私について(父性とシスターコンプレックス1)
惹かれ合う理由
私には、年の離れた姉がいる。
6つ離れたその姉は私に比べて頭が良く感受性豊かで、道徳的な人だ。
まして6つも離れているのだから、幼いころなんて、頭の良さや道徳などは、明らかな差があって当たり前。
いまなら、そう思える。(年の差を差し引いても、私のほうがバカなことには、かわらないのですけど♪)
でも、幼い私にとって、姉は憧れの人だった。
何をやってもかなわない。
たくさん遊んでくれるおねえちゃん、優しいおねえちゃん、いっつもおねえちゃんの後をついてまわっていた。
私が小学校一年生の時、姉は六年生。
一緒に登校して、昇降口で別の方向に分かれるときなどは、その場に立ち止まりずっと手を振っていた。
振り返って手を振り返してくれることが嬉しくて、1人になるのが淋しくて、姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
私の父は子供のような人で(これは、後で詳しく書きます)、自営業をしていたから母はいつも忙しい(擁護するようですが、母も優しい人。感情的に怒ったりすることのない大人。でも、如何せん忙しかった)。
余計に、私は姉にべったりで。
遊んでもらうだけではなく、勉強を教えてもらったり、叱られたりもした。
私も、おねえちゃんのようになりたい。
おねえちゃんの言うことは正しい。
おねえちゃんの好きなものは、私も大好き。
おねえちゃんに好かれていたい。
この感情、幼いころだけなら、まあ、ありがちなことだったかもしれない。
でも、大人になっても姉妹に依存していることは、どこか歪んでいる。
歪みが生じて、問題となって表にでたのは、私が結婚生活を維持できなくなったことだ。
ある時を境に、その元夫が好きではないと気付いてしまったのだ。
そんな人と一緒に暮らせない。
わがままを押し通して、私は離婚した。(その元夫は、いまは再婚して幸せな家庭を築いているようです。よかった♪)
この時、逃げ出してしまいたい私に、姉は必死に向き合ってくれる。
なぜ、こうなったのか、どうしたらこれから私が幸せになれるのか(ひいては、私たち家族のため。余談ですが、父が子供だったせいもあり、姉は母の苦労を一緒に背負い込んでいました。姉はマザコンなのです。だから余計に一生懸命になったと本人も言っていました)。
何度も話した。
姉の旦那さんと同じようなスーツの似合う人と、姉の結婚した年齢と同じ23歳で結婚した。
でも、なぜだめだったのだろう。
いまならわかる、簡単なことだ。
私は、姉ではない。
姉と同じ、好みや人生になるはずがない。
姉と同じような、選択をしても、姉になれるわけがない。
「おねえちゃんのようになりたい。」
その時に、はじめて気が付いたのだ。
姉は頭も良い、本もたくさん読むし、悪いことはしない優等生。
この人に憧れを抱くことは、もちろん自然な感情だ。
でも、それだけではなかった。
大人になってもずっと、おねえちゃんのようになりたいと思うこの渇望は、「おねえちゃんのようになって、おとうさんに愛されたい。」だったのだ。
ちょっと、休憩させてくださいね。
私には、年の離れた姉がいる。
6つ離れたその姉は私に比べて頭が良く感受性豊かで、道徳的な人だ。
まして6つも離れているのだから、幼いころなんて、頭の良さや道徳などは、明らかな差があって当たり前。
いまなら、そう思える。(年の差を差し引いても、私のほうがバカなことには、かわらないのですけど♪)
でも、幼い私にとって、姉は憧れの人だった。
何をやってもかなわない。
たくさん遊んでくれるおねえちゃん、優しいおねえちゃん、いっつもおねえちゃんの後をついてまわっていた。
私が小学校一年生の時、姉は六年生。
一緒に登校して、昇降口で別の方向に分かれるときなどは、その場に立ち止まりずっと手を振っていた。
振り返って手を振り返してくれることが嬉しくて、1人になるのが淋しくて、姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
私の父は子供のような人で(これは、後で詳しく書きます)、自営業をしていたから母はいつも忙しい(擁護するようですが、母も優しい人。感情的に怒ったりすることのない大人。でも、如何せん忙しかった)。
余計に、私は姉にべったりで。
遊んでもらうだけではなく、勉強を教えてもらったり、叱られたりもした。
私も、おねえちゃんのようになりたい。
おねえちゃんの言うことは正しい。
おねえちゃんの好きなものは、私も大好き。
おねえちゃんに好かれていたい。
この感情、幼いころだけなら、まあ、ありがちなことだったかもしれない。
でも、大人になっても姉妹に依存していることは、どこか歪んでいる。
歪みが生じて、問題となって表にでたのは、私が結婚生活を維持できなくなったことだ。
ある時を境に、その元夫が好きではないと気付いてしまったのだ。
そんな人と一緒に暮らせない。
わがままを押し通して、私は離婚した。(その元夫は、いまは再婚して幸せな家庭を築いているようです。よかった♪)
この時、逃げ出してしまいたい私に、姉は必死に向き合ってくれる。
なぜ、こうなったのか、どうしたらこれから私が幸せになれるのか(ひいては、私たち家族のため。余談ですが、父が子供だったせいもあり、姉は母の苦労を一緒に背負い込んでいました。姉はマザコンなのです。だから余計に一生懸命になったと本人も言っていました)。
何度も話した。
姉の旦那さんと同じようなスーツの似合う人と、姉の結婚した年齢と同じ23歳で結婚した。
でも、なぜだめだったのだろう。
いまならわかる、簡単なことだ。
私は、姉ではない。
姉と同じ、好みや人生になるはずがない。
姉と同じような、選択をしても、姉になれるわけがない。
「おねえちゃんのようになりたい。」
その時に、はじめて気が付いたのだ。
姉は頭も良い、本もたくさん読むし、悪いことはしない優等生。
この人に憧れを抱くことは、もちろん自然な感情だ。
でも、それだけではなかった。
大人になってもずっと、おねえちゃんのようになりたいと思うこの渇望は、「おねえちゃんのようになって、おとうさんに愛されたい。」だったのだ。
ちょっと、休憩させてくださいね。