『あなたのために』はしない
りん子的独り言(生意気)
わたしのために。
わたしが気持ちいい。
などなど、かなり自分中心な書き方をしていますが。
実際のわたしは、けっこう健気でね(笑)
那智さんの脱いだ靴は履きやすいように揃えるし〜。
お風呂に入ったらバスタオルの準備するし〜。
タバコを手にしたら、灰皿を良い位置に移動させるし〜。
もうすぐ付き合って7年目になるけど、ずっと敬語は変わらないし〜。
通勤電車が遅れたら、その電車に悪態つくし〜。
(自分フォロー 笑)
それは那智さんのためというよりは、好きな人の快適を願う自然な感情としてある。
『暗闇の安息』というエントリーを書いた。
わたしは自己評価が低く、自分には愛される価値がないと思っていて、それ故に必要以上にへりくだり、求められる以上のものを差し出していた。
そうしないと愛されないと思っていたからだ。
(えっと、かなりそこだけにスポット当ててますよ^^そんな悲劇だけじゃないですよ)
染み込んだ『愛されたいからたくさんあげる』という暗闇は、なかなか抜け出すことができなくて『暗闇の安息』。
いけないとわかっていることから這い上がるのは、実はかなり難しい。
長年に渡り染み付いているなら尚更だ。
思わず、その負の居心地に『もう、わたしはわたしを切り売りしてもいい』と捨て鉢な解決方法を取ってしまうほうが楽なんじゃないかってほど、難しい。
那智さんと出会って、根気強く『価値がある』と教えてもらい、相手を思う気持ちと自己主張することの両立、人に対してへりくだらないように訓練させてもらった。
りん子は、りん子のままがいいと。
そのひとつが『あなたのため』という思考回路をしないことなんだ。
わたしには同化願望があるので基本的に『あなたのため』になりやすい。
那智さんが嬉しいと嬉しい。
那智さんが心地よいと嬉しい。
那智さんが大変そうだと、なんだかわたしまで苦しい。
好きな人同士なんだから、好きな人に心地よくしてもらいたいというのは普通の感情としてある程度は良いことだと思うけど。
暗闇の安息に身を置いてしまいやすいわたしは、過剰に『あなたのために』なりすぎて自分を苦しめてしまうのだ。
相手の喜びのため必死になるあまり、いつの間にか自分の『嬉しい』は置き去り。
相手が大変そうだと、わたしのせいじゃないのに無意味に自分を責めてしまう。
結果的に、相手の顔色だけを伺うことになってしまうのだ。
理解されにくいかもしれないけど、わたしは自分の快不快がわかりにくいみたいだった。
いま、この人が不機嫌なのはわたしが悪いからで、その不機嫌な態度に対して『不快』に思う感情に蓋をしてして、すぐ、自分のせいにしてしまうところがあった。
で、ずっと後になって、ああ、あのときわたしは傷ついていたんだって気がつくのだ。
相手の顔色を伺い、それで自分の快不快を判断してしまう。
で、後で傷つく。
例えば『あなたのために』という関係を目指している人ならばそれで良いのかもしれないけど、那智さんは基本『ふたりのため』という考え方の人なので、多分最初からわたしに『あなたのため』を求めなかった。
りん子がどうしたいか。
りん子は何が嬉しいか。
自分の快不快よりも、相手のそれで物事を判断してしまうところのあるわたしに、生身の直のわたしの感情を表す訓練をしてくれた。
りん子が喜ぶと俺も嬉しい。
俺が嬉しいと、りん子は幸せ(だろ?@那智)
那智さんが喜ぶとわたしも嬉しい。
わたしが嬉しいと、那智さんも嬉しい。
不思議なもので、生身の直の感情を自分で触れる練習をすると、わかってくるのだ。
あ、その言葉いや。
いま、わたし傷ついた。
そして、それを相手にちゃんと伝えると、傷として残らず良好な関係が築ける。
(このときは、『素直に伝える』のが大事です)
逆に。
わたしは、嬉しい。
わたしが心地よい。
自分の快適も意識して触れるようにすると、自分を中心とした心地よさがわかってくるものだった。
こうしていると、ごく自然に、好きな人の幸福を願うという純粋な感情だけで、『那智さんが嬉しいとわたしも嬉しい』と思えるようになってきた。
多分、那智さんが目指しているのは。
快不快が自分で判断できるようになったわたしが自然に思う『那智さんが幸せだと、わたしも幸せ』なんだと思うのだ。
ずいぶん、それに近づけているんじゃないかな。
わたしはもう『暗闇の安息』に身を置きたくない。
自分を削り取ることなく、必要以上に差し出すことなく、それでも互いを思いやり愛し合いたい。
だから、『あなたのため』をしないようにしている。
特にこのブログでは、わざと、していない。
敢えて『わたしのため』と強調しているときもある。
それは、那智さんが、このブログはわたしの生身の直の感情を整理し、自己主張が得意ではないわたしが自己主張をする練習をする場所だと位置付けていると。
そう理解しているから、『わたしのため』。
(最初のころは『わたしのため』に、那智さんも違和感感じてたのです。「基本ふたりだろ」って。でも、最近はわかってくれてる)
いまさらキャラ変更はできないけど(笑)
やろうと思えば、あなたのためという書き方もできると思うのだ。
『あなたのため』と書かれている文章を読むと、可愛らしい、お相手のご主人様はきっと満足だろうなと思う。
『わたしのために』なんて書いちゃって、可愛くなくてごめんなさい那智さんと、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。
『SMを意識するな』と言われているけど、仮にSM的に判断するならわたしは出来の悪いM女なはずだもの。
だけど、しないの。
自分の感情に蓋をすることが得意だったわたしは、気を抜けばまた『暗闇』に安息を見つけてしまいそうだ。
でも、その安息は、わたしには苦しいものなのだもの。
だから、『あなたのために』はしない。
話が逸れるけど。
先日、わたしは自己主張して、友人にあることをお願いした。
いままでのわたしだったら『いいよ』ってわたしが引き受けていたはずのこと。
もちろん、強引なことは言っていないつもりで、でも、できればわたしは『こうしたい』と伝えてみた。
もし、彼女がどうしても譲れない事柄だったら、そこから話し合いが始まって、わたしが引き受けたかもしれないけど、断念して快く承諾してくれた。
こうやって、人は自分の気持ちを相手に伝えて、話し合いをして、人は良好な関係を築いていくのだなって実感した。
彼女からしたら、本意ではなかったかもしれなけど、わたしが感情に蓋をしてにっこりしているよりも、長い付き合いを考えたらきっとこちらのほうがいいと思ってくれると信じてる。
だって、わたしは快く引き受けてくれた彼女をより一層大切にしたいと思えるのだもの。
相手を思いやる気持ちと自己主張の両立。
それをわたしは『あなたのため』をしないことで訓練しているのです。
だけど、はっきりと『那智さんのため』というのも少ないながらもいくつかあるのだ。
暗闇に繋がらない『あなたのため』もある。
それは、ぐるっと回って『ふたりのため』になる『あなたのため』だ。
この話は次の機会に^^
わたしは、もう、暗闇の安息に身を置くことはしたくないんだ。
わたしのために。
わたしが気持ちいい。
などなど、かなり自分中心な書き方をしていますが。
実際のわたしは、けっこう健気でね(笑)
那智さんの脱いだ靴は履きやすいように揃えるし〜。
お風呂に入ったらバスタオルの準備するし〜。
タバコを手にしたら、灰皿を良い位置に移動させるし〜。
もうすぐ付き合って7年目になるけど、ずっと敬語は変わらないし〜。
通勤電車が遅れたら、その電車に悪態つくし〜。
(自分フォロー 笑)
それは那智さんのためというよりは、好きな人の快適を願う自然な感情としてある。
『暗闇の安息』というエントリーを書いた。
わたしは自己評価が低く、自分には愛される価値がないと思っていて、それ故に必要以上にへりくだり、求められる以上のものを差し出していた。
そうしないと愛されないと思っていたからだ。
(えっと、かなりそこだけにスポット当ててますよ^^そんな悲劇だけじゃないですよ)
染み込んだ『愛されたいからたくさんあげる』という暗闇は、なかなか抜け出すことができなくて『暗闇の安息』。
いけないとわかっていることから這い上がるのは、実はかなり難しい。
長年に渡り染み付いているなら尚更だ。
思わず、その負の居心地に『もう、わたしはわたしを切り売りしてもいい』と捨て鉢な解決方法を取ってしまうほうが楽なんじゃないかってほど、難しい。
那智さんと出会って、根気強く『価値がある』と教えてもらい、相手を思う気持ちと自己主張することの両立、人に対してへりくだらないように訓練させてもらった。
りん子は、りん子のままがいいと。
そのひとつが『あなたのため』という思考回路をしないことなんだ。
わたしには同化願望があるので基本的に『あなたのため』になりやすい。
那智さんが嬉しいと嬉しい。
那智さんが心地よいと嬉しい。
那智さんが大変そうだと、なんだかわたしまで苦しい。
好きな人同士なんだから、好きな人に心地よくしてもらいたいというのは普通の感情としてある程度は良いことだと思うけど。
暗闇の安息に身を置いてしまいやすいわたしは、過剰に『あなたのために』なりすぎて自分を苦しめてしまうのだ。
相手の喜びのため必死になるあまり、いつの間にか自分の『嬉しい』は置き去り。
相手が大変そうだと、わたしのせいじゃないのに無意味に自分を責めてしまう。
結果的に、相手の顔色だけを伺うことになってしまうのだ。
理解されにくいかもしれないけど、わたしは自分の快不快がわかりにくいみたいだった。
いま、この人が不機嫌なのはわたしが悪いからで、その不機嫌な態度に対して『不快』に思う感情に蓋をしてして、すぐ、自分のせいにしてしまうところがあった。
で、ずっと後になって、ああ、あのときわたしは傷ついていたんだって気がつくのだ。
相手の顔色を伺い、それで自分の快不快を判断してしまう。
で、後で傷つく。
例えば『あなたのために』という関係を目指している人ならばそれで良いのかもしれないけど、那智さんは基本『ふたりのため』という考え方の人なので、多分最初からわたしに『あなたのため』を求めなかった。
りん子がどうしたいか。
りん子は何が嬉しいか。
自分の快不快よりも、相手のそれで物事を判断してしまうところのあるわたしに、生身の直のわたしの感情を表す訓練をしてくれた。
りん子が喜ぶと俺も嬉しい。
俺が嬉しいと、りん子は幸せ(だろ?@那智)
那智さんが喜ぶとわたしも嬉しい。
わたしが嬉しいと、那智さんも嬉しい。
不思議なもので、生身の直の感情を自分で触れる練習をすると、わかってくるのだ。
あ、その言葉いや。
いま、わたし傷ついた。
そして、それを相手にちゃんと伝えると、傷として残らず良好な関係が築ける。
(このときは、『素直に伝える』のが大事です)
逆に。
わたしは、嬉しい。
わたしが心地よい。
自分の快適も意識して触れるようにすると、自分を中心とした心地よさがわかってくるものだった。
こうしていると、ごく自然に、好きな人の幸福を願うという純粋な感情だけで、『那智さんが嬉しいとわたしも嬉しい』と思えるようになってきた。
多分、那智さんが目指しているのは。
快不快が自分で判断できるようになったわたしが自然に思う『那智さんが幸せだと、わたしも幸せ』なんだと思うのだ。
ずいぶん、それに近づけているんじゃないかな。
わたしはもう『暗闇の安息』に身を置きたくない。
自分を削り取ることなく、必要以上に差し出すことなく、それでも互いを思いやり愛し合いたい。
だから、『あなたのため』をしないようにしている。
特にこのブログでは、わざと、していない。
敢えて『わたしのため』と強調しているときもある。
それは、那智さんが、このブログはわたしの生身の直の感情を整理し、自己主張が得意ではないわたしが自己主張をする練習をする場所だと位置付けていると。
そう理解しているから、『わたしのため』。
(最初のころは『わたしのため』に、那智さんも違和感感じてたのです。「基本ふたりだろ」って。でも、最近はわかってくれてる)
いまさらキャラ変更はできないけど(笑)
やろうと思えば、あなたのためという書き方もできると思うのだ。
『あなたのため』と書かれている文章を読むと、可愛らしい、お相手のご主人様はきっと満足だろうなと思う。
『わたしのために』なんて書いちゃって、可愛くなくてごめんなさい那智さんと、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。
『SMを意識するな』と言われているけど、仮にSM的に判断するならわたしは出来の悪いM女なはずだもの。
だけど、しないの。
自分の感情に蓋をすることが得意だったわたしは、気を抜けばまた『暗闇』に安息を見つけてしまいそうだ。
でも、その安息は、わたしには苦しいものなのだもの。
だから、『あなたのために』はしない。
話が逸れるけど。
先日、わたしは自己主張して、友人にあることをお願いした。
いままでのわたしだったら『いいよ』ってわたしが引き受けていたはずのこと。
もちろん、強引なことは言っていないつもりで、でも、できればわたしは『こうしたい』と伝えてみた。
もし、彼女がどうしても譲れない事柄だったら、そこから話し合いが始まって、わたしが引き受けたかもしれないけど、断念して快く承諾してくれた。
こうやって、人は自分の気持ちを相手に伝えて、話し合いをして、人は良好な関係を築いていくのだなって実感した。
彼女からしたら、本意ではなかったかもしれなけど、わたしが感情に蓋をしてにっこりしているよりも、長い付き合いを考えたらきっとこちらのほうがいいと思ってくれると信じてる。
だって、わたしは快く引き受けてくれた彼女をより一層大切にしたいと思えるのだもの。
相手を思いやる気持ちと自己主張の両立。
それをわたしは『あなたのため』をしないことで訓練しているのです。
だけど、はっきりと『那智さんのため』というのも少ないながらもいくつかあるのだ。
暗闇に繋がらない『あなたのため』もある。
それは、ぐるっと回って『ふたりのため』になる『あなたのため』だ。
この話は次の機会に^^
わたしは、もう、暗闇の安息に身を置くことはしたくないんだ。
- 関連記事
-
- 道具はどちら? 2009/03/17
- SMのスイッチ 2013/04/02
- 生意気half-moon 2012/05/15