完訳(笑)那智さんのSM(前振り)
りん子的独り言(生意気)
というか那智的独り言ですね^^
関連エントリーを追加しました。
いま30代の人や10年くらい前から出会い系を利用している人には20、30年前の電話の出会いが、もしかしたらピンと来ないかなぁと思って^^;
『那智さんのSM』や『奴隷の起源』で那智さんのSMに対する考えを披露してきました。
ただ、わたしが書いているという性質上、どうしてもわたしの主張も混ざってしまうのでいまひとつ那智さんの言いたいことがぼやけてしまっています。
被虐側は虐められたいのだから加虐側がどんなに酷いことをしても、それは被虐の求めることなので突き詰めれば加虐にならないというSM行為の矛盾、そして、加虐側がその矛盾を自覚している?というのがわたしの主な主張ですが、那智さんもそれには賛成しながらも、本来言いたいことはもうすこし違うようなので、改めて書いてみます。
(ついでに、わたしはその矛盾を自覚できていないSや矛盾を見て見ぬフリしているのはカッコ悪いと思っています^^)
まず、これを書くにあたって、なぜわたしか書けると思ったのか、そのお話を書いてら本題に入ります。
今回これをもう一度書こうと思えたのは、わたしの中で『ネットの匿名性の利点』の説明ができそうだったからです。
わたしも那智さん同様『ご主人様と奴隷』や主従関係が登場したのはSMという性的嗜好が確立したより、ずっと最近のここ20年くらいのことだと思っています。
その前から『Oの物語』のように小説の世界では『奴隷状態』を書かれたものはあったけど、関係性として『ご主人様と奴隷』や『主従』なんていうのはなかった。
SMの出会い系に『支配』や『服従』の項目はあったけど『奴隷』や『主従』の項目は、実はなかったんだよ。
わたしが相手を探しいた20年前はほとんどの男性はご主人様ではなくて普通のS男性で、奴隷ではなくM女性を求めていたと記憶しているので、時々エントリーでも昔は『ご主人様と奴隷』はほとんどなかったと書いています。
でも、『常套句』を書いたとき、関連エントリーで過去の伝言ダイヤルの話を読み返して、思いのほか『ご主人様と奴隷』が登場しているのを見て、自分で書いておいて不思議に思いました。
そこで合点がいったのです。
わたしがパートナーを探していたのはツーショットダイヤルといっていきなり直接相手と電話で肉声の会話をするもので、過去エントリーに書いた『ご主人様と奴隷』が登場するのは肉声を録音してメッセージをやり取りする伝言ダイヤルでした。
直接話すツーショットダイヤルではごく普通のS男性ばかりで、メッセージのやり取りをする伝言ダイヤルではご主人様が『絶対服従の奴隷』はいないか吹き込んでいた。
この違い、わかります?
顔の見えない電話での出会いとはいえ、不特定多数に語りかける伝言より直接会話をするほうが、よりリアルですよね。
人はリアルに近ければ近いほど『何者にもなれない』のです。
現実社会では普通の男性、声の会話ではS嗜好の男性、伝言ではご主人様、という流れを見ると、リアルなコミュニケーションから徐々に『何か』になっていく様子がわかりますよね。
それを知ると、おそらく現代の匿名の温床であるネット環境ではすでに確立されている『ご主人様と奴隷』を名乗ることはとても簡単なのだと想像できたのです。
(完全な匿名性はないし、名乗ることは簡単でもそこから続けるのは、結局その人の力に左右されるけどね)
簡単に『何者』かになれてしまうネットの世界。
リアルしかなかった那智さんの少年から青年期、『ご主人様と奴隷』や『主従』なんてなくてSMが変質者扱いされていた頃、『何者にもなれず』性的願望を叶えようと己の力だけで勝負するしかなかった時代の那智さんのSMに対する考え、それを次回書いていきますね。
今回は前振りだけでおしまい^^
次までに、よければ、もし『ご主人様と奴隷』というカテゴリがなかったら、『主従』という言葉がなかったら、あなたの性的嗜好や願望はどうやって叶えただろう?
ネットがなかったら、リアルに付き合っている人に『うんこ食べて』ってどうやって伝えたと思う?
もしかして、そんなジャンルがなかったらこの世界に足を踏み込んでなかったなんてことない?
何者にもなれない自分を想像してみていただけると、うれしいです^^
<関連エントリー>
『那智さんのSM』
『奴隷の起源』
『常套句』
『わたし以前、以後』
追加
『はじめての旅1 2』
『思い出話』
『思い出話(声は重要♪)』
『思い出話(ああ、勘違い編)』
『文字』
「等式」感想です。りん子が私の考えを等式に書く時にインタビューをする事は非常に稀で普段の会話から拾ってエントリーにしている。確認を求められることもあるが大きな変更は無い、ニュアンスの違いを修正してもらうくらいで。 今までで主張が異なったのは1~2回、妙に嬉しかった記憶がある(笑)
というか那智的独り言ですね^^
関連エントリーを追加しました。
いま30代の人や10年くらい前から出会い系を利用している人には20、30年前の電話の出会いが、もしかしたらピンと来ないかなぁと思って^^;
『那智さんのSM』や『奴隷の起源』で那智さんのSMに対する考えを披露してきました。
ただ、わたしが書いているという性質上、どうしてもわたしの主張も混ざってしまうのでいまひとつ那智さんの言いたいことがぼやけてしまっています。
被虐側は虐められたいのだから加虐側がどんなに酷いことをしても、それは被虐の求めることなので突き詰めれば加虐にならないというSM行為の矛盾、そして、加虐側がその矛盾を自覚している?というのがわたしの主な主張ですが、那智さんもそれには賛成しながらも、本来言いたいことはもうすこし違うようなので、改めて書いてみます。
(ついでに、わたしはその矛盾を自覚できていないSや矛盾を見て見ぬフリしているのはカッコ悪いと思っています^^)
まず、これを書くにあたって、なぜわたしか書けると思ったのか、そのお話を書いてら本題に入ります。
今回これをもう一度書こうと思えたのは、わたしの中で『ネットの匿名性の利点』の説明ができそうだったからです。
わたしも那智さん同様『ご主人様と奴隷』や主従関係が登場したのはSMという性的嗜好が確立したより、ずっと最近のここ20年くらいのことだと思っています。
その前から『Oの物語』のように小説の世界では『奴隷状態』を書かれたものはあったけど、関係性として『ご主人様と奴隷』や『主従』なんていうのはなかった。
SMの出会い系に『支配』や『服従』の項目はあったけど『奴隷』や『主従』の項目は、実はなかったんだよ。
わたしが相手を探しいた20年前はほとんどの男性はご主人様ではなくて普通のS男性で、奴隷ではなくM女性を求めていたと記憶しているので、時々エントリーでも昔は『ご主人様と奴隷』はほとんどなかったと書いています。
でも、『常套句』を書いたとき、関連エントリーで過去の伝言ダイヤルの話を読み返して、思いのほか『ご主人様と奴隷』が登場しているのを見て、自分で書いておいて不思議に思いました。
そこで合点がいったのです。
わたしがパートナーを探していたのはツーショットダイヤルといっていきなり直接相手と電話で肉声の会話をするもので、過去エントリーに書いた『ご主人様と奴隷』が登場するのは肉声を録音してメッセージをやり取りする伝言ダイヤルでした。
直接話すツーショットダイヤルではごく普通のS男性ばかりで、メッセージのやり取りをする伝言ダイヤルではご主人様が『絶対服従の奴隷』はいないか吹き込んでいた。
この違い、わかります?
顔の見えない電話での出会いとはいえ、不特定多数に語りかける伝言より直接会話をするほうが、よりリアルですよね。
人はリアルに近ければ近いほど『何者にもなれない』のです。
現実社会では普通の男性、声の会話ではS嗜好の男性、伝言ではご主人様、という流れを見ると、リアルなコミュニケーションから徐々に『何か』になっていく様子がわかりますよね。
それを知ると、おそらく現代の匿名の温床であるネット環境ではすでに確立されている『ご主人様と奴隷』を名乗ることはとても簡単なのだと想像できたのです。
(完全な匿名性はないし、名乗ることは簡単でもそこから続けるのは、結局その人の力に左右されるけどね)
簡単に『何者』かになれてしまうネットの世界。
リアルしかなかった那智さんの少年から青年期、『ご主人様と奴隷』や『主従』なんてなくてSMが変質者扱いされていた頃、『何者にもなれず』性的願望を叶えようと己の力だけで勝負するしかなかった時代の那智さんのSMに対する考え、それを次回書いていきますね。
今回は前振りだけでおしまい^^
次までに、よければ、もし『ご主人様と奴隷』というカテゴリがなかったら、『主従』という言葉がなかったら、あなたの性的嗜好や願望はどうやって叶えただろう?
ネットがなかったら、リアルに付き合っている人に『うんこ食べて』ってどうやって伝えたと思う?
もしかして、そんなジャンルがなかったらこの世界に足を踏み込んでなかったなんてことない?
何者にもなれない自分を想像してみていただけると、うれしいです^^
<関連エントリー>
『那智さんのSM』
『奴隷の起源』
『常套句』
『わたし以前、以後』
追加
『はじめての旅1 2』
『思い出話』
『思い出話(声は重要♪)』
『思い出話(ああ、勘違い編)』
『文字』
「等式」感想です。りん子が私の考えを等式に書く時にインタビューをする事は非常に稀で普段の会話から拾ってエントリーにしている。確認を求められることもあるが大きな変更は無い、ニュアンスの違いを修正してもらうくらいで。 今までで主張が異なったのは1~2回、妙に嬉しかった記憶がある(笑)
COMMENT
こんにちは^^*
ご主人様も「菜々子が悦ばないと意味がない。」とよく仰ります。
関連エントリーを読んで目から鱗になり(『等式』で何度、ボロボロと鱗が落ちていることでしょう!笑)、
那智さんとご主人様の共通点には世代的な理由もあるのかな、と、思いました。
わたしはまさに、「ご主人様と奴隷」が文化としてすっかり成立してからの世代、なのですよね。
これが文化として流行っていなかったら、わたしの人生どうなっていたか解りません(笑)。
ご主人様を探したから、守られ、愛されることを求めることができました。
もし「ご主人様と奴隷」というカテゴリがなかったら、
O嬢ではなくサド侯爵の方を求め、今頃は心身ともにボロボロだったことでしょう。
とは言ってもわたしの場合、ここで書かれているような「奴隷」らしい扱い方は一度もされたことがなくて、
「ご主人様と奴隷」なんていうものは、(わたしから見たら)まだまだ不安定だった二人の関係を
定義するための箱に過ぎなかったのも事実です。
「ご主人様と奴隷」は登竜門というか、通過儀礼と呼べばいいのか、はたまたわたしの性癖を知るための道導だったのか。
もし、なにものにもなれなかったら、なにものにもなる必要がないのだから、
「女の子のわたし」と「Mの私」を区別して葛藤することもなかったのかもしれません^^;
ううん、 if は、難しいですね(笑)。
どちらにせよわたしは、何かしらの形でこの世界に足を突っ込んでいたと思います。
そして、ご主人様と奴隷という甘い幻想に囚われて、本来ならばこの世界に足を踏み入れなくてもやっていけるような方が
この文化のせいで要らぬ世界に踏み込んでしまうことを、
憂いていたりもします。
傲慢な意見かもしれませんが……^^;
「ご主人様と奴隷」って、色々な意味で甘い罠、ですよね。
ご主人様も「菜々子が悦ばないと意味がない。」とよく仰ります。
関連エントリーを読んで目から鱗になり(『等式』で何度、ボロボロと鱗が落ちていることでしょう!笑)、
那智さんとご主人様の共通点には世代的な理由もあるのかな、と、思いました。
わたしはまさに、「ご主人様と奴隷」が文化としてすっかり成立してからの世代、なのですよね。
これが文化として流行っていなかったら、わたしの人生どうなっていたか解りません(笑)。
ご主人様を探したから、守られ、愛されることを求めることができました。
もし「ご主人様と奴隷」というカテゴリがなかったら、
O嬢ではなくサド侯爵の方を求め、今頃は心身ともにボロボロだったことでしょう。
とは言ってもわたしの場合、ここで書かれているような「奴隷」らしい扱い方は一度もされたことがなくて、
「ご主人様と奴隷」なんていうものは、(わたしから見たら)まだまだ不安定だった二人の関係を
定義するための箱に過ぎなかったのも事実です。
「ご主人様と奴隷」は登竜門というか、通過儀礼と呼べばいいのか、はたまたわたしの性癖を知るための道導だったのか。
もし、なにものにもなれなかったら、なにものにもなる必要がないのだから、
「女の子のわたし」と「Mの私」を区別して葛藤することもなかったのかもしれません^^;
ううん、 if は、難しいですね(笑)。
どちらにせよわたしは、何かしらの形でこの世界に足を突っ込んでいたと思います。
そして、ご主人様と奴隷という甘い幻想に囚われて、本来ならばこの世界に足を踏み入れなくてもやっていけるような方が
この文化のせいで要らぬ世界に踏み込んでしまうことを、
憂いていたりもします。
傲慢な意見かもしれませんが……^^;
「ご主人様と奴隷」って、色々な意味で甘い罠、ですよね。
甘い罠。
その通りだな〜。
『ご主人様と奴隷』や『主従』という言葉やイメージは、男性ばかりでなく女性にも甘い夢を見させる力がありますね。
その罠と上手に付き合える人は楽しめるでしょうけど、かつてのわたしのように性癖以外に何か別のものを埋める要素も混ざっていたりすると、とたんに、それは男性(ご主人様)に都合のいいシステムになってしまうような気がします(このへんは偏っていてごめんなさい、菜々子さんだけじゃなくて、みなさま)
次のまとめにも書いちゃってるのだけど、結局は人同士、菜々子さんのおっしゃる『箱』はなんであれ、そこからどう構築していくかは、箱ではなく中身が大事なのですね。
できれば『箱』に気づいて、早く箱から出たほうが柔軟に付き合えると思います。
何者にもならなければ、Mや女の子で揺れることはなかったかもという菜々子さんの言葉を読んで、たしかにわたしも自分にいろいろ名前をつけることで助けられたところもあるし、拘ってしまったところもなるなと思うと同時に、その時々の那智さんのスタンスを思い起こして、これはネタになる!!とヒントをいただきました^^
菜々子さんのご主人様は那智さんと同じような世代を経験されてきたのですね^^
昔はね〜、SMに触れるの大変だったのだよ〜(笑)
でも、こんなふうにいまあるものがなかった時代のお話を読んで想像を豊かに広げてくれる菜々子さんを見ていると、感性は時代なんて関係ないですね、うれしいです^^
その通りだな〜。
『ご主人様と奴隷』や『主従』という言葉やイメージは、男性ばかりでなく女性にも甘い夢を見させる力がありますね。
その罠と上手に付き合える人は楽しめるでしょうけど、かつてのわたしのように性癖以外に何か別のものを埋める要素も混ざっていたりすると、とたんに、それは男性(ご主人様)に都合のいいシステムになってしまうような気がします(このへんは偏っていてごめんなさい、菜々子さんだけじゃなくて、みなさま)
次のまとめにも書いちゃってるのだけど、結局は人同士、菜々子さんのおっしゃる『箱』はなんであれ、そこからどう構築していくかは、箱ではなく中身が大事なのですね。
できれば『箱』に気づいて、早く箱から出たほうが柔軟に付き合えると思います。
何者にもならなければ、Mや女の子で揺れることはなかったかもという菜々子さんの言葉を読んで、たしかにわたしも自分にいろいろ名前をつけることで助けられたところもあるし、拘ってしまったところもなるなと思うと同時に、その時々の那智さんのスタンスを思い起こして、これはネタになる!!とヒントをいただきました^^
菜々子さんのご主人様は那智さんと同じような世代を経験されてきたのですね^^
昔はね〜、SMに触れるの大変だったのだよ〜(笑)
でも、こんなふうにいまあるものがなかった時代のお話を読んで想像を豊かに広げてくれる菜々子さんを見ていると、感性は時代なんて関係ないですね、うれしいです^^
私は多分…。主従がなければ「先生と生徒」をやっていたでしょうね。でなければ「先輩と後輩」で。今もそういうところ、あると思います。
学園物…?みたいな。ジャンル的にあこがれだった、スパンキングは、結局学校系が多いんですね。学校で実際、そういうことをする先生も昔はたくさんいたので。今でも国によってはあるみたいですし。
でも、構図的にわかりやすいものが増えましたよね。ニッチを狙ったAV、自分のパソコンでだけ見られるものが増えて、家の居間にしかない一台きりのテレビで…というのがなくなって、多様化したのかなあ。と思います。
学園物…?みたいな。ジャンル的にあこがれだった、スパンキングは、結局学校系が多いんですね。学校で実際、そういうことをする先生も昔はたくさんいたので。今でも国によってはあるみたいですし。
でも、構図的にわかりやすいものが増えましたよね。ニッチを狙ったAV、自分のパソコンでだけ見られるものが増えて、家の居間にしかない一台きりのテレビで…というのがなくなって、多様化したのかなあ。と思います。
付き合いはじめのころ、SMを意識するなと言われて、なんだか納得いかないわたしはわたしたちの関係に名前をつけるとしたら?と何度か答えを求めたことがあるのですが、「強いて言えば先生と生徒」と言ってもらったことがあるなぁ。
スパンキングの世界はSMとはまたすこし違うみたいで、親子や先生と生徒のようにもっとはっきりした上下関係がありそうです。
ご主人様と奴隷で想像される『尽くす』っていうのは尽くしているほうが影の主導者になりえてしまうので、じつは上下逆転なんてこともあるかもしれませんしね^^
あ、なんだか、たのしくて話が逸れちゃった?^^;
いろいろ資料(?)があるほうが多様化して便利な感じもしますけど、ホントは情報がすくないほうが本当にやりたいことが見えてくるような気がするので、けっこう一長一短かもとか思ったりします^^
スパンキングの世界はSMとはまたすこし違うみたいで、親子や先生と生徒のようにもっとはっきりした上下関係がありそうです。
ご主人様と奴隷で想像される『尽くす』っていうのは尽くしているほうが影の主導者になりえてしまうので、じつは上下逆転なんてこともあるかもしれませんしね^^
あ、なんだか、たのしくて話が逸れちゃった?^^;
いろいろ資料(?)があるほうが多様化して便利な感じもしますけど、ホントは情報がすくないほうが本当にやりたいことが見えてくるような気がするので、けっこう一長一短かもとか思ったりします^^
お待ちしてました(笑)
私がこんな世界が現実にあることを知ったのは割と最近のことなので(結構いい歳ではあるんですが)、ネットがなかった頃はみんな苦労したんだろうなってお察しします。もっと遡ればそんな出会いのツールすらなかった時代はどうしていたんですかね?普段の社会生活の中からそんな関係を作り出すなんて至難の業だと思うけど。
このお話を読んでからだと以前のスイッチのお話がとても合点がいってすんなり入ってきますね。
最初に立ち位置や役回りを決めることは確かに楽に入っていけるとは思います。おっしゃる通り素のままの自分で「うんこ食べて」はさすがに言えないけど、ご主人様になることでそれを容易にすることはできますもんね。だからこそこの配役は相手を意のままに操る安易なツールになりうるわけですよね。
でも安易なほうに流されているのはS側だけでなく、M側にも言えると思うんです。与えられた役に甘んじて、奥底にある本当の自分が求めるものを深く掘り下げて見つめる作業を放棄してしまっている気がします。
何者かになるってことは、それ以外にはなれないし、それ以上の関係にもなれないってことですもんね。
…とあまり先走っちゃダメですね(笑)次回を楽しみにしています。
私がこんな世界が現実にあることを知ったのは割と最近のことなので(結構いい歳ではあるんですが)、ネットがなかった頃はみんな苦労したんだろうなってお察しします。もっと遡ればそんな出会いのツールすらなかった時代はどうしていたんですかね?普段の社会生活の中からそんな関係を作り出すなんて至難の業だと思うけど。
このお話を読んでからだと以前のスイッチのお話がとても合点がいってすんなり入ってきますね。
最初に立ち位置や役回りを決めることは確かに楽に入っていけるとは思います。おっしゃる通り素のままの自分で「うんこ食べて」はさすがに言えないけど、ご主人様になることでそれを容易にすることはできますもんね。だからこそこの配役は相手を意のままに操る安易なツールになりうるわけですよね。
でも安易なほうに流されているのはS側だけでなく、M側にも言えると思うんです。与えられた役に甘んじて、奥底にある本当の自分が求めるものを深く掘り下げて見つめる作業を放棄してしまっている気がします。
何者かになるってことは、それ以外にはなれないし、それ以上の関係にもなれないってことですもんね。
…とあまり先走っちゃダメですね(笑)次回を楽しみにしています。
はーい^^
なんだか、もうHさんに結論を出していただいちゃってるくらいなコメントでうれしい焦りです(笑)
Hさんがこういう世界に触れたのは最近ということですが、Hさんをはじめ、ここにコメントをくださる方は、それ以外の事柄に関して想像力を持ってくれる方ばかりでなんだかひとり勝手に自慢したい気持ちです。
出会いのツールさえなかった時代は、それは苦労されたみたいですよ(これもちょっと次回書いてあります^^)
わたしは筋だてて物事を考えることがあまり得意ではなくて、せいぜい1歩か2歩先くらいまでしか見えていません^^;
ですから、エントリーも感情と感覚で書いているので、ときどき前と違うこと書いたりしているんじゃないかなって思っているのですが、Hさんのように過去エントリーとつなげて読んでくださるとありがたいし、あ、筋通ってたのね?とホッとします。(つながってる認定いただいたから、次に関連エントリーに追加しよ〜)
たしかに、那智さんが『スイッチ』に拘るのは、それがないと成立しない時代を過ごしたからというのも大きいかもしれません。
でも、ホントにおっしゃる通りで、簡単に何者かになれてしまうということは、それ以上より深く、より個人的な形にはなれないということにもなりますよね。
S側にもM側にも同じことが言えるというのも同感です。
で、これは那智さんのSM感ではなく、わたしの気持ちなのですが、わたしが一貫して主張していることはS=男、M=女に対しての場合なので、この超偏ったお話はまた別の機会に(笑)
なんだか、もうHさんに結論を出していただいちゃってるくらいなコメントでうれしい焦りです(笑)
Hさんがこういう世界に触れたのは最近ということですが、Hさんをはじめ、ここにコメントをくださる方は、それ以外の事柄に関して想像力を持ってくれる方ばかりでなんだかひとり勝手に自慢したい気持ちです。
出会いのツールさえなかった時代は、それは苦労されたみたいですよ(これもちょっと次回書いてあります^^)
わたしは筋だてて物事を考えることがあまり得意ではなくて、せいぜい1歩か2歩先くらいまでしか見えていません^^;
ですから、エントリーも感情と感覚で書いているので、ときどき前と違うこと書いたりしているんじゃないかなって思っているのですが、Hさんのように過去エントリーとつなげて読んでくださるとありがたいし、あ、筋通ってたのね?とホッとします。(つながってる認定いただいたから、次に関連エントリーに追加しよ〜)
たしかに、那智さんが『スイッチ』に拘るのは、それがないと成立しない時代を過ごしたからというのも大きいかもしれません。
でも、ホントにおっしゃる通りで、簡単に何者かになれてしまうということは、それ以上より深く、より個人的な形にはなれないということにもなりますよね。
S側にもM側にも同じことが言えるというのも同感です。
で、これは那智さんのSM感ではなく、わたしの気持ちなのですが、わたしが一貫して主張していることはS=男、M=女に対しての場合なので、この超偏ったお話はまた別の機会に(笑)
いやぁ~どれもこれも肯定してくださってありがとうございます!嬉しくなっちゃいますね。
で、次回まで待てずに連コメしちゃいます。
本当のこというと、私自身は「ご主人様と奴隷」「主従」のみならず、SとかMとかノーマルとかアブノーマルとか、それすら定義したりカテゴライズすること自体をナンセンスだと思ってたりします。あくまで重要なのは二人の関係性だったり、お互いの求めるものの追求だったりするので、何かに当てはめる必要性はないし意味がないことと思っています。むしろ何にも属さないほうが二人の可能性は際限なく広がっていく気がします。そのほうが間違いなく楽しい!
でもおそらくりん子さんも私も、そういう体験をしているからこういうこと言えるのかなって気はします。「ご主人様と奴隷」から飛び越えたことがない人にとっては今がすべてで、ピンとこないとこもあるのかもしれないなと。
私達は、最初にそれぞれのこれまでのバックグラウンドを白紙にして、お互いが何者でもないものになるところから始めたので、おかげでこういう境地に辿り着けたのかなと今となってはつくづく感じます。
もっともっといろんな話したくなりますね。
指しでといわず、4人で飲みたいくらいの勢いです(笑)
で、次回まで待てずに連コメしちゃいます。
本当のこというと、私自身は「ご主人様と奴隷」「主従」のみならず、SとかMとかノーマルとかアブノーマルとか、それすら定義したりカテゴライズすること自体をナンセンスだと思ってたりします。あくまで重要なのは二人の関係性だったり、お互いの求めるものの追求だったりするので、何かに当てはめる必要性はないし意味がないことと思っています。むしろ何にも属さないほうが二人の可能性は際限なく広がっていく気がします。そのほうが間違いなく楽しい!
でもおそらくりん子さんも私も、そういう体験をしているからこういうこと言えるのかなって気はします。「ご主人様と奴隷」から飛び越えたことがない人にとっては今がすべてで、ピンとこないとこもあるのかもしれないなと。
私達は、最初にそれぞれのこれまでのバックグラウンドを白紙にして、お互いが何者でもないものになるところから始めたので、おかげでこういう境地に辿り着けたのかなと今となってはつくづく感じます。
もっともっといろんな話したくなりますね。
指しでといわず、4人で飲みたいくらいの勢いです(笑)
どうぞ、どうぞ^^
たしかに、『何者』か固定してしまうと最初はやりやすいかもしれないけど、逆にそれ以上は広がらないということになりますね。
まして、『ご主人様と奴隷』なんてなると、ご主人様のほうもいずれネタが尽きてしまうような気がします(だから、マッサージと奉仕ばかりのご主人様もいたりして^^;)
で、那智さん曰く、役割分担は仕方ないとしても、できるだけ早くそこから抜け出したほうが長く良好に続くのではということです。
だって、全知全能の主から普通の男に変わるのなら早いうちのほうが、お互いトホホにならずに済むもんねということらしいです^^
Hさんはパートナーさんと最初に一度白紙に戻されたのですね。
それは賢明な選択だったのではないでしょうか。
ビフォーアフター(?)を知っていると、その利点もよくわかるということですね^^
ところで、那智さんはその白紙に戻す作業をHさんたちはどんな経緯(どちらが主導して?)で行われたのか聞いてみたいと思ったそうです^^
プライベートなお話になりますので、よろしければメールで教えてくださいませ。
たしかに、『何者』か固定してしまうと最初はやりやすいかもしれないけど、逆にそれ以上は広がらないということになりますね。
まして、『ご主人様と奴隷』なんてなると、ご主人様のほうもいずれネタが尽きてしまうような気がします(だから、マッサージと奉仕ばかりのご主人様もいたりして^^;)
で、那智さん曰く、役割分担は仕方ないとしても、できるだけ早くそこから抜け出したほうが長く良好に続くのではということです。
だって、全知全能の主から普通の男に変わるのなら早いうちのほうが、お互いトホホにならずに済むもんねということらしいです^^
Hさんはパートナーさんと最初に一度白紙に戻されたのですね。
それは賢明な選択だったのではないでしょうか。
ビフォーアフター(?)を知っていると、その利点もよくわかるということですね^^
ところで、那智さんはその白紙に戻す作業をHさんたちはどんな経緯(どちらが主導して?)で行われたのか聞いてみたいと思ったそうです^^
プライベートなお話になりますので、よろしければメールで教えてくださいませ。