わたしの『従う』
独特な幸福感
いつも誰も否定したくないという気持ちで書いています。
違うことは否定することではないと。
あなたと私は違うところがある。
でも、それは否定しないし、違う幸福を祝福している。
今日は対等で上下の下の私の『従う』を書きたい。
もしかしたら違う人にはいやな気持ちにさせてしまうかもしれません。
できる限り誰も否定していないと伝わるように努めてみるけど、私の力では上手にできないかもしれないと今日は思うのです。
そして、今日は、配慮するあまり書きたいことからズレてしまいたくないとも思っているのです。
だから、主従さんやM女さんにはいやな思いをさせてしまうかもしれません。
その可能性があるかたは、どうか私の気持ちが伝わるようにと願います。
わたしの、わたしだけの『従う』お話です。
了解いただいてお読みいただけたら嬉しいです。
追記
今朝までここから先は『続きを読む』にしてありましたが外しました。
誰も否定しなくないと言いつつ『続きを読む』にするのは、かえって失礼なんじゃないかと思ったからです。
わたしの気持ちを信じてと思うのと同じように、伝わっているよねと読んでくださる方を信じて。
性癖として被虐願望があると同じように、被支配願望があることも自覚していた。
いつのころからか、圧倒的な力に支配されたい、自分は自分のものではなくて誰かの所有物になりたい、そんな願望を抱くようになっていた。
思春期のころ、『奴隷』とか『拘束』とか『支配』とか辞書で引いて、その文字だけでうっとりしていた。
数年過ぎ、テレクラという所でパートナーを探せばそれが現実のものになるかもしれないと知ったのが27才のとき。
その頃は、マゾも奴隷も従者も娘(娘なんて後付けだね)なんでも一括りに思っていたから、パートナーさえ見つかれば、この得体の知れない願望の塊が叶うものだと思っていた。
はじめて縛られた相手は、会ったその日になにもする前から私を『愛奴』と呼んだ。
愛される奴隷だよって。
え?私はもうあなたの奴隷なの?
『愛奴』という言葉が魔法のようで被虐願望も被支配願望もこれで鎮められるとホッとしながら、一方で、会って間もない女を奴隷と決められることになんだか心から喜べない私もいた。
そんなに簡単なの?って。
はじめて縛られたときは、自分でもわかるほど濡れた。
夢が叶ったって思った。
ただただその姿を眺めたい、この男性なんていなくてもいいと思った。
テレビの黒い画面にかすかに映る自分のシルエットを必死で覗き込んでいた。
濡れたのはそれがピークだった。
あとはただされるがままで醒めていくだけだった。
いろいろ縛られて痛くない洗濯バサミをされて、おまんこはどんどん乾いていった。
その男性は『今日はお互いの魂を見せ合った』と終わってから満足げだった。
カラカラに乾いたいたことを気にせず満足げにいう男性を見ている私は全然『お尻の穴は見せたけど魂なんか見せていない』と心の中で舌を出していた。
おかしい、奴隷になっても支配される喜びは味わえないの?
役割として奴隷役ならできるけど、それは私の望む支配じゃない。
心の中であっかんべーをした支配は、私には支配じゃない。
二度目の人は、私をまったく尊重しなかった。
遅刻の謝罪もなく、『奴隷は知る必要はない』とこちらの質問に答えてもくれない。
でも『奴隷』なんだから、その扱いも不当ではないと思い込んでいた。
その男性は、私をよく『バカ』といった。
おまえはバカだからって。
最初のうちは、ご主人様はスゴいんだって思って聞いていたけど、しばらくするとそれはただ単に私の位置を下げて、自分を高く見せているだけだと気付いてしまった。
『それはいやだ』と言えない頃の私も正解ではないけど、尊重もしてくれず、こちらを低くすることでしか君臨できない人が、ただご主人様というだけで偉くなるなんて、おかしい。
なんだか、私の『従いたい』は行き場を見失っていた。
テレクラに依存していた頃、たくさんの男性が『心も体も支配する』といっていた。
その言葉に被支配欲はうずうずするものの、反面『そんなに簡単に支配できるもんか』とそれまでの経験がシビアにさせていた。
尊重されず、自分を低くすることで、心の中であっかんべーをしながらでしか私の被虐願望や被支配願望は叶うことはないのだろうか。
那智さんに出会った。
すぐ『SMは意識するな』と言われた。
言われ続けた。
つい自分を低くしてしまう私に対等であることを教えてくれ続けた。
那智さんは『りん子は俺のもの』とほとんど言わない。
わたし側から言うことではじめて成立すると思っている。
ご主人様と呼べなんていわれたことは一度もない。(最初のころ、恥ずかしがる私を面白がって言わせていたときはあったけど、私が少し慣れたらすぐやめた)
心の中であっかんべーをするような『従う』はいやだ。
自分を低くして相手を持ち上げるような『従う』はいやだ。
自然に心から思えてはじめて『従う』だ。
私は『自然に心から』のハードルを物凄く上げていた。
那智さんも、従う側からのそれを望んでいたから、より高くなっていた。
そのハードルが高いことは時々息切れしそうになるけど、それが私にはありがたかった。
二度と舌を出さずにすんでいたから。
そのハードルは、例えば言葉使いにも表れている。
いま、どの言葉を選ぶことが相応しいか。
闇雲に『従う』を表していないか、考える。
付き合い出した当初からいままでずっと。
いつもいつも意識しているわけではないけど、ほとんど全部、那智さんに使う言葉を選んでいる。
年上の人に対する丁寧語。
尊敬する人に対する尊敬語。
とてもとても仲良しのちょっとだけ敬語を使わない言葉(タメ口とは違う^^)
ほとんど無意識に、でもときどき意識して、瞬時に使い分けている。
中でも、一瞬立ち止まり選ぶのが謙譲語だ。
相手を立てる意味もあるだろうけれど、私の中で謙譲語はへりくだりを連想させる。
基本使わない、でも、どうしても謙譲語に相応しい感情のときだけ使う。
『○○って言ってましたよね』
『○○っておっしゃってませんでした?』
場面や感情で瞬時に分けている。
『那智さんに抱いてほしいです』
『那智さんに抱いていただきたいです』
量や質で選んでいる。
ブログでもそうだ。
すべて精査しているかといわれれば自信ないけど、でもかなりちゃんと選んでいる。
でも、よく迷う。
闇雲に『従う』を表さない文章や言葉使いや行いが、那智さんや読んでくれる人にとって尊敬していることを伝えらているだろうか、全部謙譲語にすればもっと確実に『那智さんのものだ』と伝えることができるんじゃないか。
歯がゆい。
だけど、できない。
私は感情のある人間だ。
尊敬していることに変わりはなくても、対等な立場からの感情もあるし、上下の下として発したいときもある。
時には淫乱な娘としての言葉を使いたいことだってある。
それを無視する方法を選ぶと、恐らくずっと前のあっかんべーをしていた頃に逆戻りしてしまうのではないか。
だからできない。
力を入れてぐっとハードルを上げる。
感情を無視せず高いハードルを設ける方法でしか、わたしの被支配欲は満たされなくなっていた。
そのわたしに『オチンポ様』は、大きな影響を与えた。(『オチンポ様』ありがとうございます^^)
おちんちんに『様』をつけることで、それならよっぽど那智さんのほうが『様』だとはっきりと自覚したのだ。
ずっとずっと前から、優劣のない対等な立場でそれでも上下の上の那智さんは自然に心から『様』だ。
ずっとハードルを上げていた被支配欲が、もういいんじゃない?と悲鳴をあげているように感じたのだ。
自分を低くしないように。
心から自然に思えるまで。
低く低くへりくだろうとするいままでのわたしを、体を縮めて腕に力を入れて『行っちゃダメ』とぎゅーっと抱きしめて動かないように頑張っていた。
いりん子こで手を離したら、せっかく作った『対等で上下』が壊れてしまうと、恐れているといってもいいくらいだった。
そのぎゅーっと力を入れているわたしが悲鳴を上げているみたいだった。
だって、わたし、従いたいんだよ。
なんで首根っこ掴んで引き下げてくれないの!?と那智さんに喰ってかかるほどだった。
もう充分じゃない?
そっと力を抜いてごらん。
自分にいってみる。
恐る恐る手を離す。
怖いよ、また一気にへりくだるわたしになる?
それとも、役割分担みたいであっかんべーしてしまう?
抱きしめていた手を解いたわたしは、そこにいた。
低くへりくだることもなく、舌を出すこともなく。
わたしはもう自分を低くすることはないんだ。
那智さんが、ずっとずっと育ててくれた『りん子はそのままで充分愛される価値がある』って。
だからぎゅっと押さえていなくてもわたしは、そこにいられていた。
そして、その場所で心から那智さんを『様』だと思えている。
那智さん。
あなたとわたしは対等ですよね。
優劣は、そこにはないですよね。
だけど、圧倒的に上下はある。
慈しみ包むように見下ろし、尊敬し畏怖するように見上げる。
庇護し従う上下。
ずっとずっと前から那智さんはわたしの『様』だ。
力を抜き、安心して、やっとそう言える。
それでも何も変わらない。
自分を低くすることもなく、あっかんべーもしたくないから。
これからも、メールを打つとき、ブログに書くとき、『おしっこほしい』とお願いするとき、いつもいつもそのときの感情でどんな言葉でどんな行いをするか選ぶでしょう。
那智さんがわたしを信頼していたいために真摯に観察するように。
わたしも、わたしなりのハードルを高くして、立ち止まりその都度選ぶ。
これがわたしの『従う』。
もうぎゅーっと力を入れなくても低くならないんだ。
もっと那智さんも自分も信頼できるようになった。
だから安心して自信を持って選べる。
胸を張っていえる。
わたしは那智さんのもの。
那智さんはとっくにわたしの『飢餓状態の白米』だ^^
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お馴染みのもありますが、お読みいただくとよりわかりやすいかもしれません^^
『はじめての旅12』
『2回目の旅12』
『意識するな』
『ながーい独り言』
『暗闇の安息』
『対等で上下』
いつも誰も否定したくないという気持ちで書いています。
違うことは否定することではないと。
あなたと私は違うところがある。
でも、それは否定しないし、違う幸福を祝福している。
今日は対等で上下の下の私の『従う』を書きたい。
もしかしたら違う人にはいやな気持ちにさせてしまうかもしれません。
できる限り誰も否定していないと伝わるように努めてみるけど、私の力では上手にできないかもしれないと今日は思うのです。
そして、今日は、配慮するあまり書きたいことからズレてしまいたくないとも思っているのです。
だから、主従さんやM女さんにはいやな思いをさせてしまうかもしれません。
その可能性があるかたは、どうか私の気持ちが伝わるようにと願います。
わたしの、わたしだけの『従う』お話です。
了解いただいてお読みいただけたら嬉しいです。
追記
今朝までここから先は『続きを読む』にしてありましたが外しました。
誰も否定しなくないと言いつつ『続きを読む』にするのは、かえって失礼なんじゃないかと思ったからです。
わたしの気持ちを信じてと思うのと同じように、伝わっているよねと読んでくださる方を信じて。
性癖として被虐願望があると同じように、被支配願望があることも自覚していた。
いつのころからか、圧倒的な力に支配されたい、自分は自分のものではなくて誰かの所有物になりたい、そんな願望を抱くようになっていた。
思春期のころ、『奴隷』とか『拘束』とか『支配』とか辞書で引いて、その文字だけでうっとりしていた。
数年過ぎ、テレクラという所でパートナーを探せばそれが現実のものになるかもしれないと知ったのが27才のとき。
その頃は、マゾも奴隷も従者も娘(娘なんて後付けだね)なんでも一括りに思っていたから、パートナーさえ見つかれば、この得体の知れない願望の塊が叶うものだと思っていた。
はじめて縛られた相手は、会ったその日になにもする前から私を『愛奴』と呼んだ。
愛される奴隷だよって。
え?私はもうあなたの奴隷なの?
『愛奴』という言葉が魔法のようで被虐願望も被支配願望もこれで鎮められるとホッとしながら、一方で、会って間もない女を奴隷と決められることになんだか心から喜べない私もいた。
そんなに簡単なの?って。
はじめて縛られたときは、自分でもわかるほど濡れた。
夢が叶ったって思った。
ただただその姿を眺めたい、この男性なんていなくてもいいと思った。
テレビの黒い画面にかすかに映る自分のシルエットを必死で覗き込んでいた。
濡れたのはそれがピークだった。
あとはただされるがままで醒めていくだけだった。
いろいろ縛られて痛くない洗濯バサミをされて、おまんこはどんどん乾いていった。
その男性は『今日はお互いの魂を見せ合った』と終わってから満足げだった。
カラカラに乾いたいたことを気にせず満足げにいう男性を見ている私は全然『お尻の穴は見せたけど魂なんか見せていない』と心の中で舌を出していた。
おかしい、奴隷になっても支配される喜びは味わえないの?
役割として奴隷役ならできるけど、それは私の望む支配じゃない。
心の中であっかんべーをした支配は、私には支配じゃない。
二度目の人は、私をまったく尊重しなかった。
遅刻の謝罪もなく、『奴隷は知る必要はない』とこちらの質問に答えてもくれない。
でも『奴隷』なんだから、その扱いも不当ではないと思い込んでいた。
その男性は、私をよく『バカ』といった。
おまえはバカだからって。
最初のうちは、ご主人様はスゴいんだって思って聞いていたけど、しばらくするとそれはただ単に私の位置を下げて、自分を高く見せているだけだと気付いてしまった。
『それはいやだ』と言えない頃の私も正解ではないけど、尊重もしてくれず、こちらを低くすることでしか君臨できない人が、ただご主人様というだけで偉くなるなんて、おかしい。
なんだか、私の『従いたい』は行き場を見失っていた。
テレクラに依存していた頃、たくさんの男性が『心も体も支配する』といっていた。
その言葉に被支配欲はうずうずするものの、反面『そんなに簡単に支配できるもんか』とそれまでの経験がシビアにさせていた。
尊重されず、自分を低くすることで、心の中であっかんべーをしながらでしか私の被虐願望や被支配願望は叶うことはないのだろうか。
那智さんに出会った。
すぐ『SMは意識するな』と言われた。
言われ続けた。
つい自分を低くしてしまう私に対等であることを教えてくれ続けた。
那智さんは『りん子は俺のもの』とほとんど言わない。
わたし側から言うことではじめて成立すると思っている。
ご主人様と呼べなんていわれたことは一度もない。(最初のころ、恥ずかしがる私を面白がって言わせていたときはあったけど、私が少し慣れたらすぐやめた)
心の中であっかんべーをするような『従う』はいやだ。
自分を低くして相手を持ち上げるような『従う』はいやだ。
自然に心から思えてはじめて『従う』だ。
私は『自然に心から』のハードルを物凄く上げていた。
那智さんも、従う側からのそれを望んでいたから、より高くなっていた。
そのハードルが高いことは時々息切れしそうになるけど、それが私にはありがたかった。
二度と舌を出さずにすんでいたから。
そのハードルは、例えば言葉使いにも表れている。
いま、どの言葉を選ぶことが相応しいか。
闇雲に『従う』を表していないか、考える。
付き合い出した当初からいままでずっと。
いつもいつも意識しているわけではないけど、ほとんど全部、那智さんに使う言葉を選んでいる。
年上の人に対する丁寧語。
尊敬する人に対する尊敬語。
とてもとても仲良しのちょっとだけ敬語を使わない言葉(タメ口とは違う^^)
ほとんど無意識に、でもときどき意識して、瞬時に使い分けている。
中でも、一瞬立ち止まり選ぶのが謙譲語だ。
相手を立てる意味もあるだろうけれど、私の中で謙譲語はへりくだりを連想させる。
基本使わない、でも、どうしても謙譲語に相応しい感情のときだけ使う。
『○○って言ってましたよね』
『○○っておっしゃってませんでした?』
場面や感情で瞬時に分けている。
『那智さんに抱いてほしいです』
『那智さんに抱いていただきたいです』
量や質で選んでいる。
ブログでもそうだ。
すべて精査しているかといわれれば自信ないけど、でもかなりちゃんと選んでいる。
でも、よく迷う。
闇雲に『従う』を表さない文章や言葉使いや行いが、那智さんや読んでくれる人にとって尊敬していることを伝えらているだろうか、全部謙譲語にすればもっと確実に『那智さんのものだ』と伝えることができるんじゃないか。
歯がゆい。
だけど、できない。
私は感情のある人間だ。
尊敬していることに変わりはなくても、対等な立場からの感情もあるし、上下の下として発したいときもある。
時には淫乱な娘としての言葉を使いたいことだってある。
それを無視する方法を選ぶと、恐らくずっと前のあっかんべーをしていた頃に逆戻りしてしまうのではないか。
だからできない。
力を入れてぐっとハードルを上げる。
感情を無視せず高いハードルを設ける方法でしか、わたしの被支配欲は満たされなくなっていた。
そのわたしに『オチンポ様』は、大きな影響を与えた。(『オチンポ様』ありがとうございます^^)
おちんちんに『様』をつけることで、それならよっぽど那智さんのほうが『様』だとはっきりと自覚したのだ。
ずっとずっと前から、優劣のない対等な立場でそれでも上下の上の那智さんは自然に心から『様』だ。
ずっとハードルを上げていた被支配欲が、もういいんじゃない?と悲鳴をあげているように感じたのだ。
自分を低くしないように。
心から自然に思えるまで。
低く低くへりくだろうとするいままでのわたしを、体を縮めて腕に力を入れて『行っちゃダメ』とぎゅーっと抱きしめて動かないように頑張っていた。
いりん子こで手を離したら、せっかく作った『対等で上下』が壊れてしまうと、恐れているといってもいいくらいだった。
そのぎゅーっと力を入れているわたしが悲鳴を上げているみたいだった。
だって、わたし、従いたいんだよ。
なんで首根っこ掴んで引き下げてくれないの!?と那智さんに喰ってかかるほどだった。
もう充分じゃない?
そっと力を抜いてごらん。
自分にいってみる。
恐る恐る手を離す。
怖いよ、また一気にへりくだるわたしになる?
それとも、役割分担みたいであっかんべーしてしまう?
抱きしめていた手を解いたわたしは、そこにいた。
低くへりくだることもなく、舌を出すこともなく。
わたしはもう自分を低くすることはないんだ。
那智さんが、ずっとずっと育ててくれた『りん子はそのままで充分愛される価値がある』って。
だからぎゅっと押さえていなくてもわたしは、そこにいられていた。
そして、その場所で心から那智さんを『様』だと思えている。
那智さん。
あなたとわたしは対等ですよね。
優劣は、そこにはないですよね。
だけど、圧倒的に上下はある。
慈しみ包むように見下ろし、尊敬し畏怖するように見上げる。
庇護し従う上下。
ずっとずっと前から那智さんはわたしの『様』だ。
力を抜き、安心して、やっとそう言える。
それでも何も変わらない。
自分を低くすることもなく、あっかんべーもしたくないから。
これからも、メールを打つとき、ブログに書くとき、『おしっこほしい』とお願いするとき、いつもいつもそのときの感情でどんな言葉でどんな行いをするか選ぶでしょう。
那智さんがわたしを信頼していたいために真摯に観察するように。
わたしも、わたしなりのハードルを高くして、立ち止まりその都度選ぶ。
これがわたしの『従う』。
もうぎゅーっと力を入れなくても低くならないんだ。
もっと那智さんも自分も信頼できるようになった。
だから安心して自信を持って選べる。
胸を張っていえる。
わたしは那智さんのもの。
那智さんはとっくにわたしの『飢餓状態の白米』だ^^
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COMMENT
涙が出そうです。
良かったね。
頑張ってね。
そう言わせて下さいね。
良かったね。
頑張ってね。
そう言わせて下さいね。
ありがとうございます、本当に。
いまでも、ふと揺らぐような錯覚を覚えることもあるんだけど、コメントいただいて、また背筋伸ばそうって思いました^^
いまでも、ふと揺らぐような錯覚を覚えることもあるんだけど、コメントいただいて、また背筋伸ばそうって思いました^^