対等で上下
独特な幸福感
『ゴールを決めない』『ゴールを決めない理由』『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』の続きです。
那智さんとわたしの『上下関係』。
優劣ではなく、上下。
従わせたい人と、従いたい人。
守りたい人と、守られていたい人。
責任を持つ人と、委ねる人。
わたしが『下』でいるために、疑うことなく素直に受け取り、自分の心を偽ることなく素直に伝えることが課せられている。
それにより、安心や快感を得て、わたしの人生自体を豊かにすることができている。
那智さんはどうだろう。
『上』でいるために、わたしの素直な感情を受け止め、対処し、引き続き素直でいられるように責任を果たしてくれている。
それで、那智さんもわたしに対して疑うことなく、好きなことができるという良い循環ができている。
好きな女性を喜ばせ、自分も好きなように振る舞える。
一見等価交換のようにも見えるけど、やはり上下の『上』の責任は大きく、性的な場面でも日常生活でも那智さんなんでこんな大変なことを引き受けてるんだろう?とひと事のように思ってしまう^^;
那智さんの『その類いの力』を使ったら、とりあえず適当な距離を保ちながらも、ある程度女性を好きに扱えるくらいはできそうなのにね。(『その類いの力』(笑)、きっとねある一部の女性のツボ突くのうまいはずだ!!)
じゃあ、なぜ、こんな面倒なことを引き受けてくれているのでしょうか。
ところで
わたしは、本来は簡単に『あなたのために』という思考回路になってしまう女だ。
それにより増長する男をたくさん見てきた。
増長していく男を見下していくのは嫌な感情だし、『あなたのために』を当然とする人では尊敬できない。
だから、上下を叶えるために対等でいたいと思ってる。
できるだけ『あなたのために』回路を使わないようにしているし、那智さんもわかってくれている。
基本は『ふたりのために』だよね。
だれど、M女さんのブログなどで『ご主人様のために』と頑張っている様子を拝見すると、ほんの少し那智さんに申し訳ないような気持ちになったりもするのだ。
なんだか不出来な女のような気がして。
あるとき、こんなふうに聞いてみた。
『わたしも、那智さんのためにという思考回路になったほうがいいですか?』
その答え。
なんで?そりゃあ、たまにはそういうケースがあってもいいかもしれないけど、いつもそれじゃあ違うよね。
だって、常に俺のためにとりん子が動いたら、りん子主導になってるじゃん。
それはつまらない。
俺はプロデュースしたいんだから。
そうなんだ、那智さんはプロデュースしたいんだよね。
先日お会いしたときに熟桃さんがまさにぴったりな形容をしてくださって、物凄くうなずいたのですが。
(お名前出させていただきました〜、こんなエントリーにすみません、熟桃さん)
『那智さんはシェフだ』とおっしゃった。
自分の作った料理でもてなして、それで喜んでもらうことが喜びのシェフ。
喜んでもらうことが目的だからジャンルはそれほどこだわらずに、とにかく自分の作った物で喜ばせたいという思いが強い。(だからか〜、痛いことも露出もノーマルのいろいろするの^^)
熟桃さんの洞察にとても感心させていただきながら、これ以上ぴったりな形容はないな〜と喜んでしまってました。
そうなのですね。
那智さんはプロデューサーもしくはシェフ。
自分のすることで、相手を喜ばせたい。
その思いがとても強い人なのだ。
で、那智さんの『歪んでいる』ところは、それが強く、強いが故に
『普通、それ嫌がるよね』ということで喜ばせたいという嗜好と。(スカトロや、鞭だってそうだよね?)
人生そのものまで手がけてしまいたいという願望。
という、特殊なことをしようとしているところに現れているところだと思う。
そして、それは何に繋がっているかというと。
肯定。
それもちょっとやそっとじゃない、大大大肯定^^
サディストは違うと思うのだけど、ご主人様という立場を選ぶ人ってこの肯定してほしいという感情が根っこにあると思ってるの。
人は肯定してほしい生き物だけど、それが強いのではないかと。(『鼻くそ』にちょこっとだけ書きました)
それが『従わせる』ということで満たしているんじゃないかと思うのだ。
つらいことでもご主人様のために我慢して受け入れる、もしくは、そこから快感に繋がる。
つらいことでもそれを喜べるように仕込んで、普通嫌がるよねということで喜ぶ女にする。
ご主人様という人はこんなことで肯定を求めていると思う。
前者と後者、似てるけど違うと思う、どちらが良いかということじゃなけど、那智さんは後者の方法で肯定を感じたいのだと思う。
だから、シェフ^^
うわ、その食材!?…あ、でも、那智さんが作ったらおいしーーー♪みたいにね。
もうひとつ、那智さんを見ているととても愛情深い人だなと思う。
人によって捉え方は違うと思うけど、関わると決めた人にはとことん関わる様子を見ていると、薄情な人にはできないなと感じる。
那智さんは愛情を注ぎ、相手が豊かになっていくことで、この肯定感を満たしているんだと思う。
でね、これも那智さんとわたしが似ているなと感じるところなんだけど。
わたしの『○○のために』と思ってしまうことに代表されるぬるま湯状態は男性を増長させ、それにいつの間にか『りん子には何をしてもかまわない』と思わせてしまうところがあった。
那智さんの、上下しない感情表現と関わると決めた人に対する深い愛情は、受け取る側が自覚しないとただ甘えるだけになってしまう恐れがあるのだ。
どんなに那智さんが諭しても、受け取る側が甘えることが当然となってしまっては、関係はうまくいかない。
恐らく、那智さんも、違った道筋ではあるけど、増長されていく虚しさを感じたことがあるはずなんだ。
だから、多分那智さんは。
適正な愛情の注ぎ先を求めていたのだと思う。
那智さんの愛情の注ぎ方に対してねじれた気持ちになることなく素直に受け取り、素直に感情を表現する。
こういうことで、那智さんは大大大肯定を感じているのではないかと思うのです。
那智さんは
安心して従えるように。
伸び伸びと生きられるように守り。
委ねたことの責任を取る。
一見とても面倒なことを引き受けているようだけど、それにより他では得ることのできない肯定感を満たしているんじゃないかと思うのです。
これをほしいと思うことが那智さんの『歪み』だと思ってます。
だってね、いくら他で得ることのできないといっても、やっぱりかなり面倒ですものね。
面倒でも大変でもしたいと思うことが那智さんの『歪み』。
で、この歪みが、先天的なものか後天的なものか、まだ探れていないのです。
探れるのはわたしだけだと思うのだけど。
わたし、那智さんみたいにとことん付き合う自信がないから、いまのところしないでいるのです^^
まあ上下の『下』なので、する必要もないかと思ってるけど、何十年かして他に掘り起こすことがなくなったら着手しようかなと、ふたりして思うかもしれないですね、那智さん。
わたしは那智さんの手のひらに乗せてもらって安心して委ねさせてもらうことで、愛される価値があると思えるようになり。
那智さんは、手のひらのわたしが幸せそうに、素直に泣いたり笑ったり眠ったり驚いたりしているのを眺めて、肯定されていると感じることができている。
わたしが、お手間取らせてしまって申し訳ないなと思いながらも自分を卑下することなくいられるのは、わたしの存在が那智さんの幸福に繋がっていると思えるから。
しかも、多分、そこは那智さんの『歪み』なので、恐らく尋常じゃない幸福に繋がっているはずなんだ。
歪みは叶えば、それはきっとすごーい幸福になると思うのです、わたしの父性を求める歪みのように。
互いの存在が同じように相手を幸せにできているから、優劣のないと思える。
これが、対等な上下関係。
お互い人間同士なので、ときどき立ち止まり話し合ったり解決したりもするけれど、基本はこの関係。
これを対等な上下関係と思っているのです。
相手の、特に『上』の歪みを認め合って、それを書いているところなんてあんまりないよね^^;
でも、那智さんのその歪みはとても人間味溢れて、全知全能の神よりもずっと魅力的に思える。
そして、『上』でありながら、歪みを披露するを許してくれて、むしろわたしが伸び伸びと書くことを喜んでくれている。
そんな那智さんは、すごーく『上』だと思うのだ^^
気がつけば4回に渡ってしまったけど、はじめて自分なりに『対等で上下』を言葉に表せたような気がします。
とても個人的なお話にお付き合いくださって、ありがとうございました。
わたし的には、すーっきりです^^
あ、でも、やっぱり、多分、いや絶対、那智さんのほうが大変。
歪みなんて言っちゃってるけど、わたしはその歪みに感謝なのでした^^
『ゴールを決めない』『ゴールを決めない理由』『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』の続きです。
那智さんとわたしの『上下関係』。
優劣ではなく、上下。
従わせたい人と、従いたい人。
守りたい人と、守られていたい人。
責任を持つ人と、委ねる人。
わたしが『下』でいるために、疑うことなく素直に受け取り、自分の心を偽ることなく素直に伝えることが課せられている。
それにより、安心や快感を得て、わたしの人生自体を豊かにすることができている。
那智さんはどうだろう。
『上』でいるために、わたしの素直な感情を受け止め、対処し、引き続き素直でいられるように責任を果たしてくれている。
それで、那智さんもわたしに対して疑うことなく、好きなことができるという良い循環ができている。
好きな女性を喜ばせ、自分も好きなように振る舞える。
一見等価交換のようにも見えるけど、やはり上下の『上』の責任は大きく、性的な場面でも日常生活でも那智さんなんでこんな大変なことを引き受けてるんだろう?とひと事のように思ってしまう^^;
那智さんの『その類いの力』を使ったら、とりあえず適当な距離を保ちながらも、ある程度女性を好きに扱えるくらいはできそうなのにね。(『その類いの力』(笑)、きっとねある一部の女性のツボ突くのうまいはずだ!!)
じゃあ、なぜ、こんな面倒なことを引き受けてくれているのでしょうか。
ところで
わたしは、本来は簡単に『あなたのために』という思考回路になってしまう女だ。
それにより増長する男をたくさん見てきた。
増長していく男を見下していくのは嫌な感情だし、『あなたのために』を当然とする人では尊敬できない。
だから、上下を叶えるために対等でいたいと思ってる。
できるだけ『あなたのために』回路を使わないようにしているし、那智さんもわかってくれている。
基本は『ふたりのために』だよね。
だれど、M女さんのブログなどで『ご主人様のために』と頑張っている様子を拝見すると、ほんの少し那智さんに申し訳ないような気持ちになったりもするのだ。
なんだか不出来な女のような気がして。
あるとき、こんなふうに聞いてみた。
『わたしも、那智さんのためにという思考回路になったほうがいいですか?』
その答え。
なんで?そりゃあ、たまにはそういうケースがあってもいいかもしれないけど、いつもそれじゃあ違うよね。
だって、常に俺のためにとりん子が動いたら、りん子主導になってるじゃん。
それはつまらない。
俺はプロデュースしたいんだから。
そうなんだ、那智さんはプロデュースしたいんだよね。
先日お会いしたときに熟桃さんがまさにぴったりな形容をしてくださって、物凄くうなずいたのですが。
(お名前出させていただきました〜、こんなエントリーにすみません、熟桃さん)
『那智さんはシェフだ』とおっしゃった。
自分の作った料理でもてなして、それで喜んでもらうことが喜びのシェフ。
喜んでもらうことが目的だからジャンルはそれほどこだわらずに、とにかく自分の作った物で喜ばせたいという思いが強い。(だからか〜、痛いことも露出もノーマルのいろいろするの^^)
熟桃さんの洞察にとても感心させていただきながら、これ以上ぴったりな形容はないな〜と喜んでしまってました。
そうなのですね。
那智さんはプロデューサーもしくはシェフ。
自分のすることで、相手を喜ばせたい。
その思いがとても強い人なのだ。
で、那智さんの『歪んでいる』ところは、それが強く、強いが故に
『普通、それ嫌がるよね』ということで喜ばせたいという嗜好と。(スカトロや、鞭だってそうだよね?)
人生そのものまで手がけてしまいたいという願望。
という、特殊なことをしようとしているところに現れているところだと思う。
そして、それは何に繋がっているかというと。
肯定。
それもちょっとやそっとじゃない、大大大肯定^^
サディストは違うと思うのだけど、ご主人様という立場を選ぶ人ってこの肯定してほしいという感情が根っこにあると思ってるの。
人は肯定してほしい生き物だけど、それが強いのではないかと。(『鼻くそ』にちょこっとだけ書きました)
それが『従わせる』ということで満たしているんじゃないかと思うのだ。
つらいことでもご主人様のために我慢して受け入れる、もしくは、そこから快感に繋がる。
つらいことでもそれを喜べるように仕込んで、普通嫌がるよねということで喜ぶ女にする。
ご主人様という人はこんなことで肯定を求めていると思う。
前者と後者、似てるけど違うと思う、どちらが良いかということじゃなけど、那智さんは後者の方法で肯定を感じたいのだと思う。
だから、シェフ^^
うわ、その食材!?…あ、でも、那智さんが作ったらおいしーーー♪みたいにね。
もうひとつ、那智さんを見ているととても愛情深い人だなと思う。
人によって捉え方は違うと思うけど、関わると決めた人にはとことん関わる様子を見ていると、薄情な人にはできないなと感じる。
那智さんは愛情を注ぎ、相手が豊かになっていくことで、この肯定感を満たしているんだと思う。
でね、これも那智さんとわたしが似ているなと感じるところなんだけど。
わたしの『○○のために』と思ってしまうことに代表されるぬるま湯状態は男性を増長させ、それにいつの間にか『りん子には何をしてもかまわない』と思わせてしまうところがあった。
那智さんの、上下しない感情表現と関わると決めた人に対する深い愛情は、受け取る側が自覚しないとただ甘えるだけになってしまう恐れがあるのだ。
どんなに那智さんが諭しても、受け取る側が甘えることが当然となってしまっては、関係はうまくいかない。
恐らく、那智さんも、違った道筋ではあるけど、増長されていく虚しさを感じたことがあるはずなんだ。
だから、多分那智さんは。
適正な愛情の注ぎ先を求めていたのだと思う。
那智さんの愛情の注ぎ方に対してねじれた気持ちになることなく素直に受け取り、素直に感情を表現する。
こういうことで、那智さんは大大大肯定を感じているのではないかと思うのです。
那智さんは
安心して従えるように。
伸び伸びと生きられるように守り。
委ねたことの責任を取る。
一見とても面倒なことを引き受けているようだけど、それにより他では得ることのできない肯定感を満たしているんじゃないかと思うのです。
これをほしいと思うことが那智さんの『歪み』だと思ってます。
だってね、いくら他で得ることのできないといっても、やっぱりかなり面倒ですものね。
面倒でも大変でもしたいと思うことが那智さんの『歪み』。
で、この歪みが、先天的なものか後天的なものか、まだ探れていないのです。
探れるのはわたしだけだと思うのだけど。
わたし、那智さんみたいにとことん付き合う自信がないから、いまのところしないでいるのです^^
まあ上下の『下』なので、する必要もないかと思ってるけど、何十年かして他に掘り起こすことがなくなったら着手しようかなと、ふたりして思うかもしれないですね、那智さん。
わたしは那智さんの手のひらに乗せてもらって安心して委ねさせてもらうことで、愛される価値があると思えるようになり。
那智さんは、手のひらのわたしが幸せそうに、素直に泣いたり笑ったり眠ったり驚いたりしているのを眺めて、肯定されていると感じることができている。
わたしが、お手間取らせてしまって申し訳ないなと思いながらも自分を卑下することなくいられるのは、わたしの存在が那智さんの幸福に繋がっていると思えるから。
しかも、多分、そこは那智さんの『歪み』なので、恐らく尋常じゃない幸福に繋がっているはずなんだ。
歪みは叶えば、それはきっとすごーい幸福になると思うのです、わたしの父性を求める歪みのように。
互いの存在が同じように相手を幸せにできているから、優劣のないと思える。
これが、対等な上下関係。
お互い人間同士なので、ときどき立ち止まり話し合ったり解決したりもするけれど、基本はこの関係。
これを対等な上下関係と思っているのです。
相手の、特に『上』の歪みを認め合って、それを書いているところなんてあんまりないよね^^;
でも、那智さんのその歪みはとても人間味溢れて、全知全能の神よりもずっと魅力的に思える。
そして、『上』でありながら、歪みを披露するを許してくれて、むしろわたしが伸び伸びと書くことを喜んでくれている。
そんな那智さんは、すごーく『上』だと思うのだ^^
気がつけば4回に渡ってしまったけど、はじめて自分なりに『対等で上下』を言葉に表せたような気がします。
とても個人的なお話にお付き合いくださって、ありがとうございました。
わたし的には、すーっきりです^^
あ、でも、やっぱり、多分、いや絶対、那智さんのほうが大変。
歪みなんて言っちゃってるけど、わたしはその歪みに感謝なのでした^^