私について(父性とシスターコンプレックス2)
惹かれ合う理由
私の父は子供のような人。
自分の感情のままに動く人。
これを言ったら相手がどう感じるかなんて、思いもよらない人。
だから、決して性格が意地悪とか陰湿とかではないのです。
だって意地悪って、相手がどう感じるか考えないとできないでしょ(笑)。
そんな謀略なんて遠い世界、だから、ただ単に「子供のような人」。
意地悪ではないとはいえ、そんな人を父に持つとやっぱり大変ではある。
子供のようだから、感情的だ。
気分で行動や言動が左右する。
駄々っ子に手を焼くように、日常的に小さな気苦労は絶えない。
でも、それくらいはまだましなほう。
そうはいっても大人の男だ。
些細なことで急に機嫌が悪くなりテーブルをひっくり返したり、感情を爆発させて暴力を振るうことも一度や二度ではない。
母に向けられる暴力や暴言を、少しでも回避しようと、幼い私は「やめて」と泣いて訴える。
少し大きくなってからは、わざと憎まれ口を叩いて怒りの矛先が私に向くように仕向ける。
ある時なんて、馬乗りになって殴られたこともあった。
世の中には、もっと酷い虐待が存在していることも知っている。
だから、自分だけが不幸だなんて思ってはいない。
むしろ、和やかなときは多く、悲惨な少女時代だったとも思っていない。
ただ、父の機嫌が気がかりで、いつも心の奥底は、ヒヤヒヤしていたことは事実だ。
その父にとって、姉は天使だった。
可愛い可愛い長女だった。
父は、姉を溺愛していた。
溺愛自体歪んだ愛情で、姉も被害者だと、いまなら思える。
幼いころから、父は私にいつも姉の自慢をする。
(可笑しいでしょ!娘に娘の自慢をするなんて!!)
「おまえは、おねえちゃんみたいな、優しいおねえさんがいて良かったな♪」
「おまえもおねえちゃんみたいに、髪を伸ばしたらいいのに。」
そばで、聞かされる姉も居心地悪いらしく、フォローしてくれて「私だって、りん子がいてよかったよ!」と、父に言ってくれる。
そんな時父は、理解不能な数学でも聞かされたように、きょとんとして首をかしげるのだ。
姉にとって、私がいる利点が想像できないらしい。(そもそも家族の愛情なんて利点で計るものではなけど)
時々、「安寿と厨子王」を幼い姉に読んであげたときの話を私にする。
安寿と厨子王が離ればなれになるシーンで、感情を込めて読み聞かせる父の話に姉は、涙を流して聞き入っていたらしい。
「あの時のおねえちゃんは、可愛かったな〜。」
と、恋人の自慢をするように。
「安寿と厨子王」を読んでもらったことがない私は、同じ年くらいで読んでもらった姉の泣き顔を想像をしながら、どう答えてよいか分からず、戸惑うだけだった。
私たちが大人になっても、変わらない。
社会人になって、仕事中に痴漢にあった話をすると(私はエレベーターガールだったのです。今は懐かしい!?)、母は激怒するけれど(自分のために、怒りを表してくれるのって嬉しいですよね)、父は突拍子もないことを言い出すのだ。
「若い男なんて、そんなもんだ。少しは触らせてやれ♪」
私は、一緒に怒ってほしかった。
自分の娘が痴漢に遭う、それも、お尻を触る程度ではなく、二人っきりのエレベーターの中で、後ろから胸を鷲掴みにされるという暴漢に近い酷い目に遭ったと言っているのだ。(酷いでしょ?もちろん警備員に通報しましたよ。怖かった〜。)
それなのに、怒ってくれない。
その淋しさをどう収めれば良いわからず、冗談まじりに聞いてみる。
「もしおねえちゃんが同じめにあったら、怒るでしょ?」
答えは、予想した通り「そうだな〜。」だった。
何かを期待した私が悪かったのだ。
欲しいものは、与えられない。
でも、諦められない。
お父さんに可愛がられたいと思ってしまうことは、父親の愛情が必要な女の子なら誰でも思う自然なことだ。
与えられないならば、与えられているおねえちゃんのようになりたいと思ってしまうことは、これも仕方がないことではないだろうか。
私は、姉のようになりたい。
でも、私は姉ではない。
姉がもらえていた愛を私は知らない。(姉ももらえていたとは言い難いけど)
父がくれないならば、似たようなものを他の誰かにもらうしかない。
私が、満たされ幸福になるには、それしか方法はない。
でも、知らないものは探しようがない。
遠い異国の見知らぬ料理の美味しさが、想像できないように。
知らないのもは、想像すらできない。
父性の海に抱かれる心地よさを、那智さんに感じさせてもらえるまで、この心地よさを自分が欲していたことさえも、私はわからずにいた。
ただ、何かを切望し、漂流しているだけだった。
私の父は子供のような人。
自分の感情のままに動く人。
これを言ったら相手がどう感じるかなんて、思いもよらない人。
だから、決して性格が意地悪とか陰湿とかではないのです。
だって意地悪って、相手がどう感じるか考えないとできないでしょ(笑)。
そんな謀略なんて遠い世界、だから、ただ単に「子供のような人」。
意地悪ではないとはいえ、そんな人を父に持つとやっぱり大変ではある。
子供のようだから、感情的だ。
気分で行動や言動が左右する。
駄々っ子に手を焼くように、日常的に小さな気苦労は絶えない。
でも、それくらいはまだましなほう。
そうはいっても大人の男だ。
些細なことで急に機嫌が悪くなりテーブルをひっくり返したり、感情を爆発させて暴力を振るうことも一度や二度ではない。
母に向けられる暴力や暴言を、少しでも回避しようと、幼い私は「やめて」と泣いて訴える。
少し大きくなってからは、わざと憎まれ口を叩いて怒りの矛先が私に向くように仕向ける。
ある時なんて、馬乗りになって殴られたこともあった。
世の中には、もっと酷い虐待が存在していることも知っている。
だから、自分だけが不幸だなんて思ってはいない。
むしろ、和やかなときは多く、悲惨な少女時代だったとも思っていない。
ただ、父の機嫌が気がかりで、いつも心の奥底は、ヒヤヒヤしていたことは事実だ。
その父にとって、姉は天使だった。
可愛い可愛い長女だった。
父は、姉を溺愛していた。
溺愛自体歪んだ愛情で、姉も被害者だと、いまなら思える。
幼いころから、父は私にいつも姉の自慢をする。
(可笑しいでしょ!娘に娘の自慢をするなんて!!)
「おまえは、おねえちゃんみたいな、優しいおねえさんがいて良かったな♪」
「おまえもおねえちゃんみたいに、髪を伸ばしたらいいのに。」
そばで、聞かされる姉も居心地悪いらしく、フォローしてくれて「私だって、りん子がいてよかったよ!」と、父に言ってくれる。
そんな時父は、理解不能な数学でも聞かされたように、きょとんとして首をかしげるのだ。
姉にとって、私がいる利点が想像できないらしい。(そもそも家族の愛情なんて利点で計るものではなけど)
時々、「安寿と厨子王」を幼い姉に読んであげたときの話を私にする。
安寿と厨子王が離ればなれになるシーンで、感情を込めて読み聞かせる父の話に姉は、涙を流して聞き入っていたらしい。
「あの時のおねえちゃんは、可愛かったな〜。」
と、恋人の自慢をするように。
「安寿と厨子王」を読んでもらったことがない私は、同じ年くらいで読んでもらった姉の泣き顔を想像をしながら、どう答えてよいか分からず、戸惑うだけだった。
私たちが大人になっても、変わらない。
社会人になって、仕事中に痴漢にあった話をすると(私はエレベーターガールだったのです。今は懐かしい!?)、母は激怒するけれど(自分のために、怒りを表してくれるのって嬉しいですよね)、父は突拍子もないことを言い出すのだ。
「若い男なんて、そんなもんだ。少しは触らせてやれ♪」
私は、一緒に怒ってほしかった。
自分の娘が痴漢に遭う、それも、お尻を触る程度ではなく、二人っきりのエレベーターの中で、後ろから胸を鷲掴みにされるという暴漢に近い酷い目に遭ったと言っているのだ。(酷いでしょ?もちろん警備員に通報しましたよ。怖かった〜。)
それなのに、怒ってくれない。
その淋しさをどう収めれば良いわからず、冗談まじりに聞いてみる。
「もしおねえちゃんが同じめにあったら、怒るでしょ?」
答えは、予想した通り「そうだな〜。」だった。
何かを期待した私が悪かったのだ。
欲しいものは、与えられない。
でも、諦められない。
お父さんに可愛がられたいと思ってしまうことは、父親の愛情が必要な女の子なら誰でも思う自然なことだ。
与えられないならば、与えられているおねえちゃんのようになりたいと思ってしまうことは、これも仕方がないことではないだろうか。
私は、姉のようになりたい。
でも、私は姉ではない。
姉がもらえていた愛を私は知らない。(姉ももらえていたとは言い難いけど)
父がくれないならば、似たようなものを他の誰かにもらうしかない。
私が、満たされ幸福になるには、それしか方法はない。
でも、知らないものは探しようがない。
遠い異国の見知らぬ料理の美味しさが、想像できないように。
知らないのもは、想像すらできない。
父性の海に抱かれる心地よさを、那智さんに感じさせてもらえるまで、この心地よさを自分が欲していたことさえも、私はわからずにいた。
ただ、何かを切望し、漂流しているだけだった。