お散歩の裏話2
独特な幸福感
ああ、うまくまとめられなかった。
でも、アップしちゃおう。
6mのお散歩を通して那智さんの覚悟や心の一面を知り、わたしの心構えを教えてもらったりして、また少し理解し合えたなと嬉しい気持ちになった。
そして、もうひとつ、これもわたしにとって一歩前進なことがあった。
相変わらずぼんやりとしたままだけど、わたしの『核』を感じさせてくれるような、一歩。
それはね、最初はふたりの認識の違いからわかったことだったんだ。
凹みでカウントを始めたとき。
那智さんは時々カウントダウンをして遊ぶことはあるけれど、ああいう重要な場面ではほとんどしないのね。
『やらせる目』などはあっても、強制するようなことはしないんだ。
那智さんにとって、わたしの喜びに繋がらないと意味がないので、きちんと理由を説明すればそこに至までのプロセスは基本的に自由。
だから、『いま、ちょっと怖いから、わたしのタイミングでやらせてください』と言えば、わかってくれる。
だけど、あのとき、人の流れが収まるまで待ってほしいとお願いしたのに聞き入れてもらえなかった。
だから、なぜわかってもらえないの!!って、結局半ばやけっぱちで四つん這いになったんだ。
で、実は、那智さんはそれを理解できていなかったそうなんだ。
わたしがパニック気味に『人が来ているから』と訴えてたことが、那智さんには伝わっていなくて、ただの拒否にしか見えなかったのだそう。
しかも、人の流れには背を向けて立っていたから、余計に伝わりにくかったみたい。
だから、那智さんとしては『なぜ?』という疑問でカウントダウンだったらしいのだ。
基本的に性的な場面では拒否権のないわたし。
那智さんんがやらせようと思えば、それはもう『やる』ことに決まっている。
それなりの理由があれば拒否も受け入れたとしても、ただの拒否は通用しないとわかっているはずなのに、いくら首を振っても拒否し続けるりん子に、疑問を持ち、仕方なくカウントダウンをしたのだ。
多分、わたしの訴えがまともに伝わっていれば、那智さんは待ってくれたはずなんだ。(ということはお散歩にも発展しなかった?)
お互い『なぜ?』という思いが残ったままのわんこだったということが、後の電話で発覚したのだ。
まあ、わたしは、その後は必死で、さらに足の動きから幸福を感じることはできた。
だけど、那智さんもそれなりに楽しめはしたけど、やはり疑問は残ったままだったのだそう。
声をかけられて驚いた分楽しめなかったことは、仕方ない、今後の参考になるしね。
だけど、わたしとの間のことで疑問を感じながら十分楽しめなかったことは、とても珍しく、わずかな影を残したのだ。
極端な、すごく極端な言い方をすれば。
那智さんにとって、あのカウントダウンは『強制』で、お散歩は結果的に『制裁』になってしまったということになる。
基本的に、『強制』も『制裁』もせずに、わたしに酷いことをして可愛がりたいのだから、那智さんからしたら不本意な結果だったわけです。
だから、拒否をするわたしに『ムカついたり怒ったりはしていないけど、わずかに疑問が残った』ということだったのです。
これを聞いたとき、自分でも驚くほどあっという間に涙が溢れてきた。
面白いくらいに心が急速に悲しくなっていく。
大げさな言い方だけど、絶望を想像するくらい、悲しかった。
なぜだろう。
こんなにわたし頑張ったのに!!という悔しい気持ちでもなくて。
那智さんに満足してもらえなかったという殊勝な気持ちでもなくて。
ああ、共有できていなかったんだという淋しい気持ちだったんだ。
そのとき思ったの。
わたしは那智さんと『幸せの共有』をしていたいんだなって。
好きな人と見る桜はとてもきれいだ。
好きな人と「おいしいね〜」といいながら食べる食事は、格段においしい。
それは『幸せを共有』しているからだよね。
わたしは、桜もお食事ももちろんだけど、どんな場面でも、ギリギリの状態ででも那智さんと『幸せの共有』をしていたいんだ。
違う人間同士、まったく同じ感覚を共有するということは難しいかもしれない。
でも、お互い誤解することなく、相手の気持ちをわかり合えるということが『幸せの共有』になれると思う。
この味ちょっと濃いね。
そう?わたしは好きだよ。
うん、でもこのソースは好きな味。
そうだね、おいしいね。
こんなふうに、大切な人の気持ちを理解できると、感じることは違っても料理はおいしくなると思うのだ。
このような好きな人と気持ちを共有したいという思いは、理解していただきやすいかもしれない。
この先のことがちょっとわかりにくいと思うのだけど、読んでみてください。
わたしは、同化願望が強いので、那智さんと同じ景色を見ていたい、同じ気持ちになることは難しくてもできるだけ気持ちに寄り添っていたいという思いが強いみたいなのだ。
だから、わんこで那智さんがわたしに対して『?』と思いながら散歩をしていたという事実は、同じ景色を見ることができていなかったといことに感じられて、とても悲しかった。
那智さんとわたしには上下関係がある。
優劣ではなく、上下。
上下という立場を選んでいる。
従わせたい人と、従いたい人。
守りたい人と、守られていたい人。
責任を持つ人と、委ねる人。
そういうことを上下を呼んでいる。
これには優劣ないよね?
対等で等価値がある中での上下関係。
ご主人様のための滅私じゃないと理解していただけるかな。
この『下』の立場で感じる『幸せの共有』を求めているんだと、とても感じたのです。
娘がお父さんの膝の上に座って、一緒にテレビを観て笑っている。
違う立場で同じ幸せを共有しているよね。
ボール遊びをしている飼い主と犬も。
拾ってきたボールを受け取りよしよししている飼い主と、撫でられている犬にも幸せの共有があるはずだ。
優劣や、どちらかが我慢するようなこともなく、『上』と『下』双方違う立場で幸せを共有しているよね。
わたしは、投げられたボールを何度も拾いに行く、何度も何度も。(ときどき、すねたりするけど^^;)
そこにあるのは、献身でも忠誠でもない。
原動力は命令や厳しさではなく、下の立場から感じる幸せの共有。
お互い『あれ?』と思うことなく、わかり合う幸せを感じていたい。
例え違う意見を持っていたとしても、それを理解し合いたい。
で、さらに、同化していたい『下』のわたしは、那智さんに寄り添うような感覚で共有していたいと思うのだ。
疑うことなくまっすぐな気持ちで、あなたの気持ちに寄り添いたい。
滅私じゃない、忠誠じゃない、だけど、那智さんの満足はわたしの満足。
そんな感じかな。
だから、今回、わたしの本意が伝わっていなくて、那智さんにとって『わずかな疑問』を持ったままのわんこだったことが、悲しくてしかたなかった。
しゃくり上げるほど泣いている自分を不思議に思いながら、わかり合えていなかったことがこんなにもショックだなんて、わたしは『下』として寄り添いながら『幸せの共有』をしたいんだなと思った。
これってなんだろう。
M?従属?父性?
わたしはマゾです、奴隷です、犬です、娘です、どれもピースがはまりそうではまらないと思ってた。
『奴隷』は違うと気づいたので早々に脱ぎ捨てたけど^^、それ以外のものも、ちょっとサイズの合わない服を着ているような、違わないけどジャストじゃないという感覚。
だから、普段はTPO(?)に合わせて伝わりやすい名称を選んでる感じだった。
ブログでもその時によって、親子や犬やマゾやいろいろ使ってるし、『大切にされながら酷いことをしてほしい』とか『父性の毛布にくるまりたい』とか、いろんな言葉を使ってなんとか伝えたいと四苦八苦している。
だけど『これ!!』というものが、まだわかっていない。
結局今回もぴったりピースははまっていないけど。
わたしの求めているものは『下の立場で幸せの共有をしていたい』だ。
これは『核』に近い感じがする。
お散歩のあといろいろな話しをして、ちょっと『核』に近づけた感じがするので、一歩前進なのでした。
で、これってなんて呼んだらいいのだろう?
なにか当てはまる名称を探しているのだけど、まだ見つかっていない^^;
ああ、うまくまとめられなかった。
でも、アップしちゃおう。
6mのお散歩を通して那智さんの覚悟や心の一面を知り、わたしの心構えを教えてもらったりして、また少し理解し合えたなと嬉しい気持ちになった。
そして、もうひとつ、これもわたしにとって一歩前進なことがあった。
相変わらずぼんやりとしたままだけど、わたしの『核』を感じさせてくれるような、一歩。
それはね、最初はふたりの認識の違いからわかったことだったんだ。
凹みでカウントを始めたとき。
那智さんは時々カウントダウンをして遊ぶことはあるけれど、ああいう重要な場面ではほとんどしないのね。
『やらせる目』などはあっても、強制するようなことはしないんだ。
那智さんにとって、わたしの喜びに繋がらないと意味がないので、きちんと理由を説明すればそこに至までのプロセスは基本的に自由。
だから、『いま、ちょっと怖いから、わたしのタイミングでやらせてください』と言えば、わかってくれる。
だけど、あのとき、人の流れが収まるまで待ってほしいとお願いしたのに聞き入れてもらえなかった。
だから、なぜわかってもらえないの!!って、結局半ばやけっぱちで四つん這いになったんだ。
で、実は、那智さんはそれを理解できていなかったそうなんだ。
わたしがパニック気味に『人が来ているから』と訴えてたことが、那智さんには伝わっていなくて、ただの拒否にしか見えなかったのだそう。
しかも、人の流れには背を向けて立っていたから、余計に伝わりにくかったみたい。
だから、那智さんとしては『なぜ?』という疑問でカウントダウンだったらしいのだ。
基本的に性的な場面では拒否権のないわたし。
那智さんんがやらせようと思えば、それはもう『やる』ことに決まっている。
それなりの理由があれば拒否も受け入れたとしても、ただの拒否は通用しないとわかっているはずなのに、いくら首を振っても拒否し続けるりん子に、疑問を持ち、仕方なくカウントダウンをしたのだ。
多分、わたしの訴えがまともに伝わっていれば、那智さんは待ってくれたはずなんだ。(ということはお散歩にも発展しなかった?)
お互い『なぜ?』という思いが残ったままのわんこだったということが、後の電話で発覚したのだ。
まあ、わたしは、その後は必死で、さらに足の動きから幸福を感じることはできた。
だけど、那智さんもそれなりに楽しめはしたけど、やはり疑問は残ったままだったのだそう。
声をかけられて驚いた分楽しめなかったことは、仕方ない、今後の参考になるしね。
だけど、わたしとの間のことで疑問を感じながら十分楽しめなかったことは、とても珍しく、わずかな影を残したのだ。
極端な、すごく極端な言い方をすれば。
那智さんにとって、あのカウントダウンは『強制』で、お散歩は結果的に『制裁』になってしまったということになる。
基本的に、『強制』も『制裁』もせずに、わたしに酷いことをして可愛がりたいのだから、那智さんからしたら不本意な結果だったわけです。
だから、拒否をするわたしに『ムカついたり怒ったりはしていないけど、わずかに疑問が残った』ということだったのです。
これを聞いたとき、自分でも驚くほどあっという間に涙が溢れてきた。
面白いくらいに心が急速に悲しくなっていく。
大げさな言い方だけど、絶望を想像するくらい、悲しかった。
なぜだろう。
こんなにわたし頑張ったのに!!という悔しい気持ちでもなくて。
那智さんに満足してもらえなかったという殊勝な気持ちでもなくて。
ああ、共有できていなかったんだという淋しい気持ちだったんだ。
そのとき思ったの。
わたしは那智さんと『幸せの共有』をしていたいんだなって。
好きな人と見る桜はとてもきれいだ。
好きな人と「おいしいね〜」といいながら食べる食事は、格段においしい。
それは『幸せを共有』しているからだよね。
わたしは、桜もお食事ももちろんだけど、どんな場面でも、ギリギリの状態ででも那智さんと『幸せの共有』をしていたいんだ。
違う人間同士、まったく同じ感覚を共有するということは難しいかもしれない。
でも、お互い誤解することなく、相手の気持ちをわかり合えるということが『幸せの共有』になれると思う。
この味ちょっと濃いね。
そう?わたしは好きだよ。
うん、でもこのソースは好きな味。
そうだね、おいしいね。
こんなふうに、大切な人の気持ちを理解できると、感じることは違っても料理はおいしくなると思うのだ。
このような好きな人と気持ちを共有したいという思いは、理解していただきやすいかもしれない。
この先のことがちょっとわかりにくいと思うのだけど、読んでみてください。
わたしは、同化願望が強いので、那智さんと同じ景色を見ていたい、同じ気持ちになることは難しくてもできるだけ気持ちに寄り添っていたいという思いが強いみたいなのだ。
だから、わんこで那智さんがわたしに対して『?』と思いながら散歩をしていたという事実は、同じ景色を見ることができていなかったといことに感じられて、とても悲しかった。
那智さんとわたしには上下関係がある。
優劣ではなく、上下。
上下という立場を選んでいる。
従わせたい人と、従いたい人。
守りたい人と、守られていたい人。
責任を持つ人と、委ねる人。
そういうことを上下を呼んでいる。
これには優劣ないよね?
対等で等価値がある中での上下関係。
ご主人様のための滅私じゃないと理解していただけるかな。
この『下』の立場で感じる『幸せの共有』を求めているんだと、とても感じたのです。
娘がお父さんの膝の上に座って、一緒にテレビを観て笑っている。
違う立場で同じ幸せを共有しているよね。
ボール遊びをしている飼い主と犬も。
拾ってきたボールを受け取りよしよししている飼い主と、撫でられている犬にも幸せの共有があるはずだ。
優劣や、どちらかが我慢するようなこともなく、『上』と『下』双方違う立場で幸せを共有しているよね。
わたしは、投げられたボールを何度も拾いに行く、何度も何度も。(ときどき、すねたりするけど^^;)
そこにあるのは、献身でも忠誠でもない。
原動力は命令や厳しさではなく、下の立場から感じる幸せの共有。
お互い『あれ?』と思うことなく、わかり合う幸せを感じていたい。
例え違う意見を持っていたとしても、それを理解し合いたい。
で、さらに、同化していたい『下』のわたしは、那智さんに寄り添うような感覚で共有していたいと思うのだ。
疑うことなくまっすぐな気持ちで、あなたの気持ちに寄り添いたい。
滅私じゃない、忠誠じゃない、だけど、那智さんの満足はわたしの満足。
そんな感じかな。
だから、今回、わたしの本意が伝わっていなくて、那智さんにとって『わずかな疑問』を持ったままのわんこだったことが、悲しくてしかたなかった。
しゃくり上げるほど泣いている自分を不思議に思いながら、わかり合えていなかったことがこんなにもショックだなんて、わたしは『下』として寄り添いながら『幸せの共有』をしたいんだなと思った。
これってなんだろう。
M?従属?父性?
わたしはマゾです、奴隷です、犬です、娘です、どれもピースがはまりそうではまらないと思ってた。
『奴隷』は違うと気づいたので早々に脱ぎ捨てたけど^^、それ以外のものも、ちょっとサイズの合わない服を着ているような、違わないけどジャストじゃないという感覚。
だから、普段はTPO(?)に合わせて伝わりやすい名称を選んでる感じだった。
ブログでもその時によって、親子や犬やマゾやいろいろ使ってるし、『大切にされながら酷いことをしてほしい』とか『父性の毛布にくるまりたい』とか、いろんな言葉を使ってなんとか伝えたいと四苦八苦している。
だけど『これ!!』というものが、まだわかっていない。
結局今回もぴったりピースははまっていないけど。
わたしの求めているものは『下の立場で幸せの共有をしていたい』だ。
これは『核』に近い感じがする。
お散歩のあといろいろな話しをして、ちょっと『核』に近づけた感じがするので、一歩前進なのでした。
で、これってなんて呼んだらいいのだろう?
なにか当てはまる名称を探しているのだけど、まだ見つかっていない^^;
COMMENT
何だっていいじゃん~関係の名前なんて(笑)
「してあげたい」と「してほしい」が組み合わされて、双方がしあわせになることは大事なことだと思う~^^
「してあげたい」と「してほしい」が組み合わされて、双方がしあわせになることは大事なことだと思う~^^
モカちゃん
おっしゃる通り、名前なんて関係ないのわかっているんだけどね〜^^;
まあ、でも、そこでぐるぐる考えるのがここの味とも言えるので、お付き合いくださいませ。
って、モカちゃんにそう言われる日が来るなんてね〜、感慨深いです(笑)
おっしゃる通り、名前なんて関係ないのわかっているんだけどね〜^^;
まあ、でも、そこでぐるぐる考えるのがここの味とも言えるので、お付き合いくださいませ。
って、モカちゃんにそう言われる日が来るなんてね〜、感慨深いです(笑)