徒然に『根性棒』
独特な幸福感
結局、根性棒初日はちゃんと打つという段階にはならなかった。
きっと那智さんとしては最初は様子見のつもりだったはずなので予定通りだったと思うのだけど、思いのほか簡単に流血してしまったことは多少予想とは違ったのだと思う。
だから様子見プラス課題を残すようなおしまいの形になった。
(切れる可能性は考えていたと思うんだけど、『思いのほか簡単に』というのが予想外だったはず)
想定より簡単に流血したから終了になるのは当然の流れなんだけど、ここにも那智さんなりの筋のようなものはある。
それは、那智さんが上下の上としての主導権を握ることとそこから発生する責任ゆえのこと。
いずれ『切れてもかまわない』と判断するかもしれないけれど、現時点で『想定外』の流血は避けたいと那智さんも思ったはずなんだ。
那智さんは肌に消えない傷を残すことが好きではないらしい。
できるだけ元の状態に戻ることが前提にあるようだ。
だから元に戻らないもの(刺青やピアスや火傷、その他深い傷)を残すときには、それを敢えて選ぶ覚悟をしているのだと思う。
だからいまの段階ではなしなわけですね。
いつもわたしとの間で起こることは基本的に『想定内』にしておきたい人なのだ。
那智さん主導で想定内にしておくことで、何か起こったときに責任を負うことができるものね。
(ついでにいうと、できればわたしの想定外であるほうがいい^^)
どうやったら切れないか試行錯誤してくれる、そして、仮に切れることを避ける術が見つからなかったとしたら、それでも打ちたいと思う気持ちと計りにかけて、那智さんの判断と責任において行われる。
想定外の傷はNGだけどわかった上で残す傷はOKということなのですね。
わたしはただそれを待つだけ、ということ。
那智さんの意思でこの日はおしまいになったけど、『まあ、流血してもいいか』と笑う那智さんがちょっぴり残念そうに見えてわたしまで切なくなってしまった。
あんなにうれしそうにされているのだもの、切れても痕が残っても那智さんに満足いくまで打たせて差し上げたい、そんな献身的な気持ちになる。
でも、献身的な気持ちはふたりの間ではあまりよくない思考回路なんだよね。
那智さんはわたしを様々な方法で可愛がりたいと思い、わたしはそれで喜び感じることが大事なのであって、道具を使いたいためにわたしを打つとなると那智さんと道具のための行為になっちゃう。
いや、『道具のためのわたし』っていうのもマゾ的嗜好としては若干萌えではあるけれど、やはり現実問題としてそれでとても痛いことを受けるのはむずかしい。
もしかしたら、献身している喜びは味わえるかもしれないけど、やはり快感に繋げることがむずかしいだろう。
ここはちょっと重要、それは、関係を継続させたいと思うことから発生しているわたしたちには大事な思考回路なんだ。
那智さんがわたしにする痛いことはとても痛い。
とても痛いことでも快感に変えることではじめて、『もっと』や『次も』と思えるもの。
献身の気持ちで苦痛に耐えることを主眼においてしまうと、わたしの場合快感には変わってくれないのだ。
ただ苦痛に耐えているものは長い年月は続けられない。
『もっと』や『次も』と思えるからこそ、長く継続できる。
だから打たせて差し上げたいという献身的な気持ちはわたしたちにはよくない思考回路なわけです。
根性棒終了後にそんな気持ちもお話しした。
もちろん、りん子はそんなことは考えなくていい。
俺の判断でやるときはやるから。
とあくまでも那智さん主導でいてくれた。
それにしても、その後もホテルにいる間。
お風呂やマッサージなどなどしているとき以外は、けっこうな時間根性棒を愛でていた那智さん^^;
お気に入りのおもちゃをずっとこめくりまわすようにずっと。
なぜ切れてしまったか。
どうしたら大丈夫になるか。
根性棒を眺めて撫でていろいろ検討していた。
もともと割ってあった部分が切りっぱなしになっているので、そこが皮膚を刺して切れたようなんだけど、どうやら最初の加工の段階で?噛み合わせがよくなかったらしくふたつを合わせるとすこしズレるのだ。
そのズレてはみ出たところで切れてしまうらしい。
ということは、そのエッジを紙ヤスリで丸くすれば切れないのではないかということになった。
じゃあ、何箇所か割れたところ全部ヤスリをかけることになるのですね。
なんだか面倒な作業になりそうなんだけど、それでも使いたいと思う情熱がうれしいし、それがする側のモチベーションなんだな〜とちょっと不思議な気持ちになる。
それをご自分が納得する形にもっていこうとしてくれることもありがたい。
年明けのある日。
お電話でつながりながら、エッジを取る作業をしてくれていた。
ときどき、途切れる会話の合間に『シャッシャ』と紙ヤスリのこすれる音が聞こえてくる。
きっと、これで切れないとわかったら限界の片鱗を見極めながらいつかとてもとても痛く叩かれるだろう。
わたしを可愛がるための凶器を大好きな人にメンテナンスしてもらっている様子を聞く。
それは、とても恐ろしくて、とろけるような幸福な時間だった。
ところで。
じつは、この日の根性棒。
ホテルのある街でなくしてしまっていた。
小振りのキャリーバッグの取っ手を収納する隙間にさしていたらしいのだけど、どうやらスルッと落ちてしまったみたいなんだよね(バッグには収まりきれないからやむを得ずさしていたらしいです)
電車で気づいたそうなんだけど、どこで落としたかわからないしわざわざ探しに戻るわけにもいかず、残念ながら初代根性棒さんとは一日限りのお付き合いとなってしまった。
後日2本、追加購入されたそうでヤスリの音は2代目3代目の音だったのだ。
初代の何箇所か割れていった感じはなかなか拷問シーンを思い起こさせる音やしなり方だったので惜しい気もするけれど、まあ、これも縁。
○○の街で悪用されていないことを(ちょっと真剣に)祈るばかりです。
もし、繁華街で割れた竹を茶色に塗装した『根性棒』が落ちていたら、お手数ですが速やかに処分していただくか、わたしまでご連絡をくださいませ^^
<関連エントリー>
『『あなたのために』はしない』
『暗闇にならない『あなたのため』』
今朝の「等式」感想です。
「道具のための私」なんて良いことりん子も言いますね。道具は使う対象があって存在価値がある、でも、その道具を使いたいが為にその対象を探す行為は理解できるよな~。根性棒についてはその後も色々あり、今は竹刀の二刀流、小刀を研究中。(笑)
結局、根性棒初日はちゃんと打つという段階にはならなかった。
きっと那智さんとしては最初は様子見のつもりだったはずなので予定通りだったと思うのだけど、思いのほか簡単に流血してしまったことは多少予想とは違ったのだと思う。
だから様子見プラス課題を残すようなおしまいの形になった。
(切れる可能性は考えていたと思うんだけど、『思いのほか簡単に』というのが予想外だったはず)
想定より簡単に流血したから終了になるのは当然の流れなんだけど、ここにも那智さんなりの筋のようなものはある。
それは、那智さんが上下の上としての主導権を握ることとそこから発生する責任ゆえのこと。
いずれ『切れてもかまわない』と判断するかもしれないけれど、現時点で『想定外』の流血は避けたいと那智さんも思ったはずなんだ。
那智さんは肌に消えない傷を残すことが好きではないらしい。
できるだけ元の状態に戻ることが前提にあるようだ。
だから元に戻らないもの(刺青やピアスや火傷、その他深い傷)を残すときには、それを敢えて選ぶ覚悟をしているのだと思う。
だからいまの段階ではなしなわけですね。
いつもわたしとの間で起こることは基本的に『想定内』にしておきたい人なのだ。
那智さん主導で想定内にしておくことで、何か起こったときに責任を負うことができるものね。
(ついでにいうと、できればわたしの想定外であるほうがいい^^)
どうやったら切れないか試行錯誤してくれる、そして、仮に切れることを避ける術が見つからなかったとしたら、それでも打ちたいと思う気持ちと計りにかけて、那智さんの判断と責任において行われる。
想定外の傷はNGだけどわかった上で残す傷はOKということなのですね。
わたしはただそれを待つだけ、ということ。
那智さんの意思でこの日はおしまいになったけど、『まあ、流血してもいいか』と笑う那智さんがちょっぴり残念そうに見えてわたしまで切なくなってしまった。
あんなにうれしそうにされているのだもの、切れても痕が残っても那智さんに満足いくまで打たせて差し上げたい、そんな献身的な気持ちになる。
でも、献身的な気持ちはふたりの間ではあまりよくない思考回路なんだよね。
那智さんはわたしを様々な方法で可愛がりたいと思い、わたしはそれで喜び感じることが大事なのであって、道具を使いたいためにわたしを打つとなると那智さんと道具のための行為になっちゃう。
いや、『道具のためのわたし』っていうのもマゾ的嗜好としては若干萌えではあるけれど、やはり現実問題としてそれでとても痛いことを受けるのはむずかしい。
もしかしたら、献身している喜びは味わえるかもしれないけど、やはり快感に繋げることがむずかしいだろう。
ここはちょっと重要、それは、関係を継続させたいと思うことから発生しているわたしたちには大事な思考回路なんだ。
那智さんがわたしにする痛いことはとても痛い。
とても痛いことでも快感に変えることではじめて、『もっと』や『次も』と思えるもの。
献身の気持ちで苦痛に耐えることを主眼においてしまうと、わたしの場合快感には変わってくれないのだ。
ただ苦痛に耐えているものは長い年月は続けられない。
『もっと』や『次も』と思えるからこそ、長く継続できる。
だから打たせて差し上げたいという献身的な気持ちはわたしたちにはよくない思考回路なわけです。
根性棒終了後にそんな気持ちもお話しした。
もちろん、りん子はそんなことは考えなくていい。
俺の判断でやるときはやるから。
とあくまでも那智さん主導でいてくれた。
それにしても、その後もホテルにいる間。
お風呂やマッサージなどなどしているとき以外は、けっこうな時間根性棒を愛でていた那智さん^^;
お気に入りのおもちゃをずっとこめくりまわすようにずっと。
なぜ切れてしまったか。
どうしたら大丈夫になるか。
根性棒を眺めて撫でていろいろ検討していた。
もともと割ってあった部分が切りっぱなしになっているので、そこが皮膚を刺して切れたようなんだけど、どうやら最初の加工の段階で?噛み合わせがよくなかったらしくふたつを合わせるとすこしズレるのだ。
そのズレてはみ出たところで切れてしまうらしい。
ということは、そのエッジを紙ヤスリで丸くすれば切れないのではないかということになった。
じゃあ、何箇所か割れたところ全部ヤスリをかけることになるのですね。
なんだか面倒な作業になりそうなんだけど、それでも使いたいと思う情熱がうれしいし、それがする側のモチベーションなんだな〜とちょっと不思議な気持ちになる。
それをご自分が納得する形にもっていこうとしてくれることもありがたい。
年明けのある日。
お電話でつながりながら、エッジを取る作業をしてくれていた。
ときどき、途切れる会話の合間に『シャッシャ』と紙ヤスリのこすれる音が聞こえてくる。
きっと、これで切れないとわかったら限界の片鱗を見極めながらいつかとてもとても痛く叩かれるだろう。
わたしを可愛がるための凶器を大好きな人にメンテナンスしてもらっている様子を聞く。
それは、とても恐ろしくて、とろけるような幸福な時間だった。
ところで。
じつは、この日の根性棒。
ホテルのある街でなくしてしまっていた。
小振りのキャリーバッグの取っ手を収納する隙間にさしていたらしいのだけど、どうやらスルッと落ちてしまったみたいなんだよね(バッグには収まりきれないからやむを得ずさしていたらしいです)
電車で気づいたそうなんだけど、どこで落としたかわからないしわざわざ探しに戻るわけにもいかず、残念ながら初代根性棒さんとは一日限りのお付き合いとなってしまった。
後日2本、追加購入されたそうでヤスリの音は2代目3代目の音だったのだ。
初代の何箇所か割れていった感じはなかなか拷問シーンを思い起こさせる音やしなり方だったので惜しい気もするけれど、まあ、これも縁。
○○の街で悪用されていないことを(ちょっと真剣に)祈るばかりです。
もし、繁華街で割れた竹を茶色に塗装した『根性棒』が落ちていたら、お手数ですが速やかに処分していただくか、わたしまでご連絡をくださいませ^^
<関連エントリー>
『『あなたのために』はしない』
『暗闇にならない『あなたのため』』
今朝の「等式」感想です。
「道具のための私」なんて良いことりん子も言いますね。道具は使う対象があって存在価値がある、でも、その道具を使いたいが為にその対象を探す行為は理解できるよな~。根性棒についてはその後も色々あり、今は竹刀の二刀流、小刀を研究中。(笑)