非様式美
りん子的独り言(生意気)
那智さんとはじめて会った日のこと。
はじめて男の人の前で排泄して
はじめてお尻でセックスして
はじめておしっこを飲んで
はじめてセックスでイクという感覚を憶えた
セックスでイクという感覚もいまのイクに比べたらたぶん小さいはずなんだけど、でも、はじめてセックスをして快感を放出することができた貴重な時間だった。
それまでお薬を飲んでも年に3、4回しか来なかった生理が翌日からはじまり、以後10、年毎月欠かさず来るようになっていることに象徴されるように、いろいろな意味でわたしにとって大きな転換の日だったことは間違いない。
そんな数時間の最後のほう。
何度目かのセックスの最中、後ろから突かれながら那智さんにこんなことを聞かれた。
もうこれがないと生きていかれないだろ?
わたしは答えに窮した。
いや、それがないと生きていかれないなんてものは、そうそうあるもんじゃない。
水と食料と空気と太陽と…とにかく、生きていかれないのはこういう物のことをいうのであって、それ以外のものは基本的にはなくても生きていかれる。
自分の分身のような我が子や大切な人たち、お酒や音楽、それがないと身を切られるような思いになるものや味気ない人生になりそうなものはたくさんあるとしても、でも、それがなくても心臓は止まらないものだ。
だから、答えは『NO』。
だけど、なんていうか、こういう性的な場面においてのこういう言葉って、勢いというか高揚感というか陶酔というか、そういうもののために使う場合もあるよね。
まして、SMとか主従みたいな世界に憧れていたものとしては『NO』は御法度な感じもするし、せっかくのいい雰囲気を壊してしまいそうでもある。
もともとセックス以外でも不穏な空気が苦手で役割期待に答えてしまう性質だったから、なおさら、ここで『NO』といっていいものか、迷った。
たしかに奇跡のような出会いだった。
この先の人生でこんなにわたしの感情を吸収してくれる人に出会うことはないだろう、そういった意味では那智さんがいないことはわたしの人生の大ダメージではある。
だけど、もしいなくなってしまったとしても死にはしない、生きていかれる。
まして、いま那智さんがいった「これ」はセックスや男性器のことを指しているとすれば、なおさら、まったく生きていかれる。
瞬時に迷って、わたしは「それは、わかりません」と答えた。
(過去エントリー遡って見つけたセリフ、そうそう、はっきり否定はさすがにしなかったんだよね)
ウソをつきたくなかった。
人を見下し自分も不安がつきまとうような人間関係しか築けなかったわたし、セックスにおいては演技ばかりしていつも醒めていたわたしだったけど、那智さんとは違う道を歩みたかった。
セックスで演技をするのは簡単だ。
だけど、演技をしたら、もうそこからずっとウソを上塗りしていかないといけない。
それじゃいままでと同じだ。
2回目の旅のときに男性器を『男様』と呼ぶようにいわれて、男性器の名称いいたくなかったからラッキーくらいに思って殊勝に口にするわたしに満足気な男性を見下すような気持ちにはなりたくなかった。
陶酔したくない。
本当に心の底から溢れるものだけを手に入れないと、わたしには意味のないものだった。
もしかしたら、SMや主従の世界観を重視する人からしたらナンセンスかもしれないけど、わたしは、この答えを選んだのだった。
かなり勇気がいったけど、やはりそれを口にすることができたのは那智さんの安定した機嫌のおかげだろうと思う。
それをいったからといって不機嫌になることはないという安心感はわたしを素直にさせてくれたのだ。
一方、那智さんはこのセリフをどのような気持ちで口にしたのだろう。
わたしは長年『陶酔』だと思っていた。
3回目に会うくらいまで【SMのスイッチ】が存在していた那智さんなので、あのセリフもSM的陶酔かなと。
『すべてさらけ出す』の『すべて』のような『絶対服従』の『絶対』のような。
もちろんそうだったのだけど、どちらかといえば、本当にそう思ったということのほうが大きかったらしい。
なぜなら、イッたことがないわたしがはじめてイクを経験をしたのだから、それはわたしにとって手放せない必要なものになるだろうと想定したそうだ。
それくらい、わたしの人生において重大な出来事になるだろうと思ったのだそうだ。
たしかに、いままでとは違う快感を得た衝撃は大きかった。
でも、あの時点では、それは自分のものになっておらず、あれよあれよという間の出来事だったので、この先の性的分野を決定付けることになるとは、わたしには想像できなかった。
もし仮に、それくらいの重要度だとあの嵐の中理解できたとしても、それでも『それなしでは生きていかれない』を肯定はしなかったと思うけどね^^;
とにかく、那智さんとしては『生きていかれない』という言葉選びはスイッチゆえではあるけれど、内容としてはわたしを客観視して先を見てのセリフだったそうなのだ。
(これをつい最近知った!!)
あれから那智さんはわたしとの人生を育み、SMもセックスも飽きることなく楽しんでくれている。
セックスにおいてはいつもいつも好きなように可愛がり、楽しみ、ごく自然にわたしを変え、気がつけば、自ら求め快感に没頭するわたしを作り上げていた。
なにより、那智さんに抱いてもらわないと情緒が安定しないという生活に支障を来すような状態になってしまっている。
もちろん生活破綻になるわけではないけど、那智さんに抱いてもらわないと不安で不安定ですぐ泣いてすぐ落ち込んで、那智さんにすがってしまい、迷惑かけていることにまた落ち込むという、けっこう厄介な状態になっているのは、なかなかつらいものがある。
那智さんは、わたしの淫乱を解放してくれて、わたしとのセックスを楽しんでくれた。
その結果としてこのような状態になったのだけど、じつは単なる相性の一致だけではなかったらしいのだ。
最初に会った日の「それは、わかりません」という答えが、それ以降の那智さんのひそかなモチベーションになっていたそうだ。
それなら「それなしじゃ生きていかれなくしてやろう」という負けず嫌いさんの本領発揮なわけだ。
もちろん、いつもそれを念頭に置いていたわけではないし、まして『調教』みたいにしてわたしにゴールを示したわけでもない。
(【ゴールを決めない】ことはとても大事なんだ)
ごく自然に楽しむ中で、でも、頭の片隅にその思いはあったということのようだ。
じゃあ、あのとき、わたしが『YES』と答えていたら、ここまで『りん子淫乱計画』に情熱を持たなかったですか?
と聞いてみたら、やはりここまでの情熱は生まれなかったかもしれないということだった。
それは負けず嫌いさんを刺激したと同時に、陶酔しないでいる姿勢が那智さんにとっても『信じられる』という印象を与えたのかもしれない。
何が正解かは、わからない。
性的な場面の高揚を楽しむ人やSMや主従の世界の雰囲気を楽しむ人からしたら、それを壊すつまらない女かもしれない。
でも、少なくとも、那智さんのような人にとっては自分の素直な気持ちを素直に表現する女のほうが飽きないのだ。
人は残念ながら飽きる生き物だ。
様式美を重んじる人は、どうかスルーしてほしいのだけど。
たいがいの人は『決まった答え(反応)しかない女』はたぶん飽きる。
特に、SMや主従の中には『決まった答え(反応)』だけが正解だと思う人がいるかもしれないけど、たぶん、それ以外でも案外大丈夫だったりするかもしれないと思うのだけど、どうだろう。
無理に『NO』をいう必要はないけれど、素直な気持ちを伝えることは双方にとって、じつは、よいことなのではないだろうか。
と書いているものの、実際のところはわからないんだよね。
もしかしたら100万回「あなたのものです」といわれても、伝統文化が衰退しないように、ずっと変わらず喜べる男性もいるかもしれないし、たとえ飽きる宿命を背負っていても様式美でしか感じられない人もいるかもしれないからね。
一概に、これじゃないといけないとはいえない。
様式美の快感も『NO』と言えないシチュエーションの快感もわかるしね。
でも、少なくとも那智さんのような人に長い期間飽きられずに関係を継続させるためには、素直に否定も大事だったりするのだ。
わたしはSMや主従の世界に憧れをいだいていた。
これは、わたしが勝手に自らに課していた『様式』だったのかもしれないのだけど、でも、それを意識し過ぎてウソや演技をしてしまうことは、一瞬の高揚はあったとしてもすぐ醒めてしまうことだった。
だから、那智さんに対してだけは、自らを縛っていた様式を拒否したのだ。
そして、那智さんとってそれは功を奏している。
だからね、非様式美もちょっぴりオススメいたします^^
たった一週間。
生理のバイオリズムも絡んだとはいえ、那智さんに抱いていただかないと不安定になって泣き出すわたしをたくさんたくさん可愛がる。
満たされて頬を紅潮させ肌も艶やかなわたしを見て、那智さんもきっと満足だろう。
なあ、りん子、りん子はこれがなくても生きていかれるんだよな(笑)
10年前のことを聞き返す。
那智さんに抱いていただけなくなったら、わたしの人生は真っ暗で味気なくつまらなく、生きる甲斐もないほどの大きな損失です
魂があるとするなら、それは死にます
でも、生きてはいかれます(笑)
わたしは、那智さんとわたしのためにいつまでもウソはついてはいけないのだ(笑)
<関連エントリー>
『2回目の旅1 2』
SMのスイッチ
『SMのスイッチ』
『スイッチのないSM』
『ゴールを決めない』
『ゴールを決めない理由』
「等式」感想です。「100万回貴方のものです。」と言って嘘無く言えるのだろうか。りん子が言うように、形式美を追求するならわかります、そこしかもって行き場がないので。
嘘無く会話を成立させるのは大変なことかもしれません、でも難しいからこそ、大事にして、価値を持たせ、守っていこうと思うのかもしれません。
那智さんとはじめて会った日のこと。
はじめて男の人の前で排泄して
はじめてお尻でセックスして
はじめておしっこを飲んで
はじめてセックスでイクという感覚を憶えた
セックスでイクという感覚もいまのイクに比べたらたぶん小さいはずなんだけど、でも、はじめてセックスをして快感を放出することができた貴重な時間だった。
それまでお薬を飲んでも年に3、4回しか来なかった生理が翌日からはじまり、以後10、年毎月欠かさず来るようになっていることに象徴されるように、いろいろな意味でわたしにとって大きな転換の日だったことは間違いない。
そんな数時間の最後のほう。
何度目かのセックスの最中、後ろから突かれながら那智さんにこんなことを聞かれた。
もうこれがないと生きていかれないだろ?
わたしは答えに窮した。
いや、それがないと生きていかれないなんてものは、そうそうあるもんじゃない。
水と食料と空気と太陽と…とにかく、生きていかれないのはこういう物のことをいうのであって、それ以外のものは基本的にはなくても生きていかれる。
自分の分身のような我が子や大切な人たち、お酒や音楽、それがないと身を切られるような思いになるものや味気ない人生になりそうなものはたくさんあるとしても、でも、それがなくても心臓は止まらないものだ。
だから、答えは『NO』。
だけど、なんていうか、こういう性的な場面においてのこういう言葉って、勢いというか高揚感というか陶酔というか、そういうもののために使う場合もあるよね。
まして、SMとか主従みたいな世界に憧れていたものとしては『NO』は御法度な感じもするし、せっかくのいい雰囲気を壊してしまいそうでもある。
もともとセックス以外でも不穏な空気が苦手で役割期待に答えてしまう性質だったから、なおさら、ここで『NO』といっていいものか、迷った。
たしかに奇跡のような出会いだった。
この先の人生でこんなにわたしの感情を吸収してくれる人に出会うことはないだろう、そういった意味では那智さんがいないことはわたしの人生の大ダメージではある。
だけど、もしいなくなってしまったとしても死にはしない、生きていかれる。
まして、いま那智さんがいった「これ」はセックスや男性器のことを指しているとすれば、なおさら、まったく生きていかれる。
瞬時に迷って、わたしは「それは、わかりません」と答えた。
(過去エントリー遡って見つけたセリフ、そうそう、はっきり否定はさすがにしなかったんだよね)
ウソをつきたくなかった。
人を見下し自分も不安がつきまとうような人間関係しか築けなかったわたし、セックスにおいては演技ばかりしていつも醒めていたわたしだったけど、那智さんとは違う道を歩みたかった。
セックスで演技をするのは簡単だ。
だけど、演技をしたら、もうそこからずっとウソを上塗りしていかないといけない。
それじゃいままでと同じだ。
2回目の旅のときに男性器を『男様』と呼ぶようにいわれて、男性器の名称いいたくなかったからラッキーくらいに思って殊勝に口にするわたしに満足気な男性を見下すような気持ちにはなりたくなかった。
陶酔したくない。
本当に心の底から溢れるものだけを手に入れないと、わたしには意味のないものだった。
もしかしたら、SMや主従の世界観を重視する人からしたらナンセンスかもしれないけど、わたしは、この答えを選んだのだった。
かなり勇気がいったけど、やはりそれを口にすることができたのは那智さんの安定した機嫌のおかげだろうと思う。
それをいったからといって不機嫌になることはないという安心感はわたしを素直にさせてくれたのだ。
一方、那智さんはこのセリフをどのような気持ちで口にしたのだろう。
わたしは長年『陶酔』だと思っていた。
3回目に会うくらいまで【SMのスイッチ】が存在していた那智さんなので、あのセリフもSM的陶酔かなと。
『すべてさらけ出す』の『すべて』のような『絶対服従』の『絶対』のような。
もちろんそうだったのだけど、どちらかといえば、本当にそう思ったということのほうが大きかったらしい。
なぜなら、イッたことがないわたしがはじめてイクを経験をしたのだから、それはわたしにとって手放せない必要なものになるだろうと想定したそうだ。
それくらい、わたしの人生において重大な出来事になるだろうと思ったのだそうだ。
たしかに、いままでとは違う快感を得た衝撃は大きかった。
でも、あの時点では、それは自分のものになっておらず、あれよあれよという間の出来事だったので、この先の性的分野を決定付けることになるとは、わたしには想像できなかった。
もし仮に、それくらいの重要度だとあの嵐の中理解できたとしても、それでも『それなしでは生きていかれない』を肯定はしなかったと思うけどね^^;
とにかく、那智さんとしては『生きていかれない』という言葉選びはスイッチゆえではあるけれど、内容としてはわたしを客観視して先を見てのセリフだったそうなのだ。
(これをつい最近知った!!)
あれから那智さんはわたしとの人生を育み、SMもセックスも飽きることなく楽しんでくれている。
セックスにおいてはいつもいつも好きなように可愛がり、楽しみ、ごく自然にわたしを変え、気がつけば、自ら求め快感に没頭するわたしを作り上げていた。
なにより、那智さんに抱いてもらわないと情緒が安定しないという生活に支障を来すような状態になってしまっている。
もちろん生活破綻になるわけではないけど、那智さんに抱いてもらわないと不安で不安定ですぐ泣いてすぐ落ち込んで、那智さんにすがってしまい、迷惑かけていることにまた落ち込むという、けっこう厄介な状態になっているのは、なかなかつらいものがある。
那智さんは、わたしの淫乱を解放してくれて、わたしとのセックスを楽しんでくれた。
その結果としてこのような状態になったのだけど、じつは単なる相性の一致だけではなかったらしいのだ。
最初に会った日の「それは、わかりません」という答えが、それ以降の那智さんのひそかなモチベーションになっていたそうだ。
それなら「それなしじゃ生きていかれなくしてやろう」という負けず嫌いさんの本領発揮なわけだ。
もちろん、いつもそれを念頭に置いていたわけではないし、まして『調教』みたいにしてわたしにゴールを示したわけでもない。
(【ゴールを決めない】ことはとても大事なんだ)
ごく自然に楽しむ中で、でも、頭の片隅にその思いはあったということのようだ。
じゃあ、あのとき、わたしが『YES』と答えていたら、ここまで『りん子淫乱計画』に情熱を持たなかったですか?
と聞いてみたら、やはりここまでの情熱は生まれなかったかもしれないということだった。
それは負けず嫌いさんを刺激したと同時に、陶酔しないでいる姿勢が那智さんにとっても『信じられる』という印象を与えたのかもしれない。
何が正解かは、わからない。
性的な場面の高揚を楽しむ人やSMや主従の世界の雰囲気を楽しむ人からしたら、それを壊すつまらない女かもしれない。
でも、少なくとも、那智さんのような人にとっては自分の素直な気持ちを素直に表現する女のほうが飽きないのだ。
人は残念ながら飽きる生き物だ。
様式美を重んじる人は、どうかスルーしてほしいのだけど。
たいがいの人は『決まった答え(反応)しかない女』はたぶん飽きる。
特に、SMや主従の中には『決まった答え(反応)』だけが正解だと思う人がいるかもしれないけど、たぶん、それ以外でも案外大丈夫だったりするかもしれないと思うのだけど、どうだろう。
無理に『NO』をいう必要はないけれど、素直な気持ちを伝えることは双方にとって、じつは、よいことなのではないだろうか。
と書いているものの、実際のところはわからないんだよね。
もしかしたら100万回「あなたのものです」といわれても、伝統文化が衰退しないように、ずっと変わらず喜べる男性もいるかもしれないし、たとえ飽きる宿命を背負っていても様式美でしか感じられない人もいるかもしれないからね。
一概に、これじゃないといけないとはいえない。
様式美の快感も『NO』と言えないシチュエーションの快感もわかるしね。
でも、少なくとも那智さんのような人に長い期間飽きられずに関係を継続させるためには、素直に否定も大事だったりするのだ。
わたしはSMや主従の世界に憧れをいだいていた。
これは、わたしが勝手に自らに課していた『様式』だったのかもしれないのだけど、でも、それを意識し過ぎてウソや演技をしてしまうことは、一瞬の高揚はあったとしてもすぐ醒めてしまうことだった。
だから、那智さんに対してだけは、自らを縛っていた様式を拒否したのだ。
そして、那智さんとってそれは功を奏している。
だからね、非様式美もちょっぴりオススメいたします^^
たった一週間。
生理のバイオリズムも絡んだとはいえ、那智さんに抱いていただかないと不安定になって泣き出すわたしをたくさんたくさん可愛がる。
満たされて頬を紅潮させ肌も艶やかなわたしを見て、那智さんもきっと満足だろう。
なあ、りん子、りん子はこれがなくても生きていかれるんだよな(笑)
10年前のことを聞き返す。
那智さんに抱いていただけなくなったら、わたしの人生は真っ暗で味気なくつまらなく、生きる甲斐もないほどの大きな損失です
魂があるとするなら、それは死にます
でも、生きてはいかれます(笑)
わたしは、那智さんとわたしのためにいつまでもウソはついてはいけないのだ(笑)
<関連エントリー>
『2回目の旅1 2』
SMのスイッチ
『SMのスイッチ』
『スイッチのないSM』
『ゴールを決めない』
『ゴールを決めない理由』
「等式」感想です。「100万回貴方のものです。」と言って嘘無く言えるのだろうか。りん子が言うように、形式美を追求するならわかります、そこしかもって行き場がないので。
嘘無く会話を成立させるのは大変なことかもしれません、でも難しいからこそ、大事にして、価値を持たせ、守っていこうと思うのかもしれません。
COMMENT
なんかりん子さんの考え方と似てる~
変なところで現実的って自分では思ってました。
色々夢見るくせにw
変なところで現実的って自分では思ってました。
色々夢見るくせにw
あこさん
そうそう!!
夢見るのは、とーっても夢見るんだよね!!
でも、「だって、死なないもん」とか思ちゃう。
可愛くいいかと言えば、可愛くないけど^^;
きっとある種の男性からしたら『信憑性のある女』って思われると信じています^^
そうそう!!
夢見るのは、とーっても夢見るんだよね!!
でも、「だって、死なないもん」とか思ちゃう。
可愛くいいかと言えば、可愛くないけど^^;
きっとある種の男性からしたら『信憑性のある女』って思われると信じています^^