おしまいね
独り言
『やるときは、やる』と『薄い氷を歩くように』に関するコメントは、ただいまを持ちまして終了させていただきます。
意見交換から外れてきてしまったと思うので。
疲れちゃったよ〜。
私こういうの苦手なんだよ〜^^だから、さっさと引き上げます!!
那智さんには『強くなったね〜』と喜ばれてますけど。
ちょっと疲れたから、ウソでもいいから拍手ください、元気出させて^^
追記!!
いりん子の時点から、この2エントリーに関するコメントはどなたのでも涙を飲んで削除します。
了解くださいね。
12/8 22:07ですよ^^
『やるときは、やる』と『薄い氷を歩くように』に関するコメントは、ただいまを持ちまして終了させていただきます。
意見交換から外れてきてしまったと思うので。
疲れちゃったよ〜。
私こういうの苦手なんだよ〜^^だから、さっさと引き上げます!!
那智さんには『強くなったね〜』と喜ばれてますけど。
ちょっと疲れたから、ウソでもいいから拍手ください、元気出させて^^
追記!!
いりん子の時点から、この2エントリーに関するコメントはどなたのでも涙を飲んで削除します。
了解くださいね。
12/8 22:07ですよ^^
覚悟を決める時間
独り言
いろいろなお話を書くとき。
特に、ちょっと力を入れないといけないような内容のとき。
私には思い浮かべるキーパーソンが何人かいる。
この内容のときはこの人、こんな表現を使うときはこの人みたいに、シーンによって登場人物は変わってくるの。
きちんと主張をしたいとき。
私、優しくしていられてる?自問しながら思うのは『あの人』。
奴隷さんや主従関係と言われるものに疑問を投げかけるとき。
それで幸せを感じている人にいやな思いをさせてはいないか、『あの人』と『あの人』。
『嗜好の一致』という心の交流を書くときは『あの人』と『あの人』。
自由に、でも素直に書けている?『那智さん』?
そのキーパーソンたちに恥ずかしくない書き方ができているか。
できる限りその人たちの気持ちに寄り添えているか。
でも自分の書きたいことはちゃんと書けているか。
そんなふうに思い浮かべる人が何人かいる。
この話、20万件の感謝エントリーにしようと(ここから熱くお礼を語ろうと^^)温存していたのだけど、早めに開封しちゃいます^^
だって、思い浮かべる人が増えちゃったから^^
蒸し返すつもりはないからね。
事実は受け入れられないけど、私たちの気持ちは受け入れてくれた人。
事実よりも気持ちに共感してくれた人。
それが心を痛めるべきことかどうか、精査して判断してくれた人。
落ち込んでるんじゃないかって心配してくれた人。
元気になるようにって笑える動画まで送ってくれた人。
更新を楽しみにしてると言ってくれた人。
行われた事実に対しては、きちんと主観で『悲しい』とNOを表明してくれた人。
こちらを否定せず、でもご自分の気持ちを伝える姿勢を見せてくださった皆さん。
(お名前なしの方のいらして、ちょっと残念。お名前があったほうが思い浮かべやすいので)
たくさんのキーパーソンが増えてしまった。
誰かを陥れたいわけでもなく、勝負をつけたいわけでもなく、優劣をつけないように。
これからもキーパーソンを思い浮かべながら、私は書きたいことを書いていきますね。
ですから、皆さんも。
そこに優劣をつけようとしない気持ちでお付き合いくださいませ。
ってね。
とってもいい人になってますが…。
だって、いくら那智さんの責任だと言ったって、やっぱりどうしても書いた本人の私は『心苦しい』なのです^^;
『ああ、やっぱり、そうだよね』と強固な良識という壁がぐぐ〜んと更にそそり立ってしまったわけです。
だから気休めに、いい人アピール!!
と前振りして。
週末用に下書きしておいた話を前倒しでアップして更に『いい人アピール』することにします^^
たまには仕事のお話。
披露宴の定番といえば、花嫁のお手紙。
必ずしなければいけないものではないけれど、まあ皆さんも期待しているところはありますよね。
最初から読もうと決めている人もいるし、悩んでいる人もいます。
ゲストの前ではなく両親にだけ伝えたいなんて人には無理には勧めませんが、『泣いてしまいそうだから』という人には、絶対勧めます。
だって、泣いてしまうほどの気持ちを伝えないでどうすると思うからね^^
でも泣いてしまうことを不安に思う新婦を安心させてあげないといけませんよね。
披露宴の成功は2人がリラックスすることだと思ってますから。
で、そういうときは『代読』を申し出ます。
もちろん最初から代読するのではなくて、お手紙のコピーをとらせてもらうのです。
それで泣いてしまってどうしても読めなくなったら、そこから先は代読しますよと提案するのです。
保険をかけて差し上げればプレッシャーが減って読む気持ちになってくれることがほとんどです。
でもね、意外とその代読は発動しないの。
泣いてしまうかもしれないと思っている新婦のほうが『覚悟を決める時間が長い』からか、泣きながらもなんとか読み上げてくれるのです。
こんなふうに保険としての代読をしないことがほとんどだけど、最初から代読が決まっているものもある。
その代読、ときどき困ってしまうこともあるんだ。
ピアノの講師をしている新婦。
ご両親との思い出の曲を演奏しながら、その曲に合わせて思い出エピソードを絡めて感謝のメッセージを伝えたい、なんていうのがあって。
ただのお手紙じゃないんだ。
この曲のこの部分でこの思い出。
曲と曲の合間にまたエピソード。
しかも、ただ読むだけじゃなくて
『「おおロミオ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの!?」…お母さんこのセリフ覚えていますか?』
みたいに曲目に合わせてセリフみたいに言わないといけないところもあったりする^^;
そんなことできます!?
しんみりとした花嫁演奏&お手紙代読場面で『おおロミオ!!』とジュリエットになる司会者。
できないよね!!
いや、これは新婦自らの演出で、私はやらされているだけですから^^;
感情込めてみますけど、別になりきっているわけじゃないですから^^;
ヒジョーにこっぱずかしいのですが、それでもやはりここは手を抜くわけにはいかない。
打ち合せのときに『ここは語尾を上げて』などと新婦にレクチャーを受けながら、自宅で練習の日々。
別にセリフを覚えるわけじゃないけど、なんていうか開口一番の声のテンションの練習、みたいな感じ^^;(これけっこう重要です)
これはわりと困った『代読』。
(ジュリエットぶりがどうだったかは、ナイショで*^^*)
別の困りパターンでは。
新婦の親友からのお手紙を代読するのだ。
親友は旦那様の仕事で海外に移住することになり、ギリギリで披露宴に出席できないのだ。
この新婦は小さなこだわりを持って披露宴の準備をしている人だった。
こちら側に細かい要求をするようなこだわり方ではなくて、自分がゲストを迎えるのにどうしたら気持ちが伝わるかというようなこだわり。
ゲスト一人一人にモールで手作りの小さな動物を作り、それを席札を立てるスタンドにしたり。
できるだけゲストと一緒にいたいからお色直しはなしにしたり(ホントはカラードレスも着たいよね)。
そんな彼女から、出席できない親友が外国からお手紙をくれるからそれを代読してほしいと頼まれたのだ。
ああ、困った。
仕事だもん、代読はもちろんする。
だけど、打ち合せで感じる彼女の一生懸命な様子を知っているから、困ってしまうのだ。
きっと親友に自分の幸せな姿を見せたかっただろうな。
小さなこだわりを持った披露宴で親友に楽しんでもらいたかっただろうな。
そんな新婦の気持ちを想像したら…。
打ち合せでその話を伺った時点で、すでにウルウルものだ。
本番で泣かずに読む自信がない(笑)
事前にいただいたお手紙を、こちらも日々読む練習。
親友からの温かいメッセージ、特に最後の新郎へ宛てた下りなんて、練習段階でやばい。
当日、本番ではもう素直に伝えようと決めた。
お手紙を読むシーンで。
海外に行ってしまった親友からのお手紙を読ませていただくこと。
そして、仕事ではあるけれど、親友にこの場で祝福してほしかった新婦の気持ち、出席したかった親友の気持ち、一司会者としてというより、1人の女性として共感しているので打ち合せからウルウルでした。
だから、そんな気落ちで代読させていただきます。
って。
もう泣いちゃったらごめんなさい!!って感じでぶっちゃけてしまった^^;
あまり司会者が自分の気持ちを前面に出すべきではないとも思うので、褒められたことではないかもしれない。
だけど、このときは、それしか手だてがないと思ったのだ。
新婦はその私の言葉をまっすぐな瞳で聞いてくれた。
会場の皆さんも温かい拍手をくれた(と思う^^;)
結局、泣かずに読めた。
一応仕事だしね。
だけど心を込めて読んだ。
新婦のお手紙で感じる『覚悟を決める時間が長い』と大丈夫だというのは、あながち間違いじゃないかもしれない、なんて思った披露宴だった。
自分がいっぱい覚悟決めたからね^^
でも、これも困る代読^^
でーーー。
今週末、また困る代読が控えているのだ!!!
今度は新郎のおばあさんからのお手紙代読。
しかも、新郎には内緒。
高齢で遠方のために出席できないおばあさんに、新婦がこっそりお願いしたのだ。
それをサプライズで披露するの。
もう、その新婦の優しい気持ちだけでも、やばいのに。
先週、事前にそのお手紙をいただいたのだけど、これが、もうやばすぎる。
90に近いおばあさんの、決して達筆ではないけれど力強いエンピツの文字。
もうそれだけで胸掴まれる。
新郎の小さな頃のこと、新婦を連れて田舎に来てくれたときのこと。
言葉の端々に優しさが感じられて、もう助けてくれ状態(笑)
絶対泣く。
確実に泣く。
だって、いま目の前にしているだけで、泣きそうなんだもん!!
那智さんに話したら大笑い。
「ねえ、りん子、それってなんで泣きそうなの?」
「なんでって?」
「書かれているエピソードが感動なの?」
「う〜ん、エピソードは感動ではあるのですけど、それじゃなくて…」
「優しさで?」
「そうそう、そうです。新婦とおばあさん両方の優しさが感じられて、泣きそう」
ああ、それってやばいんだよな。
エピソードが感動なら、何回か読んで内容に慣れれば大丈夫だと思うけど。
優しさって、なかなか慣れないんだよな〜(笑)
と、ある意味脅されるわたし^^
「泣いてしまうかもしれないって、ぶっちゃけ?ちゃえば?」
親友のお手紙のときのように私の気持ちを前面に出して泣いてしまっても大丈夫にしたいのだけど。
このお手紙披露は、新婦手紙と花束贈呈の直前にやるのだ。
これから感動シーンがはじまる序章のおばあさんのお手紙で、先に司会者が号泣するのもねぇ。
その先走り感は、いかがなものかと思うよね。
だから、そんな場面でぶちゃけるのは場違い。
しかもサプライズだし。
だから那智さんの提案は却下。
ああ、困った。
ちょっと脅されてるし。
まあ、最悪泣いても何を言ってるかわからなくなるのだけは避けるべきだな。
内容をきっちり伝えることが重要だよ。
どんなに号泣して途切れても持ち直すまで待って、それからきちんと内容を伝えるようにすればいいんじゃない?
と、脅した後でレクチャーされる。
こんなふうに道筋を立ててもらうと、なんとなく安心できるものだ。
脅しておいて道筋って、那智さんらしい^^
道筋も立ててもらったし。
先週お手紙をいただいてから『覚悟を決める時間』は長くとってる。
だから多分大丈夫。
そう思って、お手紙を眺めては困っている。
とにかく、今週末、心からおめでとうが言えるように練習しておきます^^
今回のこと、ホントはごめんなさいが言いたくてしかたないのだけど、言いません。
那智さんがその立場だから。
だから私は。
ありがとう。
で、これからも書きたいことを書きますね。
皆さんのことを思い浮かべて、私なりのルールでちょっと覚悟を決めて、でもたくさん楽しみながら。
だから、よければ読んでくださいね。
那智さーん、私のいい人の壁(外面の良いともいう?)、また高くなってしまいましたから、頑張って崩してくださいね〜。
って、それも大事だけど、今週末も大事だ。
大丈夫かな〜^^;
とにかく、がんばろ〜。
いろいろなお話を書くとき。
特に、ちょっと力を入れないといけないような内容のとき。
私には思い浮かべるキーパーソンが何人かいる。
この内容のときはこの人、こんな表現を使うときはこの人みたいに、シーンによって登場人物は変わってくるの。
きちんと主張をしたいとき。
私、優しくしていられてる?自問しながら思うのは『あの人』。
奴隷さんや主従関係と言われるものに疑問を投げかけるとき。
それで幸せを感じている人にいやな思いをさせてはいないか、『あの人』と『あの人』。
『嗜好の一致』という心の交流を書くときは『あの人』と『あの人』。
自由に、でも素直に書けている?『那智さん』?
そのキーパーソンたちに恥ずかしくない書き方ができているか。
できる限りその人たちの気持ちに寄り添えているか。
でも自分の書きたいことはちゃんと書けているか。
そんなふうに思い浮かべる人が何人かいる。
この話、20万件の感謝エントリーにしようと(ここから熱くお礼を語ろうと^^)温存していたのだけど、早めに開封しちゃいます^^
だって、思い浮かべる人が増えちゃったから^^
蒸し返すつもりはないからね。
事実は受け入れられないけど、私たちの気持ちは受け入れてくれた人。
事実よりも気持ちに共感してくれた人。
それが心を痛めるべきことかどうか、精査して判断してくれた人。
落ち込んでるんじゃないかって心配してくれた人。
元気になるようにって笑える動画まで送ってくれた人。
更新を楽しみにしてると言ってくれた人。
行われた事実に対しては、きちんと主観で『悲しい』とNOを表明してくれた人。
こちらを否定せず、でもご自分の気持ちを伝える姿勢を見せてくださった皆さん。
(お名前なしの方のいらして、ちょっと残念。お名前があったほうが思い浮かべやすいので)
たくさんのキーパーソンが増えてしまった。
誰かを陥れたいわけでもなく、勝負をつけたいわけでもなく、優劣をつけないように。
これからもキーパーソンを思い浮かべながら、私は書きたいことを書いていきますね。
ですから、皆さんも。
そこに優劣をつけようとしない気持ちでお付き合いくださいませ。
ってね。
とってもいい人になってますが…。
だって、いくら那智さんの責任だと言ったって、やっぱりどうしても書いた本人の私は『心苦しい』なのです^^;
『ああ、やっぱり、そうだよね』と強固な良識という壁がぐぐ〜んと更にそそり立ってしまったわけです。
だから気休めに、いい人アピール!!
と前振りして。
週末用に下書きしておいた話を前倒しでアップして更に『いい人アピール』することにします^^
たまには仕事のお話。
披露宴の定番といえば、花嫁のお手紙。
必ずしなければいけないものではないけれど、まあ皆さんも期待しているところはありますよね。
最初から読もうと決めている人もいるし、悩んでいる人もいます。
ゲストの前ではなく両親にだけ伝えたいなんて人には無理には勧めませんが、『泣いてしまいそうだから』という人には、絶対勧めます。
だって、泣いてしまうほどの気持ちを伝えないでどうすると思うからね^^
でも泣いてしまうことを不安に思う新婦を安心させてあげないといけませんよね。
披露宴の成功は2人がリラックスすることだと思ってますから。
で、そういうときは『代読』を申し出ます。
もちろん最初から代読するのではなくて、お手紙のコピーをとらせてもらうのです。
それで泣いてしまってどうしても読めなくなったら、そこから先は代読しますよと提案するのです。
保険をかけて差し上げればプレッシャーが減って読む気持ちになってくれることがほとんどです。
でもね、意外とその代読は発動しないの。
泣いてしまうかもしれないと思っている新婦のほうが『覚悟を決める時間が長い』からか、泣きながらもなんとか読み上げてくれるのです。
こんなふうに保険としての代読をしないことがほとんどだけど、最初から代読が決まっているものもある。
その代読、ときどき困ってしまうこともあるんだ。
ピアノの講師をしている新婦。
ご両親との思い出の曲を演奏しながら、その曲に合わせて思い出エピソードを絡めて感謝のメッセージを伝えたい、なんていうのがあって。
ただのお手紙じゃないんだ。
この曲のこの部分でこの思い出。
曲と曲の合間にまたエピソード。
しかも、ただ読むだけじゃなくて
『「おおロミオ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの!?」…お母さんこのセリフ覚えていますか?』
みたいに曲目に合わせてセリフみたいに言わないといけないところもあったりする^^;
そんなことできます!?
しんみりとした花嫁演奏&お手紙代読場面で『おおロミオ!!』とジュリエットになる司会者。
できないよね!!
いや、これは新婦自らの演出で、私はやらされているだけですから^^;
感情込めてみますけど、別になりきっているわけじゃないですから^^;
ヒジョーにこっぱずかしいのですが、それでもやはりここは手を抜くわけにはいかない。
打ち合せのときに『ここは語尾を上げて』などと新婦にレクチャーを受けながら、自宅で練習の日々。
別にセリフを覚えるわけじゃないけど、なんていうか開口一番の声のテンションの練習、みたいな感じ^^;(これけっこう重要です)
これはわりと困った『代読』。
(ジュリエットぶりがどうだったかは、ナイショで*^^*)
別の困りパターンでは。
新婦の親友からのお手紙を代読するのだ。
親友は旦那様の仕事で海外に移住することになり、ギリギリで披露宴に出席できないのだ。
この新婦は小さなこだわりを持って披露宴の準備をしている人だった。
こちら側に細かい要求をするようなこだわり方ではなくて、自分がゲストを迎えるのにどうしたら気持ちが伝わるかというようなこだわり。
ゲスト一人一人にモールで手作りの小さな動物を作り、それを席札を立てるスタンドにしたり。
できるだけゲストと一緒にいたいからお色直しはなしにしたり(ホントはカラードレスも着たいよね)。
そんな彼女から、出席できない親友が外国からお手紙をくれるからそれを代読してほしいと頼まれたのだ。
ああ、困った。
仕事だもん、代読はもちろんする。
だけど、打ち合せで感じる彼女の一生懸命な様子を知っているから、困ってしまうのだ。
きっと親友に自分の幸せな姿を見せたかっただろうな。
小さなこだわりを持った披露宴で親友に楽しんでもらいたかっただろうな。
そんな新婦の気持ちを想像したら…。
打ち合せでその話を伺った時点で、すでにウルウルものだ。
本番で泣かずに読む自信がない(笑)
事前にいただいたお手紙を、こちらも日々読む練習。
親友からの温かいメッセージ、特に最後の新郎へ宛てた下りなんて、練習段階でやばい。
当日、本番ではもう素直に伝えようと決めた。
お手紙を読むシーンで。
海外に行ってしまった親友からのお手紙を読ませていただくこと。
そして、仕事ではあるけれど、親友にこの場で祝福してほしかった新婦の気持ち、出席したかった親友の気持ち、一司会者としてというより、1人の女性として共感しているので打ち合せからウルウルでした。
だから、そんな気落ちで代読させていただきます。
って。
もう泣いちゃったらごめんなさい!!って感じでぶっちゃけてしまった^^;
あまり司会者が自分の気持ちを前面に出すべきではないとも思うので、褒められたことではないかもしれない。
だけど、このときは、それしか手だてがないと思ったのだ。
新婦はその私の言葉をまっすぐな瞳で聞いてくれた。
会場の皆さんも温かい拍手をくれた(と思う^^;)
結局、泣かずに読めた。
一応仕事だしね。
だけど心を込めて読んだ。
新婦のお手紙で感じる『覚悟を決める時間が長い』と大丈夫だというのは、あながち間違いじゃないかもしれない、なんて思った披露宴だった。
自分がいっぱい覚悟決めたからね^^
でも、これも困る代読^^
でーーー。
今週末、また困る代読が控えているのだ!!!
今度は新郎のおばあさんからのお手紙代読。
しかも、新郎には内緒。
高齢で遠方のために出席できないおばあさんに、新婦がこっそりお願いしたのだ。
それをサプライズで披露するの。
もう、その新婦の優しい気持ちだけでも、やばいのに。
先週、事前にそのお手紙をいただいたのだけど、これが、もうやばすぎる。
90に近いおばあさんの、決して達筆ではないけれど力強いエンピツの文字。
もうそれだけで胸掴まれる。
新郎の小さな頃のこと、新婦を連れて田舎に来てくれたときのこと。
言葉の端々に優しさが感じられて、もう助けてくれ状態(笑)
絶対泣く。
確実に泣く。
だって、いま目の前にしているだけで、泣きそうなんだもん!!
那智さんに話したら大笑い。
「ねえ、りん子、それってなんで泣きそうなの?」
「なんでって?」
「書かれているエピソードが感動なの?」
「う〜ん、エピソードは感動ではあるのですけど、それじゃなくて…」
「優しさで?」
「そうそう、そうです。新婦とおばあさん両方の優しさが感じられて、泣きそう」
ああ、それってやばいんだよな。
エピソードが感動なら、何回か読んで内容に慣れれば大丈夫だと思うけど。
優しさって、なかなか慣れないんだよな〜(笑)
と、ある意味脅されるわたし^^
「泣いてしまうかもしれないって、ぶっちゃけ?ちゃえば?」
親友のお手紙のときのように私の気持ちを前面に出して泣いてしまっても大丈夫にしたいのだけど。
このお手紙披露は、新婦手紙と花束贈呈の直前にやるのだ。
これから感動シーンがはじまる序章のおばあさんのお手紙で、先に司会者が号泣するのもねぇ。
その先走り感は、いかがなものかと思うよね。
だから、そんな場面でぶちゃけるのは場違い。
しかもサプライズだし。
だから那智さんの提案は却下。
ああ、困った。
ちょっと脅されてるし。
まあ、最悪泣いても何を言ってるかわからなくなるのだけは避けるべきだな。
内容をきっちり伝えることが重要だよ。
どんなに号泣して途切れても持ち直すまで待って、それからきちんと内容を伝えるようにすればいいんじゃない?
と、脅した後でレクチャーされる。
こんなふうに道筋を立ててもらうと、なんとなく安心できるものだ。
脅しておいて道筋って、那智さんらしい^^
道筋も立ててもらったし。
先週お手紙をいただいてから『覚悟を決める時間』は長くとってる。
だから多分大丈夫。
そう思って、お手紙を眺めては困っている。
とにかく、今週末、心からおめでとうが言えるように練習しておきます^^
今回のこと、ホントはごめんなさいが言いたくてしかたないのだけど、言いません。
那智さんがその立場だから。
だから私は。
ありがとう。
で、これからも書きたいことを書きますね。
皆さんのことを思い浮かべて、私なりのルールでちょっと覚悟を決めて、でもたくさん楽しみながら。
だから、よければ読んでくださいね。
那智さーん、私のいい人の壁(外面の良いともいう?)、また高くなってしまいましたから、頑張って崩してくださいね〜。
って、それも大事だけど、今週末も大事だ。
大丈夫かな〜^^;
とにかく、がんばろ〜。
いただきます^^
独り言
私はあまり貼らないけど、ブログといえば画像を載せる方が多いですよね。
思わずうっとりしてしまうものや臨場感溢れるもの。
アングルや加工にもセンスの良さを感じます。
私はデジカメを持っていないしセンスも自信がないからほとんど載せないのだけど、気が向けば時々携帯で撮ったものを載せている。
それほどの物ではなくても、意外と画像があるだけでちょっとグレードアップしたような気分になったりしての自己満足^^
M女さんたちの画像にうっとりしたりウズウズしたりは、そういう性癖なので当然なんですが。
それ以外でも、特に食いついてしまうのが、お料理画像!!
よく、お食事した記事なんかにそのときのテーブルに並んだお料理を載せることがありますよね。
そのときの様子が伝わってくるという良さはもちろん、そのお料理がどれもおいしそうでおいしそうで、思わず画面に食いついてしまうのです。
お料理画像、好き^^
で、自分もお食事にいったとき、気がついたら携帯カメラで撮ってみるのです。
そのときの楽しい様子を残したくて、もしそれをエントリーするときがあれば、画像があったほうが楽しさが伝わるかもしれないと思って^^
そう思って撮ってみるも…。
どうもいまいち、全然おいしそうに見えない気がするのだ。
携帯カメラの精度やセンスなしを差し引いてみても、なんかいまいち。
どうしてだろうと考えてみた^^;
で、どうやらそれは画像を撮るタイミングにあるのではないかという結論に至りました。
皆さんはどのタイミングで撮るのか検証していないけど。
どうも私は途中で撮ってしまうらしい。
これが画像としての『おいしそう』にならないのではないかと思うのだ。
だってレシピ本やグルメ情報なんかはどれもできたて状態だものね。
あまり食べてる途中はないものね。
その辺りに原因があるのではないかと思いまして。
検証してみます^^
お馴染みの台湾料理屋さん。
どなたと行ったときだったかな〜、よく行くからわからなくなってるわ。
それにしても、微妙にどれも半分なくなってる^^;
使用中の取り皿までリアルな感じで…。
あんまりおいしそうじゃない、よね^^;
ああ、でも腸詰め食べたい、パクチィも食べたい(笑)
ビールにも紹興酒にも合うのだ。
ああ、手前の『きゅうりの梅たたき和え』なんて、最後のひと口だ^^;
あれが手をつける前だったら、きっと緑と赤の色合いが画像に映えたはずだよね。
これはミニオフ、イタリアンの後の二次会の飲み屋さん。
ここのおつまみ、なかなかよかったなぁ。
またまた台湾料理屋さん。
那智さんと行ったんだよね。
これなんてもはや〆の麺!!
途中どころか、終了間際。
開いたお皿が寂しげです^^;
このときは、那智さんビーフン、私ターミー麺で食べ比べしたんだ。
これは絶対ターミー麺の勝ち!!
どうですか。
やっぱりいまいちですよね^^;
でも仕方がない。
私は食べることが大好きなのだ。
運ばれてきたおいしそうなお料理は、まずいただく^^
で、しばらく堪能して、はじめて『あ、画像撮っとこ〜』という気持ちになるようなのだ。
だからおいしそうな画像を載せるブログは、諦めたほうがいいかもしれない。
でも、こうやって並べてみると見ている皆さんにはおいしそうではないけもしれないけど、私は思い出と共に蘇って、けっこう楽しい。
思い出を写すことができないのが残念だけど。
どれも、画像を撮るのを後回しにしてしまうほど、楽しくておいしい時間だったことだけは伝わってくれるといいな〜と思います^^
ということで。
手をつける前のお料理も撮ってみました!!
う〜ん、やっぱりこちらのほうがおいしそう?
那智さんに一足早いクリスマス、ディナーに連れていっていただきました^^
暗くてわかりづらいけど、幸せそうな私、伝わっていると嬉しいな〜。
私の画像は技術もセンスもタイミングもダメだけど、わたし的には楽しいもののようです^^
私はあまり貼らないけど、ブログといえば画像を載せる方が多いですよね。
思わずうっとりしてしまうものや臨場感溢れるもの。
アングルや加工にもセンスの良さを感じます。
私はデジカメを持っていないしセンスも自信がないからほとんど載せないのだけど、気が向けば時々携帯で撮ったものを載せている。
それほどの物ではなくても、意外と画像があるだけでちょっとグレードアップしたような気分になったりしての自己満足^^
M女さんたちの画像にうっとりしたりウズウズしたりは、そういう性癖なので当然なんですが。
それ以外でも、特に食いついてしまうのが、お料理画像!!
よく、お食事した記事なんかにそのときのテーブルに並んだお料理を載せることがありますよね。
そのときの様子が伝わってくるという良さはもちろん、そのお料理がどれもおいしそうでおいしそうで、思わず画面に食いついてしまうのです。
お料理画像、好き^^
で、自分もお食事にいったとき、気がついたら携帯カメラで撮ってみるのです。
そのときの楽しい様子を残したくて、もしそれをエントリーするときがあれば、画像があったほうが楽しさが伝わるかもしれないと思って^^
そう思って撮ってみるも…。
どうもいまいち、全然おいしそうに見えない気がするのだ。
携帯カメラの精度やセンスなしを差し引いてみても、なんかいまいち。
どうしてだろうと考えてみた^^;
で、どうやらそれは画像を撮るタイミングにあるのではないかという結論に至りました。
皆さんはどのタイミングで撮るのか検証していないけど。
どうも私は途中で撮ってしまうらしい。
これが画像としての『おいしそう』にならないのではないかと思うのだ。
だってレシピ本やグルメ情報なんかはどれもできたて状態だものね。
あまり食べてる途中はないものね。
その辺りに原因があるのではないかと思いまして。
検証してみます^^
お馴染みの台湾料理屋さん。
どなたと行ったときだったかな〜、よく行くからわからなくなってるわ。
それにしても、微妙にどれも半分なくなってる^^;
使用中の取り皿までリアルな感じで…。
あんまりおいしそうじゃない、よね^^;
ああ、でも腸詰め食べたい、パクチィも食べたい(笑)
ビールにも紹興酒にも合うのだ。
ああ、手前の『きゅうりの梅たたき和え』なんて、最後のひと口だ^^;
あれが手をつける前だったら、きっと緑と赤の色合いが画像に映えたはずだよね。
これはミニオフ、イタリアンの後の二次会の飲み屋さん。
ここのおつまみ、なかなかよかったなぁ。
またまた台湾料理屋さん。
那智さんと行ったんだよね。
これなんてもはや〆の麺!!
途中どころか、終了間際。
開いたお皿が寂しげです^^;
このときは、那智さんビーフン、私ターミー麺で食べ比べしたんだ。
これは絶対ターミー麺の勝ち!!
どうですか。
やっぱりいまいちですよね^^;
でも仕方がない。
私は食べることが大好きなのだ。
運ばれてきたおいしそうなお料理は、まずいただく^^
で、しばらく堪能して、はじめて『あ、画像撮っとこ〜』という気持ちになるようなのだ。
だからおいしそうな画像を載せるブログは、諦めたほうがいいかもしれない。
でも、こうやって並べてみると見ている皆さんにはおいしそうではないけもしれないけど、私は思い出と共に蘇って、けっこう楽しい。
思い出を写すことができないのが残念だけど。
どれも、画像を撮るのを後回しにしてしまうほど、楽しくておいしい時間だったことだけは伝わってくれるといいな〜と思います^^
ということで。
手をつける前のお料理も撮ってみました!!
う〜ん、やっぱりこちらのほうがおいしそう?
那智さんに一足早いクリスマス、ディナーに連れていっていただきました^^
暗くてわかりづらいけど、幸せそうな私、伝わっていると嬉しいな〜。
私の画像は技術もセンスもタイミングもダメだけど、わたし的には楽しいもののようです^^
無事でした〜
独り言
え〜っと、『覚悟を決める時間』でお話ししましたお仕事は無事終了しました^^
やっぱり覚悟を決める時間がある程度取れれば、腹括れるんですね、きっと。
泣かずにすみました。
まあ、泣かないことが=無事かどうかは、なんとも言えないけど^^;
とにかくお二人にも喜んでいただけたと思うので、好しとしましょう^^
で、あれをアップしたその日にまた別カップルの新郎から連絡があって、今度は新婦にサプライズでプレゼントを渡したいんだけど、どのタイミングがいいかなんて相談されてしまった。
披露宴三日前です!!
こちらも、新郎の『一番感謝の気持ちを伝えたいのは新婦』なんていうメッセージもいただいて、じ〜んとしてしまったのですが。
本番では無事、新婦に気持ちを伝えることはできたと思います。
もー、サプライズばっかりやめて〜(笑)
といか、なんていうかね、お相手を喜ばせたいという気持ちは、きますね^^;
ただ、カップルにとってのサプライズは、私にとっては覚悟を決める時間が持てるということになるから、実は意外と大丈夫だということは今回でわかりました。
やばいのは、私にとってのサプライズ、まあ、不意の感動ですね。
新郎の謝辞が感動的だったり、謝辞やエンドロールに『司会のりん子さん、ありがとうございました』なんて感謝の気持ちを表してもらったり。
直接私に向ける向けないに関わらず、不意の感動のほうが、やばいですね^^
毎回、いろんな形で感動させてもらって、幸せな気分にさせてもらって、良いお仕事だなぁと改めて思います。
この仕事に向けて強力に背中を押してくれた那智さんに感謝しつつ。
一緒に無事を祈ってくださった皆さんに感謝とご報告でした^^
ありがとうございました〜。
『やるときは、やる』と『薄い氷を歩くように』に関するコメントは引き続き削除させていただいております。
ということで、今週もよろしくお願いします〜^^
どうか、ご了承くださいませ。
え〜っと、『覚悟を決める時間』でお話ししましたお仕事は無事終了しました^^
やっぱり覚悟を決める時間がある程度取れれば、腹括れるんですね、きっと。
泣かずにすみました。
まあ、泣かないことが=無事かどうかは、なんとも言えないけど^^;
とにかくお二人にも喜んでいただけたと思うので、好しとしましょう^^
で、あれをアップしたその日にまた別カップルの新郎から連絡があって、今度は新婦にサプライズでプレゼントを渡したいんだけど、どのタイミングがいいかなんて相談されてしまった。
披露宴三日前です!!
こちらも、新郎の『一番感謝の気持ちを伝えたいのは新婦』なんていうメッセージもいただいて、じ〜んとしてしまったのですが。
本番では無事、新婦に気持ちを伝えることはできたと思います。
もー、サプライズばっかりやめて〜(笑)
といか、なんていうかね、お相手を喜ばせたいという気持ちは、きますね^^;
ただ、カップルにとってのサプライズは、私にとっては覚悟を決める時間が持てるということになるから、実は意外と大丈夫だということは今回でわかりました。
やばいのは、私にとってのサプライズ、まあ、不意の感動ですね。
新郎の謝辞が感動的だったり、謝辞やエンドロールに『司会のりん子さん、ありがとうございました』なんて感謝の気持ちを表してもらったり。
直接私に向ける向けないに関わらず、不意の感動のほうが、やばいですね^^
毎回、いろんな形で感動させてもらって、幸せな気分にさせてもらって、良いお仕事だなぁと改めて思います。
この仕事に向けて強力に背中を押してくれた那智さんに感謝しつつ。
一緒に無事を祈ってくださった皆さんに感謝とご報告でした^^
ありがとうございました〜。
『やるときは、やる』と『薄い氷を歩くように』に関するコメントは引き続き削除させていただいております。
ということで、今週もよろしくお願いします〜^^
どうか、ご了承くださいませ。
ぬいぐるみ
独特な幸福感
お昼間たくさん可愛がってもらって、ホクホク気分で街へ繰り出す。
クリスマス前の街。
イルミネーションで飾られた街路樹を眺めて歩く。
お茶をしながら、ほんの少し切ない話をした。
微笑みながら話せる種類の切ない話。
それが余計に感傷的な気持ちにさせてしまったのかな。
街路樹を眺めながら『那智さんについていく』だけという幸せな散歩。
この幸せ、私にはとっても大きいのだ。
普通人って誰かと歩くとき行く先を判断しながら歩くよね。
私も一緒に歩く人の速度とかなんとなく気にしながら、目的地、道筋、人の流れ、などなどをぼんやりと意識して判断しながら歩く。(あんまり得意ではないのだけどね。よく道間違うし、人にぶつかるし^^;)
だけど那智さんと歩いているときは、それをほとんどしないでいられるのだ。
見極めながら歩くことは苦ではないのだけど、那智さんと歩くときにそれをしないでいられるのは幸せなことなんだ。
那智さんについていくということだけ、私はすればいい。
時々酔っぱらいさんになってしまうこともあるけど、そのときは最悪『置いていけばいい』、自力でなんとかする人だからね(笑)(『基本人格』)
この先回りする必要のない散歩は、私の幸せな柔らかいところをぎゅっと掴むのだ。
切ない話のせいかな。
昼間にいっぱい可愛がってもらったかな。
それとも『ついていくだけ』の散歩のせいかな。
イルミネーションを眺めながら、つい涙目になってしまう。
あれれ、那智さん、私泣きそうですよ。
知ってか知らずか、目の前にある雑貨屋さんに入る。
大小のぬいぐるみ。
色とりどりのクリスマスオーナメント。
キャラクターのマグカップ。
どれもワクワクするようなグッズが並ぶ。
「こういう触り心地のいい素材はいいよね」
何気なく那智さんが触れたぬいぐるみ。
私もさっとだけ触る。
うん、とっても気持ちいい触り心地。
ぽにゃぽにゃしてる。
ぐるっと店内を一周して
「何がいい?なんか買ってあげる」
そう言ってマグカップあたりを手にしてみる那智さん。
さっきからずっと膨らんでいた涙腺がぱちんと弾けてしまった。
ああ、なんでこんなことが嬉しいのだろう。
プレゼントを買ってもらうことを、恐縮せず、額面通り、ただ受け取れるのがこんなにも心地よい。
「那智さん、これがいいです」
急いで来た通路を引き返し、ぽにゃぽにゃクマのぬいぐるみを持っていく。
それだけ那智さんに渡して店を出た。
背後で『プレゼントにしてください』という声を聞きながら。
泣いてしまいそうだったから、とにかく外に出た。
ガードレールに腰掛けたら、やっぱり涙が出てしまった。
まあ、でも支払いをしている横で泣くよりはましだろう。
ああ、かなりやばい人になってる。
うつむいて涙を見せないように、那智さんを待つ。
「はい」
リボンをかけられた袋を渡された。
「ありがとうございます;;」
「行くよ」
歩き出す那智さんについていく。
泣きながら待ち、プレゼントを受け取る。
もうそれだけでかなりやばいけど、もう、やばいついでだ、我慢するのをやめてしまえと思った。
私は好意を当然のように額面通り受け取る『女の子』になりたい。
「那智さん、出してもいいですか?」
「どうぞ〜」
リボンを外し袋からぽにゃぽにゃクマを出す。
気持ちいい。
片手にすっぽり収まるくらいの小さなぬいぐるみを胸に抱えている。
ああ、痛い女だよね。
だけど、ぬいぐるみの触り心地も、額面通り受け取れることも、女の子も気持ちよくて仕方がない。
右手で那智さんの腕を持ち、左手でぬいぐるみを抱える。
ぬいぐるみを可愛がる対象にして自分を可愛がる幼い子のようだ。
「那智さん、なんで私こんなので泣くんでしょうね;;」
「さあな、小さい頃のことがあるからじゃないの?」
あまり我関せずな感じ。
「そうでしょか;;」
さらさらと涙を流しながら、ああ、きっと違うと思っていた。
確かに、私が心底幸せになれなかったのは父が起因していることは間違いじゃない。
特に最初の頃は、それを渇望して那智さんがくれる父性のような愛情をぐんぐんと吸収していた。
それは埋めても埋めてもまだ欲しいと枯れることがなかったから、よほど『父』の影響だったんだなと思っていた。
でも、もう那智さんと出会って7年経つ。
なかなか普通の恋愛だけでは叶わないようなものを埋めてもらっている。
きっともう充分埋まっているはずだ。
それくらい那智さんはくれている。
だから、もうこれからは『生い立ち』や『父』の影響と思うのはやめようって思った。
もちろんはじまりはそうだった。
だけど今は違うんだ。
ただ単に、私は『そういう女』なんだ。
女の子のように。
気持ちよいことが大好きで。
ぬいぐるみを抱きしめるように、抱きしめてもらって。
好意を額面通り受け取れる。
この女の子として存在できる事実があれば穏やかに幸福を感じられる女なだけ、だということだ。
ずいぶん埋めてもらってもまだ涙が流れるのは、私はそれがただ欲しいというだけなんだろう。
そう思えることは、とても気持ちがラクになる。
父のことも、もちろん姉のことも責める気持ちはないつもりだった。
ここで生い立ちを書いたのも、責めるのではなくて自分を客観視して道を開きたいと思ったからだけど。
やっぱり他者を『原因』の対象にすることは、心地よいものではない。
全部自分のせいにすることはよくない。
でも、たくさん埋めてもらって、たくさん自分のこと考えて、もう充分と思えたら『原因』はなくていいよね。
私は、誰が『原因』でもなくて、もちろん自分のせいでもなくて。
ただ、そういう女だということ。
かなり『痛い』かもしれなけど^^;
私は、那智さんについていくだけのお散歩をして、好意を素直に受け取っていい『女の子』になりたい。
それがあるから、また幸福に穏やかに暮らしていける女だ。
それでいいと思う。
7年かかってそう思えた。
とても心地よい。
さらさらと泣きぬいぐるみを抱えながら、那智さんったらまだ『トラウマ』だと思ってる、今度この気持ちをお話ししなくちゃって思っていた。
人が満たされるものはいろいろだろうと思うけど。
私は6歳児がいい。
それで幸せになれる女と、それをさせて満足する男の組み合わせってだけのこと^^
少々痛いけど^^;
『原因』はなく、ただそうだと思えるほうが心地良いです。
注:しつこいけど、解決の糸口になるから原因を探ることは悪くないと思うのですよ。
もう充分と思える日が来るから、それにちゃんと気づくと気持ちがラクになったよってお話です^^
痛いついでに濃いのをリンクします〜♪
『私について(父性とシスターコンプレックス)12』
『毛布』
『お父さん1、2、3、4、5』
『6歳がいい』
『独特な幸福のススメ』
『ピンク1 2 3』
お昼間たくさん可愛がってもらって、ホクホク気分で街へ繰り出す。
クリスマス前の街。
イルミネーションで飾られた街路樹を眺めて歩く。
お茶をしながら、ほんの少し切ない話をした。
微笑みながら話せる種類の切ない話。
それが余計に感傷的な気持ちにさせてしまったのかな。
街路樹を眺めながら『那智さんについていく』だけという幸せな散歩。
この幸せ、私にはとっても大きいのだ。
普通人って誰かと歩くとき行く先を判断しながら歩くよね。
私も一緒に歩く人の速度とかなんとなく気にしながら、目的地、道筋、人の流れ、などなどをぼんやりと意識して判断しながら歩く。(あんまり得意ではないのだけどね。よく道間違うし、人にぶつかるし^^;)
だけど那智さんと歩いているときは、それをほとんどしないでいられるのだ。
見極めながら歩くことは苦ではないのだけど、那智さんと歩くときにそれをしないでいられるのは幸せなことなんだ。
那智さんについていくということだけ、私はすればいい。
時々酔っぱらいさんになってしまうこともあるけど、そのときは最悪『置いていけばいい』、自力でなんとかする人だからね(笑)(『基本人格』)
この先回りする必要のない散歩は、私の幸せな柔らかいところをぎゅっと掴むのだ。
切ない話のせいかな。
昼間にいっぱい可愛がってもらったかな。
それとも『ついていくだけ』の散歩のせいかな。
イルミネーションを眺めながら、つい涙目になってしまう。
あれれ、那智さん、私泣きそうですよ。
知ってか知らずか、目の前にある雑貨屋さんに入る。
大小のぬいぐるみ。
色とりどりのクリスマスオーナメント。
キャラクターのマグカップ。
どれもワクワクするようなグッズが並ぶ。
「こういう触り心地のいい素材はいいよね」
何気なく那智さんが触れたぬいぐるみ。
私もさっとだけ触る。
うん、とっても気持ちいい触り心地。
ぽにゃぽにゃしてる。
ぐるっと店内を一周して
「何がいい?なんか買ってあげる」
そう言ってマグカップあたりを手にしてみる那智さん。
さっきからずっと膨らんでいた涙腺がぱちんと弾けてしまった。
ああ、なんでこんなことが嬉しいのだろう。
プレゼントを買ってもらうことを、恐縮せず、額面通り、ただ受け取れるのがこんなにも心地よい。
「那智さん、これがいいです」
急いで来た通路を引き返し、ぽにゃぽにゃクマのぬいぐるみを持っていく。
それだけ那智さんに渡して店を出た。
背後で『プレゼントにしてください』という声を聞きながら。
泣いてしまいそうだったから、とにかく外に出た。
ガードレールに腰掛けたら、やっぱり涙が出てしまった。
まあ、でも支払いをしている横で泣くよりはましだろう。
ああ、かなりやばい人になってる。
うつむいて涙を見せないように、那智さんを待つ。
「はい」
リボンをかけられた袋を渡された。
「ありがとうございます;;」
「行くよ」
歩き出す那智さんについていく。
泣きながら待ち、プレゼントを受け取る。
もうそれだけでかなりやばいけど、もう、やばいついでだ、我慢するのをやめてしまえと思った。
私は好意を当然のように額面通り受け取る『女の子』になりたい。
「那智さん、出してもいいですか?」
「どうぞ〜」
リボンを外し袋からぽにゃぽにゃクマを出す。
気持ちいい。
片手にすっぽり収まるくらいの小さなぬいぐるみを胸に抱えている。
ああ、痛い女だよね。
だけど、ぬいぐるみの触り心地も、額面通り受け取れることも、女の子も気持ちよくて仕方がない。
右手で那智さんの腕を持ち、左手でぬいぐるみを抱える。
ぬいぐるみを可愛がる対象にして自分を可愛がる幼い子のようだ。
「那智さん、なんで私こんなので泣くんでしょうね;;」
「さあな、小さい頃のことがあるからじゃないの?」
あまり我関せずな感じ。
「そうでしょか;;」
さらさらと涙を流しながら、ああ、きっと違うと思っていた。
確かに、私が心底幸せになれなかったのは父が起因していることは間違いじゃない。
特に最初の頃は、それを渇望して那智さんがくれる父性のような愛情をぐんぐんと吸収していた。
それは埋めても埋めてもまだ欲しいと枯れることがなかったから、よほど『父』の影響だったんだなと思っていた。
でも、もう那智さんと出会って7年経つ。
なかなか普通の恋愛だけでは叶わないようなものを埋めてもらっている。
きっともう充分埋まっているはずだ。
それくらい那智さんはくれている。
だから、もうこれからは『生い立ち』や『父』の影響と思うのはやめようって思った。
もちろんはじまりはそうだった。
だけど今は違うんだ。
ただ単に、私は『そういう女』なんだ。
女の子のように。
気持ちよいことが大好きで。
ぬいぐるみを抱きしめるように、抱きしめてもらって。
好意を額面通り受け取れる。
この女の子として存在できる事実があれば穏やかに幸福を感じられる女なだけ、だということだ。
ずいぶん埋めてもらってもまだ涙が流れるのは、私はそれがただ欲しいというだけなんだろう。
そう思えることは、とても気持ちがラクになる。
父のことも、もちろん姉のことも責める気持ちはないつもりだった。
ここで生い立ちを書いたのも、責めるのではなくて自分を客観視して道を開きたいと思ったからだけど。
やっぱり他者を『原因』の対象にすることは、心地よいものではない。
全部自分のせいにすることはよくない。
でも、たくさん埋めてもらって、たくさん自分のこと考えて、もう充分と思えたら『原因』はなくていいよね。
私は、誰が『原因』でもなくて、もちろん自分のせいでもなくて。
ただ、そういう女だということ。
かなり『痛い』かもしれなけど^^;
私は、那智さんについていくだけのお散歩をして、好意を素直に受け取っていい『女の子』になりたい。
それがあるから、また幸福に穏やかに暮らしていける女だ。
それでいいと思う。
7年かかってそう思えた。
とても心地よい。
さらさらと泣きぬいぐるみを抱えながら、那智さんったらまだ『トラウマ』だと思ってる、今度この気持ちをお話ししなくちゃって思っていた。
人が満たされるものはいろいろだろうと思うけど。
私は6歳児がいい。
それで幸せになれる女と、それをさせて満足する男の組み合わせってだけのこと^^
少々痛いけど^^;
『原因』はなく、ただそうだと思えるほうが心地良いです。
注:しつこいけど、解決の糸口になるから原因を探ることは悪くないと思うのですよ。
もう充分と思える日が来るから、それにちゃんと気づくと気持ちがラクになったよってお話です^^
痛いついでに濃いのをリンクします〜♪
『私について(父性とシスターコンプレックス)12』
『毛布』
『お父さん1、2、3、4、5』
『6歳がいい』
『独特な幸福のススメ』
『ピンク1 2 3』