恋愛至上主義
りん子的独り言(生意気)
『りん子的独り言(生意気)』はSMや主従に対してわたしの考えを主張します。
ときに批判的なことも書きますが、すべて『それで苦しい人』に向けて書いています。
同じ名称を使っていても幸福を感じている人には、祝福の気持ちです。
今日のエントリーは『女は』や『人は』と断定して書きますが、何事も100%ということはあり得ませんので、この断定は『わたしのような人』というカテゴリの中での断定だと思ってください。(それでも100%はないけどね)
すべての女性が幸福なセックスができますように、願いと怒りを込めて。
(今回は少々感情的です!!)
SMに恋愛感情は邪魔。
主従は恋愛とは違う。
そういう言葉を目にすると腹が立つ。
単に恋愛感情から発生する面倒なことから逃げる言い訳にしか、わたしには思えないからだ。
嫉妬や猜疑心や独占欲。
他の奴隷さんに嫉妬したり、メールをいただけないことを疑ったり、かまってほしがったり、こういうことに対処するのが面倒だから「主従には、SMには恋愛不要」と言っているように思えてしまう。
でもね、感情は地続きだ。
どこからが恋でどこからが愛で、どこからが親愛か、線引きできるものじゃないよね。
線引きできるものじゃないのだから、当然感情だって線引きできない。
この関係になったから、この感情は『はい、なくなりました!!』なんてことにはならない。
兄弟愛とか言ったって兄弟の間で嫉妬は起こるし、親だって子供を疑うし、どんな愛だって、どんな関係だって、そこに感情がある限り人の面倒な感情はついて回るものだ。
人間じゃない犬でさえ、嫉妬するじゃないか。
それを『主従に恋愛感情は不要』という大義のもとに、たくさんの面倒な感情を引き受けることを放棄しているように見えるのはわたしだけだろうか。
人間は感情を持つ、その感情は地続きだ。
何かの感情だけをなくすなんて無謀なこと。
まして、女は体を開き、快感をくれた相手に恋らしきものをする。(ここ重要)
だから苦しいのだ。
ならば、いっそ最初から感情自体を持つなと言ってくれないだろうか。
(だから、忠誠とか献身とかの感情もなしね^^)
『主従愛』なんて、美しい言葉でラッピングするな。
恋愛感情を持たせず、それでも愛情があると目をくらませ、免罪符にするな。
仮に恋愛感情ではない、主従愛という物が存在するなら『主』の愛をしっかりたっぷり見せてみろ。
それが充分足りているなら、もしかした恋愛感情を持たずに主を愛するというお望み通りの従ができるかもしれない。
それでも、どんな関係にだって面倒な感情はついて回ると思うけど、その都度『主愛』でなんとか向き合っていただきたいものだ。
ブログで拝見していただけの情報だけど、以前、『奴隷に恋愛感情は持つな』といい、それを(おそらく)徹底している男性がいた。
わたしはその考えは好きではなかったけど、彼のことは嫌いじゃなかった。
なぜなら、彼は『恋愛はするな』と言いながら、十分、奴隷さんたちを大事にしていたのだ。
相談に乗ったりよくご飯やカラオケしたりして遊んでいた。
彼は奴隷さんの面倒にはずいぶん付き合っている様子だった。
お父さんとか保護者のような感じ、きっと、そういう関係もあるんだろうね。
ようは恋愛感情が不要な根拠に、面倒なことを排除する意図があるかないかの違いだろう。
そして、見聞きする多くの『恋愛不要』のご主人様からはその意図が感じられてしまうんだよね。
鞭で大騒ぎして高笑いして、ボロボロと涙を流す。
汗と涙で髪が張り付いた頬を優しく撫で、慈しみと欲情のキスをされる。
恋しい那智さんにぐちゃぐちゃにされるのは、たまらない幸せ。
床に正座をして見上げる視線の先には尊敬し畏怖の念さえ抱く那智さん。
そのタバコの煙に細める目に胸がきゅうとなる。
恋愛してなきゃ味わえない。
わたしにとってSM行為のよろこびにも上下の下の幸福にも、恋愛感情は必要不可欠な感情だ。
女は恋した男に体を開くほうが、ずっとずっと幸福なんだ。
男の勝手な都合で、女の恋心を奪うな。
注:
対象男性に恋愛感情を持ちたくない、もしくは、恋愛感情から来る嫉妬などの感情を押さえ込む快感を求めている女性は、その限りではありません^^
<関連エントリー>
『恋心も支配して♪』
『秘訣』
『秘訣の続き』
恋していても従えるし畏怖の念も抱くのよ、それは、その男の力量次第
『畏怖の念』
『わたしの「従う」』
「等式」感想です。男性目線で考えると、自分の欲しい物、相手の欲しい物が一致しているかどうかが、問題だと思う。そして、自分がどこまで入り込みたいのか、相手にどこまで入り込んで欲しいのかも当然意識しなければならない。その結果、相手をセーブする目的であったり、自己制御する目的で、 方便として、「主従」関係を使うのはありかと思う。それはつき合い初期の時間を超えたら、お互いの合意や了解が必要だと思う。りん子は「男の勝手な都合で、女の恋心を奪うな。」と言うが、基本的にご主人様を選択する権利は奴隷さんや従者さんにあるので、その主張を理解する事のは私には難しい。
『りん子的独り言(生意気)』はSMや主従に対してわたしの考えを主張します。
ときに批判的なことも書きますが、すべて『それで苦しい人』に向けて書いています。
同じ名称を使っていても幸福を感じている人には、祝福の気持ちです。
今日のエントリーは『女は』や『人は』と断定して書きますが、何事も100%ということはあり得ませんので、この断定は『わたしのような人』というカテゴリの中での断定だと思ってください。(それでも100%はないけどね)
すべての女性が幸福なセックスができますように、願いと怒りを込めて。
(今回は少々感情的です!!)
SMに恋愛感情は邪魔。
主従は恋愛とは違う。
そういう言葉を目にすると腹が立つ。
単に恋愛感情から発生する面倒なことから逃げる言い訳にしか、わたしには思えないからだ。
嫉妬や猜疑心や独占欲。
他の奴隷さんに嫉妬したり、メールをいただけないことを疑ったり、かまってほしがったり、こういうことに対処するのが面倒だから「主従には、SMには恋愛不要」と言っているように思えてしまう。
でもね、感情は地続きだ。
どこからが恋でどこからが愛で、どこからが親愛か、線引きできるものじゃないよね。
線引きできるものじゃないのだから、当然感情だって線引きできない。
この関係になったから、この感情は『はい、なくなりました!!』なんてことにはならない。
兄弟愛とか言ったって兄弟の間で嫉妬は起こるし、親だって子供を疑うし、どんな愛だって、どんな関係だって、そこに感情がある限り人の面倒な感情はついて回るものだ。
人間じゃない犬でさえ、嫉妬するじゃないか。
それを『主従に恋愛感情は不要』という大義のもとに、たくさんの面倒な感情を引き受けることを放棄しているように見えるのはわたしだけだろうか。
人間は感情を持つ、その感情は地続きだ。
何かの感情だけをなくすなんて無謀なこと。
まして、女は体を開き、快感をくれた相手に恋らしきものをする。(ここ重要)
だから苦しいのだ。
ならば、いっそ最初から感情自体を持つなと言ってくれないだろうか。
(だから、忠誠とか献身とかの感情もなしね^^)
『主従愛』なんて、美しい言葉でラッピングするな。
恋愛感情を持たせず、それでも愛情があると目をくらませ、免罪符にするな。
仮に恋愛感情ではない、主従愛という物が存在するなら『主』の愛をしっかりたっぷり見せてみろ。
それが充分足りているなら、もしかした恋愛感情を持たずに主を愛するというお望み通りの従ができるかもしれない。
それでも、どんな関係にだって面倒な感情はついて回ると思うけど、その都度『主愛』でなんとか向き合っていただきたいものだ。
ブログで拝見していただけの情報だけど、以前、『奴隷に恋愛感情は持つな』といい、それを(おそらく)徹底している男性がいた。
わたしはその考えは好きではなかったけど、彼のことは嫌いじゃなかった。
なぜなら、彼は『恋愛はするな』と言いながら、十分、奴隷さんたちを大事にしていたのだ。
相談に乗ったりよくご飯やカラオケしたりして遊んでいた。
彼は奴隷さんの面倒にはずいぶん付き合っている様子だった。
お父さんとか保護者のような感じ、きっと、そういう関係もあるんだろうね。
ようは恋愛感情が不要な根拠に、面倒なことを排除する意図があるかないかの違いだろう。
そして、見聞きする多くの『恋愛不要』のご主人様からはその意図が感じられてしまうんだよね。
鞭で大騒ぎして高笑いして、ボロボロと涙を流す。
汗と涙で髪が張り付いた頬を優しく撫で、慈しみと欲情のキスをされる。
恋しい那智さんにぐちゃぐちゃにされるのは、たまらない幸せ。
床に正座をして見上げる視線の先には尊敬し畏怖の念さえ抱く那智さん。
そのタバコの煙に細める目に胸がきゅうとなる。
恋愛してなきゃ味わえない。
わたしにとってSM行為のよろこびにも上下の下の幸福にも、恋愛感情は必要不可欠な感情だ。
女は恋した男に体を開くほうが、ずっとずっと幸福なんだ。
男の勝手な都合で、女の恋心を奪うな。
注:
対象男性に恋愛感情を持ちたくない、もしくは、恋愛感情から来る嫉妬などの感情を押さえ込む快感を求めている女性は、その限りではありません^^
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『恋心も支配して♪』
『秘訣』
『秘訣の続き』
恋していても従えるし畏怖の念も抱くのよ、それは、その男の力量次第
『畏怖の念』
『わたしの「従う」』
「等式」感想です。男性目線で考えると、自分の欲しい物、相手の欲しい物が一致しているかどうかが、問題だと思う。そして、自分がどこまで入り込みたいのか、相手にどこまで入り込んで欲しいのかも当然意識しなければならない。その結果、相手をセーブする目的であったり、自己制御する目的で、 方便として、「主従」関係を使うのはありかと思う。それはつき合い初期の時間を超えたら、お互いの合意や了解が必要だと思う。りん子は「男の勝手な都合で、女の恋心を奪うな。」と言うが、基本的にご主人様を選択する権利は奴隷さんや従者さんにあるので、その主張を理解する事のは私には難しい。
ヘビーローテーション
独り言
その新郎はすこしクセのある人だった。
まず初対面のとき、こちらを警戒しているのか打ち解けようという姿勢が感じられない。
もちろん、人見知りの人だっているし全部新婦任せの人もいるもので、めずらしいことではないし、まったくかまわない。
その警戒心や見えない壁を取り払い、こちらを信頼してもらうこともわたしのやるべきことだから。
その新郎も最初はそういう印象だった。
最初の雑談から進行の打ち合わせに進む中、そのちょっとクセのある部分が感じられるようになってくる。
主に、わたしと新婦が中心となって会話を進めるのだけど、ときどき新郎が口を挟む。
たとえば、乾杯からケーキ入刀の流れを話していると「なぜ、乾杯の後にケーキ入刀をするのか」と聞いてくる。
もちろん、疑問に思ったことは聞いてもらってかまわない、わたしなりの根拠をきちんと説明すればいいだけのこと。
それで、じゃあ、ケーキ入刀の順番を変えるのかというとそういうわけではないらしく、進行の修正を投げかけてみるけどそのままでかまわないのだ。
どうやら、疑問を疑問のまま放っておけない人のよう。
異議はないのだけど、納得したい人なのだろう。
納得しないまま何かを決定すると、後々ちょっと厄介な人なのかもしれない。
その都度、新郎の意見を気にかける新婦の様子を見ていると、どうやら日頃からそんな感じなのだろうなぁと想像できる。
質問の度に、新婦は新郎の意向を汲もうと気にかけるし、打ち合わせはストップするし、なかなかクセのある人だぞと思いながら、こういう人の信頼を勝ち取るにはひとつひとつ真摯にわたしの意見を言っていくしかない。
腰を据えて、打ち合わせを続けた(その割に、新郎自身が長居したくなさそうな雰囲気出すのよ^^;)
この新郎、頭は薄くなっているし、申し訳ないけどお世辞にも美形とは言い難かった。
新婦の気遣う様子なんかを見ていると、その部分もあまりいい男とは思えないな〜と思っていた(わたし、女に気を使わせる男はいい男だと思わないので)
言っちゃあ悪いけど、新婦のほうがいい女のようにさえ感じられてしまうのだけど、その新婦が新郎の好きなところを『気配りができるところと友達思いなところ』を挙げていて、わたしはまだこの新郎の良さを掴めていなぞと、打ち合わせをしながら焦る気持ちになる。
悪い人ではないのだろうけど、これ!!という祝福の種が見つけられずに
新婦の真面目な感じと新郎に気遣っている様子を祝福の種にして当日に臨むことにした。
当日。
新郎、ちょっぴり緊張しているみたい、アテンドの男性スタッフの案内に「はい!!」と大きな声で礼儀正しく返事をしている。
『友達思い』ということがなんだかうなずけるように、学生時代からの友人や趣味のサークル仲間や海外からの祝電や、新郎の周りには友達が溢れていた。
その友達に対してさえ、アテンドのスタッフにするような礼儀正しい雰囲気が感じられていた。
余興の〆は新郎側の学生時代の数人が寸劇風に出し物、内容は新婦にはナイショ。
セーラー服に着替えてAKBの『カチューシャ』をワンフレーズ踊り、やっぱりセンターは新郎だよねと、新郎を高砂から呼んで『ヘビーローテーション』。
新郎も仕込みすみだったのだ。
新婦はびっくり大喜び。
I want you!
I need you!
I love you!
スポットライトが当たる中、新婦に向かって『I want you!』とまっすぐ腕を伸ばし、指を指す新郎。
頭の中
ガンガン鳴ってるMUSIC
ヘビーローテーション
ひとつのテレも見せずに完璧に全身全霊でAKBを躍りきる。
やばい、新郎、カッコいいじゃん。
背が低くて頭薄くて、でも、めちゃくちゃカッコいい。
新婦がこの新郎を好きになった気持ちがすこしわかったような気がする。
ちょっと面倒な男なんだとは思う。
納得しないと動かなそうだし、たぶん、打ち解けるのに時間かかるような人かもしれない。
だけど、きっと納得したことや大切だと思った人は裏切らないと思わせる真面目さがあるのだろう。
新婦はもちろん一緒に余興をやってくれた友人に対して、手を抜かず真剣に躍る人なんだろう。
大切なためにひと肌脱いでくれる。
たぶん、そこが彼の魅力なのかな。
女のためにひと肌脱ぐことを惜しまない男は、カッコいい。
新婦、うるうるしている。
タキシード姿で『ヘビーローテーション』を躍る新郎を見ながら、なんだか、わたしまで新婦の気持ちになってしまって、ちょっとうるっとしてしまった。
いま、書きながらもうるっとしているわたし^^;
人には良いところと悪いところ、普通のところだってたくさんある。
その中で人の良いところを見つけることができるわたしの仕事は、幸せだなって思うのでした^^
その新郎はすこしクセのある人だった。
まず初対面のとき、こちらを警戒しているのか打ち解けようという姿勢が感じられない。
もちろん、人見知りの人だっているし全部新婦任せの人もいるもので、めずらしいことではないし、まったくかまわない。
その警戒心や見えない壁を取り払い、こちらを信頼してもらうこともわたしのやるべきことだから。
その新郎も最初はそういう印象だった。
最初の雑談から進行の打ち合わせに進む中、そのちょっとクセのある部分が感じられるようになってくる。
主に、わたしと新婦が中心となって会話を進めるのだけど、ときどき新郎が口を挟む。
たとえば、乾杯からケーキ入刀の流れを話していると「なぜ、乾杯の後にケーキ入刀をするのか」と聞いてくる。
もちろん、疑問に思ったことは聞いてもらってかまわない、わたしなりの根拠をきちんと説明すればいいだけのこと。
それで、じゃあ、ケーキ入刀の順番を変えるのかというとそういうわけではないらしく、進行の修正を投げかけてみるけどそのままでかまわないのだ。
どうやら、疑問を疑問のまま放っておけない人のよう。
異議はないのだけど、納得したい人なのだろう。
納得しないまま何かを決定すると、後々ちょっと厄介な人なのかもしれない。
その都度、新郎の意見を気にかける新婦の様子を見ていると、どうやら日頃からそんな感じなのだろうなぁと想像できる。
質問の度に、新婦は新郎の意向を汲もうと気にかけるし、打ち合わせはストップするし、なかなかクセのある人だぞと思いながら、こういう人の信頼を勝ち取るにはひとつひとつ真摯にわたしの意見を言っていくしかない。
腰を据えて、打ち合わせを続けた(その割に、新郎自身が長居したくなさそうな雰囲気出すのよ^^;)
この新郎、頭は薄くなっているし、申し訳ないけどお世辞にも美形とは言い難かった。
新婦の気遣う様子なんかを見ていると、その部分もあまりいい男とは思えないな〜と思っていた(わたし、女に気を使わせる男はいい男だと思わないので)
言っちゃあ悪いけど、新婦のほうがいい女のようにさえ感じられてしまうのだけど、その新婦が新郎の好きなところを『気配りができるところと友達思いなところ』を挙げていて、わたしはまだこの新郎の良さを掴めていなぞと、打ち合わせをしながら焦る気持ちになる。
悪い人ではないのだろうけど、これ!!という祝福の種が見つけられずに
新婦の真面目な感じと新郎に気遣っている様子を祝福の種にして当日に臨むことにした。
当日。
新郎、ちょっぴり緊張しているみたい、アテンドの男性スタッフの案内に「はい!!」と大きな声で礼儀正しく返事をしている。
『友達思い』ということがなんだかうなずけるように、学生時代からの友人や趣味のサークル仲間や海外からの祝電や、新郎の周りには友達が溢れていた。
その友達に対してさえ、アテンドのスタッフにするような礼儀正しい雰囲気が感じられていた。
余興の〆は新郎側の学生時代の数人が寸劇風に出し物、内容は新婦にはナイショ。
セーラー服に着替えてAKBの『カチューシャ』をワンフレーズ踊り、やっぱりセンターは新郎だよねと、新郎を高砂から呼んで『ヘビーローテーション』。
新郎も仕込みすみだったのだ。
新婦はびっくり大喜び。
I want you!
I need you!
I love you!
スポットライトが当たる中、新婦に向かって『I want you!』とまっすぐ腕を伸ばし、指を指す新郎。
頭の中
ガンガン鳴ってるMUSIC
ヘビーローテーション
ひとつのテレも見せずに完璧に全身全霊でAKBを躍りきる。
やばい、新郎、カッコいいじゃん。
背が低くて頭薄くて、でも、めちゃくちゃカッコいい。
新婦がこの新郎を好きになった気持ちがすこしわかったような気がする。
ちょっと面倒な男なんだとは思う。
納得しないと動かなそうだし、たぶん、打ち解けるのに時間かかるような人かもしれない。
だけど、きっと納得したことや大切だと思った人は裏切らないと思わせる真面目さがあるのだろう。
新婦はもちろん一緒に余興をやってくれた友人に対して、手を抜かず真剣に躍る人なんだろう。
大切なためにひと肌脱いでくれる。
たぶん、そこが彼の魅力なのかな。
女のためにひと肌脱ぐことを惜しまない男は、カッコいい。
新婦、うるうるしている。
タキシード姿で『ヘビーローテーション』を躍る新郎を見ながら、なんだか、わたしまで新婦の気持ちになってしまって、ちょっとうるっとしてしまった。
いま、書きながらもうるっとしているわたし^^;
人には良いところと悪いところ、普通のところだってたくさんある。
その中で人の良いところを見つけることができるわたしの仕事は、幸せだなって思うのでした^^
小春日和に
独り言
小春日和の心地よい日。
30万記念『スカイプおしゃべり企画』が開催されました。
記念企画のことを書くつもりはなかったということもあり、事前にブログに書くことの了解をいただいていなかったの、詳細は割愛いたしますが。
参加表明してくださった皆様全員とお話しすることができて、本当に充実した時間でした。
飲食しながらおしゃべりさせていただく失礼をお許しいただき、この日は、わたしたちはバーベキューをしながらスカイプをしたので(世の中便利になりました^^)、こちらはリラックスした気分でお話しすることができました。
旧ブログ時代からの方、何度かメールでやり取りしている方、まったくはじめましてで手を挙げてくださった方、どなたとも一度もお会いしたことはありませんが、『等式』という共通認識だけでこんなにいろいろなお話しができるということは、きっと、『等式』は話題のひとつというだけで、それぞれ魅力的な方だからだろうなと思います。
『女の子』や『お父さん』、意外と活動範囲が近くて盛り上がったり、はじめて話す人にどれだけ充実した時間を過ごしていただけるか心配していたことは杞憂に終わりました^^
そんな魅力的な方々が見てくれるブログを作ることができたこと、那智さんもわたしも喜んでいます。
スカイプの最中、主にわたしがおしゃべり担当でときどき那智さんが質問したり答えたりだったけど、基本準備や焼きや片付けや、ずっと動いてくれていました。
全部、終了して、わたしがトイレから戻ると那智さんベンチで寝てしまっていました。
きっとお疲れだったのでしょう^^
いつも、その状況の中でいかに自分とわたしを楽しませるか最善を尽くしてくれる那智さん。
それに乗っかり楽しませてもらえるわたしは、お膝を提供することくらいしかお礼ができず、しばらく海を眺めながらスカイプの余韻を満喫していました^^
こんな時間が過ごせたのも、企画に参加してくださった皆様のおかげ^^
参加してくださった皆様、貴重なお時間をちょうだいいたしまして感謝です。
音声が悪かったり、認証な上手にできなかったりでごめんなさい。
次、記念企画があるかどうかはわからないけど、もしあったら、皆さんお気軽に^^
初冬の温かい日差しの中、心地よい時間でした^^
小春日和の心地よい日。
30万記念『スカイプおしゃべり企画』が開催されました。
記念企画のことを書くつもりはなかったということもあり、事前にブログに書くことの了解をいただいていなかったの、詳細は割愛いたしますが。
参加表明してくださった皆様全員とお話しすることができて、本当に充実した時間でした。
飲食しながらおしゃべりさせていただく失礼をお許しいただき、この日は、わたしたちはバーベキューをしながらスカイプをしたので(世の中便利になりました^^)、こちらはリラックスした気分でお話しすることができました。
旧ブログ時代からの方、何度かメールでやり取りしている方、まったくはじめましてで手を挙げてくださった方、どなたとも一度もお会いしたことはありませんが、『等式』という共通認識だけでこんなにいろいろなお話しができるということは、きっと、『等式』は話題のひとつというだけで、それぞれ魅力的な方だからだろうなと思います。
『女の子』や『お父さん』、意外と活動範囲が近くて盛り上がったり、はじめて話す人にどれだけ充実した時間を過ごしていただけるか心配していたことは杞憂に終わりました^^
そんな魅力的な方々が見てくれるブログを作ることができたこと、那智さんもわたしも喜んでいます。
スカイプの最中、主にわたしがおしゃべり担当でときどき那智さんが質問したり答えたりだったけど、基本準備や焼きや片付けや、ずっと動いてくれていました。
全部、終了して、わたしがトイレから戻ると那智さんベンチで寝てしまっていました。
きっとお疲れだったのでしょう^^
いつも、その状況の中でいかに自分とわたしを楽しませるか最善を尽くしてくれる那智さん。
それに乗っかり楽しませてもらえるわたしは、お膝を提供することくらいしかお礼ができず、しばらく海を眺めながらスカイプの余韻を満喫していました^^
こんな時間が過ごせたのも、企画に参加してくださった皆様のおかげ^^
参加してくださった皆様、貴重なお時間をちょうだいいたしまして感謝です。
音声が悪かったり、認証な上手にできなかったりでごめんなさい。
次、記念企画があるかどうかはわからないけど、もしあったら、皆さんお気軽に^^
初冬の温かい日差しの中、心地よい時間でした^^
大人だからね
独特な幸福感
同化願望のあるわたしは那智さんになんでも知っておいてほしい。
だから、今日もせっせと報告する。
買い物で出るときに「お買い物でーす。」。
お仕事しながらの片手間チャットだけど、時間帯によっては比較的お返事もらえる率は高い。
でも、お返事をいただければもちろんうれしいし、なくてもかまわない。
お知らせできることと知っておいてもらえることが大事なのだ。
今日はお返事いただけた。
はーい
お水飲むんだよ〜
はうう。
子ども扱いぃぃ〜。
8月の暑い最中だった。
熱中症対策の水分補給をいっている。
どこまで本気で言っているのか定かではないけれど、那智さんはときどきわたしに小さい子に言うようなことを言う。
自転車に乗っていることを伝えたら「転ばないようにね〜」
携帯の調子が悪ければ「今日は携帯の機嫌が悪いんだね」
さすがにわたしも大人なので、熱中症対策に水分も補給するし携帯がご機嫌で左右するとも思わない(あ、ちょっとはアリと思う節もあるけど^^;)のは那智さんもわかっているはずだから、りん子が喜ぶし、そういうの得意だから遊んでいる気持ちが大きいのだとは思う。
それでも、まんまと喜び、ホクホクと幸せな気持ちになる。
那智さんに子ども扱いされるのは幸せ。
でも、本当に幸せなことは、大人と認識されている上での子ども扱いなのではないだろうか。
『子ども扱い』というものは一歩間違えれば、その対象をバカにしていることの現れになることもある。
『おまえはバカだなぁ、おまえは何にもできないよな〜』といわれることは、ある種自分より低くしておきたいがためのコントロールの言葉だったりする。
これを身体的精神的苦痛のもとに発すると立派なDVの構図ができあがるのだけど、それはちょっと置いといて。
『まったく、もう、バカだなぁ、でもかわいいやつ』というニュアンスだったとしても、一歩踏み外せば相手をバカにすることで優位に立とうとする立ち位置のコントロール。
それが『かわいいやつ』というニュアンスだったりするから、こちらも甘受しがちだから危険だよね。
那智さんからしたら、まだまだわたしは手がかかることもあるかもしれない。
でも、那智さんはわたしをバカにしていないし、尊敬するところもあるはずだし、何より成長させようと長年努めてくれている。
だから、上下の下ではあるけれど、子ども扱いを喜んじゃうけれど、それは大人であるからこそ成立する子ども扱い。
バカにされていない子ども扱いの幸福なのだ。
といいつつも。
ときどき、お父さんに抱っこされたりしている小さい子を見ると、かなり心底うらやましいとも思っちゃうんだけどね^^;
同化願望のあるわたしは那智さんになんでも知っておいてほしい。
だから、今日もせっせと報告する。
買い物で出るときに「お買い物でーす。」。
お仕事しながらの片手間チャットだけど、時間帯によっては比較的お返事もらえる率は高い。
でも、お返事をいただければもちろんうれしいし、なくてもかまわない。
お知らせできることと知っておいてもらえることが大事なのだ。
今日はお返事いただけた。
はーい
お水飲むんだよ〜
はうう。
子ども扱いぃぃ〜。
8月の暑い最中だった。
熱中症対策の水分補給をいっている。
どこまで本気で言っているのか定かではないけれど、那智さんはときどきわたしに小さい子に言うようなことを言う。
自転車に乗っていることを伝えたら「転ばないようにね〜」
携帯の調子が悪ければ「今日は携帯の機嫌が悪いんだね」
さすがにわたしも大人なので、熱中症対策に水分も補給するし携帯がご機嫌で左右するとも思わない(あ、ちょっとはアリと思う節もあるけど^^;)のは那智さんもわかっているはずだから、りん子が喜ぶし、そういうの得意だから遊んでいる気持ちが大きいのだとは思う。
それでも、まんまと喜び、ホクホクと幸せな気持ちになる。
那智さんに子ども扱いされるのは幸せ。
でも、本当に幸せなことは、大人と認識されている上での子ども扱いなのではないだろうか。
『子ども扱い』というものは一歩間違えれば、その対象をバカにしていることの現れになることもある。
『おまえはバカだなぁ、おまえは何にもできないよな〜』といわれることは、ある種自分より低くしておきたいがためのコントロールの言葉だったりする。
これを身体的精神的苦痛のもとに発すると立派なDVの構図ができあがるのだけど、それはちょっと置いといて。
『まったく、もう、バカだなぁ、でもかわいいやつ』というニュアンスだったとしても、一歩踏み外せば相手をバカにすることで優位に立とうとする立ち位置のコントロール。
それが『かわいいやつ』というニュアンスだったりするから、こちらも甘受しがちだから危険だよね。
那智さんからしたら、まだまだわたしは手がかかることもあるかもしれない。
でも、那智さんはわたしをバカにしていないし、尊敬するところもあるはずだし、何より成長させようと長年努めてくれている。
だから、上下の下ではあるけれど、子ども扱いを喜んじゃうけれど、それは大人であるからこそ成立する子ども扱い。
バカにされていない子ども扱いの幸福なのだ。
といいつつも。
ときどき、お父さんに抱っこされたりしている小さい子を見ると、かなり心底うらやましいとも思っちゃうんだけどね^^;
マグマ1
非日常的な日常
2、3日前から宣言されていた。
テンション高いよ〜(笑)
いっぱい可愛がってあげるね〜
大きなイベントが終わったからかそれ以外の要因か、とにかくテンションが高いらしい。
『那智さん大暴走』の感想に書いてあったけど、痛いことでも露出でも単にセックスでも、とにかくすごくなることがある。
ひとつはアルコールが入っているとき、その行為をアルコールが入った勢いで怒濤のどこく繰り広げることを楽しんでいる状態。
もうひとつは『それがしたい』という欲求が高まるとき。
おそらく、那智さんにとって後者のほうが純粋な内なるマグマ、どうしてもしたいことなのだと思う。
そして、マグマを抱えた那智さんはやはり、何かしらの性癖を抱えた人が発する狂気のようなものを感じるのだ。
そういう狂気を(笑)マークつけて楽しませてくれるのが那智さん。
わたしは怖々と、でも、その狂気に触れる恍惚を想像して数日間を過ごした。
尻尾か首輪にリードか、【どこでもわんこ】か何かしらのわんこ関係はやるつもりのよう。
本当に、わんこは幸せだけど、幸せだけど、本当に勇気がいる。
いつどのタイミングでわんこの指示が出されるか、飼い主の命令を期待とわずかな怯えの表情で見上げる犬のような気持ちで待ち合わせ場所で合流した。
待ち合わせをしてからいつも朝ご飯代わりの和食屋さんでうどんをいただく。
この日もそうだった。
席についたら、まず
首輪。
差し出された首輪をつける。
続いて
尻尾、つける?
とカバンから尻尾を出そうとした。
この日は黒のタイトミニを履いていたので、そこから出ている尻尾はとても目立つ。
ものすごくためらうので、それを伝える。
どうやらそれは納得していただけたようで、それ以上にはならなかった。
今日はここで食べるんだよ
と床に視線を落とす。
ああ、ただここでわんこになるだけじゃないんだ。
わんこになって食べるのですか?
うん
ここで?
そう
人が来てもそのままだよ
こういうときの那智さんは、本当に穏やかだ。
穏やかに微笑みながらうれしそうに話す。
でも、わたしは諦めるのだ、有無を言わせぬ迫力にぜったいにやるという覚悟を感じて。
わんこはわたしたちにとって、とても重要な行為のひとつだ。
刺激とかスパイスとは違う、ちょっと大げさに言えば豊かに生きている実感に近いものがある。
互いにとって『どうしてもやりたいこと』なのだ。
人のいるところで女を四つん這いにさせる、させる側も相当腹を括らないといけないもの。
それでもやりたいという欲求は大きな大きなマグマとなってグラグラと那智さんの中で煮えたぎっているはずだ。
それを穏やかさで覆っている迫力。
わたしはその迫力に触れるたびに、諦めと恍惚に襲われるのだ。
でも、食べるの大変だから、少なくなるまで待ってあげるね
小うどんのまだ2割しか減ってない器を見て、やさしい那智さんはそういう。
本当はものすごくためらう行為のはずなのに、わんこの幸せを知ってしまっているわたしはこの宣告でいろんなものを諦める。
変態行為を受けいてること、変態行為を行うこと、そして変態行為で幸福を感じる常識を手放すこと。
幸福に諦める。
半分こしたかき揚げをゆっくり食べる。
きっとかき揚げを食べ終わるまではわんこにしないおつもりだ、犬食いするにはかき揚げは食べにくいからね。
すこしでもうどんの量を減らして食べることに苦労しないように画策していることが那智さんにも気づかれて、笑われる。
本当はわんこ、幸せなクセに臆病な気持ちや正常でいたい心理がこんな引き延ばし作戦をさせているのだ。
きっと、那智さんもそれがわかって、笑っている。
覚悟を決めてかき揚げの最後の欠片を口に運んだ。
目の前の器を那智さんが取り上げ、自分の足下に置く(紙ナプキンを敷いて^^)
はい、どうぞ
向かい合う椅子から体を低くすべらせ、那智さんの足下で四つん這いになる。
どうか、誰も来ませんように。
見られたいという願望があることは否定しないけど、でも、それを積極的に願うのことはためらう。
遠くで人の気配がするだけで充分、わたしは那智さんのわんこだと幸福に浸れるから、それで満足だ。
那智さんの太ももにおでこの上辺りを押当てる。
犬を撫でるように、すこし乱暴に頭、首筋、背中と撫でてくれる。
食べな
首筋をトンとされた(と思う)
床についた両手の間にあるどんぶりに顔を沈める。
口をすぼめ、うどんをすする。
髪がかかって、つゆで毛先が濡れる。
ずずずとすすると口の周りも濡れる。
でも、わんこはそんなことは気にしない。
夢中でうどんをすする。
その間も、ずっと強くやさしく撫でてくれている。
髪と口の周りを汚しても、そのままでいられる自分がいとおしい。
那智さんの手のひらがそのわたしを肯定してくれているからだ。
すこし、怯えて腰が下がってしまっているけど、四つん這いで那智さんの足下でわんこになってお食事をすることが幸せでしかたがない。
人の気配が耳に届いているはずなんだけど、それがこちらに向かっているのか、危険なのか、分析する能力は回路が切れているから、わからない。
早く食べてしまわないとと思う気持ちを名残惜しい気持ちの両方で、無我夢中でうどんを食べた。
全部食べ終わり、終わったことをお知らせするために頭を上げる。
はい、いいよ
最後にもう一度首筋を撫でてくれて、立ち上がる。
べちょべちょになった口の周りを紙ナプキンで拭いてくれた。
床に置いた器から四つん這いで犬食いする行為に一点の屈辱も感じないのは、わたしのその姿が那智さんにとっていとおしいものだと知っているから、それがわたしの自己愛を後押ししてくれているから。
何者でもない、那智さんだけのわたしでいられることは、とても幸福な時間だ。
<関連エントリー>
どこでもわんこ
『飼い主の目、犬の目』
ご飯シリーズ
『一緒にご飯1 2』
『わんこと汚されたい1 2』
『朝ご飯』
「等式」感想です。私が、りん子の言うマグマが溜まっている時は基本、静かで、和やかですよ。迷いがあったり、テンションの上がり方が低い程、私が「ワーワー」言っているかもしれません。それは、きっと自分の言葉で自分の気持ちを鼓舞しているのかもしれないなと思いました。
ここ数年、余裕の感じで、丁寧に色々な行為を行っているが、先日、少しだけ、乱暴にりん子を扱った。新鮮で良かった。むしゃぶりつき、釦が弾けるような雰囲気でりん子を明日、抱きたいと思う。「鞭を打つ」時などは例外ですよ~(笑)と、言いつつ、基本丁寧に鞭も打っていると思う。
後日談^^
ニットワンピを着ていったので、ボタンは引きちぎっていただけませんでした。
強引な感じで萌えだったのですけど、残念(笑)
2、3日前から宣言されていた。
テンション高いよ〜(笑)
いっぱい可愛がってあげるね〜
大きなイベントが終わったからかそれ以外の要因か、とにかくテンションが高いらしい。
『那智さん大暴走』の感想に書いてあったけど、痛いことでも露出でも単にセックスでも、とにかくすごくなることがある。
ひとつはアルコールが入っているとき、その行為をアルコールが入った勢いで怒濤のどこく繰り広げることを楽しんでいる状態。
もうひとつは『それがしたい』という欲求が高まるとき。
おそらく、那智さんにとって後者のほうが純粋な内なるマグマ、どうしてもしたいことなのだと思う。
そして、マグマを抱えた那智さんはやはり、何かしらの性癖を抱えた人が発する狂気のようなものを感じるのだ。
そういう狂気を(笑)マークつけて楽しませてくれるのが那智さん。
わたしは怖々と、でも、その狂気に触れる恍惚を想像して数日間を過ごした。
尻尾か首輪にリードか、【どこでもわんこ】か何かしらのわんこ関係はやるつもりのよう。
本当に、わんこは幸せだけど、幸せだけど、本当に勇気がいる。
いつどのタイミングでわんこの指示が出されるか、飼い主の命令を期待とわずかな怯えの表情で見上げる犬のような気持ちで待ち合わせ場所で合流した。
待ち合わせをしてからいつも朝ご飯代わりの和食屋さんでうどんをいただく。
この日もそうだった。
席についたら、まず
首輪。
差し出された首輪をつける。
続いて
尻尾、つける?
とカバンから尻尾を出そうとした。
この日は黒のタイトミニを履いていたので、そこから出ている尻尾はとても目立つ。
ものすごくためらうので、それを伝える。
どうやらそれは納得していただけたようで、それ以上にはならなかった。
今日はここで食べるんだよ
と床に視線を落とす。
ああ、ただここでわんこになるだけじゃないんだ。
わんこになって食べるのですか?
うん
ここで?
そう
人が来てもそのままだよ
こういうときの那智さんは、本当に穏やかだ。
穏やかに微笑みながらうれしそうに話す。
でも、わたしは諦めるのだ、有無を言わせぬ迫力にぜったいにやるという覚悟を感じて。
わんこはわたしたちにとって、とても重要な行為のひとつだ。
刺激とかスパイスとは違う、ちょっと大げさに言えば豊かに生きている実感に近いものがある。
互いにとって『どうしてもやりたいこと』なのだ。
人のいるところで女を四つん這いにさせる、させる側も相当腹を括らないといけないもの。
それでもやりたいという欲求は大きな大きなマグマとなってグラグラと那智さんの中で煮えたぎっているはずだ。
それを穏やかさで覆っている迫力。
わたしはその迫力に触れるたびに、諦めと恍惚に襲われるのだ。
でも、食べるの大変だから、少なくなるまで待ってあげるね
小うどんのまだ2割しか減ってない器を見て、やさしい那智さんはそういう。
本当はものすごくためらう行為のはずなのに、わんこの幸せを知ってしまっているわたしはこの宣告でいろんなものを諦める。
変態行為を受けいてること、変態行為を行うこと、そして変態行為で幸福を感じる常識を手放すこと。
幸福に諦める。
半分こしたかき揚げをゆっくり食べる。
きっとかき揚げを食べ終わるまではわんこにしないおつもりだ、犬食いするにはかき揚げは食べにくいからね。
すこしでもうどんの量を減らして食べることに苦労しないように画策していることが那智さんにも気づかれて、笑われる。
本当はわんこ、幸せなクセに臆病な気持ちや正常でいたい心理がこんな引き延ばし作戦をさせているのだ。
きっと、那智さんもそれがわかって、笑っている。
覚悟を決めてかき揚げの最後の欠片を口に運んだ。
目の前の器を那智さんが取り上げ、自分の足下に置く(紙ナプキンを敷いて^^)
はい、どうぞ
向かい合う椅子から体を低くすべらせ、那智さんの足下で四つん這いになる。
どうか、誰も来ませんように。
見られたいという願望があることは否定しないけど、でも、それを積極的に願うのことはためらう。
遠くで人の気配がするだけで充分、わたしは那智さんのわんこだと幸福に浸れるから、それで満足だ。
那智さんの太ももにおでこの上辺りを押当てる。
犬を撫でるように、すこし乱暴に頭、首筋、背中と撫でてくれる。
食べな
首筋をトンとされた(と思う)
床についた両手の間にあるどんぶりに顔を沈める。
口をすぼめ、うどんをすする。
髪がかかって、つゆで毛先が濡れる。
ずずずとすすると口の周りも濡れる。
でも、わんこはそんなことは気にしない。
夢中でうどんをすする。
その間も、ずっと強くやさしく撫でてくれている。
髪と口の周りを汚しても、そのままでいられる自分がいとおしい。
那智さんの手のひらがそのわたしを肯定してくれているからだ。
すこし、怯えて腰が下がってしまっているけど、四つん這いで那智さんの足下でわんこになってお食事をすることが幸せでしかたがない。
人の気配が耳に届いているはずなんだけど、それがこちらに向かっているのか、危険なのか、分析する能力は回路が切れているから、わからない。
早く食べてしまわないとと思う気持ちを名残惜しい気持ちの両方で、無我夢中でうどんを食べた。
全部食べ終わり、終わったことをお知らせするために頭を上げる。
はい、いいよ
最後にもう一度首筋を撫でてくれて、立ち上がる。
べちょべちょになった口の周りを紙ナプキンで拭いてくれた。
床に置いた器から四つん這いで犬食いする行為に一点の屈辱も感じないのは、わたしのその姿が那智さんにとっていとおしいものだと知っているから、それがわたしの自己愛を後押ししてくれているから。
何者でもない、那智さんだけのわたしでいられることは、とても幸福な時間だ。
<関連エントリー>
どこでもわんこ
『飼い主の目、犬の目』
ご飯シリーズ
『一緒にご飯1 2』
『わんこと汚されたい1 2』
『朝ご飯』
「等式」感想です。私が、りん子の言うマグマが溜まっている時は基本、静かで、和やかですよ。迷いがあったり、テンションの上がり方が低い程、私が「ワーワー」言っているかもしれません。それは、きっと自分の言葉で自分の気持ちを鼓舞しているのかもしれないなと思いました。
ここ数年、余裕の感じで、丁寧に色々な行為を行っているが、先日、少しだけ、乱暴にりん子を扱った。新鮮で良かった。むしゃぶりつき、釦が弾けるような雰囲気でりん子を明日、抱きたいと思う。「鞭を打つ」時などは例外ですよ~(笑)と、言いつつ、基本丁寧に鞭も打っていると思う。
後日談^^
ニットワンピを着ていったので、ボタンは引きちぎっていただけませんでした。
強引な感じで萌えだったのですけど、残念(笑)