文字
独り言
私が那智さんと出会ったころは、こういう出会いの主流は「ツーショット」や「伝言ダイヤル」などの電話を媒体としたものだったと思う。
数年たったいまは、掲示板やチャットなどの文字のやり取りが主流のよう。(なのよね?当時もわたしが知らなかっただけで、ネットが主流だったのかな?)
文字はとても便利だ。
書くことで自分の考えを整理することもできるし、普段言えないようなことも文字にすれば伝えられることもある。
また、互いに家庭を持っていたり、住んでいる場所が遠かったり、様々な事情をクリアしてくれる。
そして、一方的に送れるメールは、相手の都合を配慮しないでいいので、いらぬ気遣いをしないで済む。
わたしのような「垂れ流したい」人間には、とてもありがたいツールだ。
ネットサーフィンをしていて、同じような性癖を持つ人々のお話を読ませていただいていると、出会い関係を深める作業を「文字」を通してされている方が多いなと思った。
掲示板やチャットで知り合って、そのままメールでやり取りを重ねていく。
Sの方からの「こうしたい」という思いや「こうしなさい」という調教を文字にされたものを見るのはMとしては胸が高鳴るだろう。
家庭を持っていたり、時間が合わず、なかなか逢瀬が叶わない人には、それは会って肌を合わせることの次に大切なことになっているはずだ。
でも、別れ話もメールでしている人がいるのを見つけて驚いたしまった。
それも、意外に多い。
人それぞれ事情があるから、それがその人たちの最善の方法だったのだろう。
もしかしたら、書かれていない裏側で別なやり取りもあるのかもしれない。
でも、それは「お手軽」に思ってしまった。
文字はいいところがたくさんある。
考えを整理できるし、言いづらいことも言える。
ツーショットダイヤルの受話器を握りしめているとき、たとえそれが「暇つぶし」だったとしても「次はどんな人か」と毎回毎回苦しくなっていた。
顔も知らない他人とはいえ、その人の時間を浸食することに神経はすり減る。
ダメだったときの気まずさに、ため息が出る。
文字で「はい」と投げ出せたら、どんなに気が楽かと思う。
メールは便利でいいところがたくさんある、でも、反面「気が楽」だ。
相手の都合を考えず一方的に送れる気安さがある。
まして、自分に不利なことを切り出すには、とても好都合だ。
でも、大事な付き合いのいろいろな瞬間をメールで済ませてしまうことに、わたしなら嫌だと思ってしまった。
会って話し合えば、嫌な思いもするだろう。
文字では伝わらない表情や空気の中で納得いくまで話し合い、もしかしたらその相手を見て幻滅して別れを決意するかもしれない。
大変だし、美しくないかもしれない。
でも、それが大切ならば、大切なほど、とどめを刺さないと次に進めないんじゃないかなと思う。
どんなに「あなたの言うことには従う」と尻尾を振るわたしでも、もし別れのときが来るとして、そこまでいかなくてもとても重要な決断をするときがあるならば、それは会って襟首掴んで「なんでよ〜!!」と言うんだ。
そんな瞬間まで「都合の良い女」になるつもりは全然ない。
だから、メールでことが運ぶのは嫌だなと思った。
なにより、わたしはいまだに指二本で「カチカチ」キーボード打ってるし、那智さんは誤字脱字当たり前、主語抜くし説明不足ばっかり、こんなふたりがネットで出会って文字主流の関係だったら、育めるものも育めない^^
特に那智さん、文字主流のいま、相手を見つける状態じゃなくて、よかったですね〜と思うのです^^
私が那智さんと出会ったころは、こういう出会いの主流は「ツーショット」や「伝言ダイヤル」などの電話を媒体としたものだったと思う。
数年たったいまは、掲示板やチャットなどの文字のやり取りが主流のよう。(なのよね?当時もわたしが知らなかっただけで、ネットが主流だったのかな?)
文字はとても便利だ。
書くことで自分の考えを整理することもできるし、普段言えないようなことも文字にすれば伝えられることもある。
また、互いに家庭を持っていたり、住んでいる場所が遠かったり、様々な事情をクリアしてくれる。
そして、一方的に送れるメールは、相手の都合を配慮しないでいいので、いらぬ気遣いをしないで済む。
わたしのような「垂れ流したい」人間には、とてもありがたいツールだ。
ネットサーフィンをしていて、同じような性癖を持つ人々のお話を読ませていただいていると、出会い関係を深める作業を「文字」を通してされている方が多いなと思った。
掲示板やチャットで知り合って、そのままメールでやり取りを重ねていく。
Sの方からの「こうしたい」という思いや「こうしなさい」という調教を文字にされたものを見るのはMとしては胸が高鳴るだろう。
家庭を持っていたり、時間が合わず、なかなか逢瀬が叶わない人には、それは会って肌を合わせることの次に大切なことになっているはずだ。
でも、別れ話もメールでしている人がいるのを見つけて驚いたしまった。
それも、意外に多い。
人それぞれ事情があるから、それがその人たちの最善の方法だったのだろう。
もしかしたら、書かれていない裏側で別なやり取りもあるのかもしれない。
でも、それは「お手軽」に思ってしまった。
文字はいいところがたくさんある。
考えを整理できるし、言いづらいことも言える。
ツーショットダイヤルの受話器を握りしめているとき、たとえそれが「暇つぶし」だったとしても「次はどんな人か」と毎回毎回苦しくなっていた。
顔も知らない他人とはいえ、その人の時間を浸食することに神経はすり減る。
ダメだったときの気まずさに、ため息が出る。
文字で「はい」と投げ出せたら、どんなに気が楽かと思う。
メールは便利でいいところがたくさんある、でも、反面「気が楽」だ。
相手の都合を考えず一方的に送れる気安さがある。
まして、自分に不利なことを切り出すには、とても好都合だ。
でも、大事な付き合いのいろいろな瞬間をメールで済ませてしまうことに、わたしなら嫌だと思ってしまった。
会って話し合えば、嫌な思いもするだろう。
文字では伝わらない表情や空気の中で納得いくまで話し合い、もしかしたらその相手を見て幻滅して別れを決意するかもしれない。
大変だし、美しくないかもしれない。
でも、それが大切ならば、大切なほど、とどめを刺さないと次に進めないんじゃないかなと思う。
どんなに「あなたの言うことには従う」と尻尾を振るわたしでも、もし別れのときが来るとして、そこまでいかなくてもとても重要な決断をするときがあるならば、それは会って襟首掴んで「なんでよ〜!!」と言うんだ。
そんな瞬間まで「都合の良い女」になるつもりは全然ない。
だから、メールでことが運ぶのは嫌だなと思った。
なにより、わたしはいまだに指二本で「カチカチ」キーボード打ってるし、那智さんは誤字脱字当たり前、主語抜くし説明不足ばっかり、こんなふたりがネットで出会って文字主流の関係だったら、育めるものも育めない^^
特に那智さん、文字主流のいま、相手を見つける状態じゃなくて、よかったですね〜と思うのです^^
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