ピンク2
独特な幸福感
ピンク色は、女の子にとって特別な色らしい。
ピンク色には「好き嫌い」がある。
「ピンク大好き♪」
「ピンクなんて、全然好きじゃない!!」
もちろん「どちらでもない」という人もいるでしょうけれど、他の色に比べたら「好き嫌い」の対象になりやすい色であることは、間違いないだろう。
だって「オレンジ色が好き」とはいうけど「オレンジは嫌い」なんて、わざわざ話題にならないと思いませんか?
姫野カオルコさんのエッセイにこんなことが書いてあった(と思う・・ずっと前に読んだから不確かです。)
女の子が「ピンク」を話題にしたり、ピンクを選んだりするときに多かれ少なかれ、その向こう側に「女の子らしいこと」を見ている。
「ピンク」=「女の子らしい、可愛いものの象徴」
それを持つことで、可愛らしいことへの憧れや、自尊心(それが持てる自分)を満たしているのだ。
そのために、ついピンクを選んでしまう。
「ピンクなんか嫌い、可愛らしさをアピールしているみたいで持ちたくない」こんな人もいるはずだ。
しかし、「ピンク」を意識した時点で、その人も「ピンク」に捕らわれているのだ。
だから、ピンクが好き嫌いどちらにしても「女の子らしい可愛いもの」に捕らわれているということだ。
ピンク色は厄介。
那智さんと出会うずっと前に、このエッセイを読んだとき、私は明らかに後者だなと思った。
「ピンクなんて媚びているみたいで嫌。それに私みたいに体格の良い女は似合わない。」
実際、服や小物は青や黒、派手な柄のものだったりしていた。
時々何気なく「ピンク色」を手に取ってみると、「りん子、全然らしくないよ(笑)」と友達が言う。
私も、当然のように「だよね~~~~」と、商品を棚に戻していた。
だから、「私はピンク(女の子らしいもの)は嫌い、だけど、きっと捕らわれているのは間違いないな~。」と苦笑気味に思ったのだ。
それから何年も経ち、那智さんに「父性の毛布」に包んでもらって、たくさん泣いて「女の子」にしてもらって、私は那智さんの前で「可愛らしい女の子」になっていった。
出会って間もないころ那智さんが冗談でこんなことを私にさせた。
両手をグーに握って胸の前に持っていき「入れてくれなくちゃ、いや」って言いながら体よ横に振る(笑)
わかります?いかにも「ぶりっこ」、いまどきそんなことする人います~?
え~恥ずかしいです~なんて言いながら、はじめての仕草に挑戦してみる。(毎度すみません30後半です 汗)
その時は「きっついな~」って感じだったけど、何年かの付き合いのうちに似たような仕草をしている自分に気付くのだ。
那智さんの前で、私は「女の子」だ。
素直に泣いて、笑って、悲しいとか嬉しいとか感情を伝えることができる。
策略なんて無縁の世界で、おりこうさんにしていればいいだけの女の子。
もちろん、そればっかりじゃないですよ!!大人の話もします。・・多分。
ただ根っこの部分は「素直ないいこ」でいれば良いという安心感がある。
大好きな尊敬する人の前で、少女のように無垢でいられるということは、なんとも言えず幸せだ。
女性は(私は)、愛する人の庇護の元女の子でいられることが幸せなのかもしれない。
この安心感があれば、いろんなことに立ち向かえる勇気も湧いてくる。
そう感じはじめたと同じくらいに、私はピンク色のものを手に取るようになっていた。
はじめは「ピンク」には抵抗感があったようで、落ち着いた色で可愛らしい装飾のもの。
例えば、クリーム色の日傘は、控えめながら「フリル」が飾られている。
少し前の私なら絶対に選ばない形だ。
ためらいながら可愛らしいものを手にする時、くすぐったいような喜びに包まれてしまうのだ。
そのうち手帳はピンク色、ふんわりしたスカートと「可愛らしいもの」が徐々に増えていく。
さすがにピンク色の洋服は選べないけど、可愛いものを選ぶことを自分に許す気持ち良さを味わっていた。
まわりもその変化に気付き、「どうしたの?」と聞くけれど、笑って誤魔化すしかない。
「キャラ」との落差を感じさせてしまうのは、ちょっといたたまれない。
ほんの少しの「キャラ」変更は、まわりよりも自分との葛藤の時間だった。
でも、この気持ちよさと、沸き上がる欲求を抑えたくない。
他人から見たら、なんてことない「ピンク」の手帳。
これが嬉しくてくすぐったい。
相変わらず、青や黒も着ているけれど、心の女の子に添うように、僅かに見た目も「女の子」になっていく。
ああ、ごめんなさい。あと一回引っ張ります~!!
ピンク色は、女の子にとって特別な色らしい。
ピンク色には「好き嫌い」がある。
「ピンク大好き♪」
「ピンクなんて、全然好きじゃない!!」
もちろん「どちらでもない」という人もいるでしょうけれど、他の色に比べたら「好き嫌い」の対象になりやすい色であることは、間違いないだろう。
だって「オレンジ色が好き」とはいうけど「オレンジは嫌い」なんて、わざわざ話題にならないと思いませんか?
姫野カオルコさんのエッセイにこんなことが書いてあった(と思う・・ずっと前に読んだから不確かです。)
女の子が「ピンク」を話題にしたり、ピンクを選んだりするときに多かれ少なかれ、その向こう側に「女の子らしいこと」を見ている。
「ピンク」=「女の子らしい、可愛いものの象徴」
それを持つことで、可愛らしいことへの憧れや、自尊心(それが持てる自分)を満たしているのだ。
そのために、ついピンクを選んでしまう。
「ピンクなんか嫌い、可愛らしさをアピールしているみたいで持ちたくない」こんな人もいるはずだ。
しかし、「ピンク」を意識した時点で、その人も「ピンク」に捕らわれているのだ。
だから、ピンクが好き嫌いどちらにしても「女の子らしい可愛いもの」に捕らわれているということだ。
ピンク色は厄介。
那智さんと出会うずっと前に、このエッセイを読んだとき、私は明らかに後者だなと思った。
「ピンクなんて媚びているみたいで嫌。それに私みたいに体格の良い女は似合わない。」
実際、服や小物は青や黒、派手な柄のものだったりしていた。
時々何気なく「ピンク色」を手に取ってみると、「りん子、全然らしくないよ(笑)」と友達が言う。
私も、当然のように「だよね~~~~」と、商品を棚に戻していた。
だから、「私はピンク(女の子らしいもの)は嫌い、だけど、きっと捕らわれているのは間違いないな~。」と苦笑気味に思ったのだ。
それから何年も経ち、那智さんに「父性の毛布」に包んでもらって、たくさん泣いて「女の子」にしてもらって、私は那智さんの前で「可愛らしい女の子」になっていった。
出会って間もないころ那智さんが冗談でこんなことを私にさせた。
両手をグーに握って胸の前に持っていき「入れてくれなくちゃ、いや」って言いながら体よ横に振る(笑)
わかります?いかにも「ぶりっこ」、いまどきそんなことする人います~?
え~恥ずかしいです~なんて言いながら、はじめての仕草に挑戦してみる。(毎度すみません30後半です 汗)
その時は「きっついな~」って感じだったけど、何年かの付き合いのうちに似たような仕草をしている自分に気付くのだ。
那智さんの前で、私は「女の子」だ。
素直に泣いて、笑って、悲しいとか嬉しいとか感情を伝えることができる。
策略なんて無縁の世界で、おりこうさんにしていればいいだけの女の子。
もちろん、そればっかりじゃないですよ!!大人の話もします。・・多分。
ただ根っこの部分は「素直ないいこ」でいれば良いという安心感がある。
大好きな尊敬する人の前で、少女のように無垢でいられるということは、なんとも言えず幸せだ。
女性は(私は)、愛する人の庇護の元女の子でいられることが幸せなのかもしれない。
この安心感があれば、いろんなことに立ち向かえる勇気も湧いてくる。
そう感じはじめたと同じくらいに、私はピンク色のものを手に取るようになっていた。
はじめは「ピンク」には抵抗感があったようで、落ち着いた色で可愛らしい装飾のもの。
例えば、クリーム色の日傘は、控えめながら「フリル」が飾られている。
少し前の私なら絶対に選ばない形だ。
ためらいながら可愛らしいものを手にする時、くすぐったいような喜びに包まれてしまうのだ。
そのうち手帳はピンク色、ふんわりしたスカートと「可愛らしいもの」が徐々に増えていく。
さすがにピンク色の洋服は選べないけど、可愛いものを選ぶことを自分に許す気持ち良さを味わっていた。
まわりもその変化に気付き、「どうしたの?」と聞くけれど、笑って誤魔化すしかない。
「キャラ」との落差を感じさせてしまうのは、ちょっといたたまれない。
ほんの少しの「キャラ」変更は、まわりよりも自分との葛藤の時間だった。
でも、この気持ちよさと、沸き上がる欲求を抑えたくない。
他人から見たら、なんてことない「ピンク」の手帳。
これが嬉しくてくすぐったい。
相変わらず、青や黒も着ているけれど、心の女の子に添うように、僅かに見た目も「女の子」になっていく。
ああ、ごめんなさい。あと一回引っ張ります~!!