男たちの手(前振り『もらうセックス』)
独特な幸福感
ちょっと『徒然』気味で^^;
2回くらい漠然とした感覚的なお話になるかと思います。
『たくさんの男の手』を経験したお話の前振りというか助走みたいなエントリーになると思う。
あまり上手くまとめられそうにないので、徒然気味で^^
書きためたものをアップしていますので、コメントへのお返事はすこしお待ちくださいませ。
那智さんとのセックスは、ううん、もっと具体的に言おう。
那智さんのおちんちんを入れてもらうことは。
性的な快感としての気持ち良さだけじゃないものを私にくれる。
愛情の確認と言えば一般的だと思うけど、もう少し違っていてね。
庇護され、大切にされ、女の子という性が幸福でいるために必要な栄養を与えられているような感じ。
これは、温かくて、ちょっと照れ臭いような安心感なんだ。
おちんちんをおまんこに入れているだけなのに。
ひな鳥が親鳥からエサをついばむような感覚になる。
セックスのたびにいちいちこんなこと考えているわけじゃないのだけど。
日常でふと思い出すとき、性的な興奮と同じくらいにこの安心感も沸き上がるのだ。
特に、デートの予定が立たず前に入れてもらってから少し間が空いたりすると、とてもとても欲しくなる。
これが、欲情だけじゃないのだ。
あの安心。
あの庇護される心地よさ。
私の栄養。
那智さんの両腕に収まるようなセックス。
それが欲しくてたまらなくなる。
こんなとき。
ああ、私はセックスで快感と安心を得ているんだなと自分のことを理解する。
女としての欲情と女の子に必要な栄養と両方求めているのだ。
そのどちらかが強く表に出るときもあるし、両方ごちゃまぜになって欲するときもある。
ちょっとデートの間が空いて、この日は『女の子の栄養不足』みたいな感じがしていた。
那智さんの腕の中で包まれながらおちんちんを入れてもらいたい。
強く強くそう思った朝、そのまま伝えてみた。
こういうことを口にすることはとてもためらうのですが。
那智さんに入れてもらいたいです。(ああ、決して『入れていただきたい』とは言えない私^^;)
性的な快感だけではなくて、愛情というか守られているというか、安心するんです。
その安心がすごくほしいです。
それはセックスをするということなの?
それともいろいろなことをひっくるめて?
いまの場合は『入れる』行為です。
不思議ですよね、セックスというだけなんですけどね、愛情を注がれているように感じるのです。
それがほしくてたまらなくなるんです。
なにを今更言ってるの?
それって普通のことじゃない?
セックスは気持ちいいこともそうだけど、愛情の確認でもあるでしょ?
ああ、そうだった。
軽く衝撃が走る。
愛情の確認というととても一般的なんだけど、私たちの間では『庇護し庇護される』ということが愛情確認になるので、私の欲するセックスはひと口に言えば愛情確認で間違いない。
(『庇護し庇護される関係』は『対等で上下』いつもリンク貼ってるけど、今回も)
那智さんはこのとき『2人にとって』という前提で話をしていたのだけど、私は違う気持ちになってしまって『ああ、そうだった』とちょっとショックを受けたのだ。
恋人同士は当然のこと一晩限りやパートナー探しの場合だって、大人同士合意の上での行為だった。
だから、誰の責任でもなくて、私の立ち位置のせいなんだと思うけど。
(『見下しと不安』)
那智さん以前のセックスは、どれも全部『与えるセックス』だったんだ。
相手に好かれるように。
相手がいい気分になるように。
相手が満足するように。
やっていることはおまんこにおちんちんを入れること。
だけど、『与えるだけのセックス』と『分かち合うセックス』、もっというと『もらうセックス』は、こちらの幸福度が歴然と違う。
そうだ、私は与えてばかりだったんだな。
合意でも自己責任でもなんでもいい、だけど、私にとって『与えるだけのセックス』は消耗だったんだな。
『分かち合うセックス』が普通のことじゃない?と那智さんにいわれ、『与えるセックス』しか存在しなかった過去の私を思い起こし、軽く衝撃を受けてしまったのです。
何がどう違うのかうまく説明できないのだけど。
性的な場面で女性は傷つく性を持っているというのは、この消耗感から得た答え。
(『りん子的独りって』)
与えるセックスで喜びを得られる性癖もあるでしょう。
それは、それで肯定します。
ただ、私は与えるだけのセックスでは傷つくということ。
那智さんから、女として、女の子として、『もらうセックス』をしてもらう。
間が空くとほしくてほしくてたまらなくなってしまうのは、それが私に必要な栄養だから。
そして、とても厄介なことに、私はアブノーマルなことで興奮する性癖を持ってしまっている。
苦痛。
羞恥。
人の目。
M女とかマゾとかいわれる性癖。
これらと『もらうセックス』の両立って、難しいと思いません?
ああ、とっても感覚的なことで上手に説明できないのだけど。
ほら、M女とかマゾって、蔑まされて当然とか搾取される存在に思われてません?
それが傷つくのだ。
分かち合いながらもらいながら、酷いことをして私が傷つかないようにすることは、とても難しいことだと思う。
(『諸刃の刃』『被虐の種類』『否応なくマゾ』)
那智さんは時間をかけてそれをしてくれている。
時期を見て。
タイミングを計って。
私の渦巻く欲望を、那智さんのやりたい方法で叶えてくれている。
またひとつ、叶えてもらった。
それは『たくさんの男の手』。
多分、書く気になるから(笑)
前置きまだあるけどゆっくり書かせていただきますね^^
ちょっと『徒然』気味で^^;
2回くらい漠然とした感覚的なお話になるかと思います。
『たくさんの男の手』を経験したお話の前振りというか助走みたいなエントリーになると思う。
あまり上手くまとめられそうにないので、徒然気味で^^
書きためたものをアップしていますので、コメントへのお返事はすこしお待ちくださいませ。
那智さんとのセックスは、ううん、もっと具体的に言おう。
那智さんのおちんちんを入れてもらうことは。
性的な快感としての気持ち良さだけじゃないものを私にくれる。
愛情の確認と言えば一般的だと思うけど、もう少し違っていてね。
庇護され、大切にされ、女の子という性が幸福でいるために必要な栄養を与えられているような感じ。
これは、温かくて、ちょっと照れ臭いような安心感なんだ。
おちんちんをおまんこに入れているだけなのに。
ひな鳥が親鳥からエサをついばむような感覚になる。
セックスのたびにいちいちこんなこと考えているわけじゃないのだけど。
日常でふと思い出すとき、性的な興奮と同じくらいにこの安心感も沸き上がるのだ。
特に、デートの予定が立たず前に入れてもらってから少し間が空いたりすると、とてもとても欲しくなる。
これが、欲情だけじゃないのだ。
あの安心。
あの庇護される心地よさ。
私の栄養。
那智さんの両腕に収まるようなセックス。
それが欲しくてたまらなくなる。
こんなとき。
ああ、私はセックスで快感と安心を得ているんだなと自分のことを理解する。
女としての欲情と女の子に必要な栄養と両方求めているのだ。
そのどちらかが強く表に出るときもあるし、両方ごちゃまぜになって欲するときもある。
ちょっとデートの間が空いて、この日は『女の子の栄養不足』みたいな感じがしていた。
那智さんの腕の中で包まれながらおちんちんを入れてもらいたい。
強く強くそう思った朝、そのまま伝えてみた。
こういうことを口にすることはとてもためらうのですが。
那智さんに入れてもらいたいです。(ああ、決して『入れていただきたい』とは言えない私^^;)
性的な快感だけではなくて、愛情というか守られているというか、安心するんです。
その安心がすごくほしいです。
それはセックスをするということなの?
それともいろいろなことをひっくるめて?
いまの場合は『入れる』行為です。
不思議ですよね、セックスというだけなんですけどね、愛情を注がれているように感じるのです。
それがほしくてたまらなくなるんです。
なにを今更言ってるの?
それって普通のことじゃない?
セックスは気持ちいいこともそうだけど、愛情の確認でもあるでしょ?
ああ、そうだった。
軽く衝撃が走る。
愛情の確認というととても一般的なんだけど、私たちの間では『庇護し庇護される』ということが愛情確認になるので、私の欲するセックスはひと口に言えば愛情確認で間違いない。
(『庇護し庇護される関係』は『対等で上下』いつもリンク貼ってるけど、今回も)
那智さんはこのとき『2人にとって』という前提で話をしていたのだけど、私は違う気持ちになってしまって『ああ、そうだった』とちょっとショックを受けたのだ。
恋人同士は当然のこと一晩限りやパートナー探しの場合だって、大人同士合意の上での行為だった。
だから、誰の責任でもなくて、私の立ち位置のせいなんだと思うけど。
(『見下しと不安』)
那智さん以前のセックスは、どれも全部『与えるセックス』だったんだ。
相手に好かれるように。
相手がいい気分になるように。
相手が満足するように。
やっていることはおまんこにおちんちんを入れること。
だけど、『与えるだけのセックス』と『分かち合うセックス』、もっというと『もらうセックス』は、こちらの幸福度が歴然と違う。
そうだ、私は与えてばかりだったんだな。
合意でも自己責任でもなんでもいい、だけど、私にとって『与えるだけのセックス』は消耗だったんだな。
『分かち合うセックス』が普通のことじゃない?と那智さんにいわれ、『与えるセックス』しか存在しなかった過去の私を思い起こし、軽く衝撃を受けてしまったのです。
何がどう違うのかうまく説明できないのだけど。
性的な場面で女性は傷つく性を持っているというのは、この消耗感から得た答え。
(『りん子的独りって』)
与えるセックスで喜びを得られる性癖もあるでしょう。
それは、それで肯定します。
ただ、私は与えるだけのセックスでは傷つくということ。
那智さんから、女として、女の子として、『もらうセックス』をしてもらう。
間が空くとほしくてほしくてたまらなくなってしまうのは、それが私に必要な栄養だから。
そして、とても厄介なことに、私はアブノーマルなことで興奮する性癖を持ってしまっている。
苦痛。
羞恥。
人の目。
M女とかマゾとかいわれる性癖。
これらと『もらうセックス』の両立って、難しいと思いません?
ああ、とっても感覚的なことで上手に説明できないのだけど。
ほら、M女とかマゾって、蔑まされて当然とか搾取される存在に思われてません?
それが傷つくのだ。
分かち合いながらもらいながら、酷いことをして私が傷つかないようにすることは、とても難しいことだと思う。
(『諸刃の刃』『被虐の種類』『否応なくマゾ』)
那智さんは時間をかけてそれをしてくれている。
時期を見て。
タイミングを計って。
私の渦巻く欲望を、那智さんのやりたい方法で叶えてくれている。
またひとつ、叶えてもらった。
それは『たくさんの男の手』。
多分、書く気になるから(笑)
前置きまだあるけどゆっくり書かせていただきますね^^
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