需要と供給
140字もどき
先日ふと浮かんだ考え。
『従いたい』者と『従わせたい』者の需要と供給は必ずしも一致しないのではないだろうか。
感覚的なことだし言葉遊びの域を出ない話。
わたしのような『従いたい(従属、依存体質)』な人間に必要なのは『従わせたい』人間だとうまくいかないような気がする。
完全にわたしの側から目線の言い方をしてしまうと、『従いたい』人間に必要なのは『従わせたい』ではなく『従わせられる』人間なんじゃないだろうか。
那智さんの数少ない決まり事はオナニーの宣言と報告だ。
わたしは自慰をする自分があまり好きではない、いつもしたいと思う自分としたことに対してかすかに自嘲してしまうのだ。
那智さんがその決まり事をわたしに課している背景には、知ってもらうことでわたしの免罪符になるという側面も多いにある。
ついでにわたしのバイオリズムを知るということもあるし、『面白いから』ももちろんあるけども^^;
那智さんが管理したいとか管理することで何かしらを満たしているという側面はほとんどないはずだ。
(もし、何かしらを満たしているとしたら、かなり遠回りして結果的に『管理している』になってはじめて満たされているかもしれない)
先日、こんな文字の会話をした。
いつものように宣言をした後、パソコンの画面に『がんばれ〜』とか『おかずはなに〜』とか面白がっている文字が出てきた。
からかって遊んでいるんだ;;
ときどきこんなふうにして遊ぶ;;
無視しちゃうときもあるんだけど(笑)
この日はスルーできなかった、スルーできないし一緒に楽しめなかった。
だから、醒めてしまったから中止します、わたしはこんなことをする自分がキライだと、ちょっといじけて返事をする。
俺が認めているから大丈夫。
良いことなの。
俺が許可しているの。
こんなお返事がきた。
自慰をするわたしを那智さんが認めている。
上下の上が認めているのだから、下も自嘲することなく認めればいい。
認め、許可しているのは那智さんでわたしではないのだから大丈夫なのだよということだ。
これって
自慰はわたしの欲求だけど、わたしの管轄ではない!!
ということだよね。
那智さんの管轄なのだから管轄している人が良しとしているのだから、『良し』なのだ。
わたしの欲求なのにわたしの管轄ではない!!
なんて幸福な責任転嫁!!
さらに続けて。
それを証拠にダメという時があるでしょ。
稀に、明日会うことが決まっているときなどわたしの欲情度合いによっては禁止したほうが良いと判断したときに禁止されることもある。
たしかに、それは那智さんの管轄内だからすることだ
その発端が那智さんの欲求ではなく『ふたりにとってより良い時間を迎えるため』だからこその禁止なのだ。
こんなふうにわたしが悲しくならないために、ふたりにとって良いからという理由で許可し禁止する。
こんなことを聞かせてもらうとわたしのような『従いたい』女は、幸福に従える。
もっともっと従っていたいと思う。
那智さん、あなたはわたしに『従いたい』と思わせてくれますね!!
もっともっと管理してほしくなります!!
那智さんの根本的な願望の中に『従わせたい欲』はあるでしょう。
だけど、そこに直接『従わせる』につながるようなことはほとんどない。
あるのは従うことで幸福になれるという事実。
そうすれば、こうやって特別命令など下さなくても喜んで従う女ができあがる。
せっせとオナニーの宣言と報告をする女ができあがるのだ。
言葉遊びかもしれないけど、『従いたい』女を従わせるには『従わせられる』男であるほうが適しているんじゃないかなって思うのです。
ということは反対側から見たら『従わせたい』人間には『従いたい』人間ではなくて『従える』人間が適しているのかもしれないね。
「等式」感想です。誰も聞きたくない一般論です。(笑)物の見方考え方は多種多様にある、それを駆使してりん子が生きやすくなれば良いと思う。しかし、ある時は私「○○に考えたら納得出来るだろ~」りん子「そう思えません」私「そう思えるように努力してみな」何て言う会話もある。
責任転嫁しても、最終的に従えば幸せになると、互いに思いあえる関係を築きあいたい。
先日ふと浮かんだ考え。
『従いたい』者と『従わせたい』者の需要と供給は必ずしも一致しないのではないだろうか。
感覚的なことだし言葉遊びの域を出ない話。
わたしのような『従いたい(従属、依存体質)』な人間に必要なのは『従わせたい』人間だとうまくいかないような気がする。
完全にわたしの側から目線の言い方をしてしまうと、『従いたい』人間に必要なのは『従わせたい』ではなく『従わせられる』人間なんじゃないだろうか。
那智さんの数少ない決まり事はオナニーの宣言と報告だ。
わたしは自慰をする自分があまり好きではない、いつもしたいと思う自分としたことに対してかすかに自嘲してしまうのだ。
那智さんがその決まり事をわたしに課している背景には、知ってもらうことでわたしの免罪符になるという側面も多いにある。
ついでにわたしのバイオリズムを知るということもあるし、『面白いから』ももちろんあるけども^^;
那智さんが管理したいとか管理することで何かしらを満たしているという側面はほとんどないはずだ。
(もし、何かしらを満たしているとしたら、かなり遠回りして結果的に『管理している』になってはじめて満たされているかもしれない)
先日、こんな文字の会話をした。
いつものように宣言をした後、パソコンの画面に『がんばれ〜』とか『おかずはなに〜』とか面白がっている文字が出てきた。
からかって遊んでいるんだ;;
ときどきこんなふうにして遊ぶ;;
無視しちゃうときもあるんだけど(笑)
この日はスルーできなかった、スルーできないし一緒に楽しめなかった。
だから、醒めてしまったから中止します、わたしはこんなことをする自分がキライだと、ちょっといじけて返事をする。
俺が認めているから大丈夫。
良いことなの。
俺が許可しているの。
こんなお返事がきた。
自慰をするわたしを那智さんが認めている。
上下の上が認めているのだから、下も自嘲することなく認めればいい。
認め、許可しているのは那智さんでわたしではないのだから大丈夫なのだよということだ。
これって
自慰はわたしの欲求だけど、わたしの管轄ではない!!
ということだよね。
那智さんの管轄なのだから管轄している人が良しとしているのだから、『良し』なのだ。
わたしの欲求なのにわたしの管轄ではない!!
なんて幸福な責任転嫁!!
さらに続けて。
それを証拠にダメという時があるでしょ。
稀に、明日会うことが決まっているときなどわたしの欲情度合いによっては禁止したほうが良いと判断したときに禁止されることもある。
たしかに、それは那智さんの管轄内だからすることだ
その発端が那智さんの欲求ではなく『ふたりにとってより良い時間を迎えるため』だからこその禁止なのだ。
こんなふうにわたしが悲しくならないために、ふたりにとって良いからという理由で許可し禁止する。
こんなことを聞かせてもらうとわたしのような『従いたい』女は、幸福に従える。
もっともっと従っていたいと思う。
那智さん、あなたはわたしに『従いたい』と思わせてくれますね!!
もっともっと管理してほしくなります!!
那智さんの根本的な願望の中に『従わせたい欲』はあるでしょう。
だけど、そこに直接『従わせる』につながるようなことはほとんどない。
あるのは従うことで幸福になれるという事実。
そうすれば、こうやって特別命令など下さなくても喜んで従う女ができあがる。
せっせとオナニーの宣言と報告をする女ができあがるのだ。
言葉遊びかもしれないけど、『従いたい』女を従わせるには『従わせられる』男であるほうが適しているんじゃないかなって思うのです。
ということは反対側から見たら『従わせたい』人間には『従いたい』人間ではなくて『従える』人間が適しているのかもしれないね。
「等式」感想です。誰も聞きたくない一般論です。(笑)物の見方考え方は多種多様にある、それを駆使してりん子が生きやすくなれば良いと思う。しかし、ある時は私「○○に考えたら納得出来るだろ~」りん子「そう思えません」私「そう思えるように努力してみな」何て言う会話もある。
責任転嫁しても、最終的に従えば幸せになると、互いに思いあえる関係を築きあいたい。
COMMENT
なるほど~~
で、おかずはなんだったんだろう?(笑)
で、おかずはなんだったんだろう?(笑)
一つ前と今回のエントリーで長いこと喉の奥にひっかかっていた小さな骨が取れた様な気がしました。
ちょっとしたニュアンスの違いみたいだけど本当は全然違ってて途中で男も女も自分に都合よく聞き入れたりしてる様な気がします。
「あれ?おかしいな?お互いの求めてるものは噛み合ってるはずなのに」ってお互いにモヤモヤしちゃったり…
そうなんだよな~
ちょっとしたニュアンスの違いみたいだけど本当は全然違ってて途中で男も女も自分に都合よく聞き入れたりしてる様な気がします。
「あれ?おかしいな?お互いの求めてるものは噛み合ってるはずなのに」ってお互いにモヤモヤしちゃったり…
そうなんだよな~
そこ、聞くっ!?
でも、こういうのも大好き〜♪
でも、こういうのも大好き〜♪
自分でも意識していなかったけど、その通りだね。
根本的に似たものが続いていたね、鋭い!!
おっしゃる通りで、人は自分に都合よく解釈してしまうものなんだね。
これは男女に関わらず同性同士でも起こりうることだね、きっと。
ということは、自分に都合よく解釈してしまうのだから、わたしたちはせめて感性が近い人とほとんど同じな幸福な勘違いをしていたいなって思ったよ^^
根本的に似たものが続いていたね、鋭い!!
おっしゃる通りで、人は自分に都合よく解釈してしまうものなんだね。
これは男女に関わらず同性同士でも起こりうることだね、きっと。
ということは、自分に都合よく解釈してしまうのだから、わたしたちはせめて感性が近い人とほとんど同じな幸福な勘違いをしていたいなって思ったよ^^