攻守交代
独り言
『水曜どうでしょう』や『大泉洋』の検索でいらした方、当ブログはこのお話以外に彼らの関することは登場しません。
アダルトカテゴリのブログになりますのでお気をつけくださいませ。
特に未成年の方はここだけ読んだら、あとは閲覧禁止です!!
いまさらながら『水曜どうでしょう』にハマっている。
1996年に北海道のローカルテレビでスタートし6年ほど放映された、かれこれ20年近くも前の番組に。
我が子が同級生から借りてきたDVDを観たことがきっかけだった。
いまは全国区になっているけれど当時は無名の青年だった大泉洋ともうひとりの演者で大泉洋の事務所の社長でもあるミスターこと鈴井貴之とディレクターの藤村と嬉野の4人が様々な(くだらい^^)企画に挑戦する。
いちおう旅番組という触れ込みではあるけれど名所やグルメなどはほとんどなく、そこで起こるハプニングややり取りを藤村ディレクターの編集でひたすら垂れ流しする。
大泉洋の親曰く「旅番組ではなく移動番組」だ。
それのいったい何にこんなにも惹きつけられるのだろう。
たぐいまれなる愛嬌と華を持った大泉洋の魅力、藤村ディレクターの編集の妙、いろいろな要素はあるけれど、4人の関係性が大きな魅力のひとつだと思う。
『水曜どうでしょう』の魅力として「学生時代を思い出す」というようなことを挙げる人がいる。
バカみたいにムキになって延々と枕投げをした修学旅行の夜。
何が面白かったのか忘れてしまうけど、とにかく面白くてずっと笑いながら帰った道。
そういう愛すべきくだらない日々を思い出させるのが『水曜どうでしょう』というのは多くのファンの見解だ。
くだらない日々のやり取りの魅力、それは対等な人間同士優劣のない関係の表れ、具体的にいうと『攻守交代できる関係』ということなのではないだろうか。
わたしたちは日々、人より優位に立とうと戦々恐々としている。
誰かがミスしないか見張り、揚げ足を取り合う。
一度『いじられキャラ』なんて位置になったら、それこそみんなからいじられる。
みんなは自分がその位置にならないように結束して一人をいじり続ける殺伐とした人間関係。
社会はもちろん、いまどきは学校でもそんな状況なのではないだろうか。
それは決して対等な人間関係とはいえない。
あるときはコイツがいじられ、あるときは反撃に出て他のヤツが辛辣な言葉を浴びせられる。
いつでも攻守交代できる関係が対等な者同士だ。
『水曜どうでしょう』では、年齢もバラバラだし、ミスターは大泉の社長だし、それぞれ仕事上の『上下関係』はあるかもしれないけれど人としては対等なのだ。
ときには一番年長のミスターが丸め込まれて赤福を一気喰いさせられ、大泉洋はディレクターの藤村にクダを巻いて食ってかかる。
もちろん、場面によっては攻守逆転もありなのだ。
いつでも攻守交代できる、している、その対等な人間同士が集まって流れる気を張らなくていい穏やかな空気。
それが観ているこちらをリラックスして笑わせ、ときにはホロッとさせ、何度も何度も繰り返し観たいと思わせるのではないだろうか。
会社で子育てで学校で、常に優劣をつけようとしている社会の中に身を置いているわたしたちは『水曜どうでしょう』を観ながら、その攻守交代できる対等な人間関係の一員のような気持ちになっているのだろう。
これが『水曜どうでしょう』が20年経っても色褪せず、いまでも人気な理由だと思うのです。
と、那智さんをはじめ『水曜どうでしょう』をご覧になったことがない方にはよくわからないエントリーになってしまいましたが^^;
対等な人間同士の上下関係はいいよね!?と無理矢理『等式』につなげてみておしまい(笑)
「等式」感想です。文中に「対等な人間同士の上下関係はいいよね!?」あるけれど、その関係性は会社・学校・サークルみないな社会性のある場所では先輩・後輩・同輩だろう。夫婦・恋人・友達のような、個人的な関係性で双方が納得し快適な上下関係を成立させるのは難しそうでだね。
『水曜どうでしょう』や『大泉洋』の検索でいらした方、当ブログはこのお話以外に彼らの関することは登場しません。
アダルトカテゴリのブログになりますのでお気をつけくださいませ。
特に未成年の方はここだけ読んだら、あとは閲覧禁止です!!
いまさらながら『水曜どうでしょう』にハマっている。
1996年に北海道のローカルテレビでスタートし6年ほど放映された、かれこれ20年近くも前の番組に。
我が子が同級生から借りてきたDVDを観たことがきっかけだった。
いまは全国区になっているけれど当時は無名の青年だった大泉洋ともうひとりの演者で大泉洋の事務所の社長でもあるミスターこと鈴井貴之とディレクターの藤村と嬉野の4人が様々な(くだらい^^)企画に挑戦する。
いちおう旅番組という触れ込みではあるけれど名所やグルメなどはほとんどなく、そこで起こるハプニングややり取りを藤村ディレクターの編集でひたすら垂れ流しする。
大泉洋の親曰く「旅番組ではなく移動番組」だ。
それのいったい何にこんなにも惹きつけられるのだろう。
たぐいまれなる愛嬌と華を持った大泉洋の魅力、藤村ディレクターの編集の妙、いろいろな要素はあるけれど、4人の関係性が大きな魅力のひとつだと思う。
『水曜どうでしょう』の魅力として「学生時代を思い出す」というようなことを挙げる人がいる。
バカみたいにムキになって延々と枕投げをした修学旅行の夜。
何が面白かったのか忘れてしまうけど、とにかく面白くてずっと笑いながら帰った道。
そういう愛すべきくだらない日々を思い出させるのが『水曜どうでしょう』というのは多くのファンの見解だ。
くだらない日々のやり取りの魅力、それは対等な人間同士優劣のない関係の表れ、具体的にいうと『攻守交代できる関係』ということなのではないだろうか。
わたしたちは日々、人より優位に立とうと戦々恐々としている。
誰かがミスしないか見張り、揚げ足を取り合う。
一度『いじられキャラ』なんて位置になったら、それこそみんなからいじられる。
みんなは自分がその位置にならないように結束して一人をいじり続ける殺伐とした人間関係。
社会はもちろん、いまどきは学校でもそんな状況なのではないだろうか。
それは決して対等な人間関係とはいえない。
あるときはコイツがいじられ、あるときは反撃に出て他のヤツが辛辣な言葉を浴びせられる。
いつでも攻守交代できる関係が対等な者同士だ。
『水曜どうでしょう』では、年齢もバラバラだし、ミスターは大泉の社長だし、それぞれ仕事上の『上下関係』はあるかもしれないけれど人としては対等なのだ。
ときには一番年長のミスターが丸め込まれて赤福を一気喰いさせられ、大泉洋はディレクターの藤村にクダを巻いて食ってかかる。
もちろん、場面によっては攻守逆転もありなのだ。
いつでも攻守交代できる、している、その対等な人間同士が集まって流れる気を張らなくていい穏やかな空気。
それが観ているこちらをリラックスして笑わせ、ときにはホロッとさせ、何度も何度も繰り返し観たいと思わせるのではないだろうか。
会社で子育てで学校で、常に優劣をつけようとしている社会の中に身を置いているわたしたちは『水曜どうでしょう』を観ながら、その攻守交代できる対等な人間関係の一員のような気持ちになっているのだろう。
これが『水曜どうでしょう』が20年経っても色褪せず、いまでも人気な理由だと思うのです。
と、那智さんをはじめ『水曜どうでしょう』をご覧になったことがない方にはよくわからないエントリーになってしまいましたが^^;
対等な人間同士の上下関係はいいよね!?と無理矢理『等式』につなげてみておしまい(笑)
「等式」感想です。文中に「対等な人間同士の上下関係はいいよね!?」あるけれど、その関係性は会社・学校・サークルみないな社会性のある場所では先輩・後輩・同輩だろう。夫婦・恋人・友達のような、個人的な関係性で双方が納得し快適な上下関係を成立させるのは難しそうでだね。
しんなり
りんりん変態ご飯
那智さんの食べ物の好みはある程度知っている。
ケチャップ大好き。
それを象徴するようにオムライスやハンバーグなどのお子様メニューも好き。
そうかと思えば、海老の天ぷらは尻尾まで食べるし、わたしより詳しいほど魚介の類いも好きの大人だったりもする。
濃い味好きではあるけれど、微妙な味付けを見分けたりすることもできるので、なかなか繊細な舌を持った人だとも思う。
苦手な物も最近知った。
それは『茹で過ぎたもの』。
肉じゃがの玉ねぎや水炊きの白菜などはトロトロのほうが好きなんだけど、特にブロッコリーやアスパラやオクラなど、なんていうかなレシピ本で『さっと茹でる』と表現するような使われ方が適している食材がやわらか過ぎることがキライなのだ。
ブロッコリー、アスパラ、オクラの3種類は聞いたのだけど、おそらくほうれん草なんかもその仲間に入っているんじゃないかなぁ。
ある程度歯ごたえがしっかり残っていないとイヤなのだそうだ。
会うときにときどきお弁当を持っていく。
ホテルを出て飲み屋さんに行く時間がすこし足りないようなスケジュールのときはホテルでつまみながら飲むのだけど、そのバリエーションのひとつとして数品おかずを持っていくのだ。
サラダや煮物や煮魚、お肉料理、などなど。
わたしは自分の作る料理は好きなんだけど、ほとんどレシピを見ないで感覚と味見で味付けをしているので、あまり人様に自慢できるほどの腕前ではないから最初は気が引けたけど、美味しいときは美味しいと、とっても美味しいときは「美味しい!!」と言ってくれるし、だんだん那智さんの好みもわかってきたから最近はそれなりに楽しみながら持っていっている。
メニューにブロッコリーなどが入る場合は、ちょっとだけ茹ですぎないように気をつけることも忘れずに^^
先日も持参した。
鶏肉と白菜の洋風煮込み
ひじきの煮物
きんぴらごぼう
サラダ
この4品。
この中のサラダ。
レタスとゆで卵とツナとチーズをマヨネーズ味で味付けしたもの。
同じようなサラダは何度か作っていて概ね好評だったので、この日も持参したのだ。
作った時間が早めだったこととちょっぴり急いでいたのでレタスの水切りが甘かったので容器に詰め込みながら、もしかしたらいつもよりレタスがしんなりしてしまうかな〜と思ったけど、わたしはレタスのシャキシャキも好きだけど、けっこうクタッとしているのも好きなので、まあ、今日はこれでもいいかと深く考えずにいた。
ところが、ホテルでいろいろの後^^;さあ、プチ宴会の段階になってサラダの蓋を開けるとマヨの汁にレタスその他が浸っているほどにしんなりしてしまっていた。
というか、それはわたしの想定内で、若干希望通り、望むところの結果になっていたのだけど、那智さんにはがっかりな品物になってしまったのだ。
ひと口食べて
いい味なんだけど、しんなりし過ぎじゃない!?
と、ものすごーく残念そうにおっしゃる。
ああ、これもダメでした!?
ブロッコリーなどの茹で野菜じゃないものもダメだったとは知らなかった!!
味はいいんだよ
だから、今度はレタスを別に持ってきてここで混ぜたら、どう?
「いい味」と評価するところはしてくれながらも、ダメなところもちゃんと言ってくれる。
でも…、わたし、このしんなりキライじゃないんですけど、むしろ、好きなんですけど…。
むしろ、今日はこれを狙ったくらいなんですけど…。
そんなふうなことをいうけれど那智さんには信じられないことのようで「変態!!」と罵声を浴びせられてしまった!!
SMの時間には浴びせられたことない、罵りを!!(笑)
え〜、これって変態なの?
わたしはレタスのシャキッとしたもの好きだけど、それを同じくらいしんなりしているのも好き。
サラダを頼むと最後のほうの底に残った、あれ、ドレッシングまみれになって半ばドレッシング色に染まりつつあるクタ〜ッとしたレタスも大好き。
だから、サラダは最初から最後までずっと楽しめる、とてもお得感満載の嗜好なのだけど、那智さんはそれを『変態』なんていうのだ。
あれ、おいしいよね?
いや、シャキッとしたもの好きなんだよ、あれもちゃんと美味しい。
でも、最後に残ってべちゃべちゃのドレッシングまみれになったレタス。
和風でも中華でもシーザーでも青しそでもゴマドレでも、なんでもいける。
酸っぱいもの好きのわたしとしては、もう残ったドレッシングごとすすってしまいたいほどだ!!(家でひとりだったら、すする、こともある!!←変態ご飯的告白^^;)
いや、ドレッシングまみれのべちゃっとレタスをすするのは変態だったとしても!!
そのしんなりしたレタスを好むことは変態じゃない!!
…よね?(笑)
ちょっぴり不安になりながら、マヨ味汁に浮かんでいるレタスを美味しくいただいたのでした^^
「等式」感想です。自分の好みと余りに相違する部分を楽しくする為の変態発言でした。でも、あの時はナルシストりん子になり、変態と呼ばれたことを喜んでいたよね。(笑) 食に関する基本は(お味噌汁の塩分量やお米の固さなど)近い方が安心するよね。
「等式」感想2です。このカテゴリー1年ぶりの更新だね~(笑)
那智さんの食べ物の好みはある程度知っている。
ケチャップ大好き。
それを象徴するようにオムライスやハンバーグなどのお子様メニューも好き。
そうかと思えば、海老の天ぷらは尻尾まで食べるし、わたしより詳しいほど魚介の類いも好きの大人だったりもする。
濃い味好きではあるけれど、微妙な味付けを見分けたりすることもできるので、なかなか繊細な舌を持った人だとも思う。
苦手な物も最近知った。
それは『茹で過ぎたもの』。
肉じゃがの玉ねぎや水炊きの白菜などはトロトロのほうが好きなんだけど、特にブロッコリーやアスパラやオクラなど、なんていうかなレシピ本で『さっと茹でる』と表現するような使われ方が適している食材がやわらか過ぎることがキライなのだ。
ブロッコリー、アスパラ、オクラの3種類は聞いたのだけど、おそらくほうれん草なんかもその仲間に入っているんじゃないかなぁ。
ある程度歯ごたえがしっかり残っていないとイヤなのだそうだ。
会うときにときどきお弁当を持っていく。
ホテルを出て飲み屋さんに行く時間がすこし足りないようなスケジュールのときはホテルでつまみながら飲むのだけど、そのバリエーションのひとつとして数品おかずを持っていくのだ。
サラダや煮物や煮魚、お肉料理、などなど。
わたしは自分の作る料理は好きなんだけど、ほとんどレシピを見ないで感覚と味見で味付けをしているので、あまり人様に自慢できるほどの腕前ではないから最初は気が引けたけど、美味しいときは美味しいと、とっても美味しいときは「美味しい!!」と言ってくれるし、だんだん那智さんの好みもわかってきたから最近はそれなりに楽しみながら持っていっている。
メニューにブロッコリーなどが入る場合は、ちょっとだけ茹ですぎないように気をつけることも忘れずに^^
先日も持参した。
鶏肉と白菜の洋風煮込み
ひじきの煮物
きんぴらごぼう
サラダ
この4品。
この中のサラダ。
レタスとゆで卵とツナとチーズをマヨネーズ味で味付けしたもの。
同じようなサラダは何度か作っていて概ね好評だったので、この日も持参したのだ。
作った時間が早めだったこととちょっぴり急いでいたのでレタスの水切りが甘かったので容器に詰め込みながら、もしかしたらいつもよりレタスがしんなりしてしまうかな〜と思ったけど、わたしはレタスのシャキシャキも好きだけど、けっこうクタッとしているのも好きなので、まあ、今日はこれでもいいかと深く考えずにいた。
ところが、ホテルでいろいろの後^^;さあ、プチ宴会の段階になってサラダの蓋を開けるとマヨの汁にレタスその他が浸っているほどにしんなりしてしまっていた。
というか、それはわたしの想定内で、若干希望通り、望むところの結果になっていたのだけど、那智さんにはがっかりな品物になってしまったのだ。
ひと口食べて
いい味なんだけど、しんなりし過ぎじゃない!?
と、ものすごーく残念そうにおっしゃる。
ああ、これもダメでした!?
ブロッコリーなどの茹で野菜じゃないものもダメだったとは知らなかった!!
味はいいんだよ
だから、今度はレタスを別に持ってきてここで混ぜたら、どう?
「いい味」と評価するところはしてくれながらも、ダメなところもちゃんと言ってくれる。
でも…、わたし、このしんなりキライじゃないんですけど、むしろ、好きなんですけど…。
むしろ、今日はこれを狙ったくらいなんですけど…。
そんなふうなことをいうけれど那智さんには信じられないことのようで「変態!!」と罵声を浴びせられてしまった!!
SMの時間には浴びせられたことない、罵りを!!(笑)
え〜、これって変態なの?
わたしはレタスのシャキッとしたもの好きだけど、それを同じくらいしんなりしているのも好き。
サラダを頼むと最後のほうの底に残った、あれ、ドレッシングまみれになって半ばドレッシング色に染まりつつあるクタ〜ッとしたレタスも大好き。
だから、サラダは最初から最後までずっと楽しめる、とてもお得感満載の嗜好なのだけど、那智さんはそれを『変態』なんていうのだ。
あれ、おいしいよね?
いや、シャキッとしたもの好きなんだよ、あれもちゃんと美味しい。
でも、最後に残ってべちゃべちゃのドレッシングまみれになったレタス。
和風でも中華でもシーザーでも青しそでもゴマドレでも、なんでもいける。
酸っぱいもの好きのわたしとしては、もう残ったドレッシングごとすすってしまいたいほどだ!!(家でひとりだったら、すする、こともある!!←変態ご飯的告白^^;)
いや、ドレッシングまみれのべちゃっとレタスをすするのは変態だったとしても!!
そのしんなりしたレタスを好むことは変態じゃない!!
…よね?(笑)
ちょっぴり不安になりながら、マヨ味汁に浮かんでいるレタスを美味しくいただいたのでした^^
「等式」感想です。自分の好みと余りに相違する部分を楽しくする為の変態発言でした。でも、あの時はナルシストりん子になり、変態と呼ばれたことを喜んでいたよね。(笑) 食に関する基本は(お味噌汁の塩分量やお米の固さなど)近い方が安心するよね。
「等式」感想2です。このカテゴリー1年ぶりの更新だね~(笑)
領土争い1
独特な幸福感
『モカ』のお話です。
『夢見る頃をすぎても』でわたしの心の再生を書いてきました。
書けたということは大丈夫になったから、だけど、人の心はオセロのようにクルッとひっくり返すことはできないから、その都度『現時点での解決』だった。
那智さんを最上級の好きでい続けるために、悲しい気持ちを直視して自分の心にウソをつかず、どうやったらまっさらな心になってくれるかつまずくたびに考えた、そして、話し合った。
一生懸命考えた事実と死ぬほど話し合った結果は時間が優しく運んでくれる。
これを書くひとつの大きなモチベーションは『多頭』に対する思いです。
ですから、『モカ』のお話を読んで辛かった人や、『多頭』に対して余計な情報を入れることで辛くなりそうな人は気をつけてください。
そして、いつも、書かせてくれてありがとう、モカちゃん。
わたしの思いは時間が優しく運んでくれるけど、モカちゃんはその流れの横をいつも楽しそうに自転車漕いで走っているみたいだよ。
そして、那智さん。
本当にたくさん、わたしの苦しい気持ちに付き合ってくださってありがとうございました。
たぶん、もう大丈夫。
だから最後にもうすこしだけ、わたしの苦しいお話にお付き合いください。
よろしくお願いいたします。
わたしをずっと苦しめていた言葉があった。
その言葉自体もそうだけど、その言葉がもとになって『モカ』を終わりにしてからもたくさんの苦しいを作り出していた。
モカを加える基本の大前提はりん子を焦がれさせるだった。
そのために那智さんは自分が楽しみ(そもそも那智さんが楽しまないとわたしが焦がれない)、モカにもメリットがあるように、あの形を作った。
はじめるにあたって那智さんは基本スタンスとプランを提示した。
旅をしていたモカがわたしたちと付き合うことで羽を休め、そのあと相手を見つけるための準備をさせる。
その間、那智さんはモカの教育を楽しみ、りん子は焦がれることと妹分ができる面白さを感じる。
最終的にはモカが相手を見つけて、卒業。
これが那智さんのプラン。
そして、基本スタンスは『基本会うのは3人』。
今後、モカが卒業するまで基本会うのは3人
那智とりん子の時間は朝の電話とカラオケランチで充分
那智さんはこのとき滅多につなかいウソをついた。
焦がれさせる目的のために、最初の一撃のウソだ。
そのうちりん子が音を上げるだろうから、そうしたら会う頻度は軌道修正すればいい。
その証拠にこの言葉はモカは聞いていないはず(あれ?聞いたっけ?とにかく、まず、わたしだけに宣言したのはたしか)
これが大ダメージになって、それから数ヶ月間足下がグラついた苦しく不安な状態が続き、わたしは常に『領土争い』をすることになり、目標だった卒業に至る前にギブアップしてしまったのだ。
ギブアップしてから
『基本3人』はウソということは教えてもらった。
そんな発想、たとえウソだったとしても悲しいことには代わりなかったけど、発端がわたしの希望だったのでウソ自体は悲しかったけど経緯は受け入れる気持ちにはなれた。
焦がれさせるために那智さんは楽しまないといけないから真剣に、ある意味『夢中』になる必要があったことも傷を癒すこととは別ではあるけど、理解できた。
そして、モカに対する責任とモカを愛しいと思う気持ち、これらも嘘偽りなくわたしの中に存在していることも理解していた。
そんな中、また那智さんとふたりになり傷の修復と同時に、新しいモカとの付き合いの形を作る。
精魂尽き果てるほど話し合って、那智さんの意図や誤解などいろいろなことが判明して、言葉の上ではピースがはまっていき、もう、これ以上話すことはなくあとはそのピースを何度も眺め、わたしが過去のことと認識するだけというほどになっていたにも関わらず、それがなかなか思うように進まなかった。
過去のことを思い出したり、いまでもときどき会っているモカと那智さんのやり取りを見たりすると、どうしようもない不安に襲われて苦しくなっていた。
なぜなら、終わってからもずっとずっとわたしはひとりで領土争いを続けていたから。
モカは新しい道を歩んでいる。
那智さんはわたしをずっと大切にしてくれている。
モカとわたしの新しく懐かしい関係も築きはじめている。
でも、なぜ、もういないはずのモカ(の幻想)に対して必死になって領土を守ろうとしていたのか。
じつは、いままでここに書いていなかった那智さんのひと言がある。
そのひと言がわたしをずっと苦しめていたのだ。
最初に『基本会うのは3人』とスタンスを提示されたとき、スタンスとは違うテンションで那智さんはもうひとつ言葉を発した。
うまくハマればずっと3人もありだよな
とてもいい思いつきを披露してくれるような口ぶりだった。
この言葉はそれ以降の様々な事柄をすべて苦しいに変えてしまう威力があった。
最終的に『基本3人』はウソだと、もう終わったことだとわかっても、どうしても『領土争い』をおしまいにすることができなかったのは、この言葉の威力だろう。
わたしは那智さんとふたりの時間をとてもとても愛していた。
もちろんお友達を交えてお酒を飲んだりすることは本当に楽しいし、モカとの時間だって切なく温かく優しい時間だったけど、でも、わたしは那智さんのふたりきりのベッドが必要だし、ふたりで見る雪景色や桜は他では得ることのできない幸福をくれる。
那智さんとふたりの時間はわたしの生きる糧だ。
それなのに『ハマればずっと3人』は、その幸福をわたしから奪うものだった。
何度かこの言葉についても那智さんに聞いたけど、
『ハマれば』のタラレバ話だし、3人が全員よい状態で了解することなんてそうない
モカちゃんがそれを望むかどうかだってわからない
だから、可能性は極めて低い、ひとつの選択肢ってだけだよ
という。
でも、わたしはそれでもつらかった。
可能性が極めて低いから、『タラレバ』だからといくら注釈をつけても、『ずっと3人』が那智さんの選択肢に入っていること、たとえ、想像上の話だったとしても、その想像のテーブルに『ずっと3人』が乗ることだけでも充分つらいものだ。
じゃあ、ハマったら?
もし、わたしが望んだら?
モカだって望むかもしれないじゃない!!
那智さんはわたしとふたりの時間をわたしほど愛していないのだろうか。
『基本3人』の意図は理解できた。
でも、『ずっと3人』のタラレバは実際するとかしないとか、そんなことは関係なくずっとわたし領土を奪われる恐怖を与え領土争いをさせてしまうことになった。
なぜなら、那智さんの想像上の選択肢に入っていたことそのものの悲しさと『ずっと』という期限のない話だったからだ。
<関連エントリー>
領土争いって
『「すべての責任は俺にある。ただし道義的責任はりん子にもある」1』
『夢見る頃をすぎても1 2 3 4 5』
『モカ』のお話です。
『夢見る頃をすぎても』でわたしの心の再生を書いてきました。
書けたということは大丈夫になったから、だけど、人の心はオセロのようにクルッとひっくり返すことはできないから、その都度『現時点での解決』だった。
那智さんを最上級の好きでい続けるために、悲しい気持ちを直視して自分の心にウソをつかず、どうやったらまっさらな心になってくれるかつまずくたびに考えた、そして、話し合った。
一生懸命考えた事実と死ぬほど話し合った結果は時間が優しく運んでくれる。
これを書くひとつの大きなモチベーションは『多頭』に対する思いです。
ですから、『モカ』のお話を読んで辛かった人や、『多頭』に対して余計な情報を入れることで辛くなりそうな人は気をつけてください。
そして、いつも、書かせてくれてありがとう、モカちゃん。
わたしの思いは時間が優しく運んでくれるけど、モカちゃんはその流れの横をいつも楽しそうに自転車漕いで走っているみたいだよ。
そして、那智さん。
本当にたくさん、わたしの苦しい気持ちに付き合ってくださってありがとうございました。
たぶん、もう大丈夫。
だから最後にもうすこしだけ、わたしの苦しいお話にお付き合いください。
よろしくお願いいたします。
わたしをずっと苦しめていた言葉があった。
その言葉自体もそうだけど、その言葉がもとになって『モカ』を終わりにしてからもたくさんの苦しいを作り出していた。
モカを加える基本の大前提はりん子を焦がれさせるだった。
そのために那智さんは自分が楽しみ(そもそも那智さんが楽しまないとわたしが焦がれない)、モカにもメリットがあるように、あの形を作った。
はじめるにあたって那智さんは基本スタンスとプランを提示した。
旅をしていたモカがわたしたちと付き合うことで羽を休め、そのあと相手を見つけるための準備をさせる。
その間、那智さんはモカの教育を楽しみ、りん子は焦がれることと妹分ができる面白さを感じる。
最終的にはモカが相手を見つけて、卒業。
これが那智さんのプラン。
そして、基本スタンスは『基本会うのは3人』。
今後、モカが卒業するまで基本会うのは3人
那智とりん子の時間は朝の電話とカラオケランチで充分
那智さんはこのとき滅多につなかいウソをついた。
焦がれさせる目的のために、最初の一撃のウソだ。
そのうちりん子が音を上げるだろうから、そうしたら会う頻度は軌道修正すればいい。
その証拠にこの言葉はモカは聞いていないはず(あれ?聞いたっけ?とにかく、まず、わたしだけに宣言したのはたしか)
これが大ダメージになって、それから数ヶ月間足下がグラついた苦しく不安な状態が続き、わたしは常に『領土争い』をすることになり、目標だった卒業に至る前にギブアップしてしまったのだ。
ギブアップしてから
『基本3人』はウソということは教えてもらった。
そんな発想、たとえウソだったとしても悲しいことには代わりなかったけど、発端がわたしの希望だったのでウソ自体は悲しかったけど経緯は受け入れる気持ちにはなれた。
焦がれさせるために那智さんは楽しまないといけないから真剣に、ある意味『夢中』になる必要があったことも傷を癒すこととは別ではあるけど、理解できた。
そして、モカに対する責任とモカを愛しいと思う気持ち、これらも嘘偽りなくわたしの中に存在していることも理解していた。
そんな中、また那智さんとふたりになり傷の修復と同時に、新しいモカとの付き合いの形を作る。
精魂尽き果てるほど話し合って、那智さんの意図や誤解などいろいろなことが判明して、言葉の上ではピースがはまっていき、もう、これ以上話すことはなくあとはそのピースを何度も眺め、わたしが過去のことと認識するだけというほどになっていたにも関わらず、それがなかなか思うように進まなかった。
過去のことを思い出したり、いまでもときどき会っているモカと那智さんのやり取りを見たりすると、どうしようもない不安に襲われて苦しくなっていた。
なぜなら、終わってからもずっとずっとわたしはひとりで領土争いを続けていたから。
モカは新しい道を歩んでいる。
那智さんはわたしをずっと大切にしてくれている。
モカとわたしの新しく懐かしい関係も築きはじめている。
でも、なぜ、もういないはずのモカ(の幻想)に対して必死になって領土を守ろうとしていたのか。
じつは、いままでここに書いていなかった那智さんのひと言がある。
そのひと言がわたしをずっと苦しめていたのだ。
最初に『基本会うのは3人』とスタンスを提示されたとき、スタンスとは違うテンションで那智さんはもうひとつ言葉を発した。
うまくハマればずっと3人もありだよな
とてもいい思いつきを披露してくれるような口ぶりだった。
この言葉はそれ以降の様々な事柄をすべて苦しいに変えてしまう威力があった。
最終的に『基本3人』はウソだと、もう終わったことだとわかっても、どうしても『領土争い』をおしまいにすることができなかったのは、この言葉の威力だろう。
わたしは那智さんとふたりの時間をとてもとても愛していた。
もちろんお友達を交えてお酒を飲んだりすることは本当に楽しいし、モカとの時間だって切なく温かく優しい時間だったけど、でも、わたしは那智さんのふたりきりのベッドが必要だし、ふたりで見る雪景色や桜は他では得ることのできない幸福をくれる。
那智さんとふたりの時間はわたしの生きる糧だ。
それなのに『ハマればずっと3人』は、その幸福をわたしから奪うものだった。
何度かこの言葉についても那智さんに聞いたけど、
『ハマれば』のタラレバ話だし、3人が全員よい状態で了解することなんてそうない
モカちゃんがそれを望むかどうかだってわからない
だから、可能性は極めて低い、ひとつの選択肢ってだけだよ
という。
でも、わたしはそれでもつらかった。
可能性が極めて低いから、『タラレバ』だからといくら注釈をつけても、『ずっと3人』が那智さんの選択肢に入っていること、たとえ、想像上の話だったとしても、その想像のテーブルに『ずっと3人』が乗ることだけでも充分つらいものだ。
じゃあ、ハマったら?
もし、わたしが望んだら?
モカだって望むかもしれないじゃない!!
那智さんはわたしとふたりの時間をわたしほど愛していないのだろうか。
『基本3人』の意図は理解できた。
でも、『ずっと3人』のタラレバは実際するとかしないとか、そんなことは関係なくずっとわたし領土を奪われる恐怖を与え領土争いをさせてしまうことになった。
なぜなら、那智さんの想像上の選択肢に入っていたことそのものの悲しさと『ずっと』という期限のない話だったからだ。
<関連エントリー>
領土争いって
『「すべての責任は俺にある。ただし道義的責任はりん子にもある」1』
『夢見る頃をすぎても1 2 3 4 5』
領土争い2
独特な幸福感
『ずっと3人』の幻想に怯え、わたしがしていた『領土争い』とはどういうことだったのか。
わたしたちはいまでもモカちゃんと付き合いが続いている。
モカちゃんとふたりでランチをしたり3人で会えばあのときの空気に似たものを感じることができるし、わたしたちとモカちゃん、さらに他の人を交えての交流も同じように楽しい。
だけど、それと平行してわたしは怖くなってしまうのだ。
モカちゃんに対してというより、那智さんに対して領土を奪われる恐怖を感じていた。
那智さんがまたモカに領地を与えたいと思ってほしくない。
というか、きっと那智さんの心の中にはまだモカの領地がある、だって、『ずっと3人』の選択肢があるのだもの。
それはモカちゃんを心配するとか気にかけるという形で浸食すると思っていた。
那智さんの頭の中がモカのことでいっぱいになる恐怖、さんにんの頃、モカ教育でいつもいつもモカの話しをしていた頃に感じていた焦りだ。
わたしは見えない架空の恐怖と戦っているようだったし、実際ひとりで戦っていた。
戦い方はふたつだった。
ひとつは本当にイヤな思考回路。
モカちゃんを悪い人にして那智さんから×を引き出して領土から那智さんの意思で追い出すようにすること。
ときどきくれるメールの内容で、ホントに些細な出来事をさも『モカちゃんったらまったく!!』みたいな感じで那智さんに報告したり、報告という体を装った告げ口をしてみるのだ。
そんなこと那智さんはお見通しでわたしの冗談まじりの告げ口に乗るわけもなく、むしろ冷静に判断してモカをフォローするような形になって、結局わたしの領土争いはむしろ逆効果。
何より、まったくモカちゃんは悪くないのにいけない子に仕立てようとする思考回路は、本当に本当に本当に自己嫌悪に陥るイヤなものだ。
領土を奪われる恐怖や焦りと自ら首を絞めるような思考回路、そういうわたしが誰よりもモカちゃんを可愛いと思っている乖離はとても辛いものだった。
そして、それと平行するようにしていたもうひとつの戦い方は、モカちゃんに幸せになってもらうことだった。
モカちゃんに相思相愛の彼ができて心も性的にも満たされること。
そうなれば、那智さんも果たすことができなかったモカの卒業を果たしたと思うことができて自然と領土からそっと出すようになるはずだ。
相談されて乗るのはもちろん頼まれもしないのにアドバイスしたり、どこか『那智さんが思い描く幸福』でモカちゃんに幸せになってもらおうと必死だった。
だって、那智さんが納得いってくれないと那智さんが領土から出してくれないはずだもの。
どれも好きな人の幸福を願う自然な気持ちだったけど、それ以外にも、そんなよこしまな意識が働いていたこともウソじゃない。
邪念があることは苦しいことだけど、それでも悪者にしようとするより幸せを願う行為のほうがずっと気持ちはラクだった。
だから、ずいぶんお節介姉さんになっていたと思う。
とにかく、もう終わったことのはずなのにいつまで経っても幻想に向かって領土を浸食される恐怖を感じながらひとり戦っていたのだった。
その間もずっと那智さんのスタンスは変わっていなかった。
いまはりん子とふたり。
終わったこと。
モカちゃんは、俺たちにとって大切な友人(だって、りん子のほうが可愛がってるよね 笑)
生理の周期やセックスの間隔、それだけじゃないけど心のバランスによって領土争いの恐怖が蘇ったり、再発したりする。
甘やかしてくれない那智さんは問題解決には向き合ってくれるけど、この件に関しては猫可愛がりはしてくれない(わたしが望んだから、だ)
ちゃんと自覚して求められればいいのだけど、ときには無意識に『甘い言葉』をもらうと誘導するようなことをして失敗してしまうこともあり、余計に傷口を広げてしまったりもしていた。
大げさだけど死ぬほど話し合い、どうしたら悲しくならないかヘトヘトになるほど自分の気持ちを試行錯誤して、それでも、どうしても領土争いの恐怖は消えてくれなかった。
ある日、領土争いの恐怖を諦めるという形で解決することを選ばせる自分で自分にトドメを刺すような出来事が起きた。
<関連エントリー>
『モカ1 2 3 4 5 6 7 8』
『すべての責任は俺にある、ただし、りん子には道義的責任がある1 2 3 4』
『ずっと3人』の幻想に怯え、わたしがしていた『領土争い』とはどういうことだったのか。
わたしたちはいまでもモカちゃんと付き合いが続いている。
モカちゃんとふたりでランチをしたり3人で会えばあのときの空気に似たものを感じることができるし、わたしたちとモカちゃん、さらに他の人を交えての交流も同じように楽しい。
だけど、それと平行してわたしは怖くなってしまうのだ。
モカちゃんに対してというより、那智さんに対して領土を奪われる恐怖を感じていた。
那智さんがまたモカに領地を与えたいと思ってほしくない。
というか、きっと那智さんの心の中にはまだモカの領地がある、だって、『ずっと3人』の選択肢があるのだもの。
それはモカちゃんを心配するとか気にかけるという形で浸食すると思っていた。
那智さんの頭の中がモカのことでいっぱいになる恐怖、さんにんの頃、モカ教育でいつもいつもモカの話しをしていた頃に感じていた焦りだ。
わたしは見えない架空の恐怖と戦っているようだったし、実際ひとりで戦っていた。
戦い方はふたつだった。
ひとつは本当にイヤな思考回路。
モカちゃんを悪い人にして那智さんから×を引き出して領土から那智さんの意思で追い出すようにすること。
ときどきくれるメールの内容で、ホントに些細な出来事をさも『モカちゃんったらまったく!!』みたいな感じで那智さんに報告したり、報告という体を装った告げ口をしてみるのだ。
そんなこと那智さんはお見通しでわたしの冗談まじりの告げ口に乗るわけもなく、むしろ冷静に判断してモカをフォローするような形になって、結局わたしの領土争いはむしろ逆効果。
何より、まったくモカちゃんは悪くないのにいけない子に仕立てようとする思考回路は、本当に本当に本当に自己嫌悪に陥るイヤなものだ。
領土を奪われる恐怖や焦りと自ら首を絞めるような思考回路、そういうわたしが誰よりもモカちゃんを可愛いと思っている乖離はとても辛いものだった。
そして、それと平行するようにしていたもうひとつの戦い方は、モカちゃんに幸せになってもらうことだった。
モカちゃんに相思相愛の彼ができて心も性的にも満たされること。
そうなれば、那智さんも果たすことができなかったモカの卒業を果たしたと思うことができて自然と領土からそっと出すようになるはずだ。
相談されて乗るのはもちろん頼まれもしないのにアドバイスしたり、どこか『那智さんが思い描く幸福』でモカちゃんに幸せになってもらおうと必死だった。
だって、那智さんが納得いってくれないと那智さんが領土から出してくれないはずだもの。
どれも好きな人の幸福を願う自然な気持ちだったけど、それ以外にも、そんなよこしまな意識が働いていたこともウソじゃない。
邪念があることは苦しいことだけど、それでも悪者にしようとするより幸せを願う行為のほうがずっと気持ちはラクだった。
だから、ずいぶんお節介姉さんになっていたと思う。
とにかく、もう終わったことのはずなのにいつまで経っても幻想に向かって領土を浸食される恐怖を感じながらひとり戦っていたのだった。
その間もずっと那智さんのスタンスは変わっていなかった。
いまはりん子とふたり。
終わったこと。
モカちゃんは、俺たちにとって大切な友人(だって、りん子のほうが可愛がってるよね 笑)
生理の周期やセックスの間隔、それだけじゃないけど心のバランスによって領土争いの恐怖が蘇ったり、再発したりする。
甘やかしてくれない那智さんは問題解決には向き合ってくれるけど、この件に関しては猫可愛がりはしてくれない(わたしが望んだから、だ)
ちゃんと自覚して求められればいいのだけど、ときには無意識に『甘い言葉』をもらうと誘導するようなことをして失敗してしまうこともあり、余計に傷口を広げてしまったりもしていた。
大げさだけど死ぬほど話し合い、どうしたら悲しくならないかヘトヘトになるほど自分の気持ちを試行錯誤して、それでも、どうしても領土争いの恐怖は消えてくれなかった。
ある日、領土争いの恐怖を諦めるという形で解決することを選ばせる自分で自分にトドメを刺すような出来事が起きた。
<関連エントリー>
『モカ1 2 3 4 5 6 7 8』
『すべての責任は俺にある、ただし、りん子には道義的責任がある1 2 3 4』
領土争い3
独特な幸福感
あの日もそんな日だった。
わたしのバイオリズムのせいか、領土争いの恐怖が再発し那智さんから「大丈夫だよ」と言ってほしくて、それでも直接聞いて答えをもらうのではなく、その言葉を誘導するような質問を繰り返していた。
(ホントにね、これは何度も失敗した。皆さんも好きな人を誘導するようなことはやめたほうがいいですよ^^;)
那智さんは、その都度質問に対する答えを言ってくれるけど『事実さん』で『天の邪鬼さん』からなかなかほしい言葉を引き出すことができない。
かえって、どんどん悲しくなってきてしまう。
その悲しい気持ちが那智さんを責めるような気持ちになってしまって、思わず『那智さんはいまでもモカちゃんに会いたいはずだ』というような捨て台詞を吐いてしまった。
もちろんわたしたちはモカちゃんと会うことは楽しいし、これからもそうしたいと思っている。
だから、答えは、わたし自身も『YES』なんだけど、それでもなお「そんなことないよ」と那智さんの口から言わせたいと思ってしまったのだ。
那智さんはわたしの誘導作戦にすこし呆れて、わずかに意地悪な感じで言った。
そりゃあ、3人で会うのは楽しい、りん子だってそうだろ?
だけど、俺がモカちゃんとふたりで会うことはないよ、彼女だってそうだよね
いいのに、たったひと言「大丈夫」だけでいいのに、と思っていたら、次のひと言が来た。
あ、でも、ふたりで会うこともあるか!?
りん子が先に死んだら、話し相手になってもらうかもね(笑)
これは以前にも話題が出ていた。
わたしたちのどちらかが先に死んだら、モカちゃんはいい話し相手になってくれるはず、おそらく誰よりもわたしたちに近いから、一緒になって「お姉ちゃん、ああだったよね」「そうそうお父さんって、そういうこというよね〜」って一緒に懐かしく泣き笑いしてくれる貴重な存在だねって(ホント感謝です)。
だから、どちらかが先に死んだらモカちゃんに話し相手になってもらうことは織り込み済みの話だった。
でも、とても悲しかった。
なぜなら、わたしは【那智さんより長く生きる】と決めているからだ。
寿命なんてわからない、でも、わたしは那智さんより長く生きると、その後の喪失感も引き受けると覚悟も決めている。
寿命を決めるような夢物語が叶うとある意味少女のように決めて、信じている。
どちらかが先に死んだらという現実的なタラレバと『那智さんより長く生きる』というおとぎ話の両方が存在している矛盾は理解できても、でも、このタイミングでその現実は少女のような心には大ダメージ。
それなのに、なぜ、いまこのタイミングでいうのだろうという悲しさだ。
なぜ、単純に甘やかして慰めてくれないのだろう。
盲目的に那智さんを信じて疑わないという『女の子』の心でいさせてもらうのは無理なのだろうか。
もう一度那智さんの土地で何にも怯えることなく、キレイな気持ちでふわふわとお昼寝することはできないのだろうか。
でも、わかっている、これはわたしが望んだこと、叶えてくれないと訴えてはじまったことだから。
そして、いま誘導しようとしているから。
わたしに『焦がれたい』なんて願望があったからいけなかったんだ。
蘇りや再発をしてしまうこと、その傷跡がこの先一生残ること、それらは仕方ないことなのかもしれないと諦める気持ちが湧いてくる。
この恐怖はずっと消えることはないのだろう。
あの時期以上に、終わってからもなお傷を広げていくような事実。
那智さんには『ずっと3人』の選択肢があるということを知ってしまう出来事になった、あの方法。
でも、それはわたしのせいなのだ。
焦がれたい、嫉妬に泣き狂いたいなどという願望を持ち、それを叶えてくれないと泣いて那智さんを責めた、わたしがいけないんだ。
この先消えない恐怖に怯えつづけることは、それはわたしが悪いのだ。
那智さんを小さく憎む代わりに自責することでなんとかして気持ちを収めよう、そして、それは結果的に那智さんを傷つける方法になることも心の底で自覚して、それを選んだ。(自責って、相手を責めることと同じようなことだもんね)
この先、恐怖が再発することはもう変えられそうにない、その都度傷を広げ『女の子』のような気持ちにダメージを与えていってしまうなら自業自得だったと気持ちを収めるほうがいいのかもしれない。
そして、同時にモカちゃんに対して意地悪な気持ちが湧いてしまうことや歪んだ良心もおしまいにしたかった。
普通の大切な人にしたかった。
その解決方法がわたしが悪いのだと思うことと恐怖を諦めることだった。
たくさん考えて、まだすこし悩みながらこんなメール送った。
那智さん。
なかなか思い通りにいかなくてお手数をおかけします。
メールで伝わるかわからないけど、今度またお話しするかもしれませんけど、送らせてください。
できるだけ、意地悪な気持ちにならないようにします。
那智さんより絶対長生きする!!というわたしの決心は、とても純粋で、ともすればおとぎ話を信じる子どものような考えです。
人間の寿命なんて操作できないのに、それでも、ある意味、子どものように盲目的にそう誓っていました。
那智さんが、心に浮かんだことを、すこしの天邪鬼を含めて言葉にされたことで、ああ、お話しできる人はいるよね?とよかったと思う反面、現実を見る思いになります。
わたし亡き後、わたしについて話す人がいる、それが◯◯さん(別のお友達)かもしれないし、モカちゃんかもしれない、そんなことわかっています、寿命が操作できないのと同じように。
それでも現実を見せられることは、子どもみたいに純粋におとぎ話を信じている気持ちに水を差してしまいます。
純粋な心を持ち、おとぎ話のような誓いを立て続けるのは、ホントの子どもではないわたしには難しいです。
那智さんが、ご自分の信念を曲げたほうがいいか逡巡するように、わたしも、わたしの純粋な心をどうしたら保てるのか、考えています。
答え、どう出したらいいか、いまも考えています。
次の会うとき。
那智さんにタワーの見えるバーに連れてもらえる予定だった。
そのときに、この気持ちをお話ししようと思っていた。
(いや、書きながら、しつこい女でごめんなさいと思います^^;)
<関連エントリー>
那智さんより長く生きる、この決心、けっこう重大なのだ。
『生きる』
『生きてる(笑)』
事実さんと天の邪鬼さん
『心と事実』
『事実さんとのお付き合い』
『心ちゃんと事実さん』
『誠実な天の邪鬼』
「等式」感想です。(笑)最後のエントリーまで待つつもりでしたが、思わず感想です。リアルタイムの更新でなくてよかった。鬱っぽくになりそうな勢いです。
(一部修正)
りん子(^-^)ああ、那智さん、ごめんなさいー。極端にいうと、あの時以外、364日23時間50分、ほぼ完璧に優しい那智さと年間300日くらいびーびー言ってるわたしのやり取りだとご理解ください、みなさま。
あの日もそんな日だった。
わたしのバイオリズムのせいか、領土争いの恐怖が再発し那智さんから「大丈夫だよ」と言ってほしくて、それでも直接聞いて答えをもらうのではなく、その言葉を誘導するような質問を繰り返していた。
(ホントにね、これは何度も失敗した。皆さんも好きな人を誘導するようなことはやめたほうがいいですよ^^;)
那智さんは、その都度質問に対する答えを言ってくれるけど『事実さん』で『天の邪鬼さん』からなかなかほしい言葉を引き出すことができない。
かえって、どんどん悲しくなってきてしまう。
その悲しい気持ちが那智さんを責めるような気持ちになってしまって、思わず『那智さんはいまでもモカちゃんに会いたいはずだ』というような捨て台詞を吐いてしまった。
もちろんわたしたちはモカちゃんと会うことは楽しいし、これからもそうしたいと思っている。
だから、答えは、わたし自身も『YES』なんだけど、それでもなお「そんなことないよ」と那智さんの口から言わせたいと思ってしまったのだ。
那智さんはわたしの誘導作戦にすこし呆れて、わずかに意地悪な感じで言った。
そりゃあ、3人で会うのは楽しい、りん子だってそうだろ?
だけど、俺がモカちゃんとふたりで会うことはないよ、彼女だってそうだよね
いいのに、たったひと言「大丈夫」だけでいいのに、と思っていたら、次のひと言が来た。
あ、でも、ふたりで会うこともあるか!?
りん子が先に死んだら、話し相手になってもらうかもね(笑)
これは以前にも話題が出ていた。
わたしたちのどちらかが先に死んだら、モカちゃんはいい話し相手になってくれるはず、おそらく誰よりもわたしたちに近いから、一緒になって「お姉ちゃん、ああだったよね」「そうそうお父さんって、そういうこというよね〜」って一緒に懐かしく泣き笑いしてくれる貴重な存在だねって(ホント感謝です)。
だから、どちらかが先に死んだらモカちゃんに話し相手になってもらうことは織り込み済みの話だった。
でも、とても悲しかった。
なぜなら、わたしは【那智さんより長く生きる】と決めているからだ。
寿命なんてわからない、でも、わたしは那智さんより長く生きると、その後の喪失感も引き受けると覚悟も決めている。
寿命を決めるような夢物語が叶うとある意味少女のように決めて、信じている。
どちらかが先に死んだらという現実的なタラレバと『那智さんより長く生きる』というおとぎ話の両方が存在している矛盾は理解できても、でも、このタイミングでその現実は少女のような心には大ダメージ。
それなのに、なぜ、いまこのタイミングでいうのだろうという悲しさだ。
なぜ、単純に甘やかして慰めてくれないのだろう。
盲目的に那智さんを信じて疑わないという『女の子』の心でいさせてもらうのは無理なのだろうか。
もう一度那智さんの土地で何にも怯えることなく、キレイな気持ちでふわふわとお昼寝することはできないのだろうか。
でも、わかっている、これはわたしが望んだこと、叶えてくれないと訴えてはじまったことだから。
そして、いま誘導しようとしているから。
わたしに『焦がれたい』なんて願望があったからいけなかったんだ。
蘇りや再発をしてしまうこと、その傷跡がこの先一生残ること、それらは仕方ないことなのかもしれないと諦める気持ちが湧いてくる。
この恐怖はずっと消えることはないのだろう。
あの時期以上に、終わってからもなお傷を広げていくような事実。
那智さんには『ずっと3人』の選択肢があるということを知ってしまう出来事になった、あの方法。
でも、それはわたしのせいなのだ。
焦がれたい、嫉妬に泣き狂いたいなどという願望を持ち、それを叶えてくれないと泣いて那智さんを責めた、わたしがいけないんだ。
この先消えない恐怖に怯えつづけることは、それはわたしが悪いのだ。
那智さんを小さく憎む代わりに自責することでなんとかして気持ちを収めよう、そして、それは結果的に那智さんを傷つける方法になることも心の底で自覚して、それを選んだ。(自責って、相手を責めることと同じようなことだもんね)
この先、恐怖が再発することはもう変えられそうにない、その都度傷を広げ『女の子』のような気持ちにダメージを与えていってしまうなら自業自得だったと気持ちを収めるほうがいいのかもしれない。
そして、同時にモカちゃんに対して意地悪な気持ちが湧いてしまうことや歪んだ良心もおしまいにしたかった。
普通の大切な人にしたかった。
その解決方法がわたしが悪いのだと思うことと恐怖を諦めることだった。
たくさん考えて、まだすこし悩みながらこんなメール送った。
那智さん。
なかなか思い通りにいかなくてお手数をおかけします。
メールで伝わるかわからないけど、今度またお話しするかもしれませんけど、送らせてください。
できるだけ、意地悪な気持ちにならないようにします。
那智さんより絶対長生きする!!というわたしの決心は、とても純粋で、ともすればおとぎ話を信じる子どものような考えです。
人間の寿命なんて操作できないのに、それでも、ある意味、子どものように盲目的にそう誓っていました。
那智さんが、心に浮かんだことを、すこしの天邪鬼を含めて言葉にされたことで、ああ、お話しできる人はいるよね?とよかったと思う反面、現実を見る思いになります。
わたし亡き後、わたしについて話す人がいる、それが◯◯さん(別のお友達)かもしれないし、モカちゃんかもしれない、そんなことわかっています、寿命が操作できないのと同じように。
それでも現実を見せられることは、子どもみたいに純粋におとぎ話を信じている気持ちに水を差してしまいます。
純粋な心を持ち、おとぎ話のような誓いを立て続けるのは、ホントの子どもではないわたしには難しいです。
那智さんが、ご自分の信念を曲げたほうがいいか逡巡するように、わたしも、わたしの純粋な心をどうしたら保てるのか、考えています。
答え、どう出したらいいか、いまも考えています。
次の会うとき。
那智さんにタワーの見えるバーに連れてもらえる予定だった。
そのときに、この気持ちをお話ししようと思っていた。
(いや、書きながら、しつこい女でごめんなさいと思います^^;)
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那智さんより長く生きる、この決心、けっこう重大なのだ。
『生きる』
『生きてる(笑)』
事実さんと天の邪鬼さん
『心と事実』
『事実さんとのお付き合い』
『心ちゃんと事実さん』
『誠実な天の邪鬼』
「等式」感想です。(笑)最後のエントリーまで待つつもりでしたが、思わず感想です。リアルタイムの更新でなくてよかった。鬱っぽくになりそうな勢いです。
(一部修正)
りん子(^-^)ああ、那智さん、ごめんなさいー。極端にいうと、あの時以外、364日23時間50分、ほぼ完璧に優しい那智さと年間300日くらいびーびー言ってるわたしのやり取りだとご理解ください、みなさま。