「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」1
モカ
すべての責任は俺にある。
モカは当然、りん子にも責任はない。
俺の思い描いた絵が描けなかったのは俺の責任だ。
りん子は悪くない。
ただし、りん子には道義的責任はある。
それを頭に置いて話をすること。
わたしが悲鳴を上げ、那智さんがおしまいにする決断をしてくれた後、それでもまだ尚不安定な状態が続き、『わかっているけど』不安を拭い去りたいがためにあまり美しくない会話をしようとしてしまうわたしに、少し力を込めて那智さんが言った。
それは充分わかっていることだ。
わかっているから余計に苦しかった。
すべての責任は那智さんにある。
ただしわたしには道義的責任がある。
この気持ちはいまも変わらない。
それがわかっていても、敢えて『わたし中心』に書かせてほしい。
俯瞰して全体を書けば、責任の所在を明らかにして、尚かつモカとわたしたちの繋がりを伝えることができたかもしれない。
そのほうが、モカにも読んでくださる皆さんにも、わたしの立場で責任を果たせるだろう。
だけど敢えて、それはしないことをお許しいただきたい。
わたしは、ここで、いままでと同じことをします。
それは、書くことで負の感情を昇華させるということ。
生い立ちを書き、いつしか『女の子になりたいのは父のせいではなく、ただそういう女なのだ』と思えたように。
『りん子的独り言』で怒りを書くことで、過去の消耗した性への怒りを削ぎ落とし『りん子的独り言』も変化していくかもしれないと思えたように。
敢えて『わたし側』のしかも『苦しい』にスポットを当てて書く。
負の感情を吐露し、心の仕組みを言葉にすることで、もうその感情に捕われることをおしまいにしたい。
もちろん、小さなチクチクした傷跡はなくならないだろう、それは焦がれたいと望めば当然残るものだ。
それでもモカとの日々が、笑い焦がれ『大変だったよね〜』と笑って言えるようになりたい。
わたしの生い立ちのように、りん子的独り言のように、わたし側からの偏った視点の苦しいを書きます。
そして、出来事よりもわたしの心にスポットを当てるので、伝わりづらいこともあるかもしれない。
それは、モカが加わった出来事自体は『苦しい』の対象にしたくないから。
道義的責任があることは百も承知で、それを一旦棚に上げて書きます。
そうすることをご理解いただけるとありがたいです。
そして、モカちゃん。
最後の日、わたしの最後まで書きたいという申し出に快諾してくれた上に『批判的なコメントが来ちゃうかもしれないよ』と心配までしてくれたあなたに敬意を表します。
『苦しかった』ことにスポットを当てて書くことを、それを目にさせてしまうことを申し訳ないと思っています。
ただ読んでもらえればわかることだと思うけど、恐らくモカちゃんの知らないことがほとんどだと思う(最後の日にちょっと話したこともあるけれど)。
要するに、モカちゃんがわたしを苦しめたのではないということなんだ。
この結果を選んだのは、那智さんとの間で解決できなかったこと。
だから自分を責めることはしないでください。
それと、いま連絡を取らないという強行な手段をとらせてもらっているけれど、いまでもずっとわたしたちはあなたを気にかけています。
とても、とても。
どうか、あの笑い合った時間も本当だったと信じてほしい。
いまでもあなたと手を繋いだ感触は幸福なものだ。
むしろ、あれが本当だったから、その乖離に苦しんだのだからね。
書くことで、笑い合った時間だけをわたしの心に刻ませてください。
<関連エントリー>
『ぬいぐるみ』もうお父さんが原因じゃないと思えた日。
『徒然に「りん子的独り言」のこと』怒りが昇華できたなと感じたとき。
那智さんの思い描いた『焦がれさせる』は、あまりにも酷で、あまりにも難解だった。
ひとつの大きな衝撃が、そのあといくつもの苦しいを引き起こす。
手綱を握っているものの余裕と、従う側の必死が生んだギャップだったとしても。
那智さんの言葉を信じついていく生き方が染みついているわたしはとても酷で、その心理状態の中、那智さんの真意を読み取ることはとても難解なことだった。
1枚のハンカチでもいいし、雑誌でもいい、何か目の前に広げてみてください。
それは、あなたの好きな人があなたにくれた『土地』。
わたしにも『土地』がある。
那智さんという大きな大地にいろいろな領地があって、その一部がわたしに与えられたのだ。
那智印の土地に、わたしはおうちを建てたり公園を作ったり、劇場なんかも作ったり、伸び伸びと自由に好きなように土地を使い空気を吸っていた。
那智さんは比較的たくさんの土地を与えてくれていると思うので、わたしひとりでは使い切れなくて空き地も存在していた。
せっかく空いているのだから、その土地をちょっと疲れているモカに使わせてあげようということになったのだ。
この時点、3人の関係がはじまってすぐくらいに那智さんはこんなことをわたしに言った。
「基本会うのは3人」
まだ、『使わせてあげよう、そして別の土地を見つけるかもう休む必要がなくなれば卒業しよう』という漠然としたことしか決まっていない段階だった。
お父さんと姉妹という枠組みは提示されたけど、それが具体的にどんな様子になるのか、どれくらい続くつもりなのかも知らされていない段階で。
「今後、モカが卒業するまで会うのは基本3人」
と言われた。
当初モカ自身も『那智とりん子の時間も大切にしてね、ふたりが仲が良いことも大好きだから』と言ってくれていたし、当然わたしたちの時間の合間にモカが加わる程度を想像していたから那智さんのその指示は衝撃だった。
驚いて聞く。
「那智さん、じゃあ、那智とりん子の時間は?」
その後の答えが、さらにわたしを打ちのめした。
「那智とりん子の時間は、朝の電話とカラオケランチで充分だろ」
足元が一気に崩れ落ちるような恐怖を覚えた。
「那智さんはそれで平気なのですか?」
「まあな」
わたしは那智さんとふたりのあの時間を心から愛していた。
あと人生で何回味わえるだろう、一回も逃したくないと思うほど愛している。
それが、次いつ味わえるのか、わからなくなる不安。
さらに、那智さんはそれが『カラオケ』で充分だと思っているという絶望。
目の前のハンカチの土地、那智印(りん子用)が那智印(モカとりん子用)になってしまったのだ。
この日からわたしの領土争いがはじまってしまった。
モカは与えられた土地に不平をいうこともなくその中だけで充分楽しんでくれていた。
それはそれは、楽しそうに。
それ以上の領土を主張することなど一切ないのに、わたしは怖くて怖くてしかたがなかった。
モカは全然そのつもりはなくても、那智さんの意志により空き地がどんどんモカの領土になる。
ときには、モカの土地に建てた家でわたしの庭が日陰になるようなことも、なくはない。
モカにこんな公園を作ってあげたいから、りん子の家を1mm削らせてねなんてことも、なくはない。
(何度もいうけど、これはモカの意志じゃないのですよ、那智さんの意志)
それでも、日陰になる理由も1mm削る必要性も、那智さんに問い、理論上は理解できるくらいに話し合うことは何度もした。
それにより、わたしの思考回路の那智正をしようと努めた。
それでも感情はついてきてくれない。
焦がれたいと願うことはこういうことも受け入れないといけないのか。
ある程度想像できていたし、わたしの領土は減っているはずはないのに、でも『基本3人。那智とりん子はカラオケで充分』の絶望は、根底を揺るがすほどの恐怖になってしまった。
この『基本3人。カラオケで充分』の会話をモカは知らないはずだ。
要するに、これはモカを取り込むための言葉ではないことはわかる(いまならね)
そして、後にこの言葉についてはずいぶん詰め寄った。
結果『それくらい言わないとりん子焦がれないだろ?』という答え。
どうやらわたしを本気で焦がれさせるために『基本3人』と言ったそうだ。
(これもいま思えばね、たとえばもうひとりを加えて長期に『うはうは』状態を作りたければ、こういう手だては取らなかっただろうとも推測できるよね。って、つい那智さんフォローしてしまうわたし^^;)
どうせそのうち音を上げるから、そしたら調整すればいい。
『基本は那智とりん子』そんなこと大前提(モカだってそう理解してくれて、それで乗っかってくれたのだ)、その大前提を口にしなくてもりん子は理解しているだろうと思っていたそうだ。
でもそう思えなかった。
那智さんに従っていたいわたしは、先の見えないスタートを切ってもついていくというのが染みついてしまっている。
その那智さんの言葉は『基本的』には信じる、のだ。
もし、そうわかっていても、例え冗談だったとしても、受け入れ難い言葉だ。
那智さんは元々目的達成のためなら自分の感情を制御することなんて容易い人。
だから目的達成のために『基本3人。カラオケで充分』を苦渋の選択ができたのだとしても。
それを選択できてしまったということが、わたしには衝撃なのだ。
その言葉を口にしたという事実だけでも、わたしには充分に『最後通告』のようだった。
苦しいを伝え話し合いを重ねると、那智さんはカードを切るように『本当は○○だったから、こういう行動をとったんだよ』種明かしをしてくれた。
何度も那智さんの本意を聞き、言葉では理解できたとしても、この不安と絶望は、どうしても払拭することができなかった。
一旦崩れた足元は後から土を盛られても、ズルズルと崩れ続けた。
言いようのない不安。
あり得ないとわかっていても、領土がなくなっていくような焦燥感。
これがひとつめの苦しい。
すべての責任は俺にある。
モカは当然、りん子にも責任はない。
俺の思い描いた絵が描けなかったのは俺の責任だ。
りん子は悪くない。
ただし、りん子には道義的責任はある。
それを頭に置いて話をすること。
わたしが悲鳴を上げ、那智さんがおしまいにする決断をしてくれた後、それでもまだ尚不安定な状態が続き、『わかっているけど』不安を拭い去りたいがためにあまり美しくない会話をしようとしてしまうわたしに、少し力を込めて那智さんが言った。
それは充分わかっていることだ。
わかっているから余計に苦しかった。
すべての責任は那智さんにある。
ただしわたしには道義的責任がある。
この気持ちはいまも変わらない。
それがわかっていても、敢えて『わたし中心』に書かせてほしい。
俯瞰して全体を書けば、責任の所在を明らかにして、尚かつモカとわたしたちの繋がりを伝えることができたかもしれない。
そのほうが、モカにも読んでくださる皆さんにも、わたしの立場で責任を果たせるだろう。
だけど敢えて、それはしないことをお許しいただきたい。
わたしは、ここで、いままでと同じことをします。
それは、書くことで負の感情を昇華させるということ。
生い立ちを書き、いつしか『女の子になりたいのは父のせいではなく、ただそういう女なのだ』と思えたように。
『りん子的独り言』で怒りを書くことで、過去の消耗した性への怒りを削ぎ落とし『りん子的独り言』も変化していくかもしれないと思えたように。
敢えて『わたし側』のしかも『苦しい』にスポットを当てて書く。
負の感情を吐露し、心の仕組みを言葉にすることで、もうその感情に捕われることをおしまいにしたい。
もちろん、小さなチクチクした傷跡はなくならないだろう、それは焦がれたいと望めば当然残るものだ。
それでもモカとの日々が、笑い焦がれ『大変だったよね〜』と笑って言えるようになりたい。
わたしの生い立ちのように、りん子的独り言のように、わたし側からの偏った視点の苦しいを書きます。
そして、出来事よりもわたしの心にスポットを当てるので、伝わりづらいこともあるかもしれない。
それは、モカが加わった出来事自体は『苦しい』の対象にしたくないから。
道義的責任があることは百も承知で、それを一旦棚に上げて書きます。
そうすることをご理解いただけるとありがたいです。
そして、モカちゃん。
最後の日、わたしの最後まで書きたいという申し出に快諾してくれた上に『批判的なコメントが来ちゃうかもしれないよ』と心配までしてくれたあなたに敬意を表します。
『苦しかった』ことにスポットを当てて書くことを、それを目にさせてしまうことを申し訳ないと思っています。
ただ読んでもらえればわかることだと思うけど、恐らくモカちゃんの知らないことがほとんどだと思う(最後の日にちょっと話したこともあるけれど)。
要するに、モカちゃんがわたしを苦しめたのではないということなんだ。
この結果を選んだのは、那智さんとの間で解決できなかったこと。
だから自分を責めることはしないでください。
それと、いま連絡を取らないという強行な手段をとらせてもらっているけれど、いまでもずっとわたしたちはあなたを気にかけています。
とても、とても。
どうか、あの笑い合った時間も本当だったと信じてほしい。
いまでもあなたと手を繋いだ感触は幸福なものだ。
むしろ、あれが本当だったから、その乖離に苦しんだのだからね。
書くことで、笑い合った時間だけをわたしの心に刻ませてください。
<関連エントリー>
『ぬいぐるみ』もうお父さんが原因じゃないと思えた日。
『徒然に「りん子的独り言」のこと』怒りが昇華できたなと感じたとき。
那智さんの思い描いた『焦がれさせる』は、あまりにも酷で、あまりにも難解だった。
ひとつの大きな衝撃が、そのあといくつもの苦しいを引き起こす。
手綱を握っているものの余裕と、従う側の必死が生んだギャップだったとしても。
那智さんの言葉を信じついていく生き方が染みついているわたしはとても酷で、その心理状態の中、那智さんの真意を読み取ることはとても難解なことだった。
1枚のハンカチでもいいし、雑誌でもいい、何か目の前に広げてみてください。
それは、あなたの好きな人があなたにくれた『土地』。
わたしにも『土地』がある。
那智さんという大きな大地にいろいろな領地があって、その一部がわたしに与えられたのだ。
那智印の土地に、わたしはおうちを建てたり公園を作ったり、劇場なんかも作ったり、伸び伸びと自由に好きなように土地を使い空気を吸っていた。
那智さんは比較的たくさんの土地を与えてくれていると思うので、わたしひとりでは使い切れなくて空き地も存在していた。
せっかく空いているのだから、その土地をちょっと疲れているモカに使わせてあげようということになったのだ。
この時点、3人の関係がはじまってすぐくらいに那智さんはこんなことをわたしに言った。
「基本会うのは3人」
まだ、『使わせてあげよう、そして別の土地を見つけるかもう休む必要がなくなれば卒業しよう』という漠然としたことしか決まっていない段階だった。
お父さんと姉妹という枠組みは提示されたけど、それが具体的にどんな様子になるのか、どれくらい続くつもりなのかも知らされていない段階で。
「今後、モカが卒業するまで会うのは基本3人」
と言われた。
当初モカ自身も『那智とりん子の時間も大切にしてね、ふたりが仲が良いことも大好きだから』と言ってくれていたし、当然わたしたちの時間の合間にモカが加わる程度を想像していたから那智さんのその指示は衝撃だった。
驚いて聞く。
「那智さん、じゃあ、那智とりん子の時間は?」
その後の答えが、さらにわたしを打ちのめした。
「那智とりん子の時間は、朝の電話とカラオケランチで充分だろ」
足元が一気に崩れ落ちるような恐怖を覚えた。
「那智さんはそれで平気なのですか?」
「まあな」
わたしは那智さんとふたりのあの時間を心から愛していた。
あと人生で何回味わえるだろう、一回も逃したくないと思うほど愛している。
それが、次いつ味わえるのか、わからなくなる不安。
さらに、那智さんはそれが『カラオケ』で充分だと思っているという絶望。
目の前のハンカチの土地、那智印(りん子用)が那智印(モカとりん子用)になってしまったのだ。
この日からわたしの領土争いがはじまってしまった。
モカは与えられた土地に不平をいうこともなくその中だけで充分楽しんでくれていた。
それはそれは、楽しそうに。
それ以上の領土を主張することなど一切ないのに、わたしは怖くて怖くてしかたがなかった。
モカは全然そのつもりはなくても、那智さんの意志により空き地がどんどんモカの領土になる。
ときには、モカの土地に建てた家でわたしの庭が日陰になるようなことも、なくはない。
モカにこんな公園を作ってあげたいから、りん子の家を1mm削らせてねなんてことも、なくはない。
(何度もいうけど、これはモカの意志じゃないのですよ、那智さんの意志)
それでも、日陰になる理由も1mm削る必要性も、那智さんに問い、理論上は理解できるくらいに話し合うことは何度もした。
それにより、わたしの思考回路の那智正をしようと努めた。
それでも感情はついてきてくれない。
焦がれたいと願うことはこういうことも受け入れないといけないのか。
ある程度想像できていたし、わたしの領土は減っているはずはないのに、でも『基本3人。那智とりん子はカラオケで充分』の絶望は、根底を揺るがすほどの恐怖になってしまった。
この『基本3人。カラオケで充分』の会話をモカは知らないはずだ。
要するに、これはモカを取り込むための言葉ではないことはわかる(いまならね)
そして、後にこの言葉についてはずいぶん詰め寄った。
結果『それくらい言わないとりん子焦がれないだろ?』という答え。
どうやらわたしを本気で焦がれさせるために『基本3人』と言ったそうだ。
(これもいま思えばね、たとえばもうひとりを加えて長期に『うはうは』状態を作りたければ、こういう手だては取らなかっただろうとも推測できるよね。って、つい那智さんフォローしてしまうわたし^^;)
どうせそのうち音を上げるから、そしたら調整すればいい。
『基本は那智とりん子』そんなこと大前提(モカだってそう理解してくれて、それで乗っかってくれたのだ)、その大前提を口にしなくてもりん子は理解しているだろうと思っていたそうだ。
でもそう思えなかった。
那智さんに従っていたいわたしは、先の見えないスタートを切ってもついていくというのが染みついてしまっている。
その那智さんの言葉は『基本的』には信じる、のだ。
もし、そうわかっていても、例え冗談だったとしても、受け入れ難い言葉だ。
那智さんは元々目的達成のためなら自分の感情を制御することなんて容易い人。
だから目的達成のために『基本3人。カラオケで充分』を苦渋の選択ができたのだとしても。
それを選択できてしまったということが、わたしには衝撃なのだ。
その言葉を口にしたという事実だけでも、わたしには充分に『最後通告』のようだった。
苦しいを伝え話し合いを重ねると、那智さんはカードを切るように『本当は○○だったから、こういう行動をとったんだよ』種明かしをしてくれた。
何度も那智さんの本意を聞き、言葉では理解できたとしても、この不安と絶望は、どうしても払拭することができなかった。
一旦崩れた足元は後から土を盛られても、ズルズルと崩れ続けた。
言いようのない不安。
あり得ないとわかっていても、領土がなくなっていくような焦燥感。
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