精神の露出2『シーン1』
非日常的な日常
わたしはいろいろなところで四つん這いになっている。
コンビニやファストフード店や和食屋さん(いつもすみません)
そんなわんこスポットのひとつが百貨店。
正面玄関やショウウィンドウ、その場で四つん這いになったり歩道を数m四つん這いで歩いたり。
その百貨店の正面玄関と反対側の出入り口を出るとちょっとした広場になっていて、そこにいくつかベンチがある。
一度そこで一瞬『どこでもわんこ』になったことがあるけれど、そこでわんこをするのがしばらく那智さんのたのしい計画になっていた。
光景は決まっている。
那智さんにリードを引かれ百貨店の出口から広場まで四つん這いで歩き、ベンチに腰かける那智さんの足下に寄り添う。
十数m。
広場のすぐ前は一般道。
午前とはいえ、百貨店も開店しているし人通りもそれなりにある。
その十数mを四つん這いで歩きそのまましばらく足下にいるというのが筋書き。
まさしく犬の散歩。
性的な場面でわたしに拒否権はないのだから、那智さんがやるといえば、わたしはするのだ。
だから、それを遂行す決め手は那智さんの気持ちの充実が最大の条件。
いちおう良識をもった一般社会に生きる那智さん、テンションの高さ、条件(ベンチに人がどれくらいいるかなど)、その他様々な状況で左右することをたのしみながら機が熟すのを待っているようだった。
それをやろうと具体的にわたしに話してから最初のデートのこの日は、おそらく那智さんのやる気も半々くらいだっただろう。
諸条件が見事に整い、また、わたしがちょっと反抗的な態度や逆にやる気(?)のようなものを見せたりして那智さんの『おう、やったろうじゃん』みたいなものを刺激するなんてことにならない限り、下見みたいな感じだったのだと思う。
まず百貨店を通りすぎて広場までいき、何度も通って見たことあるくせに『ここだよ〜』みたいにじりじりとわたしを焦らせて遊ぶ。
いくつかあるベンチのうち空いているのはひとつだけだった。
人多すぎだな〜
広場を横切って百貨店の出入り口近くまで戻ってみる。
ここからね、こうやってリード引いていくの(笑)
わんこは幸せなんていいながら、やっぱり目の前に突きつけられると、そりゃあ『無理!!』となる。
あわあわ、ぶんぶん、首を振る。
あ、ひとりいなくなった。
ベンチの空きが増えた。
那智さんとしてはハードルが少し減ったようだ。
じゃ、首輪つけよう
え?え?やるんですか!?
ぜんぜん覚悟決まってませんよ!!
わたしが慌てると那智さんの目がたのしそうに光る。
差し出された首輪をつける。
次はリード。
ああ、もうダメ。
首輪→リードはカウントダウン、このあとはバッグを那智さんに取られたら、もう決まり。
あうあうと小さく『無理です』を表明するけど、そんなの無視でカチャリとリードを首輪に取り付けた。
ああ、でも、那智さんにリードをつけてもらうことはこんな慌てた状態でも、うっとりするような幸福だ。
一瞬、わんこになる幸せのほうがぐわーんと勝ってしまいそうになる(けど、すぐ羞恥心や恐怖心が勝つ)
着々と準備を進めているようだけど、那智さんの目がやらせる目になっていないことは伝わってきているので、きっと何かない限りはやらないだろう。
だけど、逆に何かが起こらないとおしまいにならないことも想像できる(笑)
ちょうど広場と百貨店の出入り口の中間地点。
3つのベンチではそれぞれ本を読む人お弁当を食べている人、あとひとり(何をしていたか忘れた^^;)。
全員自分の世界に入っているような感じ。
ほら、いまチャンスかもよ(笑)
遊ぶ那智さん。
ふと動く人影。
百貨店の出入り口にスーツの男性社員と制服の女性社員がなにやら看板を下げにきた様子。
那智さん、店員さんがきました!!
しかもそこですこし立ち話をしている。
しばらく様子を伺ってみたけど、変化なし。
ああ、残念だったね〜
この日はここで終了。
那智さんは、いっぱいいっぱいなわたしと自分のテンションの上下と、周囲の状況を移り変わりを十分たのしんだはず。
何が何でも一気にやってしまわないのは、いつまでも慣れることなくたのしみたいと思う那智さんのやり方。
ホッとして広場を抜ける。
通り過ぎるベンチ。
ああ、あのベンチ。
もしかしたら、いまごろあそこで。
そこで四つん這いになって那智さんの太ももに顔をうずめ首筋をなでられながら従属感をギシギシと満たしていく恍惚を想像する。
甘いお菓子を取り上げられてしまったような気持ちで、わたしは『わんこにしてもらっているのかもしれない』と見ちゃいけない自分の心をチラッと見てしまったような気がして、急いで心から目をそらした。
土曜日、「等式」感想です。
「那智さんは、いっぱいいっぱいなわたしと自分のテンションの上下と、周囲の状況を移り変わりを十分たのしんだはず。」以上が私がわんこを楽しむ6~7割の動機かな、のこりは所有感を誇示する気持ちかな~
わたしはいろいろなところで四つん這いになっている。
コンビニやファストフード店や和食屋さん(いつもすみません)
そんなわんこスポットのひとつが百貨店。
正面玄関やショウウィンドウ、その場で四つん這いになったり歩道を数m四つん這いで歩いたり。
その百貨店の正面玄関と反対側の出入り口を出るとちょっとした広場になっていて、そこにいくつかベンチがある。
一度そこで一瞬『どこでもわんこ』になったことがあるけれど、そこでわんこをするのがしばらく那智さんのたのしい計画になっていた。
光景は決まっている。
那智さんにリードを引かれ百貨店の出口から広場まで四つん這いで歩き、ベンチに腰かける那智さんの足下に寄り添う。
十数m。
広場のすぐ前は一般道。
午前とはいえ、百貨店も開店しているし人通りもそれなりにある。
その十数mを四つん這いで歩きそのまましばらく足下にいるというのが筋書き。
まさしく犬の散歩。
性的な場面でわたしに拒否権はないのだから、那智さんがやるといえば、わたしはするのだ。
だから、それを遂行す決め手は那智さんの気持ちの充実が最大の条件。
いちおう良識をもった一般社会に生きる那智さん、テンションの高さ、条件(ベンチに人がどれくらいいるかなど)、その他様々な状況で左右することをたのしみながら機が熟すのを待っているようだった。
それをやろうと具体的にわたしに話してから最初のデートのこの日は、おそらく那智さんのやる気も半々くらいだっただろう。
諸条件が見事に整い、また、わたしがちょっと反抗的な態度や逆にやる気(?)のようなものを見せたりして那智さんの『おう、やったろうじゃん』みたいなものを刺激するなんてことにならない限り、下見みたいな感じだったのだと思う。
まず百貨店を通りすぎて広場までいき、何度も通って見たことあるくせに『ここだよ〜』みたいにじりじりとわたしを焦らせて遊ぶ。
いくつかあるベンチのうち空いているのはひとつだけだった。
人多すぎだな〜
広場を横切って百貨店の出入り口近くまで戻ってみる。
ここからね、こうやってリード引いていくの(笑)
わんこは幸せなんていいながら、やっぱり目の前に突きつけられると、そりゃあ『無理!!』となる。
あわあわ、ぶんぶん、首を振る。
あ、ひとりいなくなった。
ベンチの空きが増えた。
那智さんとしてはハードルが少し減ったようだ。
じゃ、首輪つけよう
え?え?やるんですか!?
ぜんぜん覚悟決まってませんよ!!
わたしが慌てると那智さんの目がたのしそうに光る。
差し出された首輪をつける。
次はリード。
ああ、もうダメ。
首輪→リードはカウントダウン、このあとはバッグを那智さんに取られたら、もう決まり。
あうあうと小さく『無理です』を表明するけど、そんなの無視でカチャリとリードを首輪に取り付けた。
ああ、でも、那智さんにリードをつけてもらうことはこんな慌てた状態でも、うっとりするような幸福だ。
一瞬、わんこになる幸せのほうがぐわーんと勝ってしまいそうになる(けど、すぐ羞恥心や恐怖心が勝つ)
着々と準備を進めているようだけど、那智さんの目がやらせる目になっていないことは伝わってきているので、きっと何かない限りはやらないだろう。
だけど、逆に何かが起こらないとおしまいにならないことも想像できる(笑)
ちょうど広場と百貨店の出入り口の中間地点。
3つのベンチではそれぞれ本を読む人お弁当を食べている人、あとひとり(何をしていたか忘れた^^;)。
全員自分の世界に入っているような感じ。
ほら、いまチャンスかもよ(笑)
遊ぶ那智さん。
ふと動く人影。
百貨店の出入り口にスーツの男性社員と制服の女性社員がなにやら看板を下げにきた様子。
那智さん、店員さんがきました!!
しかもそこですこし立ち話をしている。
しばらく様子を伺ってみたけど、変化なし。
ああ、残念だったね〜
この日はここで終了。
那智さんは、いっぱいいっぱいなわたしと自分のテンションの上下と、周囲の状況を移り変わりを十分たのしんだはず。
何が何でも一気にやってしまわないのは、いつまでも慣れることなくたのしみたいと思う那智さんのやり方。
ホッとして広場を抜ける。
通り過ぎるベンチ。
ああ、あのベンチ。
もしかしたら、いまごろあそこで。
そこで四つん這いになって那智さんの太ももに顔をうずめ首筋をなでられながら従属感をギシギシと満たしていく恍惚を想像する。
甘いお菓子を取り上げられてしまったような気持ちで、わたしは『わんこにしてもらっているのかもしれない』と見ちゃいけない自分の心をチラッと見てしまったような気がして、急いで心から目をそらした。
土曜日、「等式」感想です。
「那智さんは、いっぱいいっぱいなわたしと自分のテンションの上下と、周囲の状況を移り変わりを十分たのしんだはず。」以上が私がわんこを楽しむ6~7割の動機かな、のこりは所有感を誇示する気持ちかな~
精神の露出3『SM行為の快感』
非日常的な日常
SM行為の快感のひとつは『欲求が拒否を上回る』だと思っている。
恥ずかしいことはただただ恥ずかしい、だけど、それより気持ちいいが上回る。
痛くてしかたないのだけど、いやだよりももっと痛くしてほしいが勝る。
だから、最初っから『ほらほら恥ずかしいのがいいんだろ?』みたいに言われても『恥ずかしいのは恥ずかしいわい!!』と抵抗したくなります(笑)
(『羞恥系の葛藤』)
『必要なのは慣らすこと?』というエントリーで那智さんも言っていたけど、拒否は拒否のままでも、それを凌駕するほどの欲求が生まれれば、拒否は存在しないことになっちゃうんだよね。
だから、マイナスとは別にプラスになる要素を生む、そのプラス(欲求)がマイナス(拒否)を上回ることがSM行為の快感。
恥ずかしいことが気持ちいいとか、痛いことが気持ちいいという『拒否(マイナス)が快感(プラス)になる』状態もあるんだけど、ちょっと細分化してみると、それぞれあって、それぞれ快感だったりする。
同じ行為、たとえば、鞭だとしても『欲求が拒否を上回る』こともあるし『拒否が快感になる』こともあるし、もっと違う快感もあので、必ず『どれ』というものではないのだけど。
わんこは、まさしくこれ、『欲求が拒否を上回る』なんじゃないかと思う。
多少は慣れもあるけれど、わんこは何度やっても恥ずかしいし申し訳ないし怖い、それは最初の頃とほとんど変わらない。
だけど、あの従属感や異質な姿に自己愛を感じる快感のたまらない大きさの『記憶』が勝って『わんこにしてほしい』という気持ちが生まれる。
わんこの場合は、その最中はかなり夢中で快感を得ているなんて感じる余裕もなくて、唯一首筋に感じる那智さんの指やおでこを押当てる太ももの感触だけが実感している快感なんだけど、後で確認するとものすごく濡れているし、日常、あの嵐のような無我夢中の幸福を思い出して、それが『記憶』となって頭から離れなくなるのだ。
その渦中の実感できる快感と後日わき上がる快感の『記憶』の力で、拒否の気持ちはなくなることはないのだけど、それ以上に『わんこにしてほしい』という気持ちが勝る。
その上回ることが、より快感。
理屈の上での話だけど、『羞恥心50と快感150』と『羞恥心100と快感200』
だとしたらふたつの差は同じ100だけど、快感の数値だけでいえば後者のほうが高いよね。
イメージはそんな感じ。(なにもなくても200になったらそれはなお気持ちいいのかもしれないけどね)
だから多少の慣れは当然あるけど、羞恥心や痛みや怖さなどの『拒否』の気持ちがあるから味わえる。
なくなってしまったら味わえないことなんだよね。
ちょっと横道にそれるけど。
ほら、よく羞恥心を克服するとか痛みを受け入れるなんていう『調教』を聞くけど、それをしていたら、わたし感じているSM行為の快感は得られないのだと思うのだ。(きっと、他の快感はあるのかもしれないけどね)
だから、わたしはいつまでたっても、拒否するし、恥ずかしがるし怖がってぎゃーぎゃーうるさいままでいいのです^^
前回、わんこ未遂に終わって『わたしはわんこにしてほしいんだ』と欲望の片隅を認識してしまった次のデート。
拒否を欲求が上回る感覚にあらためて触れてしまったときのこと、それを『シーン2』で^^
今日の「等式」感想です。
なかなか解りやすいと思うのですがいかがでしょうか。『羞恥心50と快感150』と『羞恥心100と快感200』この数字の説明なんて理解しやすいし、独創的な感じがして嬉しいですね。
別のお話として、気の使い方が洗練されてきているかな~、「気を使っています」と言わんばかりの雰囲気よりも何気なく色々考えている空気が気持ちが良く、洗練されていると思う。
褒めすぎでしょうか、内輪で失礼致しました。(笑)
SM行為の快感のひとつは『欲求が拒否を上回る』だと思っている。
恥ずかしいことはただただ恥ずかしい、だけど、それより気持ちいいが上回る。
痛くてしかたないのだけど、いやだよりももっと痛くしてほしいが勝る。
だから、最初っから『ほらほら恥ずかしいのがいいんだろ?』みたいに言われても『恥ずかしいのは恥ずかしいわい!!』と抵抗したくなります(笑)
(『羞恥系の葛藤』)
『必要なのは慣らすこと?』というエントリーで那智さんも言っていたけど、拒否は拒否のままでも、それを凌駕するほどの欲求が生まれれば、拒否は存在しないことになっちゃうんだよね。
だから、マイナスとは別にプラスになる要素を生む、そのプラス(欲求)がマイナス(拒否)を上回ることがSM行為の快感。
恥ずかしいことが気持ちいいとか、痛いことが気持ちいいという『拒否(マイナス)が快感(プラス)になる』状態もあるんだけど、ちょっと細分化してみると、それぞれあって、それぞれ快感だったりする。
同じ行為、たとえば、鞭だとしても『欲求が拒否を上回る』こともあるし『拒否が快感になる』こともあるし、もっと違う快感もあので、必ず『どれ』というものではないのだけど。
わんこは、まさしくこれ、『欲求が拒否を上回る』なんじゃないかと思う。
多少は慣れもあるけれど、わんこは何度やっても恥ずかしいし申し訳ないし怖い、それは最初の頃とほとんど変わらない。
だけど、あの従属感や異質な姿に自己愛を感じる快感のたまらない大きさの『記憶』が勝って『わんこにしてほしい』という気持ちが生まれる。
わんこの場合は、その最中はかなり夢中で快感を得ているなんて感じる余裕もなくて、唯一首筋に感じる那智さんの指やおでこを押当てる太ももの感触だけが実感している快感なんだけど、後で確認するとものすごく濡れているし、日常、あの嵐のような無我夢中の幸福を思い出して、それが『記憶』となって頭から離れなくなるのだ。
その渦中の実感できる快感と後日わき上がる快感の『記憶』の力で、拒否の気持ちはなくなることはないのだけど、それ以上に『わんこにしてほしい』という気持ちが勝る。
その上回ることが、より快感。
理屈の上での話だけど、『羞恥心50と快感150』と『羞恥心100と快感200』
だとしたらふたつの差は同じ100だけど、快感の数値だけでいえば後者のほうが高いよね。
イメージはそんな感じ。(なにもなくても200になったらそれはなお気持ちいいのかもしれないけどね)
だから多少の慣れは当然あるけど、羞恥心や痛みや怖さなどの『拒否』の気持ちがあるから味わえる。
なくなってしまったら味わえないことなんだよね。
ちょっと横道にそれるけど。
ほら、よく羞恥心を克服するとか痛みを受け入れるなんていう『調教』を聞くけど、それをしていたら、わたし感じているSM行為の快感は得られないのだと思うのだ。(きっと、他の快感はあるのかもしれないけどね)
だから、わたしはいつまでたっても、拒否するし、恥ずかしがるし怖がってぎゃーぎゃーうるさいままでいいのです^^
前回、わんこ未遂に終わって『わたしはわんこにしてほしいんだ』と欲望の片隅を認識してしまった次のデート。
拒否を欲求が上回る感覚にあらためて触れてしまったときのこと、それを『シーン2』で^^
今日の「等式」感想です。
なかなか解りやすいと思うのですがいかがでしょうか。『羞恥心50と快感150』と『羞恥心100と快感200』この数字の説明なんて理解しやすいし、独創的な感じがして嬉しいですね。
別のお話として、気の使い方が洗練されてきているかな~、「気を使っています」と言わんばかりの雰囲気よりも何気なく色々考えている空気が気持ちが良く、洗練されていると思う。
褒めすぎでしょうか、内輪で失礼致しました。(笑)
精神の露出4『シーン2』
非日常的な日常
お知らせ:気まぐれにテンプレート変更^^気が済んだら、もとに戻すかもしれません。
ああ、わたしは那智さんにわんこにしてほしいのだ。
わんこ未遂に終わりベンチを横目にホテルに向かいながら、心のほとんどは安堵しているものの、やっと穏やかになった泉に一滴の紺碧のインクをたらし、それが徐々に透明な水を青く染めていくようにわんこになれなかったことがとても残念で、わんこにしてほしいという気持ちが心を支配するようになる。
わたしは、ずいぶん長い時間をかけて那智さんにインクの色を濃くされたようだ。
認めるの怖いけど、店員さんがいて流れた日に『わんこにしてほしい』という感情を自覚していた。
次のデート。
那智さんもわんこテンションが続いていたようで、デートの前から『わんこができる服装』の指示が出されていた。
尻尾をつけるからスカート必須。
お尻が見えずかつ四つん這いで歩けるような絶妙の丈のスカート。
季節感や流行やら、いろいろ考えないといけないから、けっこう大変なこと^^
(『悩みの種』)
前回わんこになれなかったことが残念だったとはいえ、湖面に広がったインクは時間がたてば澄んだ水に変わるように、また普段のように恥ずかしいや申し訳ないなどの『無理!!』の感情が当たり前のように鎮座し、濃く深い『してほしい』は存在は陰を潜めている。
だから洋服を選ぶとき、期待に胸を膨らませてなんてことはほとんどない(ないのですよ^^)
ただ、いかにミッションをクリアするかということと、不思議と『他人事』な状態でいる感じなのだ。
人は、困難が視野に入ると、きっとそれを見ないようにするのかもしれない。
直前になったらどちらにしても困るのだけど、それまでは他人事のようにして現実逃避しているのだよね。
今度こそ、あそこをリードを引いて歩こうね〜
そんな予告をされていてもなんだか現実味なくデートの日を迎えていた。
ニットのワンピースにニーハイソックス。
これなら膝もサポートできるし丈もまあ大丈夫なはず^^
朝ご飯に和食屋さんに入り、那智さんにあらためて全身をみてもらう。
丈、短すぎない?
ちょっと尻尾で膨らむのは合わないかもな
いろいろ気にしている。
あれ?
那智さん、ちょっと緊張していません?(笑)
そうなのだ。
前にも書いたけど普通の街中で女性にリードを引いて歩くのは、実は引くほうが勇気と覚悟がいるんだ。
いちおう那智さんも普通の気遣いのできる大人、周りの目なんてぜんぜん関係ないと最初から思えるほど鈍感な人ではないだよね。
そして、これが不思議なんだけど、わたしがまるで『他人事』状態で平気であればあるほど、那智さんの勇気や覚悟が萎えるようなのです。
那智さん、慌ててる感じではないけれど、やる気に満ちあふれているという空気もない静かな真面目な目、わたしのほうが『ホントにやります〜?』と現実逃避してなんだか明るい^^
そんな立場逆転みたいな様子のまま百貨店の裏側の出入り口に到着。
この前よりすくないけど人はベンチに腰かけている。
…あそこに向かって四つん這いで、この階段(もしくはその横のスロープ)を上がっていくのか…。
…
ががーーーん。
一気に、現実に引き戻された!!
そうですよ、わたし、ここで四つん這いになるですよ!!
ここまで目の前に迫ると濃いインクなんてかっこいいこと言える状態じゃない、ひたすら、無理無理!!となる。
またまた不思議なもので、わたしがちょっとでも慌てると俄然那智さんのやる気に力が入るのだ。
さっきの静かで真面目な目が、たのしそうなキラキラ輝く『やらせる目』に見事に変わる。
ああ、この目になっちゃったら、もうやるんだ、わたし。
(拒否権がないわたしには『やらなきゃ』とか『やれるのか』とかはないの、もう決定事項の『やる』なの^^;)
いや、無理です
あ、人がいる!!
いろいろ抵抗してみてもぜんぜんダメ。
首輪を渡され、リードをつけられ、準備は着々と進む。
百貨店の出入り口付近で、それらをしていたら、ひとりの若い女性がこちらのほうにきた。
実は、出入り口を挟んで広場と反対側に小さなショップがあるので、そこに向かっていたのだ。
あわあわするわたしたちを追い越して奥に。
そのときベンチに腰かけていた人が数人いなくなっていて、広場にはわずかな人だけになった。
ほら、いまのうちだよ〜(笑)
お座り
はうはう、でも、後ろに女性が!!
チラッと見るとショップを眺めていてこちらに背を向けている。
リードの先は那智さんが握ってくえている。
お座り
もう一度那智さんの声。
バッグを持ってもらう。
靴は?
大丈夫です
パンプスは脱がないで大丈夫だろう。
もう、怖い!!とても恥ずかしい!!
もし女性が不快に思ったら、本当にごめんなさい。
怖い、怖い!!
ものすごくためらう。
ああ、だけど、わたし、わんこになりたんだ。
那智さんにリードを引いてもらって歩くことが幸せなんだ。
恥ずかしいとか常識とか申し訳ない気持ちは当然なくならない、でも、快感を求める気持ちが上回る。
拒否権なし、那智さんの『やる』はただの、しかし抗えない幸福の号令。
意を決してというよりも、淡々と体と精神が快感に向かって動く、そんな感じ。
おそるおそる体を低くしてタイルに手をつける。
ちょうどスロープのはじまりのところだ。
もう、そこからは無我夢中。
パンプスを気にしたような記憶がある気がする(気にした結果は記憶にない^^;)
ぺたぺたとタイルにつくてのひら(このぺたぺたな感じに自己愛^^;)
見えているし感じているのだけど、2枚くらいオブラートに包まれているみたいで感覚が遠い。
視覚と聴覚と触覚の断片を洗濯機に放り込んでかくはんしているような、ぐるんぐるんの夢中状態。
那智さんの握っているリードがわたしの命綱。
再び記憶がつながるのはスロープが終わったところ。
広場に出たからかな、ほんのすこし空気が広がった感じがした。
那智さんが立ち止まっているから、それに合わせてわたしも四つん這いのまま止まっている。
ちょっと間があいて、『いいよ』と言われたかトントンと知らせてくれたか覚えていないけど、おしまいの合図をもらって、その場で二本足になる。
手についた砂利を小さくパンパンとはたいた。
洗濯機の嵐の中で、いま行われている一切合切を那智さんに委ねている幸福と委ねられる幸福と、街中で犬になっている自己愛。
拒否よりも快感が上回った心の流れを自分の脳に記憶させてしまった。
心の奥にひっそりとある泉を染めるインクの色がまたすこし濃くなったような日。
あとから聞いたら、ショップを覗いていた女性は那智さんが歩きながら確認したら、スロープの入り口まで来ていてわたしたちをしっかり眺めていたらしい。
不可思議なものを見せられてきっと驚いたことでしょう(ごめんなさい)
あり得ないと思うのだけど、もしかした『わんこ』だって認識してくれている人だったらいいな、なんて淡い期待を持ってしまう^^;
まだ続きます〜^^
今朝の「等式」感想です。
そうですね~りん子に拒否権が無いことと”うだうだ”言わない事は別だなと、確かにそれを私が楽しんでいる部分があり程良くしてくれれば歓迎できる。明日のデートはやはり「わんこ」かな~街中で見かけたら頭を撫で撫でしてくださいね。(笑)
お知らせ:気まぐれにテンプレート変更^^気が済んだら、もとに戻すかもしれません。
ああ、わたしは那智さんにわんこにしてほしいのだ。
わんこ未遂に終わりベンチを横目にホテルに向かいながら、心のほとんどは安堵しているものの、やっと穏やかになった泉に一滴の紺碧のインクをたらし、それが徐々に透明な水を青く染めていくようにわんこになれなかったことがとても残念で、わんこにしてほしいという気持ちが心を支配するようになる。
わたしは、ずいぶん長い時間をかけて那智さんにインクの色を濃くされたようだ。
認めるの怖いけど、店員さんがいて流れた日に『わんこにしてほしい』という感情を自覚していた。
次のデート。
那智さんもわんこテンションが続いていたようで、デートの前から『わんこができる服装』の指示が出されていた。
尻尾をつけるからスカート必須。
お尻が見えずかつ四つん這いで歩けるような絶妙の丈のスカート。
季節感や流行やら、いろいろ考えないといけないから、けっこう大変なこと^^
(『悩みの種』)
前回わんこになれなかったことが残念だったとはいえ、湖面に広がったインクは時間がたてば澄んだ水に変わるように、また普段のように恥ずかしいや申し訳ないなどの『無理!!』の感情が当たり前のように鎮座し、濃く深い『してほしい』は存在は陰を潜めている。
だから洋服を選ぶとき、期待に胸を膨らませてなんてことはほとんどない(ないのですよ^^)
ただ、いかにミッションをクリアするかということと、不思議と『他人事』な状態でいる感じなのだ。
人は、困難が視野に入ると、きっとそれを見ないようにするのかもしれない。
直前になったらどちらにしても困るのだけど、それまでは他人事のようにして現実逃避しているのだよね。
今度こそ、あそこをリードを引いて歩こうね〜
そんな予告をされていてもなんだか現実味なくデートの日を迎えていた。
ニットのワンピースにニーハイソックス。
これなら膝もサポートできるし丈もまあ大丈夫なはず^^
朝ご飯に和食屋さんに入り、那智さんにあらためて全身をみてもらう。
丈、短すぎない?
ちょっと尻尾で膨らむのは合わないかもな
いろいろ気にしている。
あれ?
那智さん、ちょっと緊張していません?(笑)
そうなのだ。
前にも書いたけど普通の街中で女性にリードを引いて歩くのは、実は引くほうが勇気と覚悟がいるんだ。
いちおう那智さんも普通の気遣いのできる大人、周りの目なんてぜんぜん関係ないと最初から思えるほど鈍感な人ではないだよね。
そして、これが不思議なんだけど、わたしがまるで『他人事』状態で平気であればあるほど、那智さんの勇気や覚悟が萎えるようなのです。
那智さん、慌ててる感じではないけれど、やる気に満ちあふれているという空気もない静かな真面目な目、わたしのほうが『ホントにやります〜?』と現実逃避してなんだか明るい^^
そんな立場逆転みたいな様子のまま百貨店の裏側の出入り口に到着。
この前よりすくないけど人はベンチに腰かけている。
…あそこに向かって四つん這いで、この階段(もしくはその横のスロープ)を上がっていくのか…。
…
ががーーーん。
一気に、現実に引き戻された!!
そうですよ、わたし、ここで四つん這いになるですよ!!
ここまで目の前に迫ると濃いインクなんてかっこいいこと言える状態じゃない、ひたすら、無理無理!!となる。
またまた不思議なもので、わたしがちょっとでも慌てると俄然那智さんのやる気に力が入るのだ。
さっきの静かで真面目な目が、たのしそうなキラキラ輝く『やらせる目』に見事に変わる。
ああ、この目になっちゃったら、もうやるんだ、わたし。
(拒否権がないわたしには『やらなきゃ』とか『やれるのか』とかはないの、もう決定事項の『やる』なの^^;)
いや、無理です
あ、人がいる!!
いろいろ抵抗してみてもぜんぜんダメ。
首輪を渡され、リードをつけられ、準備は着々と進む。
百貨店の出入り口付近で、それらをしていたら、ひとりの若い女性がこちらのほうにきた。
実は、出入り口を挟んで広場と反対側に小さなショップがあるので、そこに向かっていたのだ。
あわあわするわたしたちを追い越して奥に。
そのときベンチに腰かけていた人が数人いなくなっていて、広場にはわずかな人だけになった。
ほら、いまのうちだよ〜(笑)
お座り
はうはう、でも、後ろに女性が!!
チラッと見るとショップを眺めていてこちらに背を向けている。
リードの先は那智さんが握ってくえている。
お座り
もう一度那智さんの声。
バッグを持ってもらう。
靴は?
大丈夫です
パンプスは脱がないで大丈夫だろう。
もう、怖い!!とても恥ずかしい!!
もし女性が不快に思ったら、本当にごめんなさい。
怖い、怖い!!
ものすごくためらう。
ああ、だけど、わたし、わんこになりたんだ。
那智さんにリードを引いてもらって歩くことが幸せなんだ。
恥ずかしいとか常識とか申し訳ない気持ちは当然なくならない、でも、快感を求める気持ちが上回る。
拒否権なし、那智さんの『やる』はただの、しかし抗えない幸福の号令。
意を決してというよりも、淡々と体と精神が快感に向かって動く、そんな感じ。
おそるおそる体を低くしてタイルに手をつける。
ちょうどスロープのはじまりのところだ。
もう、そこからは無我夢中。
パンプスを気にしたような記憶がある気がする(気にした結果は記憶にない^^;)
ぺたぺたとタイルにつくてのひら(このぺたぺたな感じに自己愛^^;)
見えているし感じているのだけど、2枚くらいオブラートに包まれているみたいで感覚が遠い。
視覚と聴覚と触覚の断片を洗濯機に放り込んでかくはんしているような、ぐるんぐるんの夢中状態。
那智さんの握っているリードがわたしの命綱。
再び記憶がつながるのはスロープが終わったところ。
広場に出たからかな、ほんのすこし空気が広がった感じがした。
那智さんが立ち止まっているから、それに合わせてわたしも四つん這いのまま止まっている。
ちょっと間があいて、『いいよ』と言われたかトントンと知らせてくれたか覚えていないけど、おしまいの合図をもらって、その場で二本足になる。
手についた砂利を小さくパンパンとはたいた。
洗濯機の嵐の中で、いま行われている一切合切を那智さんに委ねている幸福と委ねられる幸福と、街中で犬になっている自己愛。
拒否よりも快感が上回った心の流れを自分の脳に記憶させてしまった。
心の奥にひっそりとある泉を染めるインクの色がまたすこし濃くなったような日。
あとから聞いたら、ショップを覗いていた女性は那智さんが歩きながら確認したら、スロープの入り口まで来ていてわたしたちをしっかり眺めていたらしい。
不可思議なものを見せられてきっと驚いたことでしょう(ごめんなさい)
あり得ないと思うのだけど、もしかした『わんこ』だって認識してくれている人だったらいいな、なんて淡い期待を持ってしまう^^;
まだ続きます〜^^
今朝の「等式」感想です。
そうですね~りん子に拒否権が無いことと”うだうだ”言わない事は別だなと、確かにそれを私が楽しんでいる部分があり程良くしてくれれば歓迎できる。明日のデートはやはり「わんこ」かな~街中で見かけたら頭を撫で撫でしてくださいね。(笑)
精神の露出5『シーン3』
非日常的な日常
わんこは、わんこにさせる那智さんのほうが大変。
わんこは拒否より欲求のほうが上回る。
このふたつを肌で感じて、わたしはわんこにしてほしいのだという気持ちを否応なく目の当たりにした2回のわんこの時間、3回目はそれほど時間をあけずにやってきた。
この日は特に最初からわんこのテンションではなかったはずなんだ。
だけど、ちょっと流行っていたのか(笑)
それとも、ここぞというときには連続したほうが快感と幸福が増すと思ったのか。
いつもの広場を通りかかり、たまたま誰もベンチにいなかったのを見てあっさりとわんこをするということが決定していた。
わわわ、いきなり!!
などと抵抗感を表すけど、もちろんそれもウソじゃないけど、でもわたしはもう『無理!!』より『してほしい』が上回ってしまうことを自覚しているから、自分に対して小さくため息をつくような気持ちだった。
諦めと幸福のまざったため息。
午前中だから繁華街でも人が溢れかえっているほどではない。
ほんのすこし朝の空気が残る。
那智さんがベンチに腰かけて、その横に滑り込むようにわたしも座る。
歩道と垂直のベンチに、那智さんが奥でわたしが歩道側。
はい
促された。
簡単にあっさりと。
まるで『奥に座りな』とごく普通に席を譲ってくれるような雰囲気で。
ほとんど那智さんのほうを向いて座っている背中には歩道を行き交う人の気配がする。
チラッと振り返る。
信号待ちの人、足早に通り過ぎる人。
また、ため息。
ちょっとでも目立たないように那智さんの大きな鞄を歩道側に置いてもらって小さな小さな壁にした。
那智さんのわんこになりたい。
ためらう気持ちを凌駕する。
まるで席を譲られたように、ほとんどためらわず静かに体をずらして那智さんの正面に、足の間に収まりタイルに手をつき頭を太ももにくっつける。
なんで正面にするの?(笑)
わわわ、ダメですか!!
恥ずかしくて頭を押当てて下を向いたまま会話がはじまる。
よけいに目立つよ(笑)
ああ、そうか!!
歩道と平行した形で丸々四つん這いを披露してしまったいるんだ。
たしかにわたしは大型犬だから完全に頭隠して尻隠さず状態!!
斜めになったほうがいいでしょ
那智さんはわたしがベンチに沿うように四つん這いになって太ももの外側に頭をつける姿を想像していたみたい。
それなら歩道からはお尻だけだものね(もしくは歩道と反対側に回る?)
それがいきなり足の間に入ってきたものだから修正させたわけ。
でもねぇ、わんことしては基本足の間にいたいでしょ!!(笑)
あわてて足の間で向きを若干斜めにして、すこしごまかした。
四つん這いになる緊張と修正しなくちゃいけない焦りで、複雑な心拍数^^;
はいはい、いいよ、それくらいで
よしとしてくれたようで、手がわたしの首筋を撫ではじめた。
うれしい。
よしよしとなだめるような掌のリズムが、恥ずかしさやためらいやごめなさいの拠り所。
複雑な心拍数を、純粋な興奮に変えてくれる。
那智さんのわんこになれることがとても幸せだ。
この手とこの足下がわたしを幸福にしてくれる。
雑踏が聞こえる。
近くで立ち止まっているようで話し声が大きく聞こえた。
人が近くにいる。
幸福とひりひりする緊張。
首筋を撫でていた手が襟元にのびた。
のばした指が乳首をつまむ。
話し声はまだ近い。
ここは外だ。
あああ、どうしよう。
わたしはこれでも感じてしまうのか。
ううん、これがわたしの求める快感。
幸福と緊張と、じわじわと浸食する気持ちよさ。
快感のスポンジはヒタヒタに水をふくむ。
ぎゅっと握れば溢れそうだ。
でもさすがにこの状況で快感の波に飲み込まれるほどにはならない。
もどかしく、浸食されていくだけ。
はい、いいよ
胸元から手が抜かれ、トントンと頭をやさしく叩かれた。
幸福なわんこの時間はおしまい。
『従わせている 従っている』という互いの強い強い欲求を満たすための露出行為は肌を見せるわけでも撮影もなく、ただ道行く数十人の視界の隅に一瞬映るだけ、街中で埋もれるようにひっそり行われている。
恥ずかしいとか申し訳ないとか、そういう気持ちはいっこうになくならない。
だけど、幸せ?と問われれば、幸せと答えるし、またしてほしい?と聞かれたら、またしてほしいとお願いする。
幸福に従う露出行為。
これが那智さんとわたしが求める形。
室内犬は安心です^^
長々お付き合いくださいまして、ありがとうございました〜^^
最後、また『露出考』です。
<関連エントリー>
カテゴリ『足跡』から
『露出』
『わんこ』
今朝の「等式」感想です。
ベンチに座る私の足が開いた間にりん子の頭がはいる。歩道からは四つんばいになる大型犬が丸見え(笑)りん子の覚悟と想像力が豊富?無い?には驚きます。りん子にとっては視覚がふさがれる形になるので良いかもしれませんがね~
わんこは、わんこにさせる那智さんのほうが大変。
わんこは拒否より欲求のほうが上回る。
このふたつを肌で感じて、わたしはわんこにしてほしいのだという気持ちを否応なく目の当たりにした2回のわんこの時間、3回目はそれほど時間をあけずにやってきた。
この日は特に最初からわんこのテンションではなかったはずなんだ。
だけど、ちょっと流行っていたのか(笑)
それとも、ここぞというときには連続したほうが快感と幸福が増すと思ったのか。
いつもの広場を通りかかり、たまたま誰もベンチにいなかったのを見てあっさりとわんこをするということが決定していた。
わわわ、いきなり!!
などと抵抗感を表すけど、もちろんそれもウソじゃないけど、でもわたしはもう『無理!!』より『してほしい』が上回ってしまうことを自覚しているから、自分に対して小さくため息をつくような気持ちだった。
諦めと幸福のまざったため息。
午前中だから繁華街でも人が溢れかえっているほどではない。
ほんのすこし朝の空気が残る。
那智さんがベンチに腰かけて、その横に滑り込むようにわたしも座る。
歩道と垂直のベンチに、那智さんが奥でわたしが歩道側。
はい
促された。
簡単にあっさりと。
まるで『奥に座りな』とごく普通に席を譲ってくれるような雰囲気で。
ほとんど那智さんのほうを向いて座っている背中には歩道を行き交う人の気配がする。
チラッと振り返る。
信号待ちの人、足早に通り過ぎる人。
また、ため息。
ちょっとでも目立たないように那智さんの大きな鞄を歩道側に置いてもらって小さな小さな壁にした。
那智さんのわんこになりたい。
ためらう気持ちを凌駕する。
まるで席を譲られたように、ほとんどためらわず静かに体をずらして那智さんの正面に、足の間に収まりタイルに手をつき頭を太ももにくっつける。
なんで正面にするの?(笑)
わわわ、ダメですか!!
恥ずかしくて頭を押当てて下を向いたまま会話がはじまる。
よけいに目立つよ(笑)
ああ、そうか!!
歩道と平行した形で丸々四つん這いを披露してしまったいるんだ。
たしかにわたしは大型犬だから完全に頭隠して尻隠さず状態!!
斜めになったほうがいいでしょ
那智さんはわたしがベンチに沿うように四つん這いになって太ももの外側に頭をつける姿を想像していたみたい。
それなら歩道からはお尻だけだものね(もしくは歩道と反対側に回る?)
それがいきなり足の間に入ってきたものだから修正させたわけ。
でもねぇ、わんことしては基本足の間にいたいでしょ!!(笑)
あわてて足の間で向きを若干斜めにして、すこしごまかした。
四つん這いになる緊張と修正しなくちゃいけない焦りで、複雑な心拍数^^;
はいはい、いいよ、それくらいで
よしとしてくれたようで、手がわたしの首筋を撫ではじめた。
うれしい。
よしよしとなだめるような掌のリズムが、恥ずかしさやためらいやごめなさいの拠り所。
複雑な心拍数を、純粋な興奮に変えてくれる。
那智さんのわんこになれることがとても幸せだ。
この手とこの足下がわたしを幸福にしてくれる。
雑踏が聞こえる。
近くで立ち止まっているようで話し声が大きく聞こえた。
人が近くにいる。
幸福とひりひりする緊張。
首筋を撫でていた手が襟元にのびた。
のばした指が乳首をつまむ。
話し声はまだ近い。
ここは外だ。
あああ、どうしよう。
わたしはこれでも感じてしまうのか。
ううん、これがわたしの求める快感。
幸福と緊張と、じわじわと浸食する気持ちよさ。
快感のスポンジはヒタヒタに水をふくむ。
ぎゅっと握れば溢れそうだ。
でもさすがにこの状況で快感の波に飲み込まれるほどにはならない。
もどかしく、浸食されていくだけ。
はい、いいよ
胸元から手が抜かれ、トントンと頭をやさしく叩かれた。
幸福なわんこの時間はおしまい。
『従わせている 従っている』という互いの強い強い欲求を満たすための露出行為は肌を見せるわけでも撮影もなく、ただ道行く数十人の視界の隅に一瞬映るだけ、街中で埋もれるようにひっそり行われている。
恥ずかしいとか申し訳ないとか、そういう気持ちはいっこうになくならない。
だけど、幸せ?と問われれば、幸せと答えるし、またしてほしい?と聞かれたら、またしてほしいとお願いする。
幸福に従う露出行為。
これが那智さんとわたしが求める形。
室内犬は安心です^^
長々お付き合いくださいまして、ありがとうございました〜^^
最後、また『露出考』です。
<関連エントリー>
カテゴリ『足跡』から
『露出』
『わんこ』
今朝の「等式」感想です。
ベンチに座る私の足が開いた間にりん子の頭がはいる。歩道からは四つんばいになる大型犬が丸見え(笑)りん子の覚悟と想像力が豊富?無い?には驚きます。りん子にとっては視覚がふさがれる形になるので良いかもしれませんがね~
精神の露出6『再び露出考』
りん子的独り言(生意気)
長々とわんこ話にお付き合いいただきましたが、もうひとつ^^
『わんこ1『那智さんのわんこ考』』では、那智さんは『人気のないところの露出はホテルの部屋で裸になるのと同じ』と言いました。
まあ、たしかに、極めて低い可能性は残しつつも基本人が来ない山奥などでする露出行為は、人がいるところでするよりも密室に近い安心感はあると思うのでそういう発言になったのですけど、人気のない場所での露出の否定と取れるようなこと書き方だったかもしれないです。
わたしたちだって人気のないところで露出行為もしているし、それも行為のひとつだと思っているので、人気のない場所の露出を否定しているわけではまったくありません。
そもそも好きでやっている行為に否定も肯定もないですものね。
正確に解説すると。
那智さんは、人が来る可能性がきわめて低い場所でする露出行為とホテルで裸になることにほとんど違いはないと思っている。
人がいないという点で同じだからだ。
たとえば。
誰もいない山奥で女性を裸にしたとしても、そこでフェラチオさせても写真を撮ったとしても、それってホテルの部屋と何が違うの?
せいぜいホテルと違うのは『外』だというインパクト?
ホテルの部屋と同じ状態の外で、ホテルの中と同種の行為をしている『露出』に何の意味があるのだろう?と思っているのだと思う。
たしかに、わたしの経験からの感覚だけど、人がいない山奥で全裸になるのと百貨店の正面玄関で四つん這いになるのだったら、例え着衣だとしても後者のほうが恥ずかしいし恐いし圧倒的にハードルは高い。
これはわたし側はもちろんのこと、特に那智さん側のハードルはすごく上がる。
以前人のいない山奥で全裸になったことがあるけれど、那智さん曰く『俺にとってもりん子にとっても軽い露出』なのだそうだ。
(か、軽いのか!?『夏の旅行3』)
きっとこのときの那智さんはホテルで裸にさせてオナニーさせることとさほど違いを感じていなかったはずなので、そう言っているのだと思う。
だから人のいない場所で露出をすることは何かしら+αしてはじめてホテルとは違うものになると思っているようです。
たとえば、雪の中でとても寒いとか、目隠しをして放置する不安感だとか、撮影して人に見せることが目的だとか。
なにかしらの+α。
わたしたちの山奥全裸の場合は、そこにわたしの露出願望という+αをして快感を種類を増やすことでホテルと同じ条件下で裸になる意味を持たせたのでしょうね。
那智さんは、自分は行う行為に意味を持たせたいのかもしれない。
同じ露出行為だとしても、山奥でオナニーさせることと百貨店で四つん這いにさせることでは違うものを生み出したいのだ。
こんな会話からも推測できる。
人気のないところで全裸になることを軽いと言ってしまうわたしです(苦笑)
なんだかひどく羞恥心のない女のようで、ちょっと悔しくなり那智さんに聞いてみた。
じゃあ、誰もいないところで全裸になることがすごく恥ずかしくてすごく屈辱を感じる女性だとしたら、那智さんにとってホテルの部屋とは違う意味合いになるのですか?
そしたら、こんなお答え。
りん子は百貨店と山道とだったらどっちが大変?(百貨店です)
だろ?
俺はね、それとこれを同じにしたくなかったんだよ。
だから全裸になることはわんことは違うように育てようと思った。
種類(大変さとか快感とか)がいろいろあるほうが飽きないだろ?
なるほど、那智さんは山奥全裸の快感と『わんこ』の快感に違いを作りたいのですね。
わたしに感じさせる快感は種類が豊富なほうが互いに飽きないわけで、だから山奥全裸の快感を違う回路に繋げるように仕向けたのです。
きっと『ものすごい開放感の快感』と『ものすごく恥ずかしいけど、従属感の快感』とかそういう感じかな。
那智さんの考えの中に『飽きさせない(自分もわたしも)』というのはけっこう大事なことのようで、わりとそれに基づいていろいろ考えてくれている。
おそらく、そこには作るとか変えるとかの上下の上の面白さも感じているかもしれない。
それぞれの行為に意味を持たせて、それを遂行できるように準備や覚悟をして、わたしを育てているのかなと思うのです。
だから『人気のない場所はホテルと同じ』という発言になっているのかもしれない。
人によって何に重点を置くかでいろいろでしょうけど。
わたしたちの露出行為の原動力は『責め』ではなくて、『従わせたいと従いたい』を感じたいこととそれによって互いに幸福を感じたいこと。
これを感じるにはじつはより大変なほうが感じられるので、わたしだけじゃなくて那智さん本人もけっこう根性いる、全体的に大変さを底上げするようなわんこを好んでしまう傾向があるのですね。
(那智さんの好きな刺し違え^^)
あれ?、単にりん子が人気のないところで全裸が平気だからって結論になっていないといいのだけど^^;
うう、なんかちゃんと結論になっていないような感じもするけど、いいや、アップしちゃおう。
たかが『露出』、変態行為といってしまえばそれまでだけど、自分を預ける相手がどんな思いでそれをしているか、もしくは、『そんな意味なんてない』という意味を持ってしているか、知っていたいと思うのです。
長い間お付き合いいただきましてありがとうございました〜。
今朝の「等式」感想です。
今日のエントリー楽しかったです。(笑)エントリーより「全体的に大変さを底上げするようなわんこを好んでしまう傾向があるのですね。
(那智さんの好きな刺し違え^^)」これ、確かにあたりです、立場は違えどもお互いに共有感をもって「責める・従わせる」のは露出が一番味わえるのではないかと思う。そして、その時にたじろいだり、おくしたりする姿は見せたくない。だから、色々な事態を想定してどんなアクシデントがあっても冷静でいたいし堂々としていたい。でも、あまり面白いと感じないと、「パンツでダッシュ」のようなお笑いに走りたくなる。(笑)
今、書いていて思うことは「露出行為」はそのことを共有したいのかもしれませんね。色々なSM的行為の中で近い思いの共有が出来るのかもしれません。くどくど失礼しました。
長々とわんこ話にお付き合いいただきましたが、もうひとつ^^
『わんこ1『那智さんのわんこ考』』では、那智さんは『人気のないところの露出はホテルの部屋で裸になるのと同じ』と言いました。
まあ、たしかに、極めて低い可能性は残しつつも基本人が来ない山奥などでする露出行為は、人がいるところでするよりも密室に近い安心感はあると思うのでそういう発言になったのですけど、人気のない場所での露出の否定と取れるようなこと書き方だったかもしれないです。
わたしたちだって人気のないところで露出行為もしているし、それも行為のひとつだと思っているので、人気のない場所の露出を否定しているわけではまったくありません。
そもそも好きでやっている行為に否定も肯定もないですものね。
正確に解説すると。
那智さんは、人が来る可能性がきわめて低い場所でする露出行為とホテルで裸になることにほとんど違いはないと思っている。
人がいないという点で同じだからだ。
たとえば。
誰もいない山奥で女性を裸にしたとしても、そこでフェラチオさせても写真を撮ったとしても、それってホテルの部屋と何が違うの?
せいぜいホテルと違うのは『外』だというインパクト?
ホテルの部屋と同じ状態の外で、ホテルの中と同種の行為をしている『露出』に何の意味があるのだろう?と思っているのだと思う。
たしかに、わたしの経験からの感覚だけど、人がいない山奥で全裸になるのと百貨店の正面玄関で四つん這いになるのだったら、例え着衣だとしても後者のほうが恥ずかしいし恐いし圧倒的にハードルは高い。
これはわたし側はもちろんのこと、特に那智さん側のハードルはすごく上がる。
以前人のいない山奥で全裸になったことがあるけれど、那智さん曰く『俺にとってもりん子にとっても軽い露出』なのだそうだ。
(か、軽いのか!?『夏の旅行3』)
きっとこのときの那智さんはホテルで裸にさせてオナニーさせることとさほど違いを感じていなかったはずなので、そう言っているのだと思う。
だから人のいない場所で露出をすることは何かしら+αしてはじめてホテルとは違うものになると思っているようです。
たとえば、雪の中でとても寒いとか、目隠しをして放置する不安感だとか、撮影して人に見せることが目的だとか。
なにかしらの+α。
わたしたちの山奥全裸の場合は、そこにわたしの露出願望という+αをして快感を種類を増やすことでホテルと同じ条件下で裸になる意味を持たせたのでしょうね。
那智さんは、自分は行う行為に意味を持たせたいのかもしれない。
同じ露出行為だとしても、山奥でオナニーさせることと百貨店で四つん這いにさせることでは違うものを生み出したいのだ。
こんな会話からも推測できる。
人気のないところで全裸になることを軽いと言ってしまうわたしです(苦笑)
なんだかひどく羞恥心のない女のようで、ちょっと悔しくなり那智さんに聞いてみた。
じゃあ、誰もいないところで全裸になることがすごく恥ずかしくてすごく屈辱を感じる女性だとしたら、那智さんにとってホテルの部屋とは違う意味合いになるのですか?
そしたら、こんなお答え。
りん子は百貨店と山道とだったらどっちが大変?(百貨店です)
だろ?
俺はね、それとこれを同じにしたくなかったんだよ。
だから全裸になることはわんことは違うように育てようと思った。
種類(大変さとか快感とか)がいろいろあるほうが飽きないだろ?
なるほど、那智さんは山奥全裸の快感と『わんこ』の快感に違いを作りたいのですね。
わたしに感じさせる快感は種類が豊富なほうが互いに飽きないわけで、だから山奥全裸の快感を違う回路に繋げるように仕向けたのです。
きっと『ものすごい開放感の快感』と『ものすごく恥ずかしいけど、従属感の快感』とかそういう感じかな。
那智さんの考えの中に『飽きさせない(自分もわたしも)』というのはけっこう大事なことのようで、わりとそれに基づいていろいろ考えてくれている。
おそらく、そこには作るとか変えるとかの上下の上の面白さも感じているかもしれない。
それぞれの行為に意味を持たせて、それを遂行できるように準備や覚悟をして、わたしを育てているのかなと思うのです。
だから『人気のない場所はホテルと同じ』という発言になっているのかもしれない。
人によって何に重点を置くかでいろいろでしょうけど。
わたしたちの露出行為の原動力は『責め』ではなくて、『従わせたいと従いたい』を感じたいこととそれによって互いに幸福を感じたいこと。
これを感じるにはじつはより大変なほうが感じられるので、わたしだけじゃなくて那智さん本人もけっこう根性いる、全体的に大変さを底上げするようなわんこを好んでしまう傾向があるのですね。
(那智さんの好きな刺し違え^^)
あれ?、単にりん子が人気のないところで全裸が平気だからって結論になっていないといいのだけど^^;
うう、なんかちゃんと結論になっていないような感じもするけど、いいや、アップしちゃおう。
たかが『露出』、変態行為といってしまえばそれまでだけど、自分を預ける相手がどんな思いでそれをしているか、もしくは、『そんな意味なんてない』という意味を持ってしているか、知っていたいと思うのです。
長い間お付き合いいただきましてありがとうございました〜。
今朝の「等式」感想です。
今日のエントリー楽しかったです。(笑)エントリーより「全体的に大変さを底上げするようなわんこを好んでしまう傾向があるのですね。
(那智さんの好きな刺し違え^^)」これ、確かにあたりです、立場は違えどもお互いに共有感をもって「責める・従わせる」のは露出が一番味わえるのではないかと思う。そして、その時にたじろいだり、おくしたりする姿は見せたくない。だから、色々な事態を想定してどんなアクシデントがあっても冷静でいたいし堂々としていたい。でも、あまり面白いと感じないと、「パンツでダッシュ」のようなお笑いに走りたくなる。(笑)
今、書いていて思うことは「露出行為」はそのことを共有したいのかもしれませんね。色々なSM的行為の中で近い思いの共有が出来るのかもしれません。くどくど失礼しました。