、その境遇じゃないとわからない選択なのかもしれないです(;´Д`)
ところでダルマもそうですが、うんこ食べさせたい願望のほかに相方には歯無しフェラ願望があるようです。
あ、私に対してです。総入れ歯の人にして欲しい訳じゃないようです(笑)
その時その瞬間、私がどうするのかはわかりませんけどね。やはり底知れぬ興奮を持っているのは自覚せざるを得ないんですよね。
そこに至るまではいろんなプロセスがあると思うので、今日の明日じゃないとは思うし、彼も実際何処までどうしたらその欲望を100%で満たせるのか未だ良くわかってないみたいだから、まぁ人生かけた宿題、なのかもしれないです(笑)
というか、新年早々のレスにはこれってどうなの になりましたが・・・今年も宜しくお願いします♪
そして・・・足が更にスレンダーになった???
気のせいかなw?
挨拶は日付が元日の所へ!と思って開いたエントリが、お正月にはハードな内容だったので、ちょっと笑ってしまいました。
全てがそうではないのでしょうが、中国にはとても多くの欠損者が居ると聞きました。
もともと手足の不自由な方も勿論居ますが、物乞いをする為にあえて「落とす」方が非常に多いそうです。
生きる為とは言え別次元の思考のようにも思えますが、その境遇じゃないとわからない選択なのかもしれないです(;´Д`)
ところでダルマもそうですが、うんこ食べさせたい願望のほかに相方には歯無しフェラ願望があるようです。
あ、私に対してです。総入れ歯の人にして欲しい訳じゃないようです(笑)
その時その瞬間、私がどうするのかはわかりませんけどね。やはり底知れぬ興奮を持っているのは自覚せざるを得ないんですよね。
そこに至るまではいろんなプロセスがあると思うので、今日の明日じゃないとは思うし、彼も実際何処までどうしたらその欲望を100%で満たせるのか未だ良くわかってないみたいだから、まぁ人生かけた宿題、なのかもしれないです(笑)
というか、新年早々のレスにはこれってどうなの になりましたが・・・今年も宜しくお願いします♪
そして・・・足が更にスレンダーになった???
気のせいかなw?
薫さん
コメントありがとう〜^^
過去エントリーにコメントいただくのってすごくうれしいです。
しかも元旦を選んでくれるなんてなかなか粋なことをしてくださる^^
でも、ま〜、過去のわたしったら!!なんていうか、この頃は自分のグロテスクな部分をなんとか那智さんに認めてもらいたくて必死でした、それがものすごく恥ずかしいです^^;
SMに興味がある人は多少の差はあれ『壊れる』願望が片隅にありますよね。
それを自分の責任の負える範囲で疑似実現させていくのでしょうね。
ただ、薫さんの彼の欲望も、うんこ食べさせるだけや歯を抜くだけは100%満足するってないような気がします。
その行為の以外の『何か』が必要なんじゃないかな。
それって、信頼とか絆とか相手との関係を意味しそうなんだけど、その美しいものだけなじゃ足りない気がするんですよね(あ〜、かなり結論なく書いてます^^;)
それこそ人生の宿題という薫さんの言葉がぴったりな『何か』、なんだろうなぁ。
結論なくレスしちゃって申し訳ない感じもするのですが、薫さんとはなんとなくこういう感覚のやり取りもたのしんでもらえそうで、ちょっと甘えてしまいました^^
こんなやり取りですが、今年もどうぞよろしくお願いします♪
コメントありがとう〜^^
過去エントリーにコメントいただくのってすごくうれしいです。
しかも元旦を選んでくれるなんてなかなか粋なことをしてくださる^^
でも、ま〜、過去のわたしったら!!なんていうか、この頃は自分のグロテスクな部分をなんとか那智さんに認めてもらいたくて必死でした、それがものすごく恥ずかしいです^^;
SMに興味がある人は多少の差はあれ『壊れる』願望が片隅にありますよね。
それを自分の責任の負える範囲で疑似実現させていくのでしょうね。
ただ、薫さんの彼の欲望も、うんこ食べさせるだけや歯を抜くだけは100%満足するってないような気がします。
その行為の以外の『何か』が必要なんじゃないかな。
それって、信頼とか絆とか相手との関係を意味しそうなんだけど、その美しいものだけなじゃ足りない気がするんですよね(あ〜、かなり結論なく書いてます^^;)
それこそ人生の宿題という薫さんの言葉がぴったりな『何か』、なんだろうなぁ。
結論なくレスしちゃって申し訳ない感じもするのですが、薫さんとはなんとなくこういう感覚のやり取りもたのしんでもらえそうで、ちょっと甘えてしまいました^^
こんなやり取りですが、今年もどうぞよろしくお願いします♪