お願いふたつ(追記アリ)
独り言
大好きな相手を『ご主人様』と呼ばないと心に入ってこない?
相手と自分にとって大切な大切な行為は『調教』じゃないと共感できない?
大好きな人に、ごく普通に優しくしていたい気持ちと『お仕えする』は違うもの?
本当に大切なことは、大好きな人と自分がふたりともの人生が豊かになるような気持ち。
だよね。
そして、それを自分の言葉で語ること。
もちろんその様式が好きなのは理解しているし、好きなものは好きなままでいないといけない。
でも、わたしは様式の中から零れ落ちる、様式とは違う『大切なこと』部分を知りたい、その幸福や快感を語り合いたい。
こんなふうに話題にするということは、もしかしたらわたしのほうこそ『様式』に対して壁を作っているのかもしれない(【憧れていた】という壁^^;)
そうかもしれないから、わたしはお相手をご主人様と呼ぶ人にも、調教を受けている人にも、できるだけ『様式』から零れるものに目を向けて、できるだけフラットな気持ちでいたいと思っています。
かつて、わたしは那智さんにSMを『意識するな』と言われました(笑)
だから『等式』はわたしがブログ開設当初思い描いていたよりずっとSMという言葉は使っていませんし、那智さんをご主人様とも呼んでいません。
調教ではなく、普通の愛情表現を書いています。
SMの矛盾や◯◯批判のようなものを書いているけれど、それは『自分の求めるものを見極められていない』かつてのわたしのような人への気づきになってほしい気持ちで書いているので(【それ以外もあるけど】、その関係で幸福を感じられている人のことは祝福しています。
でも、きっと大好きな那智さんとの時間を大切にしたいという気持ちは、様式関係なく同じだと思っています。
だから、どうか、できれば。
『様式』と違う表現をしていたとしても『大切なこと』に目を向けて。
その目線で見て、幸福や快感をお話ししてみませんか。
だって、同じ様式の中で快感や幸福を語り合えてちょっと羨ましいんだもん(笑)
もうひとつのお願い^^
『等式』では公開コメントと非公開コメント、拍手と拍手コメント、そしてメールとコミュニケーション手段があります。
公になるのか公開コメントと拍手の数だけで、残りのものは非公開になります。
(非公開コメント、いわゆる鍵コメは『管理人のみ閲覧できます』の表示しないようにしてありますので、鍵コメくださって表示されなくても心配しないでね)
きっと一番手軽なのは拍手だと思いますので、些細なことでも『!』とか『♪』とかあったらポチッとしてみてくださいね。
読んだよの足跡でもうれしいです。
この拍手、ときどき書いているけれど、過去エントリーにもいただくことがあります。
管理画面からはどのエントリーに拍手をいただけたかわかるので、埋もれていた過去エントリー久しぶりに目にすることができて、わたしも新鮮で、拍手をくださった人と不思議な共感を持てたりしています。
でね。
こんなお願いしてしまうとかえってプレッシャーになってしまうと不本意なんだけど^^
気が向いたらでいいから、過去でも当日更新分でも拍手だけ押すときに『お名前』だけコメントしていただくのってどうでしょう!?
あのね、お会いしたことなくても、ブログ上でも交流がなくても、『お名前』がわかるって書いている立場からするとすごーーーーくうれしんです。
急激にそのHNに親しみを覚えるのです。
だから、もちろん毎回じゃなくていいです(本当にね)
ただ、拍手コメントするほどでもないけど拍手をいただけるときに、たまーにりん子にHNつけてやるか〜と思ってみてくださいませんか!?
『お名前だけ拍手』を有りにしたいのですが、いかがでしょう!?
と、今日はふたつのお願いことのエントリーでした^^
追記
拍手とお名前ありがとうございます。
拍手にお名前やコメントくださっても非公開に設定してありますので、その痕跡は拍手の数でしか確認いただけません。
ただ、わたしたけは管理画面からお名前もコメントも拍手くださったエントリーもわかるようになっています。
ですから、ちょっと戸惑う方もいらっしゃると思いますが、ご安心ください。
ちなみに拍手は一日1回だけカウントされるようです^^
反応してくださってありがとうございます^^
<関連エントリー>
憧れ
『空は飛べない』
『意識するな』
気づき以外で書く理由
『りん子的独り言って』
コメント話からはちょっとズレちゃうけど、こんな気持ちで書いてます^^
『読み逃げOK』
『ここにいるよ』
『かつてのわたしに』
『那智さんのアドバイスに背いて(笑)』
『祈るような気持ちで』
「等式」感想です。良いですね、この自分の少し恥ずかしい部分や、弱い部分をさらけ出して披露してしまう感じ。良い意味の見栄っ張りの所があるりん子が勇気を出している気合に拍手。そして、私の価値観ではそれがかっこいい。
大好きな相手を『ご主人様』と呼ばないと心に入ってこない?
相手と自分にとって大切な大切な行為は『調教』じゃないと共感できない?
大好きな人に、ごく普通に優しくしていたい気持ちと『お仕えする』は違うもの?
本当に大切なことは、大好きな人と自分がふたりともの人生が豊かになるような気持ち。
だよね。
そして、それを自分の言葉で語ること。
もちろんその様式が好きなのは理解しているし、好きなものは好きなままでいないといけない。
でも、わたしは様式の中から零れ落ちる、様式とは違う『大切なこと』部分を知りたい、その幸福や快感を語り合いたい。
こんなふうに話題にするということは、もしかしたらわたしのほうこそ『様式』に対して壁を作っているのかもしれない(【憧れていた】という壁^^;)
そうかもしれないから、わたしはお相手をご主人様と呼ぶ人にも、調教を受けている人にも、できるだけ『様式』から零れるものに目を向けて、できるだけフラットな気持ちでいたいと思っています。
かつて、わたしは那智さんにSMを『意識するな』と言われました(笑)
だから『等式』はわたしがブログ開設当初思い描いていたよりずっとSMという言葉は使っていませんし、那智さんをご主人様とも呼んでいません。
調教ではなく、普通の愛情表現を書いています。
SMの矛盾や◯◯批判のようなものを書いているけれど、それは『自分の求めるものを見極められていない』かつてのわたしのような人への気づきになってほしい気持ちで書いているので(【それ以外もあるけど】、その関係で幸福を感じられている人のことは祝福しています。
でも、きっと大好きな那智さんとの時間を大切にしたいという気持ちは、様式関係なく同じだと思っています。
だから、どうか、できれば。
『様式』と違う表現をしていたとしても『大切なこと』に目を向けて。
その目線で見て、幸福や快感をお話ししてみませんか。
だって、同じ様式の中で快感や幸福を語り合えてちょっと羨ましいんだもん(笑)
もうひとつのお願い^^
『等式』では公開コメントと非公開コメント、拍手と拍手コメント、そしてメールとコミュニケーション手段があります。
公になるのか公開コメントと拍手の数だけで、残りのものは非公開になります。
(非公開コメント、いわゆる鍵コメは『管理人のみ閲覧できます』の表示しないようにしてありますので、鍵コメくださって表示されなくても心配しないでね)
きっと一番手軽なのは拍手だと思いますので、些細なことでも『!』とか『♪』とかあったらポチッとしてみてくださいね。
読んだよの足跡でもうれしいです。
この拍手、ときどき書いているけれど、過去エントリーにもいただくことがあります。
管理画面からはどのエントリーに拍手をいただけたかわかるので、埋もれていた過去エントリー久しぶりに目にすることができて、わたしも新鮮で、拍手をくださった人と不思議な共感を持てたりしています。
でね。
こんなお願いしてしまうとかえってプレッシャーになってしまうと不本意なんだけど^^
気が向いたらでいいから、過去でも当日更新分でも拍手だけ押すときに『お名前』だけコメントしていただくのってどうでしょう!?
あのね、お会いしたことなくても、ブログ上でも交流がなくても、『お名前』がわかるって書いている立場からするとすごーーーーくうれしんです。
急激にそのHNに親しみを覚えるのです。
だから、もちろん毎回じゃなくていいです(本当にね)
ただ、拍手コメントするほどでもないけど拍手をいただけるときに、たまーにりん子にHNつけてやるか〜と思ってみてくださいませんか!?
『お名前だけ拍手』を有りにしたいのですが、いかがでしょう!?
と、今日はふたつのお願いことのエントリーでした^^
追記
拍手とお名前ありがとうございます。
拍手にお名前やコメントくださっても非公開に設定してありますので、その痕跡は拍手の数でしか確認いただけません。
ただ、わたしたけは管理画面からお名前もコメントも拍手くださったエントリーもわかるようになっています。
ですから、ちょっと戸惑う方もいらっしゃると思いますが、ご安心ください。
ちなみに拍手は一日1回だけカウントされるようです^^
反応してくださってありがとうございます^^
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憧れ
『空は飛べない』
『意識するな』
気づき以外で書く理由
『りん子的独り言って』
コメント話からはちょっとズレちゃうけど、こんな気持ちで書いてます^^
『読み逃げOK』
『ここにいるよ』
『かつてのわたしに』
『那智さんのアドバイスに背いて(笑)』
『祈るような気持ちで』
「等式」感想です。良いですね、この自分の少し恥ずかしい部分や、弱い部分をさらけ出して披露してしまう感じ。良い意味の見栄っ張りの所があるりん子が勇気を出している気合に拍手。そして、私の価値観ではそれがかっこいい。
父娘的上下
独特な幸福感
キスしていただきたいです。
那智さんに会いたーい!!
紅葉を見に連れて行ってくださいね♪
はたと気づく。
わたし、リクエストばかりしてやしないか?
ちっとも健気じゃなくていいのだろうかM女として?などと、こういうときだけ時々M女面してみる(笑)
と冗談っぽく言ってみたものの、じつは、ちょっぴり真面目に思うのだ。
ブログなどでM女さんや奴隷さんたちは、ご主人様のことを思い、ご主人様に喜んでいただくために、ご主人様の快適を最優先している様子に、我が身を振り返るとぜんぜん健気じゃない。
那智さんはそれに対して何もおっしゃらないし、関係に名前をつけなくても『好きなもの同士自然に思いやれる』とわたし自身は思っているのだけど、如何せん、気づくと希望ばかり伝える自分はこれでいいのだろうか?と思ってしまう。
で、聞いてみた。
わたし、自分の希望ばかり言っていますよね?
那智さんとしては、それでもいいのですか?
もうちょっと『那智さんのため』を思って言葉にしたほうがいいですか?
なんで?
だって、俺が頼んだことはちゃんとやってくれるからいいんじゃない?
たしかに、わたしは那智さんに頼まれたことはけっこう色々やっている。
年に数回はお仕事のお手伝いでお仕事場に詰めたり、代わりに調べものをしたり、アラーム係をしたり、文章のたたき台を作ったり、【朗読奴隷】をしたり…(笑)
お礼を言ってもらえないと「お礼は言ってください」などと催促することもあるけれど、基本イヤな顔せず、どちらかというと嬉々としてやっている。
那智さんは自分が頼んだことを喜んでやってくれることが、わたしの気にする『那智さんのことを思って』だと解釈しているということだから、そのようにおっしゃっているのだ。
はい、わたしたちの上下はそういうことですよね、とわたしも納得する。
以前、似たような質問をしたときに、やはり似たようなお返事をしてくれた。
りん子が『俺のために』と動けば動くほどりん子が主導することになるだろ
俺はプロデュースしたんだよ
だから、たまにはりん子が主導してもいいけど、基本は俺が主導するの
那智さんは『那智さんのために』と動くことは、わたしが主導することになると解釈している。
行く先を照らしてもらうより、自ら舵を取り手を引いてわたしを連れて行くほうが好きなのだ。
ついでにいうと、先を照らしてもらうことは『カッコ悪い』と思っている^^;
だから、わたしが先回りして主導するのではなく、指示通りにわたしが手伝うことを望んでいるのだろう。
(たとえば、『いまはりん子が主導して』と指示されることもあるので、そのときはその通りにする)
この上下を思うとき、やはりわたしたちの上下は『父と娘』に近いと思うのだ。
娘はお父さんのタバコを買いに販売機まで走る。
頼まれたこと、喜んでもらいたいから『女の子』は必死。
大きな突っかけでハシリ背伸びしてボタンを押す。
本当はお父さんが買いに行けば簡単なことだと知らずに、必死だ。
(ツイートからアレンジ)
お父さんに頼まれたことは一生懸命にする。
本人は必死だけど、お父さんにとってみれば取るに足らないこと。
わたしは頼まれたことを必死にこなす。
だけど、所詮上下の下、那智さんの範疇で必死に走るだけ。
よくできたら褒めてもらえるし役に立ったら喜んでくれる。
だけど、それは全部那智さんの手のひらの上のことなのだ。
小さな女の子はお父さんを上回れるわけない。
それと同じようにわたしが那智さんを上回ることはない。
『真剣なお遊び』というエントリーにも書いたけど、これもわたしたちの上下を表している。
那智さんが嬉しいと、わたしは幸せで。
わたしが幸せだと、那智さんは嬉しい。
那智さんはわたしを幸せにすることができるけど、わたしは那智さんに嬉しいと思ってもらうことしかできない。
決して遜っているわけではなく、わたしの存在が那智さんの幸福に繋がることはあったとしても、わたしの力で那智さんを幸せできるとは思っていないのだ。
那智さんのわたしを幸福にする実力や自分自身で幸福を切り開く力に比べたら、わたしの力なんて微々たるもの。
那智さんの幸せは那智さんの力でなんとかすると思っている(笑)
わたしはせいぜい那智さんによって幸せそうにして、それによって那智さんが嬉しいと思ってもらえれば充分。
頼まれたことは喜んで遂行することが『那智さんのため』。
わたしはたくさんの希望を伝えて、叶ったときは全身で喜ぶ。
そして、叶えてくれた那智さんを慕い、一生懸命お手伝いしたいと思う。
これがわたしたちの上下。
だから、わたしは『那智さんのために』を言葉にしなくても、希望ばかりお伝えしてもまったくかまわないという結論(笑)
でもって、大きな突っかけで背伸びしてタバコを買うようなお父さんと娘的上下が心地よくて好き^^
<関連エントリー>
『朗読奴隷1 2』
『真剣なお遊び』
「等式」感想です。う~ん、困りました。りん子が私の為に○○をする積極的な行為は普段からしてくれているような気がする。それは、特別な事ではなく「気遣い」であったり、「思い」であったり。上手く表現出来ないけれど、平素のその行為の方が重要で価値があると思う。この「等式」もその一部です。
キスしていただきたいです。
那智さんに会いたーい!!
紅葉を見に連れて行ってくださいね♪
はたと気づく。
わたし、リクエストばかりしてやしないか?
ちっとも健気じゃなくていいのだろうかM女として?などと、こういうときだけ時々M女面してみる(笑)
と冗談っぽく言ってみたものの、じつは、ちょっぴり真面目に思うのだ。
ブログなどでM女さんや奴隷さんたちは、ご主人様のことを思い、ご主人様に喜んでいただくために、ご主人様の快適を最優先している様子に、我が身を振り返るとぜんぜん健気じゃない。
那智さんはそれに対して何もおっしゃらないし、関係に名前をつけなくても『好きなもの同士自然に思いやれる』とわたし自身は思っているのだけど、如何せん、気づくと希望ばかり伝える自分はこれでいいのだろうか?と思ってしまう。
で、聞いてみた。
わたし、自分の希望ばかり言っていますよね?
那智さんとしては、それでもいいのですか?
もうちょっと『那智さんのため』を思って言葉にしたほうがいいですか?
なんで?
だって、俺が頼んだことはちゃんとやってくれるからいいんじゃない?
たしかに、わたしは那智さんに頼まれたことはけっこう色々やっている。
年に数回はお仕事のお手伝いでお仕事場に詰めたり、代わりに調べものをしたり、アラーム係をしたり、文章のたたき台を作ったり、【朗読奴隷】をしたり…(笑)
お礼を言ってもらえないと「お礼は言ってください」などと催促することもあるけれど、基本イヤな顔せず、どちらかというと嬉々としてやっている。
那智さんは自分が頼んだことを喜んでやってくれることが、わたしの気にする『那智さんのことを思って』だと解釈しているということだから、そのようにおっしゃっているのだ。
はい、わたしたちの上下はそういうことですよね、とわたしも納得する。
以前、似たような質問をしたときに、やはり似たようなお返事をしてくれた。
りん子が『俺のために』と動けば動くほどりん子が主導することになるだろ
俺はプロデュースしたんだよ
だから、たまにはりん子が主導してもいいけど、基本は俺が主導するの
那智さんは『那智さんのために』と動くことは、わたしが主導することになると解釈している。
行く先を照らしてもらうより、自ら舵を取り手を引いてわたしを連れて行くほうが好きなのだ。
ついでにいうと、先を照らしてもらうことは『カッコ悪い』と思っている^^;
だから、わたしが先回りして主導するのではなく、指示通りにわたしが手伝うことを望んでいるのだろう。
(たとえば、『いまはりん子が主導して』と指示されることもあるので、そのときはその通りにする)
この上下を思うとき、やはりわたしたちの上下は『父と娘』に近いと思うのだ。
娘はお父さんのタバコを買いに販売機まで走る。
頼まれたこと、喜んでもらいたいから『女の子』は必死。
大きな突っかけでハシリ背伸びしてボタンを押す。
本当はお父さんが買いに行けば簡単なことだと知らずに、必死だ。
(ツイートからアレンジ)
お父さんに頼まれたことは一生懸命にする。
本人は必死だけど、お父さんにとってみれば取るに足らないこと。
わたしは頼まれたことを必死にこなす。
だけど、所詮上下の下、那智さんの範疇で必死に走るだけ。
よくできたら褒めてもらえるし役に立ったら喜んでくれる。
だけど、それは全部那智さんの手のひらの上のことなのだ。
小さな女の子はお父さんを上回れるわけない。
それと同じようにわたしが那智さんを上回ることはない。
『真剣なお遊び』というエントリーにも書いたけど、これもわたしたちの上下を表している。
那智さんが嬉しいと、わたしは幸せで。
わたしが幸せだと、那智さんは嬉しい。
那智さんはわたしを幸せにすることができるけど、わたしは那智さんに嬉しいと思ってもらうことしかできない。
決して遜っているわけではなく、わたしの存在が那智さんの幸福に繋がることはあったとしても、わたしの力で那智さんを幸せできるとは思っていないのだ。
那智さんのわたしを幸福にする実力や自分自身で幸福を切り開く力に比べたら、わたしの力なんて微々たるもの。
那智さんの幸せは那智さんの力でなんとかすると思っている(笑)
わたしはせいぜい那智さんによって幸せそうにして、それによって那智さんが嬉しいと思ってもらえれば充分。
頼まれたことは喜んで遂行することが『那智さんのため』。
わたしはたくさんの希望を伝えて、叶ったときは全身で喜ぶ。
そして、叶えてくれた那智さんを慕い、一生懸命お手伝いしたいと思う。
これがわたしたちの上下。
だから、わたしは『那智さんのために』を言葉にしなくても、希望ばかりお伝えしてもまったくかまわないという結論(笑)
でもって、大きな突っかけで背伸びしてタバコを買うようなお父さんと娘的上下が心地よくて好き^^
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『朗読奴隷1 2』
『真剣なお遊び』
「等式」感想です。う~ん、困りました。りん子が私の為に○○をする積極的な行為は普段からしてくれているような気がする。それは、特別な事ではなく「気遣い」であったり、「思い」であったり。上手く表現出来ないけれど、平素のその行為の方が重要で価値があると思う。この「等式」もその一部です。
複数もしくは他者1
非日常的な日常
はじめて行くハプバーだった。
でも、旧知の変態さん(Tさん)が連れて行ってくれるところなので、まったく心配することはなかったのだけど、別なことで気がかりではあった。
それは、那智さんが複数を視野に入れていることを知っていたから。
もともとわたしには『たくさんの男』という妄想があった。
たくさんの男たちの餌食、誰の手かわからない複数の手がわたしをまさぐり、それに快感を覚え落ちていく。
那智さんと出会ってからは、さらにそこに那智さんという存在が加わる。
那智さんに抱かれながらたくさんの男たちに貪られる、那智さんに見守られながら性的快感に溺れる、安心と興奮の両方を得られ妄想はパワーアップしていた(笑)
一方、那智さんにも『複数(もしくは他者)』の嗜好はあって、過去にも知り合いにパートナーを抱かせたり、わたしとの間でもゲストを招いたこともある。
ただ、これはちゃんと確認していないけど、那智さんの『複数』の中に自分は入れていないようなのだ。
パートナーを誰かに抱かせるときやゲストを招いたときなどは言葉で主導はしても手出しはせず基本見ているだけ、過去のパートナーのことは推測だけどおそらく洋服さえ脱いでいないと思う。
逆に、ハプバーなどでわたしを見せるとき(視線的複数ね^^)は那智さん以外には触れさせない。
これは危機管理プラス、那智さんの美意識と嗜好なのだろうと思う。
他の男性に混じって裸になることへの抵抗感とその他大勢にはなりたくない美意識、自分の意思で女が抱かれている、それを見る満足感。(たぶん、わたし以外の女性にも、そこに快感を感じないとやらないとは思うけど)
とにかく那智さんは数には入らない美意識を持ち、わたしの妄想には那智さんに抱かれながらというストーリーもあるくらいの小さな違いはあれど、わたしたちにはそれぞれ『複数(もしくは他者)』が加わる嗜好があった。
何度か複数もしくは他者を経験してきたけど、なんていうか最終的な形は出来上がっておらず、当然、最終的な叶う状態にもなっていない。
それはそれでしかたないことだとわたしは思っている部分もあったのだけど、やはりやる側の那智さんは最終型を模索していたのだと思う。
最初のころはりん子が他者に抱かれたらどんな反応をするだろうという興味が多かったはずなのだけど、わたしの嗜好を知るにつれ、それを叶えてあげたい、それで自分も性的満足も得られるというふうに那智さん自身も最終ゴールを模索していたのだと思う。
りん子がある程度感じられるようになる。
それはりん子自身が楽しめることと、そこまで育てた自負を持って他者に抱かれるりん子を見るほうが満足。
そんなふうにわたしを育てることで自分の満足度も充実するように時期や機会を伺っていたのだと思う。
そこにちょうど良いタイミングでお誘いがあったのだ。
Tさんの知り合いのお店ということでわたしを抱くためのお膳立て(人集めとかね)もしてくれそうだったので、なおさらチャンスだと思ったのだろう。
じゃあ、『りん子と複数』の現段階での形を作ってみようとなったわけだ。
でも、そこで「はい、どうぞ〜」と簡単にハプバーにわたしを放り投げることをしないのは上の立場の那智さん^^
まず、他の男(たち)に抱かれてわたしが喜べるか、【傷】つかないか=たとえスパイスとはいえ他の男(たち)に5分で「やっぱりごめんなさい」なんて失礼なことにならないかを確認しよう、それで大丈夫そうなら、あらためて人を集めてもらうことにして、Tさんに連れて行ってもらう最初のときは彼を含め適切な男性に主旨を話し『お試し』のお願いをしてくれていた。
こうしてスタートしたわたしたちの『複数もしくは他者』の出来事です。
<関連エントリー>
複数もしくは他者、いろいろ
『ゲストを招く(一場面)』
『ゲストを招く(りん子の心1 2 3)』
『男たちの手1 2』
傷
『傷つく性癖』
「複数もしくは他者1」感想です。私がカッコつけているだけかもしれませんが、確かにその他大勢になりたくない、気持ちがあります。そして、私と他者との複数でりん子を可愛がると、りん子が感じてしまいそうで「嫉妬などのマイナスな感情」を回避していたのかもしれませんね。
りん子(^-^)「嫉妬のようなマイナス感情を回避する」ことを視野にいれるなら、なぜ那智さんは複数の嗜好があるといえるのでしょうね。それこそが複数もしくは他者のある意味醍醐味に思うのですが。
りん子(^-^)それとも、その醍醐味はM側の特権なのかなぁ(笑)
はじめて行くハプバーだった。
でも、旧知の変態さん(Tさん)が連れて行ってくれるところなので、まったく心配することはなかったのだけど、別なことで気がかりではあった。
それは、那智さんが複数を視野に入れていることを知っていたから。
もともとわたしには『たくさんの男』という妄想があった。
たくさんの男たちの餌食、誰の手かわからない複数の手がわたしをまさぐり、それに快感を覚え落ちていく。
那智さんと出会ってからは、さらにそこに那智さんという存在が加わる。
那智さんに抱かれながらたくさんの男たちに貪られる、那智さんに見守られながら性的快感に溺れる、安心と興奮の両方を得られ妄想はパワーアップしていた(笑)
一方、那智さんにも『複数(もしくは他者)』の嗜好はあって、過去にも知り合いにパートナーを抱かせたり、わたしとの間でもゲストを招いたこともある。
ただ、これはちゃんと確認していないけど、那智さんの『複数』の中に自分は入れていないようなのだ。
パートナーを誰かに抱かせるときやゲストを招いたときなどは言葉で主導はしても手出しはせず基本見ているだけ、過去のパートナーのことは推測だけどおそらく洋服さえ脱いでいないと思う。
逆に、ハプバーなどでわたしを見せるとき(視線的複数ね^^)は那智さん以外には触れさせない。
これは危機管理プラス、那智さんの美意識と嗜好なのだろうと思う。
他の男性に混じって裸になることへの抵抗感とその他大勢にはなりたくない美意識、自分の意思で女が抱かれている、それを見る満足感。(たぶん、わたし以外の女性にも、そこに快感を感じないとやらないとは思うけど)
とにかく那智さんは数には入らない美意識を持ち、わたしの妄想には那智さんに抱かれながらというストーリーもあるくらいの小さな違いはあれど、わたしたちにはそれぞれ『複数(もしくは他者)』が加わる嗜好があった。
何度か複数もしくは他者を経験してきたけど、なんていうか最終的な形は出来上がっておらず、当然、最終的な叶う状態にもなっていない。
それはそれでしかたないことだとわたしは思っている部分もあったのだけど、やはりやる側の那智さんは最終型を模索していたのだと思う。
最初のころはりん子が他者に抱かれたらどんな反応をするだろうという興味が多かったはずなのだけど、わたしの嗜好を知るにつれ、それを叶えてあげたい、それで自分も性的満足も得られるというふうに那智さん自身も最終ゴールを模索していたのだと思う。
りん子がある程度感じられるようになる。
それはりん子自身が楽しめることと、そこまで育てた自負を持って他者に抱かれるりん子を見るほうが満足。
そんなふうにわたしを育てることで自分の満足度も充実するように時期や機会を伺っていたのだと思う。
そこにちょうど良いタイミングでお誘いがあったのだ。
Tさんの知り合いのお店ということでわたしを抱くためのお膳立て(人集めとかね)もしてくれそうだったので、なおさらチャンスだと思ったのだろう。
じゃあ、『りん子と複数』の現段階での形を作ってみようとなったわけだ。
でも、そこで「はい、どうぞ〜」と簡単にハプバーにわたしを放り投げることをしないのは上の立場の那智さん^^
まず、他の男(たち)に抱かれてわたしが喜べるか、【傷】つかないか=たとえスパイスとはいえ他の男(たち)に5分で「やっぱりごめんなさい」なんて失礼なことにならないかを確認しよう、それで大丈夫そうなら、あらためて人を集めてもらうことにして、Tさんに連れて行ってもらう最初のときは彼を含め適切な男性に主旨を話し『お試し』のお願いをしてくれていた。
こうしてスタートしたわたしたちの『複数もしくは他者』の出来事です。
<関連エントリー>
複数もしくは他者、いろいろ
『ゲストを招く(一場面)』
『ゲストを招く(りん子の心1 2 3)』
『男たちの手1 2』
傷
『傷つく性癖』
「複数もしくは他者1」感想です。私がカッコつけているだけかもしれませんが、確かにその他大勢になりたくない、気持ちがあります。そして、私と他者との複数でりん子を可愛がると、りん子が感じてしまいそうで「嫉妬などのマイナスな感情」を回避していたのかもしれませんね。
りん子(^-^)「嫉妬のようなマイナス感情を回避する」ことを視野にいれるなら、なぜ那智さんは複数の嗜好があるといえるのでしょうね。それこそが複数もしくは他者のある意味醍醐味に思うのですが。
りん子(^-^)それとも、その醍醐味はM側の特権なのかなぁ(笑)