夢見る頃をすぎても1『波動』
独特な幸福感
解離性同一障害という言葉を知っていますか。
多重人格といえばピンとくるかと思いますが。
多重人格といえば単に気分屋とか裏表があるという性格を指しているみたいだけど、解離性同一障害とはちゃんとした障害のひとつ。(ちゃんとしたというと語弊があるかもしれないけど病は苦しんでいる人がいるということです)
その存在を知ったのは、たしか20才前後だった。
一時期本で有名になったビリーミリガン本人の治療の様子がテレビのニュースで流れていたんだ。
気弱そうな青年の眼球が細かく左右に震えた後、表情が一変する。
周囲を睨みつけるように見回し指をポキポキと鳴らす凄みのある表情に変化する様子はとても数秒前の青年とは思えないものだった。
何の予備知識もなく見たその変化に軽く震えるような衝撃を受けてしまって、一時期それに関する本をたくさん読んだ。
何がそんなにわたしを惹きつけたのだろう。
いまはたくさん情報があるでしょうから20年前わたしが読んだ情報は正しいものではないかもしれないけど、その当時の知識と感情で書かせていただきますね。
自分の中に別の人格ができる。
それは幼い頃、劣悪な環境ゆえ『こんな酷いことをされるのはわたしじゃない』と脳が別人格を作ることで大人からの酷い虐待などから身を守ろうとする無抵抗な子供の自衛手段。
同じような境遇でもそういう手段を取らない脳を持った子もいるだろうし、中には人の死を見ただけで衝撃を受けて別人格ができてしまう子もいるそうなので、誰でもなるわけではないし、必ず虐待されたということでもない。
知恵熱が出やすい子とそうじゃない子がいるように、そうなりやすい子というものもあるのだろうね。
とにかく幼い子供が自分を守るために別人格を作る。
暴力を受けているときは痛みを感じない子供になり、性的な虐待に遭ってしまった場合は大人の女性になってやりすごす。
抵抗したいときは乱暴な男性になる。
絵の好きな男の子や歌が好きな女の子。
そうやっていろいろな場面で助けてくれる人格を作るのだ。
主人格が現実から逃れるために意識を眠らせている間に、様々な人格が生まれ補っている。
ということは交代人格が出ている間は主人格は記憶がないのだ。
だから見覚えのないカード請求があったり、知らない街にいたりと大人になってから特にトラブルにな本人を苦しめる。
それぞれ名前や年齢や特徴も様々で、筆跡や利き腕も違ったりする、アレルギー反応まで違うと書かれていたから、演技や気分で人格を変えてみせているのではないのだろう。
わたしはその人が生き抜くための脳の不思議に魅了された。
(もっと語ろうと思えば尽きないのだけど、たくさん端折ります^^;ただ、何度も言うけどこれは性格の問題とかではなく障害であること。当人が一番苦しんでいるのだということは記しておきます)
先日、その解離性同一障害の女性の個展を見に行った。
主人格である『私』と交代人格の子が共同で作品を作ったのだ。
交代人格が撮った写真に『私』が詩を付けるというものだった。
この個展に関する記事を読んだとき絶対見に行こうと思った。
そして、多分、泣くなって^^;
最近は熱も醒めたけれど一時期追い求めていたものに直接触れること、これはおそらくわたしの心をぐわんぐわんと揺さぶるはずだと想像できたから。
そりゃあ、その場にいたら泣くだろうと^^;
果たして。
個展は記事になったので最終日になっていきなり盛況。
小さな民家を改造したギャラリーにはひっきりなしに人が訪れていた。
もう入った途端に涙が溢れてしまって、どうしようもなかった。
人がいるから泣くわけにはいかず嗚咽を我慢しすぎて頭痛までする始末。
波動。
長く魅了されていたものに直接触れるということは、それだけで心を震わす。
人格を認められて最後には明るい写真になっていたと解説されていたけど、たしかに影のような写真から花や空などの明るいものに変わっているけど。
どうしてもわたしにはただの明るい作品とは感じられなかった。
交代人格からの救いを求めるような、それでいて逃れられない虚無感のような暗闇が波動になってわたしに押し寄せてくるのだ。
その方たちも作品もまったく否定するつもりもないし、一般の人よりもある程度は知識もあるので心から穏やかに眠れる日が来ることを願っている。
だけど、これは触れてはいけないもののように感じてしまった。
瞳を黒く塗りつぶした絵を見ているようだった。
長年追い求めていたものに触れる感動ではない波動が脆弱なところに踏み込んてくる。
目に見えない波動によろめくわたしは、その交代人格の『女の子』を思うのだ。
個展の最後には交代人格の女の子の言葉が書かれていた。
『主人格にとって自分の存在が迷惑じゃなかった』『生きていてよかった』と語っている。
これを読んだとき、涙がより溢れてしまった。
わたしの中の『女の子』を強烈に意識した。
よろめくような波動の大きな理由はこれだ。
弱くもろいところだ。
解離性同一障害の治療は、人格の統合。
過去の辛いことをちゃんと認めることからはじめるのだ。
辛い思いを引き受けた人格の『存在を認めて』『辛かったことを理解して』、『もう安心だよ』と教えてあげる。
こうすることで役目を終えた交代人格は統合されるらしい。(ただ、実際はとても難しい作業のようだ)
わたしはいつか統合して消えていく交代人格の運命、不安やせつなさを想像する。
そして同時に自分の中の小さな『女の子』の存在を強く感じ、無力な女の子が不安気に打ち震えている姿を鮮明に思い描き、交代人格にそれを重ねていた。
わたしの『女の子』は、いる。
そしてきっと撫でてほしくて、隅っこのほうで泣いている。
その存在と不在を強く感じた夕暮れ時だった。
実際に障害と向き合い戦っている人には、軽々しく共感してはいけないことは充分承知の上で。
『存在を認め』『辛さを理解し』『安心を教える』。
この一点のみにおいて。
この個展を見た数日後、似たようなことを経験をする。
それは、わたしの『女の子』をもう一度抱きしめるための道だった。
解離性同一障害という言葉を知っていますか。
多重人格といえばピンとくるかと思いますが。
多重人格といえば単に気分屋とか裏表があるという性格を指しているみたいだけど、解離性同一障害とはちゃんとした障害のひとつ。(ちゃんとしたというと語弊があるかもしれないけど病は苦しんでいる人がいるということです)
その存在を知ったのは、たしか20才前後だった。
一時期本で有名になったビリーミリガン本人の治療の様子がテレビのニュースで流れていたんだ。
気弱そうな青年の眼球が細かく左右に震えた後、表情が一変する。
周囲を睨みつけるように見回し指をポキポキと鳴らす凄みのある表情に変化する様子はとても数秒前の青年とは思えないものだった。
何の予備知識もなく見たその変化に軽く震えるような衝撃を受けてしまって、一時期それに関する本をたくさん読んだ。
何がそんなにわたしを惹きつけたのだろう。
いまはたくさん情報があるでしょうから20年前わたしが読んだ情報は正しいものではないかもしれないけど、その当時の知識と感情で書かせていただきますね。
自分の中に別の人格ができる。
それは幼い頃、劣悪な環境ゆえ『こんな酷いことをされるのはわたしじゃない』と脳が別人格を作ることで大人からの酷い虐待などから身を守ろうとする無抵抗な子供の自衛手段。
同じような境遇でもそういう手段を取らない脳を持った子もいるだろうし、中には人の死を見ただけで衝撃を受けて別人格ができてしまう子もいるそうなので、誰でもなるわけではないし、必ず虐待されたということでもない。
知恵熱が出やすい子とそうじゃない子がいるように、そうなりやすい子というものもあるのだろうね。
とにかく幼い子供が自分を守るために別人格を作る。
暴力を受けているときは痛みを感じない子供になり、性的な虐待に遭ってしまった場合は大人の女性になってやりすごす。
抵抗したいときは乱暴な男性になる。
絵の好きな男の子や歌が好きな女の子。
そうやっていろいろな場面で助けてくれる人格を作るのだ。
主人格が現実から逃れるために意識を眠らせている間に、様々な人格が生まれ補っている。
ということは交代人格が出ている間は主人格は記憶がないのだ。
だから見覚えのないカード請求があったり、知らない街にいたりと大人になってから特にトラブルにな本人を苦しめる。
それぞれ名前や年齢や特徴も様々で、筆跡や利き腕も違ったりする、アレルギー反応まで違うと書かれていたから、演技や気分で人格を変えてみせているのではないのだろう。
わたしはその人が生き抜くための脳の不思議に魅了された。
(もっと語ろうと思えば尽きないのだけど、たくさん端折ります^^;ただ、何度も言うけどこれは性格の問題とかではなく障害であること。当人が一番苦しんでいるのだということは記しておきます)
先日、その解離性同一障害の女性の個展を見に行った。
主人格である『私』と交代人格の子が共同で作品を作ったのだ。
交代人格が撮った写真に『私』が詩を付けるというものだった。
この個展に関する記事を読んだとき絶対見に行こうと思った。
そして、多分、泣くなって^^;
最近は熱も醒めたけれど一時期追い求めていたものに直接触れること、これはおそらくわたしの心をぐわんぐわんと揺さぶるはずだと想像できたから。
そりゃあ、その場にいたら泣くだろうと^^;
果たして。
個展は記事になったので最終日になっていきなり盛況。
小さな民家を改造したギャラリーにはひっきりなしに人が訪れていた。
もう入った途端に涙が溢れてしまって、どうしようもなかった。
人がいるから泣くわけにはいかず嗚咽を我慢しすぎて頭痛までする始末。
波動。
長く魅了されていたものに直接触れるということは、それだけで心を震わす。
人格を認められて最後には明るい写真になっていたと解説されていたけど、たしかに影のような写真から花や空などの明るいものに変わっているけど。
どうしてもわたしにはただの明るい作品とは感じられなかった。
交代人格からの救いを求めるような、それでいて逃れられない虚無感のような暗闇が波動になってわたしに押し寄せてくるのだ。
その方たちも作品もまったく否定するつもりもないし、一般の人よりもある程度は知識もあるので心から穏やかに眠れる日が来ることを願っている。
だけど、これは触れてはいけないもののように感じてしまった。
瞳を黒く塗りつぶした絵を見ているようだった。
長年追い求めていたものに触れる感動ではない波動が脆弱なところに踏み込んてくる。
目に見えない波動によろめくわたしは、その交代人格の『女の子』を思うのだ。
個展の最後には交代人格の女の子の言葉が書かれていた。
『主人格にとって自分の存在が迷惑じゃなかった』『生きていてよかった』と語っている。
これを読んだとき、涙がより溢れてしまった。
わたしの中の『女の子』を強烈に意識した。
よろめくような波動の大きな理由はこれだ。
弱くもろいところだ。
解離性同一障害の治療は、人格の統合。
過去の辛いことをちゃんと認めることからはじめるのだ。
辛い思いを引き受けた人格の『存在を認めて』『辛かったことを理解して』、『もう安心だよ』と教えてあげる。
こうすることで役目を終えた交代人格は統合されるらしい。(ただ、実際はとても難しい作業のようだ)
わたしはいつか統合して消えていく交代人格の運命、不安やせつなさを想像する。
そして同時に自分の中の小さな『女の子』の存在を強く感じ、無力な女の子が不安気に打ち震えている姿を鮮明に思い描き、交代人格にそれを重ねていた。
わたしの『女の子』は、いる。
そしてきっと撫でてほしくて、隅っこのほうで泣いている。
その存在と不在を強く感じた夕暮れ時だった。
実際に障害と向き合い戦っている人には、軽々しく共感してはいけないことは充分承知の上で。
『存在を認め』『辛さを理解し』『安心を教える』。
この一点のみにおいて。
この個展を見た数日後、似たようなことを経験をする。
それは、わたしの『女の子』をもう一度抱きしめるための道だった。
夢見る頃をすぎても2『下書き状態』
独特な幸福感
2、3ヶ月前いまから載せるエントリーを上げようと下書きにしていた。
もうタイトルまで考えて^^
『夢見る頃を過ぎても』というタイトルの下書きはある条件をクリアしたらアップしようと、時々那智正しては保存を繰り返していた。
モカちゃんを招いたことが『傷ついたでも楽しかった』というプラマイゼロではくて、『傷ついたし楽しかった、そして前より良くなった』とプラスの出来事と言えるようになる。
これが条件だった。
『プラマイゼロ』ではなくて『プラス』にしたい。
このエントリーにわたしは願いを込めていた。
『夢見る頃を過ぎても』那智さんが好きということに価値がある。
『守ってくれようとしている』だけで充分ではないか。
わたしだっていい年をした大人だ、那智さんと大人の恋愛をするのは当然だ。
そう思えるようになりたい。
そう思えたら、きっとそれは『プラス』なはずだ、と。
だけどこれは那智さんに対して『女の子』を諦めることになるということもわかっていた。
諦めることになるけれどそう思うことで解決させるか、でもやっぱり諦められない『一点の曇りもなく』那智さんを好きと無邪気に無垢に思う気持ち良さを取り戻すまで棚上げするか。
この葛藤が、なかなかエントリーをアップさせてくれなかった。
いまからそれをアップしようと思う。
ということはふたりにとって『プラスになれた』と言えるからだ。(多分ね^^)
そして、こんな前置きをしているということは『夢見る頃を過ぎても』でない形になっているからだ。
もうこのエントリーのように願いを込め自分に言い聞かせる必要がなくなったのだ。
だからお蔵入りになるなずのものなんだけど、これは軌跡、必死にもがいていた軌跡を残そうと思ってアップします。
『女の子』を持ち続けることを諦められずもがいていた。
『女の子』のように無邪気に無垢に那智さんを信じられなくてもいいじゃないかと必死に自分に言い聞かせていた。
そんな葛藤が根底に潜むエントリー。
かなり恥ずかしいのだけどアップします^^(恥ずかしくて一回しか読み直せていないのだけど^^;、あんまり恥ずかしいから一ヶ所だけ那智正しちゃったけど^^;)
人は自分に言い聞かせようとするとこんな文章になるというサンプル(笑)
長いけど、よろしければお付き合いくださいな。
『女の子』再生のお話は、この次から^^
『薬指』のキーワードでもある『女の子』。
あまりちゃんとした定義があるわけではなくて、ただ漠然と象徴として『女の子』と書いている。
無邪気な気持ちだったり
守られる存在への憧れだったり
自覚すると優しい気持ちになれたり
ときには欲情のツールだったりもする
わたし本人もはっきり定義できていないのだから、読んでくれている人もきっとそれぞれの『女の子』定義があるのだろうなと思ってる。
なんでもいいのだ、その存在で優しくなれたり慰められたりするのなら。
自分のことを『よしよし』としたり、誰かに『よしよし』としてほしいときに『女の子』を抱きしめることに慣れていると、効果があるよねなんても思う^^
いろいろ便利な『女の子』だけど、こんな感情も『女の子』があるからこそだろうな思うものがある。
それは、疑うことなくまっすぐに那智さんを信じることができる能力(能力といっていいのか!?)
これは『女の子』だからできる部分も大きいと思うのだ。
もちろん、那智さんだって人の子、わたしだって大人の女。
那智さんが全知全能の神じゃないことだって知っている。
酔っぱらいさんで困っちゃうこともあるし、ハリネズミさんでヒヤヒヤすることだってある。
那智さんの知らない漢字をわたしが知っていることだってある(逆もあるけでどね)
だから、那智さんは完璧な人と崇めるように盲信しているということではないのだけど。
わたしに対してということに於いて疑うことなくまっすぐに信じていられるのだ。
那智さんはわたしを裏切らない。
那智さんはわたしを悲しませない。
那智さんはわたしを必ず守ってくれる。
彼のよくないところもわかった上で、この部分で全面的に信頼できることは、もちろんそれまでの実績もあるけれど、わたしの『女の子』がそうさせてくれているところは大きいと思うのだ。
あのね、けっこう相手を全面的に信頼するって難しいことだと思うんだ。
人って意外と言葉の裏を読もうとしてしまったり、相手より優位に立とうとして素直に感情の授受ができなかたったりする。
だから、これができるのも一種の能力だと思っているのです^^
『女の子』という心を自覚できることは、この能力のひとつかな〜と思うのです。
わたしは那智さんを完璧な人間だとは思っていない。
だけど、絶対にわたしを裏切らず守ってくれると信じている。
小さな娘が何の疑いもなくお父さんのひざの上にいるような気持ちで。
これが『女の子』。
那智さんとわたしの付き合いに於いては、とても重要なキーワードだと思っている。
モカのことを区切りをつけて(ひさしぶりモカちゃん登場、またランチしようね^^)、ここにもいろいろ書き、『那智さん好き』という気持ちは戻ってきてるとも書いた。
実際、不思議なほどに『那智さんを愛している』と静かに強く思えていた。
だけど、実はずっとこの『女の子』の部分が抜け落ちてしまっていたのだ。
渦中、わたしの悲しいを那智さんは救ってくれなかった。
それは他者を交えているのだから、一方的にわたしだけを救うことは無理なことは百も承知で、それでも理性ではなく感情が『救ってくれない』と判断してしまう。
おかしい、わたしがあなたを疑うことなく全面的に信じていれば絶対守ってくれるはずなのに、どうして?とわたしは戸惑いながら自分で降り掛かる火の粉を振り払っている気持ちだった。
それでも、この状態はひとり加える時点でわたしも覚悟をしなければならないものだったのだと、わかっている。
だからここで『女の子』が抜け落ちたとしても、それは那智さんと力を借りて自力再生するのがわたしの役割だった。
だからなんとかなるはずだった。
だけど、詳しく書かないことをお許しいただきたいのだけど、実は那智さんは区切りをつけた後、一度大きな失敗を犯してしまったのだ。(追記:これはこの後詳しく書けます。書ける状態になっているからね)
とても些細なことかもしれないけれど、わたしにはとても重要なことだった。
何度も話し合い、謝罪もしてもらい、何度も悲しいに付き合ってくれて、ずっと変わらずそばにいてくれたから不思議と『那智さん愛してる』はほとんど変わらずにいられたけど、どうしても『女の子』でいられなくなってしまっていた。
那智さんの言葉を精査し信じていいか判断してから、信じるようなごく普通の大人の女として彼を愛してるという状態だった。
いや、これが常識的な男女の付き合いだよね。
だから、これで充分愛し合っているはずなんだ。
だけどわたしたちには全面的に信頼して身を任せる者とそれを守る者という『対等で上下』であることが幸福な関係値なのだから、この『女の子』が抜け落ちてしまうことはとても不幸なことなのだ。
あなたのものと思えない。
『対等で上下』『あなたのもの』こんなふうな特殊な恋愛感情を保ち続けるには、それ相当の積み重ねが必要で、この積み重ねたものが崩れ落ちそうな危うい状態になってしまっていたのだ。
この状態は那智さんにも話していた。
変わらずに何度も話し合い、わたしも自分の気持ちをできるだけ詳細に見極め、伝え、崩れそうなときはそれも伝え聞いてもらっていた。
彼の何気ないひと言で、悲しいがぶり返し、それを責めるような気持ちになる。
積み上げては崩し、また積む直す。
こんな作業を繰り返していた。
那智さんをとても愛している、だけど、わたしは那智さんのものじゃないし、那智さんをまっすぐに全面的に信頼するような気持ちにはなれない。
なんの疑いもなく無邪気に素直に信じる『女の子』はいないまま。
2ヶ月くらい、こんな気持ちと積み上げ作業が続いた。
ある日、また積み上げたものが崩れそうになったときがあった。
いつもなら那智さんに助けてもらうおうとするのだけど、この日は自分の力でなんとかしようと思った。
なぜなら、もう話せることが話し尽くしたという気持ちはある。
そして、この崩れそうになる発端がわたしは作ったのだと自覚していたから、いま那智さんに頼ることは適切ではないと判断したのだ。
(ほら、那智さんったら、甘くないからさ、お〜よしよしとかしてくれないでしょ?けっこう電話だと傷口を広げることになったりしちゃんだ(笑)だから会ったときに顔を見て『よしよし』してもらおうと思ったの^^)
幸い、翌日会う約束をしていたから、わたしはこんなメールを打った。
ここは自分で解決します。
那智さんに頼るのは適切ではないと思うから。
だから、今日はお電話はなしでお願いします。
明日、会ったら『よしよし』してください。
了解。
明日、笑顔でね。
本気の笑顔でね。
たかが一日だったけど、わたしは自分で判断して自分で解決しようと思った。
これは那智さんを信じていないから?
ううん、違う。
もう充分那智さんはわたしを支えてくれていることが痛いほどわかっているから、わたしが安心して自分で解決しようと判断できたのは、いままでの積み重ねと那智さんがいてくれることがわかっているから。
わかっていた。
那智さんはずっと変わっていない。
全力でわたしを守ろうとしてくれて、絶対にわたしを悲しませようなんて思っていないって。
ずっと前からそうだ。
わかっていたんだ。
『守ってくれる』のではなく『守ろうとしてくれる』んだって。
例えば『バイオレンス』のときもそうだけど、結果的に悲しくなってしまうことはいままでだってたくさんあった。
そりゃあ、那智さんはスーパーマンじゃないもの、失敗だってする。
そんなこと何年も前からわかっていたことだ。
だけど、そこまで日々明確に言語化しているわけじゃないから、他者を交えるというセンセーショナルなことを前にして、わたしが過度な思い込みをしてしまっていたんだよね。
那智さんはわたしを守ってくれるって。
だから裏切られたような気持ちになってしまっていたんだ。
那智さんだって普通の人。
失敗だってする。
だけど今回わかったことは、那智さんはどんなときも繋いだ手の力を僅かでもゆるめずにいてくれるということだ。
わたしがどんなに悲しくなっても、彼のスタンスを返ることなく、一歩も怯まずそこにずっといてくれるということだ。
那智さんは、ずっと全力で『守ろうとしてくれていた』のだ。
これはきっと強い。
多少は成長して^^;
大人の女として、『女の子』のように那智さんを信頼し疑うことなくいられている。
水をざっと注げば、そのままの水がコップに溜まるように。
たくさん苦しんだ、傷も負った、一滴も絞り出せないほど話し合った、もちろん絶妙な楽しさも味わった。
それらが大小の様々な石としてわたしの心に積み重なる。
上から那智さんは注ぐ水は、その石で濾過されてもっと純度の高いきれいな水になって、わたしを潤してくれるのだ。
わたしは那智さんを愛している。
まっすぐに疑うことなく信じている。
でも那智さんは失敗もする、だけどいつも絶対全力で守ろうとしてくれる。
ときどき失敗したら、そのときはわたしも一緒に転んで一緒に泣いて、また手を引いてもらう。
そのうち受け身も上手になるだろう(笑)
その後からも『守ろうとしてくれる』と全面的に信頼できることは、強いはずだ。
日頃、自分の心に触れて本当の気持ちを見極めてといっているわたし。
ぜんぜん、見極められてない^^;
無理やり思い込もうとしていることが手に取るようにわかる^^;
とーっても恥ずかしい。
自分にウソをついているとわかっていたからずっとアップできなかったんだよね。
さて、前振りが長くなってしまったけど、次回からこれをアップできる気持ちになれたお話をしますね。
で、これをこの前間違ってアップしちゃったんだ〜^^;
鍵コメや拍手コメントくださった方、ありがとうございます。
2、3ヶ月前いまから載せるエントリーを上げようと下書きにしていた。
もうタイトルまで考えて^^
『夢見る頃を過ぎても』というタイトルの下書きはある条件をクリアしたらアップしようと、時々那智正しては保存を繰り返していた。
モカちゃんを招いたことが『傷ついたでも楽しかった』というプラマイゼロではくて、『傷ついたし楽しかった、そして前より良くなった』とプラスの出来事と言えるようになる。
これが条件だった。
『プラマイゼロ』ではなくて『プラス』にしたい。
このエントリーにわたしは願いを込めていた。
『夢見る頃を過ぎても』那智さんが好きということに価値がある。
『守ってくれようとしている』だけで充分ではないか。
わたしだっていい年をした大人だ、那智さんと大人の恋愛をするのは当然だ。
そう思えるようになりたい。
そう思えたら、きっとそれは『プラス』なはずだ、と。
だけどこれは那智さんに対して『女の子』を諦めることになるということもわかっていた。
諦めることになるけれどそう思うことで解決させるか、でもやっぱり諦められない『一点の曇りもなく』那智さんを好きと無邪気に無垢に思う気持ち良さを取り戻すまで棚上げするか。
この葛藤が、なかなかエントリーをアップさせてくれなかった。
いまからそれをアップしようと思う。
ということはふたりにとって『プラスになれた』と言えるからだ。(多分ね^^)
そして、こんな前置きをしているということは『夢見る頃を過ぎても』でない形になっているからだ。
もうこのエントリーのように願いを込め自分に言い聞かせる必要がなくなったのだ。
だからお蔵入りになるなずのものなんだけど、これは軌跡、必死にもがいていた軌跡を残そうと思ってアップします。
『女の子』を持ち続けることを諦められずもがいていた。
『女の子』のように無邪気に無垢に那智さんを信じられなくてもいいじゃないかと必死に自分に言い聞かせていた。
そんな葛藤が根底に潜むエントリー。
かなり恥ずかしいのだけどアップします^^(恥ずかしくて一回しか読み直せていないのだけど^^;、あんまり恥ずかしいから一ヶ所だけ那智正しちゃったけど^^;)
人は自分に言い聞かせようとするとこんな文章になるというサンプル(笑)
長いけど、よろしければお付き合いくださいな。
『女の子』再生のお話は、この次から^^
『薬指』のキーワードでもある『女の子』。
あまりちゃんとした定義があるわけではなくて、ただ漠然と象徴として『女の子』と書いている。
無邪気な気持ちだったり
守られる存在への憧れだったり
自覚すると優しい気持ちになれたり
ときには欲情のツールだったりもする
わたし本人もはっきり定義できていないのだから、読んでくれている人もきっとそれぞれの『女の子』定義があるのだろうなと思ってる。
なんでもいいのだ、その存在で優しくなれたり慰められたりするのなら。
自分のことを『よしよし』としたり、誰かに『よしよし』としてほしいときに『女の子』を抱きしめることに慣れていると、効果があるよねなんても思う^^
いろいろ便利な『女の子』だけど、こんな感情も『女の子』があるからこそだろうな思うものがある。
それは、疑うことなくまっすぐに那智さんを信じることができる能力(能力といっていいのか!?)
これは『女の子』だからできる部分も大きいと思うのだ。
もちろん、那智さんだって人の子、わたしだって大人の女。
那智さんが全知全能の神じゃないことだって知っている。
酔っぱらいさんで困っちゃうこともあるし、ハリネズミさんでヒヤヒヤすることだってある。
那智さんの知らない漢字をわたしが知っていることだってある(逆もあるけでどね)
だから、那智さんは完璧な人と崇めるように盲信しているということではないのだけど。
わたしに対してということに於いて疑うことなくまっすぐに信じていられるのだ。
那智さんはわたしを裏切らない。
那智さんはわたしを悲しませない。
那智さんはわたしを必ず守ってくれる。
彼のよくないところもわかった上で、この部分で全面的に信頼できることは、もちろんそれまでの実績もあるけれど、わたしの『女の子』がそうさせてくれているところは大きいと思うのだ。
あのね、けっこう相手を全面的に信頼するって難しいことだと思うんだ。
人って意外と言葉の裏を読もうとしてしまったり、相手より優位に立とうとして素直に感情の授受ができなかたったりする。
だから、これができるのも一種の能力だと思っているのです^^
『女の子』という心を自覚できることは、この能力のひとつかな〜と思うのです。
わたしは那智さんを完璧な人間だとは思っていない。
だけど、絶対にわたしを裏切らず守ってくれると信じている。
小さな娘が何の疑いもなくお父さんのひざの上にいるような気持ちで。
これが『女の子』。
那智さんとわたしの付き合いに於いては、とても重要なキーワードだと思っている。
モカのことを区切りをつけて(ひさしぶりモカちゃん登場、またランチしようね^^)、ここにもいろいろ書き、『那智さん好き』という気持ちは戻ってきてるとも書いた。
実際、不思議なほどに『那智さんを愛している』と静かに強く思えていた。
だけど、実はずっとこの『女の子』の部分が抜け落ちてしまっていたのだ。
渦中、わたしの悲しいを那智さんは救ってくれなかった。
それは他者を交えているのだから、一方的にわたしだけを救うことは無理なことは百も承知で、それでも理性ではなく感情が『救ってくれない』と判断してしまう。
おかしい、わたしがあなたを疑うことなく全面的に信じていれば絶対守ってくれるはずなのに、どうして?とわたしは戸惑いながら自分で降り掛かる火の粉を振り払っている気持ちだった。
それでも、この状態はひとり加える時点でわたしも覚悟をしなければならないものだったのだと、わかっている。
だからここで『女の子』が抜け落ちたとしても、それは那智さんと力を借りて自力再生するのがわたしの役割だった。
だからなんとかなるはずだった。
だけど、詳しく書かないことをお許しいただきたいのだけど、実は那智さんは区切りをつけた後、一度大きな失敗を犯してしまったのだ。(追記:これはこの後詳しく書けます。書ける状態になっているからね)
とても些細なことかもしれないけれど、わたしにはとても重要なことだった。
何度も話し合い、謝罪もしてもらい、何度も悲しいに付き合ってくれて、ずっと変わらずそばにいてくれたから不思議と『那智さん愛してる』はほとんど変わらずにいられたけど、どうしても『女の子』でいられなくなってしまっていた。
那智さんの言葉を精査し信じていいか判断してから、信じるようなごく普通の大人の女として彼を愛してるという状態だった。
いや、これが常識的な男女の付き合いだよね。
だから、これで充分愛し合っているはずなんだ。
だけどわたしたちには全面的に信頼して身を任せる者とそれを守る者という『対等で上下』であることが幸福な関係値なのだから、この『女の子』が抜け落ちてしまうことはとても不幸なことなのだ。
あなたのものと思えない。
『対等で上下』『あなたのもの』こんなふうな特殊な恋愛感情を保ち続けるには、それ相当の積み重ねが必要で、この積み重ねたものが崩れ落ちそうな危うい状態になってしまっていたのだ。
この状態は那智さんにも話していた。
変わらずに何度も話し合い、わたしも自分の気持ちをできるだけ詳細に見極め、伝え、崩れそうなときはそれも伝え聞いてもらっていた。
彼の何気ないひと言で、悲しいがぶり返し、それを責めるような気持ちになる。
積み上げては崩し、また積む直す。
こんな作業を繰り返していた。
那智さんをとても愛している、だけど、わたしは那智さんのものじゃないし、那智さんをまっすぐに全面的に信頼するような気持ちにはなれない。
なんの疑いもなく無邪気に素直に信じる『女の子』はいないまま。
2ヶ月くらい、こんな気持ちと積み上げ作業が続いた。
ある日、また積み上げたものが崩れそうになったときがあった。
いつもなら那智さんに助けてもらうおうとするのだけど、この日は自分の力でなんとかしようと思った。
なぜなら、もう話せることが話し尽くしたという気持ちはある。
そして、この崩れそうになる発端がわたしは作ったのだと自覚していたから、いま那智さんに頼ることは適切ではないと判断したのだ。
(ほら、那智さんったら、甘くないからさ、お〜よしよしとかしてくれないでしょ?けっこう電話だと傷口を広げることになったりしちゃんだ(笑)だから会ったときに顔を見て『よしよし』してもらおうと思ったの^^)
幸い、翌日会う約束をしていたから、わたしはこんなメールを打った。
ここは自分で解決します。
那智さんに頼るのは適切ではないと思うから。
だから、今日はお電話はなしでお願いします。
明日、会ったら『よしよし』してください。
了解。
明日、笑顔でね。
本気の笑顔でね。
たかが一日だったけど、わたしは自分で判断して自分で解決しようと思った。
これは那智さんを信じていないから?
ううん、違う。
もう充分那智さんはわたしを支えてくれていることが痛いほどわかっているから、わたしが安心して自分で解決しようと判断できたのは、いままでの積み重ねと那智さんがいてくれることがわかっているから。
わかっていた。
那智さんはずっと変わっていない。
全力でわたしを守ろうとしてくれて、絶対にわたしを悲しませようなんて思っていないって。
ずっと前からそうだ。
わかっていたんだ。
『守ってくれる』のではなく『守ろうとしてくれる』んだって。
例えば『バイオレンス』のときもそうだけど、結果的に悲しくなってしまうことはいままでだってたくさんあった。
そりゃあ、那智さんはスーパーマンじゃないもの、失敗だってする。
そんなこと何年も前からわかっていたことだ。
だけど、そこまで日々明確に言語化しているわけじゃないから、他者を交えるというセンセーショナルなことを前にして、わたしが過度な思い込みをしてしまっていたんだよね。
那智さんはわたしを守ってくれるって。
だから裏切られたような気持ちになってしまっていたんだ。
那智さんだって普通の人。
失敗だってする。
だけど今回わかったことは、那智さんはどんなときも繋いだ手の力を僅かでもゆるめずにいてくれるということだ。
わたしがどんなに悲しくなっても、彼のスタンスを返ることなく、一歩も怯まずそこにずっといてくれるということだ。
那智さんは、ずっと全力で『守ろうとしてくれていた』のだ。
これはきっと強い。
多少は成長して^^;
大人の女として、『女の子』のように那智さんを信頼し疑うことなくいられている。
水をざっと注げば、そのままの水がコップに溜まるように。
たくさん苦しんだ、傷も負った、一滴も絞り出せないほど話し合った、もちろん絶妙な楽しさも味わった。
それらが大小の様々な石としてわたしの心に積み重なる。
上から那智さんは注ぐ水は、その石で濾過されてもっと純度の高いきれいな水になって、わたしを潤してくれるのだ。
わたしは那智さんを愛している。
まっすぐに疑うことなく信じている。
でも那智さんは失敗もする、だけどいつも絶対全力で守ろうとしてくれる。
ときどき失敗したら、そのときはわたしも一緒に転んで一緒に泣いて、また手を引いてもらう。
そのうち受け身も上手になるだろう(笑)
その後からも『守ろうとしてくれる』と全面的に信頼できることは、強いはずだ。
日頃、自分の心に触れて本当の気持ちを見極めてといっているわたし。
ぜんぜん、見極められてない^^;
無理やり思い込もうとしていることが手に取るようにわかる^^;
とーっても恥ずかしい。
自分にウソをついているとわかっていたからずっとアップできなかったんだよね。
さて、前振りが長くなってしまったけど、次回からこれをアップできる気持ちになれたお話をしますね。
で、これをこの前間違ってアップしちゃったんだ〜^^;
鍵コメや拍手コメントくださった方、ありがとうございます。
夢見る頃をすぎても3
独特な幸福感
どこから書いていこう。
ちょっと無計画にキーボードを叩きはじめています。
まず毎度毎度なんだけど、このエントリーを書くことを快諾してくれて、わたしたちとの時間を『とても大きなプラス』で『いまでも大好きな時間』と言ってくれたモカちゃんに、あなたへの感謝と大好きだよの気持ちを込めて。
どうかここから書くことは那智さんとわたしの間のことだとご理解いただき、いま新しい道を歩いている(彼ができたんだよ^^)モカちゃんに祝福の気持ちで読んでいただけるとうれしいです。
夏の日だった。
一度モカちゃんとランチしていろいろ話してまだ間もないうち、また3人でご飯を食べようということを提案した、わたしから。
一 時しのぎとはいえ連絡を取らないなんて一方的なやり方をしているのも心苦しかったし、あの時間はウソじゃなかったことを那智さんの顔を見てモカちゃんにより 感じてほしかったし、逆にモカちゃんの顔を見て那智さんにも安心(そう簡単に安心できないにしても)してもらいたかったから。
モカちゃんを見る那智さんを見るのは少し怖い気もしたけど、提案したのにはもうひとつ期待していることがあったからだ。
それは、どんなに3人の心地よい空間が蘇っても那智さんは那智さんでいてくれる。
もともとの3人のバランスにプラス『わたしに対する最大限の配慮』を感じることで癒え切れていない傷を一刻も早く治したいという期待だった。
那智さんは『2度デートすれば元に戻れる』と言っていたけど、いくらデートを重ねてもどうしても『元に戻る』と感じられない自分に焦っていたのかもしれない。
『根幹を揺るがす』ようなものにはならずにいたから那智さんが好きという気持ちは比較的早く感じられるようになっていたけど、無邪気に無垢に那智さんのことをまっすぐ疑うことなく信じる『女の子』的感覚がなくなったままだったのだ。
これがないと、わたしは心底幸福に感じられないので、ちょっと焦っていた。
3人で会うことで、もしかしたらその部分が回復できるのではないか、早く回復させたいという気持ちもあったのだ。
那智さんはこれは『お試し』にしようと言った。
3人で会って誰かが不快に感じたら正直に話して、またその先を考えようと。
わたしが悲しくなることはもちろんだけど、例えばモカちゃんが居心地悪くてなんてこともあるかもしれない。
最初に『お試しね』としておくことで悲しくなる予防線を張ろうとしてたんだ。
これはモカちゃんにも伝えてあった。
自分と会うことを『お試し』なんていう位置付けにされても彼女は快く了解してくれた。
これは彼女の素直な心と、付き合っていた中でおそらくわたしたちに悪意はないということを理解してくれていたのだと思う。
そして那智さんは傷を回復させたいと焦るわたしに『会って楽しく過ごすことと傷を治すことは切り離して考えたほうがいい』と釘を刺していた。
「俺がりん子を大好きなことはわかっているだろ?でも俺はウソをつきたくないから、いつも通り俺のしたいようにする」
そんなふうに言う那智さんは『会って楽しく過ごすこと』と『傷を癒すこと』は別物だと理解していたんだね。
わたしは、3人の笑い合う時間への郷愁と『女の子』を回復させる足がかりになるかもという期待と、また悲しくなるかもしれないという僅かな怖さでその日を待っていた。
ご飯はお酒も入って、とても楽しいものになった。
モ カちゃんは妹キャラでいつつも、ほんの少し見えないラインを引いてこちらに気遣いながらも大いに楽しんでくれているようだったし、那智さんも細心の注意を払 い、あの3人の空気を保ちながらもわたしを優先するように心がけ、でもモカちゃんにも楽しんでもらうようにしていた(たぶん、そう気配りしてくれていたと 思う)
ほとんどカンペキだった。
言葉は悪いけど、こんなふうに那智さんがいつでもわたしを優先してくれていたら、この先あの濃い関係とは違っても、また一緒にご飯を食べたり楽しいお付き合いが続けられるような気持ちになっていた。
その日モカちゃんはいつもと違う髪型をしていて、ちょっぴり大人っぽい印象だった。
お酒も進み、那智さんがその雰囲気を『ホントは子供のくせに』ってからかい出した。
ちょっとイヤな予感。
モカちゃんを子供扱いすることは那智さんの無意識の常套手段だ。
僅かにラインを引いてくれているモカちゃんのラインを乗り越えさせたくなっているのが伝わった。
ほら、いままで自分に懐いていた後輩に彼氏ができたら嬉しい反面ちょっとこちらを懐かしく思わせたくなるような心理ね。
(これは那智さんの意識にはまったくなかったそうです。でもわたしには感じられたから、そのまま記しておきます)
でもそこからどうなることもなく数時間はあっという間に過ぎた。
ほろ酔いの上機嫌。
那智さんもずいぶん酔っぱらってるな〜という感じだった。
駅までの道のり。
以前、酔った勢いで下着を買ってもらったショップのそばを通った。
ピンクやふわふわ、苺やらハートやらの『女の子』的ルームウェアやインナーを扱っているところだ。
「この前、りん子にパンツ買ったんだよ。モカにも買ってあげようか〜。あ、でも時間ないか」
電車の時間が迫っていたから自身で却下して買ってあげることになならなかったけど、わたしはちょっとヒヤヒヤしていた。
今日の記念にわたしと同じパンツを買ってあげるとしたら、それはさほど問題ない。
でも少し違う。
ただ、那智さんは『買ってあげたくなっている』のだ。
那智さんという人は、人が喜ぶことをすることが大好きだ。
もう性癖と言ってしまえるほど。
恐らくモカちゃんはいまさら苺のパンツをもらっても困惑するだろうけど、あの頃の関係値が蘇り、一瞬喜んでしまうことは想像できる。
ラインを引いてくれていた彼女を『一瞬喜ばす』ことで一瞬引き戻したいのか、単に喜ばせたいだけか、とにかく那智さんの『喜ばせたい』欲望が、わたしのほしい種類の『喜ばせたい』が、わたしではなくモカちゃんに向いていると感じられてヒヤヒヤしていた。
結局そのまま駅につき、方向が違うわたしだけ駅で別れた。
笑って手を振り、ホームに向かう。
携帯の時間を見る。
那智さんとモカちゃんは同じ電車に乗り、那智さんが先に降りる。
その間7分。
那智さんずいぶん酔っぱらっていたな。
もしかしたら、キスくらいしちゃうかもしれないな。
いや、キスくらい多分平気だ、わたしのいないところでキスしたいと思う気持ちがイヤなんだな。
いつもなら別れたらすぐ『今日も幸せでした』ってメールするけど、なんだかモカちゃんがいる間にメールをすると那智さんを監視しているみたいでイヤだな。
なんとなく、さっきのパンツのこともあるしちょっとイヤな予感がするけど、那智さんがわたしを悲しませるようなことはしないと信頼しよう。
きっと7分後には『いま別れたよ』ってメールしてくれるかもしれない。
いろいろ考えてメールを送るのをやめた。
電車に乗り、もう一度時間をチェックする。
もう7分は過ぎている。
そろそろいいかなと『今日も幸せでした』といつも通りメールを送る。
那智さんから返信はなかった。
ちょっと気になりはしたけど、お酒を飲んだときはよくあること、乗り過ごしたりして数時間後に『おやすみ^^』といきなりメールが来たりするのであまり深く考えるのはやめておいた。
この夜。
わたしがメールを送ろうか悩んでいた7分間。
もちろんキスなんてしていない。
ましてホテルに行ったりなんてこともない。(そりゃ、モカちゃん拒否するでしょうし^^)
だけど『女の子』がいることが幸福なわたしに、苦しかったことが過去のものになっていなかったわたしに、充分過ぎるほどのダメージを与えることを那智さんはしていたのだ。
それは翌日の夕方モカちゃんから届いたメールで知ることになる。
3人でご飯を食べた翌日、『昨日は酔っぱらって寝過ごしちゃった』とかなんとかいつもと同じパターンで一日がはじまった。
『喜ばせたい性 癖(笑)』がチラチラッと見え隠れしていたけど、それでも細心の注意を払ってくれたことに感謝の気持ちを伝え、なんとかまた時々モカちゃんと会ってみんな で楽しくご飯を食べたりできそうだし、那智さんに対するまっすぐに信頼する気持ちも取り戻せるかもしれないと、少し期待していた。
夕方になってモカちゃんからメールが届いた。
そこには明るいトーンで、昨夜わたしと別れた後駅の売店でクマのクッキーを買ってもらったことが書かれていた。
そうなんだ。
那智さんは、わたしが彼を信頼しようと思っていた時間に、モカちゃんにクマのクッキーを買ってあげていたんだ。
わたしのいないところで『喜ばせたい』をしたこと自体許せないのだけど、それが『クマのクッキー』だったのだ。
怒りと失望に震えるようだった。
どこから書いていこう。
ちょっと無計画にキーボードを叩きはじめています。
まず毎度毎度なんだけど、このエントリーを書くことを快諾してくれて、わたしたちとの時間を『とても大きなプラス』で『いまでも大好きな時間』と言ってくれたモカちゃんに、あなたへの感謝と大好きだよの気持ちを込めて。
どうかここから書くことは那智さんとわたしの間のことだとご理解いただき、いま新しい道を歩いている(彼ができたんだよ^^)モカちゃんに祝福の気持ちで読んでいただけるとうれしいです。
夏の日だった。
一度モカちゃんとランチしていろいろ話してまだ間もないうち、また3人でご飯を食べようということを提案した、わたしから。
一 時しのぎとはいえ連絡を取らないなんて一方的なやり方をしているのも心苦しかったし、あの時間はウソじゃなかったことを那智さんの顔を見てモカちゃんにより 感じてほしかったし、逆にモカちゃんの顔を見て那智さんにも安心(そう簡単に安心できないにしても)してもらいたかったから。
モカちゃんを見る那智さんを見るのは少し怖い気もしたけど、提案したのにはもうひとつ期待していることがあったからだ。
それは、どんなに3人の心地よい空間が蘇っても那智さんは那智さんでいてくれる。
もともとの3人のバランスにプラス『わたしに対する最大限の配慮』を感じることで癒え切れていない傷を一刻も早く治したいという期待だった。
那智さんは『2度デートすれば元に戻れる』と言っていたけど、いくらデートを重ねてもどうしても『元に戻る』と感じられない自分に焦っていたのかもしれない。
『根幹を揺るがす』ようなものにはならずにいたから那智さんが好きという気持ちは比較的早く感じられるようになっていたけど、無邪気に無垢に那智さんのことをまっすぐ疑うことなく信じる『女の子』的感覚がなくなったままだったのだ。
これがないと、わたしは心底幸福に感じられないので、ちょっと焦っていた。
3人で会うことで、もしかしたらその部分が回復できるのではないか、早く回復させたいという気持ちもあったのだ。
那智さんはこれは『お試し』にしようと言った。
3人で会って誰かが不快に感じたら正直に話して、またその先を考えようと。
わたしが悲しくなることはもちろんだけど、例えばモカちゃんが居心地悪くてなんてこともあるかもしれない。
最初に『お試しね』としておくことで悲しくなる予防線を張ろうとしてたんだ。
これはモカちゃんにも伝えてあった。
自分と会うことを『お試し』なんていう位置付けにされても彼女は快く了解してくれた。
これは彼女の素直な心と、付き合っていた中でおそらくわたしたちに悪意はないということを理解してくれていたのだと思う。
そして那智さんは傷を回復させたいと焦るわたしに『会って楽しく過ごすことと傷を治すことは切り離して考えたほうがいい』と釘を刺していた。
「俺がりん子を大好きなことはわかっているだろ?でも俺はウソをつきたくないから、いつも通り俺のしたいようにする」
そんなふうに言う那智さんは『会って楽しく過ごすこと』と『傷を癒すこと』は別物だと理解していたんだね。
わたしは、3人の笑い合う時間への郷愁と『女の子』を回復させる足がかりになるかもという期待と、また悲しくなるかもしれないという僅かな怖さでその日を待っていた。
ご飯はお酒も入って、とても楽しいものになった。
モ カちゃんは妹キャラでいつつも、ほんの少し見えないラインを引いてこちらに気遣いながらも大いに楽しんでくれているようだったし、那智さんも細心の注意を払 い、あの3人の空気を保ちながらもわたしを優先するように心がけ、でもモカちゃんにも楽しんでもらうようにしていた(たぶん、そう気配りしてくれていたと 思う)
ほとんどカンペキだった。
言葉は悪いけど、こんなふうに那智さんがいつでもわたしを優先してくれていたら、この先あの濃い関係とは違っても、また一緒にご飯を食べたり楽しいお付き合いが続けられるような気持ちになっていた。
その日モカちゃんはいつもと違う髪型をしていて、ちょっぴり大人っぽい印象だった。
お酒も進み、那智さんがその雰囲気を『ホントは子供のくせに』ってからかい出した。
ちょっとイヤな予感。
モカちゃんを子供扱いすることは那智さんの無意識の常套手段だ。
僅かにラインを引いてくれているモカちゃんのラインを乗り越えさせたくなっているのが伝わった。
ほら、いままで自分に懐いていた後輩に彼氏ができたら嬉しい反面ちょっとこちらを懐かしく思わせたくなるような心理ね。
(これは那智さんの意識にはまったくなかったそうです。でもわたしには感じられたから、そのまま記しておきます)
でもそこからどうなることもなく数時間はあっという間に過ぎた。
ほろ酔いの上機嫌。
那智さんもずいぶん酔っぱらってるな〜という感じだった。
駅までの道のり。
以前、酔った勢いで下着を買ってもらったショップのそばを通った。
ピンクやふわふわ、苺やらハートやらの『女の子』的ルームウェアやインナーを扱っているところだ。
「この前、りん子にパンツ買ったんだよ。モカにも買ってあげようか〜。あ、でも時間ないか」
電車の時間が迫っていたから自身で却下して買ってあげることになならなかったけど、わたしはちょっとヒヤヒヤしていた。
今日の記念にわたしと同じパンツを買ってあげるとしたら、それはさほど問題ない。
でも少し違う。
ただ、那智さんは『買ってあげたくなっている』のだ。
那智さんという人は、人が喜ぶことをすることが大好きだ。
もう性癖と言ってしまえるほど。
恐らくモカちゃんはいまさら苺のパンツをもらっても困惑するだろうけど、あの頃の関係値が蘇り、一瞬喜んでしまうことは想像できる。
ラインを引いてくれていた彼女を『一瞬喜ばす』ことで一瞬引き戻したいのか、単に喜ばせたいだけか、とにかく那智さんの『喜ばせたい』欲望が、わたしのほしい種類の『喜ばせたい』が、わたしではなくモカちゃんに向いていると感じられてヒヤヒヤしていた。
結局そのまま駅につき、方向が違うわたしだけ駅で別れた。
笑って手を振り、ホームに向かう。
携帯の時間を見る。
那智さんとモカちゃんは同じ電車に乗り、那智さんが先に降りる。
その間7分。
那智さんずいぶん酔っぱらっていたな。
もしかしたら、キスくらいしちゃうかもしれないな。
いや、キスくらい多分平気だ、わたしのいないところでキスしたいと思う気持ちがイヤなんだな。
いつもなら別れたらすぐ『今日も幸せでした』ってメールするけど、なんだかモカちゃんがいる間にメールをすると那智さんを監視しているみたいでイヤだな。
なんとなく、さっきのパンツのこともあるしちょっとイヤな予感がするけど、那智さんがわたしを悲しませるようなことはしないと信頼しよう。
きっと7分後には『いま別れたよ』ってメールしてくれるかもしれない。
いろいろ考えてメールを送るのをやめた。
電車に乗り、もう一度時間をチェックする。
もう7分は過ぎている。
そろそろいいかなと『今日も幸せでした』といつも通りメールを送る。
那智さんから返信はなかった。
ちょっと気になりはしたけど、お酒を飲んだときはよくあること、乗り過ごしたりして数時間後に『おやすみ^^』といきなりメールが来たりするのであまり深く考えるのはやめておいた。
この夜。
わたしがメールを送ろうか悩んでいた7分間。
もちろんキスなんてしていない。
ましてホテルに行ったりなんてこともない。(そりゃ、モカちゃん拒否するでしょうし^^)
だけど『女の子』がいることが幸福なわたしに、苦しかったことが過去のものになっていなかったわたしに、充分過ぎるほどのダメージを与えることを那智さんはしていたのだ。
それは翌日の夕方モカちゃんから届いたメールで知ることになる。
3人でご飯を食べた翌日、『昨日は酔っぱらって寝過ごしちゃった』とかなんとかいつもと同じパターンで一日がはじまった。
『喜ばせたい性 癖(笑)』がチラチラッと見え隠れしていたけど、それでも細心の注意を払ってくれたことに感謝の気持ちを伝え、なんとかまた時々モカちゃんと会ってみんな で楽しくご飯を食べたりできそうだし、那智さんに対するまっすぐに信頼する気持ちも取り戻せるかもしれないと、少し期待していた。
夕方になってモカちゃんからメールが届いた。
そこには明るいトーンで、昨夜わたしと別れた後駅の売店でクマのクッキーを買ってもらったことが書かれていた。
そうなんだ。
那智さんは、わたしが彼を信頼しようと思っていた時間に、モカちゃんにクマのクッキーを買ってあげていたんだ。
わたしのいないところで『喜ばせたい』をしたこと自体許せないのだけど、それが『クマのクッキー』だったのだ。
怒りと失望に震えるようだった。
夢見る頃をすぎても4
独特な幸福感
人は怒りで震えるということがあるんだ。
夕方に届いたモカちゃんからのメールを那智さんに伝えた。
ちなみに、5%くらいの怒りはモカちゃんを悩ませた那智さんに対して。モカちゃんは、これを伝えるべきか、伝えるならどういうトーンならわたしが悲しくならないか、きっとたくさん考えてくれたはずだ(だから夕方までかかってしまったんだね)、だからそんな負担をかけさせた那智さんに対して。そして2%くらいの怒りは、避けられない事態だったことはわかるけどクッキーを受け取ったモカちゃんに対して。これに対しては彼女も『喜んじゃったしね』と認めてくれている。ここは敢えてモカちゃんのことも書きますね。それはわたしたちが対等な関係だという証拠^^
残りは、ただただ那智さんの行為に対する怒りだった。
酔っぱらっていれば何でも許されるわけない。
酔っていても犯罪は犯さないのだから、たとえ忘れていたとしても『判断』しているんだ。
まずその判断に対してきちんと謝罪をしてもらった。
その後も話し合いを繰り返す。
話し合ううちに怒りと失望の理由が感じられてくる。
どうやら、ふたりの間でこの行為の重大さに、どうしても埋められないギャップがあったこともわたしを釈然とさせてくれなかったのだ。
那智さんはモカちゃんじゃなくても手土産を渡すことはあるし、それとこれに差異はないつもりのようだ。
プレゼントしたい人にはする、そこに他意はないということらしい。
ましてブランド品や高価なものでもない駅の売店のクッキーだ、それにりん子が怒り震えることが理解できなかったのだ。
一方、わたしは、かつてわたしを苦しめた『娘扱い』の対象である彼女に、わたしのいないところでプレゼントしたことが、尚かつそれが『クマのクッキー』というお父さんが小さな女の子に買ってあげるようなわたしがほしくてももらえなかったものだということが許せなかった。
『ぬいぐるみ』というエントリーでクマのぬいぐるみを買ってもらって『わたしは女の子でいることが好きな女だ』思えたと書いた。
クマはある意味わたしの『女の子』の象徴でもあった。
あのぬいぐるみはわたしが選んだ。
クマのクッキーは那智さんが買ってあげようと思って買った。
『わたしのほしいもの』をわたしじゃない女性に自主的に買ってあげたのだ。
あれほど苦しいと訴えてもなお那智さんは『わたしのほしいもの』をあげていたのだ。
3人のとき苦しかったのは『基本3人と言われたこと』と『わたしのほしい娘をあげていること』と『わたしの悲しいをわかってくれないこと』だった。
この『クマのクッキー』を買ってあげるという行為は『わたしのほしいものをあげる』『悲しいをわかってくれていない』と思わせる行為だ。
怒りと失望。
謝罪をしてもらっても、この感情のギャップと悲しい気持ちをわかってくれないことが怒りと失望を鎮めてくれなかった。
『基本3人』のショックは和らいでいたものの、一生懸命塞ごうとしている残りのふたつの苦しいの傷口に再びナイフを突き立てるようなことだった。
傷口からダラダラと血が流れるような中でも、那智さんのスタンスはほとんど変わらなかった。
俺はりん子が大事。
だけどりん子の機嫌を伺って行動や言動を変えたくない。
それをしたらりん子が俺を信じられなくなるだろ。
いまは悲しいかもしれないし好きが減っているかもしれないけど、いつかもっと深くなれたねって思える日が来ることを楽しみにしている。
いまは俺とりん子ふたりだということ、それを信じてもらうしかない
このスタンスで、また積み上げる日々がはじまった。
言葉の通り那智さんはずっとわたしを大事にしてくれて、何も変わらず愛してくれていた。
ときどきほんの少しいたわってくれているな、上塗りをしてくれているなと感じさせてくれるけど、基本は変わらない。
淡々といつものように優しく真摯に積み上げる。
涙を流し、伝え、話をして安心する。
その都度いろいろな角度から本当にたくさんの話し合いをした。
『クマのクッキー』の衝撃を和らげるような対処療法のような日々。
時間かけて日中突然涙が溢れるようなことはなくなってきた。
那智さんに触れると幸せな気持ちになれる、ちょっと安堵する。
それでもやっぱり『女の子』の感覚はないままだ。
無邪気に無垢に疑うことなくあなたを信じて身を任せる、という気持ちになれない。
会って、触れると一瞬戻るような気がするけど、すぐいなくなる。
那智さんのことを無邪気に信じられないということは、とても苦しいことだった。
この苦しさは怒りや悲しみではなく、わたし自身の心に対してだった。
たとえば『ぬいぐるみ』を買ってくれたときのような、たとえば那智少年の家のカフェに出会ったときのような、首の長さを測ってもらったときのような、あの何の心配事もなく那智さんに寄りかかれていた、綿菓子みたいなふわふわしてキレイな気持ちにはもうなれないのだろうか。
それでも那智さんを愛しているということに価値があるのだろうか。
諦めるのか、それが正解なのか。
綿菓子のような気持ちになれないこと、それを諦めてしまいそうなこと。
それを諦めるのは那智さんとの付き合いにおいて決定的な損失になると感じていた。
苦しいのは、諦めそうな心と諦めたくない心の葛藤だった。
那智さんを疑うことなくまっすぐ信じられないということは『対等で上下』の関係に大きな影を落とす。
たとえばとても些細なこと、那智さんがモカちゃんのことを『アイツ』と呼ぶ、そんなようなことに過剰に反応するようになってしまう。
まるで一度傷を負わされたネコが近寄る人を威嚇するように。
那智さんは『アイツ』と呼んだことに、それ以外の感情や意図はないと言うけれどどうしてもいろいろ考えてしまう。
モカちゃんのことが可愛くて可愛くてしょうがないんじゃないか。
本当はおしまいにしたことを後悔しているんじゃないか。
深読みや裏読み。
長年かけて構築していた策略や打算のない中でまっすぐに信頼するという上下の下の感情が脆くも崩れていきそうになる。
そして、そうなると疑う泥沼から這い上がりたくて間違った方法をとってしまう。
『心ちゃんと事実さん』というエントリーで書いたようなことを戯れ言ではない場面でしてしまうのだ。
たとえば『アイツ』と聞いたあとに這い上がりたくてこんなことを切り出してみる。
「那智さん、わたしがもう一回モカちゃんを仲間に入れてってお願いしたらどうします?」
実際どう思うかではなく『もうしないよ』とだけ言ってくれればいいのだ。
(わたしだって3人のときの郷愁はあるのだから100%否定というわけじゃないのだしね)
でも那智さんはウソをついてくれない。
「もしもう一度ということなら、今度は違う付き合い方をするな」
「どんな付き合い方?(あー、そんなこと聞きたいんじゃないよ〜^^;)」
「たとえば、モカちゃんの教育というスタンスではなくて、もっと俺の快感を優先するとか」
こんなふうにその質問に対する答えを言ってくれちゃうのだ^^;
結局、傷口を広げるようなことになってしまう。
(この失敗があのエントリーを書かせた 笑)
疑うということは、更なる泥沼にわたしを突き落とす。
それでもスタンスは変わらない。
俺は、りん子に質問されたから考えて答えただけ。
その答えにウソをつきたくないだけだよ。
ちょっと気持ちをねじ曲げて『もうしないよ』なんて言ってくれればいいのに、そうしたほうが那智さんだってラクなはずなのに変えてくれない。
いまはこの姿勢が新しい思考回路を作ってくれたからいいのだけど(これは後日の予定^^)、それまではずっと『ウソをつきたくない那智さん』と『わたしの気持ちをわかってくれない』の失敗が何度かあって、そのたびにまた疑うことなく信じる『女の子』的な感情を諦めないといけないのかなと思っていた。
秋が過ぎ、コートが必要な季節になり。
『女の子』のような気持ちが戻らない苦しさが続く中それでも基本的には普通に愛し合う日々は送れるようになっていたのだけど、那智さんの些細なひと言に落ち込み、それをなんとか再生したいと同じようなことを繰り返してしまった。
わたしの投げかけに対して、それに対する答えを言ってくれちゃうのだ
やっぱり、那智さんはウソをついてくれない。
もう何回目だ。
大げさだけど死ぬほど自分の心を見つめて、話し合いを繰り返しても、様々な思考回路の那智正や確認を重ねても、なお積み上げては崩れる。
俺はりん子のことが大事だ。
いつかよかったと思える日が必ず来る。
それを楽しみにしよう。
でも俺はりん子に対して思ったことを口にしたい。
そうしないとりん子は俺を信じられなくなるだろ。
同じことを言い続けてくれる。
『いつか』と那智さんはいうけれど、その日が来る前にたくさんのものを諦めてしまいそうだ。
『夢見る頃を過ぎても』と。
わたしは大人だ、夢だけ見ているわけではない。
だけど那智さんに対して『女の子』でいることは『夢』だ。
夢見る頃を過ぎても、なお夢を見る『女の子』を持っていたい。
だって、あの綿菓子みたいな『女の子』は、疑うことなくまっすぐ信じていられる『下』は、わたしにとって何にも代え難い幸福なんだ。
どうしたらいいのだろう。
わたしとしては八方塞がりな週末だった。
ふと視線を落とす。
新聞にある地名が載っていた。
それは3人が会っていた街の名前。
これまでわたしはこの地名に触れるとドキドキしてしまっていた。
不思議なものでモカちゃんに会うことよりも『薬指』を読み返すよりも、あの地名に触れることが『苦しかった』ことを蘇らせていた。
不意に思いついた。
次のデートのときあの街に行こう。
モカちゃんに会うと『あの楽しいは本当だった』とせつなく思える。
過去エントリーを読むと胸が甘く高鳴る。
だったらあの街に行くことで、苦しかったことをおしまいにすることができるかもしれない。
那智さんとの新しい思い出を作れば、そこは3人の楽しい思い出の街になってくれるかもしれない。
もしかしたら、傷に塩を塗る行為になる可能性もある。
でもわたしは藁をも掴む思いだった。
明後日のデート○○に行ってくれませんか?
提案する。
那智さんはこの提案をわたしからすることに価値があり、それを待っていたのだそうだ。
逃げるのではなく前に進むための良い考えだと褒めてくれた。
ねえ、那智さん。
○○でわたしを手を繋いで。
3人のとき、那智さんはわたしとふたり手を繋いででモカちゃんを見ていたと言っていましたよね。
じゃあ、ホントに繋いで歩いてください。
そしてモカちゃんにしたことをわたしにもして。
同じオモチャがほしいとヤキモチを焼く子供のようなお願いをする。
もしダメだったら、また別な方法を一緒に考えてもらおう。
那智さんに対して『女の子』のようにまっすぐに疑わず信じる綿菓子のような心を取り戻すことを諦めたくはなかった。
雨が上がりの朝、もう一度あの街の駅に降りた。
<関連エントリー>
失敗しちゃう『心ちゃんと事実さん』
あの頃のようになれないかもしれないと思った、あの頃^^
『ぬいぐるみ』
『小さな奇跡』
『過去の私、未来の私』
ちょっといっぱいだけど『対等で上下』について
『ゴールを決めない』
『ゴールを決めない理由』
『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』
『対等で上下』
人は怒りで震えるということがあるんだ。
夕方に届いたモカちゃんからのメールを那智さんに伝えた。
ちなみに、5%くらいの怒りはモカちゃんを悩ませた那智さんに対して。モカちゃんは、これを伝えるべきか、伝えるならどういうトーンならわたしが悲しくならないか、きっとたくさん考えてくれたはずだ(だから夕方までかかってしまったんだね)、だからそんな負担をかけさせた那智さんに対して。そして2%くらいの怒りは、避けられない事態だったことはわかるけどクッキーを受け取ったモカちゃんに対して。これに対しては彼女も『喜んじゃったしね』と認めてくれている。ここは敢えてモカちゃんのことも書きますね。それはわたしたちが対等な関係だという証拠^^
残りは、ただただ那智さんの行為に対する怒りだった。
酔っぱらっていれば何でも許されるわけない。
酔っていても犯罪は犯さないのだから、たとえ忘れていたとしても『判断』しているんだ。
まずその判断に対してきちんと謝罪をしてもらった。
その後も話し合いを繰り返す。
話し合ううちに怒りと失望の理由が感じられてくる。
どうやら、ふたりの間でこの行為の重大さに、どうしても埋められないギャップがあったこともわたしを釈然とさせてくれなかったのだ。
那智さんはモカちゃんじゃなくても手土産を渡すことはあるし、それとこれに差異はないつもりのようだ。
プレゼントしたい人にはする、そこに他意はないということらしい。
ましてブランド品や高価なものでもない駅の売店のクッキーだ、それにりん子が怒り震えることが理解できなかったのだ。
一方、わたしは、かつてわたしを苦しめた『娘扱い』の対象である彼女に、わたしのいないところでプレゼントしたことが、尚かつそれが『クマのクッキー』というお父さんが小さな女の子に買ってあげるようなわたしがほしくてももらえなかったものだということが許せなかった。
『ぬいぐるみ』というエントリーでクマのぬいぐるみを買ってもらって『わたしは女の子でいることが好きな女だ』思えたと書いた。
クマはある意味わたしの『女の子』の象徴でもあった。
あのぬいぐるみはわたしが選んだ。
クマのクッキーは那智さんが買ってあげようと思って買った。
『わたしのほしいもの』をわたしじゃない女性に自主的に買ってあげたのだ。
あれほど苦しいと訴えてもなお那智さんは『わたしのほしいもの』をあげていたのだ。
3人のとき苦しかったのは『基本3人と言われたこと』と『わたしのほしい娘をあげていること』と『わたしの悲しいをわかってくれないこと』だった。
この『クマのクッキー』を買ってあげるという行為は『わたしのほしいものをあげる』『悲しいをわかってくれていない』と思わせる行為だ。
怒りと失望。
謝罪をしてもらっても、この感情のギャップと悲しい気持ちをわかってくれないことが怒りと失望を鎮めてくれなかった。
『基本3人』のショックは和らいでいたものの、一生懸命塞ごうとしている残りのふたつの苦しいの傷口に再びナイフを突き立てるようなことだった。
傷口からダラダラと血が流れるような中でも、那智さんのスタンスはほとんど変わらなかった。
俺はりん子が大事。
だけどりん子の機嫌を伺って行動や言動を変えたくない。
それをしたらりん子が俺を信じられなくなるだろ。
いまは悲しいかもしれないし好きが減っているかもしれないけど、いつかもっと深くなれたねって思える日が来ることを楽しみにしている。
いまは俺とりん子ふたりだということ、それを信じてもらうしかない
このスタンスで、また積み上げる日々がはじまった。
言葉の通り那智さんはずっとわたしを大事にしてくれて、何も変わらず愛してくれていた。
ときどきほんの少しいたわってくれているな、上塗りをしてくれているなと感じさせてくれるけど、基本は変わらない。
淡々といつものように優しく真摯に積み上げる。
涙を流し、伝え、話をして安心する。
その都度いろいろな角度から本当にたくさんの話し合いをした。
『クマのクッキー』の衝撃を和らげるような対処療法のような日々。
時間かけて日中突然涙が溢れるようなことはなくなってきた。
那智さんに触れると幸せな気持ちになれる、ちょっと安堵する。
それでもやっぱり『女の子』の感覚はないままだ。
無邪気に無垢に疑うことなくあなたを信じて身を任せる、という気持ちになれない。
会って、触れると一瞬戻るような気がするけど、すぐいなくなる。
那智さんのことを無邪気に信じられないということは、とても苦しいことだった。
この苦しさは怒りや悲しみではなく、わたし自身の心に対してだった。
たとえば『ぬいぐるみ』を買ってくれたときのような、たとえば那智少年の家のカフェに出会ったときのような、首の長さを測ってもらったときのような、あの何の心配事もなく那智さんに寄りかかれていた、綿菓子みたいなふわふわしてキレイな気持ちにはもうなれないのだろうか。
それでも那智さんを愛しているということに価値があるのだろうか。
諦めるのか、それが正解なのか。
綿菓子のような気持ちになれないこと、それを諦めてしまいそうなこと。
それを諦めるのは那智さんとの付き合いにおいて決定的な損失になると感じていた。
苦しいのは、諦めそうな心と諦めたくない心の葛藤だった。
那智さんを疑うことなくまっすぐ信じられないということは『対等で上下』の関係に大きな影を落とす。
たとえばとても些細なこと、那智さんがモカちゃんのことを『アイツ』と呼ぶ、そんなようなことに過剰に反応するようになってしまう。
まるで一度傷を負わされたネコが近寄る人を威嚇するように。
那智さんは『アイツ』と呼んだことに、それ以外の感情や意図はないと言うけれどどうしてもいろいろ考えてしまう。
モカちゃんのことが可愛くて可愛くてしょうがないんじゃないか。
本当はおしまいにしたことを後悔しているんじゃないか。
深読みや裏読み。
長年かけて構築していた策略や打算のない中でまっすぐに信頼するという上下の下の感情が脆くも崩れていきそうになる。
そして、そうなると疑う泥沼から這い上がりたくて間違った方法をとってしまう。
『心ちゃんと事実さん』というエントリーで書いたようなことを戯れ言ではない場面でしてしまうのだ。
たとえば『アイツ』と聞いたあとに這い上がりたくてこんなことを切り出してみる。
「那智さん、わたしがもう一回モカちゃんを仲間に入れてってお願いしたらどうします?」
実際どう思うかではなく『もうしないよ』とだけ言ってくれればいいのだ。
(わたしだって3人のときの郷愁はあるのだから100%否定というわけじゃないのだしね)
でも那智さんはウソをついてくれない。
「もしもう一度ということなら、今度は違う付き合い方をするな」
「どんな付き合い方?(あー、そんなこと聞きたいんじゃないよ〜^^;)」
「たとえば、モカちゃんの教育というスタンスではなくて、もっと俺の快感を優先するとか」
こんなふうにその質問に対する答えを言ってくれちゃうのだ^^;
結局、傷口を広げるようなことになってしまう。
(この失敗があのエントリーを書かせた 笑)
疑うということは、更なる泥沼にわたしを突き落とす。
それでもスタンスは変わらない。
俺は、りん子に質問されたから考えて答えただけ。
その答えにウソをつきたくないだけだよ。
ちょっと気持ちをねじ曲げて『もうしないよ』なんて言ってくれればいいのに、そうしたほうが那智さんだってラクなはずなのに変えてくれない。
いまはこの姿勢が新しい思考回路を作ってくれたからいいのだけど(これは後日の予定^^)、それまではずっと『ウソをつきたくない那智さん』と『わたしの気持ちをわかってくれない』の失敗が何度かあって、そのたびにまた疑うことなく信じる『女の子』的な感情を諦めないといけないのかなと思っていた。
秋が過ぎ、コートが必要な季節になり。
『女の子』のような気持ちが戻らない苦しさが続く中それでも基本的には普通に愛し合う日々は送れるようになっていたのだけど、那智さんの些細なひと言に落ち込み、それをなんとか再生したいと同じようなことを繰り返してしまった。
わたしの投げかけに対して、それに対する答えを言ってくれちゃうのだ
やっぱり、那智さんはウソをついてくれない。
もう何回目だ。
大げさだけど死ぬほど自分の心を見つめて、話し合いを繰り返しても、様々な思考回路の那智正や確認を重ねても、なお積み上げては崩れる。
俺はりん子のことが大事だ。
いつかよかったと思える日が必ず来る。
それを楽しみにしよう。
でも俺はりん子に対して思ったことを口にしたい。
そうしないとりん子は俺を信じられなくなるだろ。
同じことを言い続けてくれる。
『いつか』と那智さんはいうけれど、その日が来る前にたくさんのものを諦めてしまいそうだ。
『夢見る頃を過ぎても』と。
わたしは大人だ、夢だけ見ているわけではない。
だけど那智さんに対して『女の子』でいることは『夢』だ。
夢見る頃を過ぎても、なお夢を見る『女の子』を持っていたい。
だって、あの綿菓子みたいな『女の子』は、疑うことなくまっすぐ信じていられる『下』は、わたしにとって何にも代え難い幸福なんだ。
どうしたらいいのだろう。
わたしとしては八方塞がりな週末だった。
ふと視線を落とす。
新聞にある地名が載っていた。
それは3人が会っていた街の名前。
これまでわたしはこの地名に触れるとドキドキしてしまっていた。
不思議なものでモカちゃんに会うことよりも『薬指』を読み返すよりも、あの地名に触れることが『苦しかった』ことを蘇らせていた。
不意に思いついた。
次のデートのときあの街に行こう。
モカちゃんに会うと『あの楽しいは本当だった』とせつなく思える。
過去エントリーを読むと胸が甘く高鳴る。
だったらあの街に行くことで、苦しかったことをおしまいにすることができるかもしれない。
那智さんとの新しい思い出を作れば、そこは3人の楽しい思い出の街になってくれるかもしれない。
もしかしたら、傷に塩を塗る行為になる可能性もある。
でもわたしは藁をも掴む思いだった。
明後日のデート○○に行ってくれませんか?
提案する。
那智さんはこの提案をわたしからすることに価値があり、それを待っていたのだそうだ。
逃げるのではなく前に進むための良い考えだと褒めてくれた。
ねえ、那智さん。
○○でわたしを手を繋いで。
3人のとき、那智さんはわたしとふたり手を繋いででモカちゃんを見ていたと言っていましたよね。
じゃあ、ホントに繋いで歩いてください。
そしてモカちゃんにしたことをわたしにもして。
同じオモチャがほしいとヤキモチを焼く子供のようなお願いをする。
もしダメだったら、また別な方法を一緒に考えてもらおう。
那智さんに対して『女の子』のようにまっすぐに疑わず信じる綿菓子のような心を取り戻すことを諦めたくはなかった。
雨が上がりの朝、もう一度あの街の駅に降りた。
<関連エントリー>
失敗しちゃう『心ちゃんと事実さん』
あの頃のようになれないかもしれないと思った、あの頃^^
『ぬいぐるみ』
『小さな奇跡』
『過去の私、未来の私』
ちょっといっぱいだけど『対等で上下』について
『ゴールを決めない』
『ゴールを決めない理由』
『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』
『対等で上下』
夢見る頃をすぎても5
独特な幸福感
久しぶりに降りる駅。
わたしが一番遠かったから、いつも一番最後だった。
だからいつも待ち合わせ場所まで走った。
同じように走る。
あの経験が『プラス』になるように。
モカちゃんとの思い出を甘くせつないものだけにするように。
無邪気に無垢に好きと言えるように。
ああ、この床!!
うわあ、この階段〜〜!!
那智さんはいつものように淡々としているけど、わたしはひとり悶絶(笑)
なつかしく。
苦しく。
甘く、せつない。
もちろんホテルも同じ。
3つ空いている部屋の中から使ったことがある部屋を選んだ。
「『今日は3人じゃないんですか?』って聞かれたりして(笑)」
那智さんはいつも通りというでしょうけど、この日、那智さんは恐らくわたしを楽しませることに、自分の楽しみを見いだしてくれていたように思う。
わたしも楽しむ気持ちに焦点を当てるようにしていた。
リクエストに応えてくれたり、ごっこ遊びをしてくれたり(ソープごっこだけど^^;)、髪を洗ってくれたり。
大げさだけど片時も離れず常にどこか触れ合っているような状態だった。
触れ合い、感じ、笑い合い。
心と体が同じくらい柔らかく温かくなったころ。
腕の中で穏やかにホクホクしていたわたしを見て那智さんが何かを感じ取ったように言い出した。
やっぱり欲求不満だったんじゃない?
ふたりの間でわたしが負の感情を持つのは排卵と欲求不満が関わっているということは認めている。
だから今回の悲しいもそれだと言っているのだろうか。
それだけじゃないと思っていたからちょっと否定した気持ちだったけど、そのまま那智さんの話を聞いた。
りん子さ、りん子の中が『わたしをかまえー、わたしだけを見ろー、抱けー、ちんぽ入れろー』って子供みたいに言ってるんじゃない?
それがりん子の中の『女の子』なんじゃない?
那智さんは思いつくままに話す。
俺はいままでりん子の『女の子』っていうのが、いまひとつピンと来てなかった。
だけど今日、それをすごく感じた。
いまりん子の『女の子』はかまってもらって満足しているだろ。
りん子の『女の子』はこうやっていつもちゃんとかまってあげないとヘソを曲げちゃうんだ。
で、たぶん、モカちゃんのことをはじめたとき、最初の段階で俺が『女の子』をケアしてあげなかったからいじけてどこかへ行ってしまった。
だから、いくら俺がりん子を愛してもかまっても『女の子』は満たされなくて悲しかったんじゃないかな。
最初から、その『女の子』をわかってあげていてケアしていたら、あんなに苦しまなかったかもしれない。
暖炉の火でかじかんだ指が緩んでいくようだ。
スルスルと心が解けていくのがわかる。
ウソをつなかい那智さんが、わかったフリなんてしない那智さんが、わかってくれた瞬間だった。
わたしを解放してくれることは、きっとこれだ。
那智さんに『女の子』をわかってもうことだ。
ずっとこの『女の子』に関して、実は那智さんとわたしでは実感のし方が違っているのはわかっていた。
モカちゃんに対する『娘扱い』への嫉妬も、那智さんからしてみたら『俺はりん子を愛しているんだよ?』と理解し難いものだったようだ。
いままでりん子ちゃんなんて名前をつけて娘のように振る舞ったことも、那智さんからしたらひとつのプレイの位置付けだったのだ。
コスプレのようなものだろうか、りん子がリラックスするための便利なツールのひとつということだと思っていた。
わたしが何度も『わたしの中の女の子』という言葉を使っても、どうもピンと来なかったのだ。
りん子はりん子だよね?俺はそのりん子を愛している。ということだ。
たとえば。
味覚。
舌の中で甘さを感じる味覚がある。
もしそれがなくなったらどうだろう。
もちろん命に関わることではないし表向きは何も支障がない、だけどそれがあるとおいしいものをより感じ取れるし、豊かな気持ちになれる。
わたしにとっての『女の子』はこの甘さを感じる舌のようなものだと思う。
洋服のように気分を変えるものではなく、わたしの一部。
わたしという人間の中に、味覚のように常に必要なものとして存在している。
那智さんが『女の子』を意識してプレイ(?)をしていたときは、恐らく気持ちを切り替えて本当の子供の姿を想像していたのだろう。
そのときは特別な時間で『りん子』とは別物の着せ替え人形を抱きしめていた。
わたしは、この味覚を持っているわたしを丸ごと抱きしめてもらわないと抱きしめてもらっているようには感じられなかったのだね。
いまね、とっても腑に落ちた。
いままで別物と考えていた『女の子』がスッとりん子に重なった。
そうか、りん子が『女の子』だったんだよな。
それをわかってあげられなかったから、ヘソ曲げちゃったんだ(笑)
涙があふれる。
わかってもらうということは、こんなにも涙腺を緩ませるものなのだ。
互いの認識の違いを確認し今後の方向性を話し合う、2時間は費やしただろう。
モカちゃんは確かに俺らにとって『子供』だった。(決してモカちゃんが子供じみた人だということではないですよ!!)
俺はりん子を愛していれば大丈夫だと思っていたけど、大人のりん子と『女の子』のりん子と両方愛してあげないといけなかったんだね。
そりゃあ、辛くなるわけだ(笑)
きっとこれがわかれば、大丈夫。
わかってくれたと安堵するわたし、次の言葉で涙がどわっと競り上がり溢れる。
で、たぶん、りん子の『女の子』はモカちゃんよりも、もっと小さい子だったんだよ。
ソファに腰掛ける那智さんの胸におでこをくっつけて、好きな男のワンセンテンスで涙腺決壊してしまう幸福。
わたしはいちおう大人だ(笑)
那智さんの手足となって思慮することはできた。
だけど一方で自分自身も手に負えない暴れる子供がいて、この乖離に引き裂かれそうだった。
たぶん、とてもとても小さな子で、暴れん坊だったんだ。
自分の中の暴れ回る子供の手を必死で握り『那智さん、この子のことわかってわかってわかって!!!』と焦燥していた。
わたしさえ自覚していなかったその小さい様子も指摘してもらった安心は不思議なほど心を落ち着かせてくれる。
もう自分ひとりでその子の手を握りしめなくていいのだ。
やっとその存在を認めてくれて、辛かったことをわかってくれて、大丈夫だと安心させてくれた。
諦めないでよかった。
隅っこのほうでうずくまっていた小さな女の子を心の中で抱きしめるわたしの背中を那智さんの手がずっとずっとトントンと優しく叩いてくれていた。
この日何が違ったのだろう。
あの街に行くことで互いにいままでと違った何か感じるものがあったことも確かだ。
だけど、なんとか抜け出したいと前向きに考えたわたしの気持ちとわかり合えると信じて一歩も引かずにいてくれた那智さんの気持ちが、このタイミングで実を結んだのだと思う。
『女の子』なんていう目に見えない曖昧な存在を一生懸命ふたりで見ようとした。
相手を信じるというとてもシンプルで難解なことを諦めなかった。
人を100%理解し合うなんて所詮無理な話。(無理と思ったら無理だから、無理と思わないということからスタートしなきゃダメというのが那智さんの信念だけど^^;)
だからいまふたりが見えている『女の子』も厳密にいえば同じものではないかもしれない。
だけど1mmでも近づきたいと思い続けると、近づけるんだ。
1mm近づけたという事実。
こんなしんどい作業を那智さんとできる幸福。
これを知り手に入れることができたこと、ふたりにとってプラスだ。
夢見る頃をすぎても。
わたしの中の『女の子』はずっとずっと那智さんの腕の中で夢を見ているのだ^^
あの街から移動してイルミネーションを見に行く。
ライトアップされた並木道、ここは去年のクリスマス時期にも来ている。
クマのぬいぐるみを買ってもらった場所。
もうぬいぐるみを買ってもらって涙を流すような、あの日のような心になれないんじゃないか、この一年間何度も思い出した場所だ。
この日、○○の街でずっと手を繋いでいてもらうためにお道具カバンをキャリーバッグではなく小さい物にしてもらっていた。
お道具を詰め込んだカバンはそれなりに重い。
ときどき『持てよ〜』とわざとわたしに持たせて、持ってもらうことを気遣わせないようにしてくれている。
那智さんのいうことは、疑わずに信じる。
『持てよ』と言われたら持つし、持たないでいいのならいいのだ。
こんなふうに裏を読まず信じられることは気持ちがいい。
そしてこちらに気遣いをさせない那智さんをいい男だなぁと思う。
女の子を認めてもらったわたしは、そうやって那智さんを疑わずホクホクとイルミネーションを歩く。
こんな気持ちでもう一度ここを歩ける喜びを味わいながら。
ホクホクするとキスしたくなる。
「那智さん、キスしたくなっちゃいました」
「どうぞ〜(笑)」
こういうとき、那智さんは大概怯まない。
でも、人多いし、さすがに恥ずかしいよね。
横断歩道。
渡りきれずに歩道の中央分離帯にふたり足止めを食らう。
行く先には携帯に視線を落とした人。
背後からは楽しそうなおしゃべりの声。
信号が変わり車が流れ出した。
「那智さん、キスしたいです」
「どうぞ〜(笑)」
ちょっと膝を曲げる。
右手に重い荷物を持つ那智さんを左から覗き込む。
大人のわたしはためらいながら、『だーいすき』と子供のように無邪気な気持ちでキスをした。
わたしの『女の子』再生のお話はこれでおしまいです。
長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。
今年はあともう一回更新できるかな〜^^
久しぶりに降りる駅。
わたしが一番遠かったから、いつも一番最後だった。
だからいつも待ち合わせ場所まで走った。
同じように走る。
あの経験が『プラス』になるように。
モカちゃんとの思い出を甘くせつないものだけにするように。
無邪気に無垢に好きと言えるように。
ああ、この床!!
うわあ、この階段〜〜!!
那智さんはいつものように淡々としているけど、わたしはひとり悶絶(笑)
なつかしく。
苦しく。
甘く、せつない。
もちろんホテルも同じ。
3つ空いている部屋の中から使ったことがある部屋を選んだ。
「『今日は3人じゃないんですか?』って聞かれたりして(笑)」
那智さんはいつも通りというでしょうけど、この日、那智さんは恐らくわたしを楽しませることに、自分の楽しみを見いだしてくれていたように思う。
わたしも楽しむ気持ちに焦点を当てるようにしていた。
リクエストに応えてくれたり、ごっこ遊びをしてくれたり(ソープごっこだけど^^;)、髪を洗ってくれたり。
大げさだけど片時も離れず常にどこか触れ合っているような状態だった。
触れ合い、感じ、笑い合い。
心と体が同じくらい柔らかく温かくなったころ。
腕の中で穏やかにホクホクしていたわたしを見て那智さんが何かを感じ取ったように言い出した。
やっぱり欲求不満だったんじゃない?
ふたりの間でわたしが負の感情を持つのは排卵と欲求不満が関わっているということは認めている。
だから今回の悲しいもそれだと言っているのだろうか。
それだけじゃないと思っていたからちょっと否定した気持ちだったけど、そのまま那智さんの話を聞いた。
りん子さ、りん子の中が『わたしをかまえー、わたしだけを見ろー、抱けー、ちんぽ入れろー』って子供みたいに言ってるんじゃない?
それがりん子の中の『女の子』なんじゃない?
那智さんは思いつくままに話す。
俺はいままでりん子の『女の子』っていうのが、いまひとつピンと来てなかった。
だけど今日、それをすごく感じた。
いまりん子の『女の子』はかまってもらって満足しているだろ。
りん子の『女の子』はこうやっていつもちゃんとかまってあげないとヘソを曲げちゃうんだ。
で、たぶん、モカちゃんのことをはじめたとき、最初の段階で俺が『女の子』をケアしてあげなかったからいじけてどこかへ行ってしまった。
だから、いくら俺がりん子を愛してもかまっても『女の子』は満たされなくて悲しかったんじゃないかな。
最初から、その『女の子』をわかってあげていてケアしていたら、あんなに苦しまなかったかもしれない。
暖炉の火でかじかんだ指が緩んでいくようだ。
スルスルと心が解けていくのがわかる。
ウソをつなかい那智さんが、わかったフリなんてしない那智さんが、わかってくれた瞬間だった。
わたしを解放してくれることは、きっとこれだ。
那智さんに『女の子』をわかってもうことだ。
ずっとこの『女の子』に関して、実は那智さんとわたしでは実感のし方が違っているのはわかっていた。
モカちゃんに対する『娘扱い』への嫉妬も、那智さんからしてみたら『俺はりん子を愛しているんだよ?』と理解し難いものだったようだ。
いままでりん子ちゃんなんて名前をつけて娘のように振る舞ったことも、那智さんからしたらひとつのプレイの位置付けだったのだ。
コスプレのようなものだろうか、りん子がリラックスするための便利なツールのひとつということだと思っていた。
わたしが何度も『わたしの中の女の子』という言葉を使っても、どうもピンと来なかったのだ。
りん子はりん子だよね?俺はそのりん子を愛している。ということだ。
たとえば。
味覚。
舌の中で甘さを感じる味覚がある。
もしそれがなくなったらどうだろう。
もちろん命に関わることではないし表向きは何も支障がない、だけどそれがあるとおいしいものをより感じ取れるし、豊かな気持ちになれる。
わたしにとっての『女の子』はこの甘さを感じる舌のようなものだと思う。
洋服のように気分を変えるものではなく、わたしの一部。
わたしという人間の中に、味覚のように常に必要なものとして存在している。
那智さんが『女の子』を意識してプレイ(?)をしていたときは、恐らく気持ちを切り替えて本当の子供の姿を想像していたのだろう。
そのときは特別な時間で『りん子』とは別物の着せ替え人形を抱きしめていた。
わたしは、この味覚を持っているわたしを丸ごと抱きしめてもらわないと抱きしめてもらっているようには感じられなかったのだね。
いまね、とっても腑に落ちた。
いままで別物と考えていた『女の子』がスッとりん子に重なった。
そうか、りん子が『女の子』だったんだよな。
それをわかってあげられなかったから、ヘソ曲げちゃったんだ(笑)
涙があふれる。
わかってもらうということは、こんなにも涙腺を緩ませるものなのだ。
互いの認識の違いを確認し今後の方向性を話し合う、2時間は費やしただろう。
モカちゃんは確かに俺らにとって『子供』だった。(決してモカちゃんが子供じみた人だということではないですよ!!)
俺はりん子を愛していれば大丈夫だと思っていたけど、大人のりん子と『女の子』のりん子と両方愛してあげないといけなかったんだね。
そりゃあ、辛くなるわけだ(笑)
きっとこれがわかれば、大丈夫。
わかってくれたと安堵するわたし、次の言葉で涙がどわっと競り上がり溢れる。
で、たぶん、りん子の『女の子』はモカちゃんよりも、もっと小さい子だったんだよ。
ソファに腰掛ける那智さんの胸におでこをくっつけて、好きな男のワンセンテンスで涙腺決壊してしまう幸福。
わたしはいちおう大人だ(笑)
那智さんの手足となって思慮することはできた。
だけど一方で自分自身も手に負えない暴れる子供がいて、この乖離に引き裂かれそうだった。
たぶん、とてもとても小さな子で、暴れん坊だったんだ。
自分の中の暴れ回る子供の手を必死で握り『那智さん、この子のことわかってわかってわかって!!!』と焦燥していた。
わたしさえ自覚していなかったその小さい様子も指摘してもらった安心は不思議なほど心を落ち着かせてくれる。
もう自分ひとりでその子の手を握りしめなくていいのだ。
やっとその存在を認めてくれて、辛かったことをわかってくれて、大丈夫だと安心させてくれた。
諦めないでよかった。
隅っこのほうでうずくまっていた小さな女の子を心の中で抱きしめるわたしの背中を那智さんの手がずっとずっとトントンと優しく叩いてくれていた。
この日何が違ったのだろう。
あの街に行くことで互いにいままでと違った何か感じるものがあったことも確かだ。
だけど、なんとか抜け出したいと前向きに考えたわたしの気持ちとわかり合えると信じて一歩も引かずにいてくれた那智さんの気持ちが、このタイミングで実を結んだのだと思う。
『女の子』なんていう目に見えない曖昧な存在を一生懸命ふたりで見ようとした。
相手を信じるというとてもシンプルで難解なことを諦めなかった。
人を100%理解し合うなんて所詮無理な話。(無理と思ったら無理だから、無理と思わないということからスタートしなきゃダメというのが那智さんの信念だけど^^;)
だからいまふたりが見えている『女の子』も厳密にいえば同じものではないかもしれない。
だけど1mmでも近づきたいと思い続けると、近づけるんだ。
1mm近づけたという事実。
こんなしんどい作業を那智さんとできる幸福。
これを知り手に入れることができたこと、ふたりにとってプラスだ。
夢見る頃をすぎても。
わたしの中の『女の子』はずっとずっと那智さんの腕の中で夢を見ているのだ^^
あの街から移動してイルミネーションを見に行く。
ライトアップされた並木道、ここは去年のクリスマス時期にも来ている。
クマのぬいぐるみを買ってもらった場所。
もうぬいぐるみを買ってもらって涙を流すような、あの日のような心になれないんじゃないか、この一年間何度も思い出した場所だ。
この日、○○の街でずっと手を繋いでいてもらうためにお道具カバンをキャリーバッグではなく小さい物にしてもらっていた。
お道具を詰め込んだカバンはそれなりに重い。
ときどき『持てよ〜』とわざとわたしに持たせて、持ってもらうことを気遣わせないようにしてくれている。
那智さんのいうことは、疑わずに信じる。
『持てよ』と言われたら持つし、持たないでいいのならいいのだ。
こんなふうに裏を読まず信じられることは気持ちがいい。
そしてこちらに気遣いをさせない那智さんをいい男だなぁと思う。
女の子を認めてもらったわたしは、そうやって那智さんを疑わずホクホクとイルミネーションを歩く。
こんな気持ちでもう一度ここを歩ける喜びを味わいながら。
ホクホクするとキスしたくなる。
「那智さん、キスしたくなっちゃいました」
「どうぞ〜(笑)」
こういうとき、那智さんは大概怯まない。
でも、人多いし、さすがに恥ずかしいよね。
横断歩道。
渡りきれずに歩道の中央分離帯にふたり足止めを食らう。
行く先には携帯に視線を落とした人。
背後からは楽しそうなおしゃべりの声。
信号が変わり車が流れ出した。
「那智さん、キスしたいです」
「どうぞ〜(笑)」
ちょっと膝を曲げる。
右手に重い荷物を持つ那智さんを左から覗き込む。
大人のわたしはためらいながら、『だーいすき』と子供のように無邪気な気持ちでキスをした。
わたしの『女の子』再生のお話はこれでおしまいです。
長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。
今年はあともう一回更新できるかな〜^^